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2014年10月26日日曜日

「美しい旋律にもまして趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない!」(ニーチェ)

ニーチェは最終的には『力への意志』という標題の書物を断念したという見解が有力で ある。 しかし、 「あらゆる価値の価値転換」 というモチーフは維持されていたと考えられて いる(大石紀一郎ほか編『ニーチェ事典』 (弘文堂、1995 年)の大石紀一郎氏による「ニ ーチェ年譜」および三島憲一氏による「さまざまなニーチェ全集について」参照) 。 『力へ の意志』 の標題が計画されていたことは、 本文中に引用した通り、 『道徳の系譜学』 の中で も記されているのであるから、 『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる。(ニーチェ『道徳の系譜学』における「無への意志」の階層性と両義性について 松田愛)

ーーという文章を読んだが、『道徳の系譜』における『力への意志』への言及は次の通り。

――もう沢山だ! もう沢山だ! われわれは最も近代的な精神のこの珍奇と複雑から眼を転じよう。それは滑稽であるとともに嫌悪すべきものである。(……)そうした事柄については、私は他の機会においてもっと根本的に、またもっと厳密に論及するつもりである(『ヨーロッパのニヒリズムの歴史について』という標題のもとに。これに関して私は、私の目下準備しつつある著作、すなわち『力への意志、あらゆる価値の価値転換の試み』を紹介しておく)。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p204)

松田愛さんの論に《『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる》とあるが、ではどんな変更があったとするのか。「力への意志」概念には飽きてしまったのなら、なんのせいか、――こういった問いはどうでもよいかもしれないが、乗りかかった船ではあり、すこし探ってみることにしよう。

大いなる年、1888年が来る。『偶像の黄昏』、『ワーグナーの場合』、『アンチクリスト』、『この人を見よ』。あたかもニーチェの創作能力が激しくかき立てられ、崩壊に先立ってその最後の飛躍を遂げたかのように、一切は進行したのである。偉大な技量を示すこれらの作品においては、トーンさえも変化する。ある新しい暴力性があり、〈超人〉的なものが持つコミック性のように、新たなユーモアが見られる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 p24)

この大いなる年の作品、――ハイデガーも別の意味でだろうが、ニーチェのプラトニズムの転倒からの真の転回脱出が《ニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられた》(ハイデガー『ニーチェ』)と言っているーー、この、1889年初頭に狂気に陥る前年、かの大いなる年に書かれた著作に、『力への意志』を放り出すような痕跡がなにかあるのか。

芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく。私は(『芸術の生理学によせて』という標題の私の主著の一章において)以下のことを詳細に示す機会をもつであろう、すなわち、芸術の俳優的もののうちへのこの総体的変化は、まさにまぎれもなく生理学的退化の一つの現われ(もっと精確には、ヒステリー症状の一形式)であって、この点はヴァーグナーによって開始された芸術のそれぞれの頽廃や脆弱さも同様であり、その実例は、瞬間ごとに立場を変えるのに必要なこの芸術の観点の動揺においてみられることを。(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』1888年のトリノ書簡  原佑訳p308)

というわけで、他にもあるのかもしれないが、『芸術の生理学によせて』という痕跡を見つけ出しただけでわたくしは満足しておく。大いなる年における文体の音調の変化については、ヘルダーリンとそれを解釈するアガンベンの言葉でも抜き出しておくことにしよう。

「すべてはリズムであり、あらゆる芸術作品が唯一のリズムであるように、人間の運命全体は、天上の一なるリズムである。そして一切は、神の吟唱する唇によって振動する……」(ヘルダーリン)

ーー《アガンベンはヘルダーリンを解釈して、「芸術作品」とは真理を開くための根源的な「空間」であると把捉する。この空間は、「人間という世界内存在の構造、および人間が真理や歴史と結ぶ関係の構造そのものが賭けられているような次元」を意味している》とのことだそうだ(マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』×ジョルジョ・アガンベン『中身のない人間』)。

・この空間の中で初めて人間は、地上における自己の居住の根源的な尺度を測り、直線的な時間の途切れることのない流れの中に現存する自己の真理を見出すことができるのである

・芸術作品を経験する時、人間は<真理>のうちに、言い換えればポイエーシス的行為においてようやくヴェールを剥がされる始原のうちに直立しているのである」(アガンベン『『中身のない人間』)

おわかりであろうか、わたくしの伝えたいことが。ーーなんだと? まだわからないだと? ではしかたがない、くどくなるのを怖れないでもないが、こう引用しておこう。

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー聖者と道化、あるいはニーチェとラカン


ところで上に引用した『ヴァーグナーの場合』には、《芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく》とあり、「俳優」と語が出てくるが、この言葉をただひたすら嘲弄語彙と勘違いしてはならない。ニーチェの俳優の捉え方には両義性がある。

徳の俳優と罪の俳優。――徳のために有名になった古代の人々の間には、自分自身に対して俳優を演じた人々が数えきれないほど多数いたように思われる。ことにギリシア人は、根っからの俳優であるから、このことをまさしく全く無意識的に行ない、よいことだと思ったであろう。その上各人は自分の徳で、ある他人の徳または他のあらゆる人々の徳と競争していた。自分の徳を見せびらかすために、何よりもまず自分自身に見せるために、練習のためにさえも、あらゆる手段に訴えてどうしていけないのだろう? 示すこともできず、示し方を心得てもいな徳が何の役にたとうか! ――これらの徳の俳優たちを阻止したのは、キリスト教である。その代わりにキリスト教は、罪の不快な顕示と誇示を案出し、捏造された罪深さを世界にもちこんだ(今日にいたるまで、立派なキリスト教徒の間では、これが「上品な作法」と見なされている)。(ニーチェ『曙光』29番 茅野良男訳)

そして『ツァラトゥストラ』にはこうある。

・かれらのうちには自分で知らずに俳優である者と、自分の意に反して俳優である者とがいる。――まがいものでない者は、いつもまれだ。ことにまがいものでない俳優は。

・やめよ、おまえ、俳優よ、贋金造りよ、根柢からの嘘つきよ。おまえの正体はわかっている。

・おまえ、孔雀のなかの孔雀よ、虚栄心の海よ。何をおまえはわたしに演じてみせたのだ。よこしまな魔術師よ、(……)

・よこしまな贋金造りよ、おまえにはほかにしようがないのだ。おまえは医者に裸を見せるときでも、おまえの病気に化粧をするだろう。。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

 このように、ギリシア人の「徳」の俳優が顕揚され、キリスト教的な贋金造りーー「罪」の俳優が貶められているわけだ。

ギリシアの神々(……)。高貴で自主的な人間の反映たるあの神々にあっては、人間のうちにある動物は自分を神のように感じたので、従って自分自身を喰い裂くこともなかったし、自分自身に対して狂暴を仕かけることもなかったのだ! あのギリシア人たちは極めて長い間、彼らの神々を実に「良心の疚しさ」を寄せつけざらんがために用い、彼らの精神の自由を愉しみ続けえんがために用いた。つまり、彼らは神々をキリスト教のおける用い方とは正反対の意味において用いたのだ。彼らはーーその素晴らしいし、獅子のような心をもった子供たちは、この道をずっと遠く進んで行った。(……)

オリュンポスの目撃者かつ審判者が(……)、人間を怨んだり悪く思ったりは決してしないのを聞き、また見るであろう。「奴らは何と愚かなのだろう!」と彼は死すべき者たちの非行を見て思うーーそして、「愚かさ」・「無分別」・少しばかりの「頭の狂い」、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として許したーー愚かさであって、罪ではないのだ! 諸君にはそれがわかるか……しかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーー「そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。われわれ高貴な素性の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?」ーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。「きっと神が瞞したのに違いない」とついに彼は頭を振りながら自分に言った…… この遁辞はギリシア人にとって典型的なものだ…… このように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろより高貴なものを、すなわち罪を身に引き受けたのだ……(『道徳の系譜』p111-113)

ここでギリシアに学んだ--おそらくニーチェ経由でーーフーコーの『性の歴史』における克己enkrateia、節制sophrosyneを持ち出してもよいが(参照:プラトンとフロイトの野生の馬)、長くなりそうなので、いまはひたすらニーチェメモに徹することにする。

わが友らよ、私たちが理想に本気であるなら、私たちは誹謗しよう、私たちは旋律を誹謗しよう! 美しい旋律にもまして危険なものは何ひとつとしてない! それにもまして確実に趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない! わが友よ! 人がふたたび美しい旋律を愛するときには、私たちは見捨てられていうのである! ・ ・ ・

原則、旋律は非道徳的である。証明、パレストリーナ。応用、『パルジファル』。旋律の欠如はそれ自身神聖にする・ ・ ・(『ヴァーグナーの場合』p305-306)

おわかりだろうか、ベルニーニにぞっこんの諸君たちよ!




頽廃は一般化している。病気は深部にある。ベルニーニが彫刻の荒廃の代名詞であるように、ヴァーグナーが音楽の荒廃の代名詞であるとしても、それだからとて彼はその原因であるのではない。彼はその荒廃のテンポを速めたにすぎない(『ヴァーグナーの場合』「第二のあとがき」p337)



ワーグナーを聴くなら、へなへなした美貌歌手ではなく、ギリシアの神々の生れ変りのようなジェシー・ノーマンで聴くべきだ、彼女ならニーチェもきっと許してくれることあろう。






わたくしはどちらかというと神々への幅がひろいほうなので、ジェシー・ノーマンほどではなくても、ノアルスイユ夫人タイプの歌手であれば許すことにしているが。

「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」(『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

おわかりであろうか、わたくしの趣味が。それとも諸君と同じように美しき魂の持ち主を愛するべきなのだろうか、《完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども》を。

女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

我が日本にも味方がいるではないか! もっとも荷風や谷崎の女は、歌をうたうのはひどく下手そうではあるが。

毒婦の第一の資格は美人でなければならぬ。其れも軽妙で、清洒で、すね気味な強みを持つてゐる美人でなければならぬ。其れ故、毒婦が遺憾なく其の本領を発揮する場合には観客は道義的批判を離れて、全く芸術的快感に酔ひ、毒婦の迫害に遭遇する良民の暗愚遅鈍を嘲笑する(永井荷風『虫干』ーー倒錯と女の素足(谷崎潤一郎)
幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って(……)国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代り死に代った麗しい多くの男女の、夢の数々から生れ出いづべき器量(谷崎潤一郎『刺青』)
…………

《私は少しばかり窓を開けたい。空気を! もっと空気を!》(『ヴァーグナーの場合』p300)

よい空気が大切なのだ! よい空気が大切なのだ! そしてとにかく文化のあらゆる癲狂院や病院の傍を離れることだ! だからこそ良い仲間が大切なのだ! いずれにせよ、内向的な頽廃と内密な病人の虫害とが放つ悪臭から遠ざかることだ!…… わが友らよ、われわれがそれこそわれわれ自身のために取っておかれたかもしれないあの二つの最も悪性の疫病から少なくともなお暫くの間実を守るために、――人間に対する大なる吐き気から! 人間に対する大なる同情から!…… (ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p158)

という具合ではあるがニーチェはワーグナーにぞっこんだった自らを恥じているわけではまったくない。

――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)
哲学者が最初にして最後におのれに求めるものは何であろうか? おのれの内なるその時代を超克すること、「無時間的」となることである。それでは彼は何とそのこのうえなく苛烈な死闘をまじえるのか! まさしく彼がその点で時代の子であるそのものとである。よろしい! 私はヴァーグナーと同様この時代の子である、言ってよいなら、デカダンであるが、ただ私はこのことをわきまえていた、ただ私はこのことに対して抵抗した。私の内なる哲学者がそれに対して抵抗したのである。


私が最も深くたずさわってきたもの、事実それはデカダンスの問題であった、――私はそのために理由をいくつかもっていた。「善と悪」はあの問題に一変種にすぎない。衰退の特徴について眼識をそなえてしまえば、道徳の心得もまたそなわる、――道徳のこのうえなく神聖な名称や価値定式のしたに何が隠されているのかがわかるのである。すなわち、それは貧困化した生、終末への意志、大きな疲労にほかならない。道徳は生を否定する・・・そうした課題のために私には自己訓練が必要であったのである、すなわちーーヴァーグナーをもふくめて、ショーペンハウアーをもふくめて、全近代的「人間性」をもふくめて、身に深い疎遠、冷淡、幻滅、しかも最高の願いとしては、ツァラトゥストラの眼、人間という全事実を途方もない遠方から見渡す眼、――おのれの下に見おろす眼・・・そのような目標――どのよおうな犠牲もそれに相応しないのではなかろうか? どのような「自己超克」も! どのような「自己否認」も!

私の最大の体験は一つの快癒であった。ヴァーグナーはたんに私の病気のうちの一つにすぎない。

私がこの病気に対して忘恩であろうとすると言うのではない。私はこの著作でもって、ヴァーグナーは有害であるとの命題を堅持するとしても、それに劣らず私は、それにもかかわらず彼が誰にとって不可欠であるかということも堅持しようと思うーーそれは哲学者にとってである。さもなければ人はおそらくヴァーグナーなしでやってゆくことができるであろうが、ヴァーグナーなしですますことは、哲学者の勝手にはならないのである。哲学者はその時代の良心のやましさでなければならないがーーそのためには哲学者はその時代の最良の知識をもっていなければならない。しかし哲学者は近代的魂の迷路にとって、ヴァーグナーにもまして通暁した道案内人を、雄弁な精通者を、どこに見いだすことができようか? ヴァーグナーをつうじて近代性はその最も親密な言葉を語っている。すなわち、それはその善いところも悪いところも包み隠さず、それはおおれに対するすべての羞恥を忘れてしまっているのである。また逆に、ヴァーグナーでみられる善と悪に関して明らかとなるなら、近代的なものの価値に関して決着をつけたも同然である。――私には、「私はヴァーグナーを憎むが、私にはもはや他の音楽は耐えられない」と今日誰か音楽家が言うなら、それは完全に理解できる。しかしまた私には、「ヴァーグナーは近代性を要約している。どうにも仕方がない、まずヴァーグナー主義者とならざるをえない・・・」と言明する哲学者の心も、わかることであろう。(『ヴァーグナーの場合』「序言」p285-287)

 さて、「諸君、おわかりであろうか?」ーー、私はこれにていささか肩の荷をおろすことにする。《「優れたものは軽やかであり、一切の神的なものは華奢な足で走る」、これが私の美学の第一命題である。(……)このことでそれは、音楽における多足類とは、「無限旋律」とは反対のものとなる》

フーコーがすでにとっくの昔にいっているように、数々の美しいイマージュをーーわたくしはこれを「数々の美しい旋律を」と翻訳するのだがーー、創り出すのではなく、イマージュを(美しい旋律を)ときほどし、炸裂させた処に顕現するギリシアの神々の軽やかな透明さを愛でるべきであるーーとすれば、あのギリシアの神々の生まれ変わりジェシー・ノーマンは軽やかで華奢な足をもっているといえるのだろうか?--

フィクションはもはや数々のイマージュを倦むことなく生産し輝かせる能力であるべきではなく、逆にそれらイマージュの結びつきをほどき、すべての過重からくる負担を軽くしてやり、内的な透明さ、それらイマージュを少しずつ照らしだしてついにはそれらを炸裂させ、想像し得ぬものの軽やかさのうちにそれらを散らばせる透明さをもってそれらの住処とするような力であるべきなのだ。(フーコー『外部の思考』――モーリス・ブランショ論)

…………

ここに附録のようにしてつけ加えるとするなら、ニーチェの1888年における転回、これについては小林秀雄やクロソウスキーなどによる1887年のドストエフスキーとの出会いの影響の指摘もある。

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」ーー山師ニーチェ
The sick are rehabilitated for having a greater compassion and, at the same time, for having 'invented' malice; ageing, decadent races are rehabilitated for possessing more spirit; thefool and the saint are rehabilitated - and opposed to the 'genius' and the 'criminal adventurer', who are here united in a single affective genus. Such revisionism, in Nietzsche, was due in large part to his discovery of Dostoevsky. For even if they derived opposite conclusions from their analogous visions of the human soul, Nietzsche could not help but experience, through his contact with Dostoevsky's 'demons' and the 'underground man', an infinite and incessant solicitation, recognizing himself in many of the remarks the Russian novelist put in his characters' mouths.(『 Nietzsche and the Vicious Circle』PIERRE KL,OSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)


2014年10月21日火曜日

Encore, encore ! --快・不快原理の彼岸=善悪の彼岸

フロイトとニーチェの仲良しぶりを探るのにもやや飽きてきたので、
いつもにもまして雑然と書くことにする。

…………

表題に示したように
Jenseits des Lustprinzips『快原理の彼岸』ってのは
Jenseits von Gut und Böse『善悪の彼岸』のパクリだよ

快原理とは、快・不快Lust und Unlustの原理のことだからな

そして善悪の彼岸ってのは権力への意志さ
快・不快の彼岸は欲動(衝動)でね

権力への意志というのは衝動(impulusion)さ
ドゥルーズの権力=〈力〉puissanceを活かしたいのなら
権力への意志は、〈力〉puissanceへの衝動implusionさ
いや”への”じゃなくて〈力〉衝動かもな

フロイト=ラカン派なら欲動、あるいは死の欲動ってわけ
すべての欲動は潜在的には死の欲動だからな
《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)

享楽の漂流だっていいさ

きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流?」と翻訳する。(ラカンセミネールⅩⅩアンコール私訳)

で、それでどうしたってんだ?
灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その永劫回帰
おれたちの生の形式はTriebmischung(エロスとタナトスの欲動融合)さ

権力への意志が原始的な欲動=情動(Affekte)形式であり、その他の欲動(Affekte)は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)

死の欲動=権力への意志が人間の根源的なものだとしても
そう分かって何かの役に立つのかいね
どうたい? 大地と合体しようとして(エロス)
土の中に死(タナトス)をみてしまった中上健次よ
それでも永劫回帰(反復運動)するかね

秋幸はまた働いた。自分が考えることもない一本の草の状態にひたっていたかった。過去も未来もない。風を受けとめ、光にあぶられて働く。土がつるはしを引くと共に捲れ、黒く水気をたくわえた中を見せる。それは土の肉だった。土の中に埋まって掘り出された石はさながら大きな固い甲羅を持つ動物が身を丸めて眠っている姿だった。いや死体に見えた。土の中の石は死そのものだ。肉も死も日に晒され、においを放ち、乾いた。掘り出され十分もすればそれらは風景の中に同化した。(中上健次『枯木灘』ーーエロスとゆらめく閃光

ロマン派をバカにできる程度じゃないか
憐れみとか惻隠の情とかいってるホモセンチメンタリスたちを。


クロソウスキーは、ニーチェ用語、
欲動Triebe、欲望Begierden、本能Instinke、
権力Machte、力Krafte、衝動Reixe, Impulse、
情熱Leidenschaften、感情Gefiilen、情動Afekte、
情熱Pathosを、ひとまとめに衝動implusionとするのだけれど、
フロイトやラカン用語のTriebやらDrangやらEncoreやらってのも
衝動implusionでいいさ。

主体は、己のa(対象a)の完全な応答を得る/与えるのを確信するために、(母)他者〔(m)other〕を独占したい。だがそのような完全な応答は不可能である。そこにはつねに残余があり、“ Encore”(もっと、またもっと)の必要の切迫がある。“ Drang ”(衝拍、もしくは圧力)は、ドライブ〔欲動の継続〕したままだ。

The subject wants the (m)other all to itself, to be sure of getting/giving a complete answer to (a). Such a complete answer is impossible, there is always a remainder and a necessity for an “ Encore ” : the “ Drang ” keeps driving .……(『Sexuality in the Formation of the Subject』 Paul Verhaegheーー部分欲動と死の欲動をめぐる覚書

ーーここでの“ Encoreは、もちろんラカンのセミネールⅩⅩの題名であり、そこでの大きな主題は欲動(享楽)だ。そして Drang は、フロイトの『欲動とその運命』における、欲動の四つの区分のうちの最重要なひとつである。


われわれは欲動の概念と関連して使用される若干の術語を検討することにしたい。それは欲動の衝迫 Drang、目標 Ziel 、対象 Objekt、源泉 Quelleなどの言葉である。(フロイト『欲動とその運命』)

フロイトはこのDrang以外にも、
Affektbetrag  Erregungssumme  QuantitativeFaktorなどと言ってるのだが、
まあ全部クロソウスキーのimplusionでいいさ、あるいは権力への意志でね

お、藤田博史センセいいこといってるじゃん。

欲動の衝迫というのは、欲動の運動モーメントとか力の総和とか作業要求の尺度のことです。いわば欲動の本質といってもよいでしょう。フロイトは「あらゆる欲動は一片の能動性である」と表現しています。つまり欲動とはひとかたまりの能動性のことなのだと。能動性こそが欲動における本質的なものと見なしているわけです。(藤田博史 セミネール断章 2012年 9月8日講義より

まるで、権力への意志の定義みたいだぜ。

…………

 ところで、次の文は、ニーチェの快・不快の彼岸じゃないかい?

『快』の本質が適切にも権力の『増大感』として(だから比較を前提とする差異の感情として)特徴づけられたとしても、このことではまだ『不快』の本質は定義づけられてはいない。民衆が、《したがって》言語が信じこんでいる誤った対立こそ、つねに、真理の歩みをさまたげる危険な足枷であった。そのうえ、小さな不快の刺激の或る《律動的連続》が一種の快の条件となっているという、いくつかの場合があり、このことで、権力感情の、快の感情のきわめて急速な増大が達成されるのである。これは、たとえば痒痛において、交接作用のさいの性的痒痛においてもまたみられる場合であり、私たちは、このように不快が快の要素としてはたらいているのをみとめる。小さな阻止が克服されると、ただちにこれにつづいてまた小さな阻止が生じ、これがまた克服される──抵抗と勝利のこのような戯れが、快の本質をなすところの、ありあまり満ちあふれる権力のあの総体的感情を最も強く刺激すると思われる。(ニーチェ『権力への意志』「第三書・二・三・権力への意志および価値の理論」原佑訳)
人間は快をもとめるのでは《なく》、また不快をさけるのでは《ない》。私がこう主張することで反駁しているのがいかなる著名な先入見であるかは、おわかりのことであろう。快と不快とは、たんなる結果、たんなる随伴現象である、──人間が欲するもの、生命ある有機体のあらゆる最小部分も欲するもの、それは《権力の増大》である。この増大をもとめる努力のうちで、快も生ずれば不快も生ずる。あの意志から人間は抵抗を探しもとめ、人間は対抗する何ものかを必要とする──それゆえ不快は、おのれの権力への意志を阻止するものとして、一つの正常な事実、あらゆる有機的生起の正常な要素である。人間は不快をさけるのではなく、むしろそれを不断に必要とする。あらゆる勝利、あらゆる快感、あらゆる生起は、克服された抵抗を前提しているのである。──不快は、《私たちの権力感情の低減》を必然的に結果せしめるものではなく、むしろ、一般の場合においては、まさしく刺戟としてこの権力感情へとはたらきかける、──阻害はこの権力への意志の《刺戟剤》なのである」(同『権力への意志』第三書)

当面、『自我とエス』1923から次の文を抜き出しておく。

快の性質をおびた感覚は、人を促拍させるものをひとつももたないが、不快の感覚は最高度にそれをもっていて、変化と放出をうながす。それゆえ、われわれは不快をエネルギー備給の上昇、快をその低下と関係させて理解する。快および不快として意識されるものを、精神過程における質的にも、量的にも「別のもの」das Andere とみなすならば、このような別のものは、そのまま現場で意識されるか、あるいは、知覚体系Wにまでみちびかれなければならないかどうかという疑問が生れる。

臨床経験がこのことに決定をくだす。臨床経験によれば、この「別のもの」は抑圧された興奮のようにふるまう。それは人を駆りたてる力を発揮するが自我はその強迫に気づかない。その強迫に抵抗し、放出反応を停止するときに、はじめてこの「別のもの」はすぐに不快として意識される。(フロイト『自我とエス』フロイト著作集6 P271-272)


フロイトの『快感原則の彼岸』1920の冒頭にはこうある。

精神分析の理論では、何のためらいもなく、自動的に快感原則Lustprinzipsに支配されて信仰すると仮定している。すなわち、そのつどある不快な緊張によって喚びおこされ、ついでこの緊張の減退をもたらすような結末、つまり不快を避け、快を生むような結末にむかってすすむものと考える。

……われわれにとって、のっぴきらない快と不快との感覚が、いったい何を意味するものであるかを教えてくれる哲学や心理学の学説があるならば、われわれはよろこんで感謝の意を表わさなければならないだろう。しかし、残念ながらこの場合、役に立つものは何ひとつ提供されていない。問題は、精神生活のもっとも暗黒の近寄りがたい領域にかかっているからである。(……)

ところで、快感原則が心理的過程の進行の仕方を支配するものときめてかかることは、厳密には正しくないといわねばならない。

快と不快の感覚Lustund Unlustempfindungenが、何を意味するのかを教えてくれる哲学や心理学の学説はない、としている。だが、しばらく読み進めると、次のようにある。

しかし、本能的なものは、反復への強迫とどのように関係しているのであろうか? ここでわれわれは、ある一般的な、従来明らかに認識されなかったーーあるいは少なくとも明確には強調されなかったーー本能の特性、おそらくすべての有機的生命一般の特性について、手がかりをつかんだという思いが浮かぶのを禁じえない。本能とは生命ある有機体に内在する衝迫であって、以前のある状態を回復しようとするものであろう。以前の状態とは、生物が外的な妨害力の影響のもとで、放棄せざるをえなかったものである。また本能とは、一種の有機的な弾性であり、あるいは有機体生命における惰性の表明であるとも言えよう。(フロイト『快感原則の彼岸』フロイト著作集6 p172)

そして次の註記が付されている、《「本能」の性質について同じような推測が、すでに繰りかえし表明されていることを私は疑わない。》

ここでの「本能」は新訳なら、「欲動」と訳されているはずだが、岩波新訳にあたっているわけではない。独原文は次の通り、《Ich bezweifle nicht, daß ähnliche Vermutungen über die Natur der »Triebe« bereits wiederholt geäußert worden sind.


《「欲動」の性質について同じような推測が、すでに繰りかえし表明されていることを私は疑わない。》――冒頭に、《快と不快の感覚が、何を意味するのかを教えてくれる哲学や心理学の学説はない》としつつ、「欲動」の「反復強迫」については、すでに誰かが繰りかえし言っていることに、フロイトは気づいている、ーーと読んでよいだろう。

《〈欲動〉とは生命ある有機体に内在する衝迫であって、以前のある状態を回復しようとするものである》とするフロイトだが、《以前のある状態を回復する》とは、回帰のことであり、とすれば、永劫回帰を想起せざるをえない。

ところで、20世紀後半の、二人の偉大なニーチェ読みは、永劫回帰とは、権力への意志の隠喩であると、あっさりオッシャッテイル。ここでは邦訳でもなく仏原文でもなく、英訳から抜き出す。

◆クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』より。

The Eternal Return lies at the origin of the rises and falls of intensity to which it reduces intention. Once it is conceived of as the return of power - that is to say, as a series of disruptions of equilibrium - the question then arises of knowing whether, in Nietzsche's thought, the Return is simply a pure metaphor for the will to power.

◆ドゥルーズの『差異と反復』より。

Nietzsche presents the eternal return as the immediate expression of the will to power, will to power does not at all mean 'to want power' but, on the contrary: whatever you will, carry it to the 'nth' power - in other words, separate out the superior form by virtue of the selective operation of thought in the eternal return, by virtue of the singularity of repetition in the eternal return itself. Here, in the superior form of everything that is, we find the immediate identity of the eternal return and the Overman.

ニーチェはどこでそんなことを言ってるのだろうと、『権力への意志』のpdf版を――これも英訳なのだが、――検索してみたが、直接には永劫回帰は権力の意志の表現であるなどとは言っていない。ただクロソウスキーが延々と引用する『権力への意志』の遺稿からそう読めないでもない、ということはある(クロソウスキーの『ニーチェと悪循環』は、ドゥルーズに捧げられている)。

もっともクロソウスキーとドゥルーズの解釈はここまでは同じとしても、このあとの展開がひどく異なるという指摘が、樫村晴香の『ドゥルーズはどこが間違っていたか』にある。この論文は、ハイデガーとドゥルーズのニーチェ解釈に異議をとなえ、クロソウスキー解釈を顕揚する気味がある。「対象関係」という語彙にいささか齟齬を感じつつも、ここですこし長く引用してみよう。


ここで重要なのは、この分裂病的な「悪循環」は、固有に性的なものの作動と切り離 せず、単純な過程ではないことである。一般に性的な活動は抑圧されることによって、より 蒼古的な反復運動(反復強迫)として、対象関係から(てんかんのように)分離‐孤立して 発現するが、反復とは原初的な模倣(擬態/偽装)活動であるゆえに、まさに反復される 自己の(直前の)運動は、模倣される原初的他者=対象の相同物の感触と価値をもつ。性 的なもの(享楽/強度)によって、他者が想像‐幻想から切り離され、切り刻まれた物質的 基体(=反復)として言語に持ちこまれることによってこそ、その形成の根幹において他者と の現実的対話‐想像的なものに規定され、意味の確定を不断に曖昧な「他者の(への)要 求」として処理‐留保することで(かろうじて)成立している意味作用は、想像的=幻想的な ものと同一性に対し、真に破壊的なものへと反転する。強度‐反復のなかで、切り刻まれた 他者の存在と対になり、向かい合い、それに支えられることで、思考は現実の他者から分離した、抽象的な「叫び」の次元を獲得する(とはいえ叫びは誰か(=刻まれた他者)に向 けられているわけである)。

分裂病的な発話が、けっして機械的、無限増殖的ではなく、常 に絶対他者‐真理への関心をはらんでいること(精神病者は常に「存在論的」である)、悪循環の開始には、常に性的なもの(の抑圧)が関与するのはそのためである(ニーチェの いう「春」の情動)。

しかもさらに重要なことだが、ここで性的なものの再帰は意識以前の反復強迫のオーダー に属するゆえに、常に「意に反した」ものとして意識‐象徴世界の外から侵入し、そのため 常に言語‐象徴に従属している幻想にとって、それは必ず悪しきものである。幻想‐快感 原則に反する悪しきものでなければ、原理上性的なものでなく、その作動において、主体 は意識の場から失墜し、結局それ自身において切り刻まれる。それゆえ至高の真理(永 劫回帰)とは、常に悪魔の真理であって、忌まわしい。精神病的存在論において、真理と は直接にセックスのことだが、その真理は同時に疑われ、憎まれる。実際、性的なものの 発動としての反復強迫は、単純な反復でなく、常に何かを打ち消す意味的なものをもはら んでおり、これは破瓜型分裂病者の機械的所作でさえ垣間みられる。それゆえこの悪魔 の真理(主体の惨めさ)を受け入れるには、主体は再度、それを原初的な幻想(原光景)と 重ね合わせ、悪魔を母に書きかえて、それをすでに経験し知りつくした劇(主体の原初的 無力性という、より無害な惨めさ)として再編しなおす、マゾヒズム型の倒錯的防衛を経ね ばならない。その防衛‐光景内部では、すべてはあらかじめ知られた劇‐視像として展開し なおされるので、主体は無力さと引き替えにその場の暴力から外在化し、切り刻まれること を免れる。それは(疑似)精神病者のヒステリー的戦略であり、悪魔は幼い主体を前にした 安全な母親に縮減される。つまりここで主体は、絶対的な力をもつ外部である母親に従属 することで、意識(と無意識)の主体であることを失わされて、受動的な視線となるが、とは いえこの劇はあらかじめ未知の部分(無意識)を排除しているので、受動的な観客である ことと能動的な意識‐欲望の主体であることに内実的差異はない。無意識=記憶をもたな い意識とは、その場限りの視線と同じだからである。

この主体の外在化によって、外部から 来る主体の性的拍動としての悪は、主体の外側の劇として無害化され、意識/無意識、 能動/受動の差異の抹消と並行して、悪と善の境界は消失し、悪は悪のシミュラクルとな り、真の「善悪の彼岸」が訪れる(とはいえそこまで行き着くのは、ニーチェの後からきたク ロソフスキーである)。


 《悪循環=永劫回帰の開始には、常に性的なもの(の抑圧)が関与する》、とあって、この「性的」なもの、「抑圧」という語彙を嫌うひとがいるだろうけれど、悪循環=永劫回帰の「常に性的なもの」、そのトラウマがキライなひとは、ラカンもフロイトも読まなくてよろしい。

とはいえ、ここでの抑圧は、原抑圧とすべき、すくなくともそれをも含めての「抑圧」とすべきじゃないかな。

……フロイトは、疑いもなくそのことを知っていた。というのは、彼は抑圧の偽装よりもより深い証拠を探し求めていたからだ。もっとも彼はそれを“原”抑圧という似たような語彙にて考えていたが。われわれは、抑圧するから反復するのではない。反復するから抑圧するのだ。さらに言えば、――それは結局は同じことだがーー我々は、抑圧するから偽装するのではない。偽装するから抑圧するのだ。そしてわれわれは反復の決定的な核心の力によって偽装する。(ドゥルーズ『差異と反復』英訳からの私訳)

Freud, no doubt, was aware of this, since he did search for a more profound instance than that of repression, even though he conceived of it in similar terms as a so-called 'primary' repression. We do not repeat because we repress, we repress because we repeat. Moreover - which amounts to the same thing - we do not disguise because we repress, we repress because we disguise, and we disguise by virtue of the determinant centre of repetition.ーー「二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」

このドゥルーズの反復をどう読むかは、--ひょっとして齟齬があるひともいるだろう。

偽装し差異化する力をもつ潜在的な原形質、という一元論的・超スピノザ主義的発想は、 かなりの程度ベルグソンに源を発し、同時に Dz が内在的に抱えていたイマージュによっている。後者に由来する彼自身の感覚が前面化する際には、特筆すべき固有点を彼のテキストは描き出すが(後述)、ニーチェやフロイトといった、主体の情動/思考の全過程 を動員する分裂病的‐神経症的な「ハードな現実」を、批判主義的執拗さをもって哲学的= 統一的に処理する際には、前者の欠点が前面化する。すなわち、対象関係(原初的対他者関係)からこそ発生する、攻撃的‐暴力的、つまり「弁証法的」な要素への無関心と、そ れ以上に、人間の身体‐情動の回路と、言語‐思考‐意味作用の回路が、系統‐個体発生的に起源を異にし、本質的亀裂をはらんでいることへの無関心である。既述のように、弁証法の排斥は、他者と抑圧(抑圧物の回帰)の問題系の忌避となり、その結果、絶対他者 や悪・侵犯を経由する倒錯的戦略を軽視して、現実には倒錯を通じてこそ結合している 強度‐身体と差異‐偽装を、腹話術的に短絡させてしまうことになる。そして身体と言語の オーダーの連結は、言語‐思考から離脱したゆえに出現するものとしての、反復(強度)と いう原初的な「世界‐意識の外からの」運動を、その運動を再解釈し、謎として構成しなお す、事後的‐神話的な思考内部で処理させることになる。(樫村晴香『ドゥルーズのどこが間違っているか?』1996)

クラインの「対象関係」へのラカンの異議としては、
母という全体的対象は、母それ自体として出現するのではなく、
エルンスト坊やの糸巻き遊びに代表されるような子供の反復遊びによる
現前-不在(+/-)の分節化によって出現する。
この分節化は呼びかけという領域でなされ、
母という対象が不在のときに呼びかけられ、
現前 するときには拒絶されることによって、
現前と不在が同時になりたつ(+/-)シニフィアンと なっている、と.

ただしこれはセミネールⅣの段階。
セミネールⅩⅠを経て、
セミネールⅩⅦ、ⅩⅩでなんやらややこしいことを言っている。

”jouissance is nothing but the inadequacy of the signifier to itself”

"Jouissance is what necessitates repetition,"

"jouissance is what serves no purpose [La jouissance, c'est ce qui ne serf a rien]"


ーーラカンは、ドゥルーズの『マゾッホとサド』をべた褒めしている、《しかし驚くべきことではないかと思うのは、こうしたテクストが本当の意味で、私が今実際に、今年切り開いた途上でいうべきことをすでに先取りしているということです》(1967年4月19日)。

一年後に出版された『差異と反復』(1968)にはコメントはないようだが、
やはりかなり影響受けているに相違ないので、
『セミネールⅩⅦ』1969での「反復」をめぐる発言なんてモロじゃないか


で、なんの話だったか。
ドゥルーズ派でいくのか、樫村晴香派でいくのかは、アナタしだいだよ
ーーとすれば、樫村を褒めすぎだけれど、1996年に書かれた論文として
今でも読むに値するすぐれた「ニーチェ」論だな

ところで、ジジェクは、反復のずれ(微細な差異)に対象aをみるんだな。

The objet a and pure repetition are thus closely linked: the a is the excess which sets repetition in motion and simultaneously prevents its success》

……ラカンにとって、反復は抑圧に先んずるものである。それはドゥルーズが簡潔に言っているのと同様である。《われわれは、抑圧するから反復するのではない。反復するから抑圧するのだ》(『差異と反復』)。次のようではないのだ、――最初に、トラウマの内容を抑圧し、それゆえトラウマを想起できなくなり、かつトラウマとの関係を明確化することができないから、そのトラウマの内容がわれわれに絶えずつき纏いつづけ、偽装した形で反復するーー、こうではないのだ。現実界(リアル)が極細の差異であるなら、反復(それはこの差異を作り上げるもの)は、原初的なものである。すなわち抑圧の卓越性が現れるのは、現実界から象徴化に抵抗する「物」への“具現化”としてであり、排除され、あるいは抑圧された現実界が、己を主張し反復するときに初めて抑圧は現れる。現実界は原初的には無である。だがそれは物をそれ自身からの分離する隙間なのであり、反復のずれ(微細な差異)なのである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』2012 私意訳)

ーーこの文を読めば、反復に関してはドゥルーズの見解に沿っているようにみえる。
ただし反復のずれ(微細な差異)を対象aとするのだ。

そしてジジェクのいう対象aは、究極的には、繰り返せばこうだ。

主体は、己のa(対象a)の完全な応答を得る/与えるのを確信するために、
(母)他者〔(m)other〕を独占したい。
だがそのような完全な応答は不可能である。
そこにはつねに残余があり、
“ Encore”(もっと、またもっと)の必要の切迫がある。
“ Drang ”(衝拍、もしくは圧力)は、ドライブ〔欲動の継続〕したままだ。(Paul Verhaeghe)


要約しよう。このトラウマに関するラカン理論は次の如くである。

欲動とはトラウマ的な現実界の審級にあるものであり、
主体はその衝動を扱うための十分なシニフィアンを配置できない。
構造的な視点からいえば、これはすべての主体に当てはまる。
というのは象徴秩序、それはファリックシニフィアンを基礎としたシステムであり、
現実界の三つの諸相のシニフィアンが欠けているのだから。

この三つの諸相というのは女性性、父性、性関係にかかわる。
Das ewig Weibliche 永遠に女性的なるもの、
Pater semper incertuus est 父性は決して確かでない、
Post coftum omne animal tristum est 性交した後どの動物でも憂鬱になる。

これらの問題について、象徴秩序は十分な答を与えてくれない。
ということはどの主体もイマジナリーな秩序において
これらを無器用にいじくり回さざるをえないのだ。
これらのイマジネールな答は、
主体が性的アイデンティティと性関係に関する
いつまでも不確かな問いを処理する方法を決定するだろう。

別の言い方をすれば、主体のファンタジーが
――それらのイマジネールな答がーー
ひとが間主観的世界入りこむ方法、
いやさらにその間主観的世界を構築する方法を決定するのだ。

この構造的なラカンの理論は、分析家の世界を、いくつかのスローガンで征服した。
象徴秩序が十分な答を出してくれない現実界の三つの諸相は、
キャッチワードやキャッチフレーズによって助長された。

La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、
L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、
Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

結果として起こったセンセーショナルな反応、あるいはヒステリアは、
たとえば、イタリアの新聞はラカンにとって
女たちは存在しないんだとさと公表した、
構造的な文脈やフロイト理論で同じ論拠が研究されている事実を
かき消してしまうようにして。

たとえば、フロイトは書いている、
どの子供も、自身の性的発達によって促されるのは、
三つの避け難い問いに直面することだと。
すなわち母のジェンダー、一般的にいえば女のジェンダー、
父の役割、
両親の間の性的関係。



原初の喪失とはなにか? 永遠の生の喪失、それは、ひどく逆説的だが、性的存在としての出産の刻限に失われる。Meiosis(分裂)によるのだ。(ラカン「セミネールⅩⅠ」私訳)

Encore, encore !
享楽は、権力への意志=衝動である。
われわれのすべての欲動は、永劫回帰(反復強迫)する。

《Jouissance is the driving force in all these attempts to return to a previous level.》(Paul Verhaeghe)

こういうわけで間違ってるんだよ、
“純粋な”死の欲動は(自己)破壊への
不可能な“全的な”意志とするなんてのはね、
主体が母なる〈モノ〉の全体性へと回帰する法悦の自己消滅で
でもこの意志が実現されえないとか妨害されてとかで
“部分対象”に凝り固まるなんてのは。

そんな考え方なんてのは、
死の欲動を欲望とその喪失した対象のタームに再翻訳しただけさ。
欲望においては、現実の対象は不可能な〈モノ〉の空虚の換喩的な代役なのさ。
欲望においてこそ、全体性へのあこがれは部分対象へと配置転換されるってわけさ。
ラカンがいってるだろ、これを欲望の換喩だって。
ここのところは極度に厳密でなくっちゃな、
ラカンのポイントを捉えそこなわないようにな。
欲望と欲動を混同しないように、だな。

ニーチェかい?
権力への意志は原意志と「翻訳」したっていいさ
きみ次第だね

Davis's thesis is that this “rebellious whiling” refers to a non‐historical ur‐willing, a willing which is not limited to the epoch of modern subjectivity and its will to power.

まあでもやっぱり死の欲動のほうがオレの好みだね

But one should here raise a more fundamental question: is the Will the proper name for the “stuckness” which derails the natural flow? Is the not Freudian drive (the death drive) a much more appropriate name?(ZIZEK)

※死の欲動のドゥルーズやジジェクの考え方については、「攻撃欲動はタナトスではなくエロスである」を見よ。


さて、最後に付け加えておこう、《「善悪」の彼岸…… あれは少なくとも「よい・わるいの彼岸」ということではないのだ。--》(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫 P59)

とすれば、快原則の彼岸とは、快・不快の彼岸ということではないのだ、と言えるだろうか。





2014年10月19日日曜日

聖者と道化、あるいはニーチェとラカン

ラカンの『同一化セミネール』には、《偉大な哲学者達は、彼らがはっきりと公表していることはまったく考えていないし、また、たとえばデカルトについても、彼はほとんど神を信じていなかった》云々とある。

このところフロイトとニーチェの仲良しぶりを探っているのだが、たまには息抜きをして、ラカン先生にお出まし願ったというわけだ。ラカンはニーチェの名を出すことはあまりなかったはずだが、名を出さないからといって影響を受けていないはずはない。

中井久夫はラカンとブランショの思想はヴァレリーから出たと断言しているそうだが(参照:書評『ヴァレリーの肖像』 清水徹 )、若いラカン派の精神科医曰く、「ラカン先生は自分が本当に参照しているテクストを隠す癖がある」などともある。これはひょっとして誰でもそうではないか。わたくしのようなものがブログを書く上でも、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)でいる。

さて冒頭のラカンの言葉とニーチェを比べてみよう。

哲学者がかつてその本当の最後の意見を書物のなかに表現したとは信じない。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるものではないか。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番 秋山英夫訳)

あるいはこう引用してもよい。

ひとがものを書く場合、分かってもらいたいというだけでなく、また同様に確かに、分かってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にならぬ。おそらくそれが著者の意図だったのだーー著者は「猫にも杓子にも」分かってもらいたくなかったのだ。

すべて高貴な精神が自己を伝えようという時には、その聞き手をも選ぶものだ。それを選ぶと同時に、「縁なき衆生」には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこ起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである。(『悦ばしき知識』秋山英夫訳)

ここには「距離のパトス」が書かれていることをみるのは易しいが、世の中には不感症の連中も多いので、次の文を並べておこう。

人と人、階級と階級を隔てる深淵、種々のタイプの多様性、自分自身でありたい、卓越したものでありたいという意志、わたしが〈距離のパトス〉と呼ぶものは、あらゆる「強い」時代の特徴である》(ニーチェ『偶像の黄昏』原佑訳)

もちろん、これらの文もニーチェという「哲学者」が語っているのだから、《書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるものではないか》などと額面通り受け取らなくてもいいわけだ。ただ、翻訳文であるにもかかわらず、ギリシア人ニーチェの「音調」を聴く耳さえもっていればよろしい。

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー『幻影の哲学者ニーチェ』山口誠一よりーーおそらく氏の訳だろう)

《……(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)》(『彼自身によるロラン・バルト』)

強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他 の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは 一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする 限界点にほかならない。(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)

ここにでてくる〈カオス〉という語彙を誤解してはならない。言語的に分節化されない一様な混沌、ソシュールの「星雲」といういささか迂闊な表現から丸山圭三郎が誤読したともいわれるーー実際そうなのかどうかは知るところではないがーー「コスモス=分節化されたもの」と「カオス=分節化以前のもの」のカオスではなく、《あらゆるものがもつれあっているが故にそれがカオスと呼ばれるのではなく、そこにあるすべての要素がそれぞれに異なった自分をわれがちに主張しあっているが故にカオスなのである》(蓮實重彦『「魂」の唯物論的擁護にむけて――ソシュールの記号概念をめぐって 丸山圭三郎の記憶に』)。すなわち、とことん差異化=微分化されていて、さまざまな特異点がひしめいているものが、ここでのカオスである。

ニーチェは既に初期の段階で「概念」批判(吟味)として、無数の「木の葉」が犇く、その差異性を書いている。

なおわれわれは、概念の形成について特別に考えてみることにしよう。すべて語というものが、概念になるのはどのようにしてであるかと言えば、それは、次のような過程を経ることによって、直ちにそうなるのである。つまり、語というものが、その発生をそれに負うているあの一回限りの徹頭徹尾個性的な原体験に対して、何か記憶というようなものとして役立つとされるのではなくて、無数の、多少とも類似した、つまり厳密に言えば決して同等ではないような、すなわち全く不同の場合も同時に当てはまるものでなければならないとされることによってなのである。

すべての概念は、等しからざるものを等置することによって、発生するのである。一枚の木の葉が他の一枚に全く等しいということが決してないのが確実であるように、木の葉という概念が、木の葉の個性的な差異性を任意に脱落させ、種々相違点を忘却することによって形成されたものであることは、確実なのであって、このようにして今やその概念は、現実のさまざまな木の葉のほかに自然のうちには「木の葉」そのものとでも言い得る何かが存在するかのような観念を呼びおこすのである。つまり、あらゆる現実の木の葉がそれによって織りなされ、描かれ、コンパスで測られ、彩られ、ちぢらされ、彩色されたでもあろうような、何か或る原形というものが存在するかのような観念を与えるのである。(ニーチェ「哲学者の本」「哲学者に関する著作のための準備草案」1872∼1873ーー「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香

さらに、クロソウスキーは《強度、刺激、音調。それが思考である》としている。これについてもいささか捕捉するならばプルーストは「美しい書物は一種の外国語で書かれている」としたが、ニーチェの「音調」を流暢さと捉えてはならない。沈黙とスカンシオン(句読点、どもり)を綯い混ぜにした「音楽」を聴き取ること。そうすれば、不意に、馴れ親しんだ言語とはおよそ異なる「外国語」のさなかに自分を見いだし、あたりにつぶやかれている聞き馴れぬ物音に、ぎこちない吃音をたどるようにして耳を傾けることができる。すなわち、ギリシア人ニーチェの、言葉としては響かない「強度」、「刺激」、「音調」の洗礼をうける。この大気の流れにかすかでも触れえた者のみが、その表層に走り抜ける感知しえないほどの「暗き先触れ」に身をまかすことができる。

雷は相異なる強度の落差で炸裂するが、その雷には、見えない、感じられない、暗き先触れが先行しており、これが予め、雷の走るべき経路を、だが背面において、あたかも窪みの状態で示すかのように、決定する。(ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳)


私は旗のように遠方に取り巻かれている
下のいろいろな事物(もの)がまだ身じろぎもしないのに
私は吹きよせる風を予感し それを生きなければならない
扉はまだおだやかに閉じ 暖炉のなかもひっそりしている
窓もまだふるえず 埃りも重たくつもっている

そのとき私はもう嵐を知って 海のように騒めいている
私は身をひろげたり 自分の中へ落ちこんだり
身を投げだしたりして たった孤り
大きな嵐のなかにいる

--リルケ「秋」(富士川英郎訳)


もちろん、「縁なき衆生」とは縁なきつもりでいるはしたない〈わたし〉や〈あなた〉、凡庸な資質しか所有していないにもかかわらず、 なお自分が他の凡庸さから識別されうるものと信じてしまう薄められた独創性の錯覚に閉じ篭っている〈あなた方〉ーーすなわちギリシア人ではない〈わたくし〉や〈あなた〉だって、ニーチェの言葉、《生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ!》から、フーコーやドゥルーズのパクリを読みとるぐらいはできる。

すなわち、《外部は折り畳まれて内部へと陥没し存在に「襞」が生じる》というヤツだ。

〈わたくし〉が主体として構成されるのは、つまり「主体化」が行なわれるのは、ひとえにこの「褶曲」作用を通じて生れる…襞、それは外部でもなく内部でもない場所、中立性の空間…権力の網目のただなかにからめとられていながら、しかしそこだけぽっかりと空虚が穿たれ、関係しあい葛藤しあう諸力の自由な戯れが可能となる空白地帯…「生存の美学」を全うする能力を備えた倫理的主体としての「自己」とは、この「襞」の別名にほかならない…、

--ドゥルーズの『フーコー』にはこのように書かれるのだが、と読めば、フーコーの笑いさえ聞えて来るのが、「教養人」としての〈あなた〉のほどよい聡明さであろう…

《フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。とるにたりない状況でも、すでにそうだった。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ大気の状態の変化とか、一種の<事件>、あるいは電界か磁場など、さまざまなものに見えたものです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の序列に属するものではなかったのです》(ドゥルーズ

語りながら、フーコーは何度か聡明なる猿のような乾いた笑いを笑った。聡明なる猿、という言葉を、あの『偉大なる文法学者の猿』(オクタビオ・パス)の猿に似たものと理解していただきたい。しかし、人間が太刀打ちできない聡明なる猿という印象を、はたして讃辞として使いうるかどうか。かなり慎重にならざるをえないところをあえて使ってしまうのは、やはりそのが感嘆の念以外の何ものでもないからだ。反応の素早さ、不意の沈黙、それも数秒と続いたわけでもないのに息がつまるような沈黙。聡明なる戦略的兵士でありまた考古学者でもある猿は、たえず人間を挑発し、その挑発に照れてみせる。カセットに定着した私自身の妙に湿った声が、何か人間たることの限界をみせつけるようで、つらい。(蓮實重彦「聡明なる猿の挑発」フーコーへのインタヴュー 「海」 初出1977.12号)

ーーなどと引用しておれば、なかなかラカン先生にお出まし願えないので、ここでは当初の意図に戻ることにするなら、ラカンは『同一化セミネール』で次のように語っている。

真理は乙女である。真理はすべての乙女のように本質的に迷えるものである。「我思う」にしても同様である。教授連中にとって「我思う」が簡単に通用するのは、彼らがそこにあまり詳しく立止まらないからにすぎない。

ああ、ここにもニーチェがいるーー、ラカンはニーチェの名を口にすることはあまりなかったのは、フロイトに倣ったせいだとも憶測できる。


《ニーチェについていえば、彼の予見と洞察とは、精神分析が骨を折って得た成果と驚くほどよく合致する人であるが、いわばそれだからこそ、それまで,長い間避けていたのだった。》(フロイト『自己を語る』1925 )

真理が女である、と仮定すれば-、どうであろうか。すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにかけては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。彼らはこれまで真理を手に入れる際に、いつも恐るべき真面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るには全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。女たちが籠洛されなかったのは確かなことだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』序文)


あるいは、ラカンの「テレヴィジョン」の「聖人」をめぐる箇所。

実をいうと、聖人は自分に功徳があるとは考えません。だからといって、彼が道徳を持っていないというわけではありません。他の人たちにとって唯一困るのは、そのことが聖人をどこに運んで行くのかわからないということです。

私といえば、また新たにこのような人たちが現れないかと懸命に考えています。おそらくそれは、私自身がそこに到達していないからに違いありません。

聖人となればなるほど、ひとはよく笑います。これが私の原則であり、ひいては資本主義的ディスクールからの脱却なのですが、-それが単に一握りの人たちだけにとってなら、進歩とはならないでしょう。

《私といえば、また新たにこのような人たちが現れないかと懸命に考えています。おそらくそれは、私自身がそこにーー聖人にーー到達していないからに違いありません》だって?

パクリといったって、ラカンはニーチェよりも慎ましいじゃないかーー、《わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうかと、ひどい恐怖をもっている》やら、《わたしは聖者になりたくない、なるなら道化の方がましだ……おそらくわたしは一個の道化なのだ》と書くニーチェよりも、ずっと慎ましい。


わたしはわたしの運命を知っている。いつかはわたしの名に、ある巨大なことへの思い出がむすびつけられるであろうーーかつて地上に例をみなかったほどの危機、最深処における良心の葛藤、それまで信じられ、求められ、神聖化されてきた一切のものを粉砕すべく呼び出された一つの決定への思い出が。わたしは人間ではない。わたしはダイナマイトだ。――だがそれにもかかわらず、わたしの中には、宗教の開祖めいた要素はみじんもないーー宗教とは賤民の関心事である。わたしは、宗教的人間と接触したあとでは手を洗わずにはいられない……わたしは「信者」などというものを欲しない。思うに、わたしは、わたし自身を信ずるにはあまりに意地わるなのだ。わたしはけっして大衆相手には語らない……わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうかと、ひどい恐怖をもっている。こう言えば、なぜわたしがこの書を先手をとって出版しておくのか、その真意を察してもらえるだろう。わたしは自分が不当なあつかいをされないよう、予防しておくのだ……わたしは聖者になりたくない、なるなら道化の方がましだ……おそらくわたしは一個の道化なのだ……だが、それにもかかわらず、あるいはむしろ「それだからこそ」――なぜなら、いままで聖者以上に嘘でかたまったものはなかったのだからーーわたしの語るところのものは真理なのだ。――しかし、わたしの真理は恐ろしい。なぜならこれまで真理と呼ばれてきたものは嘘なのだから。―― 一切の価値の価値転換。これが、人類の最高の自覚という行為をあらわすためのわたしの命名である。その自覚が、わたしの血肉となり、精髄となったのだ。わたしの運命は、わたしが最初のまともな人間であれねばならぬこと、数千年の虚偽と戦う自分だということを自覚することを欲している……わたしがはじめて真理を露わしたのだ、はじめて嘘を嘘と感じたことーー嗅ぎつけたことによって、わたしの天災はわたしの鼻孔にある……わたしは抗言する、これまでに行われたいかなる抗言よりも激しく。しかしそれにもかかわらず、わたしは否定精神とは正反対のものだ。わたしは、これまでに存在しなかったような福音の使者である。これまで誰も思いもよらなかったような高い使命を熟知している。わたしが出現して、やっとまた希望が生れたのだ。だがそれらすべてのことにもかかわらず、わたしは不可避的にまた宿命を担った人間である。なぜというに、真理が数千年にわたる虚偽と戦闘をはじめる以上、われわれはさまざまの激動に出会わざるをえないであろうから。かつて夢想もされなかったような大地のけいれん、山と谷との交替を経験するであろうから。そうなると政治などというものは、まったく亡霊どもの戦争になってしまう。古い社会の権力組織はすべて空中に飛散するーーそれらはすべて虚偽の上に立っているのだから。地上にためしのなかったような戦争が起こるだろう。わたしが現われてはじめて地上に大いなる政治が起こるのだ。――(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)


《われわれニーチェの読者は、次のような、ありうる四つの意味の取り違えを避けるようにしなければならない。

(一)〈力〉への意志に関して(〈力〉への意志が、「支配欲」を、あるいは「〈力〉を欲すること」を意味すると信じこむこと)。

(二)強い者と弱い者に関して(ある社会体制において、最も〈力〉の強い者が、まさにそのことによって「強者」であると信じこむこと)。

(三)〈永遠回帰〉に関して(そこで問題となっているのが、古代ギリシア人、古代インド人、バビロニア人……から借りた古いイデーであると信じこむこと。だからサイクルが、〈同一なもの〉の回帰が、同一への回帰が問題となるのだと信じこむこと)。

(四)最も後期の諸作品に関して(それらの著作が度を越した行き過ぎであると、あるいは狂気のせいで既に信用を失ったものであると信じこむこと)。》(ドゥルーズ『ニーチェ』P74)




2014年10月18日土曜日

転倒・転回、あるいは抑圧された「カウンターニーチェ」

以下は、柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』からの孫引きであり、ハイデガーによるニーチェの「プラトニズムの転倒」を説く箇所の長々しい引用である。

ハイデガーのニーチェの「プラトニズムの転倒」については、ドゥルーズやクロソウスキーによる吟味(批判)、あるいは別の見解があるのはよく知られているし、柄谷行人の後年の批判もあるが、ハイデガーなど読む気もないわたくしのような人間でも、このくらい長く引用してくれると何を言っているのか分かった気になれる。ほかにもマルクスはもちろんのこと、ヴァレリーなどの長い引用もある書であり、この1978年に出版された、つまり柄谷行人(1941-三十代の仕事は、そこに引用されている文を読み直すだけでも価値がある。

ニーチェの哲学は、彼自身の証言するように、ひとつの転倒されたプラトン主義である。そこで私たちは問う。プラトン主義に固有な美と真理の関係は、いったいどのような意味で、転倒をとおして別の関係になるのであろうか。

この問いは、もしプラトン主義の〈転倒〉ということが、プラトンの諸命題をいわばただ逆にするだけの操作と同一視されてよいのなら、単純な換置によって容易に答えられるであろう。たしかにニーチェ自身が、事態をしばしばそのようなぐあいに表現している。しかもそれは、大ざっぱな仕方で事を簡明にするがためだけでなく、彼自身がまたときには、なにか他のことを求めていながら事実そのような仕方で思惟しているところに起因している。

後期、それも彼の思索家としての仕事が破局に至る直前となって、はじめてニーチェは、このプラトン主義の転倒をもって彼がどのようなところに追いこまれたかを、それが及ぼす意味のすみずみまで明察する。しかも、この転倒の必然性、つまりそれがニヒリズム克服の課題によって要求されたものであることを把握するとき、ニーチェにとってこのことはいっそう明瞭となるのである。それゆえ私たちは、プラトン主義の転倒を明確にするに際して、まずその構造形態から出発せねばならない。プラトンにとっては、超感性的なものが真なる世界である。真なる世界が規範的なものとして上位に置かれる。感性的なものんは見せかけの世界として、下位に定位されるのである。上位のものが先行的かつ唯一規範的なもの、したがってまた希求されるものである。転倒を経たあとにはーーこれは公式的に容易に答えを出しうるーー感性的なもの、見せかけの世界が上位に、そして超感性的なもの、真の世界が下位にくることになる。すでに叙述されたことを回顧して確認できるように、ニーチェが〈真なる世界〉と〈見せかけの世界〉について述べていることは、もはやプラトンの語るところではないのである。

だが、感性的なものが上位にあるとは、そもそも何を意味するのか。それはすなわち、感性的なものが真なるものであり本来的存在者である、ということである。もし転倒がただこのような仕方でのみ理解されるなら、それはいわば、上位と下位という空虚な位づけが固執され、ただ異なったものがその位置を占めるだけ、ということになる。そして、この上位、下位という位づけがプラトン主義の構造形態を規定するものであるかぎり、この位づけの保存は、プラトン主義が本質的に存続していることになる。かかる転倒は、ニヒリズムの克服としてそれが本来果たすべきこと、プラトン主義の根底からの克服を、けっしえ成就してはいないのである。上位という位づけそのものが排除され、ひとつの真なるもの、希求されるべきものをまえもって端初づけることが熄むとき、つまりーー理想の意味でのーー真なる世界そのものが除去されるときにのみ、はじめてそのような試みは成功するのである。真なる世界が除去されるとき、何が生起するであろうか。そのときにもなお、見せかけの世界は存続するのであろうか。否である。けだし、見せかけの世界が見せかけの世界でありうるのは、ただ真なる世界の対立としてのみなのである。真なる世界が崩れるとき、見せかけの世界も崩れなければならない。そのときはじめて、プラトン主義は克服される、すなわち、哲学的思惟がプラトン主義から転回脱出するような形で転倒されるのである。しかしそのとき、はたして事態はどのようなところへ立ちいたるのであろうか。

プラトン主義の転倒がニーチェにとってそれからの転回脱出となったとき、狂気が彼を襲った。この転倒がおよそニーチェの成就した究極的な歩みであったこと、それがニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられたことが、いままで認識されていなかった。(ハイデガー『ニーチェ』薗田宗人訳)

《プラトン主義の転倒がニーチェにとってそれからの転回脱出となった》のは、《ニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられた》などとあるな。

ハイデガーも書いているように、1888年と言えば、1889年1月3日に狂気に陥る前年であり、ニーチェ多作の年、--たとえば、1887年は『道徳の系譜』一冊のみ、1886年は、『善悪の彼岸』、『悦ばしき知識』二冊に対して、1888年は『ワーグナーの場合』、『偶像の黄昏』、『反キリスト』、そして同じ年に書かれているが死後出版の『この人を見よ』、『ニーチェ対ワーグナー』があるーーやはり『権力への意志』遺稿をも真面目に読まなくちゃいけないってことかいな。

ドゥルーズは、遺稿は既に公表された仕事を確認する以外は使用しがたい、と。もっとも『ツァラトゥストラ』さえ続編が計画されていたわけで、それがどんなふうに展開されるのかを憶測するには遺稿を読むほかはないと言ってはいるが。

We cannot make use of the posthumous notes, except in directions confirmed by Nietzsche's published works, since these notes are reserved material, as it were, put aside for future elaboration. We know only that Thus Spoke Zarathustra is unfinished, and that it was supposed to have a further section concerning the death of Zarathustra: as though a third time and a third occasion. (Gilles Deleuze ”Difference and Repetition” Translated by PauiPatton)

ハイデガーの話に戻れば、「真なる世界/見せかけの世界」をいくら転倒して「見せかけの世界/真なる世界」としても、その分母にある上下関係は、プラトン主義のままだから、上下関係の分母そのものから転回脱出しなくちゃいけないという議論であるのだろうな。

まあでもハイデガーは--重ねて言うがーー、読む気は全然ないけどさ。

このあたりの理解で当面?胡麻化しておこう。

(デリダは)ある種の二重の戦略の必要性を力説しています。僕がよく挙げる例なのですが、man(男)と woman(女)という二項対立があったとして、そこでは明らかに manが womanを暴力的に抑圧しているのだから、その二項対立を転倒し、 manに対して womanを復権しなければならない。しかし、 manと womanは実は Man(人間=男)という土俵に乗っているのだから、そこで優劣を転倒しただけでは、ニーチェの言うように勝利した女が男になった自らを見出すだけという結果に終わりかねない。したがって、転倒と同時に、 Man(人間=男)という土俵自体を脱構築していかなければならない、というわけです。(浅田彰
第二項は、「第一項/第二項」の対立に属すると同時に、第一項において不可避的に生じる「不両立関係」(パラドックス)を回避するために見出されるメタレベルであり、そしてこの上下(クラスとメンバー)の混同を禁止するところに、いわば「形而上学」がある。つまり、プラトン以来の哲学は、たんなる二分法によるのではなく、この対立がもつ自己言及的なパラドックスを“禁止”するところにあった。
しかし、それはけっして“禁止”できない、というのは、それは形式的にコンシステントであろうとするかぎり、「決定不能性」におちいるからである。(柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社版)pp.115-119)

かつての浅田彰ーー三十一歳だな、このときーー、で済ませておくとかさ。

ハイデガーによると、ニーチェというのは、まさにデカルト的な近代の人間主義・主体主義を極端に突き詰めて完成させた人であるということになる。もう神は死んだのだから、人間こそが絶対者であると。それが、あらゆる超越的な意味を失ったこの世界で、その無意味製を支配する。それこそが超人なのだと。つまり、超人というのは、あらゆる制約を解かれたデカルト的主体ということになっているわけです。(……)

ところが、クロソウスキー的な立場から見るとそのすべてが反転しえしまうわけです。クロソウスキーによれば、神が死に、永劫回帰が啓示されたときに、それによって絶対的主体になるはずであった自我が、アイデンティティの支えを失って、いわば高速で交替し振動する仮面の群れみたいなものになってしまう。そのときからすべては、一丸となって大地の支配に向かうどころか、既に自分のパロディであるような多神教的空間の中になだれこんでしまうのだと言うんですね。だから、神の死イコール自我の勝利という公式を採用したとたん、ハイデガーが示した通りもおうほとんどファシズムになるわけですが、クロソウスキー流に言えば、それはやはり永劫回帰というものが持っている解体的でトラジコミックな側面を見ない解釈なんですね。(『天使が通る』 浅田彰・島田雅彦対談集1988)

クロソウスキーはニーチェの遺稿を滔滔と引用したり、ニーチェの狂気に陥った次の日の手紙(1889.01.04)の手紙を引用したりして(ニーチェ曰く昨日のはジョークだよ、とか書いてある)、悪循環とかシミュラークルとかの概念を仮にうっちゃってもおもしろい。

[Postmarked Turin, 4 January 18891 Meinum verehrungswurdigen Jakob Burckhardt

That was the little joke on account of which I condone my boredom at having created a world. Now you are - thou art - our great greatest teacher; for I, together with Ariadne, have only to be the golden equilibrium of all things, everywhere we have such beings who are above us. . . .

Dionysus

こうやって引用されたあと、フロイトの名を出しつつ、”パラノイア”という語彙が出現するのだが、それはこの際どうでもよろしい。ここでは、次のクロソウスキーのコメントにのみ注目しておこう。

Nietzsche's behaviour in Turin could be 'explained' or demonstrated by the irruption of a 'repressed' counter- Nietzsche (after the loss of Tribschen and the break with Wagner and Cosima). This counter-Nietzsche emerged alongside the previously lucid Nietzsche,


Daniel W. Smith(英翻訳者)序文によれば、フーコーもクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』を、べた褒めなようだ。

When it was originally published in 1969, Michel Foucault, who frequently spoke of his indebtedness to Klossowski's work, penned an enthusiastic letter to its author. 'It is the greatest book of philosophy I have read,' he wrote, 'with Nietzsche hmself'(『Nietzsche and the Vicious Circle』(PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)



(Klossowski en Cerisy-la-Salle durante las jornadas dedicadas a Nietzsche en 1972, con Derrida, Deleuze, Lyotard, M. de Gandillac y Pautrat)


ーーーで、いまはどうしてクロソウスキーとか、フーコー、ドゥルーズ、デリダのたぐいの人物どこにもいなくなっちまったんだろ?






クロソウスキーが、ニーチェの遺稿を引用する文のひとつ。

688 (March-June 1888)

[My theory would be:_] that the will to power is the primitive form of affect, that all other affects are only developments of it;

that it is notably enlightening to posit power in place of individual "happiness" (after which every living thing is supposed to be striving): "there is a striving for power, for an increase of power";-pleasure is only a symptom of the feeling of power attained, a consciousness of a difference (-there is no striving for pleasure: but pleasure supervenes when that which is being striven for is attained: pleasure is an accompaniment, pleasure is not the motive--);

that all driving force is will to power, that there is no other physical, dynamic or psychic force except this.

In our science, where the concept of cause and effect is reduced to the relationship of equivalence, with the object of proving that the same quantum of force is present on both sides, the driving force is lacking: we observe only results, and we consider them equivalent in content and force-

It is simply a matter of experience that change never ceases: we have not the slightest inherent reason for assuming that one change must follow upon another. On the contrary: a condition once achieved would seem to be obliged to preserve itself if there were not in it a capacity for desiring not to preserve itself-Spinoza's law of "self-preservation" ought really to put a stop to change: but this law is false, the opposite is true. It can be shown most clearly that every living thing does everything it can not to preserve itself but to become more-

この後、同じくらいの長さの引用が遺稿からあり、そして権力への意志は、衝動のことだ、と書くことになる。クロソウスキーにとってはニーチェ用語、《欲動Triebe、欲望Begierden、本能Instinke、権力Machte、力Krafte、衝動Reixe, Impulse、情熱Leidenschaften、感情Gefiilen、情動Afekte、情熱Pathos》はひとまとめに衝動Impulseとされるのだ。

Nietzsche himself had recourse to a varied vocabulary to describe what Klossowsky summarizes in the term 'impulse': 'drive' (Triebe), 'desire' (Begierden), 'instinct' (Instinke), 'power' (Machte), 'force' (Krafte), 'impulse' (Reixe, Impulse), 'passion' (Leidenschaften), 'feeling' (Gefiilen), 'affect' (Afekte), 'pathos' (Pathos), and so on.
(”Translator’s Preface” Nietzsche and the Vicious Circle PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)


冒頭の文”that the will to power is the primitive form of affect, that all other affects are only developments of it”を、《権力への意志が原始的な欲動形式であり、その他の欲動は単にその発現形態であること、――》(ニーチェ遺稿 1888年春)と訳されている学者先生がいらっしゃって(『「権力への意志」の冒険 砂原陽一 2004)、Affekt-Formを「情動形式」ではなく、「欲動形式」とされている。別になんの怨みもないが、ニーチェはどこで言っているのだろうと、探し出すのに苦労した。


独語は読めないが、ウェブ上から拾うことができる。

Meine Theorie wäre: – daß der Wille zur Macht die primitive Affekt-Form ist, daß alle andern Affekte nur seine Ausgestaltungen sind;

daß es eine bedeutende Aufklärung giebt, an Stelle des individuellen »Glücks« (nach dem jedes Lebende streben soll) zu setzen Macht: »es strebt nach Macht, nach Mehr in der Macht«; – Lust ist nur ein Symptom vom Gefühl der erreichten Macht, eine Differenz-Bewußtheit – (– es strebt nicht nach Lust: sondern Lust tritt ein, wenn es erreicht, wonach es strebt: Lust begleitet, Lust bewegt nicht –);

daß alle treibende Kraft Wille zur Macht ist, daß es keine physische, dynamische oder psychische Kraft außerdem giebt.

In unsrer Wissenschaft, wo der Begriff Ursache und Wirkung reducirt ist auf das Gleichungs-Verhältniß, mit dem Ehrgeiz, zu beweisen, daß auf jeder Seite dasselbe Quantum von Kraft ist, fehlt die treibende Kraft: wir betrachten nur Resultate, wir setzen sie als gleich in Hinsicht auf Inhalt an Kraft ...

Es ist eine bloße Erfahrungssache, daß die Veränderung nicht aufhört: an sich haben wir nicht den geringsten Grund, zu verstehen, daß auf eine Veränderung eine andre folgen müsse. Im Gegentheil: ein erreichter Zustand schiene sich selbst erhalten zu müssen, wenn es nicht ein Vermögen in ihm gäbe, eben nicht sich erhalten zu wollen ... Der Satz des Spinoza von der »Selbsterhaltung« müßte eigentlich der Veränderung einen Halt setzen: aber der Satz ist falsch, das Gegentheil ist wahr. Gerade an allem Lebendigen ist am deutlichsten zu zeigen, daß es Alles thut, um nicht sich zu erhalten, sondern um mehr zu werden ...




2014年10月8日水曜日

山師ニーチェ

むさぼるように私は『曙光』の断章を読みました。ニーチェを読むときに役だつ、あのあらゆるひねくれた感情を込めながら。そして翻訳者にたいする、一巡してはまた生まれてくる感謝の気持を、その“ひねくれた”感情に交えたのです。……(「ニーチェとヴァレリー ヴァレリーのニーチェに関する手稿から」 丹治恒次郎 著 – 1985 ネット上PDFより)

ヴァレリーは仏国では、もっとも早くからのニーチェの読者のひとりだったらしい。上の文は、ニーチェの翻訳者である友人アンリ・アルベール宛(1901)の書簡からであり、彼に感謝の気持を表明しているのだが、それに続いて現われる「“ひねくれた”感情」という表現がいかにもヴァレリーらしい。”Tous les mauvais senntimenntos utiles”――悪感情、不快感としてもよいだろう。

もっともヴァレリーは死の二年前のカイエ(72歳)にも、ニーチェに触れている。

ニーチェを読むーーニーチェ(かれはイデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとりだが)にある詐りのものはーーかれが他者に付与する重要性――論争術、――およびいろんな理論立てを思わせるものすべてである。彼はすでに「文学史」中に席を与えられた物事をあまり眼中におきすぎる。――ソクラテスとカントを制服した「彼」が、だ。――/それから魔術的な語の『生』。しかしこれに助けを呼ぶのは安易というものだ。(寺田透訳)

この時期に到っても熱心にニーチェを読んでいたことになる。しかもやはり「詐りのもの」という表現を差挿させて。

だが《イデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとり》ともあるわけだが、ヴァレリーはマルクスの最初期の読者であることも知られている(もっともマルクスーニーチェーフロイトという偉大な三人組(イデオロギー、道徳、自我の)の残りの一人フロイトへの言及というのは殆んどなかったんじゃないか)。

まあそれはこの際どうでもよろしいが、ニーチェを、”道徳の分野で”、とはいわず、”イデオロギーの分野で”もっとも高く評価すると言っているのも、ヴァレリーらしい。たぶんニーチェの同情道徳批判など端から信じていなかったのだろう。

ニーチェのなかでもっとも面白いものはあの断固たる風采、倫理的執心である。――これが僕をいつも笑わせる。――というのは、要するにこれは台所仕事なのだ、道徳のなかで働こうとする。道徳の現代的基礎が見かけのよい無関心でだということに気がつかない。(ヴァレリー ジッド宛ての書簡 1899.1.13)


◆ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』より

・私はニーチェが言っていることを気にかけない。ニーチェが考えねばならないことに関心がある。

・あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ。

・山師根性の発生源〔は何か〕。存在の分割。

・大ほら吹き。――構築家ではない。


山師だって?、大ほら吹きだって?

ニーチェは妹への手紙で言っている、

自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ。

ーーたぶん、「お兄さん、どうして物を書くとき、あんなに大言壮語するの?」 とでも訊ねられたのではないか。


ところで冒頭の「ひねくれた感情」については小林秀雄もすでに昭和二十五年のエッセイ「ニーチェ雑感」にて次のように引用している。

「私はニイチェを読む、彼を読むに必要な悪意をもって」とヴァレリイは言っている。これはニイチェの知らぬフランス風のアイロニイだ。彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている。そういう血筋についての日本人としての一種の不感症の意識が、ニイチェを読むには、およそ女々しさを知らぬ善意が必要だ、と私に言うようである。ニイチェは暴露心理学の名人ではない。それは彼にはあんまりやさしい芸である。心理は暴露されるが、ひたすら隠そうとしているものが、常にそこにある。それは真理の絶対性であり、そこにはドイツの伝統的精神の血が流れている。頑固な執拗な容赦のない精神の渇望が、憧憬がある。これを、彼の「悪意の知恵」のうちに、いつも感じているのには強い善意を要する。


ここには上に引用したヴァレリーの『ニーチェに関する手稿』における《あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ》の翳も窺われる、すなわち《彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている》とは、《あまりにもドイツ的》の変奏だろう。

ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

吉田秀和はもちろん小林秀雄の弟子筋であり、この見解も起源は小林秀雄にあるに相違ない。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

ニーチェの主著のひとつ『道徳の系譜』では、この書に収められた三論文のテーマ、第一論文「善悪」、第二論文「同情」、第三論文「禁欲主義」に対して、それぞれ激しく反駁しているのだが、ニーチェこそ善悪の彼岸にある「善=真理」の人、窮極の「同情」の人、至高の「禁欲主義」の人であった、と小林秀雄はすでに暗に言ってしまっているのだ。

そして小林秀雄の見解も、ヴァレリーに負うところが大きいように見える。

ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。」(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

たとえばショーペンハウアーの《哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである》とある次の文を読んでみよう。

ニイチェは、「教育者としてのショオペンハウエル」を、私という人間を知る鍵だと、これを書いてから十年も経ってから、ローデへの手紙で言っているが、どんな鍵だかは言っていない。鍵をあけるのは読者の方だ。これはニイチェの変わらぬやり方である。

彼はショオペンハウエルの第一ページを読むやいなや、あらゆるページを読んで、あらゆる言葉を傾聴するに違いないことを決定的に感じてしまう、そういう種類のショオペンハウエルの読者だ、と言っているが、彼の書いたものは、まさにそういう読者の書いた「ショオペンハウエル論」であって、この哲学者の哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである。相手を信頼しきった愛読者として、ニイチェがショオペンハウエルから感得したものは、もっと深い処にあるもの、ドグマが死んでも今日もショウペンハウエルが私たちを動かしているものだ。感得とは私の勝手な言葉ではない、ニイチェはこの哲学者を語り、愛読者の「生理的印象」を語るのだ、とさえ言っている。「教育者としてのショオペンハウエル」は、同時代への攻撃が目的であり、それは鋭く雄弁で、一篇の重点をなしているのだが、ニイチェの鍵をあけるなら、私としては、彼が愛読者としての気持ちを語る最初の部分を選びたい。

ショオペンハウエルが、カントの「批判」から立ち上がったのは周知のことであるが、この点で、ニイチェは特色ある洞察を述べている。カントによって厳密に証明された知性の相対性を、いろいろと弄くり廻しているような「計算機械」たちには自分は何の興味もない、なぜ絶望しないのかと彼は言う。彼は、カントから与えられた打撃により、絶望した心を語るクライストの手紙を引用し、人間はいつになったら、クライストのように自然にすなおに感じるようになるか、いつになったら哲学の意味を自分の心の底に照らして計ることを学ぶようになるかと言っている。ショオペンハウエルは、それをやった。それをやったところに、ニイチェが見たものは奇怪なほど明らかなあたりまえなことであった。正直な思想家。その点で、彼に肩を並べられる思想家はモンテエニュ一人だと断言しているのもおもしろい。同時にニイチェは、当代の思想家の、不機嫌、憂鬱、錯雑が、つまるところ自分自身に対する信頼感の不安定をごまかそうとする虚偽から来ているのであって、他にもっともらしい理由なおいっさいないのだと見る。ところで、正直であるとは、「人生の全像」が、この苦痛と不幸との絶えぬ絵が一つ目で見えているという意味だ。ショオペンハウエルは、この絵から、画家を発見しようと男らしく、単純に誠意をもって考えて行く、他の思想家たちが、絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している間に。この愛読者は、そういうふうに読んだ。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

小林秀雄の、しばしば「はったり的」とも批判される様をこの文章に読むひとがいるかもしれない。ショーペンハウアーの「哲学的ドグマなぞ初めから問題ではなかった」だって? 研究者だったらこの断言に苛立つのを憶測できないわけでもない。

ニーチェはこう書いてるじゃないか、と。

ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

だがニーチェが山師なら、小林秀雄を山師として読んでどうしていかないわけがあろう。その山師根性から生み出される神経や情動に働きかけてくるエクリチュールに魅せられないひとーーたとえば学者共同体のひとびとはーー、地道に研究活動に精をだしておればよろしい。それが《絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している》のではないことを、ここで他人事ながら祈願しておこう。


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475

もっともいま黒字強調をした箇所も、たとえば次の文とともに読む必要があるだろう。

ひとはものを書く場合、分ってもらいたいたというだけでなく、また同様に確かに、分ってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にはならない。おそらくそれが著者の意図だったのだ--著者は《猫にも杓子にも》分ってもらいたくなかったのだ。すべて高貴な精神が自己を伝えようとする時には、その聞き手をも選ぶのだ。それを選ぶと同時に、《縁なき衆生》には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこに起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである」(『悦ばしき知識』381番 秋山英夫訳)

もちろんニーチェはこれだけではない。ここでニーチェ読みなら欠かせないとされるクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』を次のように引用しておいてもよい。

強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他 の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは 一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする 限界点にほかならない。(『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)

「音調」という語彙が出てきた。ならば、こう重ねて引用せざるをえない。

二種類の著作者たちを区別しなければならない。第一は、人がある著作者たちについて書く、そういう対象としての著作者たちであり、彼らからの影響は、人が彼らについて語ることがらの外にはなく、そのことがらに先立つものではない。そして第二は(もっと古典的な考えかたであり)、人が読む対象としての著作者たちである。ところで、第二の著作者たちから私に及ぼされるものはいったい何だろうか。一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)(『彼自身によるロラン・バルト』ーー「自分の声をさがしなさい」)

で、小林秀雄のニーチェ小論はこの側面が欠けているって? まさか!

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

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※附記

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収ーー意図的な誤読の「楽しみ」