吉田寛 @H_YOSHIDA_1973
社会運動や政治運動は「学会の外」すなわち「学問以外の場」でやってくれ、と思いますね。「思想信条の自由」的な意味で。いかなるリベラルで正しい(そう自称する)運動も、「学問の自由」を脅かす程度には抑圧的ですから。「両者は切り離せない」とか言う人は結局まともに学問をできていない人です。
ここでの社会運動や政治運動が
何を意味するのかは瞭然としないが
いずれにせよ「象牙の塔」派なんだろうよ
象牙の塔とか、遊離した学問はいかんというようなことを言われますね。それはそれ自身いくら強調してもいいのですけれど、僕はやっぱり学問というものは生活とある緊張を保たなければいけない、そこには分離遊離じゃなくすることによって最もよく生活に奉仕するという、いわば逆説的な関係があるんじゃないかと思うんです。この考えは非常に危険なのですよ。一歩誤ると孤高になり、自分のものぐさ乃至は安易な生活態度をジャスティファイする論拠になり易いのです。僕なんかとくにそういう傾向があるので言う資格がないかも知れないけれども僕の考えはそうなんです。そうじやないと、ことに先程言いましたような、大衆文明の時代には日常的な現象に絶えず学問が引張られてしまって、時事の問題とかあるいは狭い意味の政治的要求に鼻面を引き摺りまわされて、結局学問自身の社会的使命を果せなくなる。学問じゃなくても果し得るもの、あるいは学問も果すかも知れないけれども学問以外のものでも果しうるような役割に学問が引張りまわされる事はやはり社会的な浪費です。学問にはやはりそれぞれの学問に固有の問題があります。(丸山真男 高見順との対談「インテリゲンツィアと歴史的立場」(雑誌「人間」昭和24年12月)――象牙の塔(メタレベル)不在の「美しい日本の私」)
で、「象牙の塔」派の研究者くん、--というか准教授らしいがーーは
なんでツイッターなんかやってるんだろう
情報の交換だっていうんだろうな
だが《情報とは権力である》(中井久夫)
《情報ということ、それは命令》(ハイデガー)であり、
《堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落だ》(ドゥ ルーズ)だよな
やっぱり政治活動だせ
やめとけよツイッターなんか、
「象牙の塔」派のインテリくんよ
現在の大他者の不在(象徴的権威の崩壊)が意味するのは、どの倫理的体系も最も根源的な意味で「政治的」な深淵に立脚していることである。政治とはまさにどんな外的保証もなしに倫理的決断をし他人と協議することである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』「conlulision 」私訳)
なあ、《心頭姑く用と無用とを度外に置いて》象牙の塔にひきこもって、
《大いなる功績》を齎すために《矻々として年を閲》みしろよ
学問はこれを身に体し、これを事に措いて、始て用をなすものである。否るものは死学問である。これは世間普通の見解である。しかし学芸を研鑽して造詣の深きを致さんとするものは、必ずしも直ちにこれを身に体せようとはしない。必ずしも径ちにこれを事に措こうとはしない。その矻々として年を閲する間には、心頭姑く用と無用とを度外に置いている。大いなる功績は此の如くにして始て贏ち得らるるものである。 この用無用を問わざる期間は、啻に年を閲するのみではない。あるいは生を終るに至るかも知れない。あるいは世を累ぬるに至るかも知れない。そしてこの期間においては、学問の生活と時務の要求とが截然として二をなしている。もし時務の要求が漸く増長し来って、強いて学者の身に薄ったなら、学者がその学問生活を抛って起つこともあろう。しかしその背面には学問のための損失がある。研鑽はここに停止してしまうからである。 わたくしは安政二年に抽斎が喙を時事に容るるに至ったのを見て、是の如き観をなすのである。(森鴎外『渋江抽斎』ーーデモの猥雑な補充物としての「享楽」)
フロイトの如く、な
フロイトのリベラルな中立性の限界は、1934年に明らかになった。それは、ドルフースがオーストリアを支配して、共同体国家(職業共同体)を押しつけたときのことだ。そのときウィーンの郊外で武装した衝突が起った(とくにカール マルクス ホーフの周辺の、社会民主主義の誇りであった巨大な労働者のハウジングプロジェクトにて)。この情景は超現実主義的な様相がないわけではない。ウィーンの中心部では、有名なカフェでの生活は通常通りだった(ドルフース自身、この日常性を擁護した)、他方、一マイルそこら離れた場所では、兵士たちが労働者の区画を爆撃していた。この状況下、精神分析学連合はそのメンバーに衝突から距離をとるように指令していた。すなわち事実上はドルフースに与することであり、彼ら自身、四年後のナチの占領にいささかの貢献をしたわけだ。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』「conlulision 」私訳)
ツイッターなんかで「政治活動」すんなよ、ってことだな
けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987)
「権力の道具である」こと、
すなわち《混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
を囀らなくてもいいんだよ
自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている…。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものか…(同『凡庸な芸術家の肖像』)
ようするに《何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ》ってことだよ
何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ、という性質の話の筈。偉そうにTwitterでどっちもどっち論を繰り返し、動いているのは指先のみ。いま大学人がいかに信用失墜しているか新聞でも眺めればわかる筈なのに、そのざまか。民衆は学び、君を見ているぞ、「ケンキューシャ」諸君。(佐々木中ツイート)
学問にひきこもりたいなら、ツイッターなんかで言葉のパフォーマンスするな、ってことだな
あらゆる言葉のパフォーマンスとしての言語は、反動的でもなければ、進歩主義的でもない。それはたんにファシストなのだ。なぜなら、ファシズムとは、なにかを言うことを妨げるものではなく、なにかを言わざるを得なく強いるものだからである。(ロラン・バルト『文学の記号学』)
いいさ、「美学的」な態度も
詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。(……)
詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(「芸術」「詩」の役割をめぐって(浅田彰、谷川俊太郎))
《R・Bはいつも政治を《限定し》たがっているように見える。彼は知らないのだろうか? ブレヒトがわざわざ彼のために書いてくれたと思われる考えかたを。》(『彼自身によるロラン・バルト』)
「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(ブレヒト『政治・社会論集』)
それとも貴君は不感症なんだろうか?
私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた。(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)
とプロフィール欄を見てみたら、《専門は感性学》だと?
専門は感性学(エステティックス)。ヒトの感覚や認知全般に関心があります。広義の哲学をベースに認知科学や工学への越境を試みています。新刊は『民謡の発見と〈ドイツ〉の変貌』(青弓社)。
てっきり象牙のムラ社会の住人だと思ってしまったが
(ムラ社会の執着気質タイプの人間は)、「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)
芸術の享受ができるのかい?
政治の土足の足音きこえないで
「マルス感覚」なしで
私は戦争直前の重圧感を「マルス感覚」と呼んだことがある。湾岸戦争直前、私はテレビを見ていて、太平洋戦争直前に似た「マルス感覚」を起こしている自分に驚いた。「ああ、あの時の感じだ」と私は思った。フランスの哲学者ベルクソンは第一次大戦の知らせを聞いて、「部屋の中に目にみえない重苦しいものが入ってきていすわった」と感じたそうである。これをも「マルス感覚」とすれば先の「事前的マルス感覚」に対して「事後的マルス感覚」となろうか。私は二〇〇一年九月十一日以後、アフガニスタン戦争の期間を通じて、「事後的マルス感覚」をしたたかに味わった。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収)
一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。(「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」『家族の深淵』所収)
《芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
なあ「相対的には聡明(=凡庸)」そうなインテリ芸術ケンキューシャくんよ
ツイッターはインテリのパチンコだっていうがね
パチンコならパチンコらしいものいいがあるぜ
もっともらしく無意識的に「ボクチャンは権力の道具です」発言すんなよ
なにもしないでいる連中を喜ばすような呟きだけはやめとけよ
それとも「象牙の塔」くんも、実は去勢されたマジョリティの一員かね?
闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。(浅田彰『憂国呆談』)
もっとも「サラエボの傘」まで否定するつもりはないがね
雨よりも遙かに危険な砲撃に対して傘がまったく無力であり、それがいつ自分の頭上に炸裂するかもしれないと知っていながら、彼らは、それでも傘をさして外出するし、傘の選択には自分の趣味を反映させさえするだろう。それが現実というものにほかならず、砲撃から身を守るのに無力だという理由で、雨の日に傘を差す人々を嘲笑するのは、非現実的である。(蓮實重彦「柄谷行人 またはサラエボに住む人々も、雨が降れば傘をさして外出する」『「国文学解釈と鑑賞」別冊 柄谷行人』一九九五年所収)
シツレイした、誤解があるかもな
だがあくまで投壜通信だよ、これは
《海に投げ入れられた壜はいつも戻ってくる》(ブランショ 投壜通信)
ーーなんとかサラエボの傘にひきこもりたいタチでね
理念や良心(超自我)では限界を感じるのだよな、やはり
加藤周一や大江健三郎、あるいはジジェクなどのようにはいかないね
戦争の心的外傷性記憶を抱えた人たちじゃないと限界があるんだろうな
なかんずく、いまの若い連中は、
その父母たちさえ戦争体験のないものがほとんどだろうからな
戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない(中井久夫「戦争と平和についての観察」)