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2013年11月30日土曜日

妙に気を使い合う「実名者」たち

週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」)

少し前にも何気なく引用したのだが、この小林秀雄の言葉をもう少し考えてみよう。

《批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きている》、とある。これを患者ではない批評など信用するに当らぬ、というふうに読みたい誘惑にかられる。たとえば蓮實重彦は柄谷行人との対談集『闘争のエチカ』で、次のように語っている。

自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない

あるいは柄谷行人の『トランスクリティーク』冒頭の「序文」にはこうある。
私がなそうとしたのは、カントとマルクスに共通する「批判(批評)」の意味を取り戻すことである。いうまでもなく、「批判」とは相手を非難することではなく、吟味であり、むしろ自己吟味である。(柄谷行人『トランスクリティーク』「序文」)

そもそもカント的なアンチノミーの指摘を持ち出すまでもなく、批判している対象と異質な地平に立つことなどできはしない。

われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている。(柄谷行人『トランスクリティーク』--「人間的主観性のパラドックス」覚書より)

だが、ここでは馴れぬ哲学的な話は脇にやり、冒頭の小林秀雄にもどれば、「批評精神とは患者の側に生きる」とは、柄谷行人のいうカントとマルクスに共通する考え方、「批評とは自己吟味である」こととしてよいだろう。

他方、逆に、相手を非難する「批判」とか、批判している対象と異質な地平に立ったような批評でも、そのすべてではないにしろ、実は己れを語っているというふうに見ることができる。少なくともそういったふうに他者非難の言葉を読んでみることもときには必要であろう。

プルーストにはこのあたりのことを指摘する文章がいくらでもある。
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト『囚われの女』井上究一郎訳)

つまるところ、自分がもっているものと、あるいはもっていたものと、とてもよく似た欠点が他人にあるので、それによく気づき非難のことばが生まれる、あるいはそういった場合が多いということだ。そうでなかった場合、そんな欠点に気がつくことは少なく、嫌悪感も生まれにくいのではないか。

……自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。近視の男は他人の近視のことをこういう、「だってあれはほとんど目があけられないくらいですよ。」胸部疾患の人間は、この上もなく頑丈な人間の健康な肺臓にも種々の疑念をもつし、不潔な男は、他人がお湯や水を浴びないことばかりを口にするし、悪臭を放つ人間は、誰でもいやな匂がすると言いはる、だまされた亭主は、いたるところにだまされた亭主たちを、浮気な女房はいたるところに浮気な女房たちを、スノッブはいたるところにスノッブたちを見出す。それからまた、各自の悪徳は、それぞれの職業とおなじように、専門の知識を要求し、それをひろくきわめさせる、各自はそんな知識を得々と人まえで弁じたてずにはいられない。倒錯者は倒錯者たちを嗅ぎだし、社交界に招かれたデザイナーは、まだこちらと話をまじえないのに、もうこちらの服地に目をつけ、その指は生地のよしあしをさわってみたくていらいらしているし、歯科医を訪ねて、しばらく話をまじえたのちに、こちらについて忌憚のない意見をきいてみると、彼はこちらの虫歯の数をいうだろう。彼にはこれよりも重大に見えることはないのだが、そういう彼自身の虫歯に気がついたこちらにとっては、これほどこっけいなことはない。そして、われわれが他人を盲目だと思うのは、われわれが自分のことを話しているときばかりではない。われわれはいつも他人が盲目であるかのようにふるまっている。われわれには、一人一人に、特別の神がついていて、その神が、われわれの欠点にかくれ蓑をかけてわれわれからかくし、他人には見えないという保証をしてくれているのであって、同様に、その神は、からだを洗わない人々にたいして、耳にためた垢の筋や、腋の下から発する汗の匂に、目をとじ鼻腔をふさがせ、誰もそれと気づかないであろう社交界へ、それぞれその垢の筋や汗の匂をもちこんでも平気だという確信をあたえるのだ。そしてイミテーションの真珠を身につけたり、贈物にしたりする人は、それがほんものに見られるだろうと想像するのである。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」 第二部井上究一郎訳)

 そしてこれらのことは優れた人間でも凡庸な人間でも変わりがない、とプルーストは書く。

性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。(プルースト「見出された時」)

もちろん、これは広い意味での「心理学」の領域の話なので、たとえばフロイトにもふんだんにこの類の指摘はある。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。……(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))

ようするにラカン派的な言葉づかいをすれば、《自分の欲望についての真理を隠すために》他者非難をするのだ。

他方、フロイトは、「自己非難」についても、次のような逆転を書く。

メランコリー患者のさまざまな自責の訴えを根気よくきいていると、しまいには、この訴えのうちでいちばん強いものは、自分自身にあてはまるものは少なく、患者が愛しているか、かつて愛したか、あるいは愛さねばならぬ他の人に、わずかの修正を加えれば、あてはまるものであるという印象をうけないではいられない。事態をしらべればしらべるほど、この推測は確かなものになる。このように、自己非難とは愛する対象に向けられた非難が方向を変えて自分自身の自我に反転したものだと見れば、病像を理解する鍵を手にいれたことになる。

夫に同情して、自分のような働きのない女と一緒になったのは気の毒であると口に出して言う妻は、どのような意味で言っているにせよ、実は夫の働きのないことを訴えているのである。(……)言葉の古い意味にしたがえば、彼らの訴えは告訴なのである。彼らが自分について言っている軽蔑の言葉は、根本的には他人について言っているのだから、彼らはそれを恥じたり、かくしたりしないわけである。また、実際に品性下劣な者だけにふさわしいはずの卑下や屈従を、周囲の人に見せることをしないで、きわめてはげしく苦しみ、たえず悩み、ひどく不当な目にあっているかのようにふるまうわけである。これらすべてのことは、彼らの態度に見られる反応が反逆という精神的姿勢から発しているからこそ可能なのであって、この反逆がある過程によってメランコリーの後悔というものに移行するのである。(フロイト『悲哀とメランコリー』 フロイト著作集6)

この二つの機制は、ドゥルーズがニーチェのルサンチマン(怨恨)を語るときの二つの「投射」でもあるだろう。

怨恨。おまえが悪い、おまえのせいだ……。投射的な非難と不平。私が弱く、不幸なのはおまえのせいだ。反動的な生は能動的な諸力を避けようとする。反動的な作用は、「動かされる」ことをやめ、感じ取られたなにものかとなる。すなわち能動的なものに敵対して働く「反感=怨恨」となる。それでひとは能動に「恥」をかかせようとする。生それ自身が非難され、その<力>から分離され、それが可能なことから切り離される。小羊はこう呟くのである。「私だって鷲がするようなことはなんでも、やろうと思えばできるはずだ。それなのに私は感心にも自分でそんなことはしないようにしている、だから鷲も私と同じようにしてもらいたい……」。(ドゥルーズ『ニーチェ』)
疚しい心。私が悪い、私のせいだ……。内向投射のモメント。反動的な諸力は、ちょうど魚を釣り針に掛けるようにうまく生を罠に掛けたあとで、それ自身へと戻ることができる。それら諸力は過ちを内面化し、自分が罪深いのだと言い、自分自身に敵対する。だがそうすることで、反動的な諸力は模範を与えるのであり、生が全体として反動的な諸力と結びつき、一体化するよう促すのである。そうやって反動的な諸力は最大限の伝染力を獲得する。そしてさまざまな反動的な共同体を形成するのである。(同上)

ただし現在、後者の「自己非難」や「内向投射」は少なくなってきている、という指摘が中井久夫にある。

1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲー1 「共同討議」トラウマと解離(斉藤/中井/浅田)

これは、一般には「大文字の他者」の凋落、父なき時代にかかわるとされるが、今はそれについては触れない。簡単にいえば、フーコー/ドゥルーズの「ディシプリンの社会」から「コントロールの社会」への移行ということでもあろう。

中井久夫の指摘する文から自罰的/他罰的という二項対立だけを捉えれば、後者の他罰的が現代の特徴だということになる。インターネット上には匿名者のルサンチマンによる発話が跳梁跋扈しているには相違ない。だがプルーストやフロイトの指摘で面白いのは、その匿名者を厳しく非難する実名者の言葉そのものさえ、自己を語る遠まわしの方法ではないか、と疑ってみる必要があるということだ。

ニーチェなら、すべての意見はひとつの隠れ家であり仮面である、という。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。(……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番)

そもそも「正義」の言説とは、フロイトによれば、次のようなことだ。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ルサンチマンの発話者への非難は、それを楽しんでいる人びとへの羨望でもあり得るのだろう、たとえば抗議や嘲弄が立場上できない人の。

抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。(ニーチェ『善悪の彼岸』 154番)

もっとも、わたくしはネット上の攻撃的な発言を擁護するつもりはさらさらない。

個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。(内田樹「ネット上の発言の劣化について」)

だがそれなりに地位のあるひとからさえ、次のような発話が生まれるのは、なにか鬱憤が溜まっているのではないかとは疑わざるをえない(関東エリアにある国立大学の准教授のツイッター上の発言5/27

・外野でシニカルに構えて、何かを言ったふりだけする奴ら。本当にどうにかならんもんかなと思う。しかも、ほとんどが匿名。自分をリスクにさらす勇気もない連中が、誰ひとりとして取り組んだことのないことにトライする人たちの試みを、斜に構えて眺めている。

・この国のシニシズムは、本当に病根が深いと思う。


だれでも、「あの野郎、とんでみない奴だ」、と思うことはあるだろう。それは上の発言では「匿名者」に向けられているが、実名であるために(つまり自分をリスクにさらしているがゆえに)言いたいことが言えない状況に陥ってはいないか。

たとえば2011年の春の事故からしばらくたって、大学当局が「早野黙れ」という情報統制の指示を出していたことが明らかになった。現在、戦前の「内務省」設置法案に反対している良識ある研究者たちは、では、当時なぜ大学当局の情報統制に大して憤りもみせず、遣り過してしまったのだろう。自分をリスクにさらして職場で居心地が悪くなったり、究極的には職を失うのを怖れたためではないか。

今まで、あまり喋ったことのない秘密を少し話しますと、やはり私たちは組織に属している人間なので、喋っていいことといけないことがあるかということで、東京大学が次画像のような通知を出しました。要するに「大学本部が仕切るので、個々の教員は勝手なことを言うな」という通知です。私は直接、大学本部から「早野黙れ」と言われました。そこで理学部長などとも少し相談して、黙らないことにしました。(大学本部から「早野黙れ」と言われたが

現在政府の法律に強い反発表明をしている「良識」ある研究者や学者たちは、当時これを社会と文化への脅威として、すくなくとも表立っては憤ることがたいしてなかったのはなぜなのか。ひょっとして、あそこで教職員のデモなりボイコット運動なりの抗議があったら、いまの法案の設立にさえわずかにしろ影響を与えることができたのではないか。

「現実主義でいこう、われわれ左翼学者は、体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたいのだ。そのために、体制に対して不可能な要求をなげつけよう。そうした要求がみたされないことは、みな分っている。つまり、実際には何も変わらず、われわれがこれまで通り特権化されたままでいられることは確かなのだ」(ジジェク『信じるということ』)

まあしかしながら、過去のことはこの際どうでもよろしい。肝腎なのは今どうするかだ、外面的には批判的でありたいだけではないなら。

…………

カントは理性の「公的使用」と「私的使用」についてこう書いている。

自分の理性を公的に使用することは、いつでも自由でなければならない、これに反して自分の理性を私的に使用することは、時として著しく制限されてよい、そうしたからとて啓蒙の進歩はかくべつ妨げられるものではない、と。ここで私が理性の公的使用というのは、ある人が学者として、一般の読者全体の前で彼自身の理性を使用することを指している。また私が理性の私的使用というのはこうである、---公民としてある地位もしくは公職に任ぜられている人は、その立場においてのみ彼自身の理性を使用することが許される、このような使用の仕方が、すなわち理性の私的使用なのである。

(中略)しかしかかる機構の受動的部分を成す者でも、自分を同時に全公共体の一員――それどころか世界公民的社会の一員と見なす場合には、従ってまた本来の意味における公衆一般に向かって、著書や論文を通じて自説を主張する学者の資格においては、論議することはいっこうに差支えないのである。(カント 『啓蒙とは何か』)

柄谷行人は、その『トランスクリティーク』において上記の文を引用して次のように書く。

通常、パブリックは、私的なものに対し、共同体あるいは国家のレベルについていわれるのに、カントは後者を逆に私的と見なしている。ここに重要な「カント的転回」がある。この転回は、たんに公共的なものの優位をいったことにではなく、パブリックの意味を変えてしまったことにあるのだ。パブリックであること=世界公民的であることは、共同体の中ではむしろ、たんに個人的であることとしか見えない。そして、そこでは個人的なものは私的であると見なされる。なぜなら、それは公共的合意に反するからだ。しかし、カントの考えでは、そのように個人的であることがパブリックなのである。(p155~)


公民としてある地位もしくは公職に任ぜられていることに囚われた発話は、カント的には理性の私的使用なのだ。

そして立場上(つまり、公民としてある地位もしくは公職に任ぜられていることにより)、自由に理性の公的使用ができない鬱憤、そのルサンチマンが、「匿名」批判に向けられているということはないだろうか。もっとも、くり返せば、現在ネット上に席巻する匿名者の発言の質の劣化、その非論理性、その攻撃性を擁護するつもりは毛筋ほどもない。

「●●が■■で××の件wwwww」とか「これがあれwwワロタwww」とか書いておけば、すべて2ちゃんねる風になるんだな。

「●●が■■で××の件wwwww」とかいう表現形式によって内容関係なしに伝わる、あの独特の「おれ本当は弱いんだけど、おまえらのことバカにしてるってあえて表明しとくわ、あ、責任は取らないしマジで抗議されたら逃げるけどなw」感をなんと表現したらいいんだろうな。

というか、そんな卑怯で醜い負け犬の遠吠え的表現がこんなに一般化しちゃった日本って大丈夫なのかと心配になる。(東浩紀ツイート)


ただし実名者たちには、次のようなことがあるのだろう。

最近ネットなどを見ていると、妙に気を使い合ったりして、あまり人の名前を出して批判したりはしない。他方、批判が一回出てしまうと、それが非難の応酬に繋がってあっという間に絶縁、といった、狭い所でお友達どうし傷つけ合わないようにという感じになっている。 しかし、コミュニケ-ションは常にディスコミュニケーションを含むし、議論は常に相互批判を含むから、それができにくくなっているとしたら忌々しき事態。人格・個人に対する批判ではないという前提で、相互に攻撃すればいい。ある程度けんかしなければお互い成長はしない。けんかするとお互い傷つくが、傷だらけでなんとかやっていくのが社会。別に仲良くやっていく必要はない。けんかし、けんかした上で共存していくというのが重要だ、ということは知っておくべき。(浅田彰「「知とは何か・学ぶとは何か」

要するに、ある論点を批判しても、それが人格批判としてみられてしまって、理性の公的使用がしにくくなっているのではないか。ツイッターが流行しだした当初には批判の応酬がそれなりにあったのだが、今では互いに妙に気を使い合っている現象があきらかに窺われる。そして実名者の建て前でしかない発言と匿名者の本音ばかりが蔓延る。

建て前、すなわち、次のようなたぐいの発話として勘繰らざるをえない言葉ばかりが少なくともツイッター上では目につく。
学問の世界で、同僚の話がつまらなかったり退屈だったりしたときの、礼儀正しい反応の仕方は「面白かった」と言うことである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

立場上、あるいは友人関係などで、理性の私的使用しかできないのは、やむえない面があるのを否定するものではない。だが、たとえば今年になってドゥルーズの研究者による評判の高い書物が何冊か上梓されているが、われわれの知りたいのは彼らの仲良しぶりではなく、どこに論点の違いがあるのか、「相互に攻撃」する箇所があるに違いないのに、それはほどんどなされない(すくなくとも私のすくない見聞では)。お互いのよい箇所だけを褒め合いましょう、ドゥルーズにはいろいろな面があるのだから、という群れのなかの相似形の疑似対話・批評の如きものしかない。たとえば短い紹介書評だからやむえないのかもしれないが、「「いい加減」な生の姿を記述」などという文はほとんど何も言っていないにひとしいようにわたくしには感じられてしまう。

わずかに次のような発言が遠まわしに年輩のドゥルーズ研究者からあるだけだ(もっともこれもわたくしの寡聞によることだけなのかも知れないが)。

@kumatarouguma: ドゥルーズを読んで政治を語りたがる人間は、あらゆる批判、反省、省察は何もの意味もなさない、すべて新しいものはいいものである、それだけがまともな世界をつくることができるという、そういう言葉にこめられた絶望と凄みを実践的に考えるべきだとおもうけどね。他人を批判する人間のほぼ99%はただのルサンチマンで怨恨、こんなもので政治と正義を語ったと気取っている連中が「権力」なぞににぎったらどういう連中になるか容易に想像ができる。本当に最低の社会になるぜ。

@kumatarouguma: 吉本が天皇制を語るときに記紀から読まない左翼なんか相手にしないように、彼が徹底して良心左翼を批判することでしか左翼について何かをつくることができないといいつづけたように、きちんとものを考える人間ていないのかね。無能な連中ばかりだね。自分の無能は差し置いていますがすみません。

われわれの知りたいのは、1%の人物たちの「相互攻撃」による論点の明確化であろう。

立場上できないのなら、むしろ、かつて中井久夫が楡林達夫という変名を使ったような理性の公的使用による批判だ。むしろ「精神の健康のために」(ニーチェ)匿名や偽名で語るべきなのではないか。
楡林達夫が誰であるかは絶対に知られてはならない。ぼくの大学も。大学がわかったら、ああ、あれは○○大学のことさ、で片づけられてしまうだろう。抵抗的医師とは何か


最後にサドとともに、「提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり学者どもに災いあれ!」としておこう。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)
現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。(ドゥルーズ『フーコー』宇野邦一訳)





お元気でいらっしゃいましたか? いちばん心配なのは長生きでございます!

ひょっとすると、多くの社会は、あるいは政府は、医療のこれ以上の向上をそれほど望んでいないのではないか。平均年齢のこれ以上の延長とそれに伴う医療費の増大とを。各国最近の医療制度改革の本音は経費節約である。数年前わが国のある大蔵大臣が「国民が年金年齢に達した途端に死んでくれたら大蔵省は助かる」と放言し私は眼を丸くしたが誰も問題にしなかった。(中井久夫「医学部というところ」書き下ろし『家族の深淵』1995)

 以前、「二十一世紀は灰色の世界…働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって」渡辺美智雄1986の記事を書いたとき、中井久夫はどこか別のところでも同じことを言っていたな、とは頭の片隅を掠めたのだが、昨晩漫然と『家族の深淵』を読んでいて偶然行き当たった。

政府の本音は、「平均年齢のこれ以上の延長とそれに伴う医療費の増大とを」望んでいないのだろう。だが今では、教育だってあやしい、とくに大学教育は。エリート養成校がいくつかあったらそれでいいと思っているのではないか。あとは企業で役立つ人材を養成するだけの学校でいいと。もちろん他にもあるだろう、「生活保護」、――「税金を払わない連中がいつまでも生きておって」などと言う政治家はまさかいまいが。

しかし現在は、「憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」と副総理が語ってお咎めのない時代である。

すべてを少子化、老齢化などによる財政的行き詰まりのせいにするつもりはないが、やはり「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」(ジャック・アタリ)。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトなのだ。

ところで家族も小さな社会である。子供たちの「本音」は、老齢の父母がいつまでも長く生き続けているのを望むのだろうか、もちろん植物状態や高度痴呆症の親をもつ子供はそうでありえない場合が多いだろうが、では核家族に馴れて別々に暮している老齢の父母に対してはどうなのだろう。大江健三郎の小説の「お祖母ちゃん」のように、いつまでも長生きを望まれているのだろうか。

……なにはともあれヒカリが挨拶の口を開くのを待ったのだ。

ーーお元気でいらっしゃいましたか? いちばん心配なのは長生きでございます!

ーーありがとうございます、ヒカリさん。この間はおなごりおしいことでしたが、またお眼にかかれましたな! これに味をしめて、もっと長生きしましょうな!(『懐かしい年への手紙』)

『燃え上がる緑の木』第一部の冒頭には、死期を間近に控えた「お祖母ちゃん」の様子を叙す大江健三郎の醒めた目によるエクリチュールがある。

・お祖母ちゃんは、初め、待ち望んでいた相手を迎えた様子ではあるのだが、薄茶色に曇りのつけてある銀縁の眼鏡の向こうの、翳った水たまりのような眼を、肘掛椅子のあの人に向けたままだった。

・お祖母ちゃんの皺としみですっかり覆われているーーそのこと自体に徹底したものの美しさもあるーー横顔に、不機嫌さの気配が滲むのを見るように思った。

・ところがお祖母ちゃんは、便所への暗い廊下の、母屋から段差のある曲り角で、嵩のない蠟色の紙のかたまりのように倒れていた。

・――それは、なあ……というほどの、しかも乾いた皺の覆っている皮膚に透明なカゲロウが羽化しようとしているような微笑みを展げて。

・お風呂の介護をする際、つい眼に入るお祖母ちゃんの腿は、使い棄てられた子供の椅子の腕木のような細さ。

…………

私にとって、生きているとは意識があるということである。植物状態を長く続けるのは全くゾッとしないようである。高度の痴呆で永らえることも望んでいないようである。これは自分の考えを推量していっているので、自分ながら「ようである」というのである。私がわずかしか残さなかった家計を、家族がそのような私のために失うのを私は望まない。「尊厳死」という発想とは少し違うかもしれない。死の過程をーーそれもあまり長くない間――体験したいというのは、私の一種の好奇心ともいえよう。ただ、私はマゾヒストではないから、苦痛の軽減は望み、余裕のある意識で死の過程を味わいたい。また、長い痴呆あるいは植物状態を望まない主な理由は、経済的に家族を破綻させるからで、私はこれらの生命の価値を否定しているわけではない。(中井久夫「私の死生観――“私の消滅”を様々にイメージ」)

2013年11月29日金曜日

閨の教養




大島渚の『愛のコリーダ』(1976)の全篇が、少し前Youtubeにアップされているのに気づいた(2013/11/06)。





『愛のコリーダ』についての藤竜也のインタビュー 2000年(2)

聞き手)―定役の松田英子さんは先に出演が決まっていましたが、藤さんのほうは製作発表の前日になったそうですね。彼女とはその場で初めて会ったんですか?

(藤竜也)面識はあったんです。日活の「野良猫ロック」シリーズで、不良少女のグループの一人として彼女が出ていたんですよ。(採録者注:二人は、長谷部安春監督1970年『野良猫ロック マシンアニマル』で共演しています。松田は「市川魔胡」名義)なんで覚えているかというと、彼女が耳に小さなサソリの入れ墨していましてね。それが印象的で。

―演技のやりとりはあったんですか?

彼女はわりと小さな役でしたからね。不良少女のただの一員だった。で、松田さんとお会いして初めて、「あ、会ったことあるな」と。

―ほとんど新人同然の松田さんに不安はありませんでしたか?

全然。だって、ああいう映画ですよ。僕も初めてですから(笑い)。それに、どんな演技だって、バッテンのものってないと思うし。

―監督も演技指導はしないそうですね。

何もしてない、いっさいなし(笑い)。

―芝居を着けずに、ひたすら役者にまかせるというのは、逆にいうと、場の雰囲気をつくるのがうまいのでしょうね。

実に誇りの高い現場でしたね。たとえば、僕はタバコ吸いだけども、セットなのかでは吸う気になれないぐらいの毅然とした雰囲気があった。だからセットに上がるときも、思わず足の裏を見て、汚れてないかな、って見るくらいキチーッとしてね。やはり美術的にも素晴らしいんですよ。鑑賞するだけの値打があるようなセットを、美術監督の戸田重昌さんがつくった。一礼してから入りましょう、っていう感じでしたから。こういうところに映画の喜び、誇りがあるんですね。大島渚というキャラクターも大きいでしょうね。でも、俳優にはむちゃくちゃ優しかった。気持ちが悪いくらい(笑い)。ああいうセンシティブな映画だったので、事情にありがたかったですよ。だけど、スタッフには、まわりが度肝を抜かれるくらい厳しい。こっちを向くか、あっちを向くかとでは、お多福が急に般若に変わるくらい違いました。


◆石原陽一郎氏のブログよりカンの『愛のコリーダ』論をめぐっての発話箇所を引用しておこう。


一本の日本映画を見た。小さな会場でね。学派のメンバーを何人か連れて行ったんだが、その人たちも私と同様、仰天したと思うね。あの映画から受けた印象を言い表すには、仰天というよりほかに言葉がない。

なぜ仰天したかというと、女性のエロティシズムについての映画であったからだ。日本映画を見に行って、まさかそんなものを見せられるとは思ってもみなかった。これを見て、日本人女性のパワーがわかりはじめた。

 [……]女性のエロティシズムがここでは究極的なかたちで描かれていると思うんだが、そのかたちというのは、男を殺すという幻想につきる。でも、それでもじゅうぶんではないんだ。殺したあとでさらにその先まで行くんだよ。そのあとで……なぜそのあとで、なのか? ここで首をひねってしまう。

くだんの日本人女性は実は妾なんだが、連れ添い(partenaire)——そんなふうに呼ばれている——の性器を切り取る。女はなぜ殺すまえに切り取らないのか?

この行為は幻想であることがはっきりしている。映画のなかでは血がざばざば流れるからね。海綿体に血液が行き届かなくなるはずだと思うんだが、実は私もよくはわからない。死んだあと、どんなふうになるかは知らないんだ。

さきほど言ったように、ここで首をひねってしまう。去勢が幻想ではないことははっきりしている。精神分析における去勢の機能をはっきり位置づけるのはそんなにかんたんじゃない。幻想のなかで去勢をおもいえがくこともあり得るからね。

これについては、わたしの概念Φにたちもどることにしよう。この文字を fantasme(幻想)という単語の語頭の文字と受け取ってもらってもかまわない。

この文字は、わたしが発声(phonation)の機能(phonction)と呼ぼうとするものの諸関係を表している。それこそΦの本質だ。ふつう考えられているのとは逆なんだ。発声の機能こそ、オスそのもの、いわゆる男の代理物なんだ。
『アンコール』というセミネールで、わたしはこのΦをS(A)という複雑な数学的文字でしかあらわせないシニフィアンで代理することに反対した。

S(A)というシニフィアン、これはΦとはぜんぜん別物だ。S(A)はそれを使って(avec)男性が性交するものじゃない。[仮にそうだとしたら]男は自分の無意識で(avec)性交すると言っているにすぎない。
女性が幻想にいだくものについてはどうかというと、この映画がわれわれに見せてくれているのが女性の幻想だとした場合、いずれにしても、出会い(rencontre)を妨げるようななにかであることはたしかだ。

※石原氏による解釈はリンク先を参照のこと。


…………

まず基礎的な幻想の式$◇aに立ち戻れば、幻想の式が次のように分解される。




《斜線を引かれて抹消された主体が、生の欲動に運ばれて、突き進んで行くその先には、まず「想像的ファルスの欠如」があり、次に「象徴的なファルス」があり、そして言葉で構築された世界があり、そしてその先に永遠に到達できない愛がある。》(「心的装置の成立過程における二つの翻訳」補遺

ここでの「ΦーA」は、象徴界の審級に属するが(-φは、想像界、$とaは現実界)、ラカンはΦについて次のように語っているわけだ。

「わたしの概念Φにたちもどることにしよう。この文字を fantasme(幻想)という単語の語頭の文字と受け取ってもらってもかまわない。/この文字は、わたしが発声(phonation)の機能(phonction)と呼ぼうとするものの諸関係を表している。それこそΦの本質だ。」

ーーこの箇所がわたくしには分らない。

ジジェクは、”Conversations with Žižek Slavoj Žižek, Glyn Daly”にて、三つの象徴界を分けて説明している。
The real Symbolic is (……)meaningless formulae. The symbolic Symbolic is simply speech as such, meaningful speech. And the imaginary Symbolic consists just of archetypes: Jungian symbols, and so on.

The symbolic Symbolicは、S(A)であるとして、ではΦは、このジジェクの区分でもどこに位置づけたらよいのか分らない。

「性的幻想」そのものは、次の叙述で明らかなように、《われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守っている遮蔽膜》としてよいだろう。

もしわれわれが「現実」として経験しているものが幻想によって構造化されているとしたら、そして幻想が、われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守っている遮蔽膜だとしたら、現実そのものが〈現実界〉との遭遇からの逃避として機能しているのかもしれない。夢と現実との対立において、幻想は現実の側にあり、われわれは夢の中で外傷的な〈現実界〉と遭遇する。つまり、現実に耐えられない人たちのために夢があるのではなく、自分の夢(その中にあらわれる〈現実界〉)に耐えられない人のために現実があるのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーーラカン派の現実(幻想)と現実界をめぐる

つまりラカンが云う「この映画がわれわれに見せてくれているのが女性の幻想だとした場合、いずれにしても、出会い(rencontre)を妨げるようななにか」ということになる。


幻想の式$◇aは、《斜線を引かれた主体は究極の対象を目指しながら永遠にこれに到達することができない》と読まれる。$はaと出会うことはできない。

では、『愛のコリーダ』の阿部定と石田吉蔵の外傷的な<現実界>とはなんなのだろうか。二人の(あるいは定のみの)究極の「享楽」、あるいは「愛」とは?

S・シュナイダーマンの『ラカンの《死》』によれば、ラカンは精神分析理論の中心軸を、フロイトの「性」から、「死」へとずらしたい願望を密かに抱いていたとされる。

なんらかの事情があって(シュナイダーマン曰く、トラブルを回避すべく)、「死」ではなく「享楽jouissance」にすり替えるという妥協の道を選んだらしい。(伊藤正博「ラカンの《第二の死》の概念について」による)

しかし、ラカンは「女性のエロティシズムがここでは究極的なかたちで描かれていると思うんだが、そのかたちというのは、男を殺すという幻想」とも言っているわけで、その文脈からすれば、「死」が享楽=現実界とするわけにはいかない。

しかも、ラカン自身、死後に去勢するということに首をひねっている。つまり、本来の「去勢」の意味からすれば、生きているうちにすべきだ、と言っていることになる。

ーーというわけで、オレにはわからんね、なんのことやら。

ところで、さる国では次のようなこともあるらしい。
ベトナム社会を理解する上で大切なキーワードがカカア天下である。相次ぐ戦争で男手を戦場に取られ女性が銃後を守った歴史の賜物だろうが、ベトナム女性は強く男性はこぞって恐妻家である。ベトナムはアジアでも有数の美人の産地だが、美しいバラには棘があるように、笑顔の下にはすさまじい嫉妬心が隠されている。「ベトナムには辛くない唐辛子はない、旦那に嫉妬しない妻はいない」という諺がある位で、旦那の浮気が発覚した際の妻の怒り心頭ぶりは凄まじく、定期的に阿部定事件が発生し地元紙の社会面を賑わせる、といった具合である。(三菱商事株式会社 業務部
さいわい、こういう目にはまだあったことがない。

そもそも一度くらい切られただけでは、ニュースにならないという噂もある(アンザン省:妻が夫の局部切断 なんと2回目)。

ところで、わたくしの妻はアンザン省出身である。

あだしごとはさておき、
今、ネットで検索すると、新宮一成氏の英語で書かれたラカンの『愛のコリーダ』In the Realm of the Senses論への言及論文(2005)がある。www.discourseunit.com/matrix/shingu_mpm_paper.doc

To cut it off after death means that for Sada, what is important is the play of the penis, or the on-off phenomenon of the organ (ф and -ф). (Incidentally, the film was based on a true story; it is well-known in Japan that the real-life Sada was carrying the ф with her at the time of her arrest.)

For psychoanalysis to work, symbolic castration must be possible; in other words, the desire for the Other should be introduced by the signifier ‘Φ’. According to Lacan, this symbolic phallus cannot be negated. However, given the extreme intensity of Sada’s fantasme, the signifier ‘Φ’ is at risk of being negated and rendered back to the play of ‘ф and -ф’. This is the very risk entailed in Japanese psychoanalysis.

たぶん、これは、幻想の式が成り立たない「精神病」の症状を指摘をしているはずだ。もともと一神教ではない日本では、幻想の式が成り立つ神経症ではなく、精神病的な気質のひとが多い、という通説もあるが(「父の名」の象徴的機能の弱体)、このあたりのこともあまりいい加減なことを書きたくないのだが、少なくとも、ここでの「精神病」とは、ラカンが晩年語ったらしい、次の意味での「精神病」だ。

……しかし最後には、ラカンは精神病的主体はまったく正常であると喜んでいうようになりました。これは、アブノーマルなのは象徴的秩序の方であり、人間の性質は基本的にパラノイア的であるということを意味しています。
「ラカンの臨床パースペクティヴへの導入」 ジャック=アラン・ミレール 訳 松本卓也




定は事件後、吉蔵が事件当時に身につけていた褌を腰に巻き、シャツにステテコと吉蔵の血で汚れた腰巻を身につけて逃亡していた。吉蔵の下着類はいくら探しても見つからないので警察も不思議に思っていたのだが、それらは拘置所(市ヶ谷刑務所)に入った定が身につけていた。拘置所で汚いので差し出すように言われた際は「これはあたしと吉さんのにおいが染み付いているの、だから絶対渡さない」と大騒ぎをしている。(阿部定

ーーという「情報」も関心のあるひとは、とっくの昔に知っているのだろう。


…………

以下は附記。

『愛のコリーダ』には、『春の雪』の蓼科のような老女が何人か出てきてそれにも魅了される。もちろん阿部定役の女優の声音、足の表情などが魅惑の中心を占めるには違いないが、ーー《目の底には、繪巻の女の一途な足指の撓みが殘つてゐる。その卑猥な白さの胡粉の色が殘つてゐる》。

あの老芸者たち、定と吉の性戯の傍らで、平然と三味線を鳴らす中老女たちのなんという蠱惑、それは三島の蓼科ほどではないにしろ、ーー《蓼科の一絲亂れぬ振舞、恭謙な媚態、閨の敎養においては誰にもひけをとらないといふ矜りが丸見えなのが、伯爵に對して或る威壓的な作用を及ぼす》。

もっとも1969年に上梓された『春の雪』に、大島渚(『愛のコリーダ』(1976)が影響されているなどと言い募るつもりはない。


大島渚について私が知っている二、三の事柄 その一(鈴木創士)より
…総じて、女には俳優に絶対不向きという人間は少なく、それに比べると男にはそういう人間が多いのであるが、この最も俳優に不向きな体質、ということは精神状態も含んで言うのだが、そういう体質の人のなかにどうしても俳優になりたいという人間がいるのである。そういう俳優志望者に私なども時々襲われるのであるが、この人たちは全く始末が悪い。とにかく思い込んでしまってきかないのである。三島さんもそういう思い込んでしまう人間のように私には見えた。私は、そんな三島さんを主役の俳優として使わなければならなかった『空っ風野郎』の監督増村保造氏のことを思って同情を禁じえなかった。と同時に、私は三島さんという人はなかなかこの世の中に適応しえない人間なのであろう、しかもそれを適応すべくすごい努力をしていらっしゃるというふうに一種同情の目で見たのであった。

三島さんは何故、いわゆる体位向上を心掛けられたのだろうか。いわゆる肉体についてのコンプレックスならば、私なども同様である。青春時代は骨ばかりだったし、ちょっと肉がついていい感じと思っていたら一足飛びに百キロになんなんとするデブになってしまった。今は少し節制してやややせたが見て格好のいい形態ではない。しかしもう諦めている。三島さんはなぜ体型を根本的にまで変えられたのか。自分の文学が貧弱な肉体或いは異常な肉体の産物だというふうに見られるが厭だったのか。とすれば、健康な肉体或いは正常な肉体の産物である文学でも、対応関係としては等価ではないか。或いは、自分の肉体が貧弱から健康へ、異常から正常へ変わっても、自分の文学は変わらぬということが言いたかったのか。それだったら、もう一回、貧弱な肉体、異常な肉体へ帰ってみたほうがもっと面白かったではないか。私はヨボヨボの三島さん、デブデブの三島さんを見たかった。しかし、三島さんは、それを断乎拒否して死んでゆかれた。だから、そこにはやはり三島さんの美意識の問題があったのだろう。

私は文学の評論家ではないから、三島さんの文学の美の問題については深入りしたくないが、私の考えでは三島さんの美意識は私などの美意識と決定的にちがっていた、と言える。というより、私などの創作過程における美意識の置きかたと三島さんのそれは決定的にちがっていたと思う。対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。 (大島渚「政治的オンチ克服の軌跡 三島由紀夫」)



◆三島由紀夫『春の雪』

急に聰子の中で、爐の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、雙の手が自由になつて、清顯の頬を押へた。その手は清顯の頬を押し戻さうとし、その唇は押し戻される清顯の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの餘波で左右に動き、清顯の唇はその絶妙のなめらかさに醉うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。

清顯はどうやつて女の帶を解くものか知らなかつた。頑ななお太鼓が指に逆らつた。そこをやみくもに解かうとすると、聰子の手がうしろへ向つてきて、清顯の手の動きに強く抗しようとしながら微妙に助けた。二人の指は帶のまはりで煩瑣にからみ合ひ、やがて帶止めが解かれると、帶は低い鳴音を走らせて急激に前へ彈けた。そのとき帶は、むしろ自分の力で動きだしたかのやうだつた。それは複雑な、収拾しやうのない暴動の發端であり、着物のすべてが叛亂を起したのも同然で、清顯が聰子の胸もとを寛ろげようとあせるあひだ、ほうぼうで幾多の紐がきつくなつたりゆるくなつたりしてゐた。彼はあの小さく護られてゐた胸もとの白の逆山形が、今、目の前いつぱいの匂ひやかな白をひろげるのを見た。

聰子は一言も、言葉に出して、いけないとは言はなかつた。そこで無言の拒絶と、無言の誘導とが、見分けのつかないものになつていた。彼女は無限に誘ひ入れ、無限に拒んでゐた。ただ、この神聖、この不可能と戰つてゐる力が、自分一人の力だけではないと、清顯に感じさせる何かがあつた。

それは何だつたろう。清顯は、目をつぶつたままの聰子の顔がすこしづつ紅潮してきて、そこに放恣な影の亂れるのをまざまざと見た。その背を支へる清顯の掌に、はなはだ微妙な、羞恥に充ちた壓力が加はつてゆき、彼女はさうして、あたかも抗しかねたかのやうに、仰向きに倒れた。

清顯は聰子の裾をひらき、友禪の長襦袢の裾は、紗綾形と亀甲の雲の上をとびめぐる鳳凰の、五色の尾の亂れを左右へはねのけて、幾重に包まれた聰子の腿を遠く窺はせた。しかし清顯は、まだ、まだ遠いと感じてゐた。まだかきわけて行かねばならぬ幾重の雲があつた。あとからあとから押し寄せるこの煩雑さを、奥深い遠いところで、狡猾に支へてゐる核心があつて、それがじつと息を凝らしてゐるのが感じられる。

やうやく、白い曙の一線のやうに見えそめた聰子の腿に、清顯の體が近づいたときに、聰子の手が、やさしく下りてきてそれを支へた。この恵みが仇になつて、彼は曙の一線にさへ、觸れるか觸れぬかに終つてしまつた。

――二人は疊に横たはつて、雨のはげしい音のよみがへつた天井へ目を向けてゐた。彼らの胸のときめきはなかなか静まらず、清顯は疲れはおろか、何かが終つたことさへ認めたがらない昂揚の裡にゐた。しかし二人の間に、少しづつ暮れてくる部屋に募る影のやうな、心殘りの漂つてゐることも明らかになつた。彼は又、源氏襖のむかうに、かすかな、年老いた咳拂ひをきいたやうに思つて、身を起しかけたが、聰子がそつと彼の肩を引いて引止めた。
やがて聰子は、一言もものを言はずに、かうした心殘りを乗り越えて行つた。そのとき清顯は、はじめて聰子のいざなひのままに動くことのよろこびを知つた。あのあとでは何もかも恕すことができたのである。

清顯の若さは一つの死からたちまちよみがえり、今度は聰子のなだらかな受容の橇に乗つた。彼は女に導かれるときに、こんなにも難路が消えて、なごやかな風光がひろがるのをはじめて覺つた。暑さのあまり、清顯はすでに着てゐるものを脱ぎ捨ててゐた。そこで肉のたしかさは、水と藻の抵抗を押して進む藻刈舟の舟足のやうに、的確に感じられた。清顯は、聰子の顔が何の苦痛も泛べず、微光のさすやうな、あるかなきかの頬笑みを示してゐるのをさへ訝らなかつた。彼の心にはあらゆる疑惑が消えた。

(……)

聰子が言つた最初の言葉は、清顯のシャツをとりあげて、
「お風邪を召すといけないわ。さあ」
と促した言葉だつた。彼がそれを亂暴につかまうとすると、聰子は輕く拒んで、シャツを自分の顔に押し當て、深い息をしてから返した。そのとき聰子が手を鳴らすのにおどろかされた。思はせぶりな永い間を置いて、源氏襖をひらいて、蓼科が顔を出した。
「お召しでございますか」
聰子はうなづいて、身のまわりに亂れた帶のはうを目で指し示した。蓼科は、襖を閉めると、清顯のはうへは目もくれずに、無言で疊をゐざつて来て、聰子の着衣と帶を締めるのを手つだつた。それから部屋の一隅の姫鏡臺を持つてきて、聰子の髪を直した。この間、清顯は所在なさに死ぬやうな思ひがしてゐた。部屋にはすでにあかりが點ぜられ、女二人の儀式のやうなその永い時間に、彼はすでに無用の人になつてゐた。(三島由紀夫「春の雪」『豊饒の海』第一巻 P185-187)

巻物の畫はまづ屏風の前に對座してゐる柿色の衣の和尚と若後家の一景からはじまつてゐた。俳畫風の筆づかひで洒脱に書き流され、和尚の顔は、滑稽で魁偉な男根そのものの感じに描かれてゐた。次の和尚が突然のしかかつて若後家を犯さうとし、若後家は抗ふが、すでに裾は亂れてゐる。次に二人は素肌で相擁してゐるが、若後家の表情は和んでゐる。
和尚の男根は巨松の根のやうにわだかまり、和尚の顔は恐悦の茶いろの舌を出してゐる。若後家の、胡粉で白く塗られた足の指は、傳來の畫法によつて、悉く内側へ深く撓められてゐる。からめた白い腿から顫動が走つて、足指のところで堰かれて、曲られた指の緊張が、無限に流れ去らうとする恍惚を遁がすまいと力んでゐるように見える。(三島由紀夫「春の雪」P291)


            (歌麿 若後家の睦み)

……目の底には、繪巻の女の一途な足指の撓みが殘つてゐる。その卑猥な白さの胡粉の色が殘つてゐる。

それから起つたことは、あの梅雨のものうい熱氣と、伯爵の嫌惡からとしか言ひやうがない。

この梅雨の晩よりさらに十四年前、奥方が聰子を懐妊中に、蓼科に伯爵のお手がついた。すでにその時蓼科は四十歳を超えてゐたのであるから、伯爵の甚だしい気紛れとしか云ひやうがないが、しばらくして沙汰は止んだ。伯爵自ら、それからさらに十四年を經て五十路半ばの蓼科と、こんなことにならうとは夢いも思つてゐなかつた。そしてこの晩のことがあつて以後、伯爵は二度と北崎の家の閾をまたがなかつた。

松枝侯爵の来訪、傷つけられた矜り、梅雨の拠る、北崎の離れ座敷、酒、陰惨な春畫……すべてが寄つてたかつて伯爵の嫌惡をそそり立て、自分を瀆すことに熱中させて、そんな所業に駆り立てたのだとしか思へない。

蓼科の態度に、毛筋ほどの拒否も見られなかつたことが、伯爵の嫌惡を決定的にした。『この女は十四年でも、二十年でも、百年でも待つてゐるつもりなのだ。お聲がかかれば、いつ何時でも容易をさをさ怠りなく』……伯爵は自分にとつては全くの偶然から、或る突きつめた嫌惡から、よろめき入つた暗い木陰に、じつと待伏せしてゐたあの春畫の幽靈を見たのである。

そして又、さういふときの蓼科の一絲亂れぬ振舞、恭謙な媚態、閨の敎養においては誰にもひけをとらないといふ矜りが丸見えなのが、伯爵に對して或る威壓的な作用を及ぼすことは、十四年前と同じであつた。

(……)

その日、松枝侯爵はやつて来て、挨拶に出た聰子のお河童頭を撫で、多少酒氣を帶びてゐたせゐか、子供の前で、突然こんなことを言つた。
「ああ、お姫〔ひい〕さんは實に美しくおなりだ。成長されたときの美しさは想像に餘る。小父さんがよいお婿さんを探して上げるから心配するな。何事も小父さんに任せてくれれば、三國一のお婿さんを世話してあげる。お父上には何も心配かけず、金襴緞子に、一丁もつづく嫁入道具の行列を調へてあげる。綾倉家の代々から一度も出たことのないやうな長い長い豪勢な行列をね」

伯爵夫人はちらと眉をひそめたが、そのとき伯爵は柔和に笑つてゐた。
はずかしめに對して笑つてゐる代りに、彼の祖先は、少しは優雅の權威を示して抗〔はむか〕つたものだつた。しかし今では、家傳の蹴鞠も廢絶し、俗人どもにちらつかせる餌もなくなつた。本物の貴族、本物の優雅が、それを少しも傷つける氣なぞはない、善意に充ちた贋物の無意識のはづかしめに、ただあいまいに笑つてゐるだけなのだ。文化が、新らしい權力と金との前で、あいまいに泛べるこの微笑には、ごく弱い神秘がほのめいてゐた。

さういふことを蓼科に語つた上で、伯爵はしばらく默つてゐた。優雅が復讐するときには、どんな仕方で復讐するだらうか、と考へてゐたのである。いかにも長袖者流の、袖に炷きしめる香のやうな復讐はないものだらうか。袖でおほひかくされた香の緩慢な燃燒、ほとんど火の色も見せずに灰に變つてゆくひそかな經過、煉り固めた香がひとたび炷かれると、微妙なかぐはしい毒を袖に移して、いつまでもそこにとどまるやうな……。

そこで伯爵は、たしかに蓼科に、「今から頼んでおく」と言つたのである。
すなわち、聰子が成人したら、とどのつまりは松枝の言ひなりになつて、縁組を決められることになるだらう。さうなつたら、その縁組の前に、聰子を誰か、聰子が気に入つてゐる、ごく口の固い男と添臥させてやつてほしい。その男の身分はどうあつてもかまはない。ただ聰子が氣に入つてゐるといふことが條件だ。決して聰子を生娘のまま、松枝の世話する婿に與へてはならない。さうしてひそかに、松枝の鼻を明かしてやることができるのだ。しかしこのことは、誰にも知らせず、私にも相談せず、お前の一存でをかした過ちのやうに、やり通してくれなくてはならない。ところでお前は、閨のことにかけては博士のやうだが、生娘でないものと寝た男に生娘と思はせ、又反對に、生娘と寝た男に生娘ではなかつたと思はせる、二つの逆の術を聰子に念入りに敎へ込むことができるだらうか?

蓼科はそれに對して、しつかりとかう答へた。
「仰言るまでもございません。二つながら、どんなに遊び馴れた殿方にも、決して氣づかれる心配のない仕方がございます。それはよくよくお姫様にお敎へ申上げませう。それにしても、あとのはうは、何のためでございますか」
「結婚前の娘を盗んだ男に、大それた自信を持たせぬためだよ。生娘と知つて、下手に責任を持たれてはかなはぬ。その點もお前に委せておく」
「承りましてございます」
と蓼科は、軽く「御意」と言ふ代りに、四角四面な挨拶で請け合つた。
…………。(P292-295)


衆知の通り、清顯と聰子の愛は、聰子の剃髪、そして清顯のほとんど自死にちかい急性肺炎死として終わる。



2013年11月28日木曜日

ヴァギナ・デンタータVagina dentata、あるいは卵と壺

What happens when a normal man, that is, a man who wants immediate sex, runs into a female version of the same thing, a woman who also wants to dive into bed straightaway, anywhere and everywhere? The chances are that the man will quickly lose interest and even take flight—in this case, with his non-proverbial tail between his legs. In the context of the psychoanalytical situation, I have often seen this happen with male analysands when the apparently biologically set roles were simply reversed. It was by no means unusual for the man to complain that he felt used and even abused, reduced to an object, a vibrator. In other words, he voiced exactly the same complaint as a woman would. Men are so afraid of female desire and pleasure that they have even created a scientific term for this, 'nymphomania'. This is ultimately no more than the scientific expression of the mythology of the vagina dentata (the vagina with teeth). (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


フロイトのヴァギナ・デンタータVagina dentata(「有歯膣」、あるいは「歯の生えた膣」、「歯のある膣」)をすこし調べていたら、縄文土偶の記述にめぐりあう(もっとも直接にVagina dentataへの言及はない)



再生可能な人間の死体をシク(目)アン(ある)ライクル(死体)といい、再生不可能な人間の死体をシク(目)サク(なし)ライクル(死体)というのである。目は再生の原理なのである。この風習はその後日本にもある。例えば大仏開眼の行事や、或いは選挙でダルマに目を入れる風習などの中に残っているのである。

遮光器土偶の巨大な眼窩、それは私は再生の願いを表すものであると思う。遮光器土偶は巨大な眼窩と、かたくつむった目の取り合わせによって人々を驚かせている。それを遮光器と名づけたのは、実はそれは偶然にもユーモラス比喩であるが、恐らくそこに土偶と言うものがつくられる最も深い意味が隠されていたに違いない。(縄文の神秘   梅原 猛






ピカソが魅されたのもたしかに頷ける彫像群だ。

下のものは顔がハート型をしている。ハートは心臓の象徴だと通常はされるが、キャサリン・ブラックリッジの『ヴァギナ 女性器の文化史 』によれば、次の如し。

多くの学者が指摘しているが、西洋の究極の性のシンボル、ハートは、ヴァギナを表したものにほかならない。確かに生殖器が興奮し、自分の意志で陰唇が開いた状態にあるとき、ヴァギナの見える部分の輪郭は紛れもなくハートの形をしている。

この類のことについて、ジジェクはかならず言及しているはずだと思い、検索してみると次のような発言がやはりある。

My relationship towards tulips is inherently Lynchian. I think they are disgusting. Just imagine. Aren't these some kind of, how do you call it, vagina dentata, dental vaginas threatening to swallow you? I think that flowers are something inherently disgusting. I mean, are people aware what a horrible thing these flowers are? I mean, basically it's an open invitation to all insects and bees, "Come and screw me," you know? I think that flowers should be forbidden to children.
Slavoj Žižek, Dreamboat, Thinks Flowers Are "Dental Vaginas Threatening to Swallow You"



男性が花を好まないとは限らないが、女性が「ナルシシスティック」に好むようには、好まないだろう。

リルケの詩を思い浮かべてみよう、《薔薇 の花、純粋な矛盾、おびただしい瞼の下で誰の眠りでもないその悦楽》ーー「薔薇という隠喩項は、死という抑圧物、すなわちそこでは眠りが帰属する主体が不在であるという冷酷な現実を再帰させ、しかし次の瞬間、その眠りを再び多くの者の瞳へと回収させ、そこに「悦楽」‐幻想を残していく」と樫村晴香は書くが(「ドゥルーズのどこが間違っているのか」)、抑圧されているものは「死」だけではないはずだ。


ヴァギナ・デンタータに近いものとして、ラカンの「鰐の口」を想いだしておこう。
ラカンは母親の欲望とは大きく開いたワニの口のようなものであると言っている。その中で子どもは常に恐ろしい歯が並んだあごによってかみ砕かれる不安におののいていなければならない。

漫画に恐ろしいワニの口から逃れるために、つっかえ棒をするシーンがある。ラカンはそれに倣って、このワニの恐ろしい口の中で子どもが生きるには、口の中につっかえ棒をすればよいと言う。ファルスとは実はつっかえ棒のようなもので、父親はこのファルスを持つ者である。そして父親のファルスは子供の小さいファルス(φ)ではなく、大きなファルス(Φ)である。つまり正義の騎士が万能の剣をたずさえて現れるように、父親がファルスを持って子供を助けてくれるのだ。(「ファルス」と「享楽」をめぐって

さて、いまはフロイトのいうヴァギナ・デンタータについては触れない。『性欲論三篇』などに書かれていたはずだが、あまり憶えていない。そのうち読み返したら書くかもしれない。

各地に伝説はあるようだ。

スー族のインディアンは、ラミアー伝説と同じような物語を語った。美しい魅惑的な女が若い戦士の愛を受け入れて、雪の中で契った。雪が晴れてみると、女は一人で立っていた。男は彼女の足もとで蛇にかじられ、一山の骨と化していた。
アイヌの伝承に、「昔、最上徳内が探検し発見した、メノココタンという島の住民は、全員女性で、春から秋にかけて陰部に歯が生え、冬には落ちる。最上が「下の口」を検めたところ、刀の鞘に歯形がつく程度の咬力があった」(南方熊楠)

そのほかにここにやや詳しい→ 







ここでは、以前、メモして投稿しないままにある文を、ほとんど関係がないが、以下に続ける。要するに、縄文土偶の画像をみていたら、古代キクラデス諸島の彫刻を想起したということだ。

…………


《秘訣とは卵のあの曲面ですよ。なぜなら、陶工の轆轤がまずはじめに形を仕上げていれば、見かけ倒しの部分はもうなくなっているから。》

「だから、いつでもかならず素材が話しかけるのだといえる。それに、精神に話しかけるのはほかでもない、素材を扱っている手であり、そのとき手は、素材を介して、精神に話しかけるのだ。これが芸術の、いや少なくとも造型芸術のお作法ではなかろうか。要するに、腹案が作品に先行しているらしいとはいっても、腹案と作品とのあの関係、私の名づけて工業的といっているあの関係は、諸芸術においては、もう一つの別の関係に、完全に従属している。これが腹案だったのかと悟らせてくれるのは、じつはほかでもない作品なのだ、という関係のほうが、立ちまさっているわけだ。作品を作ってみて、自分の表現したかったことに誰よりも先に教えられ、また誰より先におどろくのは、当の芸術家なのだから、この関係はずいぶん逆説的なものだ」(アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)

アランの対話者は、アンリ・ナヴァルという今ではほとんど無名の、メダル職人から叩き上げた彫刻家で、彼はロダンの彫刻を次のように批判している、「ロダンの親指、あれはどうもいけない。親指というやつは、光線をたよりに肉付けしますから。ところが、じっさいに形を作ってゆくのは人指し指なんです」、と。

ナヴァルは素材を介して精神に働きかけるのは造型芸術だけがそうなのだろうか、たとえば音楽家は? と問う。

 「たしかにあなたのいうとおりだ」と私は答えた「彫刻よりも音楽において、あらかじめの計算が不快を与える割合が少ないなどとはいえない。それに、すばらしい歌の土台になるのは、いつのばあいにも歌い手の身体の均衡状態だ。同じ状態にとどまりつづけることはできず、しかも何か屈折運動というべきものによらずには、いつまでも同じ状態を脱することができない。屈折運動は、上首尾に起こることもあれば、しなやかさを欠くことも、ゆったりとした休息に通じることも、また盛上りの不足を埋めあわせるようにはたらくこともある。そしてじつはこれこそ、音楽と彫刻とのあいだに成り立つアナロジーの好例だ。アナロジー、つまり相似といったが、これを類似ということとけっして混同してはいけない。思想があらわれるのは、アナロジーをとらえた時なのだ。ただ私にはこんな気がするのだが、私が作家の仕事を考えようと思うなら、これよりもっともっと隠された事情に触れなければならないのではないか。なぜなら、作家もまた、彼なりのやり方でではあるが、偶然を活用して美をうみ出すすべを、じつによく心得ているし、またそんなことは詩人においてはほとんど自明のことがらだ。散文作家のことになると、私にはどうもよく分らない。とはいっても、時どき私の感知することだが、散文作家は、野獣をとらえようと待伏せしている特定の形式をにべもなくしりぞける。散文における特定の形式は、いざとなれば詩における形式よりもはるかにうまく森を叩いて野獣を狩り立てる。それが散文作家には気にくわないのだ。……」

「しかし、文筆家にとって、充実した、しかも切れ目のない形は、どこにあるのです。いったいどこに、卵の丸みがあるのです。壺のあの回転性は、どこにあるのです」

「詩の作品になら、卵の丸みは、はっきり見てとれる」と私は応じた「詩節〔ストローフ〕がそれだ。リズムがそれだ。脚韻、脚韻の一糸乱れぬ並びがそれに当る。ソネの形式は、前もって壺を用意している。壺をゆがめないで飾りをつけることができるかどうか、それが問題なのだ。大した仕事ではない。たしかに容易な仕事といってもかまわない。だがしかし、悲歌あるいは叙事詩の、あの響きのよくて、しかも少しの飾りもない形は、いったいどんな種類の形といえばよかろう。『イーリアス』というあの偉大な壺をどういえばいいだろう。まずはじめに詩があり、詩人はその表面に憤怒、死、復讐が、何度もくり返してはじまり、その都度互いにからみ合ってめぐり舞う姿を描き出したのだが。底の底までとらえることは、とてもできないことだ。とはいっても、散文にも、かならず一種の歌は聞こえる。フレーズの円環というべきかもしれないが。ただし、私にいわせるあんら、散文作家はそういう形をずたずたに切ってしまうという点で、詩人からきっぱり区別されるものだ」

彫刻家は像を判断しようと身を引いた。彼が千里のかなたへ遠ざかったような気がした。彼はこういい放った「そうだ、彼は形をずたずたに切る。だが、それこそがまさに形を連続させるひとつのやり方なのだ」(対話三)

この対話録は、『芸術論集』(諸芸術の体系)や、詩と散文の相違を問う詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収)の後になされたものだが、『芸術論集』などでは、《脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。》やら、《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。》とされている。

『彫刻家との対話』で新しいのは、それらの著述にはみられない「卵と壺」のモチーフが繰り返し現れていることだ。

さて、ロダンに対する評価はさておき、ここで敢えてリルケの『ロダン』から引用してみよう。

詩句の中には、文字面からとび出していて、書かれたというよりは、むしろ造形されたように見える箇所があった。詩人の熱い両の手の中で融けてしまっている言葉や、言葉の群があった。浮彫の手ざわりをもった行があり、また、こみ行った頭飾のついた円柱のように、不安な思想の重荷を担っているソネットもあった。(……)彼(ロダン)はボードレールを自分の先駆者だと感じた。顔面によってはまどわされず、そこでは生命がはるかに大きく、恐怖に充ち、休息を知らないところの、身体の方を探し求めたひとりの人間をそこに感じたのであった。(高安国世訳)

ーーこの文に限れば、リルケはアランとほとんど同じようなことを言っているようにみえる。

…………



高田博厚はアランの頭像を制作している。彼は、1930年頃から27年ほどパリに暮らし、ロマン・ロランやコクトーなどとも交遊があり、あるいは加藤周一、森有正、朝吹登水子などのエッセイにしばしば出てくる。娘は田村隆一の元夫人。若い頃、自伝『分水嶺』を熱心に読み、少し無理をして高田博厚のブロンズ製の女のマスクを手に入れたことがある。ごく小さなものなのでそれほど高価ではなかった。学生生活の仕送り三ヶ月分程度だ。リルケの『ロダン』にいかれていた頃だった。もっとも「ロダンの親指、あれはどうもいけない」なら、高田博厚の親指はもっといけない。


『彫刻家との対話』に戻れば、次のようにある。

すでに指摘したように、芸術家が自分の精神をとりとめのない観念遊戯に忙殺させておき、製作中の作品について先走って考えるゆとりを自分で封じておくのは、これはなかなか巧妙な策略なのである。そしてこの点にういて私は独りごちたのだが、芸術家たちに時として見かけるあの強烈な情念のあらわれは、普通そう思われているよりもはるかに彼らの芸術とは無関係なものにちがいないのだ。あの愛欲の気苦労が心を占めているからこそ、身についた手仕事に即して手が思うさま活動するのである。それに考えてみればなるほど、恋敵の死について思いめぐらすほうが、大理石の表現について瞑想するよりもずっと好ましい。そんな瞑想をしていると、きっと大理石をはみ出る結果になるだろうから。私は乱暴なこういう考察を口に出すことは控えておいた。はじめてここに書きとめる。というのも、今ならこの考察の含む毒をほとんど一滴のこさず抜きさることができるから。意地の悪い思考は、相手をえらびはせず、芸術家だからといって手加減しはしない。それにまた反対に、美しい作品は犯罪計画を吹きとばしてしまう。こうして私の夢想の中を暗殺の刃をにぎった人かげが通りすぎるのを見送ってから、じつはその人かげは兄弟かと思うほどわが彫刻家とよく似ていた……。(対話三)

芸術の受け手が、芸術家の伝記やら、その作品以外の私事によって、評価をしてしまうことを戒める文としても読めるだろうし、作品の作り手が、芸術家が美とはなにか、とか、その表現のあり方に「瞑想する」振舞いへの警告とも読める。そんな暇があるなら、表現の素材に沈潜し、その素材との戯れの只中から僥倖のように「表現」をもたらすことに努めよ、とも読める。

同時代人の、アランと親しいヴァレリーの文を挿入するならば次の如し。

……私にとっては、或る人間について重要に思われることは彼の生涯における偶発的な諸事件ではなく、彼の生れとか、彼の恋愛事件とか、種々の不幸とか、その他、彼について実地に観察することができる事実の殆どすべては、私には何の役にも立たない。すなわちそれらの事実は、或る人間にその真価を与え、彼と彼以外のあらゆる人間との、また彼と私との決定的な相違を生ぜしめている事柄について、私に何事をも教えてはくれない。

そして私としてもしばしば、この種類の、我々の認識を実質的には少しも深めはしない生活上の消息について、相当な好奇心を抱くことがあるのだが、私の興味を惹く事柄が必ずしも私にとって重要なものであるとは限らないのであって、これは私だけでなく、だれの場合にしても同じことが言える。要するに、我々は、我々を面白がらせることに対して常に警戒していなければならない。(ヴァレリー『ドガ・ダンス・デッサン』 吉田健一訳)

『彫刻家との対話』にはヴァレリーも登場する。

ある日のこと、さながら地獄界に降るようにしてアトリエの階段をきたのは、あの「詩人」だった。いつも何か怒ったような顔をしている彼だ。しかし不機嫌はたちまちほぐれ、彼はにこやかになった。( ……)

こうするうちに、自分の技倆に深くたのむところのある詩人は、詩作というあの長期労働を引き合いに出した。必要なのは、辛抱づよさということだ。不成功におわることがいくらでもあるということ、半成功は不成功よりなおはるかに危険なものだということ、彼はそういった点を説明してくれた。「まさに一歩ごとに、あの何ひとつ書かれていない丸い表面をふり返らねばならない。そうしてあの表面にぴっちり貼りついているような装飾の軌跡を作り出すことは、まずむつかしい。だからこそ、厳密な定型詩でなければ、仕事というものも案出というものも、私には考えられない。定型詩というものを、私は海のあの水位というものにたとえたい。海水は諸大陸のあいだをめぐり、諸海洋を区分しているのに、海の水位は、何物とも一致しない。しかも水位がすべてを決定している。規則に寸分たがわぬ定型詩などというものは、一行たりともありはしないのだ。しかし規則というものは、あの切れ目なく、また歪めようもない海の表面にもひとしい。その表面にわれわれがちっぽけな山々を、つまり語というものになった第二の素材を肉付けするわけだ。それにまた、何もかも詩によって言いつくされるわけでもない。というのも、あの上塗りが、何か意味をおびぬことには、詩にはならないのだから。必要なのは、ただ辛抱づよさだけだ、そう痛感したことが私には何度もあった。しかも、そう痛感したのは、きまって自分に辛抱が掛けているときだった」


ーーー古代キクラデス諸島の彫刻Cycladic Sculptures

キクラデス彫刻の頭だけのレプリカが、いま手もとにある。かつてルーヴルで手に入れたものだが、卵にみえもし、亀頭にもみえる。

さて「対話二」にはこうもある。

休憩時間に、シャルトル大寺院の彫像、エーゲのギリシア人の彫刻、中国の仏像の写真をながめていた彫刻家がいう。

「これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」

「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」


言葉遣いの古臭い箇所はあるだろう、いまひとは「深い内部」という表現は避けるようになって来ている。「どこか深いところから根源的な声が呼びかける」、などという、ヘルダーリンやリルケ的な表現に胡散臭さを感じてしまうようになっている。ーー「もっとも深い内部」とは実は表面だというのが二〇世紀後半以降の語り口だ。

《表面》について考えながら、たとえば表面とその派生的な表現について、表面、表面的、表面化する……。

あるいはまた次のような事実について。
表面的、いいかえれば表面であるというこの単純な事実がなぜ、同時に貶しめられた意味を、少なくとも暗黙のうちに、つねにになわされてこなければならなかったのか。(……)

だが表面とはなにか。それは存在のあらゆるカテゴリーをのがれるなにものかではないだろうか。表面は存在論の文脈から抜け落ちる、それは、表面が、ほとんど定義によって、存在論の対象となりえないからだ。表面は厚みをもたず、どんな背後にも送りとどけず(なぜならその背後もまた表面)、あらゆる深さをはぐらかす―そのとき、ひとは軽蔑をこめて表面的と形容するだろう。

深さのない表面、決して背後に送りとどけることのない表面。《われわれは表面をどこまでも滑ってゆく―横へ横へ、さもなければ上へ、あるいは下へ、それとも斜めに? だが、決して奥へ、あるいは底へではなく……》あるいはチェス。いうまでもなく、『鏡の国のアリス』はチェスの問題として構成されているのだ。(宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』より )

もっともこれは、いまここにはない失われた風景としての「深さ」がロマンティックに探求され過ぎ、そのため平板でのっぺらぼうな「表面」への侮蔑、無関心、盲目がそこらじゅうに蔓延っていたことの批判という文脈でも読む必要があり、いまでは、そこらじゅうにプラスチックのような表面的魂が蝟集しているさまに辟易せざるをえないならば、「深さ」という死語をもういちど復活させたいと願うひとびとがいてもおかしくない。




リルケには、「深く」という語を使いつつも、「きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面」という表現がある。

……作品はロダンの手を離れると、全くまだ一度も人の手をふれたことのないもののようです。光と影はこの物の上では、もぎたての果実の上でのように、いっそうのやわらかさを持ち、朝風にはこばれて来たようにいっそうの動きに充ちているのです。(……)

或るところでは光はゆるやかに流れているかと思うと、或るところでは滝のように落ちており、あるいは浅く、あるいは深く、あるいは鏡のように輝くかと思えば、またにぶく淀んでいる、--きわめて変化に富んだ傾斜を持つ一種独特なこの表面によって、そういうふうに光が動きを余儀なくさせられるのです。こういう作品の一つにふれる光は、もはやただの光でいることができません、もはや偶然の方向を持つことはできないのです。物が光を所有することになり、自分のもののように使うことになるのです。

明確に決定された表面を持つことから、こういうふうに光を獲得し、わがものとすることを、彫刻的事物の本質的な性質の一つとしてロダンは再認したのです。(……)ロダンは光の獲得を自分の発展の一部とすることによって、太古からの伝統の中へ身を置いたのでした。

実際そこには、リュクサンブール美術館にある『思い』とよばれる、あの石塊の上のうつむいた顔のように、自分自身の光を持った石があります。この顔は影になるまで前に傾いて、石の白い微光の上にささえられていますが、この石の輝きのために影は融け去り、一種の透明なうすら明かりへと移って行くのです。(リルケ『ロダン』高安国世訳)

ところで卵と壺の顕揚ーーでは、針金のようなジャコメッティの作品をなんといえばよいのだろう。だが、ジャコメッティは古代エジプト美術に魅了されていたことを忘れてはならない。





ロダンの彫刻が光をわがものとするのであれば、ジャコメッティの作品は空間をわがものとする言い方ができるのではないか。あるいはそのまわりを流れる空気の質を変えてしまうもの、と。ゴッホがデッサンについて語る言葉を援用すれば、《目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開く》やり方。





デッサンするとはどういうことなのか? どうやってそれをやり遂げるのか? それは目には見えない鉄の壁を貫いてひとつの通路を開くという行為であり、その壁は人が感じることとなし得ることの間にあるらしい。いかにしてこの壁を通り抜けなければならないのか? というのもそれを強く叩いても何の役にもたたないし、私の考えではこの壁をじょじょに浸蝕し、ヤスリを使って、ゆっくりと、辛抱強く、それを通り抜けなければならないからである。(ゴッホ-ーー「鈴木創士の部屋」より)





…………


《昭和十六年の夏、私は出征することになった。リルケの《ロダン》と万葉集と《花樫》がとぼしい私の持物だ。》(吉岡実「死児」という絵〔増補 版〕)

こうあるように吉岡実の、少なくとも若年期の「私の一冊」は、リルケ「ロダン」だったようだ。

リルケの詩よりもこの著書に惹かれたらしいが、たとえば詩人としては遅咲きと言えるかもしれない吉岡実の比較的若い頃の詩には、リルケの詩の影響だって十分に窺われる。(『静物』は第二詩集で、36歳のとき私家版二百部が刊行されている。とはいっても十年間ほど書き溜めたものらしい)。


果実  リルケ

それは地中から実りを目ざしてのぼりにのぼった。
そして静かな幹に黙りこみ
あざやかな開花とともに炎となって
そしてふたたび静かになった。

ひと夏のあいだ夜も昼も
やすみなくいそしむ樹木のなかで成熟し
みまもりつづける周囲にむかって
やがて殺到するわが身をさとった。

そしていまやまるまるした楕円の
ふくらみを見せ円熟を誇ると
それはすべてを断念し果皮のうちの
自らの中心にすべりおちてゆく。

――(神子博昭「詩の暗さーーヘルダーリン、リルケ、ツェラン」より)



静物    吉岡実

夜の器の硬い面の内で
鮮やかさを増してくる
秋のくだもの
りんごや梨やぶどうの類
それぞれは
かさなったままの姿勢で
眠りへ
ひとつの諧調へ
大いなる音楽へと沿うてゆく
めいめいの最も深いところへ至り
核はおもむろによこたわる
そのまわりを
めぐる豊かな腐爛の時間
いま死者の歯のまえで
石のように発しない
それらのくだものの類は
いよいよ重みを加える
深い器のなかで
この夜の仮象の裡で
ときに
大きくかたむく


ある人は、わたしの詩を絵画性がある、または彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造型への願望はつよいのである。

詩は感情の吐露、自然への同化に向かって、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。それは、見えるもの、手にふれられるもの、重量があり、空間を占めるもの、実在―――を意図してきたからである。だから形態は単純に見えるにしても、多岐な時間の回路をもつ内面構成が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる。

だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれども、いくつもの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投射されて、小宇宙が拡がる。(吉岡実「わたしの作詩法?」より)

もっともその詩が、真に彫刻的となったのは、「僧侶」以降だろう。

2013年11月27日水曜日

いつのまにかそう成る「会社主義corporatism」

……思想史が権力と同型であるならば、日本の権力は日本の思想史と同型である。日本には、中心があって全体を統御するような権力が成立したことがなかった。それは、明治以後のドイツ化においても実は成立しなかった。戦争期のファシズムにおいてさえ、実際は、ドイツのヒットラーはいうまでもなく、今日のフランスでもミッテラン大統領がもつほどの集権的な権力が成立しなかったし、実はその必要もなかったのである。それは、ここでは、国家と社会の区別が厳密に存在しないということである。逆にいえば、社会に対するものとしての国家も、国家に対するものとしての社会も存在しない。ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。

ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。

日本において、権力の中心はつねに空虚である。だが、それも権力であり、もしかすると、権力の本質である。フーコーは、精神分析の「抑圧」という概念に反対した。その意味では、日本には「抑圧」とそれが生み出す「主体」はない。しかし、ラカン的にいえば、「排除」があるというべきだろう。すなわち、それは原抑圧の失敗であり、去勢の否認である。日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。しかし、そのことに批判的にこだわることは、逆にそれに閉じこめられうことに帰結する。フーコーは「日本」を愛さなかった。そして、私がフーコーに共感するのは、具体的に「生」の形態を変える「自由」を楽天(ゲイ)的に求めようとしたことにおいてである。(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収)

ここで柄谷行人は去勢の排除とか否認と書いているが、古典的なラカンの用語法からすれば、排除と否認は違う。排除は精神病にかかわり、否認は倒錯にかかわる(抑圧は神経症)。

※このあたりは藤田博史氏がそのセミネールで平易な言葉で解説しているメモがあるので参照のこと→「心的装置の成立過程における二つの翻訳」補遺

「去勢を排除してしまった分裂病的な空間」という表現も、ラカン的にはすこし違う。去勢を排除すると「精神病」になる(精神病の下位分類にパラノイアとスキゾフレニー(分裂病)とメランコリーがある)。

もっとも1992年に書かれた論であり、その後二十年の時を経て、今では多くのひとに明らかになっているラカンの用語遣いとの齟齬にこれ以上拘るつもりはない。

否認であろうが排除であろうが、柄谷行人のこの時点での、日本人の精神構造のありようの洞察、「いつのまにかそう成る」や、「会社主義」、「母系的なものの残存」などに注目しなければならない。

たとえば、「父の名」の(隠喩の)排除は、前エディプス期における母の想像的ファルスになるという二項関係に囚われたままであるか、あるいは女性(「母」)化、つまり、父性隠喩の不成立によって「母のファルスになる」という欲望を「ファルスをもつ」に変換できなかった主体が、「母に欠けたファルスになることができないならば、彼には、男性たちに欠如している女性になるという解が残されている」(Lacan E566)ということなのだから、柄谷行人の「母系的なものの残存」という表現は核心をついている。

もっともこの当時、日本のシステムの母性的なあり方は、しばしば論じられていた。

バラード)……そこで聞くのだが、電子情報産業の最先端を行っており、強力なメディア・ランドスケープをもっているはずの日本が、なぜレーガンのような政治上のメディア・パーソナリティを生み出してこなかったのか。どうして流行遅れの官僚みたいな政治家しかいないのか。

浅田彰)父権的・男根的なシンボルを中心に戴く社会というのは、メディア社会としては未熟だと思うんです。メディア社会が発達してくると、縫い目のないメディアのネットワークが、電子の子宮のように、したがって父権的というよりは母性的な形ですべてを包み込み、不在であるがゆえにいたるところに偏在する中心として機能するようになるのではないか。そこで、昔から空虚な中心として機能してきた天皇というプレモダンな象徴が、ポストモダンなメディア社会とうまく適合してしまうのではないか。

バラード)ふむ。たしかに私も、これから全体主義が可能だとしたら、微笑を浮かべたソフトな全体主義になるだろうとは思うね。実際、どこからともなく人の心にすっと入り込むようなソフトな誘導のほうが支配的になってきている。(浅田彰『「歴史の終わり」と世紀末の世界』「メディア・ランドスケープの地質学」J・G・バラードとの対話)




柄谷行人は1990年になされた岩井克人の対談でも「会社主義」をめぐって語っている。

柄谷)コジューヴは五九年に日本へ来たんですけれども、その時に自分は世界史が終わった時点ではアメリカのようになるであろうと思っていたけれども、それは間違っていた。日本のようになると言い出したわけです。精神とか人間というのは闘争においてあるというのがヘーゲルの考えで、闘争が終われば動物的になってしまう。しかし、そうならないで、なおかつポスト歴史的な生の形式でありうる。それが日本人だと言うわけです。ところで日本人は、関ヶ原の戦争以来闘争がない。彼は具体的には江戸時代のことを言っているんだけれども、江戸時代に日本人がつくりあげた生存形式、ジャパニーズ・ウエイ・オヴ・ライフと言うべきだろうけども、これを彼はスノビズムと呼ぶわけです。それは、動物のようになることではない。まだ人間的ではあるんだけれども、いささかも人間的内容なしに、あるいは意味なしに、単に形式的な、戯れだけで行動してしまえること、それが日本的な生活様式であると。これは実際に江戸文化のことですね。(……)

彼が注目したのは、茶道とか生花とか、あるいは自殺、腹切りですね。三島由紀夫がそのあと、十年後に自殺したわけですけど、これは典型的にそういう意味でのスノビズムになってます。ところがぼくは、スノビズムはそういうところにあるよりも、むしろもっとありふれた日本人の「会社」的な生存のし方にあると思います。

つまり日本人、会社では、なんのためか知らないけれど一生懸命働いてしまう。いささかの人間的内容もなく、頑張ってしまう。早くから入学試験にそなえて頑張るのもそうですね。その形態、つまり日本の高度成長段階の生存形態というのが、スノビズムではないかと思うんです。消費社会的なものが猛烈に表面化してきたのが八十年代で、この段階でまさに江戸的になるんですね。意味のない形式的な差異だけを、これは広告でもブランドども何でもいいんですけど、それだけを追いかける。こういう生存のし方が出てきて、しかもそれを吉本隆明なんかが「超西洋的」と呼ぶわけでしょう。

情報というのは観念(意味)よ物質という対立を、差異(形式)に還元してしまう考え方です。まさにそういう意味での「情報社会」というのは、西洋ではなくて、日本のあらゆる領域で実現されたと思う。(『終わりなき世界』)

コジューヴの日本的スノビズムの指摘をめぐって、その後次のような議論があるのを知らぬわけではない。

コジェーブは、歴史の終焉後、日本的「スノッブ化」とアメリカ的「動物化」の二者択一しかないと見たが、東さんは、日本的「スノッブ化」すら過去のもので、今や「動物化」しつつあると。

 スノッブが動物に「なる」とはどういうことか。「あえて」形式と戲れるスノッブですが、コジェーブはそこに人間の自由を、ジジェクは「あえて戯れ『ざるを得ない』」不自由を見出しました。さて「動物的なもの」においては、その「あえて」の契機がスッポリ抜けるのだと東さんは言います。だから、せっかくスノッブがディタッチメントを達成したのに、再び素朴なコミットメントに回帰しているように見えます。同じ戯れでも「あえて」が入るか入らないかの差異が重大だという指摘……(宮台・東対談~『動物化するポストモダン』を読む~

だがこの「あえて」の契機がスッポリ抜ける動物化という指摘も柄谷行人が次のようにいうスノビズムの範囲を出るものであるのかどうかは、著書を読んでいないわたくしにはよく分らない。

もはや「純文学」などという者はいない。しかも、純文学を軽侮することがアイロニーとしてあった時代もとうに終っている。今や新人作家がその二冊目のあとがきにつぎのように書く始末なのだ。《良いもの、つまんないかもしれないものも、ちゃんと読んでくれる人がいて、ごまかしがきかないくらい丸ごと伝わってしまうことはプロの喜び、幸せ、大嬉しいことです。しっかり生きて、立派な職人になりたい。いい仕事をしよう》(『うたかた/サンクチュアリ』)。

「立派な職人になる」と言うのは、一昔前なら、「大問題」を相手にする戦後派的な作家に対して身構えた作家の反語的な台詞としてありえただろう。それは、実際はひそかに“芸術家”を意味していたのである。そういうアイロニーはまだ村上春樹まではある。しかし、吉本ばななは、これを自信満々でいっているのではないかと思われる。それは文字どおり芸能人のファン・クラブ会誌にふさわしい言葉である。そもそも「職人」や「芸人」がどこにもいなくなった時代に、こういう言葉が吐かれていることは、知識人や芸術家が死語にひとしいことを端的に示している。(柄谷行人「死語をめぐって」1990ーー柄谷行人の「構造と反復」をめぐって

 ここで柄谷行人は「あえて」のないアイロニーを語っているということになる。


いずれにせよ、日本的な精神構造の特徴のひとつとして、意味のない形式的な差異だけを追いかけるという側面は、現在でも、インターネット上で、より一層盛んになっているといってよいだろう。それは最近の藤田博史セミネールにて、サンブランを介した鏡像的な他者との関係を日本的幻想の特徴としていることにも繋がる。

aー$ がエス Le Ça 、-φーAsーφ が自我 Le moi、AーΦ が超自我 Le surmoi に呼応しています。したがって、日本的幻想の特徴は、他者のサンブランがあたかも大文字の他者のように振る舞ってしまうところにあります。(資料:ラカンの幻想の式と四つの言説




※ここでの中段の-φーAsーφ 、---φは理想自我(あるいは想像的ファルスの欠如)、φは自我(想像的ファルス)ーーが日本的幻想の式。

サンブランAsを介しての自我ー理想自我のあいだを揺れ動くナルシシズム(「みせかけsemblant」の趣味などを介しての「私に似た」他の人々、競争や相互承認といった鏡像的関係を結ぶ私の同類たちとの湿った瞳の交し合いやら頷き合い、羨望など)は、現在、SNS上などで、顕著な振舞いとしてしばしば見られるとしてよいだろう。

ところで柄谷行人曰くの「日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと」とは具体的にはどういうことだろう。

中井久夫は、「大家族同居の禁」、「刀狩」、「布教の禁」の三つを挙げている。

このシンポジウムで私の前に米山俊直先生が話された中で私の印象に強く残ったのは、信長が比叡山を焼いた事件の大きさである。比叡山がそれまで持っていた、たとえば「天台本覚論」という宇宙全部を論じるような哲学がそれによって燃え尽きてしまう。比叡山が仮に信長に勝っていたらチベットのような宗教政治になったかどうかはわからないが……。それ以降、秀吉と家康がした大きな改革が三点くらいある。一つは「大家族同居の禁」である。江戸時代のほうが明治以降よりも小家族であった。森鴎外の『阿倍一族』のような反乱を起こされたら困るからである。もう一つは刀狩という「武装解除」である。最後の一つは「布教の禁」で宗教は布教してはいけないということである。おそらく幕末のいろいろな宗教運動がものすごい抵抗に遭ったのは、布教の禁に真っ向から対立するからだろうと思う。布教しないということはその宗教は半分死んだようなものかもしれないが、檀家制度という、生活だけは保障する制度をする。以上の三つに付随して「宗教者医療の禁」がある。「医は仁術なり」という言葉は「お医者さんは非常に親切であれ」ということではなくて、「仁」という儒教の道徳にもとづいた非宗教人だけに医術を許すということである。ただし日蓮宗は狐憑きを治療してよいなどいくつかの例外はある。(中井久夫「山と平野のはざま」『時のしずく』所収 P. 98)

こうやって日本的スノビズムが生まれたといってよいのだろう。これは根がらみであり、いまさら生半可な抵抗してもはじまらない。

しかもフロイトやラカンのいう「父の名」の象徴的機能などは、日本には昔からなかったのではないか、あったとしても明治以降の擬似一神教のあいだだけで、しかもとても弱いものではないかという指摘さえあるのであり、それであるならいっそうのことスノビッシュなナルシシズムが跳梁跋扈してもやむえない。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」『時のしずく』ーー父なき世代


柄谷行人曰く、日本のスノビズムは、「会社主義」、「会社」的な生存のし方である、と。あるいは、corporatismともされる。これは仲間主義やら協調関係、連帯などということに関わるのだろう。終業時間がきても、仲間が仕事をしていれば、なんとなく居残ってしまう。サービス残業をする。いつのまにかそうしてしまう。曖昧模糊とした春のような気質の日本人、あるいは、《日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。》(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」)というわけだ。


《ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。

ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。》

ヒットラーがなにを羨望したかははっきりとは窺い知れないが、権力の中心がなくてもファシズム的支配が容易であるということか。これはフロイトのいう《一次的な集団とは、同一の対象を自我理想とし、その結果おたがいの自我で同一視し合う個人の集りである》(『集団心理学と自我の分析』)の「自我理想」の箇所が空虚でありながら、《多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こす》(フロイト 同)のであるならば、ヒットラーの羨望を生んでもおかしくない。(参照:優しい人たちによる魔女狩り

これもサンブランを介しての想像的同一化の症状ということになる。


で、なにがいいたいというのか。

ことさらなんらかのことを主張したいわけではない。また「いつのまにかそうなってしまった」な、という感慨を抱いて、苛立っているだけだ。しかも今度は戦前の日本ファシズム的「内務省」設置の法案だ。

しかもわたくしの殆ど唯一の情報源のツイッターを眺めると、つながりとか協調とかを大切にしているらしい伝来の「会社主義」の連中が、あいもかわらず、民主主義が終わった日とか民主主義の頽廃とかなんとか上滑りな言葉を発信している。ツイッターという装置は、まさに気軽な断言を誘発する装置としてある。昔からひそかにくり返して暗記していた台詞が、ふと口から洩れてしまったような印象を受ける。その言葉は行動への変容の資質を放棄しているかのようだ。スノビッシュに共感の湿った瞳を交し合っている連中ばかりが目につき、その資質が「いつのまにかそうなってしまう」日本を育んでいるのではないかと疑ったことはいまだないらしい。


つい最近こんな文を読んだのだかね、金井美恵子の最近のエッセイを読んでの感想であり、《金井美恵子に見透かされる。震災にさいして「言葉を失った」などと簡単に言ってしまった欺瞞とか》という表題をもっている。

私たちは、震災にさいして「言葉を失った」とか言う。簡単に言ってしまう。自分がいかに言葉を失っているかを、雄弁に書いたり語ったりしたんじゃなかったっけ?
でも私たちの多くはほんとうは、震災にさいして「言葉を失った」りなんかしていない。

それどころか、震災それ自体ではなく自分の思考ばかりを見て、Twitterで、熱に浮かされたように、ふだんより生き生きと上滑りな言葉を発信したりしたのではないか?

2013年11月26日火曜日

民主主義の中の居心地悪さ(ジジェク)

以下、資料の列挙。

ウィンストン・チャーチルの有名なパラドックス( ……)。民主主義は堕落とデマゴギーと権威の弱体化への道を開くシステムだと主張する人びとにたいして、チャーチルはこう答えた。「たしかに民主主義はありとあらゆるシステムのうちで最悪である。問題は、他のどのシステムも民主主義以上ではないことだ」。この発言は「すべてが可能だ。いやもっと多くのことが可能だ」という全体集合を提示する。その中では問題の要素(民主主義)は最悪のように見える。第二前提によれば、「ありとあらゆるシステム」という集合はすべてを包含しているわけではなく。付加的な要素と比べてみれば件の要素がじゅうぶん我慢できるものであることがわかる。この論法は次の事実に基づいている。すなわち付加的要素は「ありとあらゆるシステム」という全体集合に含まれているものと同じであり、唯一の相違はそれらはもはや閉じられた全体の要素としては機能していないという点である。政府のシステムの全体の中では民主主義は最悪であるが、政治システムの全体化されていない連続の中には民主主義以上のものはない。したがって、「それ以上のものはない」という事実から、民主主義が「最良」であるという結論を引き出してはいけない。民主主義の利点はまったく相対的なものでしかないのである。この命題を最上級で定式化しようとしたとたん、民主主義の特質は「最悪」となってしまうのである。(ジジェク『斜めから見る』 P62~ーー「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン(ジジェク『LESS THAN NOTHING』より))

次に同じ『斜めから見る』の「形式民主主義とそれに対する不満」の章からだが、この章の原題”Formal Democracy and its Discontents”はフロイトの読者ならすぐ気がつくように、『文化への不満』Civilization and Its Discontents (Das Unbehagen in der Kultur, 1930)からきており、旧訳の『文化への不満』(人文書院版)という題名は、新訳のフロイト全集版(岩波書店)では、『文化の中の居心地悪さ』と変更されている。ジジェクの章題も「民主主義の中の居心地悪さ」と変更してもよい内容になっている。

基本的な問いから出発しなくてはいけないーー民主主義の主体は誰か。ラカンの答えは明快である。ーー民主主義の主体は人間ではない。豊かな欲求、関心、信仰などをもった「人間」ではない。

民主主義の主体とは、精神分析の主体と同じく、抽象化されたデカルト主義的な主体、つまり個別的な内容をすべて除去した後に残る空疎な規則性に他ならない。

いいかえれば、コギト、すなわち空虚な点、あるいは残存物としての再帰的自己指示を生み出す、根源的疑念というデカルト主義的な方法と、あらゆる民主主義的な宣言の序文に見出される「(人種、性別、宗教、財産、社会的地位)にかかわらず、すべての人間は」という表現は、構造的に同質である。

この「にかかわらず」の中には抽象化という暴力的な行為が働いていることを見落としてはならない。

それはすべてのポジティヴな特徴の抽象化、すべての実体的・生来的な繋がりの崩壊であり、このことが、純粋な非実体的主体性の点としての、デカルト主義的なコギトと密接に相関している実体を生み出すのである。

ラカンは精神分析の主体をこの実体と結びつけ、人間は「非合理な」欲動の集積であるという「精神分析的人間観」に慣れているものを驚かした。

ラカンは、ポジティヴで実体的な同一性を主体に与えるような支えはいっさい構造的に存在しないのだということを示すために、主体を、斜線を引かれたSによってあらわす。

同一性が欠けているからこそ、精神分析理論においては同一化の概念がこれほど大きな役割を演じるのである。

主体は同一化によって、すなわち象徴的ネットワークにおける位置を保証してくれるなんらかの主人のシニフィアンに自分を同一化することによって、みずからの構造的欠損を埋めようとするのである。(……)

「民主主義」は根本的に「反人間主義的」である。「(具体的な、現実の)人間の大きさに合わせて作られた」ものではなく、形式的で冷酷無情な抽象化に合わせて作られたものである。民主主義という観念そのものの中には、具体的な人間の内容の充実とか、共同体の結束の真性とかの入る余地はない。民主主義とは、抽象的な個人と個人の形式的な繋がりである。民主主義を「具体的内容」で満たそうとするすべての企ては、その動機がどんなに真摯なものであろうとも、遅かれ早かれ全体主義の誘惑に屈する。(ジジェク『斜めから見る』P304~)


民主主義は普通選挙制度にもっとも典型的に表われるパラドクスを原理的にはらんでいる。この制度においては、市民が自分の意志を表明することによっ て自らを政治的主体として実現するまさにその瞬間に、彼らは社会生活のネットワークのすべてから分離され、計算単位に還元されてしまう。数字が実体にとっ てかわる。民主主義はこのように、いわばデジタルな計算によって根拠づけられているのである。個人的意志を表明する選挙という機会が諸個人を数に還元し、 つまり、個人の単独性がその単独性を表現する行為によって消去されるというこのパラドクスを通じて、民主主義は主体を常にヒステリー状態に追いやる、と ジョーン・コプチェクは言う。そして、これはアメリカ的民主主義において特に顕著になるヒステリーである。

自らの〈根源的無垢〉というアメリカの感覚は、そのもっとも深い起源を、市民たちの 多様性にはかかわりなく、基本的な人間性が存在するという信念にもっている。民主主義は、〈メルティング・ポット〉、〈移民国家〉としてのアメリカが、自 らを国家として成立させるための普遍的数量詞なのである。すべての市民がアメリカ人と呼ばれうるとすれば、それは、何か実体的な特質をわれわれが共有しているからではなく、むしろ逆に、われわれすべてがこうした特質を脱ぎ捨て、肉体から分離された存在として法の前で自己を表出する権利を与えられたからである。我、自己自身から実体的アイデンティティを剥ぐ、故に、我市民である、ということだ。
私〉の単独性とは、私が包含されるあれこれのカテゴリーの属性ではない、私という主体固有の核である。主体が何らかの属性を表わす記号(白人、黒人、男 性、女性……)において主人に認知されるとき、差異は示差的な体系における相対的なものになり、〈他ならない私〉の単独性は失われてしまう。なぜなら、私 の単独性とは、あれこれの属性の総和ではなく、どんな属性にも還元されない残余にほかならないからだ。すべての実体的属性を剥ぎ取られることによりアメリカ人として登録された主体は、しかし、その普遍性においてではなく、ひとり一人の単独性において〈主人〉に認知されたいと望む。そのような単独性とは、属性として記述しえず記号化しえない、表象不可能で空虚な剰余であるから、この要求は到底実現不可能だ。だからこそ、アメリカ人はそのとき、ヒステリー的な態度によって主人を選出するのだとコプチェクは言う。必然的に妨げられる欲望は、妨害そのものへの欲望に転化する。満たされない欲望は、決して満たされる ことのない状態への欲望に転倒される。つまりそこでは、誤りを犯すことがわかっているような無能な人物があえて主人に選ばれることになるのである。コプ チェクはそれを、「アメリカ民主主義を特徴づける多元主義は、〈不能な他者〉への忠誠に基礎が置かれている」と表現する。大文字の〈他者〉が主体の単独性を認知しそこなうからこそ、この単独性は傷つけられることなく保たれる。というよりもむしろ、〈他者〉によるこの認知の失敗として、主体の単独性が 形成される。アメリカの民主主義において、身体なきこの政治体の権力の場を占める主人=代理人としての大統領は、このように無能であるがゆえに愛される存在になりうる。コプチェクがここで念頭に置いているロナルド・レーガンはまさにそんな無能であるからこそ愛された〈王〉にほかならなかった。

…………

自由な、ないし民主的な統治の組織は、君主政治のそれよりも複雑であり学問的であり、より勤勉ではあるがより電光石火的ではない実践を伴っており、したがってそれはより大衆的ではないのである。ほとんど常に自由の統治の諸形態は、それよりも君主制的な絶対主義を好む大衆によって貴族政治と見なされてきた。ここから進歩的な人間が陥っており、これからも長い間陥るであろう一種の循環作用が生じる。もちろん共和主義者たちがさまざまな自由と保証とを要求しているのは、大衆の運命の改善のためである。したがって、彼らが支持を求めなければならないのは大衆に対してであるが、民主的諸形態への不信ないし無關心によって、自由の障害となるのも民衆なのである。(プルードン『連合の原理』)
国家の最高官吏たちのほうが、国家のもろもろの機構や要求の本性に関していっそう深くて包括的な洞察を必然的に具えているとともに、この職務についてのいっそうすぐれた技能と習慣を必然的に具えており、議会があっても絶えず最善のことをなすに違いないけれども、議会なしでも最善のことをなすことができる。(ヘーゲル『法権利の哲学』)

どの国でも、官僚たちは議会を公然とあるいは暗黙に敵視している。彼らにとっては、自分たちが私的利害をこえて考えたと信ずる最善の策を議会によってねじ曲げられることは耐え難いからである。官僚が望むのは、彼らの案を実行してくれる強力且つ長期的な指導者である。また、政治家のみならず官僚をも批判するオピニオン・リーダーたちは、自分たちのいうことが真理であるのに、いつも官僚や議会といった「衆愚」によって邪魔されていると考えている。だが、「真理」は得体の知れない均衡によって実現されるというのが自由主義なのだ。(柄谷行人『終焉をめぐって』)

…………

国家の状態を研究する場合には、人はややもすると、諸関係の客観的本性を見のがして、すべてを行為する諸個人の意思から説明しようとする。だが、民間人の行為や個々の官庁の行為を規定し、あたかも呼吸の仕方のようにそれらの行為から独立している緒関係というものが存在する。最初からこの客観的立場にたつならば、善意もしくは悪意を一方の面でも他方の面でも例外として前提とすることなく、一見して諸個人だけが作用しているように見えるところに(客観的)緒関係が作用しているのが見られるだろう。ある事物が緒関係によって必然的に生じるということが証明されれば、どういう外的諸事情のもとでそれが現実に生まれざるをえなかったか、またその必要性がすでに存在していたのにどういうわけで生まれることができなかったかを発見することは、もはや困難なことではなくなるだろう。使用された物質がどういう外的事情のもとで化合するものかということを化学者が決定するのとほとんど同じ確実さをもって、人はこのことを決定することができるだろう。(マルクス「モーゼル通信員の弁護」崎山耕作訳)
……マルクスが、ブルジョア独裁をむしろ「普通選挙」において見ていることに注意すべきである。『ブリュメール一八日』の背景に、それがあったことはいうまでもない。では、普通選挙を特徴づけるものは何か。それはたんに、あらゆる階級の人々が選挙に参与するということにだけあるのではない。それと同時に、諸個人があらゆる階級・生産関係から「原理的に」切り離されるということにある。議会は封建制や絶対主義王権製においても存在した。しかし、こうした身分制議会においては「代表するもの」と「代表されるもの」が必然的につながっている。真に代表議会制が成立するのは、普通選挙によってであり、さらに、無記名投票を採用した時点からである。秘密投票は、ひとが誰に投票したかを隠すことによって、人々を自由にする。しかし、同時に、それは誰かに投票したという証拠を消してしまう。そのとき、「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に切断され、恣意的な関係になる。したがって、秘密投票で選ばれた「代表するもの」は「代表されるもの」から拘束されない。いいかえれば、「代表するもの」は実際にそうではないのに、万人を代表するかのように振舞うことができるし、またそうするのである。

「ブルジョア独裁」とは、ブルジョア階級が議会を通して支配するということではない。それは「階級」や「支配」の中にある個人を、「自由な」諸個人に還元することによって、それの階級関係や支配関係を消してしまうことだ。このような装置そのものが「ブルジョア独裁」なのである。議会選挙において、諸個人の自由はある。しかし、それは現実の生産関係における階級関係が捨象されたところに成立するものである。実際、選挙の場を離れると、資本制企業の中に「民主主義」などありえない。つまり、経営者が社員の秘密選挙で選ばれるというようなことはない。また、国家の官僚が人々によって選挙されるということはない。人々が自由なのは、たんに政治的選挙において「代表するもの」を選ぶことだけである。そして、実際は、普通選挙とは、国家機構(軍・官僚)がすでに決定していることに「公共的合意」を与えるための手の込んだ儀式でしかない。(柄谷行人『トランスクリティーク』p230-231)

※蛇足ながら、マルクスにおいて、「ブルジョア独裁」はもちろん「プロレタリア独裁」に対して否定的に語られている。


…………

◆附記:小林秀雄「ヒットラーと悪魔」『考えるヒント』所収より。


【人生の根本は獣性】
彼の人生観を要約することは要らない。要約不可能なほど簡単なのが、その特色だからだ。人性の根本は獣性にあり、人生の根本は闘争にある。これは議論ではない。事実である。それだけだ。簡単だからといって軽視できない。現代の教養人達も亦事実だけを重んじているのだ。独裁制について神経過敏になっている彼等に、ヒットラーに対抗出来るような確乎とした人生観があるかどうか、獣性とは全く何の関係もない精神性が厳として実存するという哲学があるかどうかは甚だ疑わしいからである。ヒットラーが、その高等戦術で、利用し成功したのも、まさに政治的教養人達の、この種の疑わしい性質であった。バロックの分析によれば、国家の復興を願う国民的運動により、ヒットラーが政権を握ったというのは、伝説に過ぎない。無論、大衆の煽動に、彼に抜かりがあったわけがなかったが、一番大事な鍵は、彼の政敵達、精神的な看板をかかげてはいるが、ぶつかってみれば、忽ち獣性を現わした彼の政敵達との闇取引にあったのである。

【狂的なものと合理的なもの】
人間にとって、獣の争いだけが普遍的なものなら、人間の独自性とは、仮説上、勝つ手段以外のものではあり得ない。ヒットラーは、この誤りのない算術を、狂的に押し通した。一見妙に思われるかも知れないが、狂的なものと合理的なものとが道連れになるのは、極く普通な事なのである。精神病学者は、その事をよく知っている。ヒットラーの独自性は、大衆に対する徹底した侮蔑と大衆を狙うプロパガンダの力に対する全幅の信頼とに現れた。と言うより寧ろ、その確信を決して隠そうとはしなかあったところに現れたと言った方がよかろう。

【大衆の無意識界】
間違ってばかりいる大衆の小さな意識的な判断などは、彼には問題ではなかった。大衆の広大な無意識界を捕えて、これを動かすのが問題であった。人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅墓な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変わりはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。獣物達にとって、他に勝とうとする邪念ほど強いものはない。それなら、勝つ見込みがない者が、勝つ見込みのある者に、どうして屈従し味方しない筈があるか。大衆は理論を好まぬ。自由はもっと嫌いだ。何も彼も君自身の自由な判断、自由な選択にまかすと言われれば、そんな厄介な重荷に誰が堪えられよう。ヒットラーは、この根本問題で、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」で描いた、あの有名な「大審問官」という悪魔と全く見解を同じくする。言葉まで同じなのである。同じように孤独で、合理的で、狂信的で、不屈不撓であった。

【とてもつく勇気のないような大嘘】
大衆はみんな嘘つきだ。が、小さな嘘しかつけないから、お互いに小さな嘘には警戒心が強いだけだ。大きな嘘となれば、これは別問題だ。彼等には恥ずかしくて、とてもつく勇気のないような大嘘を、彼らが真に受けるのは、極く自然な道理である。たとえ嘘だとばれたとしても、それは人々の心に必ず強い印象を残す。うそだったということよりも、この残された強い痕跡の方が余程大事である、と。

【大衆の目を、特定の敵に集中させること】あるいは【論戦の戦術】
大衆が、信じられぬほどの健忘症であることも忘れてはならない。プロパガンダというものは、何度も何度も繰り返さねばならぬ。それも、紋切型の文句で、耳にたこが出来るほど言わねばならぬ。但し、大衆の目を、特定の敵に集中させて置いての上でだ。

これには忍耐が要るが、大衆は、彼が忍耐しているとは受け取らぬ。そこに敵に対して一歩も譲らぬ不屈の精神を読みとってくれる。紋切型を嫌い、新奇を追うのは、知識階級のロマンチックな趣味を出ない。彼らは論戦を好むが、戦術を知らない。論戦に勝つには、一方的な主張の正しさばかりを論じ通す事だ。これは鉄則である。押しまくられた連中は、必ず自分等の論理は薄弱ではなかったか、と思いたがるものだ。討論に、唯一の理性などという無用なものを持ち出してみよう。討論には果てしがない事が直ぐわかるだろう。だから、人々は、合議し、会議し、投票し、多数決という人間の意志を欠いた反故を得ているのだ。

【教養の見せかけ】
ヒットラーは、一切の教養に信を置かなかった。一切の教養は見せかけであり、それはさまざまな真理を語るような振りをしているが、実はさまざまな自負と欲念を語っているに過ぎないと確信していた。

【悪魔と天使】
悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう。諸君の怠惰な知性は、幾百万の人骨の山を見せられた後でも、「マイン・カンプ」に怪しげな逆説を読んでいる。

…………

浅田彰氏講演録「知とは何か・学ぶとは何か(2001年4月28日 東京大学駒場

……50~60年代の近代的な常識を叩き込むのはフランス革命に遡る思想。コンドルセらが、民主主義で全員が投票するのなら、全員の知識をかさ上げしなければ間違った判断が出されかねないから、民主制を衆愚政治から守るために最低限のパブリックな振る舞いを含めた最低限の知識を共有することが大事だと言っていて、日本も特に戦後、それを強調。ところがそれは押し付けられた西洋的理念であり建前だと相対化され、70~80年代になると教える側も自信をなくす。正しい近代の常識を身につけることが戦後の民主的な社会を合理的に作る基礎だとして、かつて教える側は過剰に自信を持っていた。だが今度は過剰に自信を喪失して、これは建前だけれども効率的に覚えて受験戦争を勝ち抜くために必要だという感じになった。そこで妙なことが起こった。68年までは自信を持った権威があって、それに対して学生が異議申し立てする図式があったが、今度は権威が空洞化し、相手に擦り寄った。性急な近代へのシニシズムが起こり、最低限の近代の良識が失われたのが80年代から90年代にかけて。
状況は絶望的だがここまでくれば怖いものはないというか、絶望的楽観主義という点において前進するしかないというのが今の状況。シニカルに構えるのがかっこよかった時代は終わっている。かっこ悪くても個々のローカルな場所で手探りしながら実践していく時期にきている。そういう実践がネットワークを作っていくと大変いいのではないか。