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2014年7月9日水曜日

「自らの新しさを誇示する」ための「言い換え」と「交替」

カントがいう「批判」は、ふつうにわれわれがいう批判とはちがっている。つまり、ある立場に立って他人を批判することではない。それは、われわれが自明であると思っていることを、そういう認識を可能にしている前提そのものにさかのぼって吟味することである。「批判」の特徴は、それが自分自身の関係するということにある。それは、自らをメタ(超越的)レベルにおくのではない。逆に、それは、いかなる積極的な立場をも、それが二律背反に陥ることを示すことによって斥ける、つまり、「批判」は超越論的なのである。

しかし、カントの「批判」を、べつに「批判哲学」のように限定して考える必要はない。たとえば、今日デリダやド・マンのいうディコンストラクションは、「批判」以外の何であろうか。それは、一義的な意味(真理)を、決定不能性(二律背反)に追いこむことによって無効化するものだし、批判(解体)ではなく、「批判」(脱構築)なのである。「超越論的」という言葉も同様である。それをとくにフッサールのいう意味に限定する必要はない。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

ここで柄谷行人は、「脱構築」はカントの「批判」の言い換えに過ぎないよ、と言っている。またこの『探求Ⅱ』の前に書かれた『探求Ⅰ』では、脱構築はソクラテスの「イロニー」の言い換えだよ、と言っている。

イロニーはソクラテスに於ては弁証法の主観的形態である。それは交際に際しての振舞いの仕方である。弁証法は事象の根拠であるが、イロニーは人間の人間に対する特殊な振舞いの仕方である。彼がイロニーによって意図したところは、人々をして自己を言表せしめ、自己の根本的な見解を提示せすめるにあった。そして一切の特定の命題からして、彼はその命題が表現していることの反対のものを展開せしめた。即ち彼は、その命題ないし定義に対して反対の主張をなしたのではなく、その規定をそのままとりあげて、その規定そのものに即して、いかにそれ自身と反対のものがそのうちにふくまれているかを指摘したのである。――かくしてソクラテスは、彼の交友たちに対して、彼らが何も知っていないということを知ることを教えたのである。(ヘーゲル『哲学史講義』)

ヘーゲルがいうように、ある命題を、いったん受け入れた上で、そこからそれに反対の命題を導き出して「決定不能性」に追いこみ、それを自壊させるというイロニーは、今日ではディコンストラクションとよばれている。というより、ディコンストラクショニストは、イロニーという語を避けることによって、自らの新しさを誇示してきたにすぎない。(『探求Ⅰ』)


それを言っちゃあおしまいだ、という観点もあるだろう。たとえば千葉雅也の「切断」は浅田彰の「逃走」の言い換えにすぎないという言い方もできるようだ。

浅田「ドゥルーズの話で前に言っていたけどね、(AOで)connecticutというのをconnect-i-cutとする、直訳すると「接続せよ-私は-切断する」というように、コネクション(接続)とカット(切断)が同義であるようなものとして、リゾームと言っていたわけじゃないですか。今(の若手論壇)は明らかにコネクション(接続)の方ばっかりですね。

〔……〕千葉雅也さんに今さらカット(切断)と言われてもそんなの最初からそうだよとは思うけどね。(浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか)


ところで千葉雅也氏はつぎのようにツイートしている。

@masayachiba 浅田さんの場合の逃走と、僕の言う非意味的切断はけっこうニュアンスが違うのよね。 そのあたりを読み取ってほしいですね。浅田さんは強度の人。僕は弱度の人。

微妙な差異が肝要なのであって、それは前世紀80年代の時代状況にたいして、この二十一世紀の10年代の時代の変遷に対応したドゥルーズの読み取りということもあるのだろうがーーインターネットが蔓延る時代に「強度」の切断なんていっちゃあいられない、「弱度」だよ、という具合かーー、まあそれ以外のニュアンスの差も当然あるのだろう。


さて、ここで冒頭の思想の「言い換え」の話の続きにもどれば、柄谷行人はまた、哲学の発展に見えるような主義の変遷は二項対立的な繰り返しに過ぎないよ、と言う、《実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす》。

柄谷行人の言い方を真似すれば、いま流行りの「ポスト・ポスト構造主義」(ポスト構造主義を超える)は、これも「言い換え」か、「交替」かのどちらかということになる。

……カントの倫理性は、道徳論においてのみ見てはならない。理論的であることと同時に実践的であること、この超越論的な態度そのものが倫理的なのだ。われわれは、ここで、戦後のフランスで生じた実存主義、構造主義、ポスト構造主義という変遷を別の観点から見てみよう。たとえば、実存主義者(サルトル)は、人間が構造論的に規定されていることを認めながら、なお、自由があることを主張した。それはある意味で「実践的」観点である。一方、構造主義者が主体を疑いそれを構造の「効果」(結果)として見たとき、「理論的」な態度をとったのである。彼らがスピノザに遡行したのは無理もない。先に述べたように、カントの第三アンチノミーにおける正命題は、スピノザの考えーーすべてが原因によって決定されており、ひとが自由だと思うのは、原因があまりに複雑であるからだーーに帰着する。そうした自然必然性を超える自由意志や人格神は想像物であり、それこそ自然的、社会的に規定されている。ただしその原因はけっして単純ではない。そこではしばしば原因は結果によって遡及的に構成されている。


だが、このような考えに驚くべきではない。それは一つの括弧入れによって生じる「理論的」立場に固有のものである。実存主義と構造主義、あるいは主体と構造というかたちで問われた問題は、すこしも新しくない。それはカントが第三アンチノミーとして語った事柄の変奏にすぎない。構造主義的な視点に対して、主体を強調すること、あるいはそこに主体を見出そうとすることは無意味である。なぜなら、それを括弧に入れることによってのみ、構造論的決定論が見出されるのだから。逆に、構造論的な決定を括弧に入れた時点で、はじめて主体と責任の次元が出現する。ポスト構造主義者が道徳性を再導入しようとしたのは、当然である。しかし、それが何か新たな思想でもあるわけではない。実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす。カントが明らかにしたのは、この二つの姿勢を同時にもたねばならないということである。わかりやすくいえば、われわれは括弧に入れると同時に、括弧をはずすことを知っていなければならないのだ。(柄谷行人『トランスクリティーク』P184)

※柄谷行人のこの議論は、『隠喩としての建築』におけるペルレマンの「説得の論理学」を引用しての説明が水際立っている。


いやいや、プルースト曰く、「芸術」だって進歩するというのだから、「思想」はもちろんもっと進歩する。

ベルゴットのお株をうばって私をひきつけた作家は、私が習慣にしたがって意味をたどろうとした文章の関係の不統一のためにそれの理解に苦労させたのではなく、むしろ関係の申しぶんのない統一の新しさのために私を苦労させたのであった。いつもおなじ点まできて私がはたと行きづまるのを感じるのは、私の力の出しかたが毎回おなじであることを示していた。それにしても、千に一度、その文章のおわりまでその作家についてゆくことができたとき、私の目に見えてくるものは、かつてベルゴットを読んで私が見出したものに似てはいるが、つねにそれより快い、一種のおかしさ、真実性、魅力なのであった。私は思いかえすのであった、そういえば私がいまベルゴットの後継者から期待しているものに類する、世界を見る目とおなじ一新を、そう何年もまえにでなく私にもたらしたのはベルゴットであったことを。そして、内心こんなことを自分に反問するにいたった、ホメロス時代から大して進んでいるわけでもない芸術と、たえまのない進歩の状態にある科学とのあいだに、われわれがつねに投げるあの区別には、なんらかの真実があるのだろうかと。もしかすると、芸術は、その点では普通に考えれらているのとは反対に、科学に似ているのかもしれなかった、独創的な新しい作家はいずれもおのれに先だった作家を乗りこえて進歩をとげるのだと、私には思われてくるのであった。したがって、こんにち新人といわれる作家に、二十年後になって、私が苦労なくついてゆけるであろうときには、またべつの作家が出現して、その人のまえに現在の新人がベルゴットのあとを追ってすみやかに後退しないとは、誰が私にいえたであろう? (プルースト『ゲルマンとのほう Ⅱ』井上究一郎訳 文庫P29-33)

と、ここまでは、ツイッターでクンデラBOTの次の文に遭遇して「自由連想」引用したものである(わたくしはこの種の文をEVERNOTEの「引き出し」にかなりためこんでいる)。

人間がただ自分自身の魂の怪物と戦うだけでよかった最後の平和な時代、ジョイスとプルーストの時代は過ぎさりました。カフカ、ハシェク、ムージル、ブロッホの小説においては、怪物は外側から来るのであり、それは《歴史》と呼ばれています。《講演「セルバンテスの貶められた遺産」》

すなわち、なんら意地悪な見方をするつもりはない。新しい「思想家」の皆さん、ガンバッテ下サーイ!

若い人たちは、柄谷行人や、「思想の握手会」などという旧世代のインテリなどほうっておけばよろしい。

@cbfn: 送られて来た雑誌を見ると「ポスト・ポスト−構造主義」の字が躍る。いつこんな「アウフヘーベン」が起こったのかしらと、大体がテーゼもアンチテーゼも起動した記憶がないのに。思想の握手会みたいなもんなんでしょう。ガードマン不要、ってあたりがちとさみしいか、或いは自己防衛に覚えがあるか。

@cbfn: メイヤスーなんて、パンク気取りのエコール・ノルマル・エリートの御用達思想家みたいな人、そのうち翻訳攻勢がかかるのか、翻訳なんて業績にも換算してくれない手間仕事、もう誰もやらないか。(丹生谷貴志)

さてクンデラBOTのカフカとジョイス言及にて、もうひとつの文を自由連想したので、最後に附記しておく。

ジジェクは《カフカはある意味ですでにポストモダニストであり、ジョイスの対極であって、幻想の作家、吐き気を催させるような非活性的な現前の空間の作家である、ジョイスのテクストが解釈を誘発するとしたら、カフカのテクストは解釈を封じる》とか、《ポストモダニズムはある意味でモダニズムに先行するとすら言いたくなる》とかの言葉を差し挟みながら、次のように書いている。

脱構築はすぐれてモダニズム的手法である。それはおそらく「暴露(仮面を剝ぐ)」という論理の最も根源的な形である。この論理においては、意味の経験の統一性そのものが、意味作用のメカニズムの効果としてとらえられる。そしてその効果は、それを生んだテクストの運動を無視しているかぎりにおいて可能である。ラカンにおいてはじめて「ポストモダニズム的」断絶が生じる。というのも彼は、きわめて曖昧な地位を維持しているある種の現実界的で外傷的な核を論理化したからである。〈現実界〉は象徴化に抵抗するが、同時にそれ自身の遡及的産物でもある。この意味で、われわれは次のようにすら言うことができるーー脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」であり、享楽こそが「真の〈物自体〉」であり、この中心の不可能性のまわりに、すべての意味作用のネットワークは構造化されている、と断言したラカンこそ唯一の「ポスト構造主義者」である、と。(ジジェク『斜めから見る』P267)

この書は90年代の初頭に上梓されたものだが、最近でも(たとえば『LESS THAN NOTHING2012)でも似たようなことを書いている。もっともジジェクにかかれば、なんでもラカン、なんでもヘーゲルの気味合いがある。

〈脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」〉とある。

これは蓮實重彦が『フーコーと《19世紀》』という小論で、《フーコーにとって「ポストモダン」という問題は存在しない。〔中略〕現在のエピステーメーの領域にはいかなる断絶の兆候もない。いわゆる「大理論」の成立は何の変化ももたらさず、またそれらの死と呼ばれるものも、全く効力がない。考古学者フーコーにとって、「ポストモダン」とは、いわば誤まった問題なのである。》とするのと似たような視点なのだろう。

さてこれも旧世代のいまでは後期高齢者のオッサンがこんな見解をかつて示しただけであり、「ポストポスト構造主義」は、きっとアタラシイことが言われているにチガイナイ。若き思想家の皆さん、こんなことは気にしてはいけない、真に「自らの新しさを誇示」してクダサァ~イ!

…………


「アタラシイ」などと書いてしまうと、また「自由連想」引用の連鎖になってしまう。

《「新しいこと」は十中八九、新奇さのステレオタイプでしかない》(ロラン・バルト『テクストの快楽』)。


批評は、何一つ新しい使命をもたらさない作家を、彼に先立った流派にたいする彼の横柄な口調、誇示的な軽蔑のゆえに、予言者として、祀りあげる。批評のこのような錯誤は、常習となっている(プルースト『見いだされた時』)