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2014年9月8日月曜日

農夫/水夫の間の機敏なフットワーク(商人=観光客)

そうだなあ
昨日の投稿はそこまで書かなかったけれど
きみの言うとおり、東浩紀氏は
《村人/旅人/観光客は、思想用語で言うと、共同体/他者/両者のあいだをパートタイムで行き来する人です。》と言っているのだから
柄谷行人の
《経験論/合理論/経験論と合理論の「間」で機敏なフットワークの駆使》そのままかもな
そして、それが、農夫/水夫/商人となるのかもな
しかもいたずらに観光客=商人を顕揚するのはまずいってのは、
最後に柄谷行人引用して書いたこれだよな
まあオレは東浩紀氏の著書を読んでないからそこまでは書けないのだよ

…………

芸術家でも職人でもないタイプ、職人に対しては芸術家といい、芸術家に対しては職人というタイプである。それは「枠」を自覚し越えるようなふりをするが、実際は職人と同じ枠のなかに安住しており、しかも職人のような責任をもたない。中野は、これを「きわめて厄介なえせ芸術家」と呼んでいる。なぜなら、彼らを芸術家の立場から批判しようとすれば、自分は職人であり大衆に向かっているのだというだろうし、職人の立場からみれば、彼らは自分は芸術家なのだというだろうから。(柄谷行人「死語をめぐって」)

この文の「芸術家」と「職人」に、「水夫」と「農夫」を代入してみよう。あるいは合理論者と経験論者でもいい。《彼らを水夫(合理論者)の立場から批判しようとすれば、自分は農夫(経験論者)であるというし、農夫の立場からみれば、彼らは自分は水夫だというだろう》--このきわめて厄介なヌエのような存在が、実際の「商人」の実態なのだ。


…………

これだと観光客はヌエのような存在になりかねないということになるな
でもこのあたりは東浩紀氏もわかっていてそれにもかかわらず
キャッチフレーズ的な「観光客」の顕揚のはずだよ

たとえば、これも読んでいない本の断片を拾ったのだがね

千葉雅也(動きすぎてはいけない)@ 逃走は、少なくとも二度、加速されなければならない。一度目は、しがらみを笑い飛ばすイロニー的な初速として。二度目は、そこから伸びるリゾームを、《この》加/減でよしと、笑って済ませるユーモア的なトップ・ギアとして。

農夫からの逃走は、一度は水夫=合理論者のイロニーだな
二度目は、商人=観光客のユーモアということになる
水夫=合理論者のイロニーなしの
商人=観光客のユーモアなんてのはプレモダンさ

このあたりは彼らにはほとんど「常識」なんだよ
上のイロニーとユーモアはほぼドゥルーズのマゾッホ論のほぼパクリだがね
それにもうひとつドゥルーズの超越論的経験論だな
オレはこのあたりはよく知らないけれど
浅田彰の説明する超越論的経験論にぴったりだよ


ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、いちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。

その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。

つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されていたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになるわけです。

ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じたところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。

諸能力を、超越論的というより、超越的に使用すること、つまり、それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、やはりランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていかなければならない。そのような経験に定位するのが、高次の経験論、つまり超越論的経験論だということになるわけです。(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)


――というわけでたいした「発見」じゃないさ
農夫どもは気がつかないだけだな


2014年9月7日日曜日

水夫と農夫、あるいは商人


次のような東浩紀氏のツイートを読んだ。《「弱いつながり」について観光客って柄谷行人の他者とどう違うのかと批判した社会学者の方がいましたが、それはたぶん読まないで批判していて、読めばすぐ違いがわかります。村人/旅人/観光客は、思想用語で言うと、共同体/他者/両者のあいだをパートタイムで行き来する人です。》ーーとあるが、わたくしはこの社会学者と同様、『弱いつながり』を読んでいないし、他方批判するつもりはない。ただ「観光客」という概念はどんなことを言っているのだろうとはいささか興味があった程度である。

とりあえず上のツイートの前後もふくめて引用しよう。

@hazuma: ひとはあるときは村人として生き、あるときは観光客として生きる、そして観光客はみな個人として偶然性で繋がっているということです。RT @Shimazqe 4分 @hazuma 周辺の社会全体=旅人とは、どのようなイメージでしょうか?クラスが同じだろうと違おうと、そんなの便宜的な制

@hazuma: だから個人のネットワークで学校は出来ません。学校は村です。でもそのまわりに、同級生それぞれが勝手に作っている個人的な関係があり、そのひとたちの集合が「観光客」のネットワークになっている。そしてある学校では村人であるひとも、別の学校に対しては「観光客」になる。

@hazuma: 他方で、社会全体=旅人というのは観念の問題です。ぼくたちは社会全体はじつはイメージできません。それは純粋な理念ですね。社会全体にむかってなにかを発言するというのは、そういう理念に向かって発言することです。旅人というのはそういう理念的存在だということです。昔の言葉で言えば「他者」。

@hazuma: この点で出版直後、「弱いつながり」について観光客って柄谷行人の他者とどう違うのかと批判した社会学者の方がいましたが、それはたぶん読まないで批判していて、読めばすぐ違いがわかります。村人/旅人/観光客は、思想用語で言うと、共同体/他者/両者のあいだをパートタイムで行き来する人です。

@hazuma: 他者=旅人は村人からすると過ぎ去っていく存在でしかないので、否定神学的な理想化の対象になります。その点では観光客は具体的な存在です。観光客の動向は気にかかります。ただし「群れ」です。村人からすれば観光客は個人として認識できません。そして関係もいい加減です。

@hazuma: まだわかりにくいかしら。要はこういうことです。「村人が〜」というとき、私たちは具体的な顔を浮かべている。「旅人が〜」というとき、そこに具体的な顔はない。「観光客が〜」というとき、具体的な顔はないけど、群れとしてのイメージはある。そしてひとりひとりは、状況によりそのいずれにもなる。

@hazuma: で、いままでの社会思想は「村人」か「旅人」しか考えてこなかった。旅人を他者として理想化する(リベラル)か、あるいは敵として排除する(保守)かという違いはあっても。そこで観光客という第三項を考えようというのが、ぼくの提案です。ビッグデータとかの話とも関係ありそうな気がしてます。

…………

以下はかなり以前メモして投稿しないままの記事である(中途半端な議論の展開のため)。いまは「船乗り」と「商人」、そして「農夫」に注目するためにそのまま公表しておこう。もっとも、東浩紀氏の、村人/旅人/観光客が、そのまま農夫/船乗り(水夫)/商人となると断言するつもりは毛頭ない。

…………

柄谷行人の『探求Ⅱ』の「交通空間」をめぐる章の第一節には、《アランは、知の源泉として、船乗りと商人と農夫を例にとって語った》とある。

そこでは船乗りは「構造主義者」であり、商人は《人間を相手にし、言葉で誘惑し説得する》者、《共同体の外部で、見知らぬ予測しがたい不可解な“他者”を相手に》する者とされている。そして哲学者も科学者も「商人」である、と。農夫は共同体の内部に属する者とされている。

この柄谷行人の、水夫、農夫、商人は、それぞれ合理論、経験論、そしてその「間」で機敏なフットワークをする「商人」という捉え方ができはしないか。柄谷行人はこの80年代半ばの時点ではそこまでは書いておらず、むしろ《船乗り=商人》(p275)という記述が見られるのだが。  たとえば2006年に書かれたエッセイにはこうある。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」ーー
象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」)

柄谷行人は80年代中葉の段階では、浅田彰がドゥルーズ&ガタリから抽出したスキゾ/パラノ、あるいは中井久夫の『分裂病と人類』における狩猟民/農耕民(分裂気質/執着気質)などの思考の圏域にあったはずだ。

ここでは、《船乗り=商人/農夫》の二項対立ではなく、最近議論になっているパラノ/スキゾ/アスペの三項をも視界におさめつつ、農夫/水夫/商人の三項として捉えうる視点がないだろうか、という意図の下に、とりあえず、メモに徹することにする。

◆逃走論と切断論 浅田彰 千葉雅也(2013,11,29 京都造形芸術大学大学にての討論 『逃走論と切断論 ―いまドゥルーズをどう読むか』 のプレゼンテーションより)

【パラノ】          【スキゾ】           【アスペ】
インテグレーション   ディファレンシエーション  アイソレーション
蓄積           ギャンブル            節約
定住              逃走                仮住まい
セントラル          マージナル          パーシャル
メジャー            マイナー         メジャーとマイナーの混乱
ドメスティック         ワイルド             ワイルズ
〈内〉の思考        〈外〉の思考          〈傍〉の思考
トータリティ          インフィニティ         フィニチュード
ヘテロ            ゲイ                クィア
ウェット             ドライ              クリスプ(?)
ピュアブレッド      ハイブリッド           クローン(分身)


ただし、パラノ(〈内〉の思考)を農民、--あるいはアスペ(〈傍〉の思考)を商人?ーーとすることはひょっとしたらできるかもしれないが、スキゾ(〈外〉の思考)を水夫とすることは柄谷行人の説明する文脈ではややむずかしい。というのは、水夫が「構造主義者」となっていて、それはスキゾとは異なるだろうから。もっともスキゾの項目にディファレンシエーション(差異化=微分化)とあるように、これは構造主義的な用語ではある。

スキゾってのは分裂型(スキゾフレニー)で、そのつど時点ゼロで微分=差異化してるようなのを言う。つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。(浅田彰『逃走論』)
マルクスは、娘たちの問いに答えて、「すべてを疑え」ということをモットーに掲げたことがあった。しかし、彼がすべてを疑うというとき、それが怠惰な懐疑論と異なることは明瞭である。疑うことは、彼にとって生きることと分離されていない。では、いかなる生がそこにあるのか。マルクスは徹底的に主体を疑い、それを関係構造の産物として見た。では、そのように疑う主体はどこにあるのか。人々は、マルクス主義と実存主義というような「問題」を立ててきた。だが、彼らはマルクスという「実存」を無視してきたのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P205)

ーーといくつかの文献を引用すれば、スキゾ=水夫もあながち悪くなさそうな気もしてくる(農夫=パラノ、商人=アスペとともに)、--がここではそれらを曖昧なままにしておく。

なお千葉雅也氏はその自著『動きすぎないすぎてはいけない』をめぐって、ツイッターで次のような発言がある。

@masayachiba
浅田さんの場合の逃走と、僕の言う非意味的切断はけっこうニュアンスが違うのよね。
そのあたりを読み取ってほしいですね。浅田さんは強度の人。僕は弱度の人。

他方、浅田彰は次のように語っているようだ(ウェブ上から拾ったので正確な語りの内容ではないかもしれない)。

◆浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか」。

浅田「ドゥルーズの話で前に言っていたけどね、(AOで)connecticutというのをconnect-i-cutとする、直訳すると「接続せよ-私は-切断する」というように、コネクション(接続)とカット(切断)が同義であるようなものとして、リゾームと言っていたわけじゃないですか。今(の若手論壇)は明らかにコネクション(接続)の方ばっかりですね。

〔……〕千葉雅也さんに今さらカット(切断)と言われてもそんなの最初からそうだよとは思うけどね。

(千葉雅也の『動きすぎてはいけない』については)正確な祖述とかしてもしょうがないという立場からして、面白かったということでね。正確ではないところもあるでしょう、ヒュームとかなんなりの解釈ではね」

ーーなお、ここに書かれている文章は、『動きすぎてはいけない』を読んでいない人間が書いていることに注意。

…………

さて、『探求Ⅱ』の第三部「世界宗教をめぐって」の第五章は、章名が「交通空間」とあるように、社会(交通)/共同体が語られる少なくともある時期の柄谷行人の最も重要な概念のひとつ「交通」をめぐっての文でもある。マルクスの「社会」も柄谷行人によれば、交通空間である。マルクスの「社会」と「交通」が同じものだというのは、次の発言が示している。

そこで、蓮實さんがいわれた生産と交通という話に戻ると、僕は、生産は、「共同体的」であり、交通は「社会的」であると考えています。共同体とは、共通のコードをもって閉じられたシステムであり、社会とは、共通のコードをもたない他者との交通において成立するような空間でし、これは僕は「交通空間」とよんでいますけれど、これはどこかに実体的に在るものではなく、絶えず結合され分断されながら無方向に広がるようなネットワークのようなものです。(柄谷行人『闘争のエチカ』より)

あるいは『探求Ⅰ』で、《私の考えでは、マルクスは、共同体と共同体の「間」において存在する関係を、社会的とよんだのである》と書かれてもいる(p15)。

たとえば「交通」概念は、蓮實重彦によって次のように使われている。

言葉が方向を変えるとは、 文脈を踏みはずし、 無方向に拡散しながら、 物語的な根拠を喪失させることを意味するが、 補足的な付加が根拠の強調であるなら、 言葉の方向転換とは横断的な 「変換」 にほかなるまい。 必ずしも充分な成果をあげているとはいいがたいにせよ、大江健三郎の『懐かしい年への手紙』が目ざしているのは、断じて自作に対する補足的な付加の試みではなく、みずから「交通」 の装置となることで、 言葉に文脈の踏みはずしを惹起せしめようとする秀れて小説的ないとなみなのだ。 そして文脈とは共同体が容認する規則にほかならず、 決ってコミュニケーションを抑圧するものなのである。(『小説から遠く離れて』)

ところで柄谷行人によれば、「自己意識」も一種の共同体である。

……誤解をさけるために捕捉しておきたいことがある。第一に、「共同体」というとき、村とか国家とかいったものだけを表象してはならないということである。規則が共有されているならば、それは共同体である。したがって、自己対話つまり意識も共同体と見なすことができる共同体の外と間という場合、それを実際の空間のイメージで理解してはならない。それは体系の差異としてのみあるような「場所」である。(『探求Ⅱ』p201-202)

こう書かれれば、すなわち《”個人”もまた内部と外部をもつかぎりにおいて一種の共同体》(同293)であるということになる。そして個人のモノローグが共同体から逃れるにはどうあるべきかをめぐっては『探求Ⅰ』にパプチンのドストエフスキー論が引用されつつ語られる(ドストエフスキーの小説のポリフォニック性)。

「人間を他者の言葉、他者の意識との関係において設定することが実にドストエフスキイの全作品を貫く根本テーマである」と、バフチンはいう。「他者の言葉」とは、くりかえしいうが、異なった言語ゲームである。同一の言語ゲームに立つかぎり、どんな対立や葛藤があろうと、モノローグ(独我論)的である。逆にいえば、ダイアローグ、あるいはポリフォニックなものとは、声や視点を多数化することによって得られるのではなく、もはやいわゆる対話が不可能な地点において「他者に語る」ことから生じるのである。逆に、そのような他者の前でのみ、自己の単独性が存する。》(柄谷行人『探求Ⅰ』P168-170)

これは「商人」のダイアローグ、《共同体の外部で、見知らぬ予測しがたい不可解な“他者”を相手に》する者のことが書かれているとしてよい。すなわち「交通空間」、マルクスの「社会的」ーー、《共同体と共同体の「間」において存在する関係》ーーにおける「対話」を、ドストエフスキーの小説に見ているとしてよい。

…………

モーゼがそこに向けて人々を脱出させ且つ留まるようにいった“砂漠”は、実際の砂漠のことではない。また、それが荒涼とした不毛の地であるか否かは問題ではない。“砂漠”とは、交通(コミュニケーション=交換)の空間であり、あるいは交通の線図だけが浮き彫りにされるような空間である。それはすでに“抽象的”である。なぜなら、そこでは事物の形態の多様性ではなく、交通路のネットワーク、あるいはそれらの結合の性質と強度だけが問題だからである。

ある意味で、海は砂漠よりももっと徹底した“砂漠”である。それはオアシスもないような砂漠である。たとえば、古代において、地中海は“砂漠”であった。それは母なる海というイメージとは無縁である。アランは、知の源泉として、船乗りと商人と農夫を例にとって語った。船乗りは、ほかに何一つ頼るもののない海上で星空を眺め、一見してたえず変動する多様な星たちのなかに不変の構造を見出す。海は自然を変えることも支配することもできない。そうであるがゆえに、船乗りは物ではなくその構造だけを見つめるのである。自然の形式的な構造を認識することでのみ、彼は海上で生きのびることができる。(……)

船乗りの比喩は、われわれがけっして支配できないし動かすこともできない“他者”としての自然に対してもつような知を意味している。それは、世界に同一的・不変な構造(ロゴス)があるかないかという形而上学の原理的議論と無関係に、たえず実践的に見出される知の在り方である。

それに対して、商人は、そのような自然ではなく、人間を相手にし、言葉で誘惑し説得する。アランは商人に対して否定的であるが、私の考えでは、商人の比喩は、対話において見出される知に関して不可欠なのだ。重要なのは、商人が相手の合意なくしては何もできない(詐欺も合意を要する)し、何もしないということだ。商人は、共同体の外部で、見知らぬ予測しがたい不可解な“他者”を相手にし、且つ彼を排除するのではなく、彼の自由を受けいれることでしか彼を拘束できないという場所に立っている。哲学者は、商人を、真の価値を偽る者(ソフィスト)として非難してきたが、この非難は的はずれである。真の価値あるいは同一性を、共同体の外部で他者に出会う者が前提にすることなどできないからである。

今日の科学哲学者たちは、科学が自然の真理を見出すという考えに反対し、真理が説得あるいは言語ゲームに属すると考えている。要するに、科学者も商人なのだ。しかし、哲学も、もともと共同体の中ではなく、諸言語が交錯する「世界」、つまり他者を説得するほかに強制しえないような場所に発生したはずである。

これは、ギリシャの思想家たちに限られるのではない。諸子百家の一人、孔子は「我は賣(かいて)を待つ者なり」(「子罕篇十二」)と語っている。彼もまた思想家が商人であることをはっきり自覚していたのだ。実際に、共同体を離れた言葉、したがってまた対象や呪力から解放された言葉においてのみ、哲学的思考がはじまるのである。言葉がそれを指示する対象や一義的な意味と必然的につながりをもっていないという認識こそが、哲学的問いをひきおこす。もしそうでなければ、誘惑者(商人)としての思想家もまたありえなかっただろう。

いわゆる哲学(形而上学)は、そのような商人=思想家につきまとういかがわしさの痕跡を隠す。そして、そこから誰もがそれに従うほかないような共同体・規範的な真理(同一性)をとり出す。それは、すでに、交通空間を排除する共同体の思考である。

農夫の比喩に関しては、とりたてていうまでもあるまい。船乗りと商人の対極を考えればよい。彼は共同体の内部に属する者であり、また何とか操作しうる自然を相手とする者である。彼は、自然に対して無力であるがゆえにその構造を見きわめようとするどころか、自然に対してたち向かいそれを支配しようとする。すなわち魔術によって。もちろん魔術は自然を動かすことができないのだが、そのことで挫折したりはしない。なぜなら、その代りに人間を動かせばよいからだ。(柄谷行人『探求 Ⅱ』P271-273)

第二節以降、船乗り=商人ともあるが、これは共同体の間にある海=砂漠における「交通空間」に住まう者ということであり、ここではその一部だけを引用する。だが途中に出て来るミシェル・セールの『ヘルメスⅠ』の序文だけは先に孫引きしておこう。

……コミュニケーションを行なうことは、旅をし、翻訳を行ない、交換を行なうことである。つまり、〈他者〉の場所へ移行することであり、秩序破壊的というより横断的である異説(異本)として〈他者〉の言葉を引受けることであり、担保によって保証された品物をお互いに取引きすることである。ここにはヘルメス、すなわち道路と四つ辻の神、メッセージと商人の神がいる。(豊田彰・青木研二訳)

以下本文だが、都市=砂漠=海が「交通空間」とされて、繰りかえせばその「間」に住むものが船乗り=商人であり、哲学者、科学者も本来商人であるべきだ、そしていままで農夫としての「哲学者」が批判してきた「ソフィスト=商人」が肯定的に書かれているのも上の引用で見た(千葉雅也氏は、ツイッター上でソフィストをしきりに顕揚することを想起しておこう)。

都市を、その具体的な定住空間においてみるのはまちがっている。それは共同体としての都市、あるいは都市国家を、“都市”ととりちがえることになる。たとえば、“情報”のコミュニケーション=交換が停滞すれば、どんな都市〔シティ〕もその外見を残したままで町〔タウン〕になってしまう。都市は、国家(共同体)の内部にあるようにみえるーー事実、国家は都市を包摂するーーが、本質的には国家の外部にある。都市は、海=砂漠なのだ。たとえば、デカルトが亡命したアムステルダムについて、世界最大の商業都市であり、且つ砂漠であるといったのは、正確である。デカルト主義者とちがって、彼は“砂漠”で考えたのだ。(『探求 Ⅱ』P276)

柄谷行人の文に出て来る《アランは、知の源泉として、船乗りと商人と農夫を例にとって語った》を読んで、アランのプロポを読み返してみたのだが、柄谷行人がおそらく参考にしているプロポのひとつは「水夫と農夫」だろう。「商人」に関しては、アランのほかのプロポがあるにはあるのだが今は割愛。

以下、邦訳字数にして約二千字、原稿用紙五枚の簡にして要をえた名プロポ「水夫と農夫」である。

水夫と農夫 

水夫は舟もろとも波がしらに突きあげられるとき、人間よりはるかにつよい一つの力を身をもって知る。しかしまた、水夫は舟をあやつって風のすぐそばをとおり、かくして風のままに押しながされて来ていた暗礁から遠ざかるとき、工夫しだいで風や波にうちかつ手段があるものだということを知る。そして、海のもたらすどんな攻め手に対しても、かわし手があるということを、経験からして彼はおしえられる。いってしまえば、相手はつねに機械的な、たんに機械的なものたるにすぎぬ力なのだ。ここではすべてが明快である。そして法則は、混乱のなか、あのはてしない動揺のなかにあってさえ、すがたをあらわす。潮汐の規則ただしいくりかえしは、嵐の神をあなどるかとおもわれ、そして木はつねに水のうえにうかぶ。不実な要素をふまえているのは、見かけによらず、農夫のほうなのだ。ここでは、生物学的な力が季節の気まぐれともつれ合ってはたらく。ここには期待が、忍耐が、そしてまずもって失望がある。ここには灌漑が、かしこに排水といったふうに、なにか有益なことをくわだてるには、ながい歳月のうえに眼をはせなければならない。ある年は水がれで日でりがする。つぎの年は雨が多くて湿潤であるといったあんばいだ。種まきと取りいれのあいだに、いかばかりの変化があることか。これに対しては、貯えと埋めあわせによるほか、なんのかわし手もない。ある年はまぐさと家畜でうめあわせ、他の年は小麦でうめあわす。それゆえ、たのむ先は伝統であり、模倣である。およそ新基軸はすべて眉つばものとされる。というのは、こうした農夫の智慧は当初の結果などにはけっして目もくれないのだから。小麦畑には平べったい小石がちらばっているのが見うけられる。かのプヴァールとペキッシュはこれらの小石を大金をかけてとり除かせた。だがじつは、この鉱物のこやしは小麦の茎をささえていたのであり、また小石はおそらく排水に役立っていたのだ。ふたりはふんだんに肥料をやったわけだが、みのりはふやふやのしげった草になってしまい、とり入れた小麦はみとが悪いものになってしまった。しまいまで待とう、これが農夫の歌なのである。

水夫の行動は猶予をゆるさない。カジのとり方ひとつが生死のわかれみちになる。刻々があいつぐ戦いである。勝利は一瞬ごとに確保される。一時の危険はただ一つのみ。そして、ひとたび港に入ってしまうと、すぐさま海神ネプチュヌスはあざわられる。大胆さや工夫は、波浪のやわらくこうした入海の岸辺で生れたものにちがいない。いつもおだやかな港のかたわらの、あのいたずらな潮騒は、およそ想像力をやわらげるはずのものである。「はやてをやり過ごせ」、これは水夫のことばであり、またある意味で生活の規則でもある。わが国の港町でよく見られる光景だが、水夫たちの快楽は、農夫の息子であるおとなしい歩兵たちの眉をひそめさせる。けだし、嵐も水夫たちの収穫をかすめとりはしないからである。水夫はわが身ひとつを救えば、はやすべてを救ったことになる。だが農夫のほうは、自分の富を港へははこびこむことはできない。農夫の富はつねにひろげ出され、さらし出されている。かくして、ほかほかとあたたかい火も、彼の霜の心配をそうなぐさめてくれはしない。「風が地上を吹きあれているとき、身が安全にかくまわれていることは、なんとこころよいことか。」詩人とともにこんなことがいえるのは、けっして農夫ではない。

こうしたいろんな原因ゆえに、かの支那という国はどっしりと重くるしく、えたいが知れない。またこうした原因ゆえに、海に噛まれる活動的な西洋は、その法則と発明とを世界に送り出す。こうした考察は、あの勤勉で物理学者の島国、イギリスとその政策とについてなにごとかを説きあかしてくれる。モンテスキューはこの政策を、潮汐の力と入江の深さによって説明して倦まなかった。というのは、彼によれば、竜骨がふかくなれば側面抵抗力がまして、風のすぐそばを航行することもできるようになるゆえ、ふかい港はすぐれた帆船を生むということになる。こうした原因によって、ヴェニスはイギリスを破ることができなかった。そして、どの海戦もみな、潮汐と海岸とによってあらかじめ勝敗の帰趨はきまっていたわけだ。水夫の思想、水夫の哲学。陸の人ゲーテは、外的原因によるこうした説明をあまり好まなかった。むしろ彼の思弁は、人力のおよびえないあの内部による発展という考えをたどりつつ、ドングリから樫の大木へとすすんだ。この点、ゲーテは農夫であった。彼は観念というものを、自己のうちにみずからの法則をもつ胚珠のようなものとして考えた。こうした観念は神秘的なものだ。それは推論の対象というよりは、むしろ静観の対象である。それは精神をてらし出すよりは、むしろこれをはたらかす。かくして、大陸はその星雲のような観念の群れを、四方海に洗われる島々のほうへ押しやる。そして海の人ダーヴィンが、この群れの毛を刈りとるということになる。(アラン『プロポ』集(弥生選書)より 井沢義雄/杉本秀太郎訳)


《かの支那という国はどっしりと重くるしく、えたいが知れない》とあるが、これは今では一概にそうは言えないのかもしれない。たとえば中国は商人の国でもあるだろう、すくなくとも世界各地に華僑という存在があって本土に強い影響を与えている。かつ青幇紅幇をも想起しておこうーー《中国では個別社会――幇(バン)や親族組織――が強く、それが国民(ネーション)の形成を妨げてきたが、逆に、今日のグローバル化において、国境を越えた個別社会のネットワークが強みとなっている》(「丸山真男とアソシエーショニズム」 )。だが全体的な印象ではやはり《どっしりと重くるしく、えたいが知れない》であるだろう。尖閣や南シナ海に船舶で不穏な動きをしようとも、どうも農夫が舵をとる船の印象がある。

では日本という国はどうなのだろう。江戸文化の伝統、ーー刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)ーーを引き摺るままの閉じられた「村社会」というのが通念ではある。だが、もし中国と日本が同じ農夫の共同体であったにしろ、日本は決して「どっしり」とはいかない国でもある。

1994年の時点で(「リテレール」第十一号)、中井久夫は次のように書いている。

中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(「日本人がダメなのは成功のときである」『精神科医がものを書くとき Ⅰ』所収広英社)

《風をみながら絶えず舵を切るほかはない》国であるに相違ないのなら、農夫気質のひとがどうも多すぎるきらいのある日本には、水夫的人材が増える必要があるのではないか。とはいえ、そんな人材を意図的に増やすことができるわけではない。

浅田彰の云う「土人の国」日本とは、日本人の農夫気質を揶揄するものだ。実際、「同調圧力」やら「絆」や「寄り添う」、「共感の共同体」(事を荒立てるかわりに、「『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先される)、「空気を読む」、「曖昧模糊として春のよう」などと語られる日本、あるいは日本人の特徴は、すべて農夫気質を言い表わしているともいい得るが、いささか捕捉すべきなのは、《公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語 的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体》(浅田彰)や、「母系的なものの残存」(柄谷行人)という観点だろう。だがここではそれを追求することはしない。

農夫の資質とは中井久夫によれば次の如し。

「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)

日本における「反知性主義」、たとえば最近では斎藤環によって「ヤンキー化」などとも語られたりする原因の多くは、この農夫気質に由来するのではないか。

《いまやヤンキー化の進行はとどまるところを知らない。気合とアゲのバッドセンス、ポエム化の蔓延、現場主義のリアリズムと夢を語るロマンティシズム、「知性より感性」の反知性主義。ヤンキー化の源泉をさぐることで、あたらしい「日本人」の姿が見えてくる。》(斎藤環「ヤンキー文化と日本文化」――「日本精神分析2.0」)

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』より)

もっとも「反知性主義」が日本社会の「ムラ」的人間関係のせいだけだとは断言しないでおこう。ムラ的な人間関係の集団による知性の劣化はなにも日本だけのことではないのだから。

集団は全体としてみると、(……)知的作業力の弱体化や、情緒の無制御、節度を守ったり猶予したりする能力の喪失、感情表現が限界を越える傾向、感情表現を行動の形で完全に放出してしまう傾向、ルボンが印象ぶかく叙述したこれらのことは、精神活動の初期の段階への退行をはっきりした形で示している。それは、われわれが野蛮人や小児に見出しても驚きはしないような種類のものである。われわれが知っているように、高度に組織化された人為的な集団では、この退行は、かなりの程度まで防止することができる。

このようにしてわれわれがうける印象は、個人のもつ個々の感情の動きや個人的な知的行為が弱化して、単独では無効になり、ひとえに他人の側からの同じやり方の繰り返しによる強化を期待する状態、という印象である。この依存現象がどんなに多くの人間社会の正常な構成に属しているのか、その中に見出される独創性と個人的な勇気がどんなにとぼしいか、個人の種族の特性とか、階級の偏見とか、公の意見とかいうものとして現わされる集団精神の立場に支配されることが、どんなに多いか、こういったことをわれわれはここで思いおこさざるをえない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集6 p231-232


さて農夫のムラや共感の共同体に対抗するために水夫や商人が必要だとして、それが《connecticut》、すなわち《connect-i-cut、「接続せよ-私は-切断する」》ことを意味するのか、そのとき、浅田彰の「逃走」と、千葉雅也の「非意味的切断」ーー《浅田さんは強度の人。僕は弱度の人》とどうかかわるのかは、わたくしには瞭然としない。ただここでは、柄谷行人の云うような「農夫」と「水夫」の間のフットワーク(経験論と合理論の間のフットワーク)が「商人」であるのなら、connecticut(接続せよ-私は-切断する)も似たような考え方ではないかと憶測するだけである。

「商人」というとおそらく悪い印象を受けるかもしれない。あるいはソフィストといっても同様。ソフィスト、すなわち「思想の商人」なのだから。だが言葉に騙されてはならない。たとえば、ソクラテス/ソフィストをイロニー/ユーモアとする見解がかねてからある。

Platonic irony is, in this sense, a technique of ascent, a movement toward the principle on high, the ascetic ideal. The Sophist, by contrast, follows a descending movement of humor, a technique of descent that moves downward toward the vanity of the false copy, the self-contradicting sophist.(Daniel W. Smith『Essays on Deleuze』ーープラトンとニーチェの「洞窟」)

これは、ドゥルーズのマゾッホ論のテーマでもある(参照:「超越的/超越論的」と「イロニー/ユーモア」)。

柄谷行人が、《哲学はソクラテスの「対話」にはじまっている。対話そのものが鏡の中にあるのだ》(『トランスクリティーク』p79)と書くとき、共同体(ムラ)の「対話」のことを言っている。すなわちソクラテスは農夫なのだ。もっともここで急いでつけ加えておかねばならない、別のソクラテスもいることを。

ソクラテスは、当然、次のように言うことができる。―――私は、友人である以上に愛であり、恋人である。私は哲学である以上に芸術である。私は、積極的意志であるよりも、しびれなまずであり、強制であり、力である、と。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

「商人」だってそうだ。無分別な顕揚はあやうい。

芸術家でも職人でもないタイプ、職人に対しては芸術家といい、芸術家に対しては職人というタイプである。それは「枠」を自覚し越えるようなふりをするが、実際は職人と同じ枠のなかに安住しており、しかも職人のような責任をもたない。中野は、これを「きわめて厄介なえせ芸術家」と呼んでいる。なぜなら、彼らを芸術家の立場から批判しようとすれば、自分は職人であり大衆に向かっているのだというだろうし、職人の立場からみれば、彼らは自分は芸術家なのだというだろうから。(柄谷行人「死語をめぐって」)

この文の「芸術家」と「職人」に、「水夫」と「農夫」を代入してみよう。あるいは合理論者と経験論者でもいい。《彼らを水夫(合理論者)の立場から批判しようとすれば、自分は農夫(経験論者)であるというし、農夫の立場からみれば、彼らは自分は水夫だというだろう》--このきわめて厄介なヌエのような存在が、実際の「商人」の実態なのだ。

とすれば、経験論と合理論の「間」で機敏なフットワークを駆使する真の「商人」を育成するためには、日本に決定的に欠けていると言われる「合理論者=水夫のような法則の人(構造主義者)」がまずは必要であるということになる(参照:象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」)。


※補遺→農夫/水夫の間の機敏なフットワーク(商人=観光客)


2014年7月16日水曜日

「人間の消滅、これは私のお気に入りの観念でね」

作家は社会的責任を有するか」というご質問にお答えします。答えは、「ノー」であります。─『ナボコフ書簡集 1959-1977』
私はエゴイストじゃない。エゴイストという言葉は、まったくふさわしくないでしょうね。私は思いやりのある人間で、他人の苦しみは、じかに私に響く。でも人類が明日消えてなくなっても、私にはどうでもいい。人間の消滅、これは私のお気に入りの観念でしてね。(シオラン『対談集』)
サドは人間の天体が、まともな実生活から遠く離れた、歌う無為の太陽たちの回帰線に傾くことを祝う。彼は人間の非社会化を祝い、母熊に舐められた〔躾けられた〕部分を徐々に捨てることを教える。(『詩におけるルネ・シャール』ポール ヴェーヌ, Paul Veyne, 西永 良成訳)


穏やか系も引用しておこう。

震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。(……) 
詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(震災後 詩を信じる、疑う 谷川俊太郎)。
生きること。内在的に。とドゥルーズは言った。小さな健康。太った健康ではなく、とドゥルーズは言った。肥大して他人を巻き込んで「健康」化せんとするのではなく、各人にとって特異なる健康さ=すわなち欲望のプロセスを楽しむ。極端に言えば、自閉症的にもなる事柄である。そこでどう共存するか。(千葉雅也ツイート)

 浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

 千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。(つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん 2013.12)

「マイノリティとの同一化」と「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」(症候との同一化)は類似しているが、そこにある差異はなんだろう? 政治的コミットメントをするジジェクとそうでない浅田彰、あるいは千葉雅也の相違。


おそらく政治の世界においても、一種の「症候との同一化」を必然的にとまなうような経験がある。よく知られている、「われわれはみんなそうだ!」という感傷的なpathetic経験だ。それはすなわち、耐えがたい真実の闖入として、すなわち社会的メカニズムは「機能しないdoesn't work」という事実の指標として、機能するfunctionsある現象に直面したときの、同一化の経験である。たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。これらの例について、次のことを明らかにしておかねばならない。「症候との同一化」は「幻想を通り抜ける"going through the fantasy“」ことと相関関係にあるということである。(社会的)症候へのこうした同一化によって、われわれは、社会的意味の領域を決定している幻想の枠、ある社会のイデオロギー的自己理解を横断し、転倒する traverse and subvert the fantasy。その枠の中では、まさしく「症候」は、存在している社会的秩序の隠された真実の噴出の点としてではなく、なにか異質で不気味なものの闖入some alien, disturbing intrusionとしてあらわれるのである。(ジジェク『斜めから見る』ーーメモ:「幻想の横断」(症候との同一化)とサントーム)

2014年6月26日木曜日

象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」

《現代の批評とは、或る対象の構造を分析し、対象がどのように価値づけられるかの可能性を多面的に考察することです。》(千葉雅也ツイート)

この千葉雅也氏の云う「現代の批評」とする態度が、つねにそうあるべきかなのかは断言しまい。だが、日本では、このようなむしろ「合理論」、「構造論」、あるいは形式的な思考が必要だとは、かつてから何度も語られてきた。

ところで対象の構造を分析するという場合、ある意味でメタレベル、「超越的」な立場に立つといってよいだろう。すなわち科学的な態度、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用すること。《主題を主題として維持するためにそれをカギ括弧で厳重に梱包し、概念として自立させ、<地>の部分をなす分析と思弁の言説から隔離された<図>として目立つように留意》すること(松浦寿輝『官能の哲学』)。

僕の夢は、本当の構造主義者が日本に出現することなんです。別に文学に限らないけれど、徹底的な構造分析を本気で試み、しかもそれで成功する人がね。
(……)
分析を言説化する手続きってものが、共同体的な倫理によって支えられていてもかまわない。またそのかぎりでは分析の対象が僕の興味のないものでもかまわない。

(……)意味生成の可能性をとことん拡げてその一つひとつのケースを検討することがないから、分析の言説化ではなく、言説化のための分析しか行われない。要素に分解すること、その諸要素の組合わせが示す表情をくまなく記述するという、ごく古典的な論述形式さえ定着していない、だからレクリチュールとエクリチュールに関してはわれわれは近代以前にあるわけです。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

もしほんとうに、われわれが「近代以前」にあるのなら、まず「近代」の合理論を尊重しなくてはならない。出発点はここだ。《もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。》(浅田彰)

近代の構築的なものがない処で、ポストモダン的な「生成」などをいたずらに主張したら悲惨な「現場主義」の寝言(プレ・モダンの戯言)に終わる。

もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)

「現場主義」の寝言? いやここではもうすこし遠慮して、《三面記事的な偽の現場主義が支える物語的な真実の限界》としておこう。

実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

…………

◆柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」より

そもそも、日本に、大衆の動向から遊離した知識人の優位などあったためしがないのだ。しかるに、抽象的な観念にもとづいて大衆を見下し現実から 遊離しているというような理由で、知識人を批判する言説はつねに横行してきた。知識人を批判する者こそ典型的な知識人だ、といったほうがいいくらいである。たとえば、日本に は「象牙の塔」のようなものは一度もなかった。むしろ、つねに象牙の塔に対する批判があ り、それが勝利してきたのである。(注1)
注1)象牙の塔とか、遊離した学問はいかんというようなことを言われますね。それはそれ自身いくら強調してもいいのですけれど、僕はやっぱり学問というものは生活とある緊張を保たなければいけない、そこには分離遊離じゃなくすることによって最もよく生活に奉仕するという、いわば逆説的な関係があるんじゃないかと思うんです。この考えは非常に危険なのですよ。一歩誤ると孤高になり、自分のものぐさ乃至は安易な生活態度をジャスティファイする論拠になり易いのです。僕なんかとくにそういう傾向があるので言う資格がないかも知れないけれども僕の考えはそうなんです。そうじやないと、ことに先程言いましたような、大衆文明の時代には日常的な現象に絶えず学問が引張られてしまって、時事の問題とかあるいは狭い意味の政治的要求に鼻面を引き摺りまわされて、結局学問自身の社会的使命を果せなくなる。学問じゃなくても果し得るもの、あるいは学問も果すかも知れないけれども学問以外のものでも果しうるような役割に学問が引張りまわされる事はやはり社会的な浪費です。学問にはやはりそれぞれの学問に固有の問題があります。(丸山真男 高見順との対談「インテリゲンツィアと歴史的立場」(雑誌「人間」昭和24年12月)。
鶴見は抽象的な思想あるいは原理の支配を批判する。しかし、西洋あるいはアジアでは、 そのような批判が必要且つ有効であろうが、日本では、話はそう簡単ではない。知識人が 支配したことがないし、思想や原理が支配したことがないからだ。ゆえに、簡単にそれを 「漢意」(本居宣長)として斥けることができる。むしろ、日本に必要なのは「思想」あるいは 「原理」なのだ。丸山はつぎのように述べている。

日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、 人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗 教がないこと、ドグマがないことと関係している。 イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎな い。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はない んですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。ドストエフスキーの『悪霊』な んかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あ そこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないん じゃないですか。 人を見て法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていい たくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思う んです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけで はなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間 が見えなくなったところからきている。しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつか れる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想に よって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思 想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。(針生一郎との対談『丸山座 談5』p138-139)

《あらゆる思想は実生活 から生まれる。併し生まれて育った思想が遂に実生活に訣別する時が来なかったならば、 凡そ思想といふものに何んの力があるか》(小林秀雄「作家の顔」)

僕は「ニュー・アカデミズム」は本質的に思想運動ではなく「闘争」だったと思っています。その「闘争」は、出発点において共同体内の戦いだった。浅田彰にしても中沢新一にしても、その戦いを一つの攻撃として組織したんだと思います。そうした姿勢を勇気づける雰囲気はある程度準備されてはいましたけれど、より持続的な戦いの端緒として『構造と力』や『チベットのモーツァルト』は出版されたわけです。その際、共同体内の敵はもっと強力なものだという自覚があったはずです。その自覚とは、あっさり蹴散らされるほどの理論的な強力さではなく、いわば無視されるといった程度の負の強力さを予測していたということです。

ところが、仮想敵がまるで強くなかった。浅田氏にしろ中沢氏にしろ、積極的な敵意に出会う以前に共同体内的な嫉妬によって受け入れられ、それをバネにして共同体内で勝利してしまったのです。これは、日本社会の無責任的な柔構造にからめとられたということにほかなりませんが、大学といった「アカデミズム」の場にまで拡がり出しているこの柔構造の無責任性は、いつでも逆転しうるものだ。王殺しはたえず共同体的な健康維持として可能ですが。ところで、いわゆる「ニュー・アカデミズム」が一時的に占有しえた王の位置というのは、彼らが意図してそこについたわけのものでない。いわば、彼らの書物が読まれたことからくる思想的な勝利ではなく、共同体が容認しうるイメージに翻訳された観念に支えられたものでしょう。「アカデミズム」でさえ、そのイメージに汚染されているわけで、まあ、僕の場合なら、そうしたイメージ汚染の現状を物語批判として展開したのだけれど、「ニュー・アカデミズム」の当事者たちの方は、ある程度、そのイメージ汚染の醜悪さを楽しんでいました。それが柄谷さんのいう「調子に乗ってやってきた」という側面だと思いますが、いまや、彼らの書物が持っていた「闘争」性があらためて問われるときだと思う。(蓮實重彦『闘争のエチカ』P176)

 …………

柄谷行人の「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)」には次の文がある。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理 論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。

「第三の立場」を言い募るだけでは、永遠の「モラトリアム」になってしまう。もちろん「モラトリアム=引き篭もりがかならずしも悪いわけではない。ただ「永遠」がいただけないだけだ。

人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。(……)

今日の進歩的な政治の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判への第一歩は、受動性の中に引き篭もり、参加を拒否することだ。この最初の一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。(ジジェク『ラカンはこう読め!』p54)

永遠の「ひきこもり」者とは次のような手合いである。

私が思うに、最も傲慢な態度とは「ぼくの言ってることは無条件じゃないよ、ただの仮説さ」などという一見多面的な穏健さの姿勢だ。まったくもっともひどい傲慢さだね。誠実かつ己れを批判に晒す唯一の方法は明確に語り君がどの立場にあるのかを「独断的に」主張することだよ。(「ジジェク自身によるジジェク」私訳)

上にあげた柄谷行人の丸山真男小論には、《カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ》とあるように、柄谷行人の主著のひとつ『トランスクリティーク』の繰り返しである。

カントやマルクスはたえず「移動」をくりかえしている。そして、他の言説体系への移動こそが、「強い視差」をもららすのだ。亡命者マルクスにかんしてそれはいうまでもない。実は、カントに関しても同じことがいえる。彼は空間的にはまったく移動しなかったが、移動への誘いを拒否したことにおいて、そしてコスモポリタンであり続けたことにおいて、一種の亡命者であった。一般に、カントは、合理論と経験論の「間」にあって、超越論的な批判をした人だとされている。しかし、『視霊者の夢』のような奇妙な自虐的なエッセイを見ると、カントがたんに「間」で考えたなどとはいえない。彼もまた、独断的な合理論に対して経験論で立ち向かい、独断的な経験論に対して合理論的に立ち向かうことをくりかえしている。そのような移動においてカントの「批判」がある。「超越論的な批判」は何か安定した第三の立場ではない。それはトランスヴァーサル(横断的)な、あるいはトランスポジショナルな移動なしにはありえない。そこで、私はカントやマルクスの、トランセンデンタル且つトランスポジショナルな批判を「トランスクリティーク」と呼ぶことにしたのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』p21)
カントがいっているのは、自分の視点から見るだけでなく、「他人の視点」からも見よ、ということではない。そのようなことならありふれている。なぜなら、「反省」とは他人の視点で自分を見ることであり、哲学の歴史はそのような反省の歴史なのだから。しかし、ここでカントがいう「他人の視点」はそのようなものではない。それは「強い視差 parallax」においてしかあらわれない。(『トランスクリティーク』p78)

ジジェクは、よく知られているように、この柄谷行人の「視差 parallax」を借用して、パララックス・ヴューという表題をもつ大著を書いたわけだ。

In his formidable Transcritique, Kojin Karatani endeavors to assert the critical potential of such a "parallax view": when confronted with an antinomic stance in the precise Kantian sense of the term, one should renounce all attempts to reduce one aspect to the other (or, even more, to enact a kind of "dialectical synthesis" of the opposites); one should, on the contrary, assert antinomy as irreducible, and conceive the point of radical critique not a certain determinate position as opposed to another position, but the irreducible gap between the positions itself, the purely structural interstice between them. Kant's stance is thus "to see things neither from his own viewpoint, nor from the viewpoint of others, but to face the reality that is exposed through difference (parallax)." (Is this not Karatani's way to assert the Lacanian Real as a pure antagonism, as an impossible difference which precedes its terms?) This is how Karatani reads the Kantian notion of the Ding an sich (the Thing-in-itself, beyond phenomena): this Thing is not simply a transcendental entity beyond our grasp, but something discernible only via the irreducibly antinomic character of our experience of reality.(”The Parallax View”)
今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)

哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)

…………

《丸山真男ぐらいは高校までにクリアしといてほしいと思うよ》とオッシャル人もいる。そこのメタレベル批判を反復させる「貴君」たちよ、わかるかい?

日本の教育について、乱暴を承知であえて世代論的にいうと、昔は、良くも悪くも、権威があり、権威に対して反抗するってことがあったけど、70年代後半からは、権威をつぶすことしかやってこなかった連中が教師になったわけだから、権威なんて全くない、それこそ反抗の対象になんかなりえないわけ。そんな中で、最低限の常識さえ崩れちゃったんだね。オウム真理教事件なんか見たって、人は宙に浮かないとか、来世について有意味に語ることはできないとか、そのくらいなことは小中学校でちゃんと教えといてほしい(笑)、あるいは丸山真男ぐらいは高校までにクリアしといてほしいと思うよ。

ところが、そういう最低限の常識さえ無いみたいなんだな。全共闘が大学の研究室の本を放り出したとき、丸山真男は、ナチスにも匹敵する暴挙だって言った。それに対して、吉本隆明は、国民の税金で買った本を後生大事に独占するようなやつが何を偉そうに言うかって批判した。その時点では吉本隆明が勝ってるわけ。ところが、吉本隆明におだてられた全共闘は、本を捨てただけで、その後に何も作れなかった(笑)。丸山真男を超えたつもりで、あるいは左翼からさらに新左翼にいって近代を超えたつもりで、実は前近代的な共同体主義に戻っちゃってた。その連中が親や教師になってるわけじゃない? だから、若い連中が今ごろになって丸山真男なんかを「再発見」するのも仕方がないと思うし、そうやって近代の最低限の常識は身につけてほしいと思うけど、だからと言って、ぼくらが今さら言いたくもない、ほんとに徒労感が募るばかりだよ。(浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か」)


というわけで、「知の密教主義者」、「知的スノッブの三バカ」「知的スターリニスト」(吉本隆明曰く)の三人の引用をしてしまったぜ。それとジジェクだな。この四人に《騙される連中は馬鹿として放っといていいと思っているんですが》


◆蓮實重彦と浅田彰の対談『新潮』(2005年5月号)より 
 
ラカン派であれ何であれ、精神分析には分析を受けることでしか伝わらない何かがあって、それは映画作家から映画作家にしか伝わらないものがあるというのに近いんです。それを、ラカン派というのは要するにこういうものなんだよ、とマンガ的に図解した途端、それは嘘になってしまうわけです。(中略)……(ラカンの娘婿である)ミレールの校訂するラカンのセミネールより海賊版の方が正確なのに著作権継承者として海賊版の出版を差し止めたりするといった状況になっているとき、旧社会主義政権下のスロヴェニアの反体制知識人で、ヘーゲル=マルクス主義のベースを除けば、アメリカ文化への憧れから映画でも何でも貪欲に吸収してきたに過ぎないジジェクという野蛮人が無手勝流で乗り込んできて、ヒッチコックをラカン的に理解するというか、むしろラカンをヒッチコック的に理解してみれば、要するにこうだろう、とマンガ的に整理した、それでずいぶん風通しがよくなって、ラカン=ミレール派が世界的に流通することになったわけですね。

◆『「ブレードランナー」論序説 映画学特別講議』はどのように読まれたか 

畏れのなさからくるはしたなさは、あるときそれが一人歩きして、見なくとも語れるという安易さをあられもなく肯定してしまう。ジジェクも陥っているその無惨さについては、加藤幹郎が『「ブレードランナー」論序説』で厳しく批判していますが、ジジェク派というかその無邪気なエピゴーネンは、できればものなど見ずにやりすごしたい人類の思惑と矛盾なく共鳴しあってしまう。ジジェクに騙され る連中は馬鹿として放っといていいと思っているんですが・・・・・(蓮實重彦)

◆蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.2 

……じゃあ絶対にやらなければいけないことは何かといったとき、ラカン的な意味での「réel(現実)」について論ずることがそうかというと、そうではないと思う。その種の「réel」について論ずることには形式的にある種の安易さがあって、その安易さは、ニーチェもいうようにカントの「物自体」から始まったといってもいいですけれど、やたらな人間がそれに言及すると、世界を必要以上に単純化してしまう。ですから、許せないのは、私ひとりが許せないっていったってどういう意味もないんですが(笑)、ジジェクの書いている映画論なんか読むと、腹が立ちます。世界も、映画も、それほど単純なものではない。そもそも無限の情報量で充満した画面を、お前さんはくまなく見ているのか。見ているはずがありません。ラカンだって見ていない。にもかかわらず、「réel」という殺し文句を口にしてしまう。そのことの安易さについては、フィクション論の『「赤」の誘惑』でも論じておきました。「表象不可能なもの」について論じるひとの多くもそうですが、ごく単純に言語記号の配置が読めない主体に、仮眠中の記号を目覚めさせる資質も能力もない主体に、「réel」など論じてほしくない。


2014年3月19日水曜日

「理系/文系」、あるいは「超越論的」をめぐる備忘

今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)

哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)

最近、「STAP細胞」事件にかかわって、「理系」「文系」という語彙が巷間に飛びかっているが、そして論文の書き方についてもその語彙を通して是非論が問われているが、それらのすべてではないにしろ、その多くは「超越論的なもの」を問う姿勢の重視/軽視ということがあるのではないか(いや、もっと低レベルの話に過ぎないというひとはいるかもしれないが)。

※「超越論的」とは、あらゆる(可能な)経験の条件に関わるということであり、まずは「超越論的」 (transcendantal)と「超越的」(transcendent)の二つの形容詞を混同してはならない。超越的とはいわゆるメタ、上からの視線などと言われるものだが、超越論的とは、経験を根底から規定しつつも経験と同じレベルに位置する。

ーーと書いたが、ほとんど「剽窃」であり、出典を明らかにしておこう→「映像について何を語るか-ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-」 (箭内 匡)

理系/文系の議論に関して、たとえば、東京大学医科学研究所の武藤香織教授は、《理系論文の「背景」・「目的」部分への労力/評価のバランスを見直そう》という項目を立て、次のように書いている。

 文系の研究者からみますと、生命科学(あるいは理系全般?)の研究者は、論文の「背景」・「目的」に対する思い入れが少なすぎます。この思い入れのなさの原因は、論文のインパクトが「方法」と「結果」であって、「背景」と「目的」にかける執筆労力も、論文全体からみた配点/評価も低く割り当てられているためではないでしょうか。従って、執筆者もその上長も、「背景」・「目的」におけるコピペへの垣根が極めて低く、むしろ常態化しているのではないかとも感じます。このことは、生命科学・医学の世界にやってきたときのカルチャーショックの一つでもありました。

 個人研究を中心とする文系の研究者にとっては、自分のレゾン・デートル証明のためにも、論文の「背景」「目的」は、極めて重要な執筆過程になります。逆に、文系の研究者の論文は、「方法」部分の記述が全体としてpoorになりやすく、「結果」「考察」の区別をつける必要性は研究領域によっても異なるため、論文が「作品」/「エッセイ」/「論説」になりやすいリスクを秘めていることも指摘しておきます。

ところで、柄谷行人は80年代の終わりに次のように語っている。

ポスト・モダニズムについては、僕もさまざまな、かつ相互に矛盾しあうような考えをもっています。ある者たちに対して、僕は、自分はポストモダンだと宣言するでしょう。しかし、それは、ポスト・モダンがモダンのあとにくる「状態」や「段階」でなのではなく、モダンなものに対してその自明性をくつがえすという“超越論的”な「姿勢」であるかぎりにおいてです。だから、それは「状態」としてのポスト・モダンに対しても向けられなければならない。(柄谷行人『闘争のエチカ』P18)


ここにも「超越論的」という言葉が出てきている。柄谷行人はいたるところでこの「形容詞」をめぐって語っているが、ここでは『トランスクリティーク』から。

カントの哲学は超越論的――超越的と区別されるーーと呼ばれている。超越論的態度とは、わかりやすくいえば、われわれが意識しないような、経験に先行する形式を明るみにだすことである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P17)

 すなわち、《自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということ》であり、《超越的、つまりメタレヴェルに立って見下すものではなく、自己自身に関係していくもの》(『闘争のエチカ』P53)ということになる。

あるいはもうすこし遡って80年代前半に書かれた書物からなら、次のような文を抜き出すことができる。

人間が作ったものと自然が作ったものの差異はなにかという問いは、それ自体歴史的である。実際この問いが生じるのは、またテクネーの意味が問われるのは、 きまってテクノロジーが飛躍的に発展するときである。(……)サンボリストたちの問題意識は、19世紀のテクノロジーに密接に関係するのである。今日において、構造主義は、いうまでもなく、コンピューター・サイエンスの所産である。逆に、現代のテクノロジーに無関係にみえるような哲学者の言説においても、 本質的にこの関係が存する。たとえば、ジャック・デリダがアルシエクリチェールについて語るとき、分子生物学が遺伝子をエクリチュールとしてみているとい う事実の上である。

このことは何を意味するのだろうか。第一に、われわれはもはや伝統的な用語によって語るべきではなく、すくなくとも現代のテクノロジーの達成を前提としておかねばならない。さもなければ、それはわれわれを伝統的な思考の圏内に閉じこめてしまうだろう。だが、同時に、われわれは歴史的な過去に遡行しなければならない。それは、現代のテクノロジーが与えている「問題」が、そのなかで解かれるべきものであるどころか、一つの反復的な症候にすぎないことを知っておくべきだからだ。さらに、もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』 講談社版1983)


すこし長く引用したが、最後の《もっとも重要なことは》として書かれている箇所が「超越論的」にかかわる。

柄谷行人はこの同じ『隠喩としての建築』で、ゲーテル問題に触れるなかで、次のように書いている。

実際の数学の発展は“基礎”などに関知しない“応用数学者”によってなされており、また数学の発展はつねに“非合理的”になされてきたのである。他方“純粋数学者”もまた“基礎”にかかわるかぎりペーパーを書けないという体制の下で、“基礎”にかんして無関心である。(『隠喩としての建築』)

もちろんすでに形成された「意識」、あるいは「構造」そのものを超越論的に疑う原理的な科学者も稀には存在するだろう。だが殆どの科学者が凡庸な「応用科学者」であるには違いない、それはほとんどの「思想家」を称する者がそうであるように。

ーー柄谷行人の「ゲーテル問題」の扱いは毀誉褒貶が多かったのを知らぬわけではない。ここではひとつ、野家啓一氏の評言を抜き出しておこう

柄谷は「形式化」の極限において体系がパラドックスに陥り、内部から自壊せざるをえない構造機制を不完全性定理にちなんで「ゲーデル問題」と名づけてい る。かつて『隠喩としての建築』を読んだ時、私はその着眼の卓抜さと鮮かなレトリックには感嘆したものの、「専門学者」としての見地から、彼のゲーデル理 解とその敷衍の仕方には一種の「あやうさ」を感じざるをえなかった。というより、その「あやうさ」が後にエピゴーネンたちによって増幅され、「ゲーデル問 題」が過剰な意味づけをされたまま安易なメタファーとして一人歩きし始めたことに危惧の念を覚えたのである。柄谷の問題提起の切実さに比して、一般に流布した「不完全性定理」の解釈はいかにも厳密さを欠き、寸足らずの安手の衣服をまとわされているように見えた。しかし、柄谷が抱え込まざるをえなかった困 難、あるいは彼がそのような〈問題〉に逢着した必然性は、私なりによく理解できたつもりである。(「柄谷行人の批評と哲学」(『国文学』1989年1月号)

…………


ところで、「超越論的」だけでなく、ドゥルーズには「超越論的経験論」という奇妙な言い方がある。なぜ奇妙かといえば、ごく標準的には「超越論的/経験的」は相対するものだからだが、昨年末に上梓された評判の高い書には次のような説明があるようだ。

今ここで立ち騒ぐ経験の断片それぞれが、複数的な外部性である。これは、経験を別のしかたにする条件を経験の断片たちから得る、すなわち、経験の断片たちを複数的に超越論的なものにする立場であり、これがドゥルーズの「超越論的経験論」なのである。(千葉雅也『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 』)

わたくしはこの著が手元になく、インターネット上で拾っただけなので、これだけだと分かりにくい。

浅田彰による次のような説明であったらどうだろう。

ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、いちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。

その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。

つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されていたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになるわけです。

ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じたところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。

諸能力を、超越論的というより、超越的に使用すること、つまり、それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、やはりランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていかなければならない。そのような経験に定位するのが、高次の経験論、つまり超越論的経験論だということになるわけです。(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)

おそらく優れた科学者は(あるいはある種の人文系思想家も)、このドゥルーズの超越論的経験論者としての実践をしているのではないか。《それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破》ること。人文系であっても、ひとはつねに超越論的ばかりに振舞っていては、身動きがとれなくなってしまうことがありがちなのだから。


すこし文脈から外れるが、浅田彰はポール・ヴィリリオの「事故の博物館」をめぐる話題のなかで書かれる次のような文を附記しておこう。


繰り返すが、ヴィリリオを引くまでもなく科学技術の問題はきわめて重要だし、「あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考」はとことん徹底されなければならない。しかし、それがすべてだ、それ以外のいわゆる哲学的(あるいはもっと広く人文学的)な思惟などと いうのはノンセンスな夢想に過ぎない、という実証主義的批判は、それ自体、大昔から繰り返されてきた紋切型に過ぎず、受け入れることができない。必要なのは、すべてを工学的思考に還元することではなく、人文学的なものを工学的に思考すると同時に工学的なものを人文学的に思考することなのだ。私は「事故の博物館」の頃から(いや、もっと以前から)現在にいたるまで、そのような立場を一貫して維持してきたつもりである。そして、それが最初に示唆するのは、地球 環境問題が、もとより主観的な良心の問題(「やるだけやったし、まいっか」)ではないと同時に、客観的な工学の問題に尽きるものでもなく(現在をはるかに 凌ぐ計算力をもったシミュレータが出現しても、最終的にすべてを明確な因果関係によって把握することはできないだろうが、問題は、むしろ、そうした不完全 情報の下でいかに判断するかということなのだ)、文明のあり方そのものにかかわる思想的・政治的・社会的な問題だということなのである。。(『続・憂国対談』)

2014年2月10日月曜日

「えらくなろう」という不滅の幼児願望

蓮實重彦の伝説の言葉(真偽は確かではない)「私を偉そうと言う人がいますが、偉そうなのではなく、偉いのです」における「偉い」というのは、承認欲求のみみっちい競争をやめて、非意味的切断で勝手なことをやるということです。だから若者には「偉そうなのではなく偉い」態度で行け、と言いたい。(千葉雅也ツイート)

この「偉い」は、『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』における渡部直巳との対談のなかでの発言だったはず。

ところで浅田彰が最近の対談で《不良なんだからもっと偉そうにしてりゃいいじゃないですか》と発言しているようだ(インターネット上から拾ったので前後関係は不詳)。

この「偉そう」は、蓮實重彦の発言の文脈では、「偉そう」ではなく、「偉くしていればいいじゃないですか」としたほうがいいだろう。


 ◆SPA抜粋 2/11・18合併号 
浅田彰)……東浩紀さんなんてとても優秀な人だと思うし、柄谷行人さんと僕で編集していた『批評空間』でデリダ論(『存在論的,郵便的』)を書いてくれたことはありがたいですよ。あれは単行本で一万部くらい出て、15年たった今でも本屋で売れている。それが最大の承認でしょ?
ところが、例えばアニメについてツイートしたら、すぐにレスポンスが来る。それが承認だと思っちゃったんじゃないか-そんなの、翌日にはなかったも同然なのに。

そういう即時的レスポンスを求めて、彼は情報社会論とおたく文化論に行った。彼の時代認識に基づく決断だったから反対はしないけど、 何十年も読まれる本を書ける人なのにもったいない気がするんだな。やっぱり、反時代的な孤高の姿勢を、演技でもいいから貫かないと、思想や文学なんて不可能じゃないですか。

ツイッターなんかでの評価を気にしすぎなんですよ。千葉さんのドゥルーズ論『動きすぎてはいけない』について、僕は「不良の思想であるところが面白い」と褒めたけれど、不良なんだからもっと偉そうにしてりゃいいじゃないですか。もっとも、東浩紀がオタクをデータベース的動物として評価したのに対し、単に動物的なものとして切り捨てられたヤンキーの一部であるギャル男も実はデータベース消費をしてるってのが千葉さんの論点なんで、どうしてもネットでのコミュニケーションを過剰に意識しちゃうのかもしれない。

NHKの討論番組に若手論客と呼ばれう人たちがよく出てくるじゃないですか。2、3分しか見ないけれど、情報の整理も討論もなかなか上手だと思いますよ。
しかし、あれではほとんど学級会でしょう。「良心的」な「優等生」が、ネットも駆使してマイノリティの声を取り入れましょう、民主主義をヴァージョン・アップしましょう、と。
僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。
21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。

福田和也)「それ、本気で言ってんの?」という。最初はジョークかと思ってたけれど。

浅田彰)代議制の可能性と限界については昔からいやというほど論じられてきた。そういう記憶が失われているのかもしれない・・・。

浅田彰)京大の人文研にいる、東浩紀の同級生でディドロ研究者の王寺賢太が、國分を呼んでスピノザ論を聞いたことがあるんです。
僕は昔から、先行研究を踏まえた手堅い優等生研究ってのは好きじゃなかったんだけど、國分は、驚くべきことに、ドゥルーズやネグリのみならず、古典的なスピノザ研究の蓄積についてもほとんど言及せず、ひたすら「僕のスピノザ」を大声で得々と語るわけ-腐っても人文研の研究会で。 思わず「あなた、バカって言われない?」と聞いちゃった。

もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように生まれるわけですよ。哲学の理論体系はだいたいヘーゲルで完成されており、それと現実とのずれの中でヘーゲル的な円環を突き破るようにしてマルクスの意味での批判=批評というのが始まり、我々もその前提の上でやってきた。ところが、國分なんかは自前の哲学を語りたいらしい。
じゃあ何を言うのかと思えば、住民投票による「来るべき民主主義」とか、おおむね情報社会工学ですむ話じゃないですか。哲学や思想というのは、何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試みなんで、可能な範囲での修正を目指すものじゃないはずです。

ともかく國分のような「似非優等生」よりは千葉のような「不良」のほうが面白い。
ただ、自己批判しておくと、僕はガキのアナーキーをあえて肯定する立場だったんだけど、その前提をもっと強調しておくべきだったかもしれない。
ドゥルーズ&ガタリの概念に「マイナーになる」-女性に、子供に、動物に、知覚不能になる、というのがありますね。
しかし、子供に「なる」のと、子供で「ある」ことに居直るのは、全然別のことです。
大江健三郎がアドルノやサイードを踏まえて言う「晩年様式」じゃないけれど、老人が子供に「なる」ときに新鮮な驚きを感じたりするのであって、子供で「ある」ことに居直ったままでは子供に「なる」ことはできない。
というわけで、死にそびれたことでもあり、ここは潔く転向して・・・。福田さんは昔から一貫して、「成熟が必要だ」と。
僕は僕で、子供に「なる」ためにこそ成熟が必要である、という当たり前のことを言っておかざるをえない、と。

この発言の一部は浅田彰ならそう語るだろうと以前に推測したもので、浅田彰と蓮實重彦の対談「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田彰中央公論2010年1 月号、)を引用したことがある(ふたりの対談内容はくどくなるので再掲しない)。

そこでは己れの拙い印象を次のように書き始めている。

《ドゥルーズ研究者の評判の書を、序章、一章、二章と読みつつ、ツイッター上やらブログで感想を呟き、それを著者がリツイートしたり、感謝の念を表明する。

こんな現象がこの一週間ほど頻発している。

ダイジョウブカネ
クルッテルゼ
ハシタナイ連中ダ

…………》

もっとも浅田彰は福田和也氏の対談では千葉雅也氏のヤンキー論ベースの切り口にも言及しており、その立場を顧慮して、《単に動物的なものとして切り捨てられたヤンキーの一部であるギャル男も実はデータベース消費をしてるってのが千葉さんの論点なんで、どうしてもネットでのコミュニケーションを過剰に意識しちゃうのかもしれない。》と語っているが、このあたりのことについてはわたくしは全く不案内である。

いずれにせよ、冒頭の千葉雅也氏のツイートは、昨年末来、蓮實重彦との対談や、浅田彰の批評(吟味)を織り込んでの《承認欲求のみみっちい競争をやめて、非意味的切断で勝手なことを》やりましょうという若者へ向けてのメッセージのはずだ。

すなわち千葉氏からみても《承認欲求のみみっちい競争》ばかりが目につくということだろう。

実際ツイッターを眺めていると、人文学系の研究者だけでなくたとえば「芸術家」の範疇に括られる仕事をしている人たちでも、もっと「偉そう」、いや「偉く」していたらいいのに、と感じることがある。そんなに媚をふりまいて気に入られようとしなくてもいいのではないかと。

だが彼らも生活がかかっているはずであり、人文学や文芸への公衆の関心が凋落しつつあるのが事実とするならば《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消》(ヴァレリーーー「承認欲望と承認欲動」より)せざるをえない状況にあるのかもしれない。

だがそうして自らの作品や書き物の宣伝活動をすると失われるものがある。ジョン・エルスターが「本質的な副産物であるような状態」といったものの「魅惑」、すなわち〈対象a〉としてのアウラが。もちろんいまどきアウラなどというのは時代錯誤もはなはだしいという立場があるのを知らないわけではない。

もし私が意識的に威厳を保とうとしたり、他人から尊敬を集めようとしたら、滑稽な結果になってしまうだろう。きっと私は下手な役者のように見えることだろう。これらの状態の根本的パラドックスはこうだーーそれらはきわめて重要なのだが、それをわれわれの行動の直接的な目標にしたとたん、逃げていってしまうのである。そうした状態をもたらす唯一の方法は、その状態をめざして行動するのではなく、他の目標を追求し、それらが「自然」に生まれるのを望むことである。たしかにそれらはわれわれの行動に属しているが、究極的には、われわれが何をするかによってではなく、われわれが何であるかによってわれわれに属している何かなのである。このわれわれの行動の「副産物」にラカンが与えた名前は<対象a>である。これは隠された財宝、「われわれの中にあって、われわれ以上のもの」、すなわち、われわれの肯定的特質のいずれと結びつけることもできないにもかかわらず、われわれの行動すべてに魔法のオーラを投げかける、捉えどころがなく、手の届かないXである。(ジジェク『斜めから見る』p148)

蓮實重彦が《読むという秘儀がもたらす淫靡な体験が何の羞恥心もなく共有されてしまっているという不吉さ》と比較的最近のエッセイ(『随想』)で書くのも、ある部分ではそれにかかわるのではないか。

もっとも若いひとたちからは、次のような反発はあるだろう、蓮實重彦や浅田彰はすでにある時期に大いに「承認」された人物であり、承認欲求うんぬんを批判するのはもうすでに承認に食傷しているからにすぎない、と。

たとえば《隠れた人生が最高の人生である》(デカルト)やら《自己でありたくない欲望》(ヴァレリー)としたひとたちでさえ、実際にそうであったかは疑わしい。

デカルトがスウェーデン女王クリスティーナに招聘された(女王のために講義をしてわずか1ヶ月で体調を崩し、肺炎で亡くなった)のは、ただ生活のためだけだったとは思われない。

またしてもヴァレリーであるが、「あなたはなぜ書くか」というアンケートに「弱さから」と答えていたのは、そのとおりだと思う。執筆者とは自己不確実に悩み、批評に傷つき、ひそかに称賛によって傷口に包帯を当てている存在だと仮定して、編集者は間違わないだろう。(中井久夫「執筆過程の生理学」)

ほかにも職業としての詩人の立場を固持した谷川俊太郎、すなわち大学の先生とかの定職をもたなかった谷川は、公衆に承認される試みをときにはせざるをえなかったとすることができるだろう。《まあちょっと世間にサービスしすぎじゃないのかな、こういうのは歌謡曲の作詞家に任しておけば良いんじゃないのかな、なんて僕などはつい意地悪く考えてしまうこともある》(松浦寿輝 現代詩――その自由とエロス)


ところでフロイトは『夢判断』で、己れの夢を分析して《不滅の幼児願望たる「えらくなろう」》と書いている。

……なぜ私が日中思想の、ほかならぬこの代用物を選ばなければならなかったのか。これに対しては、ただ一個の説明があるのみであった。R教授との同一化に対しては、この同一化によって不滅の幼児願望たる「えらくなろう」という願望が充足させられるのであるから、私はすでに無意識裡にいつもその用意をしていたのである。(フロイト『夢判断』高橋義孝訳)

「えらくなろう」などという「はしたない」幼児願望はすでに拭い去ったよ、と「成熟」したつもりのひとたちもいるだろう。だがそれはそんなに簡単に払拭できるものではないのではないだろうか。

小児性を克服できずに育った、とこれを咎める者もいるだろうが、とても、当の小児にとっても後の大人にとってもおのれの力だけで克服できるようなしろものではない、小児期の深傷〔ふかで〕というものは。やわらかな感受性を衝いて、人間苦の真中へ、まっすぐに入った打撃であるのだ。(古井由吉――幼少の砌の髑髏)

「えらくなろう」という言い方に抵抗があるのならば、「愛されたい」でもよい。それは「母」の愛を独占したい、という願いだ。

人間の幼時がながいあいだもちつづける無力さと依存性……。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我の分化が早い時期に行なわれ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない、愛されたいという要求を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』 フロイト著作集 旧訳)

これは無力な乳児として生れたわれわれ人間の原トラウマのようなものであり、誰もが否定するわけにはいかず、いくら後年「成熟」して拭い去ったつもりでも、ふとしたはずみにこの心的外傷は露顕する。

愛されたい欲望、それは、愛する対象objet aimantがそれとして捉えられる、対象としての自分自身の絶対的個別性のうちに鳥もちづけられ、隷属させられる欲望です。愛されることを熱望する人は、自分の美点son bienのため愛されることにはほとんど満足しません。これはよく知られています。彼の希求は、主体が個別性への完全なsubversionに行くほど愛されること、この個別性がもちうる最も不透明で最もimpensableなものにsubversionされることです。人はすべてが愛されたいのです。On veut être aimé pour tout.彼の自我のためだけではありません。デカル卜はこう言います。彼の髪の色、奇癖、弱さ、すべてのために愛されたいのです。(ラカン セミネール一巻『フロイトの技法論』)

巷間に「承認欲求」といわれるものの起源のひとつはこのフロイトやラカンの指摘にあるはずだ。

…………

ところでもう一度浅田彰のSPAの対談の発言に戻れば、「哲学者」として、もう一人の人気者國分功一郎に対し、「似非優等生」「あれではほとんど学級会でしょう」などとしている。

國分功一郎氏はキルケゴールのシンポジウム開催をめぐって、次のようにツイッターで発言している。

研究者に限らないかもしれないが、世の中には「…しないと…できない」という発想が多すぎる。僕は「…すれば…できる」という発想を多くの人に持ってもらいたい。どこぞの組織が後ろ盾にならなくても、こんな素晴らしいシンポが開けるし、それを出版もできるんだ。

これは通俗道徳としては「正しい」のだろうし、「啓蒙」哲学者、モラリストの言葉としては肯うのを躊躇うつもりはない(たとえばアランならそんなことを言いそうだ)。大学教師の言葉としてもふさわしいのだろう。また國分功一郎氏は若き仲間たちの「アニキ」分として振舞っており「オトウト」分たちには頼もしい存在なのだろう。もっともこうやって育てられた「弟」たちは恩義を感じて、後年互いの「批判」(吟味)がしにくくなるのではないかと邪推しないでもないが。

かれらのうちの若干の者は意志をもっている。しかし大多数の者は、ただ他人の意志によって動かされるだけである。かれらのうち、まがいものでないものも若干はいる。しかし大多数はへたな俳優だ。

かれらのうちには自分で知らずに俳優である者と、自分の意に反して俳優である者とがいる。――まがいものでない者は、いつもまれだ。ことにまがいものでない俳優は。
(……)

かれらのもとでわたしが最悪の瞞着と見なしたことはこれだ。それは命令する者も、仕える者の徳の面をかぶることである (ニーチェ『ツァラトゥストラ』「卑小化する徳」手塚富雄訳)


ところで浅田彰のいう「哲学者」、すなわち《哲学や思想というのは、何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試み》の存在であるならば、國分功一郎氏の発言はあまりにも「哲学者」から遠く離れている、あるいは高校学園祭メンタリティのように感じられないでもないのだ。もともとそういう資質なのか、あるいはなにか深謀遠慮があって「俳優」をやっているのかはわたくしには窺知できないが。

もっとも、《いまは当たり前のことを当たり前にいわなきゃいけないんだ》、と中上健次は死ぬ一年前(1991)に語っており、学級会や学園祭メンタリティーを敢えて引き受けて、若者を鼓舞するそれなりに影響力のある人物は、現代ならいっそう不可欠であるには違いない。


ここで、ニーチェの『ツァラトゥストラ』第二部の「対人的知恵」の、「虚栄的な人間」と「誇りの高い者」を、冒頭に掲げた千葉雅也氏のツイート「偉そうなひと」と「偉いひと」として読んでみよう。《虚栄的な人間にたいしては、誇りの高い者にたいしてよりも寛大だ》とニーチェが書いているのは、もちろんジョークであり、虚栄的な人間の振舞いは、見世物としては面白いということだ。

わたしの第一の対人的知恵は、人間たちがわたしを欺くのにまかせて、詐欺漢を警戒せずにいるということである。(……)

さらに、わたしの第二の対人的知恵は、虚栄的な人間にたいしては、誇りの高い者にたいしてよりも寛大だということである。

傷つけられた虚栄心はあらゆる悲劇の母ではなかろうか。それとは反対に、誇りが傷つけられた場合には、おそらく誇りよりももっとよいものが生まれるであろう。

人生がおもしろい見ものであるためには、人生の劇がよく演じられねばならぬ。しかしそのためにはよい俳優が必要である。

わたしは、虚栄的な者がみなよい俳優であることを発見した。かれらは人々がかれらを喜んで見物することを望んで演技するーーかれらの全精神はこの意志と結んでいる。

かれらは舞台にあがり、自分の工夫した姿態を演ずる。かれらのほど近くにいて、人生劇を見物することを、わたしは好む。――それは憂鬱を癒してくれる。

そういうわけで、わたしは虚栄的な人間たちを大目に見る。かれらはわたしの憂鬱の医者であり、わたしを一つの演劇に結びつけるように、人間というものに結びつけるのである。

それにまた、だれが虚栄的な人間の謙遜の深さを測りつくすことができよう。わたしはかれの謙遜ゆえに、かれに好意をもち、かれをあわれむ。

虚栄的な人間は、おのれに寄せる自信を、君たちの手からもらおうとする。かれは君たちの視線を食料にしている。賞賛を君たちの手からもらい、かぶりついてそれを食う。

この虚栄的な人間は、君たちがかれを褒めて耳をくすぐる嘘をつけば、嘘でもそれを信ずる。というのは、心の奥底でかれは、「自分はいったい何者だろう」と嘆いているからだ。

もっともニーチェがこう書くのは、彼がひどく己れの虚栄心に悩んだせいではなかったか、とすこしは疑ったほうがいいだろう。

ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和  神崎繁『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』からの孫引き)
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

最後にクンデラの『不滅』から、おそらくほとんど多くのひとがやっている自分のイメージづくりの指摘を掲げておこう。果たしてどれほどの数のひとがこの機制から免れているだろう。

《自分自身のイメージにたいする気づかい、こいつはどうも、人間の矯正しようのない未熟さなんですねえ。自分のイメージに無関心でいるのはなんとも難しい! そういう無関心は人間の力を超えている》(クンデラ『不滅』P328)
哲学者たちは、世の中の意見などどうでもいい、あるがままのぼくらだけが大事なんだと巧みに説明するかもしれない。しかし、哲学者たちには何も分かっていないのさ。ぼくたちが人類諸氏のなかで生きている限り、ぼくたちは人類諸氏によってこうだと見られる人間にされるだろうね。他のひとたちがぼくたちのことをどう見ているだろうかと考えこんだり、ひとの眼にできるだけ感じよく見られようと努力したりすると、腹黒い奴とか策士だとみなされるものなんだな。だけど、ぼくの自我と他人の自我のあいだに、直接の接触が存在するものなのかね、視線をおたがいに交わしあわなくても? 愛している相手の心のなかで自分がどう思われているか、その自分自身のイメージを不安な気持で追跡しないで、愛が考えられるものなのかね? 他人がぼくたちをどう見ているか、その見方が気にならなくなったら、ぼくらはその他人をもう愛していないことなんだよ(『不滅』P194ーー自己模倣と自己破壊)

浅田彰が《反時代的な孤高の姿勢を、演技でもいいから貫かないと、思想や文学なんて不可能じゃないですか。》と発言するときの《演技でもいいから》とは、ほとんど演技でしかありえないけれど、というふうに読んでみていいだろう。






2013年12月1日日曜日

精神健康をあやうくすることに対する15の耐性(中井久夫)

以下、備忘。

中井久夫『「つながり」の精神病理』(ちくま学芸文庫)よりからだが、手元にない書物であり、インターネット上から拾ったもの。

この文庫は2011年出版だそうだが、1987年くらいまでの論考が中心らしい。

以下、おそらくいくらか要約している箇所があると推測される。

…………


●精神健康の基準について 

健常者ということばがよく使われているが、実際にはそういう者を定義することはできない。(精神健康の定義は)精神健康をあやうくするようなことに対する耐性として定義するのがよいのではないだろうか。


『中井久夫が挙げる15の耐性』


1.分裂する能力、そして分裂にある程度耐えうる能力

 「人格は対人関係の数だけある」という考え方。
 「あらゆる人間関係に対し統一された人格がある」者の精神健康のほうが危ういのではないか、という指摘。

2.両義性(多義性)に耐える能力

 父であり、夫であり、社員であり、挫折者であり、保護者であり、掟であり、壁であり ――

3.二重拘束への耐性 

「恋人を愛している」「恋人からの電話をはやく切って眠りたい」

4.可逆的に退行できる能力

赤ん坊をあやす母親、動物に子供っぽく声をかける成人男性
(統一、成熟、人格的・常識的な「私」が)出ずっぱりでは人は持たない。
かつ、退行した精神状態からすぐに戻れること ――

5.問題を局地化できる能力

 「私はどうしてこの職業を選んだか」「この伴侶と家庭を作ることになったか」 ―― 一般的に必要充分の理由なんかない。
 問題を一般化すれば、形は堂々としたものにはなるが解決は遠のく。
特に自分に関する問題では ――

6.即座に解決を求めないでおれる能力、未解決のまま保持できる能力

 葛藤があることはすぐに精神健康の悪さに繋がらないどころか、ある程度の葛藤や矛盾、いや失意さえも人を生かすことがある ――
 「迂回能力」、「待機能力」とも深い関連がある。

7.いやなことができる能力、不快にある程度耐える能力

 「後回しにする能力」、「できたらやめておきたいと思う能力」、「ある程度で切り上げる能力」も関連能力として大事 ――

8.一人でいられる能力

 「二人でいられる能力」も付け加えたい。

9.秘密を話さないで持ちこたえる能力

 「嘘をつく能力」も関連している。
(嘘をつかないではいられないとしたら、それは“びょーき”だが)

10.いい加減で手を打つ能力

 これは複合能力で「意地にならない能力」とか「いろいろな角度からものを見る能力」、特に相手から見るとものがどう見えるかという仮説を立てる能力 ―― 「相手の身になる能力」 ―― が関連している。
「若干の欲求不満に耐える能力」も関わりがある。

11.しなければならないという気持ちに対抗できる能力

12.現実対処の方法を複数持ち合せていること

13.徴候性へのある程度の感受性を持つ能力

 身体感覚、特に「疲労感、余裕感、あせり感、季節感、その他の一般感覚の感受性」を持つことと同じ。それらは徴候として現れるからである。
 すべての能力は人間においては対人関係化するので、対人関係を読む能力は徴候性を感受する能力と関係している。
「いま、相手が親密性を求めているかいないかが分かる」こと ――

14.予感や余韻を感受する能力

 この世界を味わいのあるものにする上で重要な能力。
 たとえば芸術作品の受容・体感がこの能力を育み、野生の馬である「徴候性」と折り合いをつけられるようになっていく。

15.現実処理能力を使い切らない能力

 あるいは「使い切らすように人にしむけない能力」。

 多くの統合失調症者の発病、再発は、彼らが現実能力を使い果たした時点で起こりがち。

…………


中井久夫の『分裂病と人類』の叙述を、より一般公衆に向けてわかりやすく箇条書きにしたものとしてよいかもしれないが、それだけではない。③の二重拘束は、ベイドソンの概念であろうし、⑥は、「宙吊り」を指摘したドゥルーズのマゾッホ論の倒錯概念を想起させる。『治療文化論』のなかの記述を想起させる内容もある。

わたくしにとって新鮮なのは、⑭の予感や余韻を感受する能力(徴候感覚)の項に、《芸術作品の受容・体感がこの能力を育み、野生の馬である「徴候性」と折り合いをつけられるようになっていく》とされているなかの《野生の馬である「徴候性」》という表現で、これには初めて出会った。

予感と余韻については、『徴候・記憶・外傷』に記述が豊富である。ひとつだけ挙げておこう。
予感というものは、(……)まさに何かはわからないが何かが確実に存在しようとして息をひそめているという感覚である。むつかしいことではない。夏のはげしい驟雨の予感のたちこめるひとときを想像していただきたい。(……)余韻とはたしかに存在してものあるいは状態の残響、残り香にたとえられるが、存在したものが何かが問題ではない。驟雨が過ぎ去った直後の爽やかさと安堵と去った烈しさを惜しむいくばくかの思いとである。(中井久夫「世界における索引と徴候」P19)


徴候性と芸術の関連については、『分裂病と人類』に次のようなことまで書かれている。
マージナルなものへのセンスなしには芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』「第2章 執着気質の歴史的背」p59)

マージナルな感覚、すなわち分裂親和気質の特性であり(執着気質/分裂気質の二項対立をめぐって書かれている論でもある)、ここだけ読むと、芸術の生産と享受がありうるのは、分裂気質者だけだとも語っているようにさえ捉えられる。

もっとも次のようにも書かれていることを忘れないでおこう。

オランダの臨床精神医学者リュムケは、正常者でもすべていわゆる分裂病症状を体験する、ただしそれは数秒から数十秒であると述べている。この持続時間の差がなにを意味するのか、と彼は自問する。

私は回復期において一週に一、二回、数十分から二、三時間、“軽症再燃”する患者を一人ならず診ている(慢性入院患者がごく短時間「急性再燃」を示すという報告も別にある)。なかでも、自転車で人ごみのなかを突っ走ると起こりやすい場合があるのは興味がある。当然、追いぬく人の会話の一句二句をひろって走ることになる。この切れ切れに耳に入ってきた人のことばは、それ自体はほとんどなにも意味しないのだが、いやそれゆえにと言うべきか、聴きのがせぬ何かの(たとえば自分への批評の)兆候となる。そこからさまざまな“異常体験”への裂け目がはじまる。しかし、じっとして“ふりまわされぬ”ようにしていれば、この兆候的なもののひしめく裂け目は閉じ、すべてが過ぎ去ることが判ってきて、そのようにしているとーーー決して愉快な時間ではないがーーーいつのまにか消えてゆく。(「分裂病と人類」)

徴候感覚をめぐる美しい表現として、《もっとも遠くもっとも杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する》、あるいは《奇妙な静けさとざわめきとひしめき》がある。そして「亡霊たちのざわめき」とも。

青年期に一過性に分裂病を経験した人の数は予想以上に多数ではあるまいか。その後、社会的に活躍している人のなかにも稀れでないことは、狭い経験からも推定される。外国の例を挙げれば、哲学者ヴィトゲンシュタインは一九一三年にほとんど分裂病状態に陥っていたらしいことが最近刊行された書簡集によって知られるーー「亡霊たちのざわめきの中からやっと理性の声が聞こえてきました。……それにしても狂気からほんの一歩のところにいたのに気づかなかったとは」と。(中井久夫「分裂病と人類」)

ところで、中井久夫は『分裂病と人類』の第一章にあたるまさに「分裂病と人類」という論文について後年次のように語っている。

私の分裂病論の核心の一つは一見奇矯なこの論文にある。他の仕事は、この短い一分の膨大な注釈にすぎないという言い方さえできるとひそかに思う。S親和的な人、あるいは統合失調症患者の士気向上に多少程度は役ったかもしれない。家庭医学事典などは破滅的なことが書いてあるからである。(「『分裂病と人類』について」2000年初出『時のしずく』所収ーー中井久夫と創造の病)

上の「15の耐性」が書かれたのは、「ニューアカ」の流行現象のひとつとして「スキゾ」という語が氾濫した時期にもおそらくあたるのだろう。ほとんど「スキゾ」のすすめとも読める文である。

もっとも中井久夫はドゥルーズ=浅田彰の「スキゾ」は、中井久夫の「分裂症」概念とはすこし違うと語っている。
……名称も最初から「スキゾ障害」とすればよいのではと思って提案してみたこともある(『最終講義』みすず書房,1998年)。もっとも,「スキゾ的」ということばは,フランスの哲学者がすでに少し違った意味に使っていて,勉強している精神科医は知っているから,それが妨げになるだろう。いずれも,公衆から遊離しているという批評は甘受せねばならなかったところだ。 (中井久夫「統合失調症」についての個人的コメント)



いずれにせよ、いまは2000年前後の「解離」概念、それ以降の「自閉症」、あるいは「アスペ」概念などが、文化・社会的変動に伴って「流通」しているわけで、分裂親和型気質の特徴による「精神の健康」は、現在そのまま鵜呑みにするわけにはいかないにしろ、三十年経った今でも、上の「15の耐性」は示唆溢れる指摘であるだろう。


…………

11月29日、京都造形芸術大学大学にての討論 『逃走論と切断論 ―いまドゥルーズをどう読むか』 講師:千葉雅也 討論者:浅田彰・成実弘至にて、たぶん千葉雅也氏か、浅田彰のまとめなのだろう、こんなことが言われているようだ。






「フィニチュード」とあるのは、メイヤスーから来ているのだろう。あと、アスべを<傍>の思考、クローン(分身)としているところがすこし面白い。

※浅田彰のメイヤスーに言及した小論「メイヤスーによるマラルメ」


ひきこもり者がつねにアスベルガー的資質をもっているわけではないだろうが、アスベの項目にアイソレーション、パーシャル、仮住いなどとされていることから窺われるように、ひきこもりやおたくの議論を想起させる要素も挙げられている。

パラノ的な社会から「逃走」するのは容易ではないので、パラノ的社会で生きるための「切断」の指針ということか。もっともわたくしはアスベの議論にはまったく詳しくない。

中井久夫がスキゾをマイノリティとしつつ、次のように書いていることをも附記しておこう(これもツイッターbotから拾ったので行分け(パラグラフ分け)の実際は不明)。

考えてみれば統合失調を経過した人は、事実において、しばしばすでに社会の少数者(マイノリティ)である。そのように考えるとすれば、少数者として生きる道を積極的にさぐりもとめるところに一つの活路があるのではあるまいか。むろん、少数者として生きることは一般にけわしい道であり、困難な生き方である。私が、他によりよい選択肢がたくさんあって、なおそう主張するのではないことは、まず了解いただけると思う。

もっとも、多数者として生きることにもそれ自体の困難性があることは忘れてはならない。現にうつ病者は統合失調症患者に比して非常に少ないわけでは決してない。彼らは、生き方のいささか”不器用”な多数者側の人といえないであろうか。多数者として生きるために必要な何かがひどく不足する人もいるが、うつ病者のように(むろん相対的に、つまりその人にとってであるが)中毒量に達している人もあるわけだ。

そして、あえていえば、統合失調症を経過した人にとって、ある型の少数者の生き方のほうが、多数者の生き方よりも、もっとむつかしいわけではなさそうである。さらに言えば、統合失調症を病む人々は、「うかうかと」「柄になく」多数者の生き方にみずからを合わせようとして発病に至った者であることが少なくない。これは、おそらく、大多数の臨床医の知るところであろう。もとより、そのことに誰が石をなげうてるであろうか。彼らが、その、どちらかといえば乏しい安全保障感の増大を求めて、そこに至ったのであるからには。しかし、それは、彼らに過大な無理を強いた。再発もまた、しばしば「多数者の一人である自分」を社会にむかってみずから押しつけて承認させようとする敢為を契機としていないであろうか。

まったく、経験、それももとよりわが国だけの、そして狭い私の経験にたよって言うことだが、寛解患者のほぼ安定した生き方の一つはーあくまでも一つであるがー、巧みな少数者として生きることである、と思う。そのためには、たしかにいくつかの、多数者であれば享受しうるものを断念しなければならないだろう。しかし、その中に愛や友情ややさしさの断念までが必ず入っているわけではない。そして、多数者もまた多くのことを断念してはじめて社会の多数者たりえていることが少なくないのではないか。そして、多数者の断念したものの中に愛や友情ややさしさが算えられることも稀ではない。それは、実は誰もが知っていることだ。(「世に棲む患者」『世に棲む患者』中井久夫より抜粋)

※参照

まずファシズム的パラノイア的な型あるいは極があり、中央主権の組織体を備給し、この組織体を歴史上の他のあらゆる社会形態にとっての永遠の目的因として、これを超備給する。またもろもろの飛び地や周辺を逆備給する。あるいは、欲望のあらゆる自由な形態を脱備給する。――そう、私はあなたたちの一族だ。優越的階級と人種に属している。もうひとつは、革命的分裂者的な型あるいは極であり、欲望の逃走線をたどり、壁をうがち、流れを交通させ、自分の機械や融合集団を飛び地や周辺の中に構築する。つまりファシズム的パラノイア的な型や極とは、逆の仕方でふるまうのだ。私はあなたたちの仲間ではない。私は永遠に劣等人種に属する。私は獣だ。黒人だ。(G・ドゥルーズ/F・ガタリ『アンチ・オイディプス(下)』宇野邦一訳)

ここでのパラノイアはラカン派的なそれとは異なることに注意→ 参照:歴史学と精神医学の”区切り”


いずれにせよ、ドゥルーズにとってパラノイア的な領域というのは、《人間であるがゆえの恥辱》の領域なのだろう。


人間であるがゆえの恥辱を、まったくとるにたりない状況で、強く実感させられることもあります。あまりにも凡俗な考え方に接したり、テレビのバラエティー番組を見たり、あるいは大臣の演説や、「楽天家」のおしゃべりを聞いたりするとき、私たちのすぐ目の前に恥辱があるのです。これは人間を哲学にかりたてる動機のうちでいちばん強いもののひとつだし、またそれがあるからこそ、哲学は必然的に政治哲学になろうというものです。(ドゥルーズ『記号と事件』)


《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)