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2013年1月25日金曜日

「驚き」を超えた悦びと怖れ(黒田夏子,蓮實重彦)




七十五さいになる可憐な老女の,ふたつの新人賞をえた小説が,すでに十四万部売れたそうだが,いまこうしてその文体をまねて,欧米文のようにして,こんまやぴりおどをつかってみたり,ひらがなを多用したり,片かなの使用をさけてみても,あるいは固有名詞をつかうのを四苦八苦してさけてみても,凡徒のつけやき刃では,どうにもなるものではない.比較的はやい時期に,その小説がえた,ひとつ目の新人賞の選評を読み,あわせて冒頭の千四百字ばかりを読んで,すみずみまでいきとどいたそのすたいるにおどろいたなどと,すでに綴られている賛辞の環にくわわって,あられもなく絶賛の言葉を書きつらねるなどという恥ずかしいまねもするつもりはない.

だが,そこにある,ひらがなと漢字の使いわけのばらんすによるだけではなさそうな,その視覚的なこころよさはもとより.小さな声をだしてみたり,声をださないまでも心にひそかにまとわりつくような音韻のこころよさというものは,すぐれた散文詩のようだなどといってもはじまらないにしろ,いまあらためて読んでみても,さいしょに読んだこころよさは薄れるどころか,深まるかのようだ.こんまやぴりおどの使用というのは,いままでも論文などで見たことはあるにしろ,老女のつかいようは,句読点のおおぎょうな切断とはことなって,むしろ,井上究一郎のぷるーすとのほんやく文や,中期の谷崎潤一郎のこころみのように,おそらくは源氏物語にたんをはっする,流れるような印象をうみもする.もっともこのように書く初老のおとこは,異国すまいの身であり,冒頭の千四百字ほどしか読んでいはしない.

その,それから,そこから,それはその,そこで,そういう,それぞれ,そうだったのか,など,そ,の音がくりかえされる,みゃくらくもなく,が近い場所でくりかえされる.多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいた,のしばらくあとには,らせん状の紅い果皮が匂いさざめく,とされる.おだやかな目ざめへとまさぐりとどいた,おだやかな目ざめへとまさぐりとどく,と,これもくりかえされる.ひらがなのおおい柔らかな文のなかに,受像者,帰着点,とかたく見なれぬことばが挿しはさまれて,ひらがなのやわらかさがいっそう匂いやかになるかのようだ.

〈受像者〉

aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもb にもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある. 

またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.そこで片親とひとり子とが静かに並んでいた.いなくなるはずの者がいなくなって,親と子は当然もどるはずのじょうたいにもどり,さてそれぞれの机でそれぞれの読み書きをつづけるまえのつかのま,だまって充ちたりて夕ばえに染みいられていた.そういう二十ねん三十ねんがあってふしぎはなかったのだが,いなくなるはずの者がいなくなることのとうとうないまま,親は死に,子はさらにかなりの日月をへだててようやく,らせん状の紅い果皮が匂いさざめくおだやかな目ざめへとまさぐりとどくようになれた.

 ぎゃくにいえば,そうなれたからたちあらわれたゆめだ.ひきかえせないといういみでなら,もっと早いいつのまくらにただよいからんでもおなじだったろうが,どんな変形をへてでも親と子ふたりでくらす可能性ののこっていたあいだはもちろん,それが死によってかんぜんにうしなわれてもなお,帰着点がにがすぎればたちあらわれてはならないたぐいのゆめがあった.

 ゆめの受像者の,三十八ねんもをへだてて死んだふたりの親たちのうち,さきに死んだほうの親のゆめも,ふたりともが死んでしばらくたつまではほとんどたちあらわれなかった.受像者が,あとから死んだほうの親とふたりだけというじょうきょうでつくられたじぶんに淫しきっていて,それいじょうさかのぼった未定などじぶんがじぶんでないからはかかわりもないとかんじていたからか,かかわりがないというよりはむしろ,親ふたりそろっていてのじぶん,きょうだいがあったりするじぶんなど敵でしかないとかんじていたからか. 親がふたりとも死んで,さらに年をへて,朝の帰着点がさざめきでかざられるようになった者が,ゆめの小べやの戸をあけると,さきに死んだほうの親がふとんに寝ていた.寝てはいたがいのちのあやういほど病んでいるというふうではなく,そうだったのか,あけさえすればずっとここにいたのだったかとなっとくした者は,じぶんの長いうかつな思いこみをやすらかにあきれていた.またべつのゆめで,親ふたりと子とがつれだって歩いていた.歩いてはいたが,さきに死んだほうの親がすでに病んでいるともわかっていた.なおるともなおらないともきまっていないところまではひきかえしたということのようであり,それをゆめの受像者がじかにのぞんでいるというよりは,あとから死んだほうの親のためにひきかえしてやりたかったのにということのようでもあった. 

實重選評「黒田夏子の『abさんご』が群を抜いて素晴らしかった」

この平成日本の文学的な環境につつまれ、それも新人賞に応募する男女の作品を読みながら、ひたすら「ため息」をもらしたいという思いをいだくのは、途方もない時代錯誤でしかあるまい。そんなことは百も承知であるにもかかわらず、川上未映子との「早稲田文学」の対談で、古井由吉を読みながら思わずもらす「ため息」について語り、「応募作品を読みながら、そうしたため息をいくつもつきたいという贅沢な期待感もあります」などと、性懲りもなく口走ってしまった。選者としては、ひたすら驚きたかったのだといってもよい。 

だが、文学作品に「驚き」を期待するほど、批評家として怠惰な姿勢もまたとあるまい。ところが、奇蹟というべきだろうか、三百作を超える応募作品の中に、一篇だけ、「ため息」をもらさずに読み終えることなどとてもできない作品がしたたかにまぎれこんでおり、その作品をみたしている言葉遣いと語りの呼吸にはとめどもなく心を動かされた。その文字をたどりながら、何度か「ため息」をもらし、何度か「驚き」、これをおいて当選作などありえようはずもないと確信するのにさしたる時間は必要とされなかった。その確信をもたらしてくれたのは、黒田夏子の「abさんご」である。

 ほどよい書き方を心得ている書き手はいうまでもなく、ほどよい語り方を心得ている書き手も皆無ではなかった。だが、それらは、どれもこれも、平成日本の退屈さに酷似していた。まあこんなものだろうとつぶやきながら、何度も欠伸をこらえた。 

ところが、黒田夏子の「abさんご」は、たったひとつの欠伸さえ誘発しなかったばかりか、「個性」といえば決まって「豊かな」と応じてしまう日本語の慣習への侮りも隠そうとしない作品だった。「豊かな個性」とは、語義矛盾もはなはだしく、そんな言葉を間違っても口にしてはならぬ。「豊か」さからは思いきり遠いきわめつけの「貧しさ」こそが「個性」にほかならぬ。「abさんご」は、一行ごとにそういっているかに見える。作者の黒田夏子は、「きわめつけの貧しさ」だけで勝負する、優れて「個性」的な作家だといわねばなるまい。「個性」で作品を語ったためしのない批評家がそう断定するのだから、これだけは間違いない。 

「固有名詞」やそれを受ける「代名詞」もいっさい使わずに、日本語で何が書け、何が語れるか。「個性」的な黒田夏子が直面するのは、おそらくこれまでいかなる作家も見すえることのなかった言語的な現実である。だか、彼女は、それを、抽象的な実験として処理するのではなく、ごく当然のこととして具体的に生きぬいてみせる。そのつど異なる「普通名詞」をまとってみせる名前のない誰かが、いつとも知れぬ時間から、これまた異なる「普通名詞」をまとわされた誰とも特定しがたい複数の人物について、あれこれ思いをめぐらせる。ただそれだけのことでありながら、それが一篇の作品として読むものの意識にひそかな震えを行きわたらせる。黒田夏子は、ごくなだらかな呼吸で、だが自信をこめてそうつぶやいているかにみえる。 

abさんご」は、あくまで横書きで書かれ、あくまで横書きで読まれるべき作品であり、ごく素直にたどれる語彙や構文からなっているとはいいがたい。とはいえ、ここでは、読む意識への言葉の無視しがたいさからいこそが読まれねばならない。誰もが親しんでいる書き方とはいくぶん異なっているというだけの理由でこれを読まずにすごせば、人は生きていることの意味の大半を見失いかねない。そうと名指されてはいない「昭和」の核家族の歴史が、それを「小児」としておぼつかなく生き始めた者の言葉として、初めてそれにふさわしく書かれた貴重な作品として、多くの人に向かって、そのことの意義を強く主張したいと思う。ここには新人賞の当選作という以上の作家的な力量がこめられており、選者としては、そのことに「驚き」を超えた悦びと怖れをいだいた。