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2014年10月21日火曜日

Encore, encore ! --快・不快原理の彼岸=善悪の彼岸

フロイトとニーチェの仲良しぶりを探るのにもやや飽きてきたので、
いつもにもまして雑然と書くことにする。

…………

表題に示したように
Jenseits des Lustprinzips『快原理の彼岸』ってのは
Jenseits von Gut und Böse『善悪の彼岸』のパクリだよ

快原理とは、快・不快Lust und Unlustの原理のことだからな

そして善悪の彼岸ってのは権力への意志さ
快・不快の彼岸は欲動(衝動)でね

権力への意志というのは衝動(impulusion)さ
ドゥルーズの権力=〈力〉puissanceを活かしたいのなら
権力への意志は、〈力〉puissanceへの衝動implusionさ
いや”への”じゃなくて〈力〉衝動かもな

フロイト=ラカン派なら欲動、あるいは死の欲動ってわけ
すべての欲動は潜在的には死の欲動だからな
《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)

享楽の漂流だっていいさ

きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流?」と翻訳する。(ラカンセミネールⅩⅩアンコール私訳)

で、それでどうしたってんだ?
灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その永劫回帰
おれたちの生の形式はTriebmischung(エロスとタナトスの欲動融合)さ

権力への意志が原始的な欲動=情動(Affekte)形式であり、その他の欲動(Affekte)は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)

死の欲動=権力への意志が人間の根源的なものだとしても
そう分かって何かの役に立つのかいね
どうたい? 大地と合体しようとして(エロス)
土の中に死(タナトス)をみてしまった中上健次よ
それでも永劫回帰(反復運動)するかね

秋幸はまた働いた。自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。(中上健次『枯木灘』ーーエロスとゆらめく閃光

ロマン派をバカにできる程度じゃないか
憐れみとか惻隠の情とかいってるホモセンチメンタリスたちを。


クロソウスキーは、ニーチェ用語、
欲動Triebe、欲望Begierden、本能Instinke、
権力Machte、力Krafte、衝動Reixe, Impulse、
情熱Leidenschaften、感情Gefiilen、情動Afekte、
情熱Pathosを、ひとまとめに衝動implusionとするのだけれど、
フロイトやラカン用語のTriebやらDrangやらEncoreやらってのも
衝動implusionでいいさ。

主体は、己のa(対象a)の完全な応答を得る/与えるのを確信するために、(母)他者〔(m)other〕を独占したい。だがそのような完全な応答は不可能である。そこにはつねに残余があり、“ Encore”(もっと、またもっと)の必要の切迫がある。“ Drang ”(衝拍、もしくは圧力)は、ドライブ〔欲動の継続〕したままだ。

The subject wants the (m)other all to itself, to be sure of getting/giving a complete answer to (a). Such a complete answer is impossible, there is always a remainder and a necessity for an “ Encore ” : the “ Drang ” keeps driving .……(『Sexuality in the Formation of the Subject』 Paul Verhaegheーー部分欲動と死の欲動をめぐる覚書

ーーここでの“ Encoreは、もちろんラカンのセミネールⅩⅩの題名であり、そこでの大きな主題は欲動(享楽)だ。そして Drang は、フロイトの『欲動とその運命』における、欲動の四つの区分のうちの最重要なひとつである。


われわれは欲動の概念と関連して使用される若干の術語を検討することにしたい。それは欲動の衝迫 Drang、目標 Ziel 、対象 Objekt、源泉 Quelleなどの言葉である。(フロイト『欲動とその運命』)

フロイトはこのDrang以外にも、
Affektbetrag  Erregungssumme  QuantitativeFaktorなどと言ってるのだが、
まあ全部クロソウスキーのimplusionでいいさ、あるいは権力への意志でね

お、藤田博史センセいいこといってるじゃん。

欲動の衝迫というのは、欲動の運動モーメントとか力の総和とか作業要求の尺度のことです。いわば欲動の本質といってもよいでしょう。フロイトは「あらゆる欲動は一片の能動性である」と表現しています。つまり欲動とはひとかたまりの能動性のことなのだと。能動性こそが欲動における本質的なものと見なしているわけです。(藤田博史 セミネール断章 2012年 9月8日講義より

まるで、権力への意志の定義みたいだぜ。

…………

 ところで、次の文は、ニーチェの快・不快の彼岸じゃないかい?

『快』の本質が適切にも権力の『増大感』として(だから比較を前提とする差異の感情として)特徴づけられたとしても、このことではまだ『不快』の本質は定義づけられてはいない。民衆が、《したがって》言語が信じこんでいる誤った対立こそ、つねに、真理の歩みをさまたげる危険な足枷であった。そのうえ、小さな不快の刺激の或る《律動的連続》が一種の快の条件となっているという、いくつかの場合があり、このことで、権力感情の、快の感情のきわめて急速な増大が達成されるのである。これは、たとえば痒痛において、交接作用のさいの性的痒痛においてもまたみられる場合であり、私たちは、このように不快が快の要素としてはたらいているのをみとめる。小さな阻止が克服されると、ただちにこれにつづいてまた小さな阻止が生じ、これがまた克服される──抵抗と勝利のこのような戯れが、快の本質をなすところの、ありあまり満ちあふれる権力のあの総体的感情を最も強く刺激すると思われる。(ニーチェ『権力への意志』「第三書・二・三・権力への意志および価値の理論」原佑訳)
人間は快をもとめるのでは《なく》、また不快をさけるのでは《ない》。私がこう主張することで反駁しているのがいかなる著名な先入見であるかは、おわかりのことであろう。快と不快とは、たんなる結果、たんなる随伴現象である、──人間が欲するもの、生命ある有機体のあらゆる最小部分も欲するもの、それは《権力の増大》である。この増大をもとめる努力のうちで、快も生ずれば不快も生ずる。あの意志から人間は抵抗を探しもとめ、人間は対抗する何ものかを必要とする──それゆえ不快は、おのれの権力への意志を阻止するものとして、一つの正常な事実、あらゆる有機的生起の正常な要素である。人間は不快をさけるのではなく、むしろそれを不断に必要とする。あらゆる勝利、あらゆる快感、あらゆる生起は、克服された抵抗を前提しているのである。──不快は、《私たちの権力感情の低減》を必然的に結果せしめるものではなく、むしろ、一般の場合においては、まさしく刺戟としてこの権力感情へとはたらきかける、──阻害はこの権力への意志の《刺戟剤》なのである」(同『権力への意志』第三書)

当面、『自我とエス』1923から次の文を抜き出しておく。

快の性質をおびた感覚は、人を促拍させるものをひとつももたないが、不快の感覚は最高度にそれをもっていて、変化と放出をうながす。それゆえ、われわれは不快をエネルギー備給の上昇、快をその低下と関係させて理解する。快および不快として意識されるものを、精神過程における質的にも、量的にも「別のもの」das Andere とみなすならば、このような別のものは、そのまま現場で意識されるか、あるいは、知覚体系Wにまでみちびかれなければならないかどうかという疑問が生れる。

臨床経験がこのことに決定をくだす。臨床経験によれば、この「別のもの」は抑圧された興奮のようにふるまう。それは人を駆りたてる力を発揮するが自我はその強迫に気づかない。その強迫に抵抗し、放出反応を停止するときに、はじめてこの「別のもの」はすぐに不快として意識される。(フロイト『自我とエス』フロイト著作集6 P271-272)


フロイトの『快感原則の彼岸』1920の冒頭にはこうある。

精神分析の理論では、何のためらいもなく、自動的に快感原則Lustprinzipsに支配されて信仰すると仮定している。すなわち、そのつどある不快な緊張によって喚びおこされ、ついでこの緊張の減退をもたらすような結末、つまり不快を避け、快を生むような結末にむかってすすむものと考える。

……われわれにとって、のっぴきらない快と不快との感覚が、いったい何を意味するものであるかを教えてくれる哲学や心理学の学説があるならば、われわれはよろこんで感謝の意を表わさなければならないだろう。しかし、残念ながらこの場合、役に立つものは何ひとつ提供されていない。問題は、精神生活のもっとも暗黒の近寄りがたい領域にかかっているからである。(……)

ところで、快感原則が心理的過程の進行の仕方を支配するものときめてかかることは、厳密には正しくないといわねばならない。

快と不快の感覚Lustund Unlustempfindungenが、何を意味するのかを教えてくれる哲学や心理学の学説はない、としている。だが、しばらく読み進めると、次のようにある。

しかし、本能的なものは、反復への強迫とどのように関係しているのであろうか? ここでわれわれは、ある一般的な、従来明らかに認識されなかったーーあるいは少なくとも明確には強調されなかったーー本能の特性、おそらくすべての有機的生命一般の特性について、手がかりをつかんだという思いが浮かぶのを禁じえない。本能とは生命ある有機体に内在する衝迫であって、以前のある状態を回復しようとするものであろう。以前の状態とは、生物が外的な妨害力の影響のもとで、放棄せざるをえなかったものである。また本能とは、一種の有機的な弾性であり、あるいは有機体生命における惰性の表明であるとも言えよう。(フロイト『快感原則の彼岸』フロイト著作集6 p172)

そして次の註記が付されている、《「本能」の性質について同じような推測が、すでに繰りかえし表明されていることを私は疑わない。》

ここでの「本能」は新訳なら、「欲動」と訳されているはずだが、岩波新訳にあたっているわけではない。独原文は次の通り、《Ich bezweifle nicht, daß ähnliche Vermutungen über die Natur der »Triebe« bereits wiederholt geäußert worden sind.


《「欲動」の性質について同じような推測が、すでに繰りかえし表明されていることを私は疑わない。》――冒頭に、《快と不快の感覚が、何を意味するのかを教えてくれる哲学や心理学の学説はない》としつつ、「欲動」の「反復強迫」については、すでに誰かが繰りかえし言っていることに、フロイトは気づいている、ーーと読んでよいだろう。

《〈欲動〉とは生命ある有機体に内在する衝迫であって、以前のある状態を回復しようとするものである》とするフロイトだが、《以前のある状態を回復する》とは、回帰のことであり、とすれば、永劫回帰を想起せざるをえない。

ところで、20世紀後半の、二人の偉大なニーチェ読みは、永劫回帰とは、権力への意志の隠喩であると、あっさりオッシャッテイル。ここでは邦訳でもなく仏原文でもなく、英訳から抜き出す。

◆クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』より。

The Eternal Return lies at the origin of the rises and falls of intensity to which it reduces intention. Once it is conceived of as the return of power - that is to say, as a series of disruptions of equilibrium - the question then arises of knowing whether, in Nietzsche's thought, the Return is simply a pure metaphor for the will to power.

◆ドゥルーズの『差異と反復』より。

Nietzsche presents the eternal return as the immediate expression of the will to power, will to power does not at all mean 'to want power' but, on the contrary: whatever you will, carry it to the 'nth' power - in other words, separate out the superior form by virtue of the selective operation of thought in the eternal return, by virtue of the singularity of repetition in the eternal return itself. Here, in the superior form of everything that is, we find the immediate identity of the eternal return and the Overman.

ニーチェはどこでそんなことを言ってるのだろうと、『権力への意志』のpdf版を――これも英訳なのだが、――検索してみたが、直接には永劫回帰は権力の意志の表現であるなどとは言っていない。ただクロソウスキーが延々と引用する『権力への意志』の遺稿からそう読めないでもない、ということはある(クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』は、ドゥルーズに捧げられている)。

もっともクロソウスキーとドゥルーズの解釈はここまでは同じとしても、このあとの展開がひどく異なるという指摘が、樫村晴香の『ドゥルーズはどこが間違っていたか』にある。この論文は、ハイデガーとドゥルーズのニーチェ解釈に異議をとなえ、クロソウスキー解釈を顕揚する気味がある。「対象関係」という語彙にいささか齟齬を感じつつも、ここですこし長く引用してみよう。


ここで重要なのは、この分裂病的な「悪循環」は、固有に性的なものの作動と切り離 せず、単純な過程ではないことである。一般に性的な活動は抑圧されることによって、より 蒼古的な反復運動(反復強迫)として、対象関係から(てんかんのように)分離‐孤立して 発現するが、反復とは原初的な模倣(擬態/偽装)活動であるゆえに、まさに反復される 自己の(直前の)運動は、模倣される原初的他者=対象の相同物の感触と価値をもつ。性 的なもの(享楽/強度)によって、他者が想像‐幻想から切り離され、切り刻まれた物質的 基体(=反復)として言語に持ちこまれることによってこそ、その形成の根幹において他者と の現実的対話‐想像的なものに規定され、意味の確定を不断に曖昧な「他者の(への)要 求」として処理‐留保することで(かろうじて)成立している意味作用は、想像的=幻想的な ものと同一性に対し、真に破壊的なものへと反転する。強度‐反復のなかで、切り刻まれた 他者の存在と対になり、向かい合い、それに支えられることで、思考は現実の他者から分離した、抽象的な「叫び」の次元を獲得する(とはいえ叫びは誰か(=刻まれた他者)に向 けられているわけである)。

分裂病的な発話が、けっして機械的、無限増殖的ではなく、常 に絶対他者‐真理への関心をはらんでいること(精神病者は常に「存在論的」である)、悪循環の開始には、常に性的なもの(の抑圧)が関与するのはそのためである(ニーチェの いう「春」の情動)。

しかもさらに重要なことだが、ここで性的なものの再帰は意識以前の反復強迫のオーダー に属するゆえに、常に「意に反した」ものとして意識‐象徴世界の外から侵入し、そのため 常に言語‐象徴に従属している幻想にとって、それは必ず悪しきものである。幻想‐快感 原則に反する悪しきものでなければ、原理上性的なものでなく、その作動において、主体 は意識の場から失墜し、結局それ自身において切り刻まれる。それゆえ至高の真理(永 劫回帰)とは、常に悪魔の真理であって、忌まわしい。精神病的存在論において、真理と は直接にセックスのことだが、その真理は同時に疑われ、憎まれる。実際、性的なものの 発動としての反復強迫は、単純な反復でなく、常に何かを打ち消す意味的なものをもはら んでおり、これは破瓜型分裂病者の機械的所作でさえ垣間みられる。それゆえこの悪魔 の真理(主体の惨めさ)を受け入れるには、主体は再度、それを原初的な幻想(原光景)と 重ね合わせ、悪魔を母に書きかえて、それをすでに経験し知りつくした劇(主体の原初的 無力性という、より無害な惨めさ)として再編しなおす、マゾヒズム型の倒錯的防衛を経ね ばならない。その防衛‐光景内部では、すべてはあらかじめ知られた劇‐視像として展開し なおされるので、主体は無力さと引き替えにその場の暴力から外在化し、切り刻まれること を免れる。それは(疑似)精神病者のヒステリー的戦略であり、悪魔は幼い主体を前にした 安全な母親に縮減される。つまりここで主体は、絶対的な力をもつ外部である母親に従属 することで、意識(と無意識)の主体であることを失わされて、受動的な視線となるが、とは いえこの劇はあらかじめ未知の部分(無意識)を排除しているので、受動的な観客である ことと能動的な意識‐欲望の主体であることに内実的差異はない。無意識=記憶をもたな い意識とは、その場限りの視線と同じだからである。

この主体の外在化によって、外部から 来る主体の性的拍動としての悪は、主体の外側の劇として無害化され、意識/無意識、 能動/受動の差異の抹消と並行して、悪と善の境界は消失し、悪は悪のシミュラクルとな り、真の「善悪の彼岸」が訪れる(とはいえそこまで行き着くのは、ニーチェの後からきたク ロソフスキーである)。


 《悪循環=永劫回帰の開始には、常に性的なもの(の抑圧)が関与する》、とあって、この「性的」なもの、「抑圧」という語彙を嫌うひとがいるだろうけれど、悪循環=永劫回帰の「常に性的なもの」、そのトラウマがキライなひとは、ラカンもフロイトも読まなくてよろしい。

とはいえ、ここでの抑圧は、原抑圧とすべき、すくなくともそれをも含めての「抑圧」とすべきじゃないかな。

……フロイトは、疑いもなくそのことを知っていた。というのは、彼は抑圧の偽装よりもより深い証拠を探し求めていたからだ。もっとも彼はそれを“原”抑圧という似たような語彙にて考えていたが。われわれは、抑圧するから反復するのではない。反復するから抑圧するのだ。さらに言えば、――それは結局は同じことだがーー我々は、抑圧するから偽装するのではない。偽装するから抑圧するのだ。そしてわれわれは反復の決定的な核心の力によって偽装する。(ドゥルーズ『差異と反復』英訳からの私訳)

Freud, no doubt, was aware of this, since he did search for a more profound instance than that of repression, even though he conceived of it in similar terms as a so-called 'primary' repression. We do not repeat because we repress, we repress because we repeat. Moreover - which amounts to the same thing - we do not disguise because we repress, we repress because we disguise, and we disguise by virtue of the determinant centre of repetition.ーー「二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」

このドゥルーズの反復をどう読むかは、--ひょっとして齟齬があるひともいるだろう。

偽装し差異化する力をもつ潜在的な原形質、という一元論的・超スピノザ主義的発想は、 かなりの程度ベルグソンに源を発し、同時に Dz が内在的に抱えていたイマージュによっている。後者に由来する彼自身の感覚が前面化する際には、特筆すべき固有点を彼のテキストは描き出すが(後述)、ニーチェやフロイトといった、主体の情動/思考の全過程 を動員する分裂病的‐神経症的な「ハードな現実」を、批判主義的執拗さをもって哲学的= 統一的に処理する際には、前者の欠点が前面化する。すなわち、対象関係(原初的対他者関係)からこそ発生する、攻撃的‐暴力的、つまり「弁証法的」な要素への無関心と、そ れ以上に、人間の身体‐情動の回路と、言語‐思考‐意味作用の回路が、系統‐個体発生的に起源を異にし、本質的亀裂をはらんでいることへの無関心である。既述のように、弁証法の排斥は、他者と抑圧(抑圧物の回帰)の問題系の忌避となり、その結果、絶対他者 や悪・侵犯を経由する倒錯的戦略を軽視して、現実には倒錯を通じてこそ結合している 強度‐身体と差異‐偽装を、腹話術的に短絡させてしまうことになる。そして身体と言語の オーダーの連結は、言語‐思考から離脱したゆえに出現するものとしての、反復(強度)と いう原初的な「世界‐意識の外からの」運動を、その運動を再解釈し、謎として構成しなお す、事後的‐神話的な思考内部で処理させることになる。(樫村晴香『ドゥルーズのどこが間違っているか?』1996)

クラインの「対象関係」へのラカンの異議としては、
母という全体的対象は、母それ自体として出現するのではなく、
エルンスト坊やの糸巻き遊びに代表されるような子供の反復遊びによる
現前-不在(+/-)の分節化によって出現する。
この分節化は呼びかけという領域でなされ、
母という対象が不在のときに呼びかけられ、
現前 するときには拒絶されることによって、
現前と不在が同時になりたつ(+/-)シニフィアンと なっている、と.

ただしこれはセミネールⅣの段階。
セミネールⅩⅠを経て、
セミネールⅩⅦ、ⅩⅩでなんやらややこしいことを言っている。

”jouissance is nothing but the inadequacy of the signifier to itself”

"Jouissance is what necessitates repetition,"

"jouissance is what serves no purpose [La jouissance, c'est ce qui ne serf a rien]"


ーーラカンは、ドゥルーズの『マゾッホとサド』をべた褒めしている、《しかし驚くべきことではないかと思うのは、こうしたテクストが本当の意味で、私が今実際に、今年切り開いた途上でいうべきことをすでに先取りしているということです》(1967年4月19日)。

一年後に出版された『差異と反復』(1968)にはコメントはないようだが、
やはりかなり影響受けているに相違ないので、
『セミネールⅩⅦ』1969での「反復」をめぐる発言なんてモロじゃないか


で、なんの話だったか。
ドゥルーズ派でいくのか、樫村晴香派でいくのかは、アナタしだいだよ
ーーとすれば、樫村を褒めすぎだけれど、1996年に書かれた論文として
今でも読むに値するすぐれた「ニーチェ」論だな

ところで、ジジェクは、反復のずれ(微細な差異)に対象aをみるんだな。

The objet a and pure repetition are thus closely linked: the a is the excess which sets repetition in motion and simultaneously prevents its success》

……ラカンにとって、反復は抑圧に先んずるものである。それはドゥルーズが簡潔に言っているのと同様である。《われわれは、抑圧するから反復するのではない。反復するから抑圧するのだ》(『差異と反復』)。次のようではないのだ、――最初に、トラウマの内容を抑圧し、それゆえトラウマを想起できなくなり、かつトラウマとの関係を明確化することができないから、そのトラウマの内容がわれわれに絶えずつき纏いつづけ、偽装した形で反復するーー、こうではないのだ。現実界(リアル)が極細の差異であるなら、反復(それはこの差異を作り上げるもの)は、原初的なものである。すなわち抑圧の卓越性が現れるのは、現実界から象徴化に抵抗する「物」への“具現化”としてであり、排除され、あるいは抑圧された現実界が、己を主張し反復するときに初めて抑圧は現れる。現実界は原初的には無である。だがそれは物をそれ自身からの分離する隙間なのであり、反復のずれ(微細な差異)なのである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私意訳)

ーーこの文を読めば、反復に関してはドゥルーズの見解に沿っているようにみえる。
ただし反復のずれ(微細な差異)を対象aとするのだ。

そしてジジェクのいう対象aは、究極的には、繰り返せばこうだ。

主体は、己のa(対象a)の完全な応答を得る/与えるのを確信するために、
(母)他者〔(m)other〕を独占したい。
だがそのような完全な応答は不可能である。
そこにはつねに残余があり、
“ Encore”(もっと、またもっと)の必要の切迫がある。
“ Drang ”(衝拍、もしくは圧力)は、ドライブ〔欲動の継続〕したままだ。(Paul Verhaeghe)


要約しよう。このトラウマに関するラカン理論は次の如くである。

欲動とはトラウマ的な現実界の審級にあるものであり、
主体はその衝動を扱うための十分なシニフィアンを配置できない。
構造的な視点からいえば、これはすべての主体に当てはまる。
というのは象徴秩序、それはファリックシニフィアンを基礎としたシステムであり、
現実界の三つの諸相のシニフィアンが欠けているのだから。

この三つの諸相というのは女性性、父性、性関係にかかわる。
Das ewig Weibliche 永遠に女性的なるもの、
Pater semper incertuus est 父性は決して確かでない、
Post coftum omne animal tristum est 性交した後どの動物でも憂鬱になる。

これらの問題について、象徴秩序は十分な答を与えてくれない。
ということはどの主体もイマジナリーな秩序において
これらを無器用にいじくり回さざるをえないのだ。
これらのイマジネールな答は、
主体が性的アイデンティティと性関係に関する
いつまでも不確かな問いを処理する方法を決定するだろう。

別の言い方をすれば、主体のファンタジーが
――それらのイマジネールな答がーー
ひとが間主観的世界入りこむ方法、
いやさらにその間主観的世界を構築する方法を決定するのだ。

この構造的なラカンの理論は、分析家の世界を、いくつかのスローガンで征服した。
象徴秩序が十分な答を出してくれない現実界の三つの諸相は、
キャッチワードやキャッチフレーズによって助長された。

La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、
L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、
Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

結果として起こったセンセーショナルな反応、あるいはヒステリアは、
たとえば、イタリアの新聞はラカンにとって
女たちは存在しないんだとさと公表した、
構造的な文脈やフロイト理論で同じ論拠が研究されている事実を
かき消してしまうようにして。

たとえば、フロイトは書いている、
どの子供も、自身の性的発達によって促されるのは、
三つの避け難い問いに直面することだと。
すなわち母のジェンダー、一般的にいえば女のジェンダー、
父の役割、
両親の間の性的関係。



原初の喪失とはなにか? 永遠の生の喪失、それは、ひどく逆説的だが、性的存在としての出産の刻限に失われる。Meiosis(分裂)によるのだ。(ラカン「セミネールⅩⅠ」私訳)

Encore, encore !
享楽は、権力への意志=衝動である。
われわれのすべての欲動は、永劫回帰(反復強迫)する。

《Jouissance is the driving force in all these attempts to return to a previous level.》(Paul Verhaeghe)

こういうわけで間違ってるんだよ、
“純粋な”死の欲動は(自己)破壊への
不可能な“全的な”意志とするなんてのはね、
主体が母なる〈モノ〉の全体性へと回帰する法悦の自己消滅で
でもこの意志が実現されえないとか妨害されてとかで
“部分対象”に凝り固まるなんてのは。

そんな考え方なんてのは、
死の欲動を欲望とその喪失した対象のタームに再翻訳しただけさ。
欲望においては、現実の対象は不可能な〈モノ〉の空虚の換喩的な代役なのさ。
欲望においてこそ、全体性へのあこがれは部分対象へと配置転換されるってわけさ。
ラカンがいってるだろ、これを欲望の換喩だって。
ここのところは極度に厳密でなくっちゃな、
ラカンのポイントを捉えそこなわないようにな。
欲望と欲動を混同しないように、だな。

ニーチェかい?
権力への意志は原意志と「翻訳」したっていいさ
きみ次第だね

Davis's thesis is that this “rebellious whiling” refers to a non‐historical ur‐willing, a willing which is not limited to the epoch of modern subjectivity and its will to power.

まあでもやっぱり死の欲動のほうがオレの好みだね

But one should here raise a more fundamental question: is the Will the proper name for the “stuckness” which derails the natural flow? Is the not Freudian drive (the death drive) a much more appropriate name?(ZIZEK)

※死の欲動のドゥルーズやジジェクの考え方については、「攻撃欲動はタナトスではなくエロスである」を見よ。


さて、最後に付け加えておこう、《「善悪」の彼岸…… あれは少なくとも「よい・わるいの彼岸」ということではないのだ。--》(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫 P59)

とすれば、快原則の彼岸とは、快・不快の彼岸ということではないのだ、と言えるだろうか。





2014年10月14日火曜日

「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香

《わたくしという現象は……風景やみんなといっしょにせはしなくせはしなく明滅しながらいかにもたしかにともりつづける因果交流電燈のひとつの青い照明です》(宮澤賢治)

彼は幸福に書き付けました。とにかく印象の生滅するままに自分の命が経験したことのその何の部分だつてこぼしてはならないとばかり。それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮ぶままを、--つまり書いている時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。(……)彼にとつて印象といふものは、或ひは現識といふものは、勘考さるべきものでも翫味さるべきものでもない、そんなことをしてはゐられない程、現識は現識のままで、惚れ惚れとさせるものであつたのです。それで彼は、その現識を、出来るだけ直接に表白さへすればよかつたのです。(中原中也「宮沢賢治の死」昭10.6)

…………

なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。

すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(ニーチェ「哲学者の本」「哲学者に関する著作のための準備草案」1872∼1873)

18721873 とあるように、ニーチェ初期の論である。処女作『悲劇の誕生』(1872)と『反時代的考察』第一篇(1873)の間のものとしてよいだろう。

以下は、樫村晴香の『ドゥルーズのどこが間違っているか?  強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点』からだが、彼の論文は、わたくしには密度が濃すぎるので、勝手に行を分けて引用することにする。

…………

永劫回帰の総体は、彼に悪魔の囁きという、
思念的‐聴覚的な、ひとつの現実的「体験」と して訪れた。

ある晩、悪魔が彼の孤独に忍び寄り、
これまで生きたこの人生を、さらにまた無限回、
何一つ新しいものなくくり返さねばならないことを語りかける。
この瞬間の眼前の蜘蛛も、梢を洩れる月光も、悪魔の声も、
あらゆるものが細大漏らさず回帰するだろう。
こ の同じことを、何千回となくくり返し欲し続けるためにのみ、
人は自らの存在と人生を、
さらに愛さねばならないというのだろうか?……

もし人がニーチェの言葉に直接耳を傾けるなら
(つまりハイデッガーのそれも含めて、
解説書を通じて何かを「理解」しようとしないなら)、
この体験が「真実」であり、
そこには表現の一語一句が代置不能な価値をもつ、
緊密 な「物理的実在」が存在し、その実在的力によって、
啓示伝播の最大限の魅惑暴力が駆動することが、
了解されるだろう。

体験が「悪魔」の「声」を通じて到来したこと、
すべてが 「無数」に到来し、それが「苦痛」をもたらすこと、
そして眼前に「蜘蛛」と「月の光」が「見える」こと。

これらすべてが固有の理論的実体的(症候的)価値をもち、
しかもそれらは狭い意味での発症過程の症候的要素というのではなく、
そこに至る彼の、
ディオニュソス、偽装、 真理の転倒、善悪の彼岸、力意志、といった
「明晰な思考としての症候総体」の一過程と しての、
(表現表象ではなく)内実そのものとして立ち現れる。


……とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? しかし事態はそのように単純でなく、Dz のある種の啓蒙的スタイル(確かにそのせいで彼の本はクロソフスキーの数倍読まれたが)は、彼が幻想(永劫回帰)に対してもつ、ニーチェとは異なる固有の位置関係に由来する(そしてこの問題の責は、結局ベルグソンに帰せられるべきように思われる)。

彼は Dz(ガタリDz)のように
諸差異の肯定欲望を称揚するのでなく、
「再び欲望する」ことがいかに「困難」かを述べている。なぜなら
(クロソフスキ ーもまた別の仕方病でそれを体験したように)
永劫回帰において、実際に人は
「無数のもの」を完全には忘れていないからであり、それは
(彼が最後の明晰さの中で「歴史上すべ ての名は、
私であった」と語ったように)
人格的同一性の解体に帰結するが、
しかし愛すること、欲することは、
自己、他者、および両者の関係の想像的恒存性=幻想に由来し、
その 幻想的誤認は、無数の諸差異の忘却を基礎づけ、
かつ忘却に依存するからである。
無数のものとは、実際は全く同じ体験の再帰ではなく、
今日の月、昨日の月、一昨日の月とい う無数のもの、
さらには一瞬ではないこの今に、
刻々と参入するこれら無数の月である。
人 が知覚の場におとなしくいる限り、
事実けっして同じではない無数の月(の入力)は、
一つ の月として出力される。
実際犬でさえ、無数の肉片を同じ肉として認識記憶し、
それができなければ淘汰される。
ニーチェがくり返しいうように、
同一性認識目的は、
「微細な美的感覚をもつ貴族でなく鈍感な下層階級を繁殖させる」
ダーウィン的‐遺伝子的原理によ って、最終審級で支えられる。


最大の重し もしある日、またはある夜、デーモンが君のお前のあとを追い、お前のもっとも孤独な孤独のうちに忍び込み、次のように語ったらどうだろう。 「お前は、お前が現に生き、既に生きてきたこの生をもう一度、また無数回におよんで、生きなければならないだろう。そこには何も新しいものはなく、あらゆる苦痛、あらゆる愉悦、あらゆる想念と嘆息、お前の生の名状しがたく小なるものと大なるもののすべてが回帰するにちがいない。しかもすべてが同じ順序で―この蜘蛛、樹々のあいだのこの月光も同様であり、この瞬間と私自身も同様である。存在の永遠の砂時計はくりかえしくりかえし回転させられる。―そしてこの砂時計とともに、砂塵のなかの小さな砂塵にすぎないお前も!」 ―お前は倒れ伏し、歯ぎしりして、そう語ったデーモンを呪わないだろうか? それともお前は、このデーモンにたいして、「お前は神だ、私はこれより神的なことを聞いたことは、けっしてない!」と答えるようなとほうもない瞬間を以前経験したことがあるのか。 
もしあの思想がお前を支配するようになれば、現在のお前は変化し、おそらくは粉砕されるであろう。万事につけて「お前はこのことをもう一度、または無数回におよんで、意欲するか?」と問う問いは、最大の重しとなって、お前の行為のうえにかかってくるだろう! あるいは、この最後の永遠の確認と封印以上のなにものも要求しないためには、お前はお前自身と生とにどれほど好意をよせなければならないことだろう?(ニーチェ『悦ばしき知識』信太正三訳)

ニーチェの「批判哲学」が対象への憐憫と郷愁そして無関心、
他方での尋常でない狂暴さという不均衡を露にするのに対し、
Dz の言説が全く穏便であり、しかしその展開において、
常に想定さ れた批判対象への備給を続ける
執拗さをもっていることは、歴然たる違いである。

これは結局、ニーチェが自己の体験実体に魅惑、
というより蹂躙されていたのに対し、
Dz がニ ーチェの体験言説に魅惑されていることの違いに回付される。
人が「言説」に魅惑される 限りで、
思考の主体としての能動性(つまり批判的思惟)は放棄されず、
魅惑の対象に対する受動性は、受動=能動という一体として可能となる。
つまり魅惑されること(=幻想)とい う受動性が、
思考批判という(魅惑するものの否定的対立物に向かう)能動性と、
同じ領野に属し、相互に結合可能となる。

例えば分裂病者が「正月とは全身の毛を剃ることです」 というとき、
それは比喩隠喩ではなく、
本当に正月の意味内容とは「全身の毛を剃る」
身体作用なのだと理解せねばならない。

…………

◆次の箇所は、リルケの詩でさえ、ニーチェの言葉とは異質なものだとしている。


ここでニーチェとハイデッガーの位相の相違を端的に確認すると、
まずニーチェの言説は、 厳密な意味で隠喩とよぶべきものと無縁である。
一見した水準でも、既述のごとく、
彼の作 品は一つの体験という要約不能な実体であり、
そこでは眼前の蜘蛛や水道栓のたてる音、 プラトンが与える憂鬱さ等は、
すでに獲得された観念を比喩する表象ではなく、
そういった 観念、表象のオーダーそのものから
「その彼方へと遠ざかっていく物理的な感覚」
直接的提示として機能する。

ここで隠喩という機能の内実を確認しておこう。
まず隠喩とは、基 本的にすでに獲得された意味内容‐抑圧物を
表象し回帰させる作用である。
しかも厳密 な意味での隠喩とは、
いったん獲得抑圧された意味内容抑圧物外傷を示唆すること で、
不快な抑圧物を再帰させて
主体を原初的な反復攻撃の体勢に退行させ、
その上で さらにそれを隠蔽回収してやることで、
主体を原初的想像的な「よき他者」の前に再帰さ せ、
幻想を補強するような言葉である。

例えばリルケが「薔薇の花、純粋な矛盾、
おびただ しい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽」と語るとき、
薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、
すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという
冷酷な現実を再帰させ、し かし次の瞬間、
その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、
そこに「悦楽」幻想を残して いく。

この開示/隠蔽という対立(「純粋な矛盾」)が
「悦楽」を生産していく過程は、
いうまでもなくハイデッガーのアレーテイアの開示/隠蔽が、
同様に帰属するオーダーであり、
そこで矛盾運動振動とは、
抑圧物の再帰とともに駆動する不安と、
それを押し止める他者力との間の、
基本的に幻想的想像的な対立として駆動する。

これに対し、ニーチェを 襲う強度反復としての運動拍動は、
幻想の保護の向こう側で、
主体が全くの異物としての現実‐悪しきものに直面し、
それを反復=模倣=攻撃しつつ、
主体としては解体していくよ うなオーダーに帰属する。
それゆえ、ニーチェ的永劫回帰では、
感覚と気分の結合再帰 意味は最終的に不能であり、
それゆえ矛盾=対立もまた、
異なるものの結合同平面化を 前提とするゆえに存在しない。

それに対しアレーテイアのオーダーでは、
抑圧物(死)の回帰は、
常にすでに幻想他者の力(隠喩の力)によって
過ぎ去ったものとして幻想の内部で生じるので、
そこでは疎通不能性無数性ではなく、
幻想的な力に帰属するものとして の、
一つの対立こそが問題となる。

つまり対立振動あるいは平衡する緊張は、
多様な場に発見されつつも、
常に同じ一つの不安と、不安への同じ一つの闘いである。
あらゆる存在者の下には、それを可能にしている力の均衡、
「聖なる神殿が岩石から引き出す、
無に 押し込められて支えるということの暗さ、
さらには自らをよぎる嵐の暴力」が発見されるが、
それは結局、隠喩幻想(聖なる神殿)によって開示遂行終了される、
抑圧物(重力、嵐) をめぐる同じ一つの拮抗である。


誤解のないようにつけ加えておけば、樫村晴香は、ドゥルーズを全面的に批判しているわけではない。

えばニーチェの永劫回帰は、 Dz の「理論構造」から判断する限り、永劫回帰の隠喩として受容‐処理されているが、現 実には、Dz はすべての言説を、隠喩ではなくそれこそ「音楽を聴くように」、または小説の エクリチュールを読むように、「半覚醒的に」受信していたのだろう。そしてその感覚があれ ばこそ、意味作用を完全に確定することなく宙吊りにし、理論的分節を半ば未確定に開い たまま次々進み、個々の論点相互の差異へは鷹揚なまま、すべてを取り入れ絶え間なく 移動していく、増殖するエクリチュール‐小説のごとき彼の記述スタイルが可能になる。こ の半覚醒性において、意味作用は言葉が記憶=意味内容に十全に回付=変換される過程 にではなく、言葉に次の言葉が重なり、ずれ合い、その相互の差異が直接に生み出す共 鳴に、帰属する。子供が泣き、豚が叫び(キャロル)、Kの分身の学生が走り、廷丁が走る (カフカ)。意味はそれぞれの言葉がもつ記憶にではなく、言葉(セリー)相互の間の表層 にあり、それは反復される音楽のテーマ間の差異‐変奏、揺れる木の枝の一瞬ごとの差異 ‐移動と同じである。それは差異というより「微分」であり、その概念にこそ Dz の内発的感覚がある。

…………

樫村晴香は保坂和志との対談で次のように語っているそうだ(ウェブ上で拾ったので、正確にいつ、どの対談からは判然としない)。


自閉症だと、幻想の皮膜が自己の身体表面までしかない。それと反対に あなた(=保坂)の作品は、世界全体が自己の幻想の外延と重なって、他者の悪意 を登記する装置がなくなるように感じる。一方、私は本当に自閉症的で、幻想 は身体表面までしかなく、その外側は完全に言語野で抑えようとする。

最近は自閉症/分裂病を選別する議論もかしましいが、わたくしには(いまのところ)、関心の範囲から遠い。もっとも樫村の議論は自閉症者の読むニーチェ分裂病論だとすれば、やや気になるところだが。

とはいえ中井久夫の言い方では、ニーチェも樫村晴香も、統合失調症、あるいはdyssyntagmatismusとなるのかもしれない。

オイゲン・ブロイラーが生きていたら、「統合失調症」に賛成するだろう。彼の弟子がまとめたブロイラーの基本障害である四つのAすなわちAmbivalenz(両価性)は対立する概念の、一段階高いレベルにおける統合の失調であり、Assoziationslockerung(連合弛緩)は概念から概念への(主として論理的な)「わたり」を行うのに必要な統合の失調を、Affektstorung(感情障害)は要するに感情の統合の失調を、そして自閉(Autismus)は精神心理的地平を縮小することによって統合をとりもどそうと試みて少なくとも当面は不成功に終わっていることをそれぞれ含意しているからである。ブロイラーがこのように命名しなかったのは、よいギリシャ語を思いつかなかったという単純な理由もあるのかもしれない。「統合失調症」を試みにギリシャ語にもとずく術語に直せば、syntagmataxisiaかasyntagmatismusとなるであろう。dyssyntagmatismusのほうがよいかもしれない。「統合失調症」は「スキゾフレニア」の新訳であるということになっているが無理がある。back translation(逆翻訳)を行えばこうだと言い添えるほうが(一時は変なギリシャ語だとジョークの種になるかもしれないが)結局は日本術語の先進性を示すことになると思うが、どうであろうか。(中井久夫『関与と観察』


ここでラカン派による神経症と精神病の鑑別のあり方を附記しておこう。

ラカン派の疾患分類は、神経症、精神病、倒錯が三大カテゴリーがまず大前提とされ、それぞれ抑圧、排除、否認の機制によって規定される。神経症の下位分類にヒステリーと強迫があり、精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニーとメランコリーがある。

◆松本卓也「Lacan派の鑑別診断学へのプロレゴメナ」(栃木精神医学第 33巻 2013)より

フアルス的意味作用,すなわち「隠された意味」の有無によって神経症と精神病の鑑別診断を行う手法は, Freudが 1915年に既に行なっていたことである。まず, Freudがそこで記述している症例をみておこう。 Freudは.「靴下を履くことができない」という症状を訴える2人の患者について論じている。この2人は,「靴下を履くことができない」という訴えは同じだが,その意味作用の違いによって一方は強迫神経症,もう一方は統合失調症と診断することができる,と Freudは言っている。

強迫神経症の患者は.靴下を履いたり脱いだりする行為を手淫に相当するものと考えていた。つまり,足は陰茎の隠喩となっており.彼にとって足はもはや足でありながら足ではなく,それ以上の意味を含んだものになっている。その意味の過剰のために,彼は靴下を履くことができなかったのである。

一方.統合失調症の患者は.靴下をはくことができない理由は「靴下の網目の一つ一つが女性器の穴に思えてしまうからJであると語った。これは.先ほどの足と陰茎を同一視するメカニズムとは明らかに異なる。ここで働いているのは,靴下の網目も女性器も両方ともが穴である.つまり「穴は穴である(から同じもの)」というシニカルな命題なのであって,そこには隠された意味が何もないのである。

樫村晴香のニーチェを分裂症状とする考え方は、ほぼこの内容を言っているとしてよいだろう。

松本卓也氏が書く《Freudが 1915年に既に行なっていたこと》の箇所は次の通り。

……われわれは精神分裂病の代理形成と、ヒステリーや強迫神経症の代理形成とのあいだの、微妙であるが、奇怪にひびくある区別をのべたいと思う。私が、現在観察している一人の患者は、顔の皮膚のまずい状態のために、人生のすべての興味から遠ざかっているが、彼は顔ににきびがあって、その深い穴をだれでも見つめるといいはる。分析は、彼の去勢コンプレクスが皮膚のうえに、演出されていることをしめす。彼は、最初のうちは後悔しないで、彼のにきびをいじっていて、にきびを押しだすのはなかなかの満足をあたえた。彼がいうように、そのさいになにかがとびでたからである。それから彼は、にきびを取ったところにはどこでもふかい穴ができることを信じはじめた。そして「手で始終いじくりまわし」て皮膚をいつもよごしたことについて、はげしい非難を自分に加えた。彼にとって、にきびの中身を押しだすのが手淫のかわりであることは明らかである。そのあとに、彼の罪によって生ずる穴は女陰である。つまり手淫によって誘発された去勢の脅威(それに関連して、去勢脅威をあらわす空想)の実現なのである。この代理形成は、ヒポコンドリー的な性格なのにもかかわらず、ヒステリーの転換Konversionと似た点をたくさんもっている。けれどもここには何か異なった事情があるにちがいなく、その相違がなににもとづいているかをいうことができないうちは、ヒステリーとおなじような代理形成に信を置くわけにはいかない感じがするだろう。毛穴のような穴を、ヒステリー患者は、膣の象徴とすることはほどんどないだろう。普通は、中空になっているあらゆる物と膣とを比較するのではあるが。また穴がたくさんあることが、それを女陰のかわりにするのをやめさせるであろうとも考える。おなじようなことが、タウスクが数年前ヴィーンの精神分析学会に報告したところの、若い患者にもあてはまる。彼はその他の点では、まったく強迫神経症患者のようにふるまい、化粧室で数時間をついやしたりしたが彼がその抑制の意義を抵抗なしに話すことができたのは、きわだったことであった。たとえば靴下をはくときに、その編目つまり多くの穴をひろげなければならないという観念がうかんで彼をさまたげた。どの穴も、彼には女の生殖器口の象徴であった。このことはまた、強迫神経症患者にはできないことである。ライトラーの観察した強迫神経症患者は、靴下をはくときに、おなじようなためらいになやんだが、彼が抵抗を克服した後にはじめて、次のような説明をうけいれた。すなわち、足は男根の象徴であり、靴下をはくのは手淫の行為であり、靴下をたえずはいたりぬいだりしなければならなかったのは、一部は手淫の仕事を完全にするためであり、一部はそれがおこらぬようにするためである、と。

精神分裂病の代理形成と症状とに奇怪な性格をあたえているものが何かを考えるならば、われわれは、それが事物関係よりも言語関係のほうが、優位にあることであると思う。にきびを押しだすことと、男根の射精とのあいだには、わずかながら事物に類似がある。無数の浅い皮膚の穴と膣とのあいだの類似は、それよりも少ない。だが第一の場合は、双方ともある物を射出する。そして第二の場合には、文字どおりシニカルに穴は穴であるという命題があてはまる。表現される事物の類似ではなくて、言葉の表現の相似が代理をさだめたのである。その二つのものーー言葉と物と合致しない場合に、精神分裂病の代理形成は、転移性神経症の代理形成とちがってくるのである。(フロイト『無意識について』フロイト著作集6 p110-111)

…………

ここからは、附記。かなり長い引用なので、本来別稿にすべきだが、こういった文を単独で投稿するのは趣味ではないし、樫村論文、あるいは上のフロイトの「精神分裂病」という言葉に反応しつつ、ここに続ける。この中井久夫の文は、いままで断片的には、引用してきたが、かなり以前にーーたぶん一年以上前にーー「写経」したままで、このほぼ全文を引用するのは初めて。


◆中井久夫「詩の基底にあるもの」より(『家族の深淵』所収)

―――その生理心理的基底



精神科医として、私は精神分裂病における言語危機、特に最初期の言語意識の危機に多少立ち会ってきた。それが詩を生み出す生理・心理的状態と同一であるというつもりはないが、多くの共通点がある。人間の脳がとりうる様態は多様ではあるが、ある幅の中に収まり、その幅は予想よりも狭いものであって、それが人間同士の相互理解を可能にしていると思われるが、中でも言語に関与し、言語を用いる意識は、比較的新しく登場しただけあって、自由度はそれほど大きいものではないと私は思う。

言語危機としての両者の共通点は、言語が単なる意味の担い手でなくなっているということである。語の意味ひとつを取り上げてみても、その辺縁的な意味、個人的記憶と結びついた意味、状況を離れては理解しにくい意味、語が喚起する表象の群れとさらにそれらが喚起する意味、ふだんは通用の意味の背後に収まり返っている、そういったものが雲のように語を取り囲む。

この変化が、語を単なる意味の運搬体でなくする要因であろう。語の物質的側面が尖鋭に意識される。音調が無視できない要素となる。発語における口腔あるいは喉頭の感覚あるいはその記憶あるいはその表象が喚起される。舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もある。

これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。

このような言語の例外状態は、語の「徴候」的あるいは「余韻」的な面を意識の前面に出し、ついに語は自らの徴候性あるいは余韻性によってほとんど覆われるに至る。実際には、意味の連想的喚起も、表象の連想的喚起も、感覚の連想的喚起も、空間的・同時的ではなく、現在に遅れあるいは先立つものとして現れる。それらの連想が語より遅れて出現することはもとより少なくないが、それだけとするのは余りに言語を図式化したものである。連想はしばしば言語に先行する。

当然、発語というものは、同時には一つの語しかできない。文字言語でも同じである。それは、感覚から意味が一体となった、さだかならぬ雲のようなものから競争に勝ち抜いて、明確な言語意識の座を当面獲得したものである。



詩作者と、精神分裂病患者の、特に最初期との言語意識は、以上の点で共通すると私は考える。

私がかつて「詩とは言語の徴候的側面を主にした使用であり、散文とはその図式的側面を主にした使用である」と述べた(『現代ギリシャ詩選』みすず書房、一九八五年、序文)のは、この意味においてである。この場合、「徴候」の中に非図式的、非道具的なもの、たとえば「余韻」を含めていた。その後、私はこの辺りの事情を多少洗練させようとしたが、私の哲学的思考の射程がどうしても伸びないために徹底させられずに終わっている(「世界における索引と徴候」『ヘルメス』 26号、岩波書店、1990年、「世界における索引と徴候 ――再考」同27 号、1990年)。「索引」とは「余韻」を含んでいるが、それだけではない。

その基底には、意識の過剰覚醒が共通点としてある。同時に、それは古型の言語意識への回帰がある。どうして同時にそうなのであろうか。過剰覚醒は、通用言語の持つ覆いを取り除いて、その基盤を露出すると私は考える。

言語リズムの感覚はごく初期に始まり、母胎の中で母親の言語リズムを会得してから人間は生れてくる。喃語はそれが洗練されてゆく過程である。さらに「もの」としての発語を楽しむ時期がくる。精神分析は最初の自己生産物として糞便を強調するが、「もの」としての言葉はそれに先んじる貴重な生産物である。成人型の記述的言語はこの巣の中からゆるやかに生れてくるが、最初は「もの」としての挨拶や自己防衛の道具であり、意味の共通性はそこから徐々に分化する。もっとも、成人型の伝達中心の言語はそれ自体は詰まらない平凡なものである。言語の「発見論的」 heuristicな使用が改めて起こる。これは通常十五歳から十八歳ぐらいに発現する。「妄想を生み出す能力」の発生と同時である。



実際、妄想は未曾有の事態に対する言語意識の発見論的使用がなければ成立しない。幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない。しかし、妄想は単に言語の発見論的使用ではない。妄想が妄想として認識されるのは決してその内容ではなく、問題の陳腐な解決、特にその解決に権力欲がまつわりついた場合であり、さらに発語内容のみならず形式のほとんど一字一句に至るまでの反復によって「妄想」と認識される(初期分裂病の「妄想的」発語は妄想ではない)。妄想を、通常人が「奇想天外」と余裕を以て驚いてみせるのは、実はその意外性、未曾有性でなく、その陳腐さを高みから眺められるからである。もし陳腐でなければ(いやいささか陳腐であっても)、啓示として跪拝するのは日常見られることではないか(ここで分裂病が一次的には妄想病ではないかと私が考えていることを言っておく必要があるだろう)。

むろん一方は病いであり、一方は病いではないといちおうは言うことができる。しかし、分裂病の場合でも、その最初期、病いといえるか否かの「未病」の時期に言語の徴候的側面への過敏が顕著であり、また一般には、この過敏はその時期の徴候一般に対する過敏の一部として出現する。逆に、詩人の場合も、何の危機もなくて徴候性への敏感さが現れるかどうか。

散文を書く時は、たとえ難渋するにしても、それは主題との格闘であって、言語そのものに対しては「大地の感覚」を維持している。散文においても言語は「発見」の道具でありうるが、言語を「発見論」的にしようしてはいない。「発見論」的使用とは、発見のために闇を探ることであり、それは決して何かを証明することはなく、常に「悪魔と深い海との間に落ちる」危うさがある。詩とは言語の「発見論的」使用であり、それゆえの徴候あるいは余韻、索引への敏感性があるということができると私は考える。詩を書き始める年齢は「妄想能力」の成立の年齢とほぼ一致する。

かりに、貴重な薄氷感を失えば、言語の発見論的使用は「妄想」に堕する危険がある。実際、妄想は全面的危機に際して一つの解釈を示して救い手として現れるものであり、患者が妄想にその内容にふさわしい恐怖を示さないかに見えることは、何よりもまず、それに先行する事態がはるかにおそるべきものであって、それに比すれば何ほどのことはないからである。実際、妄想の反復性と一義性とは、内容の恐怖性を補って余りある安定を与える。ここに妄想の抜けにくさがある。それは不要になった時に自然に消滅する他はないものである。しかし、安んじて共存できるものでもない。また問題は、新しい体験が入ってこなくなることであり、それゆえに妄想を持つ人の「心が痩せる」。詩と妄想とは最終的には相互排除的であるが、出発点においては、まったく別個のものではないと私は考える。むろん、発見論的使用と無縁な韻文はありうる。それは韻文であるが「詩」との相違は、数学の論文とパズルとの差に近くはないか。もっとも、詩作のある段階においてはパズル的側面、言語ゲーム的側面が前に出ることもある。それが詩を完成させる救いになることもある。



私がここでポール・ヴァレリーに触れるのは、ただ私が無謀にも彼の詩の若干を訳したことがあるというだけではない(『ヘルメス』 40号、同47 号)。むろん、翻訳は、出来ばえはどうであっても通常よりも徹底的な読みであり、その過程で気づいた襞もある。しかし、それよりも、詩作の生理学を自ら述べているのがなかんづく彼だからである。ここでは紙幅の関係もあり、主に「太公と若きパルク」によって述べよう。

彼は一八九二年に詩作を廃し、一九一二年に四十一歳にして友人の促しによって詩に回帰する。彼は、「自分ではわからない青春への回帰によって二十年を隔てて詩に感興を覚えるようになった」と述べている。外的原因も無視できないが、彼は「長周期の記憶あるいは共鳴があって、それがにわかに己の性癖、力、遠い過去の希望も返してくれるのではないか」と述べている。これについては人生の入口および出口近くに詩作のピークを持つ詩人が少なくないことを付言しておこう。さしあたりT・S・エリオットあるいはリルケが念頭にある。

最初には、ことばの響き、その「音楽」への敏感性を自覚し、さらにそれを味到しようと努力するようになる。「語を耳にすると私の中で自分でもわからない和音的相互依存関係や皮一枚下まできている律動の、まだ声にならない存在〔もの〕が揺らいだ」。この「うたう状態」の始まりは「演奏前のオーケストラの楽器の低い呟きのような甘美」であった。彼は自分の中に詩人を認め、それに馴染み、成り行きに任せる。ここで彼が「当時は難問に取り組むことにとうの昔からうんざりしていた」と述べているのは事実であろう。彼が書き続けてきた「カイエ」による探求は「地獄のような悪循環」になっていた。彼の中に再生した詩への傾斜は、救いとして、さらに青春の再生として感受されている。

これは、彼を「若きパルク」制作に誘い込む陥穽であった。しかし、彼は詩に回帰してもこの地獄から逃避できなかった。「新しい季節の初花の下には抽象的問題と謎とが群集していることをすぐに認めた。見たいと思うところには必ずあった。詩にも」。「粗書きの幸福の後、かいま見た将来の美、内面の声のこの神のような囁きの後、まだ指紋のついていない断片がすでに生れているというのに、そこから苦役にむかって、このざわめきを文節し、断片を繋ぎ合わせ、全知性に問いかけ ……そして待たねばならないのであった」。「最初の一句はミューズから与えられる。後は努力である」と彼は別のところで言っている。ある日、「すでにある部分の構築と推敲とに疲れて」絶望的嫌悪感に陥り、ある部分の断念を自分に言い聞かせて、雑踏の中を彷徨する。一九一三年十二月のことである。

神秘家は、召命の後、ある時期には aridity(不毛)に耐えなければならないと聞く。このことは詩人にもある。

彼はあるカフェに入り、散らばっている新聞に、あるドイツの大公が、愛人であった女優の演技と台詞を具体的に細部にわたって記してあるのに遭遇する。それは「まさにしかるべき瞬間に到来して、もっとも予想外の経路によって必要であった救いをもたらした」。これはサン・ピエトロ広場のオベリスクが建立中途で進退谷〔きわ〕まった時、厳禁されている沈黙を破った「綱を湿せ」の一声が綱の強度を増して破局を救ったのに例えられている。劇はシラーの「メアリ・スチュアート」の処刑寸前の一節を音の高さから沈黙まで記述したものであるが、どうして彼を救ったかは自分ではわからないという。

この時までに彼が現在刊行されている「若きパルク」の草稿のどの段階に達していたかは、それらの多く、特に初期のものに日付がない以上、確定できないが、この特権的な救いによって、「パレット」と「断片」にすっと筋が一本通ったのであろう。棋士が勝負を進める時、あらゆる可能性を読むうちはまだ駄目で、他の可能性がおのずと排除されてすっと一筋の道が見えるようになる必要があるというが、それに似た転換である。

パレットに絵の具を並べるようにさまざまの語や観念とその相関とが乱舞するのは、分裂病の言語危機においても見られるところである。分裂病が創造性にもっとも近づく一時期である。もし、そのまま推移して、パレットが自動的に増殖し、ついには認知が追いつけないほど加速され、また、語の「自由基」ともいうべき未成の観念の犇めきが意識されるようになれば、病いのほうに近づく。精神は集中に過ぎれば不毛になり(それゆえカイエの「地獄」、散乱にすぎれば解体の危機に近づく(「パレット」の時期)からである。あらゆる可能性をきわめようとしつつ、精神の統一を強化しようとする矛盾した自己激励は、時に創造的であるが、しばしば袋小路に自らを追い込む。



この瞬間によって「若きパルク」に坦々とした道が開けたわけではない。一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。

以下、約一頁ほど続くが、引用ここまで。

上には、《幼少年型の分裂病では、これを分裂病と呼べるとしてであるが、言語は水や砂のようにさらさらと流れて固まらない》という文がある。

中原中也が「さらさら」と書いたのは、最晩年であり、彼が分裂親和型であったかどうかはどうでもいいが、ただひたすら「さらさら」に反応して引用しよう、われわれの多くが、たぶん中学校の国語の教科書で読んだだろう、《彼の最も美しい遺品》(小林秀雄)を。

一つのメルヘン  中原中也


秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで珪石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……


…………

すぎゆく ひとすじの風ならで 誰が泣くのか?
いやはての金剛石〔ほしぼし〕とともにひとりある このひとときに ……
誰が泣くのか? だが その泣くときに かくもわが身に近く。

ーーヴァレリー「若きパルク」冒頭 中井久夫訳

「パルクは深夜にめざめる。おそらく夜の半ばだろう。宇宙の地平に明滅するいちばん遠い星がいちばん近く感じられ、その他はすべて闇だというなかにめざめる。私が泣くという自己所属性の意識はない。すぎゆくひとすじのような風にまがう、かそかな泣き声。それは、誰の泣き声なのか。パルクはおのれを知らない。身体のほとんどはめざめていないのだから。しかし、あまりにわが身に近い。ほとんどわが身からのようではないか ……そんな意味であろう。運命の糸をつむぐのがギリシャ神話のパルクだが、このパルクは後の詩行でわかるとおり、おのれの運命を紡ぐ点てユニークなパルクだ。何の予兆とも知らされていないが、しかし、ほとんど現前するもののない世界だ。これは純粋予感だ。あるいは発生機状態in stato nascendi にある予感だ。」〔中井久夫『世界における索引と徴候』)

何と?
御身は こなたに忍び寄らんとするか?
かくも深き夜更けに?……
御身は 何をか望む?
告げよ!
御身は われを圧し、苦しむ、
ああ! はや あまりにもわが身辺に迫りて!
御身は わが息づかいをきく、
わが心音をきく、

ーーニーチェ「アリアドネの嘆き」第四ステージ 中島義生訳

人生の真昼時に、ひとは異様な安静の欲求におそわれることがある。まわりがひっそりと静まりかえり、物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく。彼の心臓は停止している。彼の目だけが生きている、--それは目だけが醒めている一種の死だ。それはほとんど不気味で病的に近い状態だ。しかし不愉快ではない。(ニーチェ「漂泊者とその影」308番 秋山英夫訳)

…………

ここで何人かの詩人や思想家の名前を出したが、彼らが「分裂親和型」、あるいは「dyssyntagmatismus者」であるかどうかは、繰り返せば実はどうでもいい。そもそも最近は、分裂病的だとか統合失調症的だとかいって感受性の鋭さを誇示するのは今はあまり流行らない(80年代に流行りすぎだともいえる)。

ただし、ある種の人たちは特殊な感覚をもつ、あるいはもつ瞬間がある、ということは間違いない。おそらく、その感覚は、《もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する》(中井久夫)であったり《奇妙な静けさとざわめきとひしめき》(同前)であったりするだろうし、これ以外にも、冒頭の中原中也の宮澤賢治追悼文の表現や、あるいは、ニーチェの《物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく》とか、ジュネのような表現の仕方があるだろう。そして、彼らもそれぞれ微妙に異なる感覚を言っているはずだ。

わたしには、もろもろの物象が輝くばかりの明澄さで知覚されると思われるようになった。あらゆる物が、最もありふれたものまでも、その日常的な意義を失っていたので、わたしは終いには、いったい、コップは水を飲むものである、とか、靴は穿くものであるというのはほんとうだろうかと考えるまでになった。(ジャン・ジュネ『泥棒日記』 朝吹三吉訳)

もっと平凡に、なにかが遠ざかってゆく感覚、かつまたなにかが遠くから不意にやってくる感覚としてもよい。「遠くからのように」、「遠くからやってくるように」は、ミシェル・シュネデールのグールド論にリフレインのように現われる。

驚くほどに音が遠くにある感じが好きだ。夕暮れの苦い樹皮、最期の苦痛(……)、とぎすまされていて呆然とさせる境界線の接近。そのただずまいに感じられる果てしない悲しみ。記憶が音楽に変わるのか、それとも音楽が記憶に変わるのか判然としないままだ。

この文はグールドのバッハではなくブラームスの録音について言っているのだが、グールドの間奏曲集は聴き過ぎだ。ここではリヒテルのインテルメッツォを貼り付けておこう。





さて、こう表現すれば、ーーなにかが遠ざかってゆく感覚・なにかが遠くから不意にやってくる感覚ーーこのような感覚は、決して詩人や芸術家だけではなく、短い間であれば、誰にでもあるのではないだろうか。

分裂親和型とは程遠い抑鬱系の作家であると思える大江健三郎の《一瞬よりはいくらか長く続く間》とは、誰でもあるだろう、世界が徴候感覚に充ち、あるいは時間が垂直に立ち上がる稀有な刻限を言い表わそうとしているように感じられる。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。カジね、そしてそれはただそう思う、というだけのことじゃないと私は信じる。

この感覚が数年に一度でもいい、まったっく訪れないひとには、谷川俊太郎とともに「ごめんね」とでも言い放っておくよりいたし方ない。

詩はときに我を忘れてふんわり空に浮かぶ
小説はそんな詩を薄情者め世間知らずめと罵る
のも分からないではないけれど

小説は人間を何百頁もの言葉の檻に閉じこめた上で
抜け穴を掘らせようとする
だが首尾よく掘り抜いたその先がどこかと言えば、
子どものころ住んでいた路地の奥さ

そこにのほほんと詩が立ってるってわけ
柿の木なんぞといっしょに
ごめんね (神々しいトカゲ

あるいは樫村晴香とともに、《とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? 》とでもするより他はない。ゴメンネ!

ためしに自転車でひとごみを突っ走ってみたらどうかしら?

オランダの臨床精神医学者リュムケは、正常者でもすべていわゆる分裂病症状を体験する、ただしそれは数秒から数十秒であると述べている。この持続時間の差がなにを意味するのか、と彼は自問する。

私は回復期において一週に一、二回、数十分から二、三時間、“軽症再燃”する患者を一人ならず診ている(慢性入院患者がごく短時間「急性再燃」を示すという報告も別にある)。なかでも、自転車で人ごみのなかを突っ走ると起こりやすい場合があるのは興味がある。当然、追いぬく人の会話の一句二句をひろって走ることになる。この切れ切れに耳に入ってきた人のことばは、それ自体はほとんどなにも意味しないのだが、いやそれゆえにと言うべきか、聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。そこからさまざまな“異常体験”への裂け目がはじまる。しかし、じっとして“ふりまわされぬ”ようにしていれば、この兆候的なもののひしめく裂け目は閉じ、すべてが過ぎ去ることが判ってきて、そのようにしているとーーー決して愉快な時間ではないがーーーいつのまにか消えてゆく。この場合、ガラスにひびの走るように拡がって急速なパニックには陥らないわけで、どうやら多くの“分裂病性異常体験”は、その基底にある不安あるいは(対人的)安全保障喪失感の“量”というか根の深さいかんで、恐慌状態になる場合からほとんど看過ごされる場合まで実に大きな幅があるようだ。幻聴でも、すこし聴こえただけで参ってしまう人もあるが、「大学教授なら停年までつとめられる例がある」とも聞いた。もっとも、持続時間を決定している因子はまた別かも知れない。(中井久夫『分裂病と人類』)

 だれかに徹底的に惚れて「不安」になってみたらどうかしら?

一般に、世界が徴候化するのは、不安に際してである。私がその世界に安んじておれないということである。(……)

徴候化は、対象世界にも、私の側にも起こる。対象の側に起こる簡単な場合には、山で道に迷った場合があろう。「道に迷った!」と直観した刹那に、人はもはや眼前の美しい森やこごしい断崖に眼を注がない。ささやかな踏みわけ跡らしきものを、けものみちであるか、先人のとおった跡であるかを見分けるために、ごく些細な徴候を捜して、明確な対象は二の次三の次になるだろう。これが、世界が徴候化する場合のごくわかりやすい一例である。それが私の中に起これば精神の危機である。私の中に起こるつかもどころのない変動のいちいちは、私の精神がバランスを失うかも知れない徴候である。この場合にも、私にとっては、日常の食事、睡眠、入浴が二の次になる。

(……)

もっとも、不安なしに対象世界が徴候化することはある。それは、狩人の場合であって、カルロ・ギンズブルグは、些細な足音や草の倒れた形から獣が通った跡を推理する狩人の「徴候的知」を、歴史家、医師、推理作家などの方法の先駆として、この「知」による科学に「演繹」や「帰納」による科学と同等の「知」としての位置を与えることを主張している。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」)

だれかにひどく嫉妬するとかさ

真実の探求者とは、恋人の表情に、嘘のシーニュを読み取る、嫉妬する者である。それは、印象の暴力に出会う限りにおいての、感覚的な人間である。それは天才がほかの天才に呼びかけるように、芸術作品が、おそらく創造を強制するシーニュを発する限りにおいて、読者であり、聴き手である。恋する者の沈黙した解釈の前では、おしゃべりな友人同士のコミュニケーションはなきに等しい。哲学は、そのすべての方法と積極的意志があっても、芸術作品の秘密の圧力の前では無意味である。思考する行為の発生としての創造は、常にシーニュから始まる。芸術作品は、シーニュを生ませるとともに、シーニュから生まれる。創造する者は、嫉妬する者のように、真実がおのずから現れるシーニュを監視する、神的な解釈者である。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p199)

神経症者とか最近の現代版パラノイア型ナルシシストたち同士で、おしゃべりにうつつを抜かしていると、《一瞬よりはいくらか長く続く間》なんて一度も出会えなくなっちゃうぜ。

「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。(現代の「病的ナルシスト」たち、あるいは「母なる超自我」と「内的な自由」

ーーこれって、四十歳前後以下のそれなりに名のしれた「思想家」や「批評家」でさえ、奴らのタイプの多くは、この「病的ナルシシスト」に近いと睨んでいるのだがね。《自我理想の枠と絶縁する》というのは、エディプスの斜陽のせい。いわゆる象徴的権威の衰退のせい、ということになるから、彼ら自身の問題ではないのだが。


おっと、こういうことを書いたらいけない、と蓮實重彦センセの嘲罵がとつぜん遠くから閃光のようにやってきたので、「よい子」はけっしてしないように、――《たしかなことは、 誰もが凡庸と呼ばれる思考の風土からもっとも離れた地点に自分を位置づけようとしており、 そうした姿勢のはば広い共有ぶりが、ことによると凡庸さの実態だといえるのかもしれぬ》のであり、《あたりに氾濫する無自覚な凡庸さを何とか超えようとする姿勢そのもの》が「凡庸さ」を形作るのだから。



2014年9月21日日曜日

咲き出でる樹木の白い「死」

ややメモが溜まってきたのでいくつかの下書きを吐き出す。

…………

@hoshinot: すごい言葉を見つけてしまった!「死んでる組織と生きてる組織があるのが木。生きてる組織だけなのが草花です。」ーいとうせいこう・竹下大学『植物はヒトを操る』より。木というのは中心が死んでいるのだそうだ。木は世界そのもの! http://t.co/hpOd63BYrI
@seikoito: 今日、星野智幸君が紹介してくれた「植物はヒトを操る」で竹下大学さんに教わったことは他にも色々あって、純白の花は自然界になく、突然変異でアルビノが出ても虫には見えない。だから虫媒されない。いわば人に好きにさせて人で増える。http://t.co/nxw1MKKCus
@seikoito: あと、前に森林専門家に聞いたら鹿が樹皮をぐるりと剥がして食べちゃうと、木は全血管を切られたように立ち枯れる。樹皮は「現在」の生命で、その内側はいわば樹木の「過去」が固化したもの。鹿は「現在」を断ち切るだけで、時間の堆積した森全体を素早く破壊してしまう。 (いとうせいこう)

木というのは中心が死んでいる》だって?
《樹皮は「現在」の生命で、
その内側はいわば樹木の「過去」が固化したもの》だって?

樹木の内側だって年々大きくなっていくんじゃないのか
年輪は年毎に変貌していくのじゃないのか

わたくしの「凡庸」な頭には理解できないところがある
にもかかわらず
草花よりは樹木のほうを「特権的」に愛する
そして白い花が咲く樹木をなによりも好むわたくしには
なんとも魅惑的な言葉だ

当地に来て最初に魅せられたのはインドソケイ(プルメリア)の樹だった





そうだな、まずあそこにはリルケがいる

死とは私たちに背を向けた、私たちの光のささない生の側面です。私たちは私たちの存在の世界が生と死という二つの無限な領域に跨っていて、この二つの領域から無尽蔵に養分を摂取しているのだという、きわめて広大な意識をもつように努めなければなりません。まことの生の形体はこの二つの領域に跨っているのであり、この二つの領域を貫いて、きわめて広大な血の循環がなされているのです。此岸というものもなければ彼岸というのもありません。あるのはただ大いなる統一体だけで、そこに私たちを凌駕する存在である『天使』が住んでいるのです。(富士川英郎・高安国世訳『リルケ書簡集2:1914–1926』――『ドゥイノの悲歌』の翻訳者への書簡らしい)

白い花とは樹木の体の中に宿る「神」や「天使」が咲き出でたのではなく
「死」が咲き出でたーー、それでどうしていけないわけがあろう


噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)

もっとも《純白の花は自然界になく》とあるように、
突然変異や人工的な花以外は
どの白も虫媒されない純粋な死の花ではない
ただ喚起されたイメージからの話である

そして花はなにも白でなくても、
すべて死のメタファーであるかもしれない、
という観点はここでは脇にやりつつの話だ。

例えばリルケが「薔薇の花、純粋な矛盾、おびただしい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽」と語るとき、薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという冷酷な現実を再帰させ、しかし次の瞬間、その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、そこに「悦楽」‐幻想を残していく。(樫村晴香『ドゥルーズのどこが間違っているか?』)
薔薇よ、あゝ、純然たる撞着、いや歓喜〔よろこ〕びよ、
それすなわち、あまた伏せられた瞼の下で、
誰しの眠りにもあらぬことの。

Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
Niemandes Schlaf zu sein unter
soviel Lidern.

— (in seiner letztwillige Verfügung, Oktober 1925.)

樫村晴香とはあまり知られていない名かもしれないが
オレとほぼ同年、かつては浅田彰との対談もある
今は仏で肉体労働?やったり、
ミャンマーの山奥で瞑想しているなどということもあるらしい
奥さんのラカン派である愛子さんは、
オレの故郷の私立大学で教師をやっている。





純白にみえる香高いジャスミンの花も
純粋の白ではないということなのだろう
突然変異でアルビノが出た花ではない
虫には見えない花ではない

庭にある何本かのジャスミンは多くの蝶が寄ってきて
油断をすると貪食な幼虫に一晩で葉を食い尽くされてしまう




チューリップの新品種「アルビノ」とは虫には見えないということなのか
ちょっとそのあたりがわたくしにはよくわからない





「ハクモクレン」が登場したところで、この文は、「逃げ水と海へ向かう道」の続きものでもあるのだが、その関連はあえて示さないでおこう。


…………

死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である。(フーコー『臨床医学の誕生』(ビシャの言葉引用から)



女が孕んで、立っている姿は、なんという憂愁にみちた美しさであったろう。ほっそりとした両手をのせて、それとは気づかずにかばっている大きな胎内には、二つの実が宿っていた、嬰児と死が。広々とした顔にただようこまやかな、ほとんど豊潤な微笑は、女が胎内で子供と死とが成長していることをときどき感じたからではないか。(リルケ『マルテの手記』)

孕み女の腹を撫でさするように樹肌を愛撫するのは
樹木の「死」の、樹木の「過去」の、
ひそかなざわめきを、掌でまさぐる仕草であったとして、
どうしてわるいことがあろう

昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。(同マルテ)

…………

鹿が樹皮をぐるりと剥がして食べてしまう、
すると木は全血管を切られたように立ち枯れる。
丸裸にされた樹木の「死」、あるいは「過去」!

――なんという豊かなイマジャリー
それはリルケの詩と同じくらい

……おお、幼年時代の日々よ
そのときわたしたちの見たもろもろの形象の背後には単なる過去
以上のものがあり、また、わたしたちの行手をおびやかす未来もなかった。
もちろんわれわれは刻々に生長した、ときにはより早く
生長しようと背のびした。。ひとつには成人であること以外には
なんの持ちあわせもない大人たちの喜びを買うために。
けれど、わたしたちがひとりで道を行くときには、
過去も未来もない持続をたのしみ、世界と
玩具とのあいだにある中間地帯の、
大初から、純粋なありかたのために設けられた
ひとつの場所に立ったのだ。
たれが幼いものを、そのあるがままの姿で示すことができよう。たれが
幼いものを星々のあいだに据え、遠隔の尺度をその手に
もたらすことができよう。たれがかたまりゆく灰いろのパンから
幼い死を形成することができよう。――またその死を
甘美な林檎の芯のように幼いもののまろやかな口に
含ませることができよう? ……殺害者たちを
見抜くのはたやすい。しかし死を、
全き死を、生の季節に踏み入る前にかくも
やわらかに内につつみ、しかも恨みの心をもたぬこと、
そのことこそは言葉につくせぬことなのだ。(ドゥイノ 第四の悲歌 手塚富雄訳)

…………

もっともいくら樹木を愛でても
次のような文に、若いうちからーーわたくしのように三十歳前後でーー
魅せられないほうがいいのかもしれないとは言っておこう。

だいたい章の心のなかには、古い大きな木の方が、 なまなかの人間よりよっぽどチャンとした思想を持っている、という考えがある。

厳密な定義は知らぬが、いま横行している思想などはただの受け売りの現象解釈で、 そのときどきに通用するように案出された理屈にすぎない。 現象解釈ならもともと不安定なものに決まってるから、ひとりひとりの頭のなかで変わるのが当然で、 それを変節だの転向だのと云って責めるのは馬鹿気たことだと思っている。

皇国思想でも共産主義革命思想でもいいが、それを信じ、それに全身を奪われたところで、 現象そのものが変われば心は醒めざるを得ない。敗戦体験と云い安保体験と云う。 それに挫折したからといって、見栄か外聞のように何時までもご大層に担ぎまわっているのは見苦しい。 そんなものは、個人的に飲み込まれた営養あるいは毒であって、 肉体を肥らせたり痩せさせたりするくらいのもので、精神自体をどうできるものでもない。

章は、ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、 または病苦や肉親の死をどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。 そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである。

章は、もともと心の融通性に乏しいうえに、歳をとるに従っていっそう固陋になり、 ものごとを考えることが面倒くさくなっている。一時は焼き物に凝って、 何でも古いほど美しいと思いこんだことがあったが、今では、 古いということになれば石ほど古いものはない理屈だから、 その辺に転がっている砂利でも拾ってきて愛玩したほうが余っ程マシで自然だとさとり、 半分はヤケになってそれを実行しているのである(藤枝静男「木と虫と山」)

中上健次の夏ふようの白い花に魅せられるくらいだったらいいさ。




空はまだ明けきってはいなかった。通りに面した倉庫の横に枝を大きく広げた丈高い夏ふようの木があった。花はまだ咲いていなかった。毎年夏近くに、その木には白い花が咲き、昼でも夜でもその周囲にくると白の色とにおいにひとを染めた。その木の横に止めたダンプカーに、秋幸は一人、倉庫の中から、人夫たちが来ても手をわずらわせることのないよう道具を積み込んだ。
光が撥ねていた。日の光が現場の木の梢、土に当たっていた。何もかも輪郭がはっきりしていた。曖昧なものは一切なかった。いま、秋幸は空に高くのび梢を繁らせた一本の木だった。一本の草だった。いつも、日が当たり、土方装束を身にまとい、地下足袋に足をつっ込んで働く秋幸の見るもの、耳にするものが、秋幸を洗った。今日もそうだった。風が渓流の方向から吹いて来て、白い焼けた石の川原を伝い、現場に上がってきた。秋幸のまぶたにぶらさがっていた光の滴が落ちた。汗を被った秋幸の体に触れた。それまでつるはしをふるう腕の動きと共に呼吸し、足の動きと共に呼吸し、土と草のいきれに喘いでいた秋幸は、単に呼吸にすぎなかった。光をまく風はその呼吸さえ取り払う。風は秋幸を浄めた。風は歓喜だった。(中上健次『枯木灘』)


「世界は女たちのものだ」

日曜日だな、反フェミとの「汚名」を濯ぐため、「女性」を顕揚してみよう。

@HistoryInPicsより



若いときにこういった写真をみて、ああ、うらやましいなあ、オレも一度はこのお零れにあずからなくちゃな、と思わない男は、やっぱりどこかいかがわしいぜ、ちがうかい?

おまえはもっともらしい貌をして、難しく厳しく裁断するがじつは、おまえは少女たちの甘心を買うためにそういう姿勢をしはじめたのではなかったか。遠いアドレッセンスの初葉の時に。そう云われていくぶんか狼狽するように、これらの自然詩人たちへのかつての愛着を語るときに狼狽を感じる。(吉本隆明歳時記「夏の章――堀辰雄」)

ところで「いかがわしい」とは便利な言葉だが、若く聡明なきみたちは多用しないほうがいいんじゃないか? 相手にされなくなるぜ。多用するヤツは、オレのように「いかがわしい」ヤツだな。

……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……(大江健三郎「見せるだけの拷問」)




役者がちがうって感じだな、ーー「なんなの、ダリ坊や?」

母の影はすべての女性に落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。これはどの若い警察官の悪夢でもある、中年の女性が車の窓を下げて訊ねる、「なんなの、坊や?」

この原初の母なる全能性はあらゆる面で恐怖を惹き起こす、女性蔑視(セクシズム)から女性嫌悪(ミソジニー)まで。((Paul Verhaeghe『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』私訳)

もちろんうらやましがるのは、こっち系でもいいのだが
これはやっぱり十代~二十代に修業を積んでからじゃないか

江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉を塗った女が入浴の男を捉えて戯れた。かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女の群の戯れ遊ぶ浴殿の歓楽さえさして羨むには当るまい。(永井荷風「伝通院」)


ここで唐突にロラン・バルトと吉岡実のまねをしてわたくしの好きなものを書き出そう。

といっても吉岡実のようにイキに書けるわけではない、《ラッキョウ、ブリジット・バルドー、湯とうふ、映画、黄色、せんべい、土方巽の舞踏、たらこ……》(私の好きなもの(吉岡実、ロラン・バルト)





《私の好きなもの》、女の腰、脚、足指、チェロ、太股、イタリア産のサラミ・生ハム、サフランのリゾット、山羊のチーズ、恥垢の臭いがかすかにする女の膝で耳かきしてもらうこと、三時間後のCHANEL ANTAEUSの首筋の香り、五時間後のCHANEL五番の女の髪の匂い、くちなしの白い花と香り、散歩途次の金木犀の匂い、生牡蠣、トリュフ入りチョコレート、ヴェトナムカフェ、白い肌に真っ黒い縮れた腋毛、カンボジア産の葉煙草(なかったらダンヒルでもダビドフでもいいさ)、ダンヒル製のパイプ、40年代ロレックス、鮒寿司、このわた、テニスでトップスピンサーブがきまること、川蟹タマリンド煮、初期ヴェンダース(都会のアリスなどの三部作)、フォレ、ドガの踊子、タンニンくさい濃厚な赤ワイン、プルースト、丘のうなじ、西脇順三郎、吉岡実、バッハはあげたくないがあげる、かっこつけてヴェーベルン、霧のかかった高原の朝のかたつむりの白い足跡ーーといってもニブイヤツがいるからつけ加えておくよ、《枝をたわめている野性の黒すぐりの葉に、あたかもかたつむりが通った跡のように見える、自然に出たものの跡が、一筋つく》(プルースト)ーー、飯田線で温泉場にいくこと(縄と蠟燭持参)、がらがらの渥美線で終点までいくこと(象徴的ファルス持参)、ーー象徴的ファルス? わからないだろうなこれもーー





伊良湖岬まで女とともにバスの最後部席でいちゃついて擦れ違うトラックを溝に嵌めること、夕刻、下穿きを履かずに浴衣で女と散歩すること(温泉場だぜ、もちろん)、マイルス・デーヴィスの「Kind of Blue」が好きな酔っ払い女、木綿のワンピースを無造作に着た汗ばむ女など






男ってのは、やっぱり女にかなわないんじゃないか?
いまごろようやく悟るってのもなんだが。

世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …(ソレルス『女たち』)





ジジェクは、バダンテールの“On Masculine Identity(1996)”を引用して次のように書いている。

The true social crisis today is the crisis of male identity, of “what it means to be a man”: women are more or less successfully invading man's territory, assuming male functions in social life without losing their feminine identity, while the obverse process, the male (re)conquest of the “feminine” territory of intimacy, is far more traumatic.(ジジェク『Less Than Nothing』(2012)

現在の真の社会的危機は、男性のアイデンティティである、――すなわち男性であるというのはどんな意味かという問い。女性たちは多少の差はあるにしろ、男性の領域に侵入している、女性のアイディンティティを失うことなしに社会生活における「男性的」役割を果たしている。他方、男性の女性の「親密さ」への領域への侵出は、はるかにトラウマ的な様相を呈している。(私訳)




若い男性たちよ、安心したまえ! きみたちが悪いのじゃない。ただ女性たちが真実を語り始めた〈不幸な〉時代に〈運悪く〉生れ合わせただけさ

ーー《女性が真実を語り始めたら最後、鏡に映る男性の姿は小さくなり、人生への適応力が減少してしまうのである》(ヴァージニア・ウルフの『私ひとりの部屋』)

・女性は過去何世紀もの間、男性の姿を実物の二倍の大きさに映してみせるえも言われぬ魔力を備えた鏡の役目を果してきた。

・文明社会における用途が何であろうと、鏡はすべての暴力的、英雄的行為には欠かせないものである。ナポレオンとムッソリーニがともに女性の劣等性をあれほど力説するのはそのためである。女性が劣っていないとすると、男性の姿は大きくならないからである。女性が男性からこうもたびたび必要とされるわけも、これである程度は納得がいく。また男性が女性の批判にあうとき、あれほど落ち着きを失うことも、あるいはまた、女性が男性にむかってこの本は良くないとか、この絵は迫力がないなどと言おうものなら、同じ批判を男性から受けるときとは段違いの絶えがたい苦痛を与え、激しい怒りをかきたてるわけも、これで納得がいく。

・つまり、女性が真実を語り始めたら最後、鏡に映る男性の姿は小さくなり、人生への適応力が減少してしまうのである。もし男性が朝食の時と夕食の時に、実物よりは少なくとも二倍は大きい自分の姿を見ることができないなら、どうやって今後とも判決を下したり、未開人を教化したり、法律を制定したり、書物を著したり、盛装して宴会におもむき、席上で熱弁をふるうなどということができようか?そんなことを私は、パンを小さくちぎり、コーヒーをかきまわし、往来する人々を見ながら考えていた。

・鏡に映る幻影は活力を充たし、神経系統に刺激を与えてくれるのだから、きわめて重要である。男性からこれを取り除いてみよ、彼は、コカインを奪われた麻薬常用者よろしく、生命を落としかねない。この幻影の魔力のおかげで、と私は窓の外を見やりながら考えた、人類の半数は胸を張り、大股で仕事におもむこうとしているのである。ああいう人たちは毎朝幻影の快い光線に包まれて帽子をかぶり、コートを着るのだ。





《男性が女性の批判にあうとき、あれほど落ち着きを失うことも、あるいはまた、女性が男性にむかってこの本は良くないとか、この絵は迫力がないなどと言おうものなら、同じ批判を男性から受けるときとは段違いの絶えがたい苦痛を与え、激しい怒りをかきたてる》だって? マイッタネ

さきほどつけ加えるのを忘れた、私の好きなもの、女の去勢。

……おさげ髪を切るものの態度には、たとえ遠くからであっても、否認された去勢を執行しようとする欲求が、強く押し出されていることが見てとれると考えられるのである。彼の行動は、そのなかで女性は陰茎を無事にもっているというものと、父が女性を去勢してしまったという、両立しがたい二つの主張を、和解させているのである。(フロイト『呪物』ーー倒錯と女の素足(谷崎潤一郎)



もっとも、男性諸君! こっちのほうだけは牛耳られないほうがいいらしいぜ、あとはどうでもいいさ。

「戦争が男たちによって行われてきたというのは、これはどえらく大きな幸運ですなあ。もし女たちが戦争をやってたとしたら、残酷さにかけてはじつに首尾一貫していたでしょうから、この地球の上にいかなる人間も残っていなかったでしょうなあ」(クンデラ『不滅』)



ある写真が気に入り、それに心をかき乱されると、私はいつまでもそれにこだわる。そうやって写真を前にしているあいだずっと、私は何をしているのか? 私は写真に写っている事物や人間についてさらに詳しく知ろうとするかのように、写真を見つめ、子細に検討する。……(ロラン・バルト『明るい部屋』p123)

どうしてこんな「平凡な」写真に心をかき乱されるんだろ? なにが突然向うからやってきたというのだ? 覗き窓から覗くようにして学生たちが宴の卓を囲んでいるのが見える(背中を向けているのは教師か)。若く知的な男女の慎みと節度、はじらいの気配に領され、無礼講になるようすはまったくない……

まあ、いいさ
オレの一見反フェミ風というのは、こういうことだぜ

自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)

ーーというわけで、文明国の男女のみなさんは、こういったものを読んどかなくちゃな

イラク北西部、ヤズディ(ヤジディ)教徒の町シンジャルを制圧したイスラム国は、住民の殺戮と迫害を開始した。イスラム過激派から「邪教」とされてきたヤズディ教は銃をつきつけられ、イスラム教への改宗を迫られる。さらに数百人を超えるヤズディ教徒の女性を集団拉致。戦闘員と強制結婚させられたり、「奴隷」として売られたりしたという。その多くは今も行方不明のままだ。このひと月間に女性たちの身に何が起こったのか。イスラム国に拉致され、脱出してきたばかりの女性は声を震わせながら語った。(イラク北部ザホー 玉本英子

ーーとすれば日曜日にはふさわしくない読み物かい? ならば、

季節の空気、空の、土の、樹々の色、それも語れぬわけではないだろう。だが、あの軽やかな酩酊、埃の上をゆく足取り、眼の輝き、フェダイーンどうしの間ばかりでなく、彼らと上官との間にさえ存在した関係の透明さを、感じさせることなど決してできはしないだろう。すべてが、皆が、樹々の下でうち震え、笑いさざめき、皆にとってこんなにも新しい生に驚嘆し、そしてこの震えのなかに、奇妙にもじっと動かぬ何ものかが、様子を窺いつつ、とどめおかれ、かくまわれていた、何も言わずに祈り続ける人のように。すべてが全員のものだった。誰もが自分のなかでは一人だった。いや、違ったかも知れない。要するに、にこやかで凶暴だった。(……)

「もう希望することを止めた陽気さ」、最も深い絶望のゆえに、それは最高の喜びにあふれていた。この女たちの目は今も見ているのだ、16の時にはもう存在していなかったパレスチナを。(ジャン・ジュネ『シャティーラの4時間』)

この何年かのあいだでめぐり合ったもっとも忘れ難い女の表情の画像も附載しておくよ。








2013年11月28日木曜日

ヴァギナ・デンタータVagina dentata、あるいは卵と壺

What happens when a normal man, that is, a man who wants immediate sex, runs into a female version of the same thing, a woman who also wants to dive into bed straightaway, anywhere and everywhere? The chances are that the man will quickly lose interest and even take flight—in this case, with his non-proverbial tail between his legs. In the context of the psychoanalytical situation, I have often seen this happen with male analysands when the apparently biologically set roles were simply reversed. It was by no means unusual for the man to complain that he felt used and even abused, reduced to an object, a vibrator. In other words, he voiced exactly the same complaint as a woman would. Men are so afraid of female desire and pleasure that they have even created a scientific term for this, 'nymphomania'. This is ultimately no more than the scientific expression of the mythology of the vagina dentata (the vagina with teeth). (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


フロイトのヴァギナ・デンタータVagina dentata(「有歯膣」、あるいは「歯の生えた膣」、「歯のある膣」)をすこし調べていたら、縄文土偶の記述にめぐりあう(もっとも直接にVagina dentataへの言及はない)



再生可能な人間の死体をシク(目)アン(ある)ライクル(死体)といい、再生不可能な人間の死体をシク(目)サク(なし)ライクル(死体)というのである。目は再生の原理なのである。この風習はその後日本にもある。例えば大仏開眼の行事や、或いは選挙でダルマに目を入れる風習などの中に残っているのである。

遮光器土偶の巨大な眼窩、それは私は再生の願いを表すものであると思う。遮光器土偶は巨大な眼窩と、かたくつむった目の取り合わせによって人々を驚かせている。それを遮光器と名づけたのは、実はそれは偶然にもユーモラス比喩であるが、恐らくそこに土偶と言うものがつくられる最も深い意味が隠されていたに違いない。(縄文の神秘   梅原 猛






ピカソが魅されたのもたしかに頷ける彫像群だ。

下のものは顔がハート型をしている。ハートは心臓の象徴だと通常はされるが、キャサリン・ブラックリッジの『ヴァギナ 女性器の文化史 』によれば、次の如し。

多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。

この類のことについて、ジジェクはかならず言及しているはずだと思い、検索してみると次のような発言がやはりある。

My relationship towards tulips is inherently Lynchian. I think they are disgusting. Just imagine. Aren't these some kind of, how do you call it, vagina dentata, dental vaginas threatening to swallow you? I think that flowers are something inherently disgusting. I mean, are people aware what a horrible thing these flowers are? I mean, basically it's an open invitation to all insects and bees, "Come and screw me," you know? I think that flowers should be forbidden to children.
Slavoj Žižek, Dreamboat, Thinks Flowers Are "Dental Vaginas Threatening to Swallow You"



男性が花を好まないとは限らないが、女性が「ナルシシスティック」に好むようには、好まないだろう。

リルケの詩を思い浮かべてみよう、《薔薇 の花、純粋な矛盾、おびただしい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽》ーー「薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという冷酷な現実を再帰させ、しかし次の瞬間、その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、そこに「悦楽」‐幻想を残していく」と樫村晴香は書くが(「ドゥルーズのどこが間違っているのか」)、抑圧されているものは「死」だけではないはずだ。


ヴァギナ・デンタータに近いものとして、ラカンの「鰐の口」を想いだしておこう。
ラカンは母親の欲望とは大きく開いたワニの口のようなものであると言っている。その中で子どもは常に恐ろしい歯が並んだあごによってかみ砕かれる不安におののいていなければならない。

漫画に恐ろしいワニの口から逃れるために、つっかえ棒をするシーンがある。ラカンはそれに倣って、このワニの恐ろしい口の中で子どもが生きるには、口の中につっかえ棒をすればよいと言う。ファルスとは実はつっかえ棒のようなもので、父親はこのファルスを持つ者である。そして父親のファルスは子供の小さいファルス(φ)ではなく、大きなファルス(Φ)である。つまり正義の騎士が万能の剣をたずさえて現れるように、父親がファルスを持って子供を助けてくれるのだ。(「ファルス」と「享楽」をめぐって

さて、いまはフロイトのいうヴァギナ・デンタータについては触れない。『性欲論三篇』などに書かれていたはずだが、あまり憶えていない。そのうち読み返したら書くかもしれない。

各地に伝説はあるようだ。

スー族のインディアンは、ラミアー伝説と同じような物語を語った。美しい魅惑的な女が若い戦士の愛を受け入れて、雪の中で契った。雪が晴れてみると、女は一人で立っていた。男は彼女の足もとで蛇にかじられ、一山の骨と化していた。
アイヌの伝承に、「昔、最上徳内が探検し発見した、メノココタンという島の住民は、全員女性で、春から秋にかけて陰部に歯が生え、冬には落ちる。最上が「下の口」を検めたところ、刀の鞘に歯形がつく程度の咬力があった」(南方熊楠)

そのほかにここにやや詳しい→ 







ここでは、以前、メモして投稿しないままにある文を、ほとんど関係がないが、以下に続ける。要するに、縄文土偶の画像をみていたら、古代キクラデス諸島の彫刻を想起したということだ。

…………


《秘訣とは卵のあの曲面ですよ。なぜなら、陶工の轆轤がまずはじめに形を仕上げていれば、見かけ倒しの部分はもうなくなっているから。》

「だから、いつでもかならず素材が話しかけるのだといえる。それに、精神に話しかけるのはほかでもない、素材を扱っている手であり、そのとき手は、素材を介して、精神に話しかけるのだ。これが芸術の、いや少なくとも造型芸術のお作法ではなかろうか。要するに、腹案が作品に先行しているらしいとはいっても、腹案と作品とのあの関係、私の名づけて工業的といっているあの関係は、諸芸術においては、もう一つの別の関係に、完全に従属している。これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ、という関係のほうが、立ちまさっているわけだ。作品を作ってみて、自分の表現したかったことに誰よりも先に教えられ、また誰より先におどろくのは、当の芸術家なのだから、この関係はずいぶん逆説的なものだ」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)

アランの対話者は、アンリ・ナヴァルという今ではほとんど無名の、メダル職人から叩き上げた彫刻家で、彼はロダンの彫刻を次のように批判している、「ロダンの親指、あれはどうもいけない。親指というやつは、光線をたよりに肉付けしますから。ところが、じっさいに形を作ってゆくのは人指し指なんです」、と。

ナヴァルは素材を介して精神に働きかけるのは造型芸術だけがそうなのだろうか、たとえば音楽家は? と問う。

 「たしかにあなたのいうとおりだ」と私は答えた「彫刻よりも音楽において、あらかじめの計算が不快を与える割合が少ないなどとはいえない。それに、すばらしい歌の土台になるのは、いつのばあいにも歌い手の身体の均衡状態だ。同じ状態にとどまりつづけることはできず、しかも何か屈折運動というべきものによらずには、いつまでも同じ状態を脱することができない。屈折運動は、上首尾に起こることもあれば、しなやかさを欠くことも、ゆったりとした休息に通じることも、また盛上りの不足を埋めあわせるようにはたらくこともある。そしてじつはこれこそ、音楽と彫刻とのあいだに成り立つアナロジーの好例だ。アナロジー、つまり相似といったが、これを類似ということとけっして混同してはいけない。思想があらわれるのは、アナロジーをとらえた時なのだ。ただ私にはこんな気がするのだが、私が作家の仕事を考えようと思うなら、これよりもっともっと隠された事情に触れなければならないのではないか。なぜなら、作家もまた、彼なりのやり方でではあるが、偶然を活用して美をうみ出すすべを、じつによく心得ているし、またそんなことは詩人においてはほとんど自明のことがらだ。散文作家のことになると、私にはどうもよく分らない。とはいっても、時どき私の感知することだが、散文作家は、野獣をとらえようと待伏せしている特定の形式をにべもなくしりぞける。散文における特定の形式は、いざとなれば詩における形式よりもはるかにうまく森を叩いて野獣を狩り立てる。それが散文作家には気にくわないのだ。……」

「しかし、文筆家にとって、充実した、しかも切れ目のない形は、どこにあるのです。いったいどこに、卵の丸みがあるのです。壺のあの回転性は、どこにあるのです」

「詩の作品になら、卵の丸みは、はっきり見てとれる」と私は応じた「詩節〔ストローフ〕がそれだ。リズムがそれだ。脚韻、脚韻の一糸乱れぬ並びがそれに当る。ソネの形式は、前もって壺を用意している。壺をゆがめないで飾りをつけることができるかどうか、それが問題なのだ。大した仕事ではない。たしかに容易な仕事といってもかまわない。だがしかし、悲歌あるいは叙事詩の、あの響きのよくて、しかも少しの飾りもない形は、いったいどんな種類の形といえばよかろう。『イーリアス』というあの偉大な壺をどういえばいいだろう。まずはじめに詩があり、詩人はその表面に憤怒、死、復讐が、何度もくり返してはじまり、その都度互いにからみ合ってめぐり舞う姿を描き出したのだが。底の底までとらえることは、とてもできないことだ。とはいっても、散文にも、かならず一種の歌は聞こえる。フレーズの円環というべきかもしれないが。ただし、私にいわせるあんら、散文作家はそういう形をずたずたに切ってしまうという点で、詩人からきっぱり区別されるものだ」

彫刻家は像を判断しようと身を引いた。彼が千里のかなたへ遠ざかったような気がした。彼はこういい放った「そうだ、彼は形をずたずたに切る。だが、それこそがまさに形を連続させるひとつのやり方なのだ」(対話三)

この対話録は、『芸術論集』(諸芸術の体系)や、詩と散文の相違を問う詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収)の後になされたものだが、『芸術論集』などでは、《脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。》やら、《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。》とされている。

『彫刻家との対話』で新しいのは、それらの著述にはみられない「卵と壺」のモチーフが繰り返し現れていることだ。

さて、ロダンに対する評価はさておき、ここで敢えてリルケの『ロダン』から引用してみよう。

詩句の中には、文字面からとび出していて、書かれたというよりは、むしろ造形されたように見える箇所があった。詩人の熱い両の手の中で融けてしまっている言葉や、言葉の群があった。浮彫の手ざわりをもった行があり、また、こみ行った頭飾のついた円柱のように、不安な思想の重荷を担っているソネットもあった。(……)彼(ロダン)はボードレールを自分の先駆者だと感じた。顔面によってはまどわされず、そこでは生命がはるかに大きく、恐怖に充ち、休息を知らないところの、身体の方を探し求めたひとりの人間をそこに感じたのであった。(高安国世訳)

ーーこの文に限れば、リルケはアランとほとんど同じようなことを言っているようにみえる。

…………



高田博厚はアランの頭像を制作している。彼は、1930年頃から27年ほどパリに暮らし、ロマン・ロランやコクトーなどとも交遊があり、あるいは加藤周一、森有正、朝吹登水子などのエッセイにしばしば出てくる。娘は田村隆一の元夫人。若い頃、自伝『分水嶺』を熱心に読み、少し無理をして高田博厚のブロンズ製の女のマスクを手に入れたことがある。ごく小さなものなのでそれほど高価ではなかった。学生生活の仕送り三ヶ月分程度だ。リルケの『ロダン』にいかれていた頃だった。もっとも「ロダンの親指、あれはどうもいけない」なら、高田博厚の親指はもっといけない。


『彫刻家との対話』に戻れば、次のようにある。

すでに指摘したように、芸術家が自分の精神をとりとめのない観念遊戯に忙殺させておき、製作中の作品について先走って考えるゆとりを自分で封じておくのは、これはなかなか巧妙な策略なのである。そしてこの点にういて私は独りごちたのだが、芸術家たちに時として見かけるあの強烈な情念のあらわれは、普通そう思われているよりもはるかに彼らの芸術とは無関係なものにちがいないのだ。あの愛欲の気苦労が心を占めているからこそ、身についた手仕事に即して手が思うさま活動するのである。それに考えてみればなるほど、恋敵の死について思いめぐらすほうが、大理石の表現について瞑想するよりもずっと好ましい。そんな瞑想をしていると、きっと大理石をはみ出る結果になるだろうから。私は乱暴なこういう考察を口に出すことは控えておいた。はじめてここに書きとめる。というのも、今ならこの考察の含む毒をほとんど一滴のこさず抜きさることができるから。意地の悪い思考は、相手をえらびはせず、芸術家だからといって手加減しはしない。それにまた反対に、美しい作品は犯罪計画を吹きとばしてしまう。こうして私の夢想の中を暗殺の刃をにぎった人かげが通りすぎるのを見送ってから、じつはその人かげは兄弟かと思うほどわが彫刻家とよく似ていた……。(対話三)

芸術の受け手が、芸術家の伝記やら、その作品以外の私事によって、評価をしてしまうことを戒める文としても読めるだろうし、作品の作り手が、芸術家が美とはなにか、とか、その表現のあり方に「瞑想する」振舞いへの警告とも読める。そんな暇があるなら、表現の素材に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらすことに努めよ、とも読める。

同時代人の、アランと親しいヴァレリーの文を挿入するならば次の如し。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)

『彫刻家との対話』にはヴァレリーも登場する。

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」


ーーー古代キクラデス諸島の彫刻Cycladic Sculptures

キクラデス彫刻の頭だけのレプリカが、いま手もとにある。かつてルーヴルで手に入れたものだが、卵にみえもし、亀頭にもみえる。

さて「対話二」にはこうもある。

休憩時間に、シャルトル大寺院の彫像、エーゲのギリシア人の彫刻、中国の仏像の写真をながめていた彫刻家がいう。

「これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」

「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」


言葉遣いの古臭い箇所はあるだろう、いまひとは「深い内部」という表現は避けるようになって来ている。「どこか深いところから根源的な声が呼びかける」、などという、ヘルダーリンやリルケ的な表現に胡散臭さを感じてしまうようになっている。ーー「もっとも深い内部」とは実は表面だというのが二〇世紀後半以降の語り口だ。

《表面》について考えながら、たとえば表面とその派生的な表現について、表面、表面的、表面化する……。

あるいはまた次のような事実について。
表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶しめられた意味を、少なくとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか。(……)

だが表面とはなにか。それは存在のあらゆるカテゴリーをのがれるなにものかではないだろうか。表面は存在論の文脈から抜け落ちる、それは、表面が、ほとんど定義によって、存在論の対象となりえないからだ。表面は厚みをもたず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面)、あらゆる深さをはぐらかす―そのとき、ひとは軽蔑をこめて表面的と形容するだろう。

深さのない表面、決して背後に送りとどけることのない表面。《われわれは表面をどこまでも滑ってゆく―横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが、決して奥へ、あるいは底へではなく……》あるいはチェス。いうまでもなく、『鏡の国のアリス』はチェスの問題として構成されているのだ。(宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』より )

もっともこれは、いまここにはない失われた風景としての「深さ」がロマンティックに探求され過ぎ、そのため平板でのっぺらぼうな「表面」への侮蔑、無関心、盲目がそこらじゅうに蔓延っていたことの批判という文脈でも読む必要があり、いまでは、そこらじゅうにプラスチックのような表面的魂が蝟集しているさまに辟易せざるをえないならば、「深さ」という死語をもういちど復活させたいと願うひとびとがいてもおかしくない。




リルケには、「深く」という語を使いつつも、「きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面」という表現がある。

……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

ところで卵と壺の顕揚ーーでは、針金のようなジャコメッティの作品をなんといえばよいのだろう。だが、ジャコメッティは古代エジプト美術に魅了されていたことを忘れてはならない。





ロダンの彫刻が光をわがものとするのであれば、ジャコメッティの作品は空間をわがものとする言い方ができるのではないか。あるいはそのまわりを流れる空気の質を変えてしまうもの、と。ゴッホがデッサンについて語る言葉を援用すれば、《目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開く》やり方。





デッサンするとはどういうことなのか? どうやってそれをやり遂げるのか? それは目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開くという行為であり、その壁は人が感じることとなし得ることの間にあるらしい。いかにしてこの壁を通り抜けなければならないのか? というのもそれを強く叩いても何の役にもたたないし、私の考えではこの壁をじょじょに浸蝕し、ヤスリを使って、ゆっくりと、辛抱強く、それを通り抜けなければならないからである。(ゴッホ-ーー「鈴木創士の部屋」より)





…………


《昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。》(吉岡実「死児」という絵〔増補 版〕)

こうあるように吉岡実の、少なくとも若年期の「私の一冊」は、リルケ「ロダン」だったようだ。

リルケの詩よりもこの著書に惹かれたらしいが、たとえば詩人としては遅咲きと言えるかもしれない吉岡実の比較的若い頃の詩には、リルケの詩の影響だって十分に窺われる。(『静物』は第二詩集で、36歳のとき私家版二百部が刊行されている。とはいっても十年間ほど書き溜めたものらしい)。


果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。

――(神子博昭「詩の暗さーーヘルダーリン、リルケ、ツェラン」より)



静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく


ある人は、わたしの詩を絵画性がある、または彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造型への願望はつよいのである。

詩は感情の吐露、自然への同化に向かって、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。それは、見えるもの、手にふれられるもの、重量があり、空間を占めるもの、実在―――を意図してきたからである。だから形態は単純に見えるにしても、多岐な時間の回路をもつ内面構成が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる。

だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれども、いくつもの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投射されて、小宇宙が拡がる。(吉岡実「わたしの作詩法?」より)

もっともその詩が、真に彫刻的となったのは、「僧侶」以降だろう。