・ジョルジョ・アガンベンによると、狂宴(サバト)のただなかにサタンの肛門に接吻をしたと審問官に訴えられた魔女たちは、「そこにも顔があるから」と応えたのだという。これは傾聴すべきかんがえではなかろうか。(辺見庸 私事片々 2014/07/16)
そうだ、安倍の肛門にも顔がある。どんな顔か。自民党の総領の顔だ、資本主義の顔、新自由主義の顔。金目の顔。むき出しの市場原理の顔。
中国も韓国も関係ない。保守も愛国も関係ない。領土も防衛も関係ない。たんに経団連傘下の大企業の受注を増やしてあげて、公共事業として戦争をやりたいってだけです。だってそういう企業の献金で生き延びてきたのが自民党だもん (資本の欲動のはてしなさ(endless)と無目的(end-less))
◆「優しい人たちによる魔女狩り」より
キリスト教世界の基盤を掘り崩しつつあるのがサタンの賄賂に目のくらんだ魔女の大群であり、魔女は手当り次第に秩序を破壊しつつサタンの世界支配を推進しつつあるーーこの想像は明らかに加害者のものである。このような想像は強迫症者にみられる、ステロタイプの想像に対応している。彼らは目に見えない汚染によって自分の存在が脅かされていると思い込み、その対策として汚染除去(洗浄や焼却)の儀式に耽り、しかもこれらの対抗手段の励行にもかかわらず汚染の原因は限りなく増殖してゆくと観念するのである。これは魔女狩り裁判官の想像そのものではないだろうか。(……)
二十世紀において私たちはよく似たセッティング(魔女狩り期の:引用者)がにわかに復活するのに出会った。不吉な予感に敏感となり、これにおののく支配階級、経済的・精神的フラストレーションーーエネルギー問題、経済計画の失敗、貨幣制度の不安定化、社会の目的にかんする幻滅、社会主義国にもみられる政治的分裂、多数の難民――があり、大衆の暗黙の合意がある。いわゆる発展途上国の政府の多くはルースで無能力なことルネサンス宮廷並みであるのに気づく。超大国の指導者でさえ(賢人と学者〔マギ〕)に囲まれた存在であり、巨大化しすぎた自国の官僚制度との連絡をうまくいっていない。不可視の病毒汚染という哲学を固守している迫害者が世界のあちこちにいる。また、ありもしない罪を、ありもしない共謀者の名とともに告白し、自分の有罪を肯定しつつ処刑されてゆく犠牲者がいる。……(中井久夫「アジアの一精神科医からみたヨーロッパの魔女狩り」『徴候・記憶・外傷』所収)
第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。
では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))
安倍を「理解を超えた阿呆」とすることは科学的ではない。
※参照:安倍晋三「フェティシスト」政権という「仮説」をめぐって