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2014年10月31日金曜日

「日本の財政は破綻する」などと言っている悠長な状況ではない?

財政制度等審議会会長の吉川洋東大大学院教授曰く、

 --消費税増税を延期すべきだとの声が高まっている

 「予定通り来年10月に10%に引き上げるべきだ。そもそも、消費税増税の目的は社会保障制度を持続可能な制度にするためだ。高齢化で年金、医療、介護の給付金など支出が膨らみ、現役世代が払う保険料だけでは賄えない分を税金で支えてきた結果、日本は国内総生産(GDP)の2倍超の財政赤字を抱えることになった。大きな戦争が起こっていない平和な国で、この巨額の赤字は異常だ。放置すべきではない」(吉川洋・東大大学院教授に聞く 社会保障維持へ10%判断を

吉川洋氏は2009年に次のように語っている。


一人っ子家庭が増加するにつれ、若者たちは 「結局は年老いてからひどい扱いを受け、蔑まれることになるのに、若い時分に自分の望みを押さえ生活を窮乏にしなければならない理由がどこにあろうか」と考えはじめる。また「なに よりも女房と子供のために働きかつ貯蓄せん」 という動機は失われ、個人主義的功利主義が支配するようになり、人々は「ただ将来のために働くことを命ずる資本主義的倫理をも喪失する に至る」とする。吉川は、 「シュンペーターによれば、優良な 投資機会が少なくなるということで資本主義は滅びはしない。それは家族の変容を伴いながら 企業家精神が喪失されることにより自壊するのである」と結論づけている。(『企業家精神―シュンペーター『経済発展の理論』財務総合政策研究所研究部長 田中 修)

…………

ところで知る人ぞ知る『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』なるものがある。研究会発足にあたる2012年時点での問題意識は、《われわれは日本の財政破綻は『想定外の事態』ではないと考える。参加メンバーには、破綻は遠い将来のことではないと考える者も少なくない》とされている。

2012622日の第1回会合では、三輪芳朗氏の《もはや『このままでは日本の財政は破綻する』などと言っている悠長な状況ではない?》という論点メモが提出されている。疑問符をつけているのがやや遠慮深いとはいえるが、経済理論的にはいつ財政破綻してもおかしくない状況でまた回避できようもないのだから、そんな「悠長な」ことはやめて「その後」を考えようというものだ。これは冒頭に掲げた吉川洋氏のいまだあきらめきれない「誠実な」立場とは異なり、一見「ひねくれた」、あるは「やけくそ気味」の人たちの集まりとも感じれれる。

 メンバーは次の通り。




直近の会合の概要欄(第21回2014.8.27)には次のようにある。

日本の深刻な財政危機状態や2%の物価上昇率を目標に掲げる日銀の歴史的な積極的金融緩和策が続行されるなか、8月末時点の長期債の最終利回りは0.5%を下回っている。ある意味、不可解な現象である。われわれは過去2年間「現状の日本でなぜ国債価格の大幅下落、急激なインフレを伴う「財政破綻」は現実化しない、その予兆も見えないのはなぜか・・・?」という問題意識を抱き、研究会を続けてきた。そして過去数回の研究会では、日本の国債価格の形成メカニズム、とりわけ投資家の期待形成メカニズムや資産選択行動を解明する糸口を求めて関連するファイナンス研究について見てきた。

 エライ学者先生にとってはーーあるいは「とっても」ーー、国債価格が下落しないのは《不可解な現象》なようだ。実際、日銀首脳もアベノミクス導入後、つねに国債価格の下落を怖れている。

来年10月予定の消費税再増税について「増税で景気が落ち込みば財政・金融政策で対応可能だが、延期で国債価格が下落(金利は上昇)すれば対応が難しい」との持論を繰り返した。「今のところ政府の財政再建の方針は守られている」と増税決行に期待を示した。(追加緩和手段に限界ない、現時点で議論不要=黒田日銀総裁 2014.9.11)

──異次元緩和後の金利動向をどうみているか。

「金利に対しては2つの違う働きの効果が働いている。国債を大量に買い入れたため、名目金利やリスクプレミアムは下がる。一方、予想インフレ率が上がることで名目金利が上昇する要素もある。金融政策の結果、予想インフレ率が上昇し、実質金利が下がっているかどうかが一番大事だ。そうでなければ株や為替、実体経済に対する影響が出てこない。(現在の実質金利は)BEIでみるとマイナスだ」(岩田日銀副総裁インタビューの一問一答 2103.6.24)

これらの「懸念」のよってきたるところの大きな理由のひとつを池尾和人氏は次のように説明している。

 「日銀が大量の国債を買い取ることで、これまで民間部門が保有していた国債が減るために、国債の需給が引き締まり、長期国債の利回りは低下する要因となるはず。一方で他の資産市場にシフトして国債市場から離脱する市場参加者の方が多ければ、かえって需給が緩み、結局利回りは下がらない。何らかのストレスが市場に発生することで、財政に伝播してしまうリスクや、金利上昇の際のリスクが大きくなったともいえる」と不安を示す。

ただし「何が起こるかは、民間金融機関の行動次第だ。買えるだけの国債は買った上で買えない部分だけ外債投資に移すのか、あるいは、国債市場から離脱して他の投資先を本格的に求めていくのかによって、生じる結果も変わる。確定的なことはわからない」として、今後の市場の動きを見極める必要性を指摘する。

さらに大きなリスクとみているのは、デフレから脱却して景気が回復すれば、金利が上昇し、利払い負担が膨らむこと。「これまでは、デフレのもとで財政が奇妙な安定を保ってきたが、デフレから脱却して金利が上昇すると、財政の安定が崩れるというリスクがある。その際、成長率上昇による税収増と利払い費の比較になる。税収に比べて利払いが大きくなっているので、成長率が1%上がった場合、金利も1%上がると、税収増より利払い増が大きくなり、資金繰りが苦しくなる」というものだ。

そのうえで、デフレ脱却を目指す以上、財政リスクへの備えが欠かせないと指摘。「これだけの公的債務を抱えている国の首相が、金利上昇方向の政策を推進し、大胆な緩和策をとる以上は、それに見合った財政のコンティンジェンシープランが必要だ」と強調する。(インタビュー:利払い負担で資金繰り苦しく、財政不安定化も=池尾教授

※参照:


冒頭に掲げた学者先生たちを「ひねくれた」と書いてしまったが、それでは、あれら『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』メンバーにはひどくシツレイである。ただマスコミを軽くあしらう癖はあるメンバーであるようで、その議論はあまり知られていないということはあるだろう。

……数日後、来年の日本経済に関する予測特集を組む予定だという経済誌の記者から、「先生が主催されている『財政破綻後の日本経済』の姿に関する研究会について一度お話を伺えませんか?」というメールを受け取った。「毎回議事録を掲載しています。あれ以上に具体的に何を聞きたいというのですか?」と返信した。「日本財政はどういう帰結をたどる可能性が高いか」「その結果、何が起きるのか(国債デフォルトあるいはハイパーインフレ?)」「財政破綻を防ぐにはどうすれば良いのか?」など6項目だという。「議事録を読んで聞きたいことを明確にしていただけませんか?マナーというものがあるでしょう」という返信に対する、数時間後の「大変失礼しました。申し訳ありませんでした」という回答で終了した。多くの「関係者」にとって、「想定外の」内容の議論・研究会であることを象徴するように見える。  年金受給年齢に達した生活者としてはあまり現実化して欲しい内容のものではない。そういう「利害」を棚上げして、内容を真摯に受け止め、積極的に議論に参加したメンバー各位に深謝します。


実際、彼らは「誠実な」ひとびとの集まりであり、第一次世界大戦後のドイツの財政破綻によるハイパーインフレーションなども「真摯に」研究されており、そこにはこうある。

ドイツのインフレ、あの有名なhyperinflationが現実化したのは1923年秋の8月から11月の短期間であり、ドイツ皇帝が退位した1918年11月やVersailles条約調印の1919年6月から4年以上経過後のことである点に何よりも驚いた。敗戦後の混乱した状況下ですぐに現実化したのではない。敗戦後もかなりの率のインフレが進行し、1922年の高率のインフレの後に半年間以上の安定期を経て、1923年8月から11月までの短期間に物価水準が107倍(つまり10,000,000、1千万倍)になるというhyperinflationが現実化した。これに比べれば、先行する時期のインフレ(あるいは第2次世界大戦後の日本のインフレ)もかすんでしまうだろう。

この発表をされた福井義高氏のメモにはこうある。

意外に悪影響の少ない劇薬? 
・長期的視点でみれば、単なる一時的落ち込み
・ 政治的影響も小さい 
・(ハイパー)インフレのメリット – 最終局面を除き、低失業率の実現 
・国民の広い範囲にインフレ利得者が存在
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず? 
むしろ究極の財政再建策として検討すべき?


ーーなかなか過激な見解である。物価も、たとえば500円のざるそばが5万円(百倍)になれば驚くが、50億円になれば(1千万倍)笑ってすますことができるかもしれない。北野武の「日本はいったん亡びたほうがいいんじゃないか」、という発言のヴァリエーションのようにさえ思える。これを読むと岩井克人の見解などひどく「常識的」にみえてしまう。彼らは、いったん日本の財政は崩壊して新たに出直すべきだという議論までしているのだから。

……デフレはすべて悪であるが、インフレはすべて善ではない。それは、さらなるインフレを予想させてインフレをさらに強めるという悪循環に転化する可能性を常に秘めている。その行き着く先であるハイパーインフレこそ、貨幣の存立構造それ自体を崩壊させる最悪の事態である。

好況は多数の人が永続することを願っている。その多数の声に逆らって、善きインフレが最悪のハイパーインフレに転化するのを未然に防ぐ政策を実行すること、それが中央銀行の独立性の真の理由である。しかし、その心配をするのはまだ早い。いまはインフレ基調の確立により総需要が刺激され、日本経済が長期にわたる停滞から解放されることを切に望むだけである。(「日本経済新聞2013年3月14日 経済教室 岩井克人」)

財政破綻後、食料確保の次に懸念されるだろう医療についても、東京大学医学部の橋本英樹氏から「財政破綻は医療を破綻させるか? 話題提供のためのメモ」などにより検討されている(内容はいまは割愛)。

ひとが不安に思ったり驚愕したりするのは、たとえば経済小説家の橘玲氏による「20XX年ニッポンの国債暴落」に叙述される程度のハイパーインフレであり、数カ月でざるそば一杯が50億円になれば、場合によっては一部の人はお祭りのような気分にさえなりうるものかもしれない。バタイユもどきの過剰な蕩尽によるトランス状態,飲んだり喰ったり,踊ったり姦淫したり,この狂騒的リズムーー。

実は消費税増反対をくり返している「左翼」のひとたちも、蕩尽を、内心ーー仮に無意識的にであれーー、望んでいるのなら、なかなかの器である。先日、「左翼」の論客を貶してしまったが、彼らの器量はひょっとしてわたくしに窺い知れない偉大なものがあるのかもしれない。いたずらな嘲笑は、わたくしの凡庸さのなせる技であった。『「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』の学者センセの議論を読んで反省することしきりである。ーーシツレイしました!

外苑前で2万円のビジネスランチを食べ、麻布十番の顧客を訪問する。50歳でリタイアし、マレーシアで海外移住生活を送っていたのだが、円安と地価の下落を見て、外貨資産を円に戻して日本に帰ってきた「海外Uターン族」だ。

彼ら新富裕層のおかげで、私は会社でトップ5に入る営業成績を維持できている。目標に到達できなければ問答無用で解雇されるが、成績次第で青天井の報酬が支払われる。私が以前勤めていた電機メーカーはインドの会社に買収され、「同一労働同一賃金」の原則のもと、いまでは日本人社員もインド人と同じ給料で働いている。

今日は早めに仕事を切り上げて、6時の特急電車で南アルプスの家に帰る。

金融危機とそれにつづくハイパーインフレで、私の実家も妻の実家も、祖父母が年金だけは生活できなくなった。そのうえ父と義理の父がリストラされ、路頭に迷ってしまった。それで田舎に3軒の家と農地を格安で購入し、一族が肩を寄せ合って暮らすようにしたのだ。同じようなケースはほかにも多く、日本は大家族制に戻りつつあった。

東京駅前には、赤ん坊を抱いた物乞いの女たちが集まっていた。その枯れ枝のような細い腕を掻き分けて改札を通り抜けると、5000円のビールとつまみを買ってあずさのグリーン席に乗り込む。平日は都心のワンルームマンションで単身赴任し、週末に家族の待つ田舎に戻る生活を始めて1年になる。

プルトップを引いて、冷たいビールを喉に流し込む。この週末は、失業した妻の弟が、いっしょに暮らせないかと相談に来ることになっている。娘の進学問題も頭が痛い。将来に不安がないわけではないが、泣き言はいえない。いまや一族の全員がわたしを頼っているのだ。

中国語やハングルやアラビア文字のネオンサインが、新宿の夜空をあやしく染めていた。青白い月を眺めながら、いつしか浅い眠りに落ちていた。

…………

ところで、国債価格が下落しない《不可解な現象》が起こっているのはなぜなのか? ここではわたくしが依拠するところの多い「常識的な」岩井克人センセにもういちどお出まし願おう。

【ケインズの「美人投票」の理論】(岩井克人『グローバル経済危機と二つの資本主義論』より

ケインズの美人投票とは、しゃなりしゃなりと壇上を歩く女性の中から審査員が「ミス何とか」を一定の基準で選んでいくという古典的な美人投票ではない。もっとも多くの投票を集めた「美人」に投票をした人に多額の賞金を与えるという、観衆参加型の投票である。この投票に参加して賞金を稼ごうと思ったら、客観的な美の基準に従って投票しても、自分が美人だと思う人に投票しても無駄である。平均的な投票者が誰を美人だと判断するかを予想しなければならない。いや、他の投票者も、自分と同じように賞金を稼ごうと思い、自分と同じように一生懸命に投票の戦略を練っているのなら、さらに踏み込んで、平均的な投票者が平均的な投票者をどのように予想するかを予想しなければならない。「そして、第四段階、第五段階、さらにはヨリ高次の段階の予想の予想をおこなっている人までいるにちがいない。」すなわち、この「美人投票」で選ばれる「美人」とは、美の客観的基準からも、主体的な判断からも切り離され、皆が美人として選ぶと皆が予想するから皆が美人として選んでしまうという「自己循環論法」の産物にすぎなくなるのである。

ケインズは、プロの投機家同士がしのぎを削っている市場とは、まさにこのような美人投票の原理によって支配されていると主張した。それは、客観的な需給条件や主体的な需給予測とは独立に、ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性を持っている。事実、価格が上がると皆が予想すると、大量の買いが入って、実際に価格が高騰しはじめる。それが、バブルである。価格が下がると皆が予想すると、売り浴びせが起こり、実際に価格が急落してしまう。それが、パニックである。

ここで強調すべきなのは、バブルもパニックもマクロ的にはまったく非合理的な動きであるが、価格の上昇が予想されるときに買い、下落が予想されるときに売る投機家の行動は、フリードマンの主張とは逆に、ミクロ的には合理的であるということである。ミクロの非合理性がマクロの非合理性を生み出すのではない。ミクロの合理性の追求がマクロの非合理性をうみだしてしまうという、社会現象に固有の「合理性のパラドックス」がここに主張されている。

というわけで、日銀首脳もある種の経済学者も、《ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性》を怖れているわけだ。そしてその動因のひとつが、消費税増延期によって、日本は財政破綻の回避に真剣に取り組む気がないんじゃないか、という「あやふやな噂」が市場関係者のあいだで流通してしまうことになるのだろう。

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。(「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)


ケインズの「美人投票論」というのは、市場関係者の「欲望」にかかわるのはよく知られている。ドゥルーズ&ガタリは、「通貨の問題」と書いているが、「国債価格の問題」を代入して読んでおこう。

ケインズがいくつか貢献したことのうちのひとつは、通貨の問題の中に欲望を再び導入したことであった。こうしたことこそ、マルクス主義的分析の必要条件にあげられるべきことなのである。だから、不幸なことは、マルクス主義の経済学者たちが大抵の場合多くは、生産様式の考察や『資本論』の最初の部分にみられる一般的等価物としての通貨の理論の考察にとどまって、銀行業務や金融操作や信用通貨の特殊な循環に十分に重要性を認めていないということである。(こういった点にこそ、マルクスに回帰する(つまり、マルクスの通貨理論に回帰する)意味があるのである)。(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』)

近頃の若い者云々という中年以上の発言は、おおむね青春に対する嫉妬の裏返し

近頃の若い者云々という中年以上の発言は、おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。(梅崎春生)

ーーつまりはこういうことだよ、オレの言う「若い奴らは……」ってのは。

しかもこの嫉妬=ノスタルジーは、古典主義的ノスタリジーでさえなく、ロマン主義的ノスタルジー、すなわち「不在の追憶」、「一度たりと存在していなかったもの」へのノスタルジーでさえありうるからな。

ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼンのシューマン論 ―― Slavoj Zizek/Robert Schumann-The Romantic Anti-Humanistよりの孫引き)

未来へのロマン主義的ノスタルジーってのもあるけどさ。

誰もがたやすく絶望しようとはしない現実への深い絶望、それは、特権的な輝きを欠いた現在という曖昧な中間地帯をのがれ、いま、ここではない世界に不在の理想郷を、きまって夢想せずにはおれない。そしてその理想郷が、未来であるか過去にあるのかどちらかでしかないという事実が、文学の(あるいは思考の:引用者)制度性とみごとに一致する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

 「来るべき民主主義」というのも、この口さ。それは「来るべきコミュニズム」でも同じ。「制度性」とあるように誰でもやりがちな思考の罠ーー蓮實重彦が毛嫌いするーーなのさ。

だが「来るべきカタストロフィ」を想定するのはいいらしいぜ、ヘーゲル派によればだけど。

ジャン=ピエール・デュピュイは、《たとえ知識があろうとも、それだけでは誰にも行動を促すことはできない》と言う。なぜなら《私たちは自分の知識が導く当然の帰結を、自分で思い描けないから》と。

で、どうしたらいいのかと言えば、「地獄郷dystopia」、「未来の固定点」からの倒錯的遠近法であり、これがデュピュイの主張する「プロジェクトの時間」、あるいはフレドリック・ジェイムソンのいう「現在へのノスタルジア」的なパースペクティヴということになる。

で、現在に、《「これこれをしておいたら、いま陥っているーー未来の「今」陥ってるーー破局は起こらなかっただろうに!」)を挿入すること》が肝要らしいな。

過去と未来の閉じた回路である時間―未来はわれわれの過去の行為から偶然に生み出されるが、 その一方で、 われわれの行為のありかたは、未来への期待とその期待への反応によって決まるのである。

《大惨事は運命として未来に組みこまれている。それは確かなことだ。だが同時に、偶発的な事故でもある。つまり、たとえ前未来においては必然に見えていて も、起こるはずはなかった、ということだ。……たとえば、大災害のように突出した出来事がもし起これば、それは起こるはずがなかったのに起こったのだ。に もかかわらず、起こらないうちは、その出来事は不可避なことではない。したがって、出来事が現実になること――それが起こったという事実こそが、遡及的に その必然性を生みだしているのだ(ジャン=ピエール・デュピュイ Petit métaphysique des tsunami, Paris, Seuil 2005, p. 19.)。》

もしも―偶然に―ある出来事が起こると、 そのことが不可避であったように見せる、 それに先立つ出来事の連鎖が生み出される。 物事の根底にひそむ必然性が、 様相の偶然の戯れによって現われる、 というような陳腐なことではなく、これこそ偶然と必然のヘーゲル的弁証法なのである。 この意味で、人間は運命に決定づけられていながらも、 おのれの運命を自由に選べるのだ。

環境危機に対しても、このようにアプローチすべきだと、デュピュイはいう。 大惨事の起こる可能性を 「現実的」に見積もるのではなく、 厳密にヘーゲル的な意味で<大文字の運命>として受け容れるべきである―もしも大惨事が起こったら、 実際に起こるより前にそのことは決まっていたのだと言えるように。 このように<運命>と ( 「もし」 を阻む)自由な行為とは密接に関係している。自由とは、もっと根源的な次元において、自らの<運命>を変える自由なのだ。

つまりこれがデュピュイの提唱する破局への対処法である。 まずそれが運命であると、 不可避のこととして受けとめ、そしてそこへ身を置いて、 その観点から (未来から見た) 過去へ遡って、 今日のわれわれの行動についての事実と反する可能性(「これこれをしておいたら、いま陥っている破局は起こらなかっただろうに!」)を挿入することだ。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』)

まあ、ジジェクもいろいろ言うからな、次のは90年代初頭のノスタルジアをめぐる文。オレのノスタルジーはほぼこのメカニズムが働いていると思うよ。ヤメナクチャいけないな、心地よいノスタルジーは。

ノスタルジックで懐古的な映画では、対象としての視線の論理はそのものとしてあらわれる。魅惑の真の対象は、提示された場面ではなく、それに魅惑され吸収された素朴な「他者」の視線である。

たとえば『シェーン』では、われわれは「無垢な」子どもの視線という媒体を通してのみ、シェーンの神秘的な出現に魅惑されるのであって、直接的に魅惑されるわけではけっしてない。主体が対象の中に(自分が抱いているイメージの中に)自分の視線を見出すという、つまり自分の抱いているイメージの中に「見ている自分を見る」という、このような魅惑の論理について、ラカンは、これこそが、主体と内省(自己反映)というデカルト主義の哲学的伝統を特徴づけている、完璧な自己鏡像という幻想そのものであると述べた。

だがここでは眼と視線の二律背反はどうなったのか。すなわち、ラカンの主張の眼目は、哲学的主体の自己反映にたいして、対象としての視線と主体の眼との還元不能な不一致を突きつけることである。対象としての視線は、自己満足的な自己反映の点などではけっしてなく、主体の見ているイメージの透明性を曇らせる染みとして機能する。他者の中の、他者が私を見つめ返している点を、私はちゃんと見ることができないし、自分の全体的視野の中に取り込むこともできない。ホルバインの『大使たち』の細長い染みのように、その点は私の視野の調和を乱す。

われわれの問題にたいする答えは明らかだ。すなわち、ノスタルジックな対象の機能とは、その魅力によって、眼と視線のとの二律背反をーーつまり対象としての視線が与える外傷的な衝撃をーー隠すことである。ノスタルジーにおいては、他者の視線はある意味で飼い馴らされ、「高級化gentrify」されている。視線が、調和を乱す外傷的な染みとして噴出するのではなく、われわれは「見ているわれわれ自身を見ている」ような、つまり視線そのものを見ているような幻想を抱く。(ジジェク『斜めから見る』p224 )

けれどもプルースト的過去の無意志的想起(レミニッセンス)とはまったく違うのだよ。

紅茶に浸したマドレーヌを口に含んだ途端、それを誘い水にして、「コンブレは、かつて生きられたためしがない光輝のなかで、まさにそうした純粋過去として再び出現する」。「コンブレがかつて現在であったためしがない〈純粋過去〉という形式で、つまりコンブレの即自という形式で出現する。(ドゥルーズ『差異と反復』p140)

《かつて現在であったためしがない純粋過去》とはなんだというのか。

たとえばプルーストの『失われた時を求めて』において、語り手である<私>は、ある偶然の感覚性にともなって「本質的な意味では忘却していた過去」、コンブレで過ごした子供時代、その家や町や人びとが突如として生き生きと甦ってくるのを経験する。それはだから生き直すことである。しかしそれは人々が通常そう思っているように、なにか始原となるもの、オリジナルをなす出来事があって、それを同じように(あるいは類似したままに)繰り返すということではない。コンブレで過した子供時代は、実のところそのときそこで必ずしも生きられたのではなかった。むしろかなりの歳月がたったあとで、まったく新しいフォルムにおいて、その一つの真実のうちにーー現実世界においては等価物を持たなかった真実――のうちに生きられたのだ。すなわち再び生きられたのであり、かつまた同時に初めて生きられたのである。(ドゥルーズ『ニーチェ』の訳者あとがきにかえられた小論「ドゥルーズとニーチェ」より 湯浅博雄)

このあたりが区別がつき難いときがあるのだよな、ジジェクや蓮實重彦が貶すノスタルジーと。いいんじゃないか、過去に溺れすぎてなかったら、--と最近は思うようになったね。プルースト的な無意志的的想起なんて一年に何度もあるもんじゃなかいらな。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』)


2014年10月30日木曜日

「人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる」

ときたまメールが来てもなんて書いたらいいのかね
25歳の娘なんだけどさ
よく我慢してるなって、二者関係で書くわけいかないからな
暴動起こせよ、とかさ

(東大の院で地道に研究活動やってるだけじゃなくて
歌やピアノやってるから
そこらへんの若いのと擦れ違ってるかもな
そこのキミとかさ)

まあここを見とけよ、というわけにもいかないけど
返事をしたくないときはあるのさ

毎年20万人の移民受け入れ計画って机上の空論で
そんなの実現するわけないじゃんと思ってるかもしれないけど
他に手の打ちようがないのさ
10年たったら200
30年たったら600万で
子供が生れたら1000万いくだろ

選挙権どうなるのかしらないけど
彼らが一致団結したら
国会議員や大臣も移民出身で占められて
日本版「オバマ」総理大臣だってありうるさ
タノシミダネエー
30年後にはとっくの昔に死んでる筈だから
もっと早く始めて欲しかったぜ

社会保障制度を維持するのにも遅すぎるのかもな
ミッチーこと渡辺美智雄が1986年に
「二十一世紀は灰色の世界」っていったとき
やっとけばよかったんだよ、移民政策なんて。
とっくにわかってたんだからさ、高級官僚たちは。

そこで伺いたいのですが、問題の渡辺という人物は現在通産大臣をしておりますが、この間有名な毛針発言というのをやりました。本会議できょう陳謝が行われるようですから、毛針発言については私は聞きません。しかし、案外世間には知られてないことですが、もう一つ重大な発言をしております。(……

二十一世紀は灰色の世界、なぜならば、働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって、稼ぐことのできない人が、税金を使う話をする資格がないの、最初から」、こう言ったわけであります。渡辺通産大臣は、それ以外にも、八三年の十一月二十四日には、「乳牛は乳が出なくなったら屠殺場へ送る。豚は八カ月たったら殺す。人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる。経済的に言えば一番効率がいい」、こう言っておられます。(第104回国会 大蔵委員会 第7号 昭和六十一年三月六日(木曜日) 委員長 小泉純一郎君……

財政破綻はわかんねえな
日銀の博打、信頼するよりほかないんじゃないか

(オレ一時期銀行系の経営コンサルタントやってたんだけど
バブル期だからな 遊びのようなもんだったよ
企業の経営陣や人事担当騙して
荒稼ぎのボーナスたらふくってやつだな
ただミッチーの発言だけは真にうけたね
まわりのエライさんは反応しないんだけどさ)

このまえ書いた以上はでないね
「人間は幸福をもとめて努力するのではない。
そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)ってヤツで
これに文句言ってきたらメールに返事するよ

まあいずれにせよ若い連中ってのは老人養っているだけで
自分たちの年金や医療保険はありえないってわけだから
ーー移民なしではさーー
ふつうは暴動起こすよな
ちがうかい?

ちょっと酒が入ってるからな
暴動は仔羊たちには無理に決まってるのはワカッテルさ

消費税30%にして社会保障費3割カットならいけるらしいぜ
大和総研のシミュレーションの移民なしシミュレーションではだけど。
「消費税率 25%とは、かなり控えめにみた税率である」とあるからな
「諸点を考慮すると、消費税率は早い段階で
ゆうに 30%を超えることになるだろう」だってさ

こんなこと言ってて、大和総研のボス武藤敏郎さんは
東京オリンピック競技大会組織委員会の事務総長やってんだけどさ

さあて寝るよ





マルク・リブー 1958 JAPAN






MARC RIBOUD 1958 JAPANとあってツイッターで拾った。まるでベトナムの都心光景だね。今の、--いや二十年前はもっとこうだった。女たちは着飾っていたにしろ、足もとだけはゴムサンダル履き、ときには裸足などということがあった。この画像は草履を履いているように見え、わたくしはそこに引きつけられる。瀟洒なスクーターも、後ろのバスも、右端の旧式な車も、かつての日本へのノスタルジーではなく、いまは少なくなってしまったサイゴンの都心光景へのノスタルジー。





これはいつ頃のものかわからないが、わたくしが最初にサイゴンを訪れたときはこんな光景がよく目についた。





当時はスクーターに乗る女たちがとても美しかった。いまは世界中どこにもである凡庸なお洒落が目立つようになってしまったけれど。





…………


マルク・リブーが日本を訪れて撮った写真をもういくつか貼り付けておこう。これらは1958年ーーわたくしが生れた昭和33年ーーのものかどうかはわからないけれど。






















これらの写真を眺めていると、なんだかひどく「痛く」なるのさ
未来のある人たちの顔付きだな、
この先もっと生活がよくなることをしっかり信じているんだよ。
で、それはどこに行ってしまったんだろ?




2014年10月29日水曜日

「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)

柄谷行人は福島原発事故後、3ヶ月経たときのインタヴューで次のように語っている。

【柄谷】最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。

 日本の場合、低成長社会という現実の中で、脱資本主義化を目指すという傾向が少し出てきていました。しかし、地震と原発事故のせいで、日本人はそれを忘れてしまった。まるで、まだ経済成長が可能であるかのように考えている。だから、原発がやはり必要だとか、自然エネルギーに切り換えようとかいう。しかし、そもそもエネルギー使用を減らせばいいのです。原発事故によって、それを実行しやすい環境ができたと思うんですが、そうは考えない。あいかわらず、無駄なものをいろいろ作って、消費して、それで仕事を増やそうというケインズ主義的思考が残っています。地震のあと、むしろそのような論調が強くなった。もちろん、そんなものはうまく行きやしないのです。といっても、それは、地震のせいではないですよ。それは産業資本主義そのものの本性によるものですから。([反原発デモが日本を変える])


その後も日本では、《世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか》という真の課題を忘れてしまえる「出来事」が続出した。たとえば第二次安倍政権樹立、米中韓国との軋轢、ネオナチ猖獗など。

中井久夫は、バブル時代にすでに日本の「引き返せない道」を書いている。

一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。

2000年にも「親密性と安全性と家計の共有性と」と題して、中井久夫はこう書いている。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。

この文のベースにある考え方は次の文にあらわれている。

ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。

今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。
(……)

冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)

これはジジェクにも、ベルリンの壁の崩壊による東西間の「まなざし」がなくなってしまったという語り口によるほぼ同様の見解の文がある。

私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。

そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)

そして現在、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。これはジジェクと同じラカン派であるベルギーの精神分析医Paul VerhaegheがGuardian(ガーディアン 2014.09.29) にて"Neoliberalism has brought out the worst in us"「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎した」という主張と同じ文脈のなかにある。もっともVerhaegheの見解は、新しい「文化のなかの居心地の悪さ」、--ただ「政治的」というよりは、個人と組織とのネガティブスパイラルという面への照射ーーに傾くものだが。それはこの短く書かれたガーディアンの記事ではなく、Capitalism and Psychology Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent(PaulVerhaeghe) に詳しい。

人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである。(ニーチェ『偶像の黄昏』「箴言と矢」12番 原佑訳)

21世紀になって、われわれはみな「イギリス人」になってしまっている。

It was Nietzsche who observed that “human beings do not desire happiness, only the Englishmen desire happiness”- today’s globalized hedonism is thus merely the obverse of the fact that, in the conditions of global capitalism, we are ideologically “all Englishmen” (or, rather, Anglo-Saxon Americans…)ZIZEK"LESS THAN NOTHING")

どこかの「経営コンサルタント」が文科省の有識者会議にて提案して話題になっているG型大学とL型大学ーーG型大学はGLOBALのG、L型大学はLOCALのLーーもこの「イギリス人」の流れのなかにある。だがそれは「われわれに最悪のものを齎す」とまでは言わないでおこう、旧制高校時代のエリート主義の復活的要素の提案の芽もあると受け取るのなら、それは単純に否定されるべきものではないとも言いうるのだろうから。

蓮實重彦)エリート教育をやったほうが、左翼は強くなるんですよ。エリートのなかに絶対に左翼に行くやつが出るわけですよね。

(……)ところがいまは、エリート教育をやらないで、マス教育をやって、何が起こるかというと、体制順応というほうに皆行っちゃうけどね。(『闘争のエチカ』)

さて中井久夫の文に戻れば、困難な時代を生き抜くには「家族」しかないよ、という趣旨の主張だ。

今、家族の結合力は弱いように見える。しかし、困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。石器時代も、中世もそうだった。家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味の性ではなくて、広い意味のエロスでよい。同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済である。「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性とがあればよい。家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである。二一世紀の家族のあり方は、何よりもまず二一世紀がどれだけどのように困難な時代かによる。それは、どの国、どの階級に属するかによって違うが、ある程度以上混乱した社会では、個人の家あるいは小地区を要塞にしてプライヴェート・ポリスを雇って自己責任で防衛しなければならない。それは、すでにアメリカにもイタリアにもある。

困難な時代には家族の老若男女は協力する。そうでなければ生き残れない。では、家族だけ残って広い社会は消滅するか。そういうことはなかろう。社会と家族の依存と摩擦は、過去と変わらないだろう。ただ、困難な時代には、こいつは信用できるかどうかという人間の鑑別能力が鋭くないと生きてゆけないだろう。これも、すでに方々では実現していることである。

いずれにせよ、20世紀には異様なことが起こったであり、前世紀初頭のヒトの数はわずか20億だった。






              (「今までに存在した世界人口累計」より)


こういった状況下で(急激な少子高齢化で)、社会保障制度(年金制度など)はまともに存続できるわけがない。大和総研の「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(2013)には、1970年に就業者9人で高齢者1人を支える制度として始まった社会保障制度は、《90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である》と記述されている。

高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)。
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。


ドイツのように移民人口が多い国でさえ、付加価値税率19%でありつつ、年金破綻の懸念にひどく憂慮している。左翼勢力が相対的に強いだろうフランスでも、すでに、《80年代以降、政府は(政権の左右を問わず)女性が家庭に戻るように仕向け、この分野への予算を削減しようとの思惑から、政策方針を大幅に転換した。》(「子供か仕事か、欧州女性たちのジレンマ」 アンヌ・ダゲール)


たとえば、これはここでの文脈とは異なり、男女の賃金格差の図であるが、この図を見ると男女賃金格差は、フランス、イタリアは改悪している(差が広がっている)ことがわかる。





フランスやイタリアの状況は、おそらくもっと詳しく、--たとえば移民女性の賃金などを顧慮してーーデータを見なくてはならないという議論もあるだろう。だがそれはここでは脇にやる。

いずれにせよ、欧米諸国には「移民」という強い味方ーーもちろん移民排斥運動はあることを知らないわけではないがーーがあるにもかかわらず、社会保障制度のいままでどおりの継続は困難だと推測しているわけだ。




たとえば、ドイツ。

現在ドイツでは、出生率が1.34 (McDonald 2007)、日本では1.32(全国保育団体連絡会・保育研究所2007)とほぼ同レベルであり, 両国とも深刻な状況にある。その一方で、ドイツと日本における平均寿命の上昇は、両国の高齢者年金制度に深刻な影響をもたらしている。高齢者人口の増加と出生率の低下により、日本同様、ドイツも財政的に困難な状況に直面しており、この変化に対応するために様々な政策が導入されている。(「男女不平等とワーク・ライフ・バランス: ドイツにおける社会変化と少子化問題」(アンドレア・ゲルマー/バーバラ・ホルトス 2007)


少子高齢化はドイツも日本も似たようなものだが、他方、ドイツの消費税(付加価値税)はこんな具合だ。



                  (三井住友銀行による






各国の合計特殊出生率推移は、次の通り。






これをみると、韓国は日本以上に驚くべき状況であることが窺われる(韓国の年金制度のありようは「資料:韓国の自殺率と出生率」を見よ)。上の図には中国のデータはないが、2013年に発表された大和総研の「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」には次のような記述がみられる。

少子高齢化が進展している日本が社会保障システムや政府財政の持続性に問題を抱え、制度疲労に対して喫緊の改革を迫られている点は周知の事実だが、中長期的にみると高齢化は日本に限った話ではなく、世界共通の課題である。ただ、国によってそのスピードが大きく異なることから、高齢化への取り組み方も変わってこよう。

国連の推計に基づくと、いずれの国の中位数年齢(年齢順に並べ、全人口を 2 等分する年齢)も年を経るにつれて上昇していく。例えば、2010 年時点の日本の中位数年齢は 44.7 歳であり、先進国平均の 39.7 歳を大きく上回り、ドイツ(44.3 歳)やイタリア(43.2歳)に近い。それが 2020 年には 48.2 歳、2050 年には 52.3 歳に上昇し、世界における超高齢社会のフロントランナーのポジションは譲らない。他方、高齢化の進展が相対的に遅いドイツやイタリアの場合、2050 年時点でも中位数年齢は 49 歳代にとどまる。

これに対して、 日本の後ろ姿を急速に追いかけてくるのが中国である。 世界最大の人口 (2010年時点 13.4 億人)を抱える中国の場合、2010 年の中位数年齢は 34.5 歳と先進国平均を 5 歳ほど下回っていたが、2020 年には 38.1 歳、2050 年には 48.7 歳へ大きく上昇すると予想される。

つまり、日本の中位数年齢が 40 年間で 7.6 歳上昇するのに対して、中国は同じ期間で 14.1 歳(四捨五入の関係で上記の年齢の差分とは一致せず)と 2 倍近く上昇する計算である。一方、中国に次ぐ人口 12.2 億人を抱えるインドの中位数年齢は 2010 年時点の 25.1 歳から 2020 年には28.1 歳、そして中国を抜いて世界最大の人口(16.9 億人)を抱えるであろう 2050 年には 37.2歳に達すると予想されている。40 年間で 12.1 歳上昇するものの、発射台が低いだけに 2050 年時点でも世界のなかで相対的に若さを保っていよう。

中国の高齢化が急速に進むとみられる背景の一つは、1979 年から導入されている“一人っ子政策”であり、同政策によって出生率は急激に低下した。同時に経済発展によって死亡率が低下した結果、人口ピラミッドの形がいびつになってきた3。2010 年時点で中国の 65 歳以上人口が全人口に占める割合 (高齢化比率) は 8.2%に達し、 経済発展の途上段階で人口構造の成熟化が進んでいる。高齢化に伴う社会的コストが増える一方で、その費用を負担する現役世代の伸び率が鈍化している状態であり、今後中国では現役世代の負担感が大幅に高まっていくと予想される。

具体的に、高齢者人口(65 歳以上)を生産年齢人口(現役世代、15~64 歳)で割った老年人口指数を求めてみると、 2010 年時点では 100 人の現役世代で 11 人の高齢者を支えていたが、 2020年には 17 人、2050 年には 42 人を支えることになり、約 4 倍の負担になる。今後の中国は、これまでの 2 桁台の高い成長率から質の伴った安定成長へスムーズにシフトするという目標を実現しながら、社会保障制度など膨張する費用を賄わなければならない。例えば、子どもが 1 人しかいない家庭では高齢者介護が大きな負担になるために、年金補助制度などを強化していく方針であるという。

ちなみに、 日本において高齢化比率が中国の 2010 年と同じ 8.2%を上回ったのは 1977 年であった。中国の現在の経済規模は日本を抜いて世界 2 位だが、1 人当たり名目 GDP(2010 年時点)は 4,400 米ドル程度であり、 1977 年当時の日本の 1 人当たり名目 GDP6,100 米ドルを下回っている。この間の生活水準や物価の変化を考えれば、その格差はより大きい。単純な比較はできないが、中国では人々の生活が豊かになる前に高齢化が始まっている。

ここでもう一度、中井久夫の文を反芻しておこう、《私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた》と。


国民負担率の国際比較





西欧諸国に比せば、国民負担率を上げる余地が、日本にはあることがわかる(その具体的な方法は、消費税増ということになるのだろう)。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(岩井克人

※参考
日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)より)

参考2:「貨幣」から読み解く2014年の世界潮流(岩井克人)

これまで日本は、GDP比200%以上という巨額の債務残高にもかかわらず、長期金利がほとんど上がらなかった。その理由は、失われた20年で良い融資先を失った日本国内の金融機関が国債を保有していることもあるが、同時に「消費税率を上げる余地がある」と市場から見られていたことも大きい。社会保障を重視する欧州では20%を超える消費税が当たり前なのに、日本はわずか5%。いざ財政破綻の危機に瀕したら、いくら何でも日本政府は消費増税で対応すると考えられてきたのだ。

 消費増税は、もちろん短期的には消費に対してマイナスだろうが、法人税減税などと組み合わせれば、インパクトを最小限に抑えることができる。重要な点は、消費増税によって財政規律に対する信頼を回復させ、長期金利を抑制することだ。実際、消費増税の実施が決定的となった昨年9月には、長期金利は低下した。

現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。

このような議論をすると、「1997年に消費税を3%から5%へ引き上げたあと、日本経済は不況に陥ったのではないか」との反論が上がる。しかし当時の景気減退は、バブル崩壊後の不良債権処理が住専問題騒動で遅れ、日本が金融危機になったことが主因である。山一證券や北海道拓殖銀行の破綻は、小さな規模のリーマン・ショックだったのである。

また、「消費税は弱者に厳しい税だ」という声も多い。だが、消費額に応じて負担するという意味での公平性があり、富裕層も多い引退世代からも徴収するという意味で世代間の公平性もある。たしかに所得税は累進性をもつが、一方で、「トーゴーサン(10・5・3)」という言葉があるように、自営業者や農林水産業者などの所得の捕捉率が低いという問題も忘れてはいけない。


こんななかでいわゆる「左翼」の活動家はいまだこんなことをオッシャッテおり(「経済なき道徳は寝言」)ーーたまたま半年ほどまえ拾ったものであり、お二人にはなんのウラミもないが、「左翼」の典型的ツイートとして掲げさせてもらうーー、それを正義の味方として振舞いたいらしい左翼だかリベラルだかの学者センセまでRTしておられる。

河添 誠@kawazoemakoto

・「消費税増税で低所得層に打撃になるのは問題だと思うけれど、今の日本の財政では云々」という人へ。前段の「低所得層への打撃」だけで、消費税増税に反対するのに十分な根拠になるはず。なぜ、財政を理由に低所得層の生活に打撃になるような増税が正当化されるのか?この問いにだれも答えない。

・「消費税増税にはさまざまな問題がありますが、財政の厳しい状況では仕方ないですね」と、「物わかりよく」言ってみせる人たち。低所得層の生活が破壊され、貧困が拡大する最大の政策が遂行されるときにすら反対しないのかね?まったく理解不能。

※河添誠氏のプロフィール欄

《NPO非営利・協同総合研究所いのちとくらし研究員・事務局長/首都圏青年ユニオン青年非正規労働センター事務局長/都留文科大学非常勤講師。非正規労働者・低い労働条件の正社員と失業者の生活支援・権利拡充のために活動中。反貧困たすけあいネットワーク、反貧困ネットワーク、レイバーネット日本の活動なども。》

藤田孝典@fujitatakanori:

・みんなが社会手当を受けたら、国の財源がなくなるという人々がいる。それはウソ。それなら欧州の国々はとっくに破綻している。

・ 財源が足りないという理由だけで、国民の生存権や社会権を剥奪していいなら、法秩序は崩壊する。

※藤田孝典氏プロフィール欄

《ほっとプラス代表理事。反貧困ネットワーク埼玉。ブラック企業対策プロジェクト共同代表、生活保護問題対策全国会議、福祉系大学非常勤講師。著書『ひとりも殺させない』》(「偽の現場主義が支える物語的な真実の限界」より)


こういった「左翼」の消費税増反対などというものは、《文句も言えない将来世代》への残忍非道の振舞いではないか(参照:アベノミクスと日本経済の形を決めるビジョン)。

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)

80年代の消費税導入の遅れ、90年代にいっそうの消費税増が遅れたからこそ、現在、いっそうひどい財政危機に瀕し、いま弱者たちの首をいっそう絞めているのではないか、――とまでは言わないでおくが、「左翼」の連中は、未来の他者への心配りがまったく欠けた経済音痴どもの集まりではないかと疑わざるをえない。90年代におけるあれら「左翼」の弱者擁護の名目での「誠実で正義感溢れる」姿勢・活動が、いまの急激な「格差社会」成立にかなり貢献しているのではなかろうか。

彼らの経済的弱者への「共感」による合意(コンセンサス)は、今ここにいる者たちの間でのみの合意であり、未来の経済的弱者への配慮はなされない。90年代に「未来」であったその弱者は、2014年の今ここに多数いる。その苦境に大いに貢献したのではないか、あの正義の味方「左翼」の連中は。

…ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P191-192)

真のラディカル左翼であるなら、消費税を西欧諸国なみに挙げる提案を支持し、そこから、たとえばベイシックインカム制度が夢物語であるなら、フリードマンの「負の所得税」などを変奏して提案していくべきではないだろうか。

負の所得税とは所得に関係なく一定の税率を一律にかけ、 基礎控除額を定めることでそれを上回った者から所得税を徴収し、下回った者は逆に所得に応じた負の所得税を払うものである。負の所得税とはすなわち政府からの給付金である。

基本税率 40 パーセント、基礎控除額が年収 200 万円だとすると 年収 1000 万円の者は基礎控除額を超過している 800 万円が課税対象となり 40 パーセントの 320 万円を所得税として支払う。
年収 200 万円の者は基礎控除額を上回りも下回りもしないため所得税を支払わない。

年収 100 万円の者は基礎控除額 200 万円を 100 万円下回るためマイナス 100 万円が課税対象となり、40 パーセントのマイナス 40 万円を支払う。つまり政府から 40 万円を受け取る。この 40 万円が負の所得税である。

つまりまったく収入が無い者はマイナス 200 万円の 40 パーセントである 80 万円を受け取ることになり、これが最低レベルの所得の者に支払われる生活保護額となる。(「再分配方法としての負の所得税」ネット上PDFよりーー「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)

もちろん消費税増の導入の景気停滞の影響は顧慮しなくてはならないということはある。

消費税が3%から5%に引き上げられた1997年の景気動向については、アジア通貨危機(7月)、金融システムの不安定化(11月)という大きなショックに日本経済が見舞われたため、消費増税そのものの影響だけを析出するのは容易ではない。(社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書説明資料(第Ⅱ部)  平成23年5月30日東京大学大学院経済学研究科長吉川洋

現在、消費税が5%から8%の影響も存外大きいままなのかもしれない。とはいえ、そうであるなら、8%→10%を遅らせるべきなのだろうか。

私は「消費税引き上げの影響は存外に大きい可能性がある」という見方です(植田和男先生とたぶん同じ)。ただし、目先の景気と将来の負担との比較の問題で、目先の痛みは大きいとしても、それをしなかったときの将来の痛みはもっと大きいと考えています。(池尾和人氏ツイート)
消費税率10%への引き上げ見送りが、日銀の政策への最大のリスクになる(黒田東彦日銀総裁インタヴュー
現在、2015年に消費税率を10%に上げることの是非が議論されているが、私は毎年1兆円規模で肥大するといわれる社会保障費の問題を考えても、10%への増税は不可避であり、将来的にはそれでも足りないと思っている。むしろ、アベノミクスの成功に安心して10%への増税が見送りになったときこそ、長期金利が高騰し、景気の腰折れを招くことになるだろう。(岩井克人

とはいえ、アベノミクスなどなんの成功もしていないじゃないか、という反撥もあるだろう。ではどうしたらいいのか? それなしでいたずらな政策否定ではなしのつぶてである。

結局、あれらの「左翼」も「イギリス人」である。イギリス人とは、経済合理主義者の謂であり、短期的な「快」のみを求める。彼らの「快」は、中長期の視点をなおざりにし、いまこの場でのみ「庶民的な正義の味方」として振舞うことだ。それさえできれば「後は野となれ山となれ!」、--そうでなかったなら、どうしてあのような寝言を言いうるのだろう、ーー《財源が足りないという理由だけで、国民の生存権や社会権を剥奪していいなら、法秩序は崩壊する》などと。

われわれは、真の「糞便」をしっかり観察すべきだ、その「糞便」にある甚だしい病気の兆候を見逃して、「うんこ」の臭いのみ鼻を抓む習慣はそろそろやめなければならない。

西洋におけるトイレのデザインの三つの基本型は、レヴィ=ストロースが考えた調理の三角形(生、焼く、煮る:引用者)に対応する、排泄の三角形を構成している。伝統的なドイツのトイレは、排泄物が消えていく穴が前のほうについているので、便は水を流すまで目の前に横たわっていて、われわれは病気の兆候がないかどうか、臭いをかいで調べることができる。典型的なフランスのトイレは、穴が後ろのほうについているため、便はすぐさま姿を消す。最後にアメリカのトイレはいわば折衷型、つまり対立する二極の媒介で、トイレの中に水が満ち、便が浮くが、調べている暇はない。(……)

 ドイツ-フランス-イギリスの地理的三角形を三つの異なる実存的姿勢の表現と解釈した最初の人物はヘーゲルである。ドイツの反省的徹底性、フランスの革命的性急さ、イギリスの中庸的な功利的実用主義。政治的スタンスの面でいえば、この三角形はドイツの保守主義、フランスの革命的急進主義、イギリスの穏健な自由主義と解釈できる。社会生活のどの面が優性かという点からみると、ドイツは形而上学と詩、フランスは政治学、イギリスは経済学だ。トイレを考えてみれば、排泄機能の実践という最も身近な領域にも、同じ三角形を見出すことができる。魅了され、じっくりと観察する、曖昧な態度。不快な余剰をできるだけ速やかに排除しようとする性急な姿勢。余剰物を普通の物として適切な方法で処理しようとする実用的なアプローチ。(ジジェク『ラカンはこう読め』)


…………

さて冒頭、柄谷行人の発言の引用で始めたのだ。彼はその後、2013年の講演で次のように発言していることを付記しておこう。

「世界の現状は、米国の凋落でヘゲモニー国家不在となっており、次のヘゲモニーを握るために主要国が帝国主義的経済政策 で競っている。日清戦争 後の国際情勢の反復ともいえる。新たなヘゲモニー国家は、これまでのヘゲモニー国家を引き継ぐ要素が必要で、この点で中国 は不適格。私はインド がヘゲモニーを握る可能性もあると思う。その段階で、世界戦争が起こる可能性もあります」
 「現実政治を知らなすぎると言って、私の言うことを笑うかもしれませんが、『来るべき戦争』がやってきた時に、私の言ったことを認めざるを得ないでしょう」

債務危機の解決策は、《増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルト》しかない。戦争かデフォルトを選択する戦略なのだろうか、あれらの「左翼」たちは。北野武は、日本という国は一度亡んだほうがいい、という意味のことをどっかで言っていたが、内心「デフォルト」志向なのだろうか。

アタリ氏は「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」と言う。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」とも述べている。(……)

現にアタリ氏自身も「(公的債務に対して)採用される戦略は常にインフレである」と述べている。お金をたくさん刷って、あるいは日銀が吸収している資金を市場に供給して貨幣価値を下げ、借金をチャラにしてしまいしょう、というわけだ。(資料:「財政破綻」、 「ハイパーインフレ」関連

…………

ーーなどということをわたくしが書いても致し方ないのだが、たぶんこういうことは「海外住まい」の消費税増があろうがなかろうが関係ない者のみが言える特権であるのかもしれず、実際すぐれた経済学者も、アベノミクス導入以前には、「逃げ切れるか」、などとオッシャッテイタわけだ。

むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)(ある財政破綻のシナリオ--池尾和人2009.10ーーアベノミクスの博打


2014年10月28日火曜日

「私の母の淫らな頸」 粒来哲蔵

--死の総量ってどのくらい?と私は母に尋ねた。そうね、青梅の
種子の胚ほどよ、--と母は答えた。じゃその胚の重さは?とかさ
ねて問うと、母は少し間を置いてから、子猫の爪ほどよ--と笑っ
答えた。

粒来哲蔵『侮蔑の時代』(花神社、20140810日発行)の扉にある「青梅雨(つゆ)」という短い詩である。そのまま「帯」にも使われているそうだ。わたくしが新しい詩に廻り合うのは、ほとんど谷内修三氏のブログ「詩はどこにあるか」での紹介のみであるーーいや、「のみ」とは大げさであり九割方としておこう。新しく詩集を手にとることは、ない。

粒来哲蔵は、192815日生まれ。今年、86歳になる。『荒地』参加者の一番若い詩人が、高野喜久雄(1927年 - 2006年)だったようで、高野氏と一歳違い。だが粒来氏は、戦後、福島で小学校教員をしばらくしたあと、上京して『歴訪』同人となっているそうだ。詩から受ける印象は『荒地』の仲間たちであるように感じられるが、鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明などのよく名の知られた詩人たちよりはすこし遅く生まれている。だが遺言執行人の世代であるには相違ない。


たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
——これがすべての始まりである。

死んだ男」より  鮎川信夫


《死に直面した人間、多くの仲間を失った人間は、もし一メートル右にいたら、自分も死んだかもしれないという偶然を、決してないがしろにはできないだろう。たとえ、それから一年たち、あるいは二〇年たっても、それは同じことである》(黒田三郎)

これは七〇年たっても同じことである。


以前、同じ谷内氏のブログで粒来哲蔵の「あるいは樽のようなものであるかも知れぬ」からの引用を読んでびっくりした。それまでは名も知らなかった。

 背景ともども白くぼやけた写真の中で、笑っている女がいる。もち
ろん女の笑いそのものもぼやけていて、指を口もとに当てているよう
には見えるが、指をとると肝腎の口がない、唇がない。在るのは笑い
だけであって、みているとその含み笑いがいつのまにか弾けるような
哄笑になり、ぼやけた背景の隅々にまで細かい縮緬状の小皺を作って
いる。
 笑いが消えると、写真のどこにも女はいない。後には女のいた証拠
に、さびれた女の古里がせり出して来て、崩れかけた分教場の机の上
に女の口と唇がのっている。

この詩を読んで鳥肌が立つほど打たれたのは、リルケの世界のなかのみの衝撃ではなく、まさに日本のおそらく戦争時の風景のなかでーーわたくしの母の女学校時代の懐かしい写真にあるかのようにーー、《顔を剥がれた血みどろの頭部がむき出しになっている》のを見た気になったせいか。

だがあの女。あの女には驚いた。彼女はすっかり考えごとに沈んで、前のみりにからだを折りまげ、手に顔を埋めていた。それはノートルダム・デ・シャンの通りのかどだった。ぼくは彼女を見かけるとすぐ、足音を忍ばせた。あわれな人々が考えごとをしているときには、そのじゃまをしてはならない。それでも、たぶん彼らはすぐ気づいてしまうのだ。

その通りにはまるで人影がなかった。いわばその空虚さ自体が退屈さのあまり、ぼくの足もとから足音を抜きとって、木靴なんぞのように、それをからころともてあそんだ。女は驚いて顔を上げたが、それはあまり急激な動作だったものだから、顔が両手のなかに残ってしまった。ぼくにはそれが両手のなかに、くぼんだ鋳型のように残っているのが見えた。ぼくはこの両手にだけ目をそそいで、この両手からむりやりひき放されたものを見まいとして渾身の力をふりしぼった。顔をその裏側から見るというのは、むろん恐ろしいことだったが、顔を剥がれた血みどろの頭部がむき出しになっているのを見るのは、もっともっと恐ろしいことにちがいなかった。(リルケ『マルテの手記』)

実は雷に打たれたようなとてつもない心持になったのは、ほかにも理由があるのだが、ここでは書きたくない。崩れかけた分教場の机の上の女の口と唇、ーーこれがいけない。

ところで処女詩集『虚像』(1956)に収められた「射程」にはこうある。

私の肩には古風な銃が掟のようにのつている。この引鉄をひくことは容易ではなかろう。第一私はこの銃を好いていない。これを私に遺したのは私の祖父である。祖父はこの銃で妻を撃ち自らも死んだ。以来白い標的は絶えず私の目の前に動いている。それは季節はずれのダリアであり、私の母の淫らな頸である。
 私は、この銃をかつて試みたことがない。何故なら私はこれが私の意に抗つて、射角を途方もなく拡げることを懼れるからだ。事実これには死角がない。つまり一切の事物がこの銃の背後に隠れることを許されていないのだ。死角であるべきところには、いつも母が佇つているが、それは酷く私の指をためらわせるので、母は永劫に死ねないだろう。
 ある日、私は立木を背にして、見定め得ぬ虚空の一点にこの銃を擬していた。と忽ち単純な波動が枯葉を巻いて私の脚に衝き当り、私の疑意を一層根深いものにした。銃口は確かに下降しつつあり、逆に私の位置は堆土の上に被いかぶさつた一枚の幕布のように思われた。すると私の場を囲んで荒々しい跫音がきこえ、私はその中に、私の祖父の咳の音も聞きとつたのだ。

処女詩集からそうそう《私の母の淫らな頸》と出てくる、《季節はずれのダリア》とともに。それは《白い標的》なのだ、いつまでも消えずに繰り返し現われるーー。ダリアは「心臓の音/ダチュラ」(村上龍)だ。


ここで高橋睦郎の70歳の誕生日をめぐる詩を挿入しておく。

おかあさん
ぼく 七十歳になりました
十六年前 七十八歳で亡くなった
あなたは いまも七十八歳
ぼくと たったの八歳ちがい
おかあさん というより
ねえさん と呼ぶほうが
しっくり来ます
来年は 七歳
再来年は 六歳
八年後には 同いどし
九年後には ぼくの方が年上に
その後は あなたはどんどん若く
ねえさんではなく 妹
そのうち 娘になってしまう
年齢って つくづく奇妙ですね

ーー「奇妙な日」(高橋睦郎)


86歳の詩人粒来哲蔵が謳い呟く「母」を、もういくらか抜き出してみよう。

              男の夢の中で、母は前掛をしめ忙し
く立ち動いていた。母は男の好きなカドの腹を裂いて竿にかけ一夜
干しを作っていた。母の膝の近くにカドの入ったバケツがあり、母
はカドをつかんでその腹に指を入れていた。卵が散り、母の顔にう
ろこがはねた。母は笑っていた。この時も夢の中で男は母に駆け寄
った。カド臭い前掛が頬に触れた。
 
ーーカドとはにしんのことだそうだ。にしんの腹を指でまさぐり卵がはじける、そして母の笑い、にしんの臭い。エロチックでありながら、タナトスもある。正月前ににしんの昆布巻きをつくるのだけは欠かさないようにしたわたくし自身の「母」の顔が、遠くからやってくる。

次は莟を潰してかるい破裂音のしたあと、その先から漂う淡い香りにうたれ、しかも手触りが天竺鼠の赤子の肌の感触に似ている、と。そして少年が匂いにうっとりしていると母に見咎められる、とある。小胞をつぶしてーーたとえば、にきびをつぶしてーーその先から何かが飛び出すのは、フロイトによれば、すべて手淫のかわりであり、それは淡い香りでも同じである。だが、母に見咎められるのは自慰でしかないなどという妄想に耽るフロイト頭は追っ払わなければならない。

 花が風になびいてうつ向き顔で揺れていた。少年は花のおののき
の中で、まるで花のしぶきを浴びたように立ち尽くした。ふと、手
はそれら紫の花の一本に触れた。少年は花はそのままに、指先で莟
をはさんでそっと潰してみた。莟は崩れ、崩れ際にふっというかる
い破裂音を残した。少年は莟の先から漂う淡い香りにうたれ、莟の
手触りがいつか母が与えてくれた天竺鼠の赤子の肌の感触に似てい
る--と思われた。少年はまだ香りの残る指先をみつめていたが、
その様はすぐに母に見咎められた。(「五月雨桔梗」)

次のは「妄執 2」と題されているが、その前の「妄執 1」には「作家故梅崎光生氏に」と副題があるる。その詩には「母」は出現しないが先に引用しよう。巨木と女の舌愛好家であるわたくしには引用しないままですませることはどうしてもできない。

妄執は人を殺す。たとえば熱帯のある種の蔓は、恰好の巨木の幹
に凭りながらそれを巻き、巻き攀じて成長し、身をひねり、ねじり
にねじって遂に宿主の巨木を悶死させるという。
 腐ったまま菌類の餌食と変り果てた巨木の骸の洞から、どうかす
ると当の蔓の新芽の葉先が、木洩れ日を浴びてくねくねと体をくね
らせながら、なおも新たに身を委ねるに適わしい頃合の樹幹を探る
姿勢を見ると、それはもはや妄執としかいいようがない。
 見るがいい、新芽の葉先はまるでどこそこの女の光る舌のようだ。
もしかすると巻かれ巻かれて巨木は愉悦のうちに倒壊したのではあ
るまいか……。
月夜だった。鎌の形の月の下で男は歯を磨かねばと思った。男は
上衣の内ポケットから歯ブラシを取り出そうと幾分身をかがめ、手
間どりながらも歯ブラシを引き出そうとした--がその時、俘虜監
視の米兵が、男が拳銃を取り出す仕草と見てとった。彼の銃が鳴り、
男の手の中のうす青い歯ブラシの柄は粉砕した。弾丸は男の胸を貫
き、男は血反吐を吐いて死んだ。米兵が来て男の屍を見下ろしてか
ら靴先で男を転がした--歯は磨けずじまいだった。

さてこうして、「妄執2」の《おっ母、うめえよ》を続けることができる。

         手首程の太さもある牛蒡は、それでいて柔らか
で、男は故郷の母への手紙でそれを誇ろうとさえ思った程だった。
捕虜達は黙って牛蒡を噛んでいた。
 幸い大方の牛蒡はうす紫色の花をつけ、収穫期には相当の嵩をも
たらした。引き抜いてみた牛蒡の土を手でこそぎ、男はそれを火に
くべて焼き牛蒡にして食ってみた。芳香は男の腹にしみた。--おっ
母、うめえよ、と男は呟いた。(「妄執 2」)

次の「冬瓜」には「母」は出てこない。そのかわりに《老いて病み衰えた女の下半身》が出てくる。

そのうち老いて病み衰えた女の下半身は、泥田につかった日の記
憶そのままに重かった。女は終生貧しかったから、生家の誰彼の侮
蔑に長く耐えたが、あえてそれを咎めることはなかった。痩せた手
にかって冬瓜車を曳いた感触はまだ残っていて、女はひとりふふ、
と笑う日もあった。
 女が死を迎えた時、一人残った女の息子は母の好みの冬瓜汁を作っ
てみた。冬瓜の薄切りを淡く煮て、片栗粉でとろ味をつけた。それ
は歯応えのないもので腹を満たしはしなかったが、何故か息子には
懐しく思われた。
--利根の堤下の枯芦の上に、冬瓜様のうす青い月が出ていた。


そして「静かな木々」。谷内修三氏が書いているように、実に美しい。静けさが美しい。北国で独楽が澄むのをみつめる子供たちのまなざしも美しいがーー《つち澄みうるほひ/石蕗の花さき》(室生犀星) ーー、《遠い森の木々の木肌を撫でるような目で私を見や》る母も美しい。

北国の子供達は、独楽の回りが頂点に達し、一瞬静止したかのよ
うな様相を示すと、独楽が澄んだ--といってはしゃぐ。すると澄
む前の回転、或いは澄んだ後の崩れに至る袴の乱れた舞い姿にも似
た回転は、子供達は何と呼んだのか、私に記憶はない。
 子供達は澄んだという形姿以外の独楽の在り様を、何とも名付け
ていなかったのではないか。
                         彼らは実に
静かにつかまる。手にしてからもこちらの指を噛むこともせず、不
意に飛び立って逃げることもない。彼らは交尾以外の些事にかまけ
ることはない。おそらく彼らにとって人の手に捕われ死を目前にし
ても、その死もまた些事と観じているかのようだ。彼らは静寂の時
を知っている。
母に蜻蛉の話をしたら、母は遠い森の木々の木肌を撫でるような
目で私を見やっただけだった。人と人との間にも独楽に似た蜻蛉に
似た静寂の時間は創り得るのか、と実は尋ねたかったのだが、止め
にした。母の瞳の中で木々の肌が互いに寄り合い擦り合い、玄妙な
微音を奏でているのが感得されたからだった。全ての葉の落ちた木々
の木肌の風に寄り添って触れあう一瞬のおののきに鳴る音、その音
が深まるにつれいや増しに増していく森の静寂--。若い母の内の
ほとばしるものの一瞬の静止、静寂。

一瞬の静止、静寂。-- 《だがぼくはそれを十分に聞いただろうか》


静けさはいくつものかすかな命の響き合うところから聞こえる
虻の羽音  遠くのせせらぎ 草の葉を小さく揺らす風

いくら耳をすませても沈黙を聞くことは出来ないが
静けさは聞こうと思わなくても聞こえてくる
ぼくらを取り囲む濃密な大気を伝わって
沈黙は宇宙の無限の希薄に属していて
静けさはこの地球に根ざしている

だがぼくはそれを十分に聞いただろうか
この同じ椅子に座って女がぼくを責めたとき
鋭いその言葉の棘は地下でからみあう毛根につながり
声には死の沈黙へと消え去ることを拒む静けさがひそんでいた

ーー谷川俊太郎「夕立の前」の二連から四連まで(五連まであるが、ここでは割愛)。


と引用したところで、谷川俊太郎は何年生まれだったかと調べてみると、1931年12月15日生まれであり、粒来哲蔵より三年若いだけである。

粒来哲蔵の詩は、辛抱強く待たれたあとふたたび戻ってきた掛け替えのないもののみが歌われている、とわたくしは思う。21世紀も10年以上過ぎて、こういった詩に廻り合えたことの僥倖、ーーその紹介者に感謝しなければならない。

谷内修三氏は、この粒来哲蔵の「静けさ」に打たれてかどうか、次のような詩を書いている。

…………

大通りから路地に入るときの、  谷内修三

大通りから路地に入るときの匂いが好きだ。
雨が上がって、光がケヤキの葉っぱに集まってきて、
輝きながら落ちていくとき空気の中の静けさが匂う。

大好きな本の、何度も何度も傍線を引いて読んだことばを、
また思い出すために読むときのよう。

…………

路地にはいり込んでゆくときの感覚、その静かな懐かしい歓びに包まれる思いが、慈しんだ言葉に出会うために本を開くときの感覚の比喩と重ねられて、しっとりと謳われている。木の葉が光りに輝き、路地に入ってしばらくすれば、生活のにおいも濃密さを増し心地よさに浸ることができる。ここには「一瞬よりはいくらか長く続く」刻限がある。また、ひとは本を開くまでもなく、たとえば少年時代に愛でた本の背表紙を撫でさするだけでも、路地に入ってゆく思いがすることもあるだろう。

きょうの私自身は、見すてられた石切場にすぎず、その私自身はこう思いこんでいる、この石切場にころがっているものは、みんな似たりよったりであり、同一調子のものばかりだと。ところが、そこから、一つ一つの回想が、まるでギリシアの彫刻家のように、無数の像を切りだすのだ。私はいおう、――われわれがふたたび見る一つ一つの事物が、無数の像を切りだす、と。たとえば本は、その点に関しては、事物としてこんなはたらきをする、すなわち、その背の綴目のひらきかたとか、その紙質のきめとかは、それぞれそのなかに、りっぱに一つの回想を保存していたのであって、当時の私がヴェネチアをどんなふうに想像していたか、そこに行きたいという欲望がどんなだったか、といったことのその回想は、本の文章そのものとおなじほど生き生きしている。いや、それ以上に生き生きしているとさえいおう、なぜなら、文章のほうは、ときどき障害を来たすからで、たとえばある人の写真をまえにしてその人を思いだそうとするのは、その人のことを思うだけでがまんしているときよりも、かえってうまく行かないのである。むろん、私の少年時代の多くの本、そして、ああ、ベルゴット自身のある種の本については、疲れた晩に、それらを手にとることがある、しかしそれは、私が汽車にでも乗って、旅先の異なる風物をながめ、昔の空気を吸って、気を休めたいと思ったのと変わりはなかった。しかも、求めてえられるその種の喚起は、本を長くよみつづけることで、かえってさまたげられることがあるものだ。ベルゴットの一冊にそんなのがある(大公の図書室にあるそれには、極端にへつらった俗悪な献辞がついていた)、それを私は、ジルベルトに合えなかった冬の一日に読んだ、そしていまは、あのように私が愛していた文章を、そこからうまく見つけだすことができない。いくつかの語が、その文章の個所を私に確信させそうだが、だめだ。私がそこに見出した美は一体どこへ行ったのか? しかしその書物自身からは、私がそれを読んだ日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

わたくしは三十過ぎに、しばしば京都の街中の人通りがすくない路地を選んで、ひとりで歩き回った。そして錦市場近くのお気に入りの店で食事をしたり、ちょっとした買い物(魚の干物や漬物など)をするのをひどく好んだ。顔馴染みになった女将さんたちの上品な笑顔がノスタルジーの甘美な痛みとともに浮かんで来る。あの路地廻り当時は、ある個人的な幻滅があって人恋しさでいっぱいだったということもある。

さらに言えば、ここでは「路地」の作家中上健次は持ち出さないでおくことにするが、路地は、エロスの、母胎回帰の場所でもある。ベンヤミンは、「女と本はベッドに連れこむことができる」という古い俚諺を持ち出し、娼婦と書物との関係をめぐる考察をしていたそうだ。彼にとってパリは、「知」と「性」とが錯綜した絡まり合いを示す街にほかならなかったのであり、《実際、パリを「遊歩」するとは彼にとって、巨大な女体の秘部をまさぐることでもあった。/内蔵の中にいると私たちがどれほど安堵するものかということを知りたければ、眩惑されるままに、暗いところが娼婦の股ぐらにひどく似ている街路から街路へ入り込んでいかねばならない》(松浦寿輝)と。

次のように金井美恵子が書くとき、女陰の「不気味さ」と「懐かしさ」を、そこに読んだっていいだろう。

腐敗した水のにおいだけではなく、路地の家々の壁には小便のにおいがしみついていて、粘り気のある有機質のにおいに混じったきな臭いアンモニアのにおいが充満してもいるのだ。腐敗した牛乳の匂いに似た、皮膚の表面から分泌する、汗や脂や腋臭の粘り気のあるにおいと、食物が腐敗して行く死の繁茂のにおいが建物の中庭に咲いているジャスミンと薔薇のにおいと混じりあり、甘ったるい吐き気のする睡気になって私の身体を包囲する。(金井美恵子『沈む街』)

《俺はどこにもいない。それが機嫌のいいときの口癖だった。そのあとにはかならず、路地はどこにでもある、という言葉が続いた。》(四方田犬彦『貴種と転生 中上健次』)

やはりフロイト的妄念をいたずらに忌避するのはやめて、彼に少しだけお出まし願おう。

神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』著作集3 P350)

…………


《思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れられた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。》

だが詩というものは、若いころに書いたものにろくなものはない。それには待つということが大切だ。そうして一生かかって、それもたぶん長い一生を倦まずたゆまず意味と甘味とを集めねばならない。その果てにようやくたぶん十行の良い詩を書くことができるのであろう。なぜなら、詩はひとの言うように感情ではない(感情ならはじめから十分あるわけだ)、――それは経験なのだ。一行の詩句を得るためには、たくさんの都会を、人間を、物を見なければならない。けものたちを知り、鳥の飛び方を感じ取り、朝小さな草花のひらく身ぶりを知らなければならない。はじめての土地の、なじみない道のことを、思いがけない出会いや、もう久しくその近づいてくるのが見えていた別れを思い出すことができねばならない、――まだよく意味が明らかにされていない幼年時代のことを、また、両親がぼくたちをよろこばせようとして持って来たものが、ぼくたちにはなんのことかわからず(それはほかの子どもならよろこぶにちがいないものだった)、両親の心を傷つける破目になってしまった思い出や、じつに奇妙な始まり方をして、思いがけない深い重い変化を伴う子どもの病気のことや、ひっそりとつつましい部屋のなかですごす日々のことを、海辺の朝を、海そのものを、多くの海のことを、高い天空をざわめきながら、星々とともに飛び去って行った旅の幾夜さのことを、――そしてたとえ幸いにも、そういう一切のことを思い出すことができても、それはまだ十分ではない。ひとはまた、どの一夜も他の夜に似ることのなかった多くの恋の夜の思い出を持ち、陣痛にあえぐ女たちの叫びと、産み終えてかろやかに、しろじろとして眠っている女たちの思い出を持たねばならない。しかしまた、死んで行く人々の枕辺にはべり、死んだ人とひとつの部屋にすわって、あけた窓から高くなり低くなりしながらきこえてくる外の物音に耳傾けた経験がなくてはならない。そして思い出を持つだけでも、まだ十分ではない。思い出が多くなれば、それを忘れることもまたできなければならない。忘れられた思い出がいつかふたたび戻ってくる日を、辛抱強く待たねばならない。なんとなれば、思い出はそれだけでは、まだ何物でもないのだ。それがぼくたちの内部で血となり、まなざしとなり、身のこなしとなり、名もないものとなって、もうぼくたち自身と見分けがつかなくなってはじめて、いつかあるきわめてまれな時刻に、ひとつの詩の最初の言葉が、それらの思い出のただなかから立ちあがって、そこから出て行くということが考えられるのだ。。(リルケ『マルテの手記』)


ーーとしばらく前に書いてほうってあった。いまいくらか削った。途中、書いてあったことを消し去り、「書きたくない」とした。谷内氏が紹介する粒来哲蔵のもうひとつの母の詩をそのかわりに掲げよう。「石の声」という詩である。

--ひとはどうも身の内に湖を蔵しているのではあるまいか。近
頃少し傾けばその湖、つまりわが内在湖の水が鳴り、水が何処そこ
から洩れ出て来るように思われる。まず転倒すれば膝裏でごほごぼ
と水音がする。かがめば背胸骨の中でちりちりと水音がして、耳孔
から鼻孔から水がこぼれ出す。女を抱けば当然迸るものが、橅の
落葉の下水程にやわやわと哀しくこぼれ出る……。身の内ばかりで
はない。心情の傾斜にも内在湖はいちいち波立ち、静まって、果て
は温い靄さえ吐き散らす。
内在湖の水際に母といた。私は母の背に負われていて、その母の
踝は水に浸っていた。母の脛の影が湖にのびていて、その小揺ら
ぎが私の目に眩しかった。負われたまま私は二三歩進み、母の背か
らずるずると水に落ちる気配だった。
           -と母は両手で抱えあげて私
を元の背に戻してくれた。私はいやいやをしたようだった。抱え上
げる母の手を拒んでやや乱暴に湖に降り立ったと思う。私が手で水
を掬い砂粒を掻き集めていた間、母はゆったりと靄につつまれ、湖
面を撫でるようにして遠去かって行った。私の手からひとりでに砂
がこぼれた。
母の死は私の知らぬうちにやって来た。母は庭先で猫と戯れなが
ら死んだのだ。不意に猫が奇妙な声をはりあげたから、猫は母の死
の到来を知っていたのだ。母が自らの死を認識する前に、死の方は
猫に予告し、伝達さえしていた。
父は変哲もない小石を一つ、真綿にくるんでマッチの空箱の中に
収い置いたのを私に遺した。遺したくて遺したものでもあるまいが、
どう叩いても割れる代物ではなかった。私は時折その石を耳に当て
がうことがある。




2014年10月27日月曜日

ギリシャ人を装うこと

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー『幻影の哲学者ニーチェ』山口誠一からの孫引きーー聖者と道化、あるいはニーチェとラカン

さて、ギリシヤ人になることとは、どういうことであろうか、ギリシア人の仮面を被ってみるということは? 《ふと何ごとかが起こりそうな気配を察知し、到来すべき「シーニュ」の予兆に身をまかせ》ることと蓮實重彦は書くが、これはすぐさま器官なき身体、蜘蛛になることを想起させもする。にもかかわらず、この仮面をかぶった元東大総長は、その同じドゥルーズ追悼文にて次のようにも言っている。

プラトン的でないものにプラトンを「接ぎ木」することを選び、哲学史を放棄すること。それがドゥルーズの一貫した姿勢であることは、ギリシャ哲学を深くきわめたことのない者の目にも明らかである。にもかかわらず、その事実があっさり無視され、「リゾーム」や「器官なき思考」、あるいは「戦争機械」だの「遊牧論」だの「襞」だのといった言葉ばかりで彼の思考が語られがちなのは、いったいどうしてなのか。人びとは、ドゥルーズに欺かれているのだろうか。そうではない。彼の思考の中に「一気に身をおく」ことだけが必要とされていながら、誰もがその身振りを自粛してしまうのだ。

おわかりだろうか、接ぎ木の姿勢を。その刻限をーー、《この小径は地獄へゆく昔の道/プロセルピナを生垣の割目からみる/偉大なたかまるしりをつき出して/接木している》(西脇順三郎)




もちろん巧みに接ぎ木をするには、「神々しいトカゲ」の舌のゆらめく閃光の刻限、「一瞬よりはいくらか長く続く間」、それなりの準備をする必要があるのはよく知られている。

《まだこの坂をのぼらなければならない/とつぜん夏が背中をすきとおした/石垣の間からとかげが/赤い舌をペロペロと出している》(西脇順三郎)




「ただ この子の花弁がもうちょっと/まくれ上がってたりら いうことはないんだがね」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)

ジョルジョ・アガンベンによると、狂宴(サバト)のただなかにサタンの肛門に接吻をしたと審問官に訴えられた魔女たちは、「そこにも顔があるから」と応えたそうだ。

ところで、〈あなた〉がいくら謹厳居士であろうとも、いまどきこの程度の画像貼り付けるだけで、《驚愕した陶器の顔の母親の口が/赭い泥の太陽を沈めた》(吉岡実)ーーなどというたぐいの人物ではあるまい。母親が驚愕したのは《子供の臀に蕪を供え》られたせいであるが、それさえいまでは陳腐化してしまった。

そもそもひとは現役まっさかりなら、こんなものは貼り付けはしない。蕪の硬質さがめっきりおとろえた初老の男が玩味するたぐいのものである。わたくしにあるものは「距離のパトス」である。

ほしいままにエロスの中に浸りえ、その世界の光源氏であった男はそもそも詩を書かないのではないか。彼のエロス詩には対象との距離意識、ほとんどニーチェが「距離のパトス」と呼んだものがあって、それが彼のエロス詩の硬質な魅力を作っているのではないだろうか。(中井久夫「カヴァフィス論」)

で、何の話だったか。そう、器官なき身体の話である。器官なき身体やら蜘蛛やらをぐたぐた論じるのではなく、蜘蛛になること、蜘蛛の巣に一気に身をおくこと、《生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまること》。それが〈あなた〉に求められることだ。

しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。(……)そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。……(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「狂気の現存と機能――クモーー」の章)

とはいえ、蓮實重彦が《ものの形の、音調の、言葉の崇め人》、恩寵=音調のひとであるかどうかは、議論の余地があるだろう。が、彼の文章は、巷間に輩出する解釈のみに汲々とするのみの「誠実で真摯な」論文とは異質の言葉で成り立っていることは間違いない。

《知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。》(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

ギリシャ人を装うことーーあえて「ギリシャ的」であることーーでドゥルーズの思考がまとうことになる豊かな拡がりがどんなものか、(……)だが、その豊かさ、哲学者としての彼が、ギリシャ人たちの思考をそっくり自分のものとしていたが故に可能になったものと理解してはなるまい。

たとえば、ヘーゲルもハイデッガーも、その時代のその土地にはぐくまれた思考に深く通じていたし、哲学の誕生とギリシャとの関係にも充分すぎるほど意識的だった。だが、ギリシャに投げかける視線を彼らと共有しあう意志などこれっぽちもないと『哲学とは何か』のドゥルーズはきっぱり宣言する。何かにつけて、ギリシャ哲学の起源を求めずにはいられない精神というものが、彼には我慢ならないのである。

(……)ギリシャ哲学との関係は、ドゥルーズにとって、「歴史としてというより、生成として、……本性においてというよりはむしろ恩寵として」考えられねばならない。そう口にする言表の主体が「マルクス主義者」であろうはずもない。

とはいえ、「恩寵」の一語を、世界を超越したものがもたらす願ってもない特典、予期せぬ喜ばしい報酬といった程度のことと理解してはなるまい。ふと何ごとかが起こりそうな気配を察知し、到来すべき「シーニュ」の予兆に身をまかせているとき、あたかもその姿勢が導きだしたかのように、ただその瞬間にのみ、嘘としか思えぬ身軽さで現前化するできごと、それだけが「恩寵」の名にふさわしいものなのだ。哲学がギリシャに生れたのは、「恩寵」のような瞬間をうけとめるにふさわしい大気の流れといったものが、その時代のその土地んいみなぎっており、それに進んで身をまかせる者がいてくれたからなのだ。「偶発的」なものを「絶対的」なものへと変容せしめるものがこの「恩寵」のほかならず、もちろん、そこにはいかなる神学的な色彩も影を落としてはいない。いずれにせよ、「起源」といった言葉で「生成」に背を向けるドイツの哲学者たちに、ドゥルーズはきっぱりと顔をそむける。

あたかもギリシャ人であるかのように振る舞うドゥルーズが、この二十世紀末のヨーロッパであれこれ思考をめぐらせていた姿を思い描こうとするとき、われわれもまた「恩寵」の一語を口にせずにはいられない。ドゥルーズとプラトンの出会いは、哲学の歴史が必然化する時空に位置づけられるものというより、それを遥かに超えたところで、あたりの大気の流れに触れた者が、その表層に走り抜ける感知し得ないほどの変化にも同調せずにはいられないときに出現するできごとにほかならない。そのとき、そこにみなぎっている朗らかさは、例えば、「ライプニッツ主義者」には微笑みかけないが、「ライプニッツとともにある」存在には微笑みかける。それは、「マルクス主義者」には微笑みかけはしまいが、「マルクスとともにある」存在にはあまねく微笑みかけるだろう。思考は、そのようにしてしかできごととはなるまい。そこには、文字通りの「襞」がいくえにもおりこまれてゆくのであり、そのかぎりにおいて、「われわれは、なおライプニッツ的な存在である」と口にできるのである。

「恩寵」としてのドゥルーズ。彼を哲学者と呼ぶべきか否かがもはや問題となりがたい時空に、「一気に身をおく」こと。だが、哲学は、その「恩寵」に向けて投げかけるべき視線に恵まれていたことなどあるのだろうか。(蓮實重彦 ドゥルーズ追悼文『批評空間』1996Ⅱ-10)


 この蓮實重彦の一見して、徹底的なドゥルーズ顕揚とでも読める文章を「額面通り」とる阿呆はいまどきいまいが、二十一世紀はフローベールの時代にもまして「愚かさは進歩する」(フローベール)の時代ではあり、やはり次のように同じ『批評空間』のに前号に掲載された談話を附記しておくことにする。

◆『批評空間』1996Ⅱ-9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰/柄谷行人)より

蓮實)孤島のロビンソンが、なぜきれいな奥さんと結婚して、子供をふたりもつくるの(笑)。これはもう無頼漢ですよ。それで、浅田さんはドゥルーズが「偉大な哲学者」だと、もちろん誠心誠意おっしゃているんだろうけれども、どこかずるいと思ってない?

浅田)そりゃ、思ってますよ(笑)。

蓮實)あんなことされちゃ困るでしょ。この20世紀末にもなって、いけしゃあしゃあとあのような著作を書いて、家族なんてものはなくていいというような死に方をする。あの図々しさというか、いけしゃあしゃあぶりというものは、哲学者に必須のものなんですか、それとも過剰に与えられた美点なんですか。だってあんな人が20世紀末にいるのは変ですよ。ぼくはデリダよりドゥルーズのほうが好きですけれども、その点では、デリダにはそういうところは全くなくて、一生懸命やっている。フーコーがいるというのもよくわかる。しかし……。

浅田)フーコーは同時代にドゥルーズがいるから自分が哲学者だとは決して言わなかった。哲学者はドゥルーズだから。

蓮實)いいんですか。ああいう人がいて、浅田さん。

浅田)あえて無謀な比較をすれば、ぼくはどちらかというとガタリに近いほうだから、ああいう人がいてくれたのはすばらしいことだと思いますよ。

蓮實)しかし、彼はそれなりにひとりで完結するわけですよ。許せますか、そういう人を(笑)。ぼくは、浅田さんがドゥルーズを「偉大な哲学者」だと言っちゃいけないと思う。そうおっしゃるのはよくわかりますよ。わかるけれども、やっぱり否定してくださいよ。

浅田)でも「彼は偉大な哲学者だった」というのは、全否定に限りなく近い全肯定ですよ。否定するというなら「最も偉大な哲学者」として否定すべきだろう、と。

蓮實)どうしてきっぱりと否定しないの? さっき言ったことだけど、とにかくドゥルーズは確実にある問題体系を避けているわけです。それを避けることで「哲学者」としてあそこまでいったわけですからね。そうしたらば、それは悪しき形而上学とはいいませんけれども……。

浅田)「偉大な哲学」である、と。

蓮實)浅田さんが「偉大な哲学者」とおっしゃることが全否定に近いということを理解したうえでならばいいけれども、その発言はやはりポスト・モダンな身ぶりであって、いまでははっきり否定しないと一般の読者にはわからないんですよ。

浅田)いや、一般の読者の反応を想定するというのがポスト・モダンな身ぶりなのであって、ぼくは全否定に限りなく近い全肯定として「ドゥルーズは偉大な哲学者だった」と断言するまでです。

ただ、たとえばこういうことはありますね。さっき言われたように、ドゥルーズとゴダールは、言葉のレヴェルにおいては非常によく対応する。ただ出来事だけがある(eventumtantum)というのは、たんにイマージュがある(juste une image)ということですよ。しかし、ドゥルーズは、ゴダールがそのイマージュを生きているようには、出来事を生きていない。ぼくはゴダールは絶対的に肯定しますけれど、ドゥルーズは哲学者として肯定するだけです。

蓮實)うん、そこを言わせたいのよ(笑)。

浅田)そんなの自分で言ってくださいよ(笑)。

蓮實)だから浅田さんにとっては、ドゥルーズは一般的に偉いけれども、特異なものとして見た場合はやはりゴダールを取るでしょう。

浅田)絶対にゴダールを取ります。

蓮實)そうしたらば、ドゥルーズに対してもう少し強い否定のニュアンスがあってもいいと思う。

浅田)でも「偉大な哲学者」というのは最高に強い否定のニュアンスでもあるわけですよ。たとえばニーチェは哲学者ではないが、ハイデガーは哲学者である。それで、ゴダールがニーチェだとしたら、ドゥルーズはしいてどちらかといえばハイデガーなんです。

蓮實)ただし、ドゥルーズにとっての美というのは、ハイデガーのそれと全く違いますけれどもね。それともうひとつ、やはり彼は20世紀の両対戦間からその終わりまでに至って哲学は負けたと思っているのは明らかです。何に負けたかというと、実はゴダールではなくて、ジャン・ルノワールに負けている。ジャン・ルノワールが、風の潜在性からこれを顕在化することをやってしまっている、と。

浅田)ベルグソンを超えてしまったんですね。

蓮實)そう、超えてしまった。ぼくがいちばんドゥルーズに惹かれるのは、そこまで見た人はいなかったということです。不意に不ノワールが出てくるでしょう。それでルノワールに負けているんですよ。おれの言ったことをもう全部やってしまている、と。

浅田)『物質と記憶』とほとんど同時に映画が生まれた。で、映画が哲学を完成してしまったんですね。

蓮實)そうです。それも、だれが完成したかというと、ゴダールではなくて、ルノワールなんです。それでもなお「偉大」ですか。

浅田)だから、たかだがそんな哲学だといえばそれまででしょう。でも、ほかにそんな哲学者がいます?(笑) フーコーは、自分は歴史家だと言わねばならなず、デリダだって、自分は物書きだと言わねばならない。しかし、ドゥルーズは単純に、私は哲学者であると言ってしまうんですからね。そして現にハイデガー以後はドゥルーズしかいないでしょう。



            (DELEUZE, GODARD, MARLON BRANDO)

さて、おわかりであろうか、この画像を貼り付けた意味合いが? ここでいささか親切心をだしてそれを明かすのなら、すなわち「なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?」であり、また次の如くの意味である。

何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ、という性質の話の筈。偉そうにTwitterでどっちもどっち論を繰り返し、動いているのは指先のみ。いま大学人がいかに信用失墜しているか新聞でも眺めればわかる筈なのに、そのざまか。民衆は学び、君を見ているぞ、「ケンキューシャ」諸君。(佐々木中ツイート)




シツレイした、ケンキューシャ君だけでなく、学者センセたちをも含めた〈あなたがた〉を子ども扱いして。

その画面を指差して、ほら、このイメージをよく見なさいといった押しつけの姿勢が感じられることです。つまり、強調という作業が行われているわけで、それは、私にとっては、観客である人間の聡明さというものに対する信頼のなさをしめすものであるような気がする。観客を、ちょっと子供のようなものとして扱い、さあ、これに注目しなさいといっているようなものです。(テオ・アンゲロプロス 蓮實重彦インタヴュー集『光をめぐって』所収)


と、ここまでのところは、目新しい発見など何ひとつ含まぬごく貧しい日常の再確認にすぎない。物語は勝利するという物語の、一つの変奏を提示したまでのことであって、とりたてて詳述するにもおよぶまい退屈な現実であろう。というより、現実をいかにして回避しつつ生をなし崩しに消費してゆくかという退屈きわまりない自分自身の物語がくり返されているまでだ。この罠という善意の虚構装置が、時代によって、またその無意識の捏造者が属する文化形態によっていくつもの異なった名前を持っているという点も、また衆知の事実であろう。もう昔の話なので憶えている人もいまいあの「アイデンティティ」の危機だの確立だのといった神話も、そんな名前の一つであったはずだ。個人の生活史の上でも集団の歴史という側面においても、その危機的状況の克服の契機として「アイデンティティ」の概念が重要な役割を演ずるとまことしやかに語られていた時代はさいわい遠い昔のこととなってしまったが、しかしそれに類する物語は尽きることなく生産され続け、それとはまるで違った顔をした、たとえば「モラトリアム」などと称する神話としていまもしたたかに生きているのかもしれない。物語は、間違いなく勝利するのだ。

とはいえ、いまはもう忘れてしまったものからつい先刻覚えたばかりのものまで、そんな一連の名前を列挙しながら、いささか冷笑的に、あるいは道化のけたたましい闖入ぶりによって虚構の歴史をたどりなおして悦に入っていられる時代ではない。それぞれの虚構にはそれなりの有効性はそなわっていたし、だいいちそれはまごうかたなき現実として罠たりえもしたのだから、いまさら愚痴っぽくあれこれ批判めいた言葉をつぶやいてみてもはじまらないと思う。さしあたっての急務は、善意の虚構へのほとんど普遍化されたといってよい確信が、普遍的であることに見あった希薄さであたりに漂いでた結果、罠の捏造者自身をはじめその直接=間接の共犯者たちから何を奪ったか、またいまも奪いつつあるかを明らかにしてみることにある。罠でもない装置を罠として思い描き、それにだけは足をとられまいとして身がまえる仕草が希薄に連帯されることで捏造してしまった善意の装置は、邪悪なるものとして想定された装置が現実のものであった場合に持ちえたであろう残酷さにもおとらぬ残酷さで何ものかを奪うが故に罠なのだが、その装置が、欲望から何をかすめとっているかを生なましく触知することこそが問題なのである。なぜ欲望からなのかと問うものがいるなら、ごくぶっきらぼうに生からと呼びなおしてもかまわない。だが、呼び名などはこの際どうでもよろしい。善意のものであれ悪意のものであれ、とにかく虚構は、その構築の過程できわめて具体的に生きた何ものかを犠牲に供することなしには虚構たりえないのだから、いま、この瞬間、虚構が現実にいかなる犠牲を提供せよと迫っているのか、その力学を捉えることこそが必要なのだ。力学、といってもことはきわめて曖昧である。虚構を生きつつあるものが放棄せざるをえない自分自身の一部、それを無理にも手放すことの痛みを緩和し、犠牲を犠牲としては意識させない何やら麻薬めいたものまでがそこに含まれてもいるからだ。善意の罠の真の恐しさは、何よりもまず、それが大がかりな忘却装置として機能してしまう点にある。


絶望と饒舌

では、誰もが驚くべき執着のなさで放置することでその忘却装置を機能させてしまう自分自身の一部とは、 何なのか。欲望から、あるいは生から不断にかすめとられつつありながらその痛みする感ずることのないものとは、いったい 何なのか。

何か 。その何かをこれ だと口にすることほど容易なはなしはないし、同時にそれほど困難なこともまたとあるまい。では、なぜ容易であり、かつまた困難なのか。まず、その何ものかをこれだとあっさり指摘しうるものは、指摘しつつある自分が虚構の物語の語りつがれる圏域の外部に位置していると確信しなけれならないということがある。つまり、自分はその物語に醜く汚染してはいないが故に装置にはいかなる犠牲をも提供してはおらず、したがって多くのものが信じがたい素直さで譲りわたしているものが 何であるかを明確に識別することができるという確信が存在する。この確信を共有することはきわめて容易であろう。事実、多くの人が口にする「批判」とか「分析」なるものはその種の確信から生まれ落ちてくるものだ。だが、汚染せざる自分への確信があたりにばらまく「批判」的言辞や「分析」的思考、それが、いま「批判」し「分析」しつつある物語の言葉によってしか語られえないという点を便利に無視しているという意味で、この圏外者の指摘ははじめから抽象たるべく運命づけられているといえる。しかもこの手あいの抽象にもそれなりの物語がそなわっていて、間違いなくあの偉大なる忘却装置の中枢に据えられた歯車としてせっせとまわり続けているのだから、それは何もいわずにおくことと選ぶところがないわけだ。にもかかわらず あれだ、これだと指摘してまわらずにいられない言葉たちを、無償の饒舌と名付けよう。忘却装置の円滑なる機能ぶりを促進すべく放棄する自分自身の一部を これだと名付けることが、容易さと困難さとをともに生きざるをえないとしたら、それが無償の饒舌たるほかはないとあらかじめ決定されているからである。だから何かと問うことそのものが、そもそも無効なのである。

無償の饒舌を避けるにはどうするか。問うことの無効性を自覚するに至ったものは、まず絶望を選ぶだろう。それが真剣なやり方というものだ。だが、実はその真剣な絶望すらが装置の潤滑油にすぎないのである。いま、欲望から、生から、かけがえのないものが不断にかすめとられている。そのかすめとられた貴重なる 何かを目指そうとして、いくつもの言葉を口にしてもそれは言葉であることをやめてしまう。その失語意識、その記憶喪失は文字通り絶望的といってよい。こうしているうちにも奪われてゆくかけがえのない自分自身の一部を的確に言語化しようとすると、その言葉さえが奪われてしまうという二重三重の困難。だが、人はこの困難にたやすく絶望するみちを選んでしまってはならないのだ。

絶望を回避すること。それには希望を持つといったことが有効な手段とはなりがたい。希望などと口にして新たな罠に陥ることなく、何でもよろしい、ただあっけらかんとした風情で適当な一語をつぶやいてみる。それが、真に奪われた言葉であるかどうかは問題ではない。とりあえず一言、たとえば 肯定することとでも口にしてみるだけで充分だ。そして、かれにその一語が人から言葉を奪うあの忘却装置にこそふさわしいと思われようと、奪われかすめとられた一語がまさに 肯定の一語にほかならなかったかのように振舞えばよろしい。人が絶望するのは、いま、 肯定することが禁じられているからだと思い込むふりをすること。口実はなんでもよろしい。 価値の多元化とやらがその元凶だとでも信ずるふりをしておけばよい。それが無償の饒舌にいささか類似し、すんなりと装置に吸いこまれてしまいそうでも気にすることはない。そもそも世にいう記憶回復の儀式など貧しい抽象にすぎないし、その記憶という奴にしてからが、完璧な再現などを自分からこばむもっともいいかげんで荒唐無稽なものなのである。嘘だと思うならマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読んでみるがよい。欠落した記憶の切れはしを難儀しながら拾いあつめ、それで総体としての記憶が回復するなどと信じている人がいたとするなら、この小説は、そんな人間の鼻さきに、ただもう荒唐無稽というほかはない充実した過剰としての記憶が、畸型の動物めいたけもの臭さをふっとはきかけてくれるにちがいない。だから、いまはさしあたって、欠落した記憶を回復せんとする試みにならって失われた言葉を生真面目に探し求めたりせず、とりあえず選ばれた 肯定の一語こそがそれだと信じ込む演技を徹底的に演じきってみることだ。そうすることで真剣な絶望をひとまずかわし、物語に汚染しきった無償の饒舌をも模倣したりしながら、まさに物語自身の言葉で、忘却装置の機能のために自分が犠牲にしたものが何であるかを口にすればよい。肯定の一語が物語の秩序に従って自分になりかわり次の一語をつぶやいてくれるだろう。で、その次の一語とは 何であろうか。

その一語は何であろうか。それを耳にするには、何も物語の圏外に身を置く自分を確信する必要はない。むしろ積極的に装置の一部として機能しながら物語の圏域にとどまり、その続きを心待ちにする様子などしてみればもう充分だ。装置にさからうには、間違ってもその総体を破壊しようなどと目論んではならない。その総体がますます円滑に連動しかねぬ歯車のようなものへと自分を畸型化させても涼しい顔をしていること。肝腎なのは、戦略的に倒錯すること、そして倒錯に耐えうるだけの柔軟さを見失わずにおくことだ。倒錯すべき正統的な理由など求めてはならない。とりあえずの契機さえありさえすれば、もう心配はいらないだろう。ザッヘル=マゾッホを想起してみるまでもなく、倒錯とは、きまって戦略的なものではなかったか。(蓮實重彦「倒錯者の「戦略」」『表層批判宣言』所収)


まさか、わたくしにその一語を書け、というほどには、〈あなた〉は阿呆ではあるまい。その一語がなにであるかわからないなどというほど不感症ではあるまい。ここではその一語を書き記すなどというはしたない振舞いは避けるのが〈あなた〉を信頼するひとつの礼儀正しいあり方だろう。そんな厚顔無恥な仕草に身をさらすのではなく、もっともらしく無償の饒舌に耽るのみの手合いーー彼らには戦略的倒錯に身をまかせることにも、ギリシア的時空に一気に身をおくことにもまったく無縁であるかにみうけられるがーーそういった連中への嘲弄の言葉を「世間を真に受けぬための積極的な方法」より再掲して並べておくだけにする。

みずから言説を担っているつもりの「主体」が、より大きな時代の言説の一部ともいうべきものの一部としてほどよく分節化されてしまうという事態が、いたるところで起きている(……)。実際、率先して自分の言葉を語っているはずなのに、実はそれが他人の言葉の反復にすぎず、しかも、そのことに無自覚なまま、みずからを言説の「主体」だと勘違いしてしまうという滑稽な錯覚が広く共有され、誰ひとりとして、そのことを滑稽だと思わなくなっているのです。それは、権利の行使と思われていたものが、知らぬ間に大がかりな義務の達成に貢献してしまうという近代独特の皮肉な表現に他なりません。(「知性のために」 蓮實重彦)
どこかで小耳にはさんだことの退屈な反復にすぎない言葉をこともなげに口にしながら、 なおも自分を例外的な存在であるとひそかに信じ、 しかもそう信じることの典型的な例外性が、 複数の無名性を代弁しつつ、 自分の所属している集団にとって有効な予言たりうるはずだと思いこんでいる人たちがあたりを埋めつくしている。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
すでに書かれた言葉としてあるものにさらに言葉をまぶしかける軽業師ふうの身のこなしに魅せられてであろうか。さらには、いささか時流に逆らってみせるといった手あいのものが、流れの断絶には至らぬ程度の小波瀾を戯れに惹起し、波紋がおさまる以前にすでに時流と折合いをつけているといったときの精神のありようが、青春と呼ばれる猶予の一時期をどこまでも引き伸ばすかの錯覚を快く玩味させてくれるからであろうか。(蓮實重彦『表層批評宣言』)
・同じ主題をめぐり、同じ言葉を語りうることを前提として群れ集まるものたちのみが群衆といいうやつなのだ。彼らが沈黙していようと、この前提が共有されているかぎり、それは群衆である。P7

・説話論的な磁場。それは、誰が、何のために語っているのかが判然としない領域である。そこで口を開くとき、人は、語るのではなく、語らされてしまう。語りつつある物語を分節化する主体としてではなく、物語の分節機能に従って説話論的な機能を演じる作中人物の一人となるほかはないのである。にもかかわらず、人は、あたかも記号流通の階層的秩序が存在し、自分がその中心に、上層部に、もっとも意味の濃密な地帯に位置しているかのごとく錯覚しつづけている。P27

・制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在はしないが機能する不可視の装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それがこの章に冒頭で触れておいた現代的な言説なのである。その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こそが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが、『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者たちは、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。P50(『物語批判序説』)

おわかりだろうか、これらの振舞いだけはやめにしなければならぬ。ギリシア人であることを装うーーわれわれはニーチェやゴダールのように真のギリシヤ人ではありえないとしたら、次善の策は、ドゥルーズや蓮實重彦のようにギリシア人の「仮面」を倒錯的につけることだ。





樫村晴香がいみじくもドゥルーズ批判の論文で最後にポツリとドゥルーズ顕揚の言葉を語っているように、「音楽を聴くように」対象と接すること。それが蜘蛛になることである。

例えばニーチェの永劫回帰は、 Dz の「理論構造」から判断する限り、永劫回帰の隠喩として受容‐処理されているが、現 実には、Dz はすべての言説を、隠喩ではなくそれこそ「音楽を聴くように」、または小説の エクリチュールを読むように、「半覚醒的に」受信していたのだろう。そしてその感覚があれ ばこそ、意味作用を完全に確定することなく宙吊りにし、理論的分節を半ば未確定に開い たまま次々進み、個々の論点相互の差異へは鷹揚なまま、すべてを取り入れ絶え間なく 移動していく、増殖するエクリチュール‐小説のごとき彼の記述スタイルが可能になる。こ の半覚醒性において、意味作用は言葉が記憶=意味内容に十全に回付=変換される過程 にではなく、言葉に次の言葉が重なり、ずれ合い、その相互の差異が直接に生み出す共 鳴に、帰属する。子供が泣き、豚が叫び(キャロル)、Kの分身の学生が走り、廷丁が走る (カフカ)。意味はそれぞれの言葉がもつ記憶にではなく、言葉(セリー)相互の間の表層 にあり、それは反復される音楽のテーマ間の差異‐変奏、揺れる木の枝の一瞬ごとの差異 ‐移動と同じである。それは差異というより「微分」であり、その概念にこそ Dz の内発的感覚がある。(「dyssyntagmatismus者」たち、あるいはニーチェと樫村晴香

ロラン・バルトも言っているではないか。学者さんたちよ、「器官なき身体」について、がたがたピントはずれのことをもうこれ以上書かないでほしいと願う。

愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮かぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テキストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持ちになればいいのだ。私は必ずしも快楽のテキストに捉えられているわけではない。それは移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落ち着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(バルト『テクストの快楽』)

だが、「とはいえ」とする樫村晴香の言葉を、ここで〈あなた〉のためにつけ加えておくぐらいの親切心は、わたくしにはある。これが凡庸さというものだ、--《それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。》

……とはいえ現実にニーチェを直接読解しない者がおり、社会のほとんどの者が神経症者であるとすれば、哲学教師風の解説書はやはり必要なのだろうか? しかし事態はそのように単純でなく、Dz のある種の啓蒙的スタイル(確かにそのせいで彼の本はクロソフスキーの数倍読まれたが)は、彼が幻想(永劫回帰)に対してもつ、ニーチェとは異なる固有の位置関係に由来する(そしてこの問題の責は、結局ベルグソンに帰せられるべきように思われる)。(『ドゥルーズのどこが間違っているか? 強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点』)





事実そのとおりにあれらケンキューシャ諸君の不感症ぶりのなんというさま! なによりもまず解説書を書くことを書くことと勘違いしておられる! 《私たち他の者、私たち静穏なる者がヴァーグナーに欠けているのに気づくものに、どうして彼らが気づくことができようかーー悦ばしき知識 la gaya scienzaに、軽やかな足に、機智、熱火、優雅に、大いなる論理に、足の舞踏に、気力あふれる精神性に、南方の光のわななきに、滑らかな海にーー完全性に・ ・ ・》(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』)


ところで冷感症の女性は、男たちをわたり歩くそうだ。あのケンキューシャくんたちの好奇心の旺盛ぶりもそのたぐいではなかろうか、すなわち、あれやこれやと好奇心でいろんなことに頭をつっこむのは、オーガズムの経験がないせいではないか。

性興奮不全の冷感症のタイプの女性たちは、飽くことを知らない性的な欲求を持っているように見える。もし彼女らが超自我の抑圧に打ち勝つのなら、ひとりのパートナーから他のパートナーたちに渡り歩いていく、だが、ああ、なんという空しく! すなわち新しい経験が熱望されたオーガズムを齎してくれるのではないか、というわけだ。稀なケースでは、レイプ、鞭打や暴力の無理強いの様相を想定する限定されたファンタジーに拘わってのみ膣によるオーガズムが実現されることがある。(冷感症と支配欲動Bemächtigungstrieb

わたくしはここで親切心をさらに露わにして、鞭打ちや緊縛の画像は貼り付けるべきだろうか。いやいまはそこまでしてまで「恩寵」やら「オーガズム」を促すつもりはない。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

蛇足ながら、これらの文はわたくしが語っているのではない、ニーチェその人が、現代の温和な仔羊たち、〈あなたがた〉に--それはわたくしも含めたければそうしたらよいーー言っているのだ。

真に偉大な哲学者を前に問われるべきは、この哲学者が何をまだ教えてくれるのか、彼の哲学にどのような意味があるかではなく、逆に、われわれのいる現状がその哲学者の目にはどう映るか、この時代が彼の思想にはどう見えるか、なのである。(ジジェク『ポストモダンの共産主義  はじめは悲劇として、二度めは笑劇として』)

ところでラカンの娘婿であるジャック=アラン・ミレールもわたくしと同様、荒木経惟ファンであるのか、『A New Kind of LoveJacques-Alain Miller』なる記事に、アラキの画像が貼り付けてある。





ああ、こうやってその一語を口に出してしまった、しかも緊縛画像をも。これは、わたくしの凡庸さのなせる技である。

さて、ところでひょっとしてJudith Miller Lacanは、冷感症タイプなのではないか、とわたくしは疑わないでもない。








2014年10月26日日曜日

「美しい旋律にもまして趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない!」(ニーチェ)

ニーチェは最終的には『力への意志』という標題の書物を断念したという見解が有力で ある。 しかし、 「あらゆる価値の価値転換」 というモチーフは維持されていたと考えられて いる(大石紀一郎ほか編『ニーチェ事典』 (弘文堂、1995 年)の大石紀一郎氏による「ニ ーチェ年譜」および三島憲一氏による「さまざまなニーチェ全集について」参照) 。 『力へ の意志』 の標題が計画されていたことは、 本文中に引用した通り、 『道徳の系譜学』 の中で も記されているのであるから、 『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる。(ニーチェ『道徳の系譜学』における「無への意志」の階層性と両義性について 松田愛)

ーーという文章を読んだが、『道徳の系譜』における『力への意志』への言及は次の通り。

――もう沢山だ! もう沢山だ! われわれは最も近代的な精神のこの珍奇と複雑から眼を転じよう。それは滑稽であるとともに嫌悪すべきものである。(……)そうした事柄については、私は他の機会においてもっと根本的に、またもっと厳密に論及するつもりである(『ヨーロッパのニヒリズムの歴史について』という標題のもとに。これに関して私は、私の目下準備しつつある著作、すなわち『力への意志、あらゆる価値の価値転換の試み』を紹介しておく)。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p204)

松田愛さんの論に《『道徳の系譜学』 以後に計画の何らかの変更があったと考え られる》とあるが、ではどんな変更があったとするのか。「力への意志」概念には飽きてしまったのなら、なんのせいか、――こういった問いはどうでもよいかもしれないが、乗りかかった船ではあり、すこし探ってみることにしよう。

大いなる年、1888年が来る。『偶像の黄昏』、『ワーグナーの場合』、『アンチクリスト』、『この人を見よ』。あたかもニーチェの創作能力が激しくかき立てられ、崩壊に先立ってその最後の飛躍を遂げたかのように、一切は進行したのである。偉大な技量を示すこれらの作品においては、トーンさえも変化する。ある新しい暴力性があり、〈超人〉的なものが持つコミック性のように、新たなユーモアが見られる。(ドゥルーズ『ニーチェ』湯浅博雄訳 p24)

この大いなる年の作品、――ハイデガーも別の意味でだろうが、ニーチェのプラトニズムの転倒からの真の転回脱出が《ニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられた》(ハイデガー『ニーチェ』)と言っているーー、この、1889年初頭に狂気に陥る前年、かの大いなる年に書かれた著作に、『力への意志』を放り出すような痕跡がなにかあるのか。

芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく。私は(『芸術の生理学によせて』という標題の私の主著の一章において)以下のことを詳細に示す機会をもつであろう、すなわち、芸術の俳優的もののうちへのこの総体的変化は、まさにまぎれもなく生理学的退化の一つの現われ(もっと精確には、ヒステリー症状の一形式)であって、この点はヴァーグナーによって開始された芸術のそれぞれの頽廃や脆弱さも同様であり、その実例は、瞬間ごとに立場を変えるのに必要なこの芸術の観点の動揺においてみられることを。(ニーチェ『ヴァーグナーの場合』1888年のトリノ書簡  原佑訳p308)

というわけで、他にもあるのかもしれないが、『芸術の生理学によせて』という痕跡を見つけ出しただけでわたくしは満足しておく。大いなる年における文体の音調の変化については、ヘルダーリンとそれを解釈するアガンベンの言葉でも抜き出しておくことにしよう。

「すべてはリズムであり、あらゆる芸術作品が唯一のリズムであるように、人間の運命全体は、天上の一なるリズムである。そして一切は、神の吟唱する唇によって振動する……」(ヘルダーリン)

ーー《アガンベンはヘルダーリンを解釈して、「芸術作品」とは真理を開くための根源的な「空間」であると把捉する。この空間は、「人間という世界内存在の構造、および人間が真理や歴史と結ぶ関係の構造そのものが賭けられているような次元」を意味している》とのことだそうだ(マルティン・ハイデッガー『芸術作品の根源』×ジョルジョ・アガンベン『中身のない人間』)。

・この空間の中で初めて人間は、地上における自己の居住の根源的な尺度を測り、直線的な時間の途切れることのない流れの中に現存する自己の真理を見出すことができるのである

・芸術作品を経験する時、人間は<真理>のうちに、言い換えればポイエーシス的行為においてようやくヴェールを剥がされる始原のうちに直立しているのである」(アガンベン『『中身のない人間』)

おわかりであろうか、わたくしの伝えたいことが。ーーなんだと? まだわからないだと? ではしかたがない、くどくなるのを怖れないでもないが、こう引用しておこう。

・・・おお、このギリシア人たち! ギリシア人たちは、生きるすべをよくわきまえていた。生きるためには、思いきって表面に、皺に、皮膚に、踏みとどまることが必要だった。仮象を崇めること、ものの形や音調や言葉を、仮象のオリュンポス全山を信ずることが、必要だったのだ! このギリシア人たちは表面的であった。深みからして! そして、わたしたちはまさにその地点へと立ち返るのではないか、--わたしたち精神の命知らず者、わたしたち現在の思想の最高かつ最危険の絶頂に攀じのぼってそこから四方を展望した者、そこから下方を見下ろした者は? まさにこの点でわたしたちはーーギリシア人ではないのか? ものの形の、音調の、言葉の崇め人ではないのか? まさにこのゆえにーー芸術家なのではないか。(ニーチェ KSA 3,S.352ーー聖者と道化、あるいはニーチェとラカン


ところで上に引用した『ヴァーグナーの場合』には、《芸術家はいまや俳優となり、その芸術はますます虚言の才能として発達してゆく》とあり、「俳優」と語が出てくるが、この言葉をただひたすら嘲弄語彙と勘違いしてはならない。ニーチェの俳優の捉え方には両義性がある。

徳の俳優と罪の俳優。――徳のために有名になった古代の人々の間には、自分自身に対して俳優を演じた人々が数えきれないほど多数いたように思われる。ことにギリシア人は、根っからの俳優であるから、このことをまさしく全く無意識的に行ない、よいことだと思ったであろう。その上各人は自分の徳で、ある他人の徳または他のあらゆる人々の徳と競争していた。自分の徳を見せびらかすために、何よりもまず自分自身に見せるために、練習のためにさえも、あらゆる手段に訴えてどうしていけないのだろう? 示すこともできず、示し方を心得てもいな徳が何の役にたとうか! ――これらの徳の俳優たちを阻止したのは、キリスト教である。その代わりにキリスト教は、罪の不快な顕示と誇示を案出し、捏造された罪深さを世界にもちこんだ(今日にいたるまで、立派なキリスト教徒の間では、これが「上品な作法」と見なされている)。(ニーチェ『曙光』29番 茅野良男訳)

そして『ツァラトゥストラ』にはこうある。

・かれらのうちには自分で知らずに俳優である者と、自分の意に反して俳優である者とがいる。――まがいものでない者は、いつもまれだ。ことにまがいものでない俳優は。

・やめよ、おまえ、俳優よ、贋金造りよ、根柢からの嘘つきよ。おまえの正体はわかっている。

・おまえ、孔雀のなかの孔雀よ、虚栄心の海よ。何をおまえはわたしに演じてみせたのだ。よこしまな魔術師よ、(……)

・よこしまな贋金造りよ、おまえにはほかにしようがないのだ。おまえは医者に裸を見せるときでも、おまえの病気に化粧をするだろう。。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)

 このように、ギリシア人の「徳」の俳優が顕揚され、キリスト教的な贋金造りーー「罪」の俳優が貶められているわけだ。

ギリシアの神々(……)。高貴で自主的な人間の反映たるあの神々にあっては、人間のうちにある動物は自分を神のように感じたので、従って自分自身を喰い裂くこともなかったし、自分自身に対して狂暴を仕かけることもなかったのだ! あのギリシア人たちは極めて長い間、彼らの神々を実に「良心の疚しさ」を寄せつけざらんがために用い、彼らの精神の自由を愉しみ続けえんがために用いた。つまり、彼らは神々をキリスト教のおける用い方とは正反対の意味において用いたのだ。彼らはーーその素晴らしいし、獅子のような心をもった子供たちは、この道をずっと遠く進んで行った。(……)

オリュンポスの目撃者かつ審判者が(……)、人間を怨んだり悪く思ったりは決してしないのを聞き、また見るであろう。「奴らは何と愚かなのだろう!」と彼は死すべき者たちの非行を見て思うーーそして、「愚かさ」・「無分別」・少しばかりの「頭の狂い」、これだけは最も強く、最も勇敢な時代のギリシア人といえども、多くの凶事や災厄の原因として許したーー愚かさであって、罪ではないのだ! 諸君にはそれがわかるか……しかしこの頭の狂いすらも一つの問題であったーー「そうだ、そんなことが一体どうして可能なのか。それは一体どこから来たのか。われわれ高貴な素性の人間、幸福な人間、育ちのよい人間、最もよい社会の人間、貴族的な人間、有徳な人間のもっているような頭に?」ーー数世紀にわたってあの高貴なギリシア人は、自分の仲間の一人が犯した合点の行かぬような悪虐無道に面する度ごとにそう自問した。「きっと神が瞞したのに違いない」とついに彼は頭を振りながら自分に言った…… この遁辞はギリシア人にとって典型的なものだ…… このように当時の神々は、人間を凶事においてさえもある程度まで弁護するに役立った。すなわち、神々は悪の原因として役立ったーー当時の神々は罰を身に引き受けないで、むしろより高貴なものを、すなわち罪を身に引き受けたのだ……(『道徳の系譜』p111-113)

ここでギリシアに学んだ--おそらくニーチェ経由でーーフーコーの『性の歴史』における克己enkrateia、節制sophrosyneを持ち出してもよいが(参照:プラトンとフロイトの野生の馬)、長くなりそうなので、いまはひたすらニーチェメモに徹することにする。

わが友らよ、私たちが理想に本気であるなら、私たちは誹謗しよう、私たちは旋律を誹謗しよう! 美しい旋律にもまして危険なものは何ひとつとしてない! それにもまして確実に趣味を台なしにするものは何ひとつとしてない! わが友よ! 人がふたたび美しい旋律を愛するときには、私たちは見捨てられていうのである! ・ ・ ・

原則、旋律は非道徳的である。証明、パレストリーナ。応用、『パルジファル』。旋律の欠如はそれ自身神聖にする・ ・ ・(『ヴァーグナーの場合』p305-306)

おわかりだろうか、ベルニーニにぞっこんの諸君たちよ!




頽廃は一般化している。病気は深部にある。ベルニーニが彫刻の荒廃の代名詞であるように、ヴァーグナーが音楽の荒廃の代名詞であるとしても、それだからとて彼はその原因であるのではない。彼はその荒廃のテンポを速めたにすぎない(『ヴァーグナーの場合』「第二のあとがき」p337)



ワーグナーを聴くなら、へなへなした美貌歌手ではなく、ギリシアの神々の生れ変りのようなジェシー・ノーマンで聴くべきだ、彼女ならニーチェもきっと許してくれることあろう。






わたくしはどちらかというと神々への幅がひろいほうなので、ジェシー・ノーマンほどではなくても、ノアルスイユ夫人タイプの歌手であれば許すことにしているが。

「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪の告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」(『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

おわかりであろうか、わたくしの趣味が。それとも諸君と同じように美しき魂の持ち主を愛するべきなのだろうか、《完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども、すなわち根っからの猫かぶりども》を。

女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

我が日本にも味方がいるではないか! もっとも荷風や谷崎の女は、歌をうたうのはひどく下手そうではあるが。

毒婦の第一の資格は美人でなければならぬ。其れも軽妙で、清洒で、すね気味な強みを持つてゐる美人でなければならぬ。其れ故、毒婦が遺憾なく其の本領を発揮する場合には観客は道義的批判を離れて、全く芸術的快感に酔ひ、毒婦の迫害に遭遇する良民の暗愚遅鈍を嘲笑する(永井荷風『虫干』ーー倒錯と女の素足(谷崎潤一郎)
幾十人の男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って(……)国中の罪と財との流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代り死に代った麗しい多くの男女の、夢の数々から生れ出いづべき器量(谷崎潤一郎『刺青』)
…………

《私は少しばかり窓を開けたい。空気を! もっと空気を!》(『ヴァーグナーの場合』p300)

よい空気が大切なのだ! よい空気が大切なのだ! そしてとにかく文化のあらゆる癲狂院や病院の傍を離れることだ! だからこそ良い仲間が大切なのだ! いずれにせよ、内向的な頽廃と内密な病人の虫害とが放つ悪臭から遠ざかることだ!…… わが友らよ、われわれがそれこそわれわれ自身のために取っておかれたかもしれないあの二つの最も悪性の疫病から少なくともなお暫くの間実を守るために、――人間に対する大なる吐き気から! 人間に対する大なる同情から!…… (ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 p158)

という具合ではあるがニーチェはワーグナーにぞっこんだった自らを恥じているわけではまったくない。

――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)
哲学者が最初にして最後におのれに求めるものは何であろうか? おのれの内なるその時代を超克すること、「無時間的」となることである。それでは彼は何とそのこのうえなく苛烈な死闘をまじえるのか! まさしく彼がその点で時代の子であるそのものとである。よろしい! 私はヴァーグナーと同様この時代の子である、言ってよいなら、デカダンであるが、ただ私はこのことをわきまえていた、ただ私はこのことに対して抵抗した。私の内なる哲学者がそれに対して抵抗したのである。


私が最も深くたずさわってきたもの、事実それはデカダンスの問題であった、――私はそのために理由をいくつかもっていた。「善と悪」はあの問題に一変種にすぎない。衰退の特徴について眼識をそなえてしまえば、道徳の心得もまたそなわる、――道徳のこのうえなく神聖な名称や価値定式のしたに何が隠されているのかがわかるのである。すなわち、それは貧困化した生、終末への意志、大きな疲労にほかならない。道徳は生を否定する・・・そうした課題のために私には自己訓練が必要であったのである、すなわちーーヴァーグナーをもふくめて、ショーペンハウアーをもふくめて、全近代的「人間性」をもふくめて、身に深い疎遠、冷淡、幻滅、しかも最高の願いとしては、ツァラトゥストラの眼、人間という全事実を途方もない遠方から見渡す眼、――おのれの下に見おろす眼・・・そのような目標――どのよおうな犠牲もそれに相応しないのではなかろうか? どのような「自己超克」も! どのような「自己否認」も!

私の最大の体験は一つの快癒であった。ヴァーグナーはたんに私の病気のうちの一つにすぎない。

私がこの病気に対して忘恩であろうとすると言うのではない。私はこの著作でもって、ヴァーグナーは有害であるとの命題を堅持するとしても、それに劣らず私は、それにもかかわらず彼が誰にとって不可欠であるかということも堅持しようと思うーーそれは哲学者にとってである。さもなければ人はおそらくヴァーグナーなしでやってゆくことができるであろうが、ヴァーグナーなしですますことは、哲学者の勝手にはならないのである。哲学者はその時代の良心のやましさでなければならないがーーそのためには哲学者はその時代の最良の知識をもっていなければならない。しかし哲学者は近代的魂の迷路にとって、ヴァーグナーにもまして通暁した道案内人を、雄弁な精通者を、どこに見いだすことができようか? ヴァーグナーをつうじて近代性はその最も親密な言葉を語っている。すなわち、それはその善いところも悪いところも包み隠さず、それはおおれに対するすべての羞恥を忘れてしまっているのである。また逆に、ヴァーグナーでみられる善と悪に関して明らかとなるなら、近代的なものの価値に関して決着をつけたも同然である。――私には、「私はヴァーグナーを憎むが、私にはもはや他の音楽は耐えられない」と今日誰か音楽家が言うなら、それは完全に理解できる。しかしまた私には、「ヴァーグナーは近代性を要約している。どうにも仕方がない、まずヴァーグナー主義者とならざるをえない・・・」と言明する哲学者の心も、わかることであろう。(『ヴァーグナーの場合』「序言」p285-287)

 さて、「諸君、おわかりであろうか?」ーー、私はこれにていささか肩の荷をおろすことにする。《「優れたものは軽やかであり、一切の神的なものは華奢な足で走る」、これが私の美学の第一命題である。(……)このことでそれは、音楽における多足類とは、「無限旋律」とは反対のものとなる》

フーコーがすでにとっくの昔にいっているように、数々の美しいイマージュをーーわたくしはこれを「数々の美しい旋律を」と翻訳するのだがーー、創り出すのではなく、イマージュを(美しい旋律を)ときほどし、炸裂させた処に顕現するギリシアの神々の軽やかな透明さを愛でるべきであるーーとすれば、あのギリシアの神々の生まれ変わりジェシー・ノーマンは軽やかで華奢な足をもっているといえるのだろうか?--

フィクションはもはや数々のイマージュを倦むことなく生産し輝かせる能力であるべきではなく、逆にそれらイマージュの結びつきをほどき、すべての過重からくる負担を軽くしてやり、内的な透明さ、それらイマージュを少しずつ照らしだしてついにはそれらを炸裂させ、想像し得ぬものの軽やかさのうちにそれらを散らばせる透明さをもってそれらの住処とするような力であるべきなのだ。(フーコー『外部の思考』――モーリス・ブランショ論)

…………

ここに附録のようにしてつけ加えるとするなら、ニーチェの1888年における転回、これについては小林秀雄やクロソウスキーなどによる1887年のドストエフスキーとの出会いの影響の指摘もある。

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」ーー山師ニーチェ
The sick are rehabilitated for having a greater compassion and, at the same time, for having 'invented' malice; ageing, decadent races are rehabilitated for possessing more spirit; thefool and the saint are rehabilitated - and opposed to the 'genius' and the 'criminal adventurer', who are here united in a single affective genus. Such revisionism, in Nietzsche, was due in large part to his discovery of Dostoevsky. For even if they derived opposite conclusions from their analogous visions of the human soul, Nietzsche could not help but experience, through his contact with Dostoevsky's 'demons' and the 'underground man', an infinite and incessant solicitation, recognizing himself in many of the remarks the Russian novelist put in his characters' mouths.(『 Nietzsche and the Vicious Circle』PIERRE KL,OSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)