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2014年1月31日金曜日

総統のピアニスト





Elly Neyエリー・ナイの名はまったく知らなかった(Rosita Renardの演奏録音を探すなかで見つかったもの)。

エリー・ナイは、総統のピアニストと呼ばれていたそうだ。すなわちヒットラーのお気に入り。ベートーヴェンの目覚しい録音がYoutubeにある。

冒頭のエリー・ナイの演奏、シューマンのEtudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5にはびっくりした。リヒテルの演奏は次の如し。





ポリーニ(6:40より)




…………

※附記

イギリスの傑出したワグネリアンであるジョン・デスリッジは,かつて次のような注目すべき事実を強調した.ヒトラーが好んだワーグナーのオペラは,露骨にドイツ的な《マイスタージンガー》でも,東方の野蛮な遊牧民からドイツを防衛するために武器を取ることを訴える《ローエングリン》でもなく,名誉や恩義などの象徴的義務にみちた日々の生活という昼を捨て去り,人を夜に埋没させて自己の死を恍惚として受容させる傾向をもつ《トリスタン》だった,ということである.キルケゴール流に言うならば,この「政治的なものの美的な宙吊り」こそが,まさにナチのとった態度の背景としてのファンタスムの中核を成すのだが,そこで重要であったのは何か政治以上のもの,美的なものと化して人を恍惚に誘うある共同体的体験であり,その典型的な例としてニュルンベルクの政治集会で夜な夜な行なわれた儀式をあげることができるだろう.(ジジェク「『アンダーグラウンド』、あるいは他の手段による詩の継続としての民族浄化」)

私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ『哲学の終りと思惟の使命』より)
一時期のめりこんだ政治活動と、童話の創作活動がどういう関係にあったのか。政治活動を否定したことによって、そこからあの童話の世界が生まれたのではなく、このふたつはじつはほとんど同時現象なんですね。あの奇跡のような傑作群と、危険なユートピア思想への傾倒は、深くつながっている。(中沢新一 対談「宮沢賢治と日本国憲法 」)
だが、と最後に急いで付け加えなければならないが、ここには何か恐ろしく不吉なものがある。それは、賢治の見た「二つの風景」(「春と修羅」)、現実空間と異次元の詩的空間とが二重化した場処に孕まれた危うさへの予感だろうか。死に魅入られたこの空間を満たす「水いろ」の透明な情炎、あるいは透明性へのあまりに「まつすぐ」な情炎の禍々しさ。宗教と科学技術とを最先端の過激さで交わらせようとした賢治の想像力が、その切っ先で煌めかせた不穏な何ものかの到来の兆しを、震災後の危機と賢治botとの遭遇、そしてそこに生じたシンクロニシティに認めたことを末尾にこうして記すのみで、この短い「心象スケツチ」めいた記述は閉ざさなければならない。
 テクストでは触れなかったが、この禍々しささえ帯びた透明性への情炎には、ファシストのための「ガラスの家」であるカーサ・デル・ファッショを建てたイタリア・ファシズムの建築家、ジュゼッペ・テラーニの「汚れなきファシズム」を連想した(鳥のさえずり──震災と宮沢賢治bot)。


《わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)


音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』ーー「悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう」)







2014年1月29日水曜日

臀と尻、あるいは翳と軀

私の詩のなかで、〈手〉と〈掌〉という文字を探すことは、きわめて困難な筈である。それは私が意識的に、それらの文字を避けてきたからである。もちろん〈手足〉とか〈波の手〉とか類似の用語は若干あると思うが。(……)

〈手〉や〈掌〉の内在する象徴性にもたれかかって、安易に成立った作品を見ると、私はやりきれない気持になる。

〈手〉や〈掌〉は、私の嫌いな〈文字〉ではなく、むしろ好きなほうである。〈手〉はこれからも必然性があれば使うだろうけれど、まだ私は〈掌〉という〈文字〉を書くことはないだろう。(吉岡実「手と掌」)

「翳」という文字がある。たとえば、日の光を受けた街路樹が、地に落すかげ、重なり合った木の葉のかげが、地面でチラチラ動く、そういうかげのときは、「翳」を使わないとおさまらない。心の具合が顔や軀の上に惨み出てユラユラ動いている場合も、「翳」である。(吉行淳之介)

吉岡実は《〈手〉や〈掌〉の内在する象徴性》という。吉行淳之介は《木の葉のかげが、地面でチラチラ動く、そういうかげのときは、「翳」を使わないとおさまらない》という。両者は文字の象徴性にかんして全く正反対の態度のようにも見えるが、二人ともいかにも文字遣いへの繊細さを語っている(ふたりの言わんとしていることは、それだけではないのだろうが、ここでは深く追求しない)。

吉岡実の文字の象徴性にもたれかかることへの抵抗は、詩人だからということだけではなく、やはり吉岡の潔癖さにも由来するのだろう。《詩でね、変らない詩人がたくさんいるでしょ。ぼくはやっぱり、絶えず変りたい》 (吉岡実)

吉行には「翳」だけでなく、「軀」という字への拘りがあるのはかつてはよく知られていた。散文だから象徴性が煩わしくならないということはあるのか、ーーだが、あまりに「軀」という漢字のエロティックさを強調することが重なれば、ときにうるさいと感じる人がいるのも想像されないではない。いずれにせよ、このような敏感さをもつのがすぐれた書き手の特徴であるのは、わたくしが言うまでもなかろう。

「軽薄にソネットを扱いそこにピタゴラス的な美をみないのは馬鹿げている」(ボードレール)。ピタゴラス的な美とは、”現実”や”意味”と無関係に形式的な項の関係のみで成り立つものである。(柄谷行人『隠喩としての建築』)

吉行のまだ比較的若い頃の作品では、「軀」ではなく「躰」が使われている。ここには「翳」も出てくるので引用しておこう。

「あたしを嫌いなくせに。あたしだって好きじゃない」

 その言葉が、奇妙に僕の欲情を唆った。僕は娘の顔を眺めた。うっすらと荒廃のが、その顔に刷かれていた。僕は娘のを眺めた。紡錘形の、水棲動物めいたが衣裳のうえから感じられた。(吉行淳之介『焔の中』1956年)


吉行淳之介はかつて三島由紀夫の文体を《漢字の美的感覚に寄りかかり過ぎている》と批判している。だが後年《あの発言は自分の嫉妬からだった》と洩らすことになる。


もっとも文字面の美をどのように追うかは、作家のタイプにもよるようであり、谷崎潤一郎はその『文章読本』で、志賀直哉の文を引用して、《それを刷ってある活字面が実に鮮やかに見える》としてこの見事なお手本を繰り返し玩味すべきとしているが、続けて、流麗な文(和文調)と簡潔な文(漢文調)――源氏物語派と非源氏物語派――に分けて文章の美が説かれ、谷崎潤一郎自身は流麗な調子を好み、《この調子の文章を書く人は、一語一語の印象が際立つことを嫌います》と書かれることになる。

…………

吉岡実の詩には、漢字と平仮名の均衡を眺めるだけでほれぼれする詩行がある。

たとえば「子供の臀に蕪を供える」は「子供の尻に蕪を供える」ではけっしてないだろう。
そしてつねに「臀」が使われるわけではない。

「臀」は豊かにふくらんでいる部分を指すなどと説かれたりすることもあるが、吉岡実はもちろんそんな定義などにこだわりはしない。


・いつもパンを焼くフライパンの尻を叩きながら

・水着の美女の尻

ーーこの二つの詩行における「尻」は「臀」にするわけにはいかない(美感上、としておこう)。

いくつか視覚的にも美しい詩行を抜き出そう。


・誠実な重みのなかの堅固な臀

・驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた

・洗濯物は山羊の陰嚢

・母親の典雅な肌と寝間着の幕間で

・美しい魂の汗の果物

・いまは緑の繻子の靴に踏まれる森の季候

・賢い母親は夏の蝉の樹木の地に

・数ある仮死のなかから溺死の姿を藉りる

…………

吉行淳之介の代表作『砂の上の植物群』(1964)から、いくつかのパラグラフを行分け、かつ句読点を削除して抜き出してみよう。

…………

絶え間なく動いている女の唇だけが
目立っていた
その唇にも血にまみれたように口紅が塗られてあった
女というものの抵抗できぬ逞しさを示しているようにもみえ
見知らぬ動物の発情した性器のようにもみえた

彼の予想では川村朝子は白粉気のない顔で
ぎこちなく店の隅に佇んでいる筈だった
しかし彼女は真赤に唇を塗り
身軽に店の中を歩きまわり
物馴れた酒場女のような口をきいた
濃い化粧は彼女を醜くしてはいなかった
平素よりももっと
可愛らしく愛嬌のある顔になっていた
ただいかにも人工的な趣がつきまとっていた
そして時折ひどく成熟した
むしろ四十女といってよい表情が
その顔に現われる瞬間があるように見えた
その顔は手がかりの付かぬものを
いきなり眼の前に突き出されたように
彼にはおもえた

…………

旅館の玄関に立って案内を乞うと
遠くで返事だけあって
なかなか人影が現われてこなかった
少女と並んで三和土に立って待っている時間に
彼は少女のに詰まっている
細胞の若さを強く感じた
そして自分の細胞との落差を
痛切に感じた
少女の頸筋の艶のある青白さを見ると
自分の頸の皮が酒焼けで赤黒くなっており
皮がだぶついているような気持になった
待っている時間は
甚だしく長く感じられた
ふたたび何かがの中で爆ぜ
兇暴な危険な漿液がに充ちてくるのを感じた

…………

太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである
娼婦たちのが熟したときに漂ってくる
多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおい
それに消毒液の漂白されたようなにお
の絡まり合った臭気とは
全く違ったものだった

…………


明子の眼に映る札束は
金銭としてのものではない
明子に純潔を説いてやまぬ
姉の京子のの裂目から
露出した臓物のようなものとして
明子の眼には映っている筈だ

…………

長い病気の恢復期のような心持が
のすみずみまで行きわたっていた
恢復期の特徴に
感覚が鋭くなること
幼少年期の記憶がの中を
凧のように通り抜けてゆくこととがある
その記憶は
薄荷のような後味を残して消えてゆく

…………

立上がると
足裏の下の畳の感覚が新鮮で
古い畳なのに
鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた
それと同時に
雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや
縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや
線香花火の火薬の匂いや
さまざまの少年時代のにおいの幻覚が
一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた

…………

たとえば最後のパラグラフの、「におい」と「匂い」の使い方を注意してみてもよい。

藺草のにおい」「蚊帳の匂い」「蚊遣線香の匂い」「火薬の匂い」「少年時代のにおい」の使い分けは、おそらく漢字とひらがなの字面の美感からくる選択ではないだろうか。

あるいはもうすこし上の引用には、《太陽の光を十分に吸い込んだ牧草の匂いである/娼婦たちのが熟したときに漂ってくる/多くの男たちの体液の混じり合った饐えたにおいそれに消毒液の漂白されたようなにお》とある。

これらは字面というよりも、よい香りとそうでない香りによって、匂い/においと区別して使用していると考えられるもする。


「におい」という語に注意を払ったので、中井久夫の「かおり」「香り」「香」「匂い」の使い分けへの極度の繊細さをあらわす冒頭の文を引用しておく。この小論の末尾には「匂いの記号論」という表現がでてくることからも分かるように、匂いの徴候感覚に人にふさわしい出だしであるといえる。中井久夫の語句の選択の多様性は字面の美感とともに音調によることも多い。


ふたたび私はそのかおりのなかにいた。かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香りーー、それと気づけばにわかにきつい匂いである。

それは、ニセアカシアの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨あがりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。

金銀花の蔓が幹ごとにまつわり、ほとんど樹皮をおおいつくし、その硬質の葉は樹のいつわりの毛羽となっていた。かすかに雨後の湿り気がたちのぼる。

二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこのの出どころはどこかととまどうはずだ。小さい十字の銀花も、それがすがれちぢれてできた金花の濃い黄色も、ちょっと見には眼にとまらないだろう。(中井久夫『世界の徴候と索引』)

中井久夫によれば、「もの」としての語、その物質的側面とは、語が単なる意味の担い手なのではなく、まずは音調があり、発語における口腔あるいは喉頭の感覚、あるいは舌が口蓋に触れる感覚、呼気が歯の間から洩れる感覚など主に触覚的な感覚もあれば、舌や喉頭の発声筋の運動感覚もあるとする。
これらは、全体として医学が共通感覚と呼ぶ、星雲のような感覚に統合され、またそこから発散する。音やその組み合わせに結びついた色彩感覚もその中から出てくる。

さらにこのような状態は、意味による連想ばかりでなく、音による連想はもとより、口腔感覚による連想、色彩感覚による連想すら喚起する。その結果、通用の散文的意味だけではまったく理解できない語の連なりが生じうる。精神分裂病患者の発語は、このような観点を併せれば理解の度合いが大きく進むものであって、外国の教科書に「支離滅裂」の例として掲載されているものさえ、相当程度に翻訳が可能であった。しばしば、注釈を多量に必要とするけれども。(「「詩の基底にあるもの」――その生理心理的基底」)

中井久夫の音調や音韻への驚くべき繊細さは次の文にも現れる。
…プルーストが「心の間歇」を題名の有力な候補としながら結局は最終的には却けたのはどうしてかについての憶測を記しておこう。題名としての言葉の美を比較すれば、最終題名「失われた時を求めて」A la recherche du temps perduはa音が多く明るさがあり、また流れるようなrechercheが滝壺のような淀みであるtemps perduで享けとめられて、心に訴えるその力はi、e、oeの卓越する硬く静止的な「心の間歇intermitterennce du coeur」と格段の相違である。また、題名の「射程」が大きく違う。
しかし、そういうこととは別に、この長篇小説が必ずしも「心の間歇」だけに光を当てたものではなくなっていったからではないだろうか。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)

それ以外にも、中井氏は、文字に色を感じる「共感覚者」であるとは、氏のエッセイで何度か打ち明けられているところだ。この共感覚は、ランボー、プルーストも持ち合わせているのが知られている。

ちなみに私の場合、ひらがな、カタカナ、漢字、ラテン文字、ギリシャ文字には一字一字に色彩が伴っている。文字が複合して単語になれば、また新しく色が生じる。それぞれ弁別性があるような、非常に微妙な色彩である。この「色」が単語の記憶に参加しているらしい。(……)

「文字の色」にかんしてよく挙げられるのはランボーの詩「Aは黒……」であるが、Aが黒であるはずはないと私は思っている。詩人は反対の色を挙げることによってショックを与えようとしているのであると私は読む。Aは多くの人に尋ねたが、ニュアンスの差はあっても皆「明るい赤」である。(……)

私の場合には、音と色の連合なのか文字と色との連合なのかほんとうにはわからない。またどこから始まったのかその起源も不明であるが、四歳の時にはすでに色を意識していた。たとえば、形容詞とそれが形容する名詞との「色が合わない」と私は使えないのである。(中井久夫「記憶について」『アリアドネからの糸』所収P121-122)

ーー参照:表象文化論学会2009研究発表4:共感覚の地平——共感覚は「共有」できるか?
より詳しくは、http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51545/1/Kitamura_panel.pdf




※附記
〔ランボーの〕母音のソネットほど有名ではないが、おそらく同じ程度に関与的なプルーストのつぎのテクストを思い出していただきたい。《……赤味をおびた上品なレースをまとったあんなに背が高く、そのいただきが最後の音節の古金色に照り映えているバイユーBayeuxの町。アクサン・テギュが古井由吉ガラス戸〔ヴィトラージュ〕に黒い木の枠の菱形模様をつけているヴィトレVitréの町。その白身が卵の殻の薄黄から真珠色へと変化するやわらかなランバルLamballeの町。脂肪質の黄ばんだ末尾の二重母音がバターの塔で上部を飾るノルマンディーの大聖堂、クータンスCoutancesの町》など。(……)

彼の音声的動機づけは(おそらくバルベックの場合を除けば)ほとんどすべて音と色彩との等価性を含意していて、ieuは古金色、éは黒、anは黄ばんだ色やブロンド色や黄金色、iは緋色である。(ロラン・バルト「プルーストと名前」)















2014年1月28日火曜日

惚れた女へのセンチメンタルオマージュ

蒼白い蛍光灯のわずかな光
索然とした窓のない通路が伸びる
「なぜこのビルの廊下は
こんなにひろくわびしいのだろう」
一方の側にだけ部屋が並んでいる
女はそのひどく古ぼけたビルの一室に住んでいた
鼈鍋で有名な料理店のすぐ近く
通いだす切っ掛けはなんだったか
のは憶えていない





「今から行く」と電話で告げる
「だめだわ」とはじめは強く拒絶する
重ねて乞うと曖昧な応答になる
その声の奥には
おそらく彼女自身も気付いていない
媚がある
との錯覚に閉じこもり得た

西陣のかつての繁栄の無残な残照
うら寂れた建物に向けて
千本通を北へまっすぐ
今出川通へとめざして
車を飛ばす
いそいでも十五分はかかる

階段を駆け上がってドアをノックする
最初はドアの鎖をつけたまま
わずかの隙間から顔をのぞかせる
「だめよ」
もう何度目かなのに同じ返事をする
ときにはドアを閉ざされ
薄気味わるい廊下で
待ちぼうけの時間をもつ
部屋を二米伸ばしてもまだ余裕がある通路だ
別の用途でつくられた建物を
貸し部屋にしたに相違ない

下に降りて果物屋で苺を買う
ドアをまた強く叩く
「果物買ってきたんだ
それだけでも一緒に食べよう」




男は米国に留学している
女の狭く居心地のよい居室
そこになんとか潜り込んだあとでさえ
最初はいつものごとく貞節さの鎧
かたくなさとつつましさの殻を被る
わずかの軀の接触さえ許そうとしない
(何度も重なれば性交前の儀式のようなものだ)


だが「彼女の一つ一つの動作の継ぎ目や隙間から
生温かい性感が分泌物のように滲み出ている
彼女自身そのことに気付かないにしても
やがては溶岩のような暗い輝きをもった
一つ一つの細胞の集積が
彼女を突き動かすときが来る」(吉行淳之介『砂の上の植物群』)

軀をかさねあわせる
洗髪剤や入浴剤に贅沢な女だった
興奮した細胞を萎えさせる
安物のシャンプーのにおいはしない

「彼だって遊んでるわ、きっと」
高まると彼氏の名を叫ぶ
続けて規則正しく間歇的な
「水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く」(吉岡実)
薄い壁の向う
隣室のがさごそとした気配が伝わってくる
「よくうなりはる女や」(野坂昭如)
腰の動きをとめて
隣室に目配せする
「……かまわないわ」





あるとき彼氏が一時帰国
仕事の席で耳打ちする
「彼かわっちゃったわ」
微笑を含んだ眼で
すくい上げるように見る
その身のこなしが淑やかにもみえ
また粘り付くような
したたかなものも感じさせる
驕慢ともみえる燃えるような眼で
その眼の中に軽侮する光が走り抜けたのを
確かに見たと思った

母が死んだ
郷里の町にしばらく帰る
桂離宮の傍らの森閑とした寮に戻ってくる
と女からの分厚い手紙
綿々と悼みの言葉が連なっている
驕慢さの翳は微塵もなく
むしろ幼さが滲みでている
との印象をおぼえた

それ以後通うのをやめてしまった
のはなぜか

惚れていたのに







素足  谷川俊太郎

赤いスカートをからげて夏の夕方
小さな流れを渡ったのを知っている
そのときのひなたくさいあなたを見たかった
と思う私の気持ちは
とり返しのつかない悔いのようだ






別 の 名   高田敏子


ひとは 私を抱きながら
呼んだ
私の名ではない 別の 知らない人の名を

知らない人の名に答えながら 私は
遠いはるかな村を思っていた
そこには まだ生れないまえの私がいて
杏の花を見上げていた

ひとは いっそう強く私を抱きながら
また 知らない人の名を呼んだ

知らない人の名に――はい――と答えながら
私は 遠いはるかな村をさまよい
少年のひとみや
若者の胸や
かなしいくちづけや
生れたばかりの私を洗ってくれた
父の手を思っていた

ひとの呼ぶ 知らない人の名に
私は素直に答えつづけている

私たちは めぐり会わないまえから
会っていたのだろう
別のなにかの姿をかりて――

私たちは 愛しあうまえから
愛しあっていたのだろう
別の誰かの姿に託して――

ひとは 呼んでいる
会わないまえの私も 抱きよせるようにして
私は答えている

会わないまえの遠い時間の中をめぐりながら 


《その女を、彼は気に入っていた。気に入るということは愛するとは別のことだ。愛することは、この世の中に自分の分身を一つ待つことだ。それは、自分自身にたいしての顧慮が倍になることである。(……)

現在の彼は、遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係には、巻込まれまいと堅く心に鎧を着けていた。……交渉がすべて遊戯の段階にとどまると考えるのは誤算だが、……その誤算は滅多に起こらぬ気分になってしまう》(吉行淳之介『驟雨』)






◆ミレール 愛について(私意訳)より


――どうしてある人たちは愛し方を知っていて、ほかの人たちはそうでないのでしょう?

ある人たちは、他者、たとえば何人かの愛人に――男でも女でも同様にーー、愛を引き起こすやり方を知っています。彼らはどのボタンを押したら愛されるようになるのか知っているのです。けれど彼らはかならずしも愛する必要はありません。むしろ彼らは囮をつかって、猫と鼠の遊戯にふけるのです。愛するためには、あなたは自分の欠如を認め、あなたが他者を必要とすることに気づかなければなりません。あなたはその彼なり彼女なりがいなくて淋しいのです。己が完璧だと思ったり、そうなりたいと思っているような人たちは愛し方を知りません。そしてときには、彼らはこのことを痛みをもって確かめます。彼らは操作し、糸を引っ張ります。けれども彼らが知っている愛は、危険も悦びもありません。


――自分を完璧だとするなどは、ただ男性だけの場合のように思えますが…。

まさに! ラカンはよく言いました、「愛することはあなたが持っていないものを与えることだ」と。その意味は、「愛するということは、あなたの欠如を認めて、それを他者に与える、他者のなかにその欠如を置く」ということです。あなたが持っているものーーなにかよいものを与えるのではない、それを贈り物にするのではないのです。あなたが持っていないなにか他のものを与えるのです(対象aの定義のひとつは、「あなたの中にあってあなた以上のもの」である:引用者)。そうするには、あなたは己れの欠如――フロイト曰くの「去勢」――を引き受けなくてはなりません。そしてそれは女性性の本質です。ひとは、女性のポジションからのみ本当に愛することができます。「愛する女性」 Loving feminisesとはそういうことです。男性の愛がいつもやや滑稽なのはその理由です。けれども男性がそのみっともなさに自身を委ねたら、実際のところ、己れの男らしさがさだかではなくなります。

――男にとって愛することは女より難しいということでしょうか?

まさにそうです。愛している男でさえ、愛する対象への誇りの閃きと攻撃性の破裂があります。というのはこの愛は、彼を不完全性、依存の立場に導くからです。だから男は彼が愛していない女に欲望するのです。そうすれば彼が愛しているとき中断した男らしさのポジションに戻ることができます。フロイトはこの現象を「性愛生活の(価値の)下落debasement of love life」と呼びました。すなわち愛と性欲望の分裂です。


――女性はどうなのでしょう?

女性の場合は、その現象はふつうではありません。たいていの場合、男性のパートナーとの同化共生doubling-upがあります。一方で、彼は女性に享楽を与えてくれる対象であり、女性が欲望する対象です。しかし彼はまた、余儀なく去勢され女性化した愛の男でもあります。どちらが運転席に坐るのかは肉体の構造にはかかわりません。男性のシートに坐る女性もいるでしょう。最近では「もっともっと」そうです。ひとりの男は、家庭での愛のため、そして他の男たちは享楽のために、インターネットで、街で、汽車の中で。


――どうして「もっともっと」なのですか?

社会と文化における女であることと男であることのステレオタイプが、劇的な変容の渦中だからです。男たちは情緒を自在に解放するように促されています、愛すること、そして女性化することさえも。女たちは、反対に、ある種の「男性化への圧力」に晒されています。法的な平等化の名の下に、女たちは「わたしたちも」といい続けるようにかりたてられています。同時にホモセクシャルの人たちも、ヘテロセクシャルの人たちと同様の権利とシンボルを要求しています、結婚や認知などですね。それぞれの役割のひどく不安定な状態、愛の場での広汎な変わりやすさ、それはかつての固定したあり方とは対照的です。愛は、社会学者のジグムント・バウマンが言うように「流動化liquid」しています。だれもが己れの享楽と愛の流儀を身につけるため、それぞれの「ライフスタイル」を創り出すように促されています。伝統的なシナリオはゆっくりと廃れています。従うべき社会的圧力が消滅してしまったわけではありませんが、衰えているには相違ありません。

――わたしたちは偶然に彼や彼女を見出すのではありません。どうしてあの男なのでしょう? どうしてあの女なのでしょう?

それはフロイトがLiebesbedingungと呼んだものです、すなわち愛の条件、欲望の原因です。それは固有の特徴なのです。あるいはいくつかの特徴の組合せといってもいいでしょう。それが愛される人を選ぶ決定的な働きをするのです。これは神経科学ではまったく推し量れません。というのはそれぞれの人に特有なものだからです。彼らの風変わりな内密な個人的歴史にかかわります。この固有の特徴はときには微細なものが効果を現わします。たとえば、フロイトがある患者の欲望の原因として指摘したのは、女性の鼻のつやでした。


――そんなつまらないもので生まれる愛なんて全然信じられない!

無意識の現実はフィクションを上回ります。あなたには思いもよらないでしょう、いかに人間の生活が、特に愛にかんしては、ごく小さなもの、ピンの頭、神から授かった細部によって基礎づけられているかを。とりわけ男たちには、そのようなものが欲望の原因として見出されるのは本当なのです。フェティッシュのようなものが愛の進行を閃き促すのです。ごく小さな特異なもの、父や母の追憶、あるいは兄弟や姉妹、あるいは誰かの幼児期の追憶もまた、愛の対象としての女性の選択に役割をはたします。でも女性の愛のあり方はフェティシストというよりももっとエロトマニティック(被愛妄想的)です。女性は愛されたいのです。関心と愛、それは彼女たちに示されたり、彼女たちが他のひとに想定する関心と愛ですが、女性の愛の引き金をひくために、それらはしばしば不可欠なものです。 


――ファンタジー(幻想)の役割はどうなのでしょう?

女性の場合、ファンタジーは、愛の対象の選択よりもジュイサンス(享楽)の立場のために決定的なものです。それは男性の場合と逆です。たとえば、こんなことさえ起りえます。女性は享楽――ここではたとえばオーガズムとしておきましょうーーその享楽に達するには、性交の最中に、打たれたり、レイプされたりすることを想像する限りにおいて、などということが。さらには、彼女は他の女だと想像したり、ほかの場所にいる、いまここにいないと想像することによってのみ、オーガズムが得られるなどということが起りえます。


――男性のファンタジーはどんな具合なのですか?

最初の一瞥で愛が見定められることがとても多いのです。ラカンがコメントした古典的な例があります。ゲーテの小説で、若いウェルテルはシャルロッテに突然の情熱に囚われます、それはウェルテルが彼女に初めて会った瞬間です。シャルロッテがまわりの子どもたちに食べ物を与えている場面です。女性の母性が彼の愛を閃かせたのです。ほかの例をあげましょう。これは私の患者の症例で次のようなものです。五十代の社長なのですが、秘書のポストの応募者に面接するのです。二十代の若い女性が入ってきます。いきなり彼は愛を表白しました。彼はなにが起こったのか不思議でなりません。それで分析に訪れたのです。そこで彼は引き金をあらわにしました。彼女のなかに彼自身が二十歳のときに最初に求職の面接をした自分を想いおこしたのです。このようにして彼は自分自身に恋に陥ったのです。このふたつの例に、フロイトが区別した二つの愛の側面を見ることができます。あなたを守ってくれるひと、それは母の場合です。そして自分のナルシシスティックなイメージを愛するということです。

ミレールの女性のファンタジーをめぐる発話は、精神分析理論に慣れていない人には若干の違和があるかもしれない。この発話は、フロイトの論文『子供が打たれる』や『マゾヒズムの経済的問題』などにある叙述がベースになっていると思われ、たとえば後者の論には女性的マゾヒスムとして次のような叙述がある(もちろんこの「女性的」というのは、受身的という意味で、生物学的なものではない。男性にも見られるのは周知の通り。たとえばプルーストの小説にはそのサンプルがふんだんにある)。

……幻想の顕在内容はこうである。すなわち、殴られ、縛られ、撲たれ、痛い目に遭い、鞭を加えられ、何らかの形で虐待され、絶対服従を強いられ、けがされ、汚辱を与えられるということである。(……)もっとも手近な、容易に下される解釈は、マゾヒストは小さな、頼りない、依存した、ひとりでは生きてゆくことのできない子供として取り扱われることを欲しているということである。(フロイト『マゾヒスムの経済的問題』)

これは原初的な無力な存在としての乳幼児期に回帰したいファンタジーとしても捉えられるが、ここではそれには触れない(参照としては「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」にいくらかの記述がある)。

そもそも幻想は、われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守ってくれる遮蔽膜として機能する。たとえば母との共生への回帰が不可能であるならば、かわりのフィクションを必要とする場合があり、それが幻想のひとつの姿だ。マゾヒスム的(受動的)なファンタジーとは逆に、能動的なフィクション遊びをするということはしばしば見られる。そもそも作家たちが悲惨な恋愛を想起して書くのは、耐えがたい恋愛トラウマを能動的に飼い馴らすことよって解放感を得るためでもあるだろう。

《われわれの悲しみが協力した作品は、われわれの未来にとって、苦しみの不吉な表徴〔シーニュ〕であるとともに、なぐさめの幸福な表徴である、と解釈もできる》(プルースト

《ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否いなやうれしくなる。涙を十七字に纏まとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉さだけの自分になる》(夏目漱石)

幼い女児が母親を洗ってやったり、着物を着せてやったり、またはお手洗いにゆくようにしたりしたがるという話を、まれには聞くことがある。女児がまた、時には「さあ遊びましょう、わたしがお母さん、あなたは子供よ」などということさえある、――しかしたいていはこのような能動的な願望を、人形を相手に、自分が母親となり人形を子供にした遊ぶという、間接的な仕方でみたしているのである。人形遊びを好むことは女児の場合、男児とは違って早くから女らしさがめばえたしるしだと考えられるのが普通である。それは不当ではないにしても、しかしここに現れているのは女児の偏愛はおそらく、父親という対象をまったく無視する一方では排他的に母親に愛着していることを証明するものであるということ、を見逃してはならない。(フロイト『女性の性愛について』 フロイト著作集5 p150)

※写真はすべて荒木経惟の作品。

…………


【附記】

車から降りたウェルテルがはじめてシャルロッテをみかける(そして夢中になる)。戸口を額縁のようにして彼女の姿が見えている(彼女は子供たちにパンを切り分けている。しばしば注釈されてきた有名な場面)。われわれが最初に愛するのは一枚のタブローなのだ。というのも、ひとめぼれにはどうしても唐突性の記号が必要だからである(それがわたしの責任を解除し、わたしを運命に委ね、運び去り、奪い去るのだ)。(……)幕が裂ける、そのときまで誰の目にも触れたことのないものが全貌をあらわすにする。たちまちに眼がこれをむさぼる。直接性は充満性の代償となりうるのである。わたしは今、秘密をあかされたのだ。画面は、やがてわたしが愛することになるものを聖別しているのである。(ロラン・バルト恋愛のディスクール』「魂を奪われる」より)


男性のファンタジーの単純さにくらべ、女性のファンタジーがいささか手強いのは、女性は幼い時期、母親ー娘の関係から、父親ー娘の関係に対象を変えているために、幻想の構造が複雑だからだと説かれることが多い。

この愛する対象の母から父への変化(女から男への変化でもある)のもっとも重要な帰結は、女たちは「関係性」により注意を払うようになることだ。それは男たちとは対照的で、男たちはファリックな側面(母の(女の)支配、あるいはフェティスト的な部分欲動)に終始する傾向にある。もっとも上のミレールの言葉にあるように、この側面は漸次かわりつつあるのだろう。このあたりのことを斎藤環は啓蒙的に『関係する女 所有する男』で書いているはずだ(わたくしは残念ならが未読だが)。

男のフェティッシュと女のエロトマニア(被愛妄想)とは、フロイトのテーゼであり、旧来の両性の幻想の構造の基本はここにある。

男の性欲の本質的なフェティシスト的、オナニスト的傾向。(澁澤龍彦『少女コレクション序説』)
どんなにポジティブな決定をしてみても、女性というのはひとつの本質だ、女性は「彼女自身だ」と定義してみても、結局のところ、女性が演技しているもの、女性が「他者にとって」どういう役割をもっているかという問題に引き戻されてしまう。なぜなら、「女性が男性以上の主体となるのは、まさに女性が本来の仮装の特徴を帯びているときだけ、女性の特徴が、すべて人工的に「装われている」ときだけだからである」。(エリザベス・ライト『ラカンとポストフェミニズム』

現在でも、インターネットでの男女の振舞いに、これらは如実に露われている。画像やAVを見てオナニーに耽る男たち。他方、女たちはチャットで男たちの関心を惹くことにより熱中する。

…… it is wrong to contrast man and woman in an immediate way, as if man directly desires an object, while woman's desire is a “desire to desire,” the desire for the Other's desire. We are dealing here with sexual difference as real, which means that the opposite also holds, albeit in a slightly displaced way. True, a man directly desires a woman who fits the frame of his fantasy, while a woman alienates her desire much more thoroughly in a man—her desire is to be the object desired by man, to fit the frame of his fantasy, which is why she endeavors to look at herself through the other's eyes and is permanently bothered by the question “What do others see in her/me?” However, a woman is simultaneously much less dependent on her partner, since her ultimate partner is not the other human being, her object of desire (the man), but the gap itself, that distance from her partner in which the jouissance féminine is located. Vulgari eloquentia, in order to cheat on a woman, a man needs a (real or imagined) partner, while a woman can cheat on a man even when she is alone, since her ultimate partner is solitude itself as the locus of jouissance féminine beyond the phallus. (Zizek『Less Than Nothing』)



2014年1月27日月曜日

「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」

《なぜ私たちではなくあなたが?》(神谷美恵子「らいと私」 )

《私が今彼らではないのは,たまたま偶然にそうなのにすぎないのではないか。 》(小田実「人間・ある 個人的考察」 )

「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」と御子息の一人が口走ったように、彼女の家族であることも希有な難行である。(中井久夫「書評『神谷美恵子』江尻恵美子著」

まだ父親ならいいだろう、だが母親がこのような考えをもつとき、それはことさら辛いことだ。

《愛の基本的モデルは、男と女の関係ではなく、母と子供の関係に求められるべきである。》(『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』 Paul Verhaeghe)

一般に女児の場合は父親を愛するようになると言われるが、原初の愛の関係はやはり母への愛にある。

人間の幼時がながいあいだもちつづける無力さと依存性……。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我の分化が早い時期に行なわれ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない、愛されたいという要求を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』 フロイト著作集 旧訳)

愛されたいという要求は、われわれの原トラウマのようなものだ。それを否定してもはじまらない。巷間で「承認欲求」などといわれるものの起源はここにある。もちろん上っ面なだけの「承認欲求」もあるが(参照:承認欲望と承認欲動)。

もう少し核心箇所を抜き出そう。これはフロイトの弟子筋であったオットー・ランクの『出産の外傷』批判=吟味としてもある箇所だ。

われわれの出発点はやはり、われわれが理解できると思われる状況であって、それは母のかわりに知らぬ人を見つけた乳児の状況である。乳児は対象喪失の危険についての不安とわれわれに解釈される不安を示す。だがこの不安はいかにも複雑で、立ち入った検討を要する。乳児の不安についてはなんの疑いもないのだが、表情や泣くという反応は、彼が不安のほかに苦痛を感じていることを推定させる。のちには区別されるいくつかのものが、乳児では一緒になっていると思われる。一時的に見えなくなることと、つづいていなくなることが、まだ区別されていない。母が一度目の前から消えると、乳児は、母をもう二度と見られないかのように思いこんでしまう。母がこうして消えてもまだ現われるのだということを、乳児が学ぶまでには、何回も繰り返してなだめられる経験が必要である。母は、だれもが知っている遊び、顔をかくしてまた出してみせてよろこばせる遊戯「いないいないばあ」をして、この大切な知識を乳児に教えるのである。乳児は、いわば絶望をともなわぬ憧れを感ずるようになる。

母の見えないという状況は、乳児の誤解なのであるから、けっして危険の状況ではなくて、外傷的状況である。いやもっと正しくいうと、乳児がこの瞬間に、母を満足させなければならないという欲求を感じていてはじめて、外傷的状況といえるのであり、この欲求が現実でなくなると危険状況に移行するのである。自我がみずからみちびく最初の不安条件は、対象の喪失と同じに考えられる知覚の喪失である。愛情の喪失はまだ現われていない。もっと大きくなると、対象はちゃんといるが、ときどき子供に意地悪をする、という経験をする。そしてこんどは、対象からの愛情を失うことが、新たな永続する危険と不安の条件になるのである。

母を見失うという外傷的状況は、出産という外傷的状況とは、決定的な点でくいちがっている。出産の場合は見失うべき対象がない。不安だけが、この場合に現われる唯一の反応である。その後は、満足の状況が繰り返されて、母という対象がつくられる。この対象は、欲求のあるときは、「思慕」とよばれる強い充当をうける。こうした更新は、苦痛の反応に関係する。苦痛は対象の喪失にたいする元来の反応であり、不安は、この喪失にとうぜんともなう危険にたいする反応であって、さらに対象喪失にとうぜんともなう危険にたいする反応へ移行するものである。(フロイト『制止、症状、不安』)

ーーランクの『出産の外傷』にたいしてフロイトは一時期ひどく讃嘆したらしい。そのアンビバレントな動揺が、この『制止、症状、不安』の他の箇所にふんだんにあるが、最後には、やはり受け容れがたいとつぶやくことになる。その揺れの具合については「部分欲動と死の欲動をめぐる覚書」の最後にいくらかの抜き書きをしているので参照のこと。


なお《母の見えないという状況は》で始まる段落は、フロイトの翻訳の誤まりを積極的に提示されているさる精神科医さんのブログによれば、次のようであり、おそらくこちらのほうが正しいのであろう。新訳と比べてみる機会は、わたくしにはない(原文は読めないし、英訳と参照するのはいまはうっちゃる)。

翻訳正誤表】より
母の見えないという状況は、乳児が誤解しているせいで外傷的状況になるのであって、けっして危険の状況ではない。いやもっと正しくいうと、乳児がこの瞬間に、母によって満足〈=解消〉させてもらわねばならない欲求を感じていてはじめて、外傷的状況といえるのであり、この状況は、この欲求が当座のものでなくなると危険状況に変わるのである。

いずれにせよ、母への渇望は「原トラウマ」のようなものなのであり、その母が「模範的な」愛の実践者、苦境に立つひとへの愛を、子供への愛と同等に感じてしまうひとであるなら、子供の苦境は想像に難くない(神谷美恵子さんのご子息の発言をそう読むのは誤読かもしれないが、ここでもそう読める観点もあるだろうとする文脈で書いている)。

「なぜメイワクなのか?」をもうすこし具体的に説くフロイトの文がある。フロイトは、「お前の隣人をお前自身のように愛せ」という文化の側からの要請、つまり伝統的な西欧のキリスト教文化に対しての道徳規範に対して次のように異議を申し立てる。

なぜそんなことをしなければならないのか。そんなことをして何の役に立つというのか。それに第一、そんなことはできようはずはないではないか。私の愛は私の貴重な財産なのだから。充分な理由もなしに大盤振舞いすることなど許されない。(……) そんなことをすれば、私は間違いを犯すことになる。なぜなら、私の家族は私の愛を自分たちの持物だと思っているのだから。私がその他人をこれら家族の者たちと同列に置けば、私は自分の家族を不当に扱うことになる。けれども、その他人も昆虫・みみず・がらがら蛇などと同じくこの地上の生物であるという理由でどうしてもその他人を愛さなければならないとすれば、この他人に振り向けられる私の愛はごく微量だ。理性の判断にしたがうかぎり、私も私自身のために自分の愛の一定量を取っておく権利があるが、それだけの量の愛をこの赤の他人に振り向けることはとうていできない。(……) まったくの話、あのご結構な命令が「お前の隣人がお前を愛するのと同じようにお前の隣人を愛せ」といっていたら、私はなんの異議もさしまさまないだろう。(……) ところが、もっと不可解に思え、もっと激しい抵抗を感じさせる第二の命令がある。それは、「お前の敵を愛せ」というのだ。しかしよく考えて見ると、このほうがもっと不当な要求だといって退けるのは当たらない。なぜなら、これら二つの要求は、根本においては同じことをいっているのだから。(フロイト『文化への不満』)

なぜ、「お前の隣人をお前自身のように愛せ」と「お前の敵を愛せ」が同じことなのだろうか。

フロイトの認識の核心は次のようなものだ。

人間は、せいぜいのところ他人の攻撃を受けた場合に限って自衛本能が働く、他人の愛に餓えた柔和な動物なのではなく、人間が持って生まれた欲動にはずいぶん多量の攻撃本能も含まれていると言っていいということである。したがって、われわれにとって隣人は、たんにわれわれの助手や性的対象たりうる存在である ばかりでなく、われわれを誘惑して、自分の攻撃本能を満足させ、相手の労働力をただで利用し、相手を貶め・苦しめ・虐待し・殺害するようにさせる存在でもあるのだ。「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)といわれるが、人生および歴史においてあらゆる経験をしたあとでは、この格言を否定する勇気のある人はまずいないだろう。通例この残忍な攻撃本能は、挑発されるのを待ちうけているか、あるいは、もっと穏やかな方法でも手に入るような目的を持つある別の意図のために奉仕する。けれども、ふだんは阻止力として働いている反対の心理エネルギーが不在だというような有利な条件に恵まれると、この攻撃本能は、自発的にも表面にあらわれ、自分自身が属する種族の存続する意に介しない野獣としての人間の本性を暴露する。民族大移動、フン族――ジンギス・カーンおよびティームールにひきいられたモンゴル人――の侵入、信心深い十字軍戦士たちによるエルサレムの征服などに伴って起こった数々の残虐事件を、いや、さらに最近の世界大戦中」の身の毛もよだつ事件までを想起するならば、こういう考え方を正しいとする見方にたいし、一言半句でも抗弁できる人はあるまい。(フロイト『文化への不満』)

「人間は人間にとって狼である」(Homo homini lupus)とはホッブスの言葉であり、一般に「同情」の思想家と思われている反ルソー的立場であると思われている。だがルソー自身つぎのように書いてもいるのだ。


◆ルソーの『エミール』より三つの格率

・第一格率「人間の心は、自分よりも幸福な人の立場に自分をおいて考えることはできない。ただ自分よりも同情すべき人の立場に自分をおくことができるだけである」

・第二格率「人が他人の不幸を憐れむのは、自分もそれを免れていないと思う場合だけである」

・第三格率「他人の不幸について感じる憐れみの情は、その不幸の大小によってではなく、その不幸に悩む人が感じていると思われる感情によって加減される」


ここで反同情の哲学者ニーチェの言葉を抜き出してもよいのだが、それはここでは思い留まり、吉田秀和のニーチェをめぐる文のみを引用しよう。

ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和  神崎繁『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』からの孫引き

…………

※追記:フロイトの『制止、不安、症状』の英訳を参照するのはうっちゃるとしたが、怠慢はやめて見比べてみると次のようになっている(www.valas.fr/IMG/pdf/Freud_Complete_Works.pdf‎より)。


In consequence of the infant's misunderstanding of the facts, the situation of missing its mother is not a danger-situation but a traumatic one. Or, to put it more correctly, it is a traumatic situation if the infant happens at the time to be feeling a need which its mother should be the one to satisfy. It turns into a danger-situation if this need is not present at the moment. Thus, the first determinant of anxiety, which the ego itself introduces, is loss of perception of the object (which is equated with loss of the object itself). There is as yet no question of loss of love. Later on, experience teaches the child that the object can be present but angry with it; and then loss of love from the object becomes a new and much more enduring danger and determinant of anxiety.


《母を満足させなければならないという欲求》→《母によって満足〈=解消〉させてもらわねばならない欲求》



「言葉のコラージュ」と「原典のない翻訳」

前回、《自分が書く詩に飽きたので、「現代詩年鑑2013」掲載の作品から、無断でコラージュしてみました》とする谷川俊太郎のコラージュ詩を掲げた。

ところでアンドレ・ブルトンにも次のようなコラージュ詩がある。

軍人たち
かまうものか 私の詩句 のろのろしたことの
運び
活気
言わせておいた方がましだ
間接税収税人の
アンドレ・ブルトンが
退却を待ちながら
コラージュにふけっていると  André Breton, « Pour Lafcadio » [1919]

「自動記述」の手法によってより知られているアンドレ・ブルトンだが、そもそも自動記述の代表作『溶ける魚』の草稿には、新聞の切り抜きによるコラージュ詩が含まれていたようだ。
(中田健太郎『アンドレ・ブルトンにおける自動記述とコラージュ』による)


 …………

わたくしは「自分の言葉」で表現しようとすると、これはどこかで覚えこんでいた台詞を無意識的に劣化させた表現ではないか、と思えてしまうタチで、とくに海外住まいで日常的に日本語を使うことが稀なせいもあり、ーーと書いたところですでに劣化させた表現をしているわけだ、《昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象》という文を。

『大戦の終末』はきわめて素直な文章だといえるかもしれない。素直な、というのは誰かに教えこまれたのでもないのに、昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象を与えるからだ。事実、人間の死の予言は、神の死という言葉が流通しうる文化的な圏域にあっては、いずれ誰かが口にすべき言葉として予定に組みこまれていたもののはずである。あからさまに言明されることはなくとも、そうした命題が論じられて何の不思議でもない文脈が用意されていたのであり、それにふさわしいきっかけが与えられればたちどころに顕在化するはずの、潜在的な主題でさえあったといえるだろう。(蓮實重彦『物語批判序説』)

この文は紋切型表現批判をめぐる箇所なのだが、蓮實重彦に言わせれば、サルトルの『大戦の終末』でさえこのようなのだから、凡人はあまり気にすることはないともいえる。

さらには、書くことはみな「なぞり書き」であるという福田和也=ド・マンの発言がある。
ぼくは、書くことはみな「なぞり書き」だと思う。あらゆる意味でなぞり書きであって、それこそド・マンが、古典主義は意識的ななぞり書きをやって、ロマン主義は無自覚ななぞり書きだという言い方をしている。要するになんにもなしに書くことなんていうことはありえないわけで、いずれもなぞり書きである。ただそれに対して自覚的な人が批評家で、無自覚な人が批評家でないというわけではない。自覚的でありながら、それを非顕在的にするのが一応近代小説だったと思う。それがなぞり書きであるということは、非顕在的で、ナラティヴには表われない。それに対して批評というのは、無自覚な人であっても、それはなぞり書きだということがわかる構造になっているのが近代までの性格だったのでしょうね。(共同討議「批評の場所をめぐって」『批評空間』1996Ⅱ-10 福田和也発言))

そもそも美文家として誉れ高い三島由紀夫の文章について、こんな言葉さえある。

・三島さんのレトリック、美文は、いわば死体に化粧をする、アメリカの葬儀屋のやっているような作業の成果(大江健三郎)

・「目の前の現実に対して言葉は既成の言葉の中からほとんど自動的に選ばれる。つまりは美文が生まれる訳である」と大岡昇平は言っている。要するに銭湯の壁画みたいだと(丹生谷貴志)

ーー三島由紀夫の文章がこのようであるかどうかは評者により見解の相違があるだろうが、中途半端な才能の持ち主が文学的表現をしようとすると、「銭湯の壁画」のようにみえたり、「死体に化粧」であるのは、ツイッターやブログなどでうんざりするほど見られるだろう。

さて少し前に戻って、「自分の言葉」をめぐって鈴木創士氏は次のように書く。

「自分の言葉で表現しろ」は誤解を生む言いかたである。言葉は本来他人のものであり、その他人もまた別の他人から借りてきたのであって、言葉の使用法などというものはすでにして言葉の誤りである。規則や慣習に反抗した程度で損なわれる「自分」など、もともと表現するに値しないお粗末なものなのだ(鈴木創士ツイート)

ただしその剽窃やら引用やらなぞり書きでさえ才能は現われるもので、それは次の通りである。

文章など何をやってもいい。自分を引用しようが、引用を捏造しようが、自分を根絶やしにしようが、自分は自分などと言えないようにするためにどんな手を使おうが構わない。ただ全くピアノをやらない人に五分間滅茶苦茶の即興をやれと言っても続かないように、文章にもそういうところがあります。ばあ!(鈴木創士)

いわば語彙の豊富さ、音調、リズム、歯切れのよさ、ドモリよう、立ち止まり方などに才能が現われるのであって、ーーと書けば、これも劣化された要約であり、《細部がときならぬ肥大化を見せ、言葉の独走が起る》、あるいは、《言葉が独走するときに起るその種の衝突は、必ずしも迅速さの印象を与えるとは限らない。それは停滞としても、迂回としても、無方向な横滑りとしても起りうる》(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)と引用しておくほうがよい。

あるいはドモリとか立ち止まり方などというのは、ドゥルーズやアランの言葉を頭の片隅に覚えこんでいるのだが、正確に記憶しているわけではないための劣化である。

文体とは、自らの言語のなかでどもるようになること。難しい。なぜなら、そのようにどもる必要がなければならないのだから。発語(パロール)でどもるのではない、言語活動(ランガージュ)そのものによるどもりなのだ。自国語そのものの中で異邦人のごとくであること。逃走の線をひくこと。(ドゥルーズ『ディアローグ』)

ーーこのドゥルーズの発言には、プルーストの「美しい書物は一種の外国語で書かれている」がベースにある。

アランの文も並べておこう。

・散文にも、かならず一種の歌は聞こえる。フレーズの円環というべきかもしれないが。ただし、私にいわせるあんら、散文作家はそういう形をずたずたに切ってしまうという点で、詩人からきっぱり区別されるものだ。

・脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。

・散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。


さて、ここで基本に立ち戻るならば中井久夫の文がよい。

「文体」とは何であるか。古くからそれは「言語の肉体」であるといわれてきた。「言語の肉体」とは何であるか。それは、言語のコノテーションとデノテーションとの重層だけではない。歴史的重層性だけでもない。均整とその破れ、調和とその超出だけでもない。言語の喚起するイメージであり、音の聴覚的快感だけではない。文字面の美であり、音の喚起する色彩であり、発声筋の、口腔粘膜の感覚であり、その他、その他である。(中井久夫「創造と癒し序説」)

これらの才能の顕れの肝要な技法として、《「軽薄にソネットを扱いそこにピタゴラス的な美をみないのは馬鹿げている」(ボードレール)。ピタゴラス的な美とは、”現実”や”意味”と無関係に形式的な項の関係のみで成り立つものである》(柄谷行人『隠喩としての建築』)ということを忘れてはならない。

他にも、言葉の意味とはけっして無関係でないにもかかわらず「形式的」といえる技法として、オクシモロンというものがある(以下は、安永愛「 ポール・ヴァレリーのオクシモロンをめぐって」より)。

ヴァレリーはオクシモロンを多用した、《修辞学で言うオクシモロンoxymoronという言葉は、語源の上ではギリシャ語で「鋭い」を表すoxyと「愚か」の意味のmorosとが結びついたもので、「無冠の帝王」とか「輝ける闇」などの表現のように、通念の上では相反する、あるいは結びつき難い意味を持つ二つの言葉が結びつき、ぶつかりあいながら、思いがけない第三の意味を生み出すという一つの表現技法》。

魅惑の岩、豊かな砂漠、黄金の闇、さすらふ囚われびと、おぞましい補ひ合ひ、昏い百合、凍る火花、世に古る若さ、はかない不死、正しい詐欺、不吉な名誉、敬虔な計略、最高の落下(中井久夫訳ヴァレリー『若きパルク 魅惑』巻末の「オクシモロンー覧表」より)

シェイクスピアなら次の如し。

ああ喧嘩しながらの恋 、ああ恋しながらの憎しみ、ああ無から創られたあらゆるもの、ああ心の重い浮気、真剣な戯れ、美しい形の醜い混沌、鉛の羽根、輝く煙、燃えない火、病める健康、綺麗は汚い、汚いはきれい……

たとえば蓮實重彦のいくつかの概念《魂の唯物論》、《表象の奈落》などがオクシモロンでなくてなんだろう。

これはオクシモロンとはやや異なるが、偉大な思想家により、ひとつの言葉が相反する意味を示すことが説かれるのを知っていると、その語は特別な輝きをもつということがある。

神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』)


 で、なんの話であったか。

前回の谷川俊太郎のコラージュは、一行毎のコラージュであるようだが、文章といいうものは、実は単語のコラージュのようなところがあるわけだ、ということを言いたいために、松浦寿輝の次の文を引用するつもりだったのだ。

どの語彙を選ぶかどの構文を採るか、その選択の前で迷う自由はあっても、新たな選択肢そのものを好き勝手に発明することは禁じられているのだから、語る主体としての「わたし」が自分自身の口にする言葉に対して発揮できる個性など高が知れている。

しかし、実はこの制約と不自由こそ、逆に「わたし」が独我論的閉域から開放されるための絶好の契機なのである。どんな些細な言葉ひとつでもそれを唇に乗せたとたん、「わたし」は他者のシステムに乗り入れることになる。それを言い表そうとしないかぎり「わたし」自身に属する独自な感覚であり思考であると思われたものも、口に出すやいなや如何ともしがたく凡庸な言葉の連なりとして「わたし」自身の鼓膜によそよそしく響き、幻滅を味わうというのはよくある体験なのではあるまいか。自分の奥底まで届いた唯一のかけがえのない貴重な出来事を言葉にしようと試みて、語れば語るほど言葉がよそよそしく遠ざかってゆくというもどかしさが、われわれをしばしば苛立たせていないか。

だが、このよそよそしさとこのもどかしさこそ、言語の実践を彩っているもっとも豊かなアウラと言うべきものなのである。よそよそしさの溝を何とか跨ぎ越えよう、触れえないものに何とか触れようとして虚空をまさぐる宙吊りの時間のもどかしさに耐えながら、「わたし」は言葉を欲望する。言葉という他者に刺し貫かれることで豊かになりたいと願うのだ。

そんなとき、言葉は、まさしくあの「わたし」をうっとりさせる春宵の風の正確な等価物となる。むしろ、受精の機会を求めて風に乗って飛散する花粉のような何ものかと言うべきかもしれぬ。そして、よそよそしさともどかしさそのものを快楽に転じながら「わたし」が辛うじて声に出したり紙に書き付けたりしえた発語の軌跡とは、あたかもこの濃密な花粉を顔いっぱいに浴びてしまった人体に現れる過剰な免疫反応としての花粉症の症状にでも譬えられるかもしれぬ。他者のシステムとしての言語を前にした発語のもどかしさの快楽とは、眼の痒さやくしゃみを堪えながらしかし鼻孔をくすぐる花の香に陶然とすることをやめられずにいる者の、甘美なジレンマに似ている。(松浦寿輝『官能の哲学』)

さて最後に、次の古井由吉の驚くべき言葉をもう一度考えてみる「ふり」をするために掲げておこう。

……自分のは原文のない翻訳みたいなものだと言っていたこともあります。実際に原典があったらどんなに幸せだろうと思いますよ。ただ、原典のない翻訳というものは、文学一般のことかもしれないとも思っているんです。(古井由吉「文藝」2012年夏号)



2014年1月26日日曜日

「無断でコラージュ」


《自分が書く詩に飽きたので、「現代詩年鑑2013」掲載の作品から、無断でコラージュしてみました。》


明るさの気分がする
そこからあふれ出した声が
開始の合図 野はふるえる
かろやかにしんしんと

生きているとふいに出くわす
羊風船 戦争 インポ
きみの無知がかかえて歩く
妄執 贖罪黒糖饅頭

死者も歴史もすっかり古びた
バカヤローのカラ元気
その道すがらにふと
ないものに手を伸ばす

ああどこか遠くで
不可能の音世界は気まぐれの
ずぶ濡れの過ぎ去った場所
天空に逃げる笑顔の花嫁

覚えていますかわたしたちの
えたいの知れない眩暈と出鱈目
ありとあらゆる時代の労働が
不安にざわめきひびわれかわく



◆無断でコラージュ私篇


或る日、花芯が恋しかつた。
「牛乳をお飲みなさい、お薬だと思って。」
私は口をひらいた。私の蒼い咽喉。

私は憶えてゐる。
樹々の奥で、霧の奥で、燈火がともる。
藍色の靄のなかに、下駄の音が続いて
湯屋では賑やかな人声がする。

私達は見てゐる。私達は知つてゐる。
僮たちの瞳も、いつか、動かなくなる。
喪われたあの伝説のなかでのやうに。

忘るべきは、すべて忘れはてにき。
みすぼらしい小さな枕の上に
私の若さは眠つてゐた

屋根の上で雛が鳴いてゐた
澄明な空と冷たい空気
これこそ
私が選んだ季節だ

そこには頬のあはい
まなざしの佳い人があつて
浜風のなでしこのやうであつたが。

いくつもの夢を忘れて
煤けた障子のもとに
その人は
孤り者の火を抱いていた
母よ やるせないその夜をどうして過ごしたのか。

呼んでゐる
誰かが誰かを呼んでゐる
思ひ出のやうに

前掛をして老けた顔の女が立つてゐた


2014年1月25日土曜日

西脇順三郎の行分け

《行分けだけを頼りに書きつづけて四十年/おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心/というのも妙なものだ》(谷川俊太郎「世間知ラズ」)

散文詩と詩、特に自由詩とはどうちがうのか。日本語現代詩を諧謔的に「改行された散文詩」という人がいる。しかし、私見によれば、改行には意味がある。まず、改行は一拍子あるいはそれ以上の休止を意味する。次に改行のたびに音はリズムもアリテラシオン(頭韻)もアソナンス(母音の響き合い)も質を変えてよい。意味も跳躍を許される。すなわち、改行は詩に転調、変調、飛躍、回帰を許す。そして、改行は朗読を、ゆるやかにであるが、指示する。特に、長い一行は早く、短い一行はゆっくりという読み方を促す。

しかし、散文詩は違う。定義からして基本的に一パラグラフが一行の詩と私はみなす。

もちろん、散文詩は詩としての肉体を持たないわけではない。実際、訳出の上で、原文を筆写し、音読を繰り返すことが突破口を開いた力の一つである。しかし、詩の訳出が軽い憑依状態であるとすれば、散文詩の訳出は数式を解くのに近いクールな快感を伴う営みであった。(ヴァレリー「散文詩九編」後記 中井久夫)

西脇順三郎の詩は助詞や副詞が行末にきたり行頭にきたりする。それはおそらく上に中井久夫が書いているようなことにかかわるのだろう。

しかし微妙でわからない箇所もある。おそらくすでに研究者の方がなんらかのことを書いているのだろう。いやもっとも基本的なことで、わからないのは詩に不案内なわたくしの鈍感さのせいなのか。

たとえば、西脇順三郎の「粘土」には、《槇の生垣の中でおなかの大きくなつた女/舌をつき出してヘラヘラと笑つた》と《それから生きのこつたツユ草のコバルト色/土人の染料を思わせる》と「が」の位置が行末と行頭にくる詩行が混在する。

前者の一行目は槇の生垣の中でおなかの大きくなつた女」としてほうが一行としての完成度は高い。だが「が舌をつき出してヘラヘラと笑つた」とするとその行は魅力は激減する。

後者は「それから」と冒頭にあるので、「が」を次の行に移したのか。「それから生きのこつたツユ草のコバルト色」とすると、かなりうるさい詩行となる。次の行は「土人の染料を思わせる」としたほうがこの行だけ読めばより生きるが、二つの行両方の美感の選択で後の行頭に「が」がつくようになったのだろうと推測する。

これはもちろん西脇順三郎の詩だけではない。だが体言止めで一行が終わり、そこで一拍子の息をついたあと、つぎの「が」や「を」、「の」などが来たときのハッとする快さは、わたくしの場合、西脇の詩からもっとも強く感じる。

他の詩人のものであるならば、たとえば冒頭に掲げた谷川俊太郎の詩句、《おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心/というのも妙なものだ》--ここにある「……いちばん安心」での束の間の休息のあと、《というのも》と続くというのが、詩の醍醐味のひとつだろう。これはもちろん「音楽」の醍醐味でもあるのであって、ただし作曲家や演奏者によってそれを多く味あわせてくれるものとそうでないものがあり、それがわたくしの好みの分かれ目になることが多い。

もっともこれらは西脇順三郎の詩のある時期からの「自在さ」、その融通無碍といえばすむことであるのかもしれない。

《頭に浮んだイメージ、よみがえってきた記憶の切れはし、その瞬間にたまたま聞えてきた会話の断片》などが混淆して進みゆく詩行、《何か滔ゝと流れてゆく豊かな言葉の流れ、豊かなイメージの流れ》(松浦寿輝)、--その流れに身をゆだねて、快楽を味わえばよいのだろう。


…………

粘土  西脇順三郎 

われわれはもう何も考えないのだ
十月の初め三人の男が
洋服をきて下総の
湖水地方を歩いた
トネ河とツクバを左にみて
きのこの出る丘陵の腹に巣をくつている部落
から部落とつたつて
アリストテレスの話をしながら
歩いたのだ
農家の庭をのぞいて道を
きくと役所のあんちやん
だと思つたのか眼をほそくしてこわがつた
「どぶろくをつくつてはいけませんぞ」と
いうような言葉をラテン語で考えてみた
槇の生垣の中でおなかの大きくなつた女が
舌をつき出してヘラヘラと笑つた
やせこけた狐色の犬が向うをむいてほえた
それから生きのこつたツユ草のコバルト色
が土人の染料を思わせる
桃色のアザミの花がほんのりとしている
もはやわれわれは金銭以外のことは
考えない
和同開珍の地金で造つたような
異様なものがころびそうな
あみだ堂の柱にかかつていた
それを如何にしてぬすめるかその方法を
思つてみると合法的に不可能な夢
どの部落もはいつて行くと
この世にも珍しい香りにむせんだ
「見よこの人を」空をみあがるとキンモクセイの黒い
大木が老人のように立つている
田園の憂鬱の源泉
サボテンのメキシコの憂鬱
ウパニシャッドの中へ香水をたらしたようだ
われわれは海豹のように鼻をあげて
のそのそ歩いて行つた
どこへ行くのだと読者は思うだろうが
われわれは三つの部落を通りぬけて
粘土の山の上にある部落へ行くのだ
特に関東最大なタランボウの木のある家
へ行くのだ
アテネの女神のような髪を結つたそこの
おかみさんがすつぱい甘酒とミョウガの
煮つけをして待つているのだ
ピカソならこの家のポムプにはさすがに
よろこぶのだ
また数丈の粘土の中から鉄管が
石灰の白い水を汲みあげる
コップをすかしてみよ天然のどぶろく
なぜわれわれはこゝへ来たのか
俗人の好奇心はうるさい
疎開していた三馬と豊国と伊勢物語と
ニイチエの全集とメーテルリンクの蜜蜂の生活
をとりに来たのだ
カヤの大木が鷲の巣と一緒に
雷にやられていた
あたりが明るくなつていた
戦時と違つてわれわれはもはや
カヤの木はそれ程憧れない
天使の頭がじやまになつて少しも
天国がみえない
柿と栗を土産にもらつて帰るのだ
江戸の町人の神話の源泉もこの粘土からだ。
「また来んべ」

ーー 『近代の寓話』所収

…………

ここで、現代日本の詩に特有のことかもしれないが、押韻や定型を云々する以前に、詩は音読されねばならないかどうかが問題である。詩は必ずしも音読する必要はないかもしれない。これは、その人がどういう感覚によって詩を作りあるいは味わっているかという問題があって、当否で答える問題ではないと思う。ここで、音読とは、聴覚だけの問題ではないことを言っておくにとどめよう。たとえば、舌と喉頭の筋肉感覚があり、口腔の触覚を始めとする綜合感覚もある。私は、リッツォスの「三幅対」の第三において「接吻の直後にその余韻を舌を動かしながら味わっているひとの口腔感覚」を、音読する者の口腔に再現しようとしたことがある。


きみの舌の裏には、カレイの稚魚がいる。
ブドウの種がある。桃の繊維がある。
きみの睫毛の投げかける影には
暖かい南国がある……

(リッツォス『括弧Ⅰ』「三幅対」三「このままではいけない?」)


もし、音読を詩の必要条件の一つとするならば、いや、詩は時に読まれるべきものだとするなら、改行とは音読をガイドする働きを持っているかもしれないという仮説が生まれる。私は、改行とは、第一に、読む速度をそれとなく規定するものであると考える。長い行ほど早口で読むようにと自然に人を誘導すると私は思う。

視覚的言語が二つの要請を音声に与える。一シラブル(正確には一モーラ)をほぼ同じ速度で読ませようとする「文字」と、一行全体がほぼ同じ時間内に読まれる権利を主張する「行」とのせめぎあいである。これはシラブル数が不定な詩においては特に著しい。その結果として、読後の緩急が決ってくる。この緩急は、行の末端が作り出す上り下りによって、読者にあらかじめ示唆されている。
(……)

私の訳詩は思い入れをこめた緩急な朗読を予想していない。私は、現代日本語の美の可能性の一つは、速い速度で読まれることによる、母音と母音、子音と子音、あるいは母音と子音の響き合いにあるのではないかと思っている。(……)日本語のやや湿った母音は単独ではさほど美しくなくとも、その融け合いと響き合いとが素晴らしい美を醸成することを、私は信じている。
(……)

私は、詩の読まれる速さが、単純に一行の字数で決まるといっているのではない。まず、わが国においては、詩のたいていは漢字かな混じり文である。複雑な漢字は、その存在そのものが一字で二音以上である可能性を示唆し、読む者に、ゆるやかに読もうという姿勢を取らせる。また、漢字の多い行は、当然短くなる。これも、短い行はゆるやかに、という示唆のために、ゆるやかに読む姿勢を強化するだろう。

(中井久夫「詩の音読可能な翻訳について」『精神科医がものを書くとき Ⅱ』広栄社 所収)

…………

次は中井久夫が『日時計の影』の「あとがき」で謙遜して次のように書く、すなわち《…拙い翻訳ながら、私の訳詩の中では最良のものかと、ひそかに思っている。翻訳をしながら、また読み返しながら、涙がごみあげてきたのは、他にも絶無ではないが、訳者を泣かせるパワーがいちばん大きかったのはこの詩である》とするエリティスの長詩(一から十四節まであるが、ここでは冒頭と五だけ)を抜き出す。

…………


アルバニア戦線に倒れた少尉にささげる英雄詩

オディッセアス・エリティス  中井久夫訳


太陽が初めて腰をおろしたところ、
時が処女の瞳のように開いたところ、
風がハタンキョウの花びらを雪と散らしたところ、
騎兵が草の葉を白く光らせて駆け抜けていったところ、

端正なスズカケの樹冠がしなうところ、
高く掲げた長旗がはためいて、水と地とに尾を揺らすところ、
砲身の重さに背が曲がるのではなく、空の重みに、世界の重みに背がしなうのである。

世界は光る、きらりと、
朝まだき露の滴が山裾の野に光るように。

今、影が伸びる、神のため息のように、長く、いっそう長く。

今、苦悶が総身に覆いかぶさり、
骨の浮いた手が、花を摘んでは握りつぶす、一本 また一本と。
水無瀬の河の涸れ谷に憂いのみ多くして、歌は死に、声は絶え、
居並ぶ岩の列は髪ひややかなる僧のごとく、声を殺して
たたなわる原野を横ざまに切る。

身も心もこごえる冬。不運に不意を打たれる予感。
猪背〔ししせ〕の虚国〔むなくに〕の山並のたてがみ。

空の高みに禿鷹は舞う、高く高く、空の小さなパン屑を取り合って。



太陽よ、太陽は万能ではなかったか?
鳥よ、鳥は絶えず動いてやまない喜びの瞬間ではなかったか?
かがやきよ、かがやきは雲の大胆ではなかったか?
庭よ、庭は花の泰楽堂ではなかったか?
暗い根よ、根は泰山木を吹くフルートではなかったか?

雨の中で一もとの樹がふるえる時、
魂の立ち去った身体を不幸の女神が黒ずませてゆく時、
狂った者がおのれを雪で縛る時、
ふたつの眼が涙の流れにゆだねられる時、
その時、鷲は若者のゆくえを尋ねる。
鷲の子は皆、若者がどこへ行ったかときづかう。
その時、母はわが子のゆくえを尋ねて溜息をつく。
母たちは皆、その子のゆくえをきづかう。
その時、友は尋ねる、わがはらからのゆくえを。
友は皆、いちばん若いはらからのゆくえをきづかう。
指が雪に触れれば指は雪の熱さにたじろぎ、
その手に触れれば手は凍りつき、
パンを噛めばパンは血を滴らし、
空の深みを見やれば空は鉛の死の色となる。
なぜだ、なぜ、なぜなぜなぜ、死は体温を与えず、なぜ、こんな聖餐でもないパンが血を流し
なぜ、こんな鉛の空があるのだ、いつも太陽が輝いていたところに?


…………


最後に、冒頭近くに中井久夫のヴァレリー「散文詩九編」後記から引用したが、そこでは《詩の訳出が軽い憑依状態であるとすれば、散文詩の訳出は数式を解くのに近いクールな快感を伴う営み》とあった。そのヴァレリーの散文詩九編の最後のもの訳を挙げる。

眠る者の奇怪な声、その声の語り、それは思わせる、何かをしようとするのだが、身体全体は動かせても、個々の腕なり手なりは動かせない人を、――そういう人は一つの塊となり果てた身体を動かして欲する形におおまかなりとも近づこうとするが、自分の対象に到達するだけの機敏さを発揮する自由がない。

だが、睡眠者のこの無能に近づかなければならない。それは、永遠の無能力だ。あの、目醒めの時に知る無能力感、(たとえば)私たちに憑きまとう観念に到達できないという無力感だ。私たちの精神的四肢(てあし)はぎこちなさすぎて、そういう観念を捕捉できない。思出はなかなか精確にならない。苦悩はやすやすと分析による根本的解消ができない。理想、美しい詩、数学の解にはおいそれと近づけない。

だから、内側に秘められた意志は、手段がかくも貧しく、対象への適用がかくも難しく、間接かつ無効な作業がごく当たり前なのだ。目標は完璧に明白、素材は私の中にあるのに、私のもっとも強烈な欲望にさえ、素材をそれに従わせる行為が全然存在しない。偶然の機会でよしとし、特別ツイている一夜にすべてを委ね、時間が経ち、忘却が訪れるのを頼みにせねばならぬとは……。厳密な修正は、それ一つ行うにも世界中の事物の総体を勘定に入れねばならないーー、修正のために材料は全部あそこにあるというのに。(ヴァレリー『カイエ』ⅤⅡ 7以下1918 中井久夫訳)


2014年1月24日金曜日

とてもたのしいこと

最近あまりここで書く気がしなくてね
長いあいだ頭のなかでこね回していたことが
壁に穴をあけて向こうが見えた気がして
すこし休養だな
小説か詩でも読みたい気分だな






とてもたのしいこと  伊藤比呂美


あの、
つるんとして
手触りがくすぐったく
分泌をはじめて
ひかりさえふくんでいるようにみえる
くすくすと
笑いが
あたしの襞をかよって
子宮にまでおよんでってしまう
(ひろみ、
(尻を出せ、
(おまえの尻、
と言ったことばに自分から反応して
わ。
かべに
ぶつかってしまう
いたいのではない、むしろ
息を
洩らす
声を洩らす
(ひろみ
とあの人が吐きだす
(すきか?
声も搾られる
(すきか?
きつく問い糺すのだ、いつもそうするのだ
(すきか? すきか?

すき

って言うと
おしっこを洩らしたように あ
暖まってしまった




小田急線喜多見駅周辺


小田急線はいつも混んでいて立っていく
正午前後に乗る西武池袋線はたいてい座れる都営地下鉄も座れる。
普通乗るのはそういうのである
小田急線の下る方向には大学があるから人が多い。混んだ電車は乗りこむときの感情が嫌いである人を嫌いになりつつ乗りこむ
成城学園で乗りかえる。向かい側にいつも各停が口を開いて停まっている
人を嫌わずに入る。まばらにしか人がいないいつもいない
慣れないのでいつも急行の車輌の前いちばん前に乗ってしまう
急行の車輌のいちばん前と向かい合わせになる場所には各停の車輌がこない。各停は短い
各停のドアまで歩くうちに急行は動き出し成城学園を過ぎて坂を滑りおりていく坂を滑りおりてすぐ停まる
行き過ぎる車外の植物の群生を見ている
木から草になってまた木になる
草の中を野川が横切っていく
車外に植物の群生があふれる
慣れないので各停の車輌のいちばん前にいつも乗ってしまう。改札へ出る階段はホームの中程にある。上りホームヘ渡ったへんで媚びて手を振る

踏切を渡って徒歩10分のアパート
の部屋に入る
何週間か前に踏切で飛びこみがあった
踏切に木が敷かれてある
木に血が染みていた
線路のくぼみの中に血のかたまりと
臓器のはへんらしいものが残っていた

わたしたちは月経中に性行為した

アパートの部屋に入るとラジオをつける
わたしは相手の顔にかぶさって
顔のすみずみからにきびを搾った
剃りのこした頬のひげを抜いた
背中を向けさせた
背中にほくろ様のものがある
もりあがっているから分かる
搾ると頭の黒い脂がぬるりと出る
みみのうらも脂がたまり
搾るとぬるぬるぬるぬると出た
はでけをかんで引くと抜ける
わたしはつめかみだ
つめがない
つめではけがつかめない
はでやるとかならず抜ける
男の頬がすぐ傍に来るいつもつめたい
ひげが皮膚に触れた
ひげは剃ってある
剃りあとを感じる
前後に性行為する

荒木経惟の写真たちの中に喜多見駅周辺の写真を見てあこれはわたしが性交する場所だと思って恥ずかしいと感じたのだわたしは25歳の女であるからふつうに性行為する。板橋区から世田谷区まで来る来るとちゅうは性行為を思いださない性欲しない車外を行き過ぎる世田谷区の草木を見ているこの季節はようりょくそが層をなしている飽和状態まで水分がたかまる会えばたのしさを感じるだから媚びて手を振るが性行為を思いだすのはアパートの部屋でラジオをつけた時である

性行為に当然さがつけ加わった
踏切を渡って駅に出る
もしかしてぬるぬるのままの性器にぱんつをひっぱりあげて肉片の残る喜多見の踏切を渡ったかもしれないのである
水分はあとからあとから湧きでて
ぱんつに染みた





きっと便器なんだろう


…………
あたしは便器か
いつから
知りたくは、なかったんだが
疑ってしまった口に出して
聞いてしまったあきらかにして
しまわなければならなくなった


2014年1月23日木曜日

高所恐怖症

◆フロイト『制止、症状、不安』(人文書院旧訳より)

……外部(現実)の危険は、それが自我にとって意味をもつ場合は、内部化されざるをえないのであって、この外部の危険は無力さを経験した状況と関連して感知されるに違いないのである。p373

※註:そのままに正しく評価されている危険の状況では、現実の不安に幾分か欲動の不安がさらに加わっていることが多い。したがって自我がひるむような満足を欲する衝動の要求は、自分自身にむけられた破壊衝動であるマゾヒスム的衝動であるかもしれない。おそらくこの添加物によって、不安反応が度をすぎ、目的にそわなくなり、麻痺し、脱落する場合が説明されるだろう。高所恐怖症(窓、塔、断崖)はこういう由来をもつだろう。そのかくれた女性的な意味は、マゾヒスムに近いものである。

高所恐怖の症状があるのだが、たいしてひどいものではない(と自分では思っている)。ジャングルジムの頂上に登るのを敬遠するとか、遊園地の観覧車にのると冷汗がでる、あるいは高いビルで全面ガラスになっているようなところだとどうもいけない、――つまり足元が透明になっているといけないーーなどなど。観覧車でも大丈夫なタイプはあるので、出入り口が全面透明ガラスになっているヤツがいけない。ビルの屋上などの縁に腰かけて脚をぶらぶらさせているような写真は見ただけでゾッとする。アンコールワットでたいして気にもせずに高い塔に登って、降りるときには冷汗が出た。縄につかまっておっかなびっくりでソロソロと降りて他の観光客に笑われたなどということもある。そうはいっても山登りはへっちゃらなのだ。





自分では理由を、幼い頃、十歳ぐらいはなれた従兄と遊んでいて肩車から落ちそのとき肩を脱臼したーー後から聞いた話で全然覚えていないのだがーーそのせいではないかと思っていたが、フロイト曰く上記のようらしい。だがどうもこの叙述では納得できない…他の著者でも寡聞にしてかどうか、意外に高所恐怖症の叙述は少ないので、たいした「恐怖症」ではないのか…

ヒッチコックの『めまい』のスコッティは愛人ジュディ=マデリンが鐘楼の頂上から奈落の底に落ち込んだとき、はじめて高所恐怖症が治るのだったが、あれはなんだったのだろうか。たしか同時に「女の眼を覗き込む」ことができるようになったのでもあるが、わたくしは女の目を覗き込むのはそれほど不得手ではない。





2014年1月21日火曜日

「2050年の日本のGNPは韓国の半分」

わずか数十年で人口が半減に向かう(政府機関調べ)のに、放射能汚染の危険の方を選ぶのはおかしい。それは子供を産みたくなる社会ではない。人口減を抑えなければ生産者も消費者も消えてゆく。国力は下がるじゃないか。そもそも原発作っても、使う国民がぐっと減る。結論は明白だ。(いとうせいこう氏ツイート)

今更感もあるが、こういったことは何度も繰り返していわなければならないのだろう、《いまは当たり前のことを当たり前にいわなきゃいけないんだ》、と中上健次は死ぬ一年前(1991)に語った。


◆『2050年の世界』(文藝春秋刊2012)

英国の『エコノミスト』誌は、1962年に「驚くべき日本」と題して、日本が世界の経済大国へのしあがっていくとの長期予測を発表し、的中させた実績があります。シンクタンク機能を持ったこの雑誌が、2050年までの世界を20の分野で大胆に予測します。「2050年の日本のGNPは韓国の半分になる」「2050年の日本の平均年齢は52.7歳。アメリカのそれは40歳」。人口動態、戦争の未来、次なる科学と技術、環境、生活などなど。あなたの未来も見えてきます。(2050年の世界 英『エコノミスト』誌は予測する
〈2050年までには、被扶養者数と労働年齢の成人数が肩を並べるだろう。過去を振り返っても、このような状況に直面した社会は存在しない。中位数年齢(*注)が52.7歳まで上昇した日本は、世界史上最も高齢化の進んだ社会となるはずだ〉(世界で最も悲惨な2050年迎える国は日本

※エコノミスト誌の韓国の2050年予測については、楽観的すぎると疑ったほうがいいのかもしれない→ 資料:韓国の自殺率と出生率

…………


《構造主義は、場所がそれを占めるものに優越すると考える新しい超越論的哲学と分かちがたい》(ドゥルーズ「構造主義はなぜそうよばれるのか」)――たとえばマルクスの『ブリュメール』や『フランスの内乱』はメタ分析だ、ロンドンだかの亡命先で書いたのだから。

もちろん肝心なのは「出来事」に決っている、だが「出来事」でさえも「構造」から出てくる場合が多いということをわれわれは知ってしまっている。「刑事は現場を百遍踏む」の現場主義の限界、その罠をいやというほど知ってしまっている(参照:柄谷行人の「構造と反復」をめぐって

実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』

もっともメタ言説批判というものはつねにある。たとえばロラン・バルトによる親しい仲間たち(『テル・ケル』誌同人)、--テキスト論者たちーーへの吟味=批判というものはある。メタ言説を批判し生成するテクストを顕揚している彼らの文章そのものは生成テクストになっておらずメタに終始しまいがちなのではないか、というものだ。

メタ言語を破壊すること、あるいは、少なくともメタ言語を疑うこと(というのも、一時的にメタ言語に頼る必要がありうるからである)が、理論そのものの一部をなすのだ。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないだろう。(『作品からテクストへ』)
「テクスト理論」と呼ばれるメタ言語的な言説とも深くかかわりあってはならず、あくまで浅い関係にとどまらなければならない。なぜならみずからそうした言説を担うことは、支配する「テクスト」を支配することにほかならず、とどのつまりは「テクスト」の終りの宣言にも通じてしまうからだ。(蓮實重彦『物語批判序説』)

要するに、いまだ《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない》(蓮實重彦『闘争のエチカ』)には相違ない。

だがメタ言説を敬遠し過ぎて次のような視点を忘却してはならないだろう。むしろ多くの日本人の特性として目先のことしか目がいかないという面があるのは、江戸時代からの伝統である(参照:いつのまにかそう成る「会社主義corporatism」


原発事故後すこしは読まれた、ジャン=ピエール・デュピュイは「たとえ知識があろうとも、それだけでは誰にも行動を促すことはできない」と言う。なぜなら「私たちは自分の知識が導く当然の帰結を、自分で思い描けないから」。

いわゆる「弱者擁護」姿勢はいまのシステムを続けるかぎり生れてくるはずはない、ひとつの弱者保護が仮になされればほかによりひどい皺寄せが生まれるに決ってる(たとえば教育費削減)。

ーーーー「引き返せない道」より


未来の日本のよりいっそうの少子化、その驚くべき人口構成の「構造」からは強い反対の圧力がある。そんなことはだれも分かっているのに。――現場主義に拘泥して喜怒哀楽を表明しても無駄な抵抗だ。なぜ知性も教養もある研究者や学者たちなどでさえもが、目先の不快を表明してばかりで、すこしでもメタの視点に立ってみようとする気配が稀にしか窺われないのだろう。いやわたくしは彼らの見解をツイッターでの発言を垣間見るのがほとんどなどで誤解があるかもしれない。そもそもツイッターというのは目先主義者たちの発話の場なのかもしれない。

「勤勉の論理」者たちなのだ、ほとんどがいまだに。

(彼らは)カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始する(……)。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)

極論をいえばいま消費税に反対することは、社会保障費、教育費削減に賛成することを意味する(アベノミクスがひどく成功してバブル時代の税収が復活するなどということが起こらねば)。日本の「家計」を帳尻が合うようにするには、消費税30%ほどが必要なのだ(参照:アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン

もちろん当面の引き上げの影響はあるだろう、

私は「消費税引き上げの影響は存外に大きい可能性がある」という見方です(植田和男先生とたぶん同じ)。ただし、目先の景気と将来の負担との比較の問題で、目先の痛みは大きいとしても、それをしなかったときの将来の痛みはもっと大きいと考えています。(池尾和人氏ツイート)




ーーー将来推計人口でみる50年後の日本(内閣府統計より)

いまだに1997年の消費税引き上げにおいて税収は下がったじゃないかなどともっともらしい理屈をつけて消費税反対をノタマウ連中がいる。税収を上げるために消費税をゼロにする議論がまったくないのはではどういうわけか。すこしもで考えてみたらわかる。

《消費税が3%から5%に引き上げられた1997年の景気動向については、アジア通貨危機(7月)、金融システムの不安定化(11月)という大きなショックに日本経済が見舞われたため、消費増税そのものの影響だけを析出するのは容易ではない。》(社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書説明資料(第Ⅱ部)  平成23年5月30日東京大学大学院経済学研究科長吉川洋 )

破局(カタストロフィ)の預言者はいつも受け入れられない。なぜなら、破局はまだ起こっておらず、それはあいまいな「未来」でしかない。人びとは現在の現実的関係のなかで生きていて、まだ訪れていない「未来」を基準に行動しようとはしない。だから予言は、事が起こったときにしか信じられない。だが、それでは遅すぎるのだ。予言には意味がなかったことになる。予言は人びとに破局を避けさせるためにこそなされるのだが、それが起こってしまっては、予言はその役目を果たさせなかったのだ。(西谷修-『ツナミの小形而上学』と高木仁三郎

《「俺の放言放言と言うが、みんな俺の言った通りになるじゃないか」と彼は言う。言った通りになった時には、彼が以前放言した事なぞ世人は忘れている。「馬鹿馬鹿しい、俺は黙る」と彼は言う。黙る事は難しい、発見が彼を前の方に押すから。又、そんな時には狙いでも付けた様に、発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人が現れる。林は益々頭の粗雑な男の様子をする始末になる。(小林秀雄「林房雄」『作家の顔』所収)》

―――《この「予言のパラドクス」から、人はどうしたら抜け出すことができるのか?》

過去と未来の閉じた回路である時間―未来はわれわれの過去の行為から偶然に生み出されるが、 その一方で、 われわれの行為のありかたは、未来への期待とその期待への反応によって決まるのである。

『大惨事は運命として未来に組みこまれている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていて も、起こるはずはなかった、ということだ。……たとえば、大災害のように突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずがなかったのに起こったのだ。にもかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事が現実になること――それが起こったという事実こそが、遡及的に その必然性を生みだしているのだ(Jean=Pierre Dupuy, Petit métaphysique des tsunami, Paris, Seuil 2005, p. 19.)。』

もしも―偶然に―ある出来事が起こると、 そのことが不可避であったように見せる、 それに先立つ出来事の連鎖が生み出される。 物事の根底にひそむ必然性が、 様相の偶然の戯れによって現われる、 というような陳腐なことではなく、これこそ偶然と必然のヘーゲル的弁証法なのである。 この意味で、人間は運命に決定づけられていながらも、 おのれの運命を自由に選べるのだ。

環境危機に対しても、このようにアプローチすべきだと、デュピュイはいう。 大惨事の起こる可能性を 「現実的」に見積もるのではなく、 厳密にヘーゲル的な意味で<大文字の運命>として受け容れるべきである―もしも大惨事が起こったら、 実際に起こるより前にそのことは決まっていたのだと言えるように。 このように<運命>と ( 「もし」 を阻む)自由な行為とは密接に関係している。自由とは、もっと根源的な次元において、自らの<運命>を変える自由なのだ。

つまりこれがデュピュイの提唱する破局への対処法である。 まずそれが運命であると、 不可避のこととして受けとめ、そしてそこへ身を置いて、 その観点から (未来から見た) 過去へ遡って、 今日のわれわれの行動についての事実と反する可能性(「これこれをしておいたら、いま陥っている破局は起こらなかっただろうに!」)を挿入することだ。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』)


現在を、カタストロフィが起こる未来にとっての過去と見ること。そのとき、現在とは、「未来において避け得ずに起こってしまった災害によって書きかえられた過去」となる。この「未来の固定点」からの遠近法が「プロジェクトの時間」であり、つまりは、フレドリック・ジェイムソンのいう「現在へのノスタルジア」的なパースペクティヴでもある。そして繰りかえせば、《「これこれをしておいたら、いま陥っている破局は起こらなかっただろうに!」)を挿入すること》だ。