《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。》(『資本論序文』)
――人はあるポジションにおかれたら、いくら「善」をなそうとしても、社会的な悪に染まってしまう。
《貨幣や信用が織りなす世界は、神や信仰のそれと同様に、まったく虚妄であると同時に、何にもまして強力にわれわれを蹂躪するものである。》(柄谷行人『トランスクリティーク』p288)
貨幣蓄蔵者は、黄金物神のために自分の欲情を犠牲にする。彼は禁欲の福音に忠実なのだ。他方で、彼が流通から貨幣として引き上げることのできるものは、彼が商品として流通に投じたものでしかない。彼は、生産すればするほど、多く売ることができるわけだ。だから、勤勉、節約、そして貪欲が、彼の主徳をなし、多くを売って少なく買うことが、彼の経済学のすべてをなす。(マルクス『資本論』第一巻第一篇第三章第三節)
こういう絶対的な到富衝動、こういう情熱的な価値追求は、資本家にも貨幣蓄蔵者にも共通のものではあるが、しかし貨幣蓄蔵者が狂気の資本家でしかないのに対して、資本家のほうは合理的な貨幣蓄蔵者である。貨幣蓄蔵者は、価値の休みなき増殖を、貨幣を流通から救いだそうとすることによって追求するが、より賢明な資本家は、貨幣をつねに新たに流通にゆだねることによって達成するわけである。(『資本論』第一巻第二篇第四章第一節)
ここでドゥルーズの死の二年前のインタヴュー「思い出すこと」より抜き出すことにしよう(インタヴューそのものはドゥルーズの死後1995年に発表された)。
マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できません。マルクスは終わったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければなりません。(……)
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。(……)私はもう文章を書きたくありません。マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいます。そうして後は、絵を書くでしょう。
以下、ふたたび『トランスクリティーク』より。
なぜ資本主義の運動がはてしなく(endlessly)続かざるをえないか、という問い(……)。実は、それはend-less(無目的的)でもある。貨幣(金)を追いもとめる商人資本=重商主義が「倒錯」だとしても、実は産業資本をまたその「倒錯」を受けついでいる。実際に、産業資本主義がはじまる前に、信用体系をふくめてすべての装置ができあがっており、産業資本主義はその中で始まり、且つそれを自己流に改編したにすぎない。では資本主義的な経済活動を動機づけるその「倒錯」は、何なのか。いうまでもなく、貨幣(商品)のフェティシズムである。
マルクスは、資本の源泉にまさしく貨幣のフェティシズムに固執する守銭奴(貨幣退蔵者)を見いだしている。貨幣をもつことは、いつどこでもいかなるものとも直接的に交換しうるという「社会的権利」をもつことである。貨幣退蔵者とは、この「権利」ゆえに、実際の使用価値を断念する者の謂である。貨幣を媒体ではなく自己目的とすること、つまり「黄金欲」や「致富衝動」は、けっして物(使用価値)に対する必要や欲望からくるのではない。守銭奴は、皮肉なことに、物質的に無欲なのである。ちょうど「天国に宝を積む」ために、この世において無欲な信仰者のように。守銭奴には、宗教的倒錯と類似したものがある。事実、世界宗教も、流通が一定の「世界性」――諸共同体の「間」に形成されやがて諸共同体にも内面化される――をもちえたときにあらわれたのである。もし宗教的な倒錯に崇高なものを見いだすならば、守銭奴にもそうすべきだろう。守銭奴に下劣な心情(ルサンチマン)を見いだすならば、宗教的な倒錯者にもそうすべきだろう。(p325-326)
……信用制度の下では、資本の自己増殖運動は、蓄積のためというよりも、むしろ「決済」を無限に先送りするために強いられたものとなる。つまり、資本の運動が、個々の資本家の「意志」を本当にこえてしまい、資本家に対して強制的なものとなるのは、このときからである。たとえば、設備投資は概ね銀行からの融資でなされるが、資本は借金と利子を返済するためには途中で活動を停止することができない。
資本の自己増殖運動を促進し、「売り」の危うさを減殺する「信用」が、資本の運動を無限(endless)に強制する。総体的にみれば、資本の自己運動は、自転車操業のように、「決済」を無限に先送りするためにこそ存続しなければならないのである。P344
以下の建築家西沢大良氏のツイート(6月30日~7月1日)にも、資本のendlessな運動をめぐる示唆がみられる。《安倍晋三は集団的自衛権で、この米国の真似っこをしたいのです。だから中国も韓国も関係ない。保守も愛国も関係ない。領土も防衛も関係ない。たんに経団連傘下の大企業の受注を増やしてあげて、公共事業として戦争をやりたいってだけです。だってそういう企業の献金で生き延びてきたのが自民党だもん》
…………
@tairanishizawa
→集団的自衛権が容認されると、過去10年間米国で起きてきたことが日本でも起ります。つまり仕事をしたい人・お金が必要な人にたいして、特殊な人材派遣会社から電話がかかってくるようになる。別に若者だけじゃあないよ。中高年であれ女性であれ、電話がかかってくるようになる。
→西沢の知人S(米国人、西沢と同年齢)は、タクシー会社をクビになっった数ヶ月後、その手の電話をもらった(約10年前)。「就活イベントに参加しませんか」と。「Sさんの経歴を見込んで仕事をご紹介させて下さい」と。「ご自宅のある街で就活イベントを開きますので、ぜひご参加下さい」と。
→就活イベントの会場はホテルの宴会場。ビュッフェ形式で食べ放題のパーティー。ショーやスピーチもあった。帰りがけに「登録だけでもして下さいませんか」と請われたので登録した。その数週間後、その人材会社から再び電話がかかってきた。
→Sはタクシー運転手時代、年収250万円だったが、「Sさんの腕を見込んで年収800万円の運転業務をご紹介します」と。「ついては詳しいご説明をオフィスでさせていただけませんか?」と。3ヶ月失業中の身であるSは、奥さんと子供の手前もあり、そのオフィスに説明だけ聞きに行った。
→話を聞くと「赴任先はイラクです」と。でも「後方支援物資を運ぶ運転手です。国連の平和維持活動部隊と同じエリアです。大型車両ですがSさんなら問題なく運転できます」と。「契約は1年ごとに年棒含めて見直しましょう」と。魅力的な話だったが、その場でサインはせず、契約書をもらって帰宅した。
→帰宅して奥さんと子供と激論になった。S家の当時の最大の悩みは、子供を大学に進学させられなくなりつつあったこと(Sの失業が原因)。だからイラクという赴任先は怖かったが、最終的にはその派遣の仕事を受けることに決めた。
→Sがイラクに赴任したのはその3ヶ月後。仕事はトラックのドライバー。ただし運搬物は、正規の軍人たちが防護服とマスクを着用して搬入する。後になって劣化ウラン弾だろうと思い当たった。Sは防護服もマスクもなく、ジーンズとTシャツ。ほぼ丸腰で劣化ウラン弾から被爆し続けた。
→現地での最大の問題は水と食料。周りの正規軍人は米国から送られてきたペットボトルを飲む。でもSは民間の派遣社員だからその水にはありつけない。水も食物も現地調達せねばならない。現地の水(汚染水)を飲み続け、2ヶ月して下痢が止まらなくなり、鼻血も止まらなくなり、怖くなった。
→医者に診断してほしかったが、サインした契約書の一文が頭をよぎり、自制した。「万が一現地で被爆ないし化学兵器で障害を負った場合、法律で米国本土への輸送が禁じられているため、遺体を現地で焼却することに同意する」という一文。Sは本国に帰れなくなることを恐れ、医者にかからず仕事を続けた
→1年後、やっとの思いで米国に帰り、医者に見てもらったところ、急性白血病と診断された。すぐにでも治療を始めたかったが、米国では医療費が高価すぎて治せない。「じゃあどうしてるんだ?」と聞くと、「ネットで鎮痛剤を買って飲んでいる」と。
→「800万円はどうしたんだ?」と聞くと「500万は帰国前に現地で生きるために使った。水や食料代などを購入したが被爆は避けられなかった」「じゃあ残りは?」「帰国後の診断料や薬代ですぐに消えた」と。Sはその後も失業者。
→「息子はどうしたんだ?」と聞くと「大学は断念した。大学に進学するには奨学金をローンで借りなきゃいけなくて、すると返済のためにまた人材派遣会社にリクルートされる。俺と同じ目に遭うから大学は諦めろ、好きな仕事につけと諭した」と。
→これがいわゆる米国の経済徴兵制。正規の軍人以外に、膨大な民間人が戦場で働いている。皆お金に困った人たち(カードローンが返せないとか、就職できないとか)。
米国での戦争は、企業にとっての公共事業になっている。それが今やあらゆる業種に広がり、人材派遣業まで戦争で儲けている。
→安倍晋三は集団的自衛権で、この米国の真似っこをしたいのです。だから中国も韓国も関係ない。保守も愛国も関係ない。領土も防衛も関係ない。たんに経団連傘下の大企業の受注を増やしてあげて、公共事業として戦争をやりたいってだけです。だってそういう企業の献金で生き延びてきたのが自民党だもん
→ちなみにテレビや全国新聞も、自民党とクリソツです。企業からの広告費で生き延びてるのが今のテレビと全国紙だもん。お金を出すヤツの考えを実現してくれるツールが近代情報産業であり、近代政党になっている。情けないことに、この近代情報産業が、近代都市を支える情報のあり方なんですよ。
→いずれにしても集団的自衛権ってのは、アホ中のアホの政策です。それは中国も韓国も関係ない。保守も愛国も関係ない。領土も防衛も関係ない。たんに大企業のケツをなめてるだけ。そうまでして大企業を活かそうとしても、カタチの上で生き延びてるだけで、実質潰れてるようなところばかりなのに。
→米国なら軍需産業に入る三菱重工とか日立とかだけじゃないよ。パナソニックも集団的自衛権してくれないと潰れちゃう。パナソニックは米軍にノーパソを納品してるけど、もっと納品しないと去年みたいに潰れそうになる。だから日本でも公共事業(戦争)を始めてほしい。経団連ってのはそんなのばっか。
→だけどね、どこのバカが大企業を活き伸びさせるために急性白血病になったり障害者になったりするかっての。別に若者だけの話じゃないよ。中高年や女性も同じだよ。Sがイラクに派遣されたのは47のとき。年齢も性別も業種も超えて戦争で稼ごうとするってのが、経済徴兵制の特徴なんだから。
→以上の話から、集団的自衛権ってのがいかにアホな政策かっていうのが、ちょっとは通じたかな。。。もし通じた方は、明日7/1に官邸前に来て下さい。安倍の強行採決はPM4時ころです。現時点ではデモ以外に阻止する方法がないから、ぜひ集まってください。
本日官邸前で質問してきた若者へ:
昨晩のツイート(経済徴兵制)は、初耳の人には信じ難いかもしれません。嘘だったら僕も嬉しいんですが、、、残念ながら事実です。米国のブルーカラーに知人がいれば(大都会のホワイトカラーではなく田舎のブルーカラー)、この手の話を聞かされてると思います。
→読み易い本もあります。下記の確か2の方に、経済徴兵制に引きずり込まれた米国市民の話が出ています。 この2冊は今後の日本人にとって必読書です。。。残念な紹介です。
★『ルポ・貧困大国アメリカ』堤未果、岩波新書2008年
★『ルポ・貧困大国アメリカ2』堤未果、岩波新書2010年
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資本の限界は資本そのものであるという公式を進化論的に読むのは的外れである。この公式の眼目は、生産関係の枠組みは、その発展のある時点で、生産力の伸びを邪魔するようになる、といったことではなく、この資本主義の内在的限界、この「内的矛盾」こそが、資本主義を永久的発展へと駆り立てるのだ、ということである。
資本主義の「正常な」状態は、資本主義そのものの存在条件のたえざる革新である。資本主義は最初から「腐敗」しており、その力をそぐような矛盾・不和、すなわち内在的な均衡欠如から逃れられないのである。だからこそ資本主義はたえず変化し、発展しつづけるのだ。たえざる発展こそが、それ自身の根本的・本質的な不均衡、すなわち「矛盾」を何度も繰り返し解決し、それと折り合いをつける唯一の方法なのである。したがって資本主義の限界は、資本主義を締めつけるどころか、その発展の原動力なのである。まさにここに資本主義特有の逆説、その究極の支えがある。資本主義はその限界、その無能力さを、その力の源に変えることができるのだ。
「腐敗」すればするほど、その内在的矛盾が深刻になればなるほど、資本主義はおのれを革新し、生き延びなければならないのである。
剰余享楽を定義するのはこの逆説である。この剰余とは、何か「正常」で基本的な享楽に付け加わったという意味での剰余ではない。そもそも享楽というものは、この剰余の中にのみあらわれる。すなわち、それは本質的に「過剰」なのである。その剰余を差し引いてしまうと、享楽そのものを失ってしまう。同様に、資本主義はそれ自身の物質的条件をたえず革新することによってのみ生き延びるのであるから、もし「同じ状態のままで」いたら、もし内的均衡を達成してしまったら、資本主義は存在しなくなる。したがって、これこそが、資本主義的生産過程駆動する「原因」である剰余価値と、欲望の対象-原因である剰余享楽との、相同関係である。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)