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2014年7月16日水曜日

女たちの「申し分のない仕返し」(ボーヴォワールと夏目鏡子)

サルトルとボーヴォワールのオープンマリッジ(開放結婚)には袋小路がある。二人の手紙を読めば、彼らの“取り決め”は事実上非対称であり、うまく働かず、ボーヴォワールに多くのトラウマを引起こした。彼女は、サルトルが一連の愛人を持っていながら、自分は「例外」の存在であり、真の愛の関係にあることを期待したのだが、サルトルのほうは、ボーヴォワールは一連のなかの”ただ一人”ではなく、まさに一連の複数の例外の一人だったのである。すなわち彼の一連とは、一連の女たち、それぞれが彼にとって例外的ななにかだったのである。(ジジェク)

――と拙く訳せば、なんのことやら分からないが、原文は次の如し。

(I owe this point to a conversation with Alenka Zupancic. To give another example: )therein also resides the deadlock of the “open marriage” relationship between Jean-Paul Sartre and Simone de Beauvoir: it is clear, from reading their letters, that their “pact” was effectively asymmetrical and did not work, causing de Beauvoir many traumas. She expected that, although Sartre had a series of other lovers, she was nonetheless the Exception, the one true love connection, while to Sartre, it was not that she was just one in the series but that she was precisely one of the exceptions—his series was a series of women, each of whom was “something exceptional” to him. (Slavoj Zizek 『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』)






冒頭に引用された文は次の文の注である。

in Seminar XX, when Lacan developed the logic of the “not-all” (or “not-whole”) and of the exception constitutive of the universal.The paradox of the relationship between the series (of elements belonging to the universal) and its exception does not reside merely in the fact that “the exception grounds the [universal] rule,” that is, that every universal series involves the exclusion of an exception (all men have inalienable rights, with the exception of madmen, criminals, primitives, the uneducated, children, etc.). The properly dialectical point resides, rather, in the way a series and exceptions directly coincide: the series is always the series of “exceptions,” that is, of entities that display a certain exceptional quality that qualifies them to belong to the series (of heroes, members of our community, true citizens, and so on). Recall the standard male seducer's list of female conquests: each is “an exception,” each was seduced for a particular je ne sais quoi, and the series is precisely the series of these exceptional figures.(『THE REAL OF SEXUAL DIFFERENCE』)

文末に、《Recall the standard male seducer's list of female conquests: each is “an exception,” each was seduced for a particular je ne sais quoi, and the series is precisely the series of these exceptional figures.》、すなわち、《想起してみたらいい、標準的な男性の誘惑者の女性征服のリストを。それぞれは”ひとつの例外”であり、それぞれの女は、”言葉では言い表わせない”特別な存在として誘惑される。そしてセリエ(シリーズ)は、これの例外的な女たちのシリーズなのである》、とある。


ジジェクは、この内容を近著『LESS THAN NOTHING』2012で、よりわかりやすく説明している。

全体という普遍性とその構成的な例外という論理は次の三段階にて展開されるべきだ。

1)最初に、普遍性への例外がある。すべての普遍性は個別的な要素――それは公式的には普遍的な領域に属しているのだがーー、普遍性のフレームにはフットせず突出している。

2)全体のどの個別的な例あるいは要素はひとつの例外である。“標準の”個別性などない。どの個別性も突出している、すなわち普遍性に関するその過剰あるいは欠如によって。(ヘーゲルが存在するどの国家も「国家」概念にフットしないと示したように)。

3)ここで弁証法的ひねりが加えられる。すなわち、例外の例外――いまだひとつの例外ではあるが、単一の普遍性としての例外、その要素であり、その例外は、普遍性自身に直接のリンクをしており、それは普遍性を直接的に表わす(ここで気づくべきなのは、この三つの段階はマルクスの価値形態論と相等しいことだ)。(私意訳)
The logic of universality and its constitutive exception should be deployed in three moments: (1) First, there is the exception to universality: every universality contains a particular element which, while formally belonging to the universal dimension, sticks out, does not fit its frame. (2) Then comes the insight that every particular example or element of a universality is an exception: there is no “normal” particularity, every particularity sticks out, is in excess and/or lacking with regard to its universality (as Hegel showed, no existing form of state fits the notion of the State). (3) Then comes the proper dialectical twist: the exception to the exception—still an exception, but the exception as singular universality, an element whose exception is its direct link to universality itself, which stands directly for the universal. (Note here the parallel with the three moments of the value‐form in Marx.)


…………

ほら、もう一冊別の本だ…シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『別れの儀式』…サルトルの晩年…またしても主体、そこから抜け出してはいない(……)それにしても、ボーヴォワールが晩年のサルトルの肉体的衰えに魅せられたとは奇妙なことだ…彼女は自分の偉大な男のしなびた肉体を発見する、彼がとんずらしようというときになって…彼女はサルトルの没落の綿密な日記をつける…申し分のない仕返し…まじめな気持ちで…彼の欠伸。サルトルはどのようにしてあっちこっちでおしっこを出すのか…(ソレルス『女たち』鈴木創士訳)







男の場合の全体の論理:普遍性(欠くことのできないーー私にとって全てのーー女)、ある例外を除いて(キャリアや公的な生活という例外を除いて)。

女の場合の非-全体の論理:非-普遍性(男は女の性生活にとってすべてではない)、例外はない(すなわち性化されないものはなにもない)。

the universality (a woman who is essential, all…) with an exception (career, public life) in man's case; the non‐universality (a man is not‐all in woman's sexual life) with no exception (there is nothing which is not sexualized) in woman's case.("LESS THAN NOTHING")

男性の全体の論理、そのアンチノ ミーが〈例外〉を伴う〈不完全性〉の障害であって、他方、女性の非-全体の論理、そのアンチノミーが、境界を欠いた〈非全体〉の表層における〈矛盾(非一貫性)〉の障害だということになる。

これはカントの【男性の論理=力学的アンチノミー/女性の論理=数学的アンチノミー】としても説かれるが、後者の女性の論理とは、「無限集合」ということでもあり、「排中律」は機能しない。

排中律とは、「Aであるか、Aでないか、そのいずれかが成り立つ」というものである。それは、「Aでない」と仮定して、それが背理に陥るならば、「Aである」ことが帰結するというような証明として用いられている。ところが、有限である場合はそれを確かめられるが、無限集合の場合はそれができない。ブローウェルは、無限集合をあつかった時に生じるパラドックスは、この排中律を濫用するからだと考える。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

《女は非-全体(無限集合)なのだから、女でない全てがどうして男だというんだね?》(ラカン)
“since woman is ‘non‐all,’ why should all that is not woman be man?”(Lacan)

※附記

It is not that man stands for logos as opposed to the feminine emphasis on emotions; it is rather that, for man, logos as the consistent and coherent universal principle of all reality relies on the constitutive exception of some mystical ineffable X (“there are things one should not talk about”), while, in the case of woman, there is no exception, “one can talk about everything,” and, for that very reason, the universe of logos becomes inconsistent, incoherent, dispersed, “non‐All.” Or, with regard to the assumption of a symbolic title, a man who tends to identify with his title absolutely, to put everything at stake for it (to die for his Cause), nonetheless relies on the myth that he is not only his title, the “social mask” he is wearing, that there is something beneath it, a “real person”; in the case of a woman, on the contrary, there is no firm, unconditional commitment, everything is ultimately a mask, and, for that very reason, there is nothing “behind the mask.” Or again, with regard to love: a man in love is ready to give everything for it, the beloved is elevated into an absolute, unconditional Object, but, for that very reason, he is compelled to sacrifice Her for the sake of his public or professional Cause; while a woman is entirely, without restraint or reserve, immersed in love, there is no dimension of her being which is not permeated by love—but, for that very reason, “love is not all” for her, it is forever accompanied by an uncanny fundamental indifference.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

…………


               (左側が漱石夫妻)



「断腸亭日乗 大正十二年歳次葵亥 荷風四十五」より

昭和二年。終日雨霏霏たり。無聊の余近日発行せし『改造』十月号を開き見るに、漱石翁に関する夏目未亡人の談話をその女婿松岡某なる者の筆記したる一章あり。漱石翁は追蹤狂とやら称する精神病の患者なりしといふ。また翁が壮時の失恋に関する逸事を録したり。余この文をよみて不快の念に堪へざるものあり。縦へその事は真実なるにもせよ、その人亡き後十余年、幸にも世人の知らざりし良人の秘密をば、未亡人の身として今更これを公表するとは何たる心得違ひぞや。見す見す知れたる事にても夫の名にかかはることは、妻の身としては命にかへても包み隠すべきが女の道ならずや。然るに真実なれば誰彼の用捨なく何事に係らずこれを訐きて差閊へなしと思へるは、実に心得ちがひの甚しきものなり。女婿松岡某の未亡人と事を共になせるが如きに至つてはこれまた言語道断の至りなり。余漱石先生のことにつきては多く知る所なし。明治四十二年の秋余は『朝日新聞』掲載小説のことにつき、早稲田南町なる邸宅を訪ひ二時間あまりも談話したることありき。これ余の先生を見たりし始めにして、同時にまた最後にてありしなり。先生は世の新聞雑誌等にそが身辺及一家の事なぞとやかくと噂せらるることを甚しく厭はれたるが如し。然るに死後に及んでその夫人たりしもの良人が生前最好まざりし所のものを敢てして憚る所なし。ああ何らの大罪、何らの不貞ぞや。余は家に一人の妻妾なきを慶賀せずんばあらざるなり。この夜大雨暁に至るまで少時も歇む間なし。新寒肌を侵して堪えがたき故就眠の時掻巻の上に羽根布団を重ねたり。彼岸の頃かかる寒さ怪しむべきことなり。

仕方がありませんよ、荷風先生
やっぱり相当こたえてたんじゃあありませんか
『道草』であんなこと書かれちゃあ、
これは恨みが募ってもやむえません
それに「女の道」、「妻の道」なんていまどき通用しませんよ

彼は親類から変人扱いにされていた。しかしそれは彼に取って大した苦痛にもならなかった。

「教育が違うんだから仕方がない」 
彼の腹の中には常にこういう答弁があった。
「やっぱり手前味噌よ」 
これは何時でも細君の解釈であった。 
気の毒な事に健三はこうした細君の批評を超越する事が出来なかった。そういわれる度に気不味い顔をした。ある時は自分を理解しない細君を心から忌々しく思った。ある時は叱り付けた。またある時は頭ごなしに遣り込めた。すると彼の癇癪が細君の耳に空威張をする人の言葉のように響いた。細君は「手前味噌」の四字を「大風呂敷」の四字に訂正するに過ぎなかった。

義父の恨みもかさなっているんですよ
元貴族院書記官長中根重一さんにもこんな態度じゃあ

けれどもその次に細君の父が健三を訪問した時には、二人の関係がもう変っていた。自ら進んで母に旅費を用立った女婿は、一歩退ぞかなければならなかった。彼は比較的遠い距離に立って細君の父を眺めた。しかし彼の眼に漂よう色は冷淡でも無頓着でもなかった。むしろ黒い瞳から閃めこうとする反感の稲妻であった。力めてその稲妻を隠そうとした彼は、やむをえずこの鋭どく光るものに冷淡と無頓着の仮装を着せた。 

父は悲境にいた。まのあたり見る父は鄭寧であった。この二つのものが健三の自然に圧迫を加えた。積極的に突掛る事の出来ない彼は控えなければならなかった。単なる無愛想の程度で我慢すべく余儀なくされた彼には、相手の苦しい現状と慇懃な態度とが、かえってわが天真の流露を妨げる邪魔物になった。彼からいえば、父はこういう意味において彼を苦しめに来たと同じ事であった。父からいえば、普通の人としてさえ不都合に近い愚劣な応対ぶりを、自分の女婿に見出すのは、堪えがたい馬鹿らしさに違なかった。前後と関係のないこの場だけの光景を眺める傍観者の眼にも健三はやはり馬鹿であった。それを承知している細君にすら、夫は決して賢こい男ではなかった。

 ところで漱石先生は奥さんとちゃんとヤッていたのでしょうかね
でも子供はたくさんできていますね
熊本時代は仲がよさそうですし





幸にして自然は緩和剤としての歇私的里(ヒステリー)を細君に与えた。発作は都合好く二人の関係が緊張した間際に起った。健三は時々便所へ通う廊下に俯伏になって倒れている細君を抱き起して床の上まで連れて来た。真夜中に雨戸を一枚明けた縁側の端に蹲踞っている彼女を、後から両手で支えて、寝室へ戻って来た経験もあった。 

そんな時に限って、彼女の意識は何時でも朦朧として夢よりも分別がなかった。瞳孔が大きく開いていた。外界はただ幻影のように映るらしかった。 

枕辺に坐って彼女の顔を見詰めている健三の眼には何時でも不安が閃めいた。時としては不憫の念が凡てに打ち勝った。彼は能く気の毒な細君の乱れかかった髪に櫛を入れて遣った。汗ばんだ額を濡れ手拭で拭いて遣った。たまには気を確にするために、顔へ霧を吹き掛けたり、口移しに水を飲ませたりした。 

発作の今よりも劇しかった昔の様も健三の記憶を刺戟した。 

或時の彼は毎夜細い紐で自分の帯と細君の帯とを繋いで寐た。紐の長さを四尺ほどにして、寐返りが充分出来るように工夫されたこの用意は、細君の抗議なしに幾晩も繰り返された。
 
或時の彼は細君の鳩尾へ茶碗の糸底を宛がって、力任せに押し付けた。それでも踏ん反り返ろうとする彼女の魔力をこの一点で喰い留めなければならない彼は冷たい油汗を流した。

ーーああ失礼しました、「ヤッて」なんて下品な言葉を洩らしてしまって
でも十八世紀人のディドロもこんなこといってるじゃあありませんか

卑しい偽善者どもには私をほっといてほしいのです。荷鞍をはずした驢馬みたいに、ヤッてもらってもかまいません。ただ、私が「ヤル」という言葉を使うのは認めてもらいたいのです。行為はあなたにまかせますから、私には言葉をまかせてください。「殺す」とか、「盗む」とか、「裏切る」とかといった言葉は平気で口にするくせに、この言葉には口ごもるわけですね! 不純なことは言葉にすることが少なければ少ないほど、あなたの( vous)頭の中には残らないというわけですか? 生殖の行為はかくも自然で、かくも必要で、かくも正しいというのに、あなたは( vous)どうしてその記号を自分の会話から排除しようとしたり、自分の口や、眼や、耳がその記号で汚されることになるなどと考えるのですか? 使われることも、書かれることも、口にされることももっとも稀な表現が、もっともよく、もっとも広く知れわたっているというわけだ。だってそうでしょう。「ヤル」という言葉は、「パン」という言葉と同じくらいなじみ深いものではありませんか? この言葉は年齢に関係なく、どんな方言にも見出され、ありとあらゆる言語のうちに数え切れないほどの類義語をもっている。声も形もなく、表現されることもないにもかかわらず、誰の心にも刻みこまれているというのに、それをもっともよく実践する性が、それについてもっとも口をつぐむならわしなのです。私にはまたあなたの声が( vous)聞こえてきます。あなたは( vous)叫んでいらっしゃいますね。(ディドロ Denis Diderot, OEuvres complètes, t. XXIII)

「発作に故意だろうという疑の掛からない以上、
また余りに肝癪が強過ぎて、
どうでも勝手にしろという気にならない」なんて
ヒステリーの発作のとき以外は
故意と思ってたりどうでも勝手にしろだったんでしょうしねえ

細君の発作は健三に取っての大いなる不安であった。しかし大抵の場合にはその不安の上に、より大いなる慈愛の雲が靉靆いていた。彼は心配よりも可哀想になった。弱い憐れなものの前に頭を下げて、出来得る限り機嫌を取った。細君も嬉しそうな顔をした。 

だから発作に故意だろうという疑の掛からない以上、また余りに肝癪が強過ぎて、どうでも勝手にしろという気にならない以上、最後にその度数が自然の同情を妨げて、何でそう己を苦しめるのかという不平が高まらない以上、細君の病気は二人の仲を和らげる方法として、健三に必要であった。

美しい晩年じゃあないですか
漱石が早死にしてくれてよかったんでしょうねえ





《肉体をうしなって/あなたは一層 あなたになった/純粋の原酒(モルト)になって/一層わたしを酔わしめる》(茨木のり子『歳月』)

ヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、
ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢
になったんでしょうねえ

――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人にういてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(大江健三郎『人生の親戚』)




2014年3月28日金曜日

不平等きわまる肉体的素質と精神的才能(フロイト、アラン)

私自身、若いころ、貧乏の辛さを嫌というほど味わい、有産階級の冷淡さ・傲慢さを肌身に感じたことのある人間なのだから、財産の不平等およびそこから生まれるさまざまな結果を除去しようという運動にたいしてお前は理解も好意も持っていないのだなどという邪推は、よもや読者の心に萌すまい。もちろん、こうした運動の目標が、「万人の平等こそ正義なり」などという抽象的なものであるなら、さっそく次のような反論が起こるだろう。すなわち、「自然は、すべての人間に不平等きわまる肉体的素質と精神的才能をあたえることによって種々の不正を行っており、これにたいしてはなんとも救済の方法が無いではないか」と。(フロイト『文化への不満』人文書院 旧訳)

これはコミュニズム運動をめぐる叙述の註に附された文だが、《不平等きわまる肉体的素質と精神的才能》が人間には元来備わっているとある。

フロイトの同じ論文の、すこし異なった文脈で書かれている箇所なのだが、それを上の文脈で読んでみよう。

今日の教育は、若い人々がいずれは他人の攻撃欲動の対象にされるにちがいないのに、そのための心の準備をしてやらないという点で罪を犯している。若い人々をこれほど間違った心理学的オリエンテーションのまま人生に送りこむ今日の教育の態度は、極地探検に行こうという人間に装備として、夏服と上部イタリアの湖水地方の地図を与えるに等しい。そのさい、倫理の要求のある種の濫用が明白になる。すなわち、どんなきびしい倫理的要求を突きつけたにしても、教師のほうで、「自分自身が幸福になり、また他人を幸福にするためには、人間はこうでなければならない。けれども、人間はそうではないという覚悟はしておかねばならない」と言ってくれるなら、大した害にはならないだろう。ところが事実はそうではなくて、若い人々は、「他の人たちはみなこういう倫理的規則を守っているのだ。善人ばかりなのだ」と思いこまされている。そして、「だからお前もそういう人間にならなければならないのだ」ということになるのだ。(『文化への不満』)

では、われわれは、子供のころから、「人間は差別的に生まれている」と教えるべきだろうか。

人間の秩序のうちでは、信頼が事実の一部分を占めているから、そこではとくに、私が私自身の信頼をまるで考えにいれていないなら、私は大へんな見込みちがいにおちいる。倒れそうだ、とおもったとたんに、私は実際に倒れる。なにをする力もない、とおもったとたんに、私はなにをする力もなくなる。自分の期待にあざむかれそうだ、とおもったとき、私の期待が私をほんとうにあざむくことになる。そこによく注意しよう。私がよい天気をつくる、暴風雨をつくるのだ。まず自己のうちに。そして自分のまわりにも、人間たちの世界のうちにも。けだし、絶望は、そして希望もだが、雲ゆきがかわるよりも早く人から人にと伝わってゆく。私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。そして、つぎのこともまた十分に考えたまえ。期待というものは意欲によってのみ保持され、平和、正義と同様に、やりたいと思えばこそ実現をみるだろうもののうえに築き上げられる、ということを。しかるに、絶望のほうはどうかといえば、絶望というものは、今あることの力によって尻をすえ、ひとりでに強まるのである。さてこれで、宗教はすでにそれをうしなってしまったが、もともと宗教のうちにあって、救い出すに足りるところのものを救い出すには、いかなる考察の道すじによるべきかがはっきりした。私はあのうつくしき望みのことを指しているのだが。(アラン「オプチミスム」 『人生語録集』(プロポ集 )彌生選書 1978 井沢義雄・杉本秀太訳) 

 《私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである》とある。

人間は元来差別的に生まれているという前提に立てば、人間は差別者として平然と振舞うようになる。かりに元来から差別的であろうとも、隔てのない「平等」な態度で他人に接すれば非差別的になる。

たとえばここで、ニーチェの言葉を変奏して、人間に本来的に備わる差別は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる、とすることができる。

悪く考えることは、悪くすることを意味する。 ――情熱は、悪く陰険に考察されると、悪い陰険なものになる。 (ニーチェ『曙光』76番)

あるいは、差別は、まわりじゅうに差別を見出す眼差しそのものの中にある、ともすることができるだろう。

「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明を言い換えるならば、<他者>に対する不寛容は、不寛容で侵入的な<他者>をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


信頼を寄せれば自他ともに非差別的になる、とは標準的なモラル(生きていく上で欠かすことができない道徳)としては今も十分に生きている。そしてわれわれの生活は、その通俗道徳で九十九%は生きていける。だがその道徳ではカヴァーできないことがあるのを忘れてはならないだろう。

アランは第二次大戦直前まで、「絶対的平和主義者」として振舞った。

ヒトラーはまたしても大演説を行った後、オーストリアに進駐した。(……)サルトルはもう騙されなかった。平和を守れる見込みはますます心細くなった。(……)

私はなおも自分を騙そうとしていた。私は状況を正視しなかった。しかし未来が自分の足もとで崩れ去るような気がして、苦悶に近い不安を感じていた。(ボーヴォワール『女ざかり』上 p300 朝吹登水子・二宮フサ訳)
ドームでメルロー=ポンティに会ったのを覚えている。彼とはジャンソン=ド=サイイー高等中学校での教育実習以来ほとんど顔を合わせたことがなかったが、その日は長いあいだしゃべった。私は彼に、チェコスロヴァキアがイギリスとフランスの裏切りにたいして憤慨するのは当然だが、どんなことでも、もっとも残酷な不正でさえも、戦争よりはましだといった。私の考え方はメルロー=ポンティにも、サルトルにも、近視眼的だといわれた。

《きりもなくヒトラーに譲歩することはできない》
とサルトルは私にいった。しかし彼もたとえ頭では戦争を承知するつもりになっていたにせよ、やはり、ほんとうに戦争が始まることを思うと厭でたまらなかったのだ。p313
ジオノやアランはあい変わらず絶対的平和主義を主張していた。多くの知識人は彼らに同調して、《民主主義諸国は全世界に平和を宣言した》とくりかえしていた。さらに《平和は民主主義諸国に貢献する》というスローガンも広まっていた。共産党はミュンヘン協定反対を決議した。しかし彼らもただ憤慨をきりもなくくりかえしているわけにはいかなかった。p314

…………

ーーと、ここまでは標準的な見解だろう。


ところで性的魅力や聡明さ等々の不平等を、「自分にふさわしくない」ものとして見なせるのが資本主義社会のメリットであると説いている(と読める)ジジェクの文章がある。

2005年十二月、新しく選ばれた英国保守党の党首デイヴィッド・キャメロンは、保守党を恵まれない人びとの擁護者に変えるつもりだと述べ、こう宣言した。「あらゆる政治にとっての試金石は、もてない者、すなわち社会の底辺にいる人びとに対して何ができるかということであるべきだ」。不平等が人間外の盲目的な力から生じたと考えれば、不平等を受け入れるのがずっと楽になる、と指摘したフリードリヒ・ハイエクですら、この点では正しかった。したがって、自由主義資本主義における成功あるいは失敗の「不合理性」の良い点は(市場は計り知れない運命の近代版だという古くからのモチーフを思い出そう)、そのおかげで私は自分の失敗(あるいは成功)を、「自分にふさわしくない」、偶然的なものだと見なせるということである。まさに資本主義の不正そのものが、資本主義のもっとも重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』

仮に自分の低いポジションが「自分にふさわしい」ものだとしたらどうだろう。格差社会では起こらない「怨恨」が、格差のない社会では暴発するというのが、ジジェクやデュピュイ(日本では『ツナミの小形而上学』で著者として名が知れた)の考え方であり、「ヒエラルキー」の仕組みは、社会的下位者が、社会的上位者、特権者に屈辱感を抱かせないシステムとされる。

たとえば、知能豊かで性的な魅力溢れる女性がいるとしよう。彼女が、裕福な家庭で両親に慈しまれて育った女性である場合と、他の女性とまったく格差のない環境で育った女性である場合の、どちらの女性により強く羨望・嫉妬するだろうか。多くの場合、前者のほうが、「育った環境」が異なるのであの女性が「女王」のようであるのはやむ得ないとして、嫉妬心が弱まるのではないだろうか。


ジャン=ピエール・デュピュイは、『La marque du sacré(2009)で、ヒエラルキーを四つの様相を挙げている(ZIZEKLess Than Nothingより孫引き)。

<hierarchy itselfヒエラルキーそれ自身>An externally imposed order of social roles in clear contradistinction to the immanent higher or lower value of individuals—I thereby experience my lower social status as totally independent of my inherent value.

<Demystification脱神秘化>The critico‐ideological procedure which demonstrates that relations of superiority or inferiority are not founded in meritocracy, but are the result of objective ideological and social struggles: my social status depends on objective social processes, not on my merits—as Dupuy puts it acerbically, social demystification “plays in our egalitarian, competitive and meritocratic societies the same role as hierarchy in traditional societies” (La marque du sacré, p. 208)—it enables us to avoid the painful conclusion that the other's superiority is the result of his merits and achievements.

<Contingency偶然性>The same mechanism, only without its social‐critical edge: our position on the social scale depends on a natural and social lottery—lucky are those who are born with better dispositions and into rich families.

<Complexity複合性>Superiority or inferiority depend on a complex social process which is independent of individuals' intentions or merits—for example, the invisible hand of the market can cause my failure and my neighbor's success, even if I worked much harder and was much more intelligent.

2013年6月22日土曜日

ジャコメッティとジャン・ジュネ(ボーヴォワール自伝より)







彼はほほえむ。すると、彼の顔の皺くちゃの皮膚の全体が笑い始める。妙な具合に。もちろん眼が笑うのだが、額も笑うのである(彼の容姿の全体が、彼のアトリエの灰色をしている)。おそらく共感によってだろう、彼は埃の色になったのだ。彼の歯が笑う――並びの悪い、これもやはり灰色の歯――その間を、風が通り抜ける。
<ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(現代企画室1999)>





《私はこんな奇妙な印象を受ける、つまり彼がそこにいると、それに触れなくとも、すでに完成された古い彫像たちは、変質し変貌する、なぜなら彼は彫像たちの姉妹のひとりにいま取りかかっているからだ。しかも一階にあるこのアトリエはいまにも崩れ落ちようとしている。アトリエは虫食いだらけの木で、灰色の埃でできており、彫像は石膏製で、綱、麻屑、あるいは針金の切れ端が見えている、画布は灰色に塗られ、それが画材屋にあった頃にもっていたあの落ち着きをとっくの昔に失ってしまった、すべては染みだらけで、廃品同然だ、すべては不安定で、いまにも崩れ落ちそうだ、すべては分解に向かっていて、浮遊している。ところで、そんなすべてのものが、ある絶対的実在性のなかでつかみ取られたかのようなのだ。私がアトリエを後にして、表の通りに出ると、私を取り巻くものはもはやなにひとつ真実ではない。こう言うべきだろうか。このアトリエで、ひとりの男がゆっくりと死んでゆき、燃え尽きる、そしてわれわれの眼前で、幾人かの女神たちに姿を変えるのだ》(ジャン・ジュネーー鈴木創士「ジャコメッティ覚書」より)


………






私はモリエール女子高等中学校で教えていた。……私たちはキャフェ・ドームを根城にしていた。(……)
サルトルやオルガとしゃべっている時には、私は出たり入ったりする人を眺めるのが大好きだった。(……)とりわけ私たちの興味をそそり、何者だろうと思った男がいた。ごつごつした美しい顔に、髪はぼさぼさ、貪るようなまなざしの男で、彼は毎夜、ひとりきり、または非常に美しいひとりの女性と連れだって、通りを徘徊していた。彼は岩のように強固な、同時に妖精よりも自由な様子をしていた。あんまりすばらし過ぎる。私たちは外見に騙されてはならないことを知っていたし、彼の風貌はあまりにも魅力に溢れていて、見かけ倒しではないかと思いたくなるほどだったのである。彼はスイス人で彫刻家、その名はジャコメッティといった。(ボーヴォワール『女ざかり』上 P263





パッシーには白系ロシア人街があり、その年の私のもっとも優秀な生徒も白系ロシア人だった。十七歳で、ブロンドの髪を真中から分けているために老けて見えるが、どた靴、長すぎるスカートといういでたちのリーズ オブラノフは、その挑戦的な態度でたちまち私の興味を惹いた。《わかりません!》と乱暴にどなって私の講義を中断する。時にはいくら説明しても、いつまでも受つけようとしないので、私はやむなく無視することにした。すると彼女はこれ見よがしに腕組みをして、とって食いそうな目で私を睨むのである。(同上P323)



ある朝私がドームへ行くと、彼女(リーズ)が駈けよってきて、《ね、私、アンドレ・モローと寝たの。すごくおもしろかったわ!》と叫んだ。しかし彼女はじきにアンドレが大嫌いになった。彼はお金も健康も大事にしすぎるし、習慣やしきたりを一から十まで重んじる。爪の先までフランス人なのだという。彼はしょっちゅうあれをやりたがるので、しまいにリーズはうんざりしてきた。彼女はアンドレとの性生活を、まるで兵隊あがりのようにあけすけにしゃべった。(『女ざかり』下 P106






この年の春(1941年:引用者)、私たちは新しい友達ができた。リーズのおかげでジャコメッティと知り合ったのである。前にも書いたように、私たちはずっと前から彼の鉱物的な顔や、もさもさした髪や、浮浪者のような態度に目をとめていた。私は彼が彫刻家で、スイス人だということも聞いていた。また、彼が自動車の下敷きになったことも知っていた。彼がステッキをついて、びっこをひきひき歩くのはそのためなのである。彼はよく綺麗な女を連れていた。彼はドームでリーズに目をつけ、話しかけた。リーズは彼をおもしろがせ、好意を抱かせた。リーズは彼は頭が悪いといっていた。デカルトが好きかと訊いたのに、とんちんかんな答え方をしたからだという。それでリーズは、彼は退屈な男だと決めこんだ。しかし彼はドームで、リーズにとっては夢のような晩餐をおごった。若くて丈夫で食欲旺盛なリーズは、いつも食べに行く学生食堂ではおなかがいっぱいにならなかった。彼女は、大喜びでジャコメッティの招待に応じた。しかし最後のひと口を呑みくだすや否や、彼女は口をぬぐって立ち上がるのだった。ジャコメッティは彼女を引き留めるために、もう一人前注文することを思いついた。彼女は最初の一人前と同じようにこれをいそいそと平らげ、食べ終えると、情容赦もなく帰ってしまうのだ。

《なんていう奴だ!》
とジャコメッティは一種の感嘆をこめていった。そして仕返しにリーズのふくらはぎをステッキでつっついた。ある時リーズは、ジャコメッティが退屈きわまる連中といっしょに彼女をラ・パレットに招待した、とこぼした。彼らがしゃべっているあいだ、彼女はあくびのしつづけだったという。あとになって私たちは、このやりきれない連中の名を知った。それはドラ・マールとピカソだった。







ジャコメッティのアトリエは中庭に面していた。リーズはここを根城にすれば、彼女がパリの到る所から盗んで来る自転車を隠匿するのに好都合だと思った。私は彼女にジャコメッティの彫刻をどう思うかと尋ねた。リーズは狐につままれたような顔をして、
《わからないわ。あんまり小さいんですもの!》
と笑った。そして、ジャコメッティの彫刻は、ピンの頭ぐらいの大きさなのだと断言した。これでは判断しようがないではないか? リーズは、ジャコメッティの仕事ぶりは実に奇妙だと付け加えた。昼間作ったものは夜のあいだに全部壊してしまうし、夜制作すれば、昼間壊すのだ。ある日彼は、アトリエいっぱいにたまった彫刻を、手押車に積んでセーヌ河にほうり込みに行ったそうだ。(……)







あらゆるものが彼の興味を惹いた。人生にたいする彼の熱烈な愛は、好奇心という形をとったのである。彼は自動車に轢き倒された時でさえ、楽しさにも似た気持で、《死ぬってこういうことなのか。僕はこれからどうなるんだろう?》と考えた。入院中も刻一刻と何か思いもかけない発見があったので、退院するのが残念なくらいだった。この貪欲さは私の胸にぴんときた。ジャコメッティは言葉をみごとに使いこなして、人物や情景を肉付けし、これに生命を与えるのだった。そのうえ彼は、相手の話に耳を傾けることによって相手をゆたかにする、ごく稀な人物のひとりだった。(『女ざかり』下 P115-116




※サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)は『ゴドーを待ちながら』の舞台美術をジャコメッティに依頼している。

………


ジュネが刑務所から出て来た、と人から聞いた。五月のある午後、私がサルトルとカミュといっしょにキャフェ・フロールにいると、ジュネが私たちのテーブルにやって来て、
《貴方がサルトルですか?》
と突然尋ねた。頭を坊主刈りにし、唇をひきしめ、用心深そうなほとんど挑発的な眼ざしのジュネを、私たちは悪党らしい様子をしていると思った。彼は腰をおろしたが、ほんのちょっときりいなかった。が、ジュネはまたやって来て、私たちはそれからしばしば会うようになった。彼は筋金入りの男だった。彼が産声をあげた時から閉め出しを喰ったこの社会を、問題にもしていなかった。しかし、彼の瞳は微笑することを知っていたし、その口元は驚くほどの子供っぽさを残していた。彼は話し易い人だった。彼は人のいうことに耳を傾け、答えた。けっして独学をした人のようにはとれなかった。彼の趣味や判断には、教養が自然に身についている人たちのもつ洒脱さや、思い切ったところやかたよったものがあるにはあったが、また同時にすばらしい眼識があった。(同上P201)





さらにもう一つ、彼の立像を前にしたときの、こんな気持。これらの立像は、すべて、とても美しい人々である。ところが、それらの悲しみ、それらの孤独が、私には、一人の奇形者の、突然裸にされ、自分の奇形が人目にさらされているのを見た人の、悲しみと孤独に比べることができるように思われる。その人は、同時に、おのれの奇形を世界に差し出してもいるのである、おのれの孤独とおのれの栄光に気づかせるために。変質することのありえない孤独と栄光に。
― ジャン・ジュネ“アルベルト・ジャコメッティのアトリエ”


………


アッチヘウロウロ コッチヘウロウロ

 誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできます。いいかえれば、彼のメタ-言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)

――これはことさら穿った人間観察者の習癖ではない。一歩下がって眺めれば、おのずとみえてくる。《すべての発話はなんらかの内容を伝達するだけでなく、同時に、主体がその内容にどう関わっているかをも伝達する》(ジジェク)


《……なぜなら、私の興味をひくのは、人々のいおうとしている内容ではなくて、人々がそれをいっているときの言いぶりだからで、その言いぶりも、すくなくともそこに彼らの性格とか彼らのこっけいさがにじみでているのでなくてはいけなかった》(プルースト「見出された時」)――プルーストのいうような「滑稽さ」でなくてもよい、《彼ら自身のことばづかいに対する難聴ぶり》(ロラン・バルト)と言ってもよい、それは今、この<わたくし>の書く文にも滲み出ていることだろう。


ところで、なにかを愛しているのと、なにかを愛していると人に示すのとは違う。
気に入ったのと、気に入ったことを人に示すのとは違う。
人の役に立ちたいのと、人に役に立ちたいと言うのとは違うように。

ここにはすでに「媚び」がある。「へつらい」がある。

人を愛するのと「人類愛」、動物を愛するのと、「動物愛護」とは違う。


たしかにサルトルは、『嘔吐』の中のアントワーヌ・ロカンタンのように社会のある種のカテゴリーの人間を嫌っていたが、しかしけっして全般的な人類ではなかった。彼の厳しさは、へつらう職業の者だけを対象としていた。何年か前のこと、十匹ぐらいの猫を飼っているある婦人がジャン・ジュネを咎めて尋ねた。

《あなたは動物が嫌いなんですね》

《私は動物を愛する人間が嫌いなんです》

とジュネは答えた。これこそまさしくサルトルが人類に等しくとった態度なのであった。(ボーヴォワール『女ざかり』上   p138 紀伊國屋書店 朝吹登水子 二宮フサ 訳)

 ※ジュネの動物嫌いは、おそらくサルトル=ボーヴォワールのいう人類愛嫌いとは異なった面もあるだろう。彼が産声をあげた時から閉め出しを喰った社会への嫌悪、そして動物を愛するかのようにして養家で愛された「外傷的記憶」にかかわる部分もあるに違いない。だが、ここではその面については、いったん無視する。



人類愛(者)批判というのは、フロイトの文化論、「ある幻想の未来」やら「文化への不満」の主題(隣人愛)のひとつだが、とくに後者では、ロマン・ロランへの批判がある。『文化への不満』の冒頭近くに、ロマン・ロランが人間の「太洋的な」感情を書き綴る手紙が紹介され、「この種のすぐれた人間の一人が、手紙の中で自身のことを私の友人と呼んでいる」と書いているのだが、フロイトの叙述には「気安く友人などと呼んでくれるな」と読まざるをえない風に書かれている。

もともと、《人が同情を寄せる相手は、知らない人びと、想像で思い描く人びとであり、すぐそばで卑俗な日常生活のなかにいる人たちではない》(プルースト「見出されたとき」)という機微はよく知られているが、フロイトの隣人愛批判はそれを遥かに超えて書かれている。

私の愛は私の貴重な財産なのだから、十分な理由もなしに大盤振舞いすることなどは許されない。 〔…〕私が誰か他人を愛するとすれば、その他人はなんらかの意味で私の愛に値しなければならない。 〔…〕その他人が私と縁もゆかりもない人間で、その人自身の価値や私の感情生活にたいしてすでにもっている意味などによって私を惹きつけることができないとすれば、その人間を愛することは私にとって困難になる。それどころか、そんなことをすれば、私は間違いを犯すことになる。なぜなら、私の家族は私の愛を自分たちだけの持ち物だと思っているのだから。 (フロイト『文化への不満』)

 満遍なく、「抽象的な」愛の大判振舞いをする人物に対して、傍らの家族はどうやって振舞ったらいいのだろう。そこには “わたしぬき” という事態のあること、したがって「わたしは見捨てられているのだ」ということを、読みとってしまうことはないか。


ところで人類愛者の憐み深い、あるいは愛想の溢れた容貌に対して、人を愛する人物は、無頓着な、ぶっきらぼうな、あるいは「思いやりのない顔」をしている。

私がのちに、私の人生の途上で、たとえば修道院で、活動的な慈悲の化身、まったく神聖そのもののような化身に、たまたま出会ったようなとき、そうした人たちは、おしなべて、多忙な外科医によく見かける、快活な、積極的な、無頓着な、ぶっきらぼうなようすをしていたし、人の苦しみを目のまえにして、どんな同情も、どんなあわれみも見せない顔、人の苦しみにぶつかってすこしもおそれない顔をしていた、つまり、やさしさのない、思いやりのない顔、それが真の善意のもつ崇高な顔なのである。(プルースト「スワン家のほうへ」)


さて動物愛をめぐっては、クンデラの『存在の耐えられない軽さ』の最後近くで、「犬への愛は無欲なもの」と書かれる。はたしてそうだろうか。犬から愛されることを願っていないだろうか。たとえば夫妻で犬を一匹飼っているとする。夫より妻のほうに犬がなついていれば嫉妬しないだろうか。

その問いはここでは保留することにするが、クンデラの文は、《その相手から何かを(愛を)望むゆえに、愛することができない》人間の不幸が書かれている。そして「愛することができない」だけではなく、「愛される」機会を逸する場合も多いだろう、相手が媚び諂いに敏感な人物であるなら、ことさら。


犬への愛は無欲なものである。テレザはカレーニンに、何も要求しない。愛すらも求めない。私を愛している? 誰か私より好きだった? 私が彼を愛しているより、彼は私のことを好きかしら? というような二人の人間を苦しめる問いを発することはなかった。愛を測り、調べ、明らかにし、救うために発する問いはすべて、愛を急に終わらせるかもしれない。もしかしたら、われわれは愛されたい、すなわち、なんらの要求なしに相手に接し、ただその人がいてほしいと望むかわりに、その相手から何かを(愛を)望むゆえに、愛することができないのであろう。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)


すこしだけ立ち止まって考えてみよう、ひとの心理の機微の基本的な部分だ。もし「愛される」こと少ない不満や不幸にある人なら、なおさら。

もし私が意識的に「人に振り向いてもらおう」、あるいは「愛されよう」と願えば、《滑稽な結果になってしまうだろう。きっと私は下手な役者のように見えることだろう。これらの状態の根本的パラドックスはこうだーーそれらはきわめて重要なのだが、それをわれわれの行動の直接的な目標にしたとたん、逃げていってしまうのである。》(「金儲け」の論理、あるいは守銭奴


アッチニフラフラ コッチニフラフラ愛想を振り撒いてばかりいれば、すでに獲得したかにみえた他者からの関心(愛)をも失う。

雨ニモ負ケテ
風ニモ負ケテ
アチラニ気兼ネシ
コチラニ気兼ネシ
(……)
アッチヘウロウロ
コッチヘウロウロ
ソノウチ進退谷マッテ
窮ソ猫ヲハム勢イデトビダシテユキ
オヒゲニサワッテ気ヲ失ウ
ソウイウモノニワタシハナリソウダ


ーーー堀田善衛『広場の孤独』より




※附記 :ジャック・デリダ(Jacques Derridaアドルノ賞受賞記念演説「異邦人の言語」より

観念論、人間主義という哲学の最も強大な伝統の力があります。アドルノが明言していますように、自然に対する人間の至上性、支配(Herrschaft)は実際には「動物に対して向けられる 」(Sie richtet sich gegen die Tiere)。別の視点からは強く敬愛するカントの名を特に挙げ、人間の〈尊厳(Wurde)〉や〈自律性〉というカントの概念には、人間と動物との間にいかなる思いやり(Mitleid)の余地も残されていないと非難しています。続けて彼は人間と動物との類似や親縁性を想起させるもの(die Erinnerung an die Tierahnlichkeit des Menschen)ほどカント的人間にとって憎む(verhasster)べきものはないと言います。カント的人間は人間の動物性に対して憎悪しかもちません。ひいてはそこに自分の「タブー」を見るのです。 “Tabuierung[タブー化]”という言葉を使うと、彼は急にさらに一歩先に進みます。観念論的体系にとって動物は潜在的に、ファシスト的体系にとってのユダヤ人と同じ役割を演じている(“Die Tiere spielen furs idealistische System virtuell die gleiche Rolle wie die Juden furs faschistische”)、と。動物は観念論者にとってのユダヤ人であり、観念論者とは潜在的なファシストにほかならないのです。動物を、さらに人間の中の動物を罵るとき、ファシズムは始まるのです。真性の観念論(echter Idealismus)は人間の中の動物を〈罵る〉、あるいは人間を動物として扱うことにあります。アドルノは二度にわたって罵り(Schimpfen)という名を使用しています。   しかし他方、別の戦線では、『Dialektik der Aufklarung[啓蒙の弁証法]』の「人間と動物」という断想の主題の一つがそうでありますように、全く逆に、ファシストやナチス、総統が公然と主張したかに見える、時に菜食主義まで及ぶ動物へのあの怪しげな関心の下に隠されたイデオロギーと闘わねばならないのです。