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2014年7月6日日曜日

波紋のように空に散る笑いの泡立ち

@RichterBot: 何にも増して[ベートーヴェンの]ピアノ協奏曲第一番*が好きです。オーケストラが演奏しているのを聴くと、まるで輝いた光を放つ美しいものが現前したかのような、他の何とも異なる感覚に圧倒されます。*http://t.co/irZBfrbFjD. 

いいこというなあ、リヒテル
「まるで輝いた光を放つ美しいものが現前したかのような」なんて
初期ベートーヴェンは
このピアノコンチェルト一番だけじゃなくて
この感覚をあたえてくれる曲がおおいんだよなあ
1795年作曲だから25歳か
「波紋のように空に散る笑いの泡立ち」(大岡信「春のために」)
――なんだよなあ
ビロードの肌ざわりだよなあ、あの感覚

理知が摘みとってくる真実――この上もなく高次な精神の理知であっても、とにかく理知が摘みとってくる真実――透かし窓から、まんまえから、光のただなかで、摘みとってくる真実についていえば、なるほどその価値は非常に大きいかもしれない。しかしながらそのような真実な、より干からびた輪郭をもち、平板で、深さがない、というのは、そこには、真実に到達するために乗りこえるべき深さがなかったからであり、そうした真実は再創造されたものではなかったからだ。心の奥深くに神秘な真実があらわれなくなった作家たちは、ある年齢からは、理知にたよってしか書かなくなることが多い、彼らにはその理知が次第に力を増してきたのだ、それゆえ、彼らの壮年期の本は、その青年期の本よりも、はるかに力強くはあるが、そこにはもはやおなじようなビロードの肌ざわりはない。(プルースト「見出された時」)

ピアノコンチェルト2番もおなじ25歳のときの作品なんだな
「私はもう弾かない
初期のベートーヴェンだと軽くみるひとが多いからね」(ルドルフ・ゼルキン)だってさ



だいたい中期のアパッショーネとか皇帝をいつまでも好んでいるヤツってのは
なんとうか、あれは若い頃めぐりあって感動しておけばいいので
幼いころから音楽を聴きつづけていまだ好きなままでいるヤツってのは
信じがたいなあ
ホモセンチメンタリスじゃあないかい?

ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。 (クンデラ『不滅』P295)

中期のベートーヴェンは、声をあげて泣くのだよなあ
《その泣き声は泣いている間も、ずっと彼の耳から離れない。
彼が誇張したとはいわないが
その泣き声が、どんな影響をきく人に与えるかを、
彼はよく知っていた》(吉田秀和)

いやいやなかにはいい曲もあるよ
気分にもよるしさ

でオレの好みをいってもしょうがないんだよな
どこかの馬の骨が好きだといってもね

……個人の好き嫌いということはある。しかしそれは第三者にとって意味のあることではない。たしかに梅原龍三郎は、ルオーを好む。そのことに意味があるのは、それが梅原龍三郎だからであって、どこの馬の骨だかわからぬ男(あるいは女)がルオーを好きでも嫌いでも、そんなことに大した意味がない。昔ある婦人が、社交界で、モーリス・ラヴェルに、「私はブラームスを好きではない」といった。するとラヴェルは、「それは全くどっちでもよいことだ」と応えたという。(加藤周一『絵のなかの女たち』)

リヒテルが好きっていうから意味があるのさ
田舎町で少年時代をおくったんだけど
県境をこえた隣町にリヒテルが訪れて
はじめて海外演奏家をまじかにみたのが
リヒテルでね
近親のものがヤマハで技師していてね
練習しているところ(ブラームスの間奏曲)をのぞかせてもらったんだなあ




だからリヒテルにはときにおいおいという演奏があっても
許しちゃうんだなあ

「波紋のように空に散る笑いの泡立ち」と引用して想いだしたけど
めったに聴かないストラヴィンスキーの
ーーConcerto for 2 solo pianosは1935年の作品かい?
五十歳すぎての作曲なんだなあ
「まるで輝いた光を放つ美しいものが現前したかのような」
あの泡立ちにくらくらするのは
この馬の骨の耳がへんなせいだろうよ




ストラヴィンスキーという人は、本当におかしな芸術家だった。二十歳そこそこであの最高のバレエ音楽、特に《春の祭典》を書き上げたのち、バッハに帰ったり、ペルゴレージからチャイコフスキーに敬意を表したりした末、晩年にいたって、ヴェーベルンに「音楽の中心点」を見出すに至ったかと思うと、その後長生した数年のあと、いよいよ死ぬ時をまつばかりとみえたころになって、今度はヴェーベルンも、自分の作品も、もうききたくないと言いだし、みんな投げすててしまい、ベートーヴェンに熱烈な賛辞を呈しつつ、死んでいった。(吉田秀和『私の好きな曲』)