……思想史が権力と同型であるならば、日本の権力は日本の思想史と同型である。日本には、中心があって全体を統御するような権力が成立したことがなかった。それは、明治以後のドイツ化においても実は成立しなかった。戦争期のファシズムにおいてさえ、実際は、ドイツのヒットラーはいうまでもなく、今日のフランスでもミッテラン大統領がもつほどの集権的な権力が成立しなかったし、実はその必要もなかったのである。それは、ここでは、国家と社会の区別が厳密に存在しないということである。逆にいえば、社会に対するものとしての国家も、国家に対するものとしての社会も存在しない。ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。
ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。
日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。すなわち、それは原抑圧の失敗であり、去勢の否認である。日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。
日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられうことに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)
ここで柄谷行人は去勢の排除とか否認と書いているが、古典的なラカンの用語法からすれば、排除と否認は違う。排除は精神病にかかわり、否認は倒錯にかかわる(抑圧は神経症)。
※このあたりは藤田博史氏がそのセミネールで平易な言葉で解説しているメモがあるので参照のこと→「心的装置の成立過程における二つの翻訳」補遺
「去勢を排除してしまった分裂病的な空間」という表現も、ラカン的にはすこし違う。去勢を排除すると「精神病」になる(精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニー(分裂病)とメランコリーがある)。
もっとも1992年に書かれた論であり、その後二十年の時を経て、今では多くのひとに明らかになっているラカンの用語遣いとの齟齬にこれ以上拘るつもりはない。
否認であろうが排除であろうが、柄谷行人のこの時点での、日本人の精神構造のありようの洞察、「いつのまにかそう成る」や、「会社主義」、「母系的なものの残存」などに注目しなければならない。
たとえば、「父の名」の(隠喩の)排除は、前エディプス期における母の想像的ファルスになるという二項関係に囚われたままであるか、あるいは女性(「母」)化、つまり、父性隠喩の不成立によって「母のファルスになる」という欲望を「ファルスをもつ」に変換できなかった主体が、「母に欠けたファルスになることができないならば、彼には、男性たちに欠如している女性になるという解が残されている」(Lacan E566)ということなのだから、柄谷行人の「母系的なものの残存」という表現は核心をついている。
もっともこの当時、日本のシステムの母性的なあり方は、しばしば論じられていた。
バラード)……そこで聞くのだが、電子情報産業の最先端を行っており、強力なメディア・ランドスケープをもっているはずの日本が、なぜレーガンのような政治上のメディア・パーソナリティを生み出してこなかったのか。どうして流行遅れの官僚みたいな政治家しかいないのか。
浅田彰)父権的・男根的なシンボルを中心に戴く社会というのは、メディア社会としては未熟だと思うんです。メディア社会が発達してくると、縫い目のないメディアのネットワークが、電子の子宮のように、したがって父権的というよりは母性的な形ですべてを包み込み、不在であるがゆえにいたるところに偏在する中心として機能するようになるのではないか。そこで、昔から空虚な中心として機能してきた天皇というプレモダンな象徴が、ポストモダンなメディア社会とうまく適合してしまうのではないか。
バラード)ふむ。たしかに私も、これから全体主義が可能だとしたら、微笑を浮かべたソフトな全体主義になるだろうとは思うね。実際、どこからともなく人の心にすっと入り込むようなソフトな誘導のほうが支配的になってきている。(浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』「メディア・ランドスケープの地質学」J・G・バラードとの対話)
柄谷行人は1990年になされた岩井克人の対談でも「会社主義」をめぐって語っている。
柄谷)コジューヴは五九年に日本へ来たんですけれども、その時に自分は世界史が終わった時点ではアメリカのようになるであろうと思っていたけれども、それは間違っていた。日本のようになると言い出したわけです。精神とか人間というのは闘争においてあるというのがヘーゲルの考えで、闘争が終われば動物的になってしまう。しかし、そうならないで、なおかつポスト歴史的な生の形式でありうる。それが日本人だと言うわけです。ところで日本人は、関ヶ原の戦争以来闘争がない。彼は具体的には江戸時代のことを言っているんだけれども、江戸時代に日本人がつくりあげた生存形式、ジャパニーズ・ウエイ・オヴ・ライフと言うべきだろうけども、これを彼はスノビズムと呼ぶわけです。それは、動物のようになることではない。まだ人間的ではあるんだけれども、いささかも人間的内容なしに、あるいは意味なしに、単に形式的な、戯れだけで行動してしまえること、それが日本的な生活様式であると。これは実際に江戸文化のことですね。(……)
彼が注目したのは、茶道とか生花とか、あるいは自殺、腹切りですね。三島由紀夫がそのあと、十年後に自殺したわけですけど、これは典型的にそういう意味でのスノビズムになってます。ところがぼくは、スノビズムはそういうところにあるよりも、むしろもっとありふれた日本人の「会社」的な生存のし方にあると思います。
つまり日本人、会社では、なんのためか知らないけれど一生懸命働いてしまう。いささかの人間的内容もなく、頑張ってしまう。早くから入学試験にそなえて頑張るのもそうですね。その形態、つまり日本の高度成長段階の生存形態というのが、スノビズムではないかと思うんです。消費社会的なものが猛烈に表面化してきたのが八十年代で、この段階でまさに江戸的になるんですね。意味のない形式的な差異だけを、これは広告でもブランドども何でもいいんですけど、それだけを追いかける。こういう生存のし方が出てきて、しかもそれを吉本隆明なんかが「超西洋的」と呼ぶわけでしょう。
情報というのは観念(意味)よ物質という対立を、差異(形式)に還元してしまう考え方です。まさにそういう意味での「情報社会」というのは、西洋ではなくて、日本のあらゆる領域で実現されたと思う。(『終わりなき世界』)
コジューヴの日本的スノビズムの指摘をめぐって、その後次のような議論があるのを知らぬわけではない。
コジェーブは、歴史の終焉後、日本的「スノッブ化」とアメリカ的「動物化」の二者択一しかないと見たが、東さんは、日本的「スノッブ化」すら過去のもので、今や「動物化」しつつあると。
スノッブが動物に「なる」とはどういうことか。「あえて」形式と戲れるスノッブですが、コジェーブはそこに人間の自由を、ジジェクは「あえて戯れ『ざるを得ない』」不自由を見出しました。さて「動物的なもの」においては、その「あえて」の契機がスッポリ抜けるのだと東さんは言います。だから、せっかくスノッブがディタッチメントを達成したのに、再び素朴なコミットメントに回帰しているように見えます。同じ戯れでも「あえて」が入るか入らないかの差異が重大だという指摘……(宮台・東対談~『動物化するポストモダン』を読む~)
だがこの「あえて」の契機がスッポリ抜ける動物化という指摘も柄谷行人が次のようにいうスノビズムの範囲を出るものであるのかどうかは、著書を読んでいないわたくしにはよく分らない。
もはや「純文学」などという者はいない。しかも、純文学を軽侮することがアイロニーとしてあった時代もとうに終っている。今や新人作家がその二冊目のあとがきにつぎのように書く始末なのだ。《良いもの、つまんないかもしれないものも、ちゃんと読んでくれる人がいて、ごまかしがきかないくらい丸ごと伝わってしまうことはプロの喜び、幸せ、大嬉しいことです。しっかり生きて、立派な職人になりたい。いい仕事をしよう》(『うたかた/サンクチュアリ』)。
「立派な職人になる」と言うのは、一昔前なら、「大問題」を相手にする戦後派的な作家に対して身構えた作家の反語的な台詞としてありえただろう。それは、実際はひそかに“芸術家”を意味していたのである。そういうアイロニーはまだ村上春樹まではある。しかし、吉本ばななは、これを自信満々でいっているのではないかと思われる。それは文字どおり芸能人のファン・クラブ会誌にふさわしい言葉である。そもそも「職人」や「芸人」がどこにもいなくなった時代に、こういう言葉が吐かれていることは、知識人や芸術家が死語にひとしいことを端的に示している。(柄谷行人「死語をめぐって」1990ーー柄谷行人の「構造と反復」をめぐって)
いずれにせよ、日本的な精神構造の特徴のひとつとして、意味のない形式的な差異だけを追いかけるという側面は、現在でも、インターネット上で、より一層盛んになっているといってよいだろう。それは最近の藤田博史セミネールにて、サンブランを介した鏡像的な他者との関係を日本的幻想の特徴としていることにも繋がる。
aー$ がエス Le Ça 、-φーAsーφ が自我 Le moi、AーΦ が超自我 Le surmoi に呼応しています。したがって、日本的幻想の特徴は、他者のサンブランがあたかも大文字の他者のように振る舞ってしまうところにあります。(資料:ラカンの幻想の式と四つの言説)
ところで柄谷行人曰くの「日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと」とは具体的にはどういうことだろう。
中井久夫は、「大家族同居の禁」、「刀狩」、「布教の禁」の三つを挙げている。
このシンポジウムで私の前に米山俊直先生が話された中で私の印象に強く残ったのは、信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。それ以降、秀吉と家康がした大きな改革が三点くらいある。一つは「大家族同居の禁」である。江戸時代のほうが明治以降よりも小家族であった。森鴎外の『阿倍一族』のような反乱を起こされたら困るからである。もう一つは刀狩という「武装解除」である。最後の一つは「布教の禁」で宗教は布教してはいけないということである。おそらく幕末のいろいろな宗教運動がものすごい抵抗に遭ったのは、布教の禁に真っ向から対立するからだろうと思う。布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。以上の三つに付随して「宗教者医療の禁」がある。「医は仁術なり」という言葉は「お医者さんは非常に親切であれ」ということではなくて、「仁」という儒教の道徳にもとづいた非宗教人だけに医術を許すということである。ただし日蓮宗は狐憑きを治療してよいなどいくつかの例外はある。(中井久夫「山と平野のはざま」『時のしずく』所収 P. 98)
かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。
明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」『時のしずく』ーー父なき世代)
柄谷行人曰く、日本のスノビズムは、「会社主義」、「会社」的な生存のし方である、と。あるいは、corporatismともされる。これは仲間主義やら協調関係、連帯などということに関わるのだろう。終業時間がきても、仲間が仕事をしていれば、なんとなく居残ってしまう。サービス残業をする。いつのまにかそうしてしまう。曖昧模糊とした春のような気質の日本人、あるいは、《日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。》(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」)というわけだ。
ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。》
ヒットラーがなにを羨望したかははっきりとは窺い知れないが、権力の中心がなくてもファシズム的支配が容易であるということか。これはフロイトのいう《一次的な集団とは、同一の対象を自我理想とし、その結果おたがいの自我で同一視し合う個人の集りである》(『集団心理学と自我の分析』)の「自我理想」の箇所が空虚でありながら、《多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こす》(フロイト 同)のであるならば、ヒットラーの羨望を生んでもおかしくない。(参照:優しい人たちによる魔女狩り)
これもサンブランを介しての想像的同一化の症状ということになる。
で、なにがいいたいというのか。
しかもわたくしの殆ど唯一の情報源のツイッターを眺めると、つながりとか協調とかを大切にしているらしい伝来の「会社主義」の連中が、あいもかわらず、民主主義が終わった日とか民主主義の頽廃とかなんとか上滑りな言葉を発信している。ツイッターという装置は、まさに気軽な断言を誘発する装置としてある。昔からひそかにくり返して暗記していた台詞が、ふと口から洩れてしまったような印象を受ける。その言葉は行動への変容の資質を放棄しているかのようだ。スノビッシュに共感の湿った瞳を交し合っている連中ばかりが目につき、その資質が「いつのまにかそうなってしまう」日本を育んでいるのではないかと疑ったことはいまだないらしい。
私たちは、震災にさいして「言葉を失った」とか言う。簡単に言ってしまう。自分がいかに言葉を失っているかを、雄弁に書いたり語ったりしたんじゃなかったっけ?
でも私たちの多くはほんとうは、震災にさいして「言葉を失った」りなんかしていない。
それどころか、震災それ自体ではなく自分の思考ばかりを見て、Twitterで、熱に浮かされたように、ふだんより生き生きと上滑りな言葉を発信したりしたのではないか?