……国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。醒めている者も、ふつう亡命の可能性に乏しいから、担いでいるふりをしないわけにはゆかない(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収)
…………
日本や日本人の特性としてかつてから種々のことが言われてきた。「蛸壺」、「タテ社会」、「甘え」などは、わたくしが少年時代に書物で読んだ言葉たちである。時枝誠記や森有正の日本語論、すなわち日本語は本質的に敬語的などというのも当時は感心したものだ。それ以外にもいろいろある。ムラ社会、会社主義、共感の共同体等々。ところで、いまは「ヤンキー化」ということが言われる。これはムラ社会などからイメージされるものとはやや異なるようだ(わたくしは斎藤環氏などによるヤンキー論を読んだことがないので、あまりえらそうなことは言えないが)。だが共感の共同体の住人、あるいは浅田彰のいうアーバン・トライバリスト(部族中心主義者)が、次のような特質をしめそうとするときヤンキー的になるのではないかとは思う。
中井)確かに1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)
そしていまはそうせざるをえない社会なのであろう、おそらくエディプスの斜陽という文脈においては、世界的にも(先進諸国においては)おなじく。インテリもいくぶんかは、あえてヤンキーとして振舞わなければならないのではないだろうか。四十前後の売れ筋の「思想家」の言葉をツイッターなどで眺めていると、あえてヤンキーとして振舞っているようにも邪推せざるをえないことがある、その気合主義、アゲノリ、若い世代への媚び、みえみえの承認欲求、己れのイメージへの極度のこだわり等々ーー。
◆北野武が語る「暴力の時代」
―監督は先ほど「エンターテイメントに徹している」と仰いましたよね。今言われたような編集で間を詰めるということと、エンターテイメント性というものは、監督の中では繋がっているものなんでしょうか?
北野:うん。結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。
―なるほど。
北野:登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。
ムラ社会の住人が「他人うけ」を狙うことに大きく傾くとヤンキーになるのではないか、というのが、いまのところの、すくない資料を読んだにすぎない、そして海外住いにて日本人の生態についての実感から遠く離れて暮している者の、とりあえずの浅墓な仮定である。
斎藤環氏は、田中角栄、小泉潤一郎、橋下徹、安倍晋三などを日本的なヤンキー気質の政治家として挙げているが、わたくしの場合、政治的に「ヤンキー」という語からまっさきにイメージするのは、ラカン派のコプチェクの次の指摘である。
ラカン派のコプチェク(ジジェクの朋友でもある)は、《アメリカ人ヒステリー的な態度によって主人を選出すると言う。必然的に妨げられる欲望は、妨害そのものへの欲望に転化する。満たされない欲望は、決して満たされる ことのない状態への欲望に転倒される。つまりそこでは、誤りを犯すことがわかっているような無能な人物があえて主人に選ばれることになる》と言う。(暗号的民主主義──ジェファソンの遺産 | 田中純ーー無責任体制の「記号」としての「安倍晋三」)
…………
以下、おおむね資料の列記である。
【ムラ社会】
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)
労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』より)
【会社主義】
ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。
ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。(……)
日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。
日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。……(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収ーーいつのまにかそう成る「会社主義corporatism」)
日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」)
※《去勢を排除してしまった分裂病的な空間》という柄谷行人の1992年における言葉遣いは、いまからみればいささか異和がある(たとえば、現在のラカン派ならこれを「ふううの精神病」的な空間とか、「ふつうの倒錯」的空間と呼ぶかもしれない。が、ここでは厳密さを求めずに引用に終始することにする。ただ柄谷行人の文に現われる《母系制(厳密には双系制)的なものの残存》という表現に注目したい)。
【母性的な社会】
さて、高度成長と、それによる高度大衆社会の形成は、共同幻想の希薄化をもたらした。 いいかえれば、国家のレヴェルが後退し、家族のレヴェルが、それ自体解体しつつも、前 面に露呈されてきたのだ。......そもそも対幻想を対幻想たらしめていた抜き差しならぬ他者との「関係の絶対性」の契機がそれ自体著しく希薄化し、対幻想は拡大された 自己幻想に限りなく近付いていく。そうなれば、そのような幻想の共振によって共同体を構成することも不可能ではなくなる。公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがた い力で束縛する不可視の牢獄と化している。それがハードな国家幻想に収束していく可 能性はたしかに小さくなったかもしれないとしても、だからといってソフトな閉塞に陥らない という保証はどこにもないのである。(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 年 7 月号)
ここで《公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェル》という表現が出てくるが、これは神経症/精神病の対比であり、現在、「二十世紀の神経症の時代から二十一世紀の精神病の時代」という言い方が一部のラカン派ではなされている。これも諸論がありここで追求するつもりはないが、日本が「ふつうの精神病」先進国でありうるのは次の叙述を参考。
ラカンは精神病を本質的に想像的な(イマジネールな)ものによって定義していました。ラカンはある意味、精神病と想像的なものは等価であると考えていたのです。ラカンの著作における想像的なものはこのように精神病的であり、鏡像段階をパラノイアの記述として読み直すこともできるでしょう。すなわち、他者との基礎的な衝突があり、それは他者が私の役割を強奪していくからである。(ジャック=アラン・ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)
かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。
明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)
※より詳しくは「みせかけsemblant」の国(ラカン=藤田博史)
【共感の共同体】
この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したありその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。
「将来の安全と希望を確保するために過去の失敗を振り返」って、「事を荒立てる」かわりに、「『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している」のである。しかし、この共同体が機能している限り、ジャーナリズムは流通せず、「感傷的な被害者への共感」の記事に埋もれてしまう。(酒井直樹「無責任の体系」)
要するに次のような「共同体」気質だろう、《『クラス全員が反省しています』と言う。みんなに責任があると言いながら誰も謝罪しない。それでは、誰にも責任がないと言っているのと同じじゃないですか》http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201303300083.htmlーーリンク切れになっているが、たしか「いじめ自殺」をめぐる記事である。
これらの「共感の共同体(ムラ)」は、原子力ムラから理研ムラまで、そしてツイッターなどでの研究者ムラ、文芸愛好家ムラなどまで、いまでも到る処にみられる。
この共感の共同体に溺れないようにするための「望まれるべきコミュニケーション」のあり方とも読みうる言葉として、1999年4月12日、東京大学総長式辞(蓮實重彦)の文句を拾っておこう。
・気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学
・共感とは異質のある種の齟齬感
・同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感
・親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たり
微妙ではありながらも何かが決定的に違っている対象を前にしたときの驚きは、齟齬感や、違和感や、隔たりの意識を煽りたてる対象への深い敬意を前提にしております。(1999年4月12日 東京大学総長 蓮實重彦の式辞より)
【ヤンキー化】
ヤンキーとは、本来はアメリカ人を指すYankeeが語源。日本では、『周囲を威嚇するような強そうな格好をして、仲間から一目おかれたい』という少年少女。また、それら少年少女のファッション傾向や消費傾向、ライフスタイルを指す場合もある。口伝えで広まった言葉のため、本来の意味を知らない多くの人々によってあいまいな定義のまま使用されることが多く、『非行少年』『不良』『チンピラ』『不良軍団』など多くの意味で使用される。
「ヤンキー」については、語源や解釈を巡る議論がいまだ決着していないのだが、単に不良性を示すだけの言葉ではない点は確認しておこう。少なくとも、僕がヤンキーと言う場合、それはもはや不良や非行のみを意味しない。むしろ、彼らが体現しているエートス、すなわちそのバッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの“文化”、を指すことが多い。
現代はこうしたヤンキー文化が、かつてないほどの広がりをみせている時代ではないか。確かに本物の不良や非行少年は減ったかもしれない。しかしそのぶん、彼らに特有と思われていた文化的エートスが、非行とは無関係な層にまで浸透しつつあるように見える。(斎藤環『ヤンキー化する日本』)
もしヤンキーがアメリカ人をさす言葉だとすれば、ふたつのアメリカがあって、《移民を受け入れ、国の中にあらゆる民族がいて、しかも商品も資本もかなり自由に行き来できるというアメリカ》と《モンロー主義のアメリカ》があり、その後者を指すのだろう。
柄谷行人)ぼくが言いたいのは、アメリカにあるモンロー主義の可能性をむしろ見てなきゃいけないということなんですよ。つまりあまりにも戦後のアメリカに慣れすぎて、むしろモンロー主義が基底にあるということを忘れているのではないかと思うんですね。アメリカのナショナリズムの思想的元祖は、エマソンですね。彼は、日本の本居宣長とある意味でよく似ているんです。彼のトランセンデタシズムは、歴史や伝統を切断して、自分の内部と経験に問えということですが、これは別の意味で、アメリカのナショナリズムです。なぜなら、歴史や伝統はヨーロッパのものだからです。
エマソンは「ヨーロッパへ行くな」とも書いている。これは、宣長が「漢意」を批判して、おのれ自身の心(もののあはれ)を重視したのと平行しています。日本の場合と同様に、これは、反インテレクチュアリズムとして根強いですね。ただし、日本と違って、インテリのほうも頑固で根強いですが、と言うのも、インテレクチュアルはヨーロッパから直接に来ていますからね。書物だけが来るのではない。とにかく、このエマソン主義は、政治的な表現をとるかどうかは別としても、アメリカの思想的基底にあるものだと思う。この意味で、ぼくはアメリカは巨大な「島」だと思っているんです。(柄谷行人 岩井克人対談集1990『終りなき世界』より)
ここには「反知性主義」(反インテレクチュアリズム)、「母性的」「気合い」とか「アゲアゲ」という言葉が現われ、かつ上の『ヤンキー化する日本』の引用にあらわれた「絆」という語、あるいは《家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合》という表現から窺われるように「ムラ社会」や「共感の共同体」、「おみこし熱狂や無責任」(中井久夫)の変奏ともいうべき文句が散りばめられている。
與那覇:知性をもっていると思う側は、しばしばヤンキーを「反知性主義」といって叩きがちですけど、反知性主義というのは単なるバカとは違うわけですね。
斎藤:それははっきりと違います。私がよく言ってるのは、ヤンキーの成功者は「地頭がいい」ということです。地頭がいいヤンキーがいちばん日本人では尊敬されると。そこで最近よく挙げるのが白洲次郎です。あのあたりの人がヒーロー像としてはいちばん印象的なんだろうなと思うわけですね。反知性というよりも「反教養主義」に近いかもしれません。
與那覇:反知性主義を単に「お前ら知性ないじゃん」と攻撃してもダメで、「彼らはなぜ、地頭がいいにもかかわらずインテリ的なものを嫌悪するのか」という部分を問わなければならないと。そこで斎藤さんがご著書で示された手がかりが、“ヤンキーはエクリチュール(書かれたもの)的でない”という指摘と、“つっぱったヤンキーは一見マッチョで父性的に見えても、じつは母性的なんだ”という議論の2点だったと思うんです。
斎藤:そうですね。ネオリベというのは基本的に、良くも悪くも父性的な考え方だと思いますが、ヤンキーの場合は「厳しい母性」なんですね。保護的なんですけど、スパルタ的でもあるということ。母性的だからこそ、気合いとかアゲアゲとか、身体性に依拠するんでしょう。彼らにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる「夢見る身体」なんです。
與那覇:わかる気がします。父性的というのは、最後は自分から独立させて切り離すということですね。お前とはもう他人だから、一個人として自分の判断で生きていけと。
斎藤:そうです。切断的なものは父性ですね。それで、連続的、包摂的なものを母性と考えれば、厳しい母性がヤンキーだとなる。
與那覇:それは自分の頭で考えたいインテリにとっては、いちばん生きづらい……。
斎藤:生きづらい! そして、日本の大衆にとっては、いちばん心やすらぐということですね。
與那覇:厳しくするくらいなら「ほっといてよ」と思うのに、「でも私に合わせるなら、受け入れてあげるのよ」と追いかけてくる。体罰教師の生徒指導みたいな話ですよね。
斎藤:そうです! 体罰の背景にあるのは母性なんですよ。ルール無き恣意的暴力で包み込もうとする。決してほっといてくれないんですよ。ルールの厳格な適用なら父性的と言えるんですけどね。
※マッチョという語が出てくるが、ジジェクによれば次の通り、《マッチョのイメージは、人を惑わせる仮面として経験されるのではなく、人がなろうと努力する理想自我(想像的同一化)として経験される。そのイメージの裏には、マッチョイメージにはまったくそぐわないただ弱々しいごく標準的な男が透けてみえる。》(徳の俳優と悪の俳優)
理想自我という語は、フロイト=ラカン派の「自我理想/理想自我」の二項であり、これは「象徴界/想像界」の二項対立の範疇に属する。すなわち、ラカン派からみても、マッチョは母性的なイマジネールの領域の語彙のひとつである。
かつ「切断的な父性/連続的、包摂的な母性」とは、「父なるレリギオ(つつしみ)/母なるオルギア(距離のない狂宴)」(中井久夫)のことでもあろう。そして「距離のない饗宴」とは、「おみこしの熱狂」のことである。
さてこれ以外に、日本的な精神構造をめぐるものとして、古典的な「甘え」「意地」なども挙げられるだろう。
甘えという言葉が日本語に特有なものでありながら、人間一般に共通な心理現象を表 しているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近かなものであることを 示すとともに、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにでき上がって いることを示している。言い換えれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概 念となるばかりでなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念ともなるということ ができる。(土居健郎『「甘え」の構造』1971)
「日本人の意地は欧米人の自我に相当する」とは名古屋の精神科医・大橋一恵氏の名言である。中国人の「面子」にも相当しよう。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・外傷・記憶』所収)
意地について考えていると、江戸時代が身近に感じられてくる。使う言葉も、引用したい例も江戸時代に属するものが多い。これはどういうことであろう。
一つは、江戸時代という時代の特性がある。皆が、絶対の強者でなかった時代である。将軍も、そうではなかった。大名もそうではなかった。失態があれば、時にはなくとも、お国替えやお取り潰しになるという恐怖は、大名にも、その家臣団にものしかかっていた。農民はいうまでもない。商人層は、最下層に位置づけられた代わりに比較的に自由を享受していたとはいえ、目立つ行為はきびしく罰せられた。そして、こういう、絶対の強者を作らない点では、江戸の社会構造は一般民衆の支持を受けていたようである。伝説を信じる限りでの吉良上野介程度の傲慢ささえ、民衆の憎悪を買ったのである。こういう社会構造では、颯爽たる自己主張は不可能である。そういう社会での屈折した自己主張の一つの形として意地があり、そのあるべき起承転結があり、その際の美学さえあって、演劇においてもっとも共感される対象となるつづけたのであろう。
そして現在の日本でも、「民主的」とは何よりもまず「絶対の強者」がいないことが条件である。「ワンマン」がすでに絶対の強者ではない。「ワンマン」には(元祖吉田茂氏のような)ユーモラスな「だだっ子」らしさがある。「ワンマン」は一種の「子ども」として免責されているところがある。
二つには、一九八〇年代後半になっても、いまだ江戸時代に築かれた対人関係の暗黙のルールが生きているのではないかということである。われわれの職場にいくらコンピューターがはいっても、職場の対人関係は、江戸時代の侍同士の対人関係や徒弟あるい丁稚の対人関係、または大奥の対人関係と変わらない面がずいぶんあるということである。政治にも、官僚機構にも、変わっていない面があるのではないか。非公式的な集まりである運動部や、社会体制に批判的な政党や運動体においても、そういう面があるのではないか。(意地の場について(中井久夫))
柄谷行人もかつてコジューヴの日本文化論(日本的スノビズム)を語りつつ、《日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと》としている。
《江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。》(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」)
※東浩紀の「動物化」概念については詳しくないが、宮台真治氏は次のように言っている、
コジェーブは、歴史の終焉後、日本的「スノッブ化」とアメリカ的「動物化」の二者択一しかないと見たが、東さんは、日本的「スノッブ化」すら過去のもので、今や「動物化」しつつあると。
スノッブが動物に「なる」とはどういうことか。「あえて」形式と戲れるスノッブですが、コジェーブはそこに人間の自由を、ジジェクは「あえて戯れ『ざるを得ない』」不自由を見出しました。さて「動物的なもの」においては、その「あえて」の契機がスッポリ抜けるのだと東さんは言います。だから、せっかくスノッブがディタッチメントを達成したのに、再び素朴なコミットメントに回帰しているように見えます。同じ戯れでも「あえて」が入るか入らないかの差異が重大だという指摘……(宮台・東対談~『動物化するポストモダン』を読む~)
だがこれは柄谷行人が吉本ばななに触れるなかで、「あえてのないイロニー」をすでに語っている(「死語をめぐって」1990)。
さてこれらの日本人の特質が容易に変えられないものだとしたら、その肯定的側面を考えることも重要なのだろう。
「例えば、(津波がきたとき)最後まで避難を呼びかけて命を失った人がいたが、それらはこの国の人のどんな美徳から来ているのか。失われたものを考えるだけでなく、逆に何が失われていなかったのかを考えるのも一つの方法でしょう」(作家、古井由吉さん『蜩の声』 長い安泰で浮いてしまった言葉 産経新聞)
磯崎新は鎖国して「和様化」しろ、という。
わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』ーー日本語と下からの目線)
…………
※附記
上のに引用された論のひとつ、中井久夫の「「踏み越え」について」は、冒頭に掲げた「戦争と平和についての観察」とはまた別の、もうひとつの戦争論、暴力論である。上の文脈とはあまり関係がないかもしれないがここで引用しておく。というのは、《行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にした全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない》という文があるからだ。
斎藤環には次のようなヤンキーの特徴をしめす文がある。
ヤンキーの特徴の一つに、「行動主義」「仲間主義」などが挙げられる。それが助け合いの原動力となり、震災直後の復旧活動において、大きな力を持ったのは間違いない。
我々の心の中には多かれ少なかれヤンキーが住んでいる。だからヤンキー的なものを嫌悪している人も、土壇場や正念場で「気合い」を入れたり、「がんばればなんとかなる」とつい洩らしてしまったりする。それほど深く日本人の感性に根付いている。それゆえに、ヤンキー性ゆえの強みと弱みを認識し、ある種の諦観をもって、日本人は自らの内なるヤンキーと向きあわねばならない、というのが僕の今考えていることである。(誰の心にもヤンキーはいる)
これは中井久夫の、阪神淡路大震災において、髪を茶色に染めたボランティアの若者が目覚しい活躍をしたことを感嘆の口調で語っていたのを想起させる。あのようなときに率先して行動する「無名の」人間がもっとも信用できるというような意味合いだったはずだ(いま、どこで書いていたか探し出せないでいるので、そのうち見つけ出したら、中井久夫の文と差し替えるつもり)。あの若者たちは「ヤンキー」としてよいのだろう。
さて、前段もふくめ(これはここでの文脈とはほとんど関係がない)、すこし長くなるが「「踏み越え」をめぐって」から抜粋する(下段に「ここでの文脈の核心部分である」としているので、そこまで読み飛ばしてもらってもいい)。
戦争こそ、明確な言語化やイメージ化を経由せずに行動化される最たるものである。四年三ヶ月にわたって不毛な会戦を反復し、ヨーロッパに回復不能の打撃を与えた第一次大戦は、双方とも一ヶ月で終わると思って始まった。日中戦争は南京陥落で終結するはずだった。
見通しだけではない。近代の開戦理由を枚挙してみても、それが必要充分な理由であったことはかつてないのではないか。「なぜ、それが戦争になるのか」という反問に耐えないものばかりであると私は思う。不確実で、より小さな不利益の可能性のために、確実でより大きな損害を招く行為である。これは多くの犯罪と軌を一にしている。
戦争への引き返し不能点は具体的に感覚できるものである。太平洋戦争の始まる直前の重苦しさを私はまざまざと記憶しており、「もういっそ始まってほしい。今の状態には耐えられない。蛇の生殺しである」という感覚を私の周囲の多くの人が持っていた。辰野隆のような仏文学者が開戦直後に「一言でいえばざまあみろということであります」と言ったのは、この感覚からの解放感である。この辺りの変化は猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』によく描かれている。東条英機首相も、昭和天皇も、この重圧によって開戦へと流されていった。東条の神経衰弱状態は、開戦と同時に、軽躁状態に急変する。天皇を初めとする大多数の国民もまた。
ある患者は、幻覚妄想のある時期とない時期とを往復していたが、幻覚妄想のある時期はなるほど苦しいけれども、幻覚妄想がいつ起こるか、いつ始まるかという不安だけはないと言った。逆にない時期にはその不安から逃れられないという。平和の時期と戦争の時期との違いにも少し似ている。
私は戦争直前の重圧感を「マルス感覚」と呼んだことがある。湾岸戦争直前、私はテレビを見ていて、太平洋戦争直前に似た「マルス感覚」を起こしている自分に驚いた。「ああ、あの時の感じだ」と私は思った。フランスの哲学者ベルクソンは第一次大戦の知らせを聞いて、「部屋の中に目にみえない重苦しいものが入ってきていすわった」と感じたそうである。これをも「マルス感覚」とすれば先の「事前的マルス感覚」に対して「事後的マルス感覚」となろうか。私は二〇〇一年九月十一日以後、アフガニスタン戦争の期間を通じて、「事後的マルス感覚」をしたたかに味わった。
戦争へと「踏み越える」際の「引き返し不能点」は政治的よりも心理的に決定されると私は思う。戦争は避けられないという無力感が世を覆うようになることである。この独特の無力感を引き起こすことこそ、戦争を起こしたい勢力がもっとも重視し努力するものである。それは「心理的引き返し不能点」を手前に引き寄せる試みである。その手段は多様で持続的なものでなければならない。宣伝だけでなく、動員をはじめ、種々のしめつけや言論統制である。PP307-309
「マルス感覚」については『家族の深淵』に「「マルス感覚」の重要さ」というエッセイがある。だがここではもうひとつのエッセイから抜き出しておこう。
一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。(「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」『家族の深淵』所収)
《フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、一八九四年、彼が精神病的とさえ憶測される二年間を通過した後、生涯、朝四時に独り起きだしてコーヒーを沸かし、八時まで、現在「カイエ」と称される膨大なノートを執筆した。詩作も、この暁の純粋で孤独な時間になされた。》(中井久夫「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)
ーーとあるようにヴァレリーはほぼ精神病的、あるいは分裂病体験をしたといってよいだろう。「マルス感覚」はムラ社会のの住人にはほとんど訪れがたい。分裂気質/執着気質の二項対立を説く文脈で中井久夫は次のように書いている。
(ムラ社会の執着気質タイプの人間は)、「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)
《私の分裂病論の核心の一つは一見奇矯なこの論文にある。他の仕事は、この短い一文の厖大な注釈にすぎないという言い方さえできるとひそかに思う。》(中井久夫「『分裂病と人類』について」2000年初出『時のしずく』所収)
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◆さてここでの文脈の核心部分である。
事後的な言語化の意味と効用について述べたが、皮肉なことに、行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にした全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。
行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。
DVにおいても、暴力は脳/精神の低い水準での統一感を取り戻してくれる。この統一感は、しかし、その時かぎりであり、それも始まりのときにもっとも高く、次第に減る。戦争の高揚感は一ヶ月で消える。暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。最初は思い余ってとか論戦に敗れてというそれなりの理由があっても、次第次第に些細な契機、ついにはいいがかりをつけてまでふるうようになる。また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。
ちなみに、賭博も行動化への直行コースである。パチンコはイメージとも言語化とも全く無縁な領域への没入であるが、パチンコも通常の「スリル」追求型の賭博も、同じく、イメージにも言語化にも遠い。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収pp311-313)
ヤンキーの否定的側面ばかりを強調してもはじまらない。それが日本人の感性に深く根付いていて逃れがたいものであるならなおさらのことである、《ヤンキー性ゆえの強みと弱みを認識し、ある種の諦観をもって、日本人は自らの内なるヤンキーと向きあわねばならない》と書く斎藤環はあまりにも「正しい」、--などと書くのは、前投稿で斎藤環をアゲノリ・ラカン派と貶したことの反動の気味がまったくないとは言わないが。
右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。(福沢諭吉『学問のすすめ』)
実は、九鬼周造の『「いき」の構造』を真似して、上にある語彙群を中心に、例の図式を作ってみようとしたのだが、やはり日本の生活から遠く離れ、眺め得る文献もわずかであるので、無謀な試みであることをすぐさま悟った。あのような精緻な「ヤンキーの構造」論がそのうちだれかから出てくることを期待しよう。
(ーーー「日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる」より)
(ーーーーー「いき」の構造)