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2014年10月6日月曜日

集団いじめへの「選択的非注意」

@kdxn: 結局この3年間重点を置いてやってきたことというのは、気楽に足を引っ張ろうとするやつの腕をがっつりつかんで離さず、不快な気分にさせるということの繰り返しだったのかも。その不快さの中に、問題の本質があるんだよ。(野間易通)

そうだな、反差別は差別の温床になるなどと言い募るだけで
なにもしないツイッター「正義派」の連中が大なる「標的」なんだよ

次は、ひどく「左翼」に怨みがあるらしい「マイノリティ=ひきこもり当事者」の
最近のツイートだがね(名前を挙げないでおくよ)。

いじめや差別にも言えることだが――集団的暴力については、メタなスローガンや「思い込み」はどうでもいい。左派が「自分は正義だ」と思い込んだところで、彼らは実際にひどいことをやっている。それは(いわば)唯物論的に検証すべきことで、彼らの自意識はどうでもいい。
差別の再生産装置として、左翼・リベラルの言説こそが、ひどい機能を果たしている。たったこれだけのことすら、まったく論じられていません。

もっともらしくTwitterでどっちもどっち論を繰り返し
ネトウヨの猖獗に貢献している「インテリ」くんたちの典型ツイートだな

闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。(浅田彰『憂国呆談』)

「なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?」


…………


まずはヘイトスピーチやレイシズムなどと言わないまでも
いじめやら嫌がらせという語彙群でいいのさ
嫌がらせる“harass”は語源としては侵略する、悩ますだが
ジジェクはこんなことを言っているな

「嫌がらせ〔ハラスメント〕」は、明確に定義された事実を指しているように見えながら、じつはひじょうに両義的に機能し、イデオロギー的なごまかしをしている語のひとつである。いちばん基本的なレベルでは、この語はレイプや殴打のような残酷な行為や他の社会的暴力を指す。いうまでもなく、そうした行為は容赦なく断罪されるべきだ。しかし、現在流通しているような「嫌がらせ」という語の使い方では、この基本的な意味が微妙にずれて、欲望・恐怖・快感をもった他の現実の人間が過度に近づいてくることに対する批難になっている。二つのテーマが、他者に対する現代のリベラルで寛容な姿勢を決定している。他者が他者であることを尊重して他者に開放的であることと、嫌がらせに対する強迫的な恐怖である。他者が実際に侵入してこないかぎり、そして他者が実際には他者でないかぎり、他者はオーケーである。ここでは寛容がその対立物と一致している。他者に対して寛容でなければならないという私の義務は、実際には、その他者に近づきすぎてはいけない、その他者の空間に闖入してはいけない、要するに、私の過度の接近に対するその他者の不寛容を尊重しなくてはいけない、ということを意味する。これこそが、現代の後期資本主義社会における中心的な「人権」として、ますます大きくなってきたものである。それは嫌がらせを受けない権利、つまり他者から安全な距離を保つ権利である。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

とすれば、この曖昧な意味づけがなされてしまっている言葉よりも
あれはーーたとえば在特会の連中がやっていることはーー
まずは「いじめ」のほうがいいのかもしれない。

いじめといじめでないものとの間にはっきり一線を引いておく必要がある。冗談やからかいやふざけやたわむれが一切いじめなのではない。いじめでないかどうかを見分けるもっとも簡単な基準は、そこに相互性があるかどうかである。鬼ごっこを取り上げてみよう。鬼がジャンケンか何かのルールに従って交替するのが普通の鬼ごっこである。もし鬼が誰それと最初から決められていれば、それはいじめである。荷物を持ち合うにも、使い走りでさえも、相互性があればよく、なければいじめである。 鬼ごっこでは、いじめ型になると面白くなるくるはずだが、その代わり増大するのは一部の者にとっては権力感である。多数の者にとっては犠牲者にならなくてよかったという安心感である。多くの者は権力側につくことのよさをそこで学ぶ。(中井久夫「いじめの政治学」ーー何もしないことのエクスキューズ)

「在日」にGo home!というのは相互性がないよな
 街中でその集団いじめがあるのだよ
そのいじめを警察やマジョリティは見過しているのだな

池で溺れている少年、あるいはいじめられようとしている少女を目撃した場合に、見て見ぬふりをして立ち去るか、敢えて救助に向かうかの決定が紙一重となる瞬間がある。この瞬間にどちらかを選択した場合に、その後の行動は、別の選択の際にありえた場合と、それこそハサミ状に拡大してゆく。卑怯と勇気とはしばしば紙一重に接近する。私は孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられる。一般に私は、救助に向かうのは最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けとが私にある場合であるとしてきた。(中井久夫)

徒党を組んだいじめ集団に苛立っても
少人数で対抗するのは難しいからな
「選択的非注意」に憩うのだろ、きみたちは。
ーーそうだな、オレもやってきたよ
きみたちもいじめやら痴漢やらをみて
犠牲者にならなくてよかったという安心感を抱くのだろ?

《まるでありふれた風景を見たかのような通行人の無視、
それが警察右翼による在日に対するいじめを
普通の出来事として受け容れられる素地を作りだす》(ジジェク変奏)
ってわけだな

そうさ、きみたちは高度の政治的選択をやっているのさ
《混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に
無自覚であることの高度の政治的選択》というやつだな
あるいは《政治からは顔をそむけるふりをしながら
彼らが演じてしまう悪質の政治的役割》でもいい

 …………

遠巻きに「このようないじめは決して許すことはできません」
と言っても効果は現われないのは「経験上」知ってるよな

「カウンター行動は、これまで上品な左派リベラルの人も試みてきました。 ところが悲しいことに、『私たちはこのような排外主義を決して許すことはできません』とい った理路整然とした口調では、 たとえ正論でも人の心に響かない」

「公道で『朝鮮人は殺せ』『たたき出せ』と叫び続ける人々を目の前にして、冷静でいる方 がおかしい。 むしろ『何言っているんだ、バカヤロー』と叫ぶのが正常な反応ではないか。レイシストに 直接怒りをぶつけたい、 という思いの人々が新大久保に集まっています」(旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通)

で、仲間を集めて、すなわちいわゆる「集団的暴力」で対抗して、
たとえば「レイシスト死ね!」と言って何が悪いんだろ?




導火線つけるには、あれしかなかったんじゃないかい?
「暴力」が嫌いな「善良な」手合いがいるのは分かるさ
足をひっぱるのだけはやめとけよ

《まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。
かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、
自分を善良だと思っている。》
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)
ーー「いまヘイトスピーチに反対しないで、あなたは他に何をするのか」


@kdxn: ずーっと何年も人数が少なかった反ヘイト・カウンターおよびいろんな反レイシズム活動が去年爆発的に増えた本当の理由は、たぶん「しばき隊がムカつくから」だったんじゃないかと想像しております。

@kdxn: だって自分はレイシズム批判をずっとしてきたのに、しばき隊みたいなのだけが目立ったらイヤだし、だったら自分でも何かしてやるわい!みたいになるでしょ。ルイシャムの戦いがあらゆるメディアから総叩きになったのに、その後反レイシズムの動きが活発化したって話と似てるよね。(野間易通)

ーーとあるんだからさ、しばき隊にムカつくのはいいさ
ツイッターで手だけ動かして、正義派ぶるのだけはやめとけよ
反野間でいいんだから、顔はしばき隊の方じゃなくて、レイシストに向けろよな


山谷えり子サンが国家公安委員会委員長、すなわち警察のトップなんだからさ
インテリくんたちは何か決定的なところを外してるんじゃないかい?




総理大臣かい? 最近は名前を挙げるのさえイヤになったね








在日外国人などに嫌がらせをする目的で、徒党を組み、商店街に入って行こうとするレイシストが、カウンターや警察に行く手を阻まれると(ほんとは警察が率先してレイシストの嫌がらせを阻止すべきだったのですが、カウンターがレイシストの妨害をするようになってから、ようやく警察も動いてくれるようになったので、「警察やカウンター」ではなく、「カウンターや警察」という順序で書きました)、ワンパターンのように「ここは日本だ! 日本人が日本国内を自由に通行して何が悪い!」と喚きます。  

しかしナニ人であれ、迷惑行為を目的に、ある場所を通ろうとする場合、止めることは当然です。  

迷惑ならカウンター側もかけているかもしれませんが、これは警察のような権力を持たない市民が、迷惑行為加害者の進行を妨げるには、「人数」という武器に頼るしかないからです。  

仮にビルの上などから、レイシストを狙撃しても構わないのであれば、少人数で事足ります。しかし、そんなことはできませんから、やむにやまれず大勢の怒号を持って、レイシストの嫌がらせを止めるしかないのです。  

ここまでしなければならないのは、警察がレイシストの嫌がらせ行為を黙認してきたからです。そして日本に、ヘイトスピーチ規制法が存在しないからです。  

警察がヘイトスピーチ規制法を根拠に、サクッとレイシストを取り締まってくれるのであれば、カウンターが大挙出動する必要もありません。  

逆に、ヘイトスピーチ規制法が作られないのであれば、カウンターが大勢でレイシストの嫌がらせを止めるのも、やむを得ないことと心得て下さい。  

ここまでわかりやすく書いても、尚文句を言いたい方は、まずレイシストに言って下さい。しかし文句だけでレイシストの嫌がらせをやめさせられるのであれば、やはりカウンターはいりません。(大石規雄BLOG 低く 飛ぶ)

 などと「引用」しても、馬の耳に念仏なのはわかってるさ

聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。(第2の戦前・今日  加藤周一 2004ーー「なんのために」ーーー加藤周一『羊の歌』より)

やっぱりこうでも言っておくより他ないんじゃないか、
善良な「どっちもどっち」論者のインテリくんたちに対しては。

人間は諸関係の中で死ぬのである限り、死ぬ自由などありはしないと思った。死のうとする意志がどうしようもなくあるのは認めるが、死ぬ自由などないのである。

その考えは、ぼくの倫理でもあるが、ぼくはその時、奇妙なことに、なにひとつまっとうな人間としてものを考えようとしないやつらは、生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね、そうすれば皮でもはいで肉を犬にでもくれてやる、と思ったのだった。おもしろい反応である。(中上健次『鳥のように獣のように』)

まあオレは中上健次ほどまでは言うつもりはないがね
だがまっとうな人間としてものを考えてみろよ、
たとえば次の文を。


野間はこれまでずっと、「冷笑主義者」の「どっちもどっち論者」と戦ってきたと語る。彼ら は「自分をリベラルだと思って」おり、「正義と言っている側にもじつは不正義があるのだ」と いう話を好む。たしかに、思い当たる節がないわけではない。だがそれでも、ひとつの立場を絶対的な正義と位置づけることが危険性を孕むのは、歴史的に明らかだ。

「そらそうかもしらんけどさ。今、『正義のなかにも不正義がある』と言うのがそんなに重要ですか? あれだけひどいレイシズムが蔓延しているなかで、それを正そうとする人たちだっ て聖人君子ではない。ポリティカリー・インコレクトな場合もあるでしょう。レイシズムの方が 不正義としては断然問題が大きいのに、『ニューズウィーク』の深田のように『正義の中に も不正義が…』ってことばかり言いたがるのって、単なるサボりでしょ。何がいちばんの問題か。それをちゃんと共有していこうよ。賢くない人であればあるほど、ちゃんとそれができ るわけです。ヘイトスピーチはおかしいと分かる。自分はちょっと賢いぞ、と思ってるような、 でも実際にはアホなやつらが、いろいろとこねくり回して『本当の正義などないのだ』みた いな、クソくだらない結論に至って悦に入る。安い理屈で価値の相対化をする前に、もっと 普通に考えろよということです」(何もしないことのエクスキューズ)




2014年10月2日木曜日

「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」

「日本人の嫌韓・嫌中感情の根」とでも題名をつけようとしたが、このところネトウヨらしき方々からたびたびコメントを頂くのでーーやっぱり〈旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通〉などという題で投稿するもんじゃないなーー、ドストエフスキーの言葉にしとくよ。

題なんかどうだっていいよ
詩に題をつけるなんて俗物根性だな
ぼくはもちろん俗物だけど
今は題をつける暇なんかないよ(谷川俊太郎)

まあ君らは興味ぶかいひとたちであるには違いないのだが、どうもよい贈り物が見つからなくてね

小さい愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、わたしは、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を自分に禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝さずにすむだろう、比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖菓入りのつぼを送るのである。(……)

わたしはまた、どんなに乱暴な言葉、どんなに乱暴な手紙でも、沈黙よりは良質で、礼儀にかなっているように思われるのである。沈黙したままでいる連中は、ほとんど常に、心のこまやかさと礼儀に欠けているのである。沈黙は抗弁の一種なのだ、言いたいことを飲み下してしまうのは、必然的に性格を悪くするーーそれは胃さえ悪くする。沈黙家はみな消化不良にかかっている。--これでおわかりだろうが、わたしは、粗暴ということをあまり見下げてもらいたくないと思っている。粗暴は、きわだって”人間的な”抗議形式であり、現代的な柔弱が支配するなかにあって、われわれの第一級の徳目の一つである。--われわれが豊かさを十分にそなえているなら、不穏当な行動をするのは一つの幸福でさえある。……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

血圧はもともと高いんだが、さらに胃も悪くもしたくないのさ。この記事も凡庸なオレなりの糖菓入り壺のつもりなんだが、わかってくれるかい?


…………

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

「あいつは俺に親切だったか」はここでは保留しよう、だが「俺はあいつにひどい仕打ちをした」に相違ない。日本の植民地支配のことである。われわれは負い目があるから謙虚になるのではない。負い目があるからこそ、あいつを憎むのだ(たとえば嫌韓・嫌中)。

犯罪者は、単に自己の予め受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。(……)共同体は犯罪者を除斥するーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる。(ニーチェ『道徳の系譜』第二論文「「負い目」、「良心の疚しさ」・その他」木場深定訳 P81)

もっともこれでは世界的排外主義の傾向を説明できない。その説明としては、これはたぶん若き有能なラカン派の松本卓也氏の論文への反応のはずだが、次のような文がそれを明らかにする。

猫飛ニャン助 @suga94491396

現代のレイシズムを享楽する(と想定された)他者のスケープゴート化と見なすミレール/ジジェクの分析は妥当と思うが、それに精神分析は対応できないというのも、そのとおり。処方あっても、「健全なナショナリズム」=「衣食足りて礼節を知る」を出まい。衣食足りずして礼節を知ることは可能か。(スガ秀美)

ここにある享楽すると想定された他者とは、前投稿での対象aのこと。

S1—the subject supposed to believe; S2—the subject supposed to know; a—the subject supposed to enjoy; and … what about $? Is it a “subject supposed to be a subject”?(ZIZEK"LESS THAN NOTHING)


さて話を元に戻せば、他方、韓国や中国の「共同体」は日本人を排斥する。そして、あらゆる種類の敵意は日本人の上に注がれてよいことになる、――ということがいえるだろうか。では例えばドイツは?

加藤周一は『20世紀の自画像』(ちくま新書 2005)の「あとがき」に、2005年に発生した中国の大規模な反日デモについての次のように書いている。

「個々の争点の現状は、日中いずれかの側の「致命的国益」に触れるほど重大なものではない。しかしそれをまとめてみれば、日本の「右寄り」傾向のあきらかな加速を示す。その流れのなかに、いわゆる「歴史意識」の問題がくり返しあらわれた。すなわち過去の侵略戦争の膨大な破壊に対して現在の日本社会がとる態度の問題である。

戦後60年日本国を信頼し、友好的関係を発展させつつある国は、東北アジアの隣国のなかに一つもない。

その責任のすべてが相手方にあるのだろうか。

何度も指摘されたように、戦後ドイツは隣国の深く広汎な反独感情に対して「過去の克服」に全力を傾け半世紀に及んだ。類似の目的を達成するために保守党政権下の戦後日本は、半世紀を浪費した。今さら何をしようと半年や一年で事態が根本的に変わることはないだろう。

私は「反日デモ」がおこったことに少しも驚かなかった。もちろん何枚のガラスが割られるかを予想していたのではない。しかし日本側がその「歴史認識」に固執するかぎり、中国や韓国の大衆の対日不信感がいつか、何らかの形で爆発するのは、時間の問題だろうと考えていた。その考えは今も変わらない。アジアの人びとの反日感情と対日批判のいら立ちは、おそらく再び爆発するだろう。それは日本のみならず、アジア、殊に東北アジアにとっての大きな不幸である。私は私自身の判断が誤りであることを望む。

2005年といえば、加藤周一(1919年9月19日 - 2008年12月5日)の死ぬ3年前ということになる。


加藤周一が89歳でとうとう亡くなったね。全共闘以後、「朝日・岩波文化人」はもう古いなんて言われたけど、若い世代が好きなことを言えたのも、基準となる文化人がいてのことだった。最後の大知識人だった加藤周一の死で、そういう基準がなくなったことをあらためて痛感させられる。実際、もはや「朝日・岩波文化人」と呼ぶに足る人なんて朝日を見ても岩波を見てもほとんどいないもん。戦前・戦中の日本が情緒に引きずられたことへの反省から、加藤周一はとことん論理的であろうとした。老境の文化人がややもすれば心情的なエッセーに傾斜する日本で、彼だけは最後まで明確なロジックと鮮やかなレトリックを貫いた。(浅田彰)

ーー大知識人ではなくてもいいさ、小知識人のみなさん、なにやってんだい?


さて日本の政治家・高級官僚たちが、「歴史修正主義」やら「戦後レジーム」の復活やらを言い募るのなら、それは火に油をそそぐことにしかならない。

安倍晋三首相は14日の参院予算委員会で「私は戦後レジームから脱却をして、(戦後)70年が経つなかで、今の世界の情勢に合わせて新しいみずみずしい日本を作っていきたい」と述べた。「戦後レジームからの脱却」は第1次政権で掲げたが、最近は控えていたフレーズだ。(久々に登場、「戦後レジームからの脱却」 安倍首相 2014.3.14)

ところで「戦後レジーム」の脱却とはなにか。次のような見解がある。

安倍政権は、経済政策のアベノミクスが「富国」を、今回の特定秘密保護法や、国家安全保障会議(日本版NSC)が「強兵」を担い、明治時代の「富国強兵」を目指しているように見えます。この両輪で事実上の憲法改正を狙い、大日本帝国を取り戻そうとしているかのようです。(浜矩子・同志社大院教授)


しかも憲法 9 条をなし崩しに変える、あるいは解釈崩壊させようとしているわけで、火災中の大風のようなものだ。

つい先日なくなったばかりの土井たか子の次の言葉は核心を突いているんじゃないか。

「日本は、アジアに対する謝罪をしたと思ったら取り下げるみたいなことを繰り返してきた。 しかし、それで済んでいるのはなぜかというと、実は平和憲法が『大きな謝罪』として、『反省』だとして受け止められている。だから、たとえ宮台さんの言うような正当な理由があった としても、憲法 9 条を変えるということは、その『謝罪』を撤回したというニュアンスになりか ねない。」 (土井たか子ーー資料:憲法の本音と建て前)

…………
文化的成熟とは、みずからを批判し、みずからを笑うことのできる能力である。(加藤周一「歴史の見方」1986)
ヒューモアは、「同時に自己であり他者でありうる力の存することを示す」(ボードレール)ものである。(柄谷行人『ヒューモアと唯物論』1993)


彼らの家に土足で上がりこんだ日本人

……エイリアンたちはまったく人間にそっくりに見えるし、人間そっくりの行動をするのだが、ちょっとした細部(眼がおかしなふうに光るとか、指の間や耳と頭部の間に皮膚が余分についているとか)から彼らの正体がばれる。そのような細部がラカンのいう対象aである。些細な特徴がその持ち主を魔法のようにエイリアンに変身させてしまう。(……)ここでは人間とエイリアンとの違いは最小限で、ほとんど気づかないほどだ。日常的な人種差別においても、これと同じことが起きているのではなかろうか。われわれいわゆる西洋人は、ユダヤ人、アラブ人、その他の東洋人を受け入れる心構えができているにもかかわらず、われわれには彼らのちょっとした細部が気になる。ある言葉のアクセントとか、金の数え方、笑い方など。彼らがどんなに苦労してわれわれと同じように行動しても、そうした些細な特徴が彼らをたちまちエイリアンにしてしまう。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P117-118)

<対象a>それ自体はごくありふれた日常的なものだ、だが些細な出来事で突然、一種のスクリーンとして、つまり主体が自分の欲望を支えている幻想を投射できるような空間として機能しはじめる。ーー《幻想とは不可能な視線のことである。幻想の「対象」は、幻想の光景そのもの、つまりその内容ではなく、それを目撃している不可能な視線である。》(ラカン)

異国に長年住んでいると、この感覚はよくわかる。いくら言語に習熟しても(いや習熟すればするほど)、彼らはわたくしの些細な発音やアクセントを〈対象a〉化する。わたくしの挨拶の仕方、笑い方、箸の持ち方などを眺めることにより、わたくしを魔法のようにエイリアンに変身させる。いわゆる「在日」の方々も、このような「人種差別」に遭ってきたのは疑いようがない。


最も基本的な幻想とは何か。幻想の存在論的逆説(スキャンダルといってもいい)は、それが「主観的」と「客観的」という標準的な対立を転倒するという事実である。もちろん幻想はその定義からして客観的(何かが主体の近くからは独立して存在する)ではありえない。しかし、主観的(主体の意識的・経験論的直観に属している何か、彼あるいは彼女の想像の産物)でもない。むしろ幻想が属しているのは「客観的主観性という奇妙なカテゴリー」である。「自分には事物がそのように見えているとは思われないのに、客観的にはそのように見えてしまう」(ダニエル・デネット)のである。たとえば、われわれがこう言ったとするーーあの人は、意識的にはユダヤ人に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反ユダヤ的な偏見を抱いている、と。このときわれわれは、(彼の偏見は、ユダヤ人が実際にどうであるかではなく、ユダヤ人が彼にどう見えるかを反映しているのだから)、彼がユダヤ人が実際に彼にどう見えているかに気づいていないと主張しているのではないか。(ジジェク『ラカンはこう読め!』P93-94)

日本のマジョリティが、意識的には「在日」に対して好意を抱いているが、自分では気づかずに心の奥底には反「在日」的な偏見を抱いているのかどうかは知るところではない。だが、「在日」が、マジョリティによって、〈対象a〉化されている場合があるだろうことは間違いない。

そして次のようにも言い得るのだ、--差別は、まわりじゅうに差別(=些細な差異)を見出す眼差しそのものの中にある、と。

「悪は、まわりじゅうに悪を見出す眼差しそのものの中にある」というヘーゲルの言明を言い換えるならば、<他者>に対する不寛容は、不寛容で侵入的な<他者>をまわりじゅうに見出す眼差しの中にある。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

…………

すこし前、町山智浩氏のツイートをめぐっていささか失礼なことを書いてしまったが、彼らはことのほか「差別」に敏感なのだ。すなわち「差別」はトラウマ化されている。

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion
まあそういわず、潰しましょうよ。RT @TomoMachi 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります…

町山智浩‏@TomoMachi
韓国系である出自を明らかにして差別に対して発言して攻撃や脅迫の矢面に立ってきた自分ですが、日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しいだけです。@soulflowerunion

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion @TomoMachi 了解しました。町山さん、是非一度、若者達のデモやカウンターの現場、取材して下さい。また新たな感慨も抱かれると思います。ちなみに、俺はずっと町山さんの本、読ませていただいてます。町山ファン 笑

町山智浩‏@TomoMachi
@soulflowerunion 僕は高校まで韓国名でしたので差別は身をもって体験していますし、文章や放送を通して訴えるのが自分の役割だと思っているのですが作品をクリエイトしている中川さんがそうおっしゃるなら一度お邪魔したいと思います。

在日の方々の多くは、ヘイトスピーチなどの排外運動の猖獗で、過去のいじめられ体験(差別体験)がふつふつと蘇っているに相違ない。彼らの一部にときにあると窺われないでもない「過剰反応」も斟酌しなければならないのではないだろうか。

いじめる側の子どもにかんする研究は少ない。彼らが研究に登場するのは、家族の中で暴力を振るわれている場合である。あるいは発言したくても発言権がなくて、無力感にさいなまれている場合である。たとえば、どれだけ多くの子どもが家庭にあって、父母あるいは嫁姑の確執に対して一言いいたくて、しかしいえなくて身悶えする思いでいることか。

そういう子どもが皆いじめ側になるわけではない。いじめられる側にまわることが多く、その結果、神経症になるほうが多いだろう。最近、入院患者の病歴をとっていると、うんざりするほどいじめられ体験が多い。また、何らかの形でいじめを克服して、それが職業選択を左右しているかもしれない。もう二十年前になるが、私が精神科医仲間にそれとなく聞いてまわったところでは(私も含めてーー私は堂々たるいじめられっ子である)圧倒的にいじめられっ子出身が多かったが、一人の精神科医はいじめ側であったといい、何人も登校拒否児を作ったから罪のつぐないに子どもを診ているのだと語った。

しかし、いじめ方を教える塾があるわけではない。いじめ側の手口を観察していると、家庭でのいじめ、たとえば配偶者同士、嫁姑、親と年長のきょうだいのいじめ、いじめあいから学んだものが実に多い。方法だけでなく、脅かす表情や殺し文句もである。そして言うを憚ることだが、一部教師の態度からも学んでいる。一部の家庭と学校とは懇切丁寧にいじめを教える学校である。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』PP.4-5)
たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(同 P20)


以下は別の方の発言だが、ツイート者の名を掲げないで引用する。

そりゃ、そうだろうよ。そもそも日本人で、「チョン」だの「キムチ臭い」だのと、さんざん蔑まれて育った経験のないヤツが、いくら「差別反対」を叫んだところで、空虚な空文句でしかない。気持ちが全然入っていないから、誰の心も感動させられない。

――と、「在日」の方がツイートされて、「カウンター」のひとたちに批判され、ツイートを削除している(と思う)。おそらく言い過ぎや失言に近い言葉と本人は感じたのかもしれないし、反差別運動をしている日本人の「カウンター」のひとびとのなかには、ひどく不快を感じるひとがいるだろうことは十分に憶測できる。

だが今はこの発話をうんぬんするつもりはない。「チョン」だの「キムチ臭い」だのと似たようなことを、わたくしもやってきたな、とあらためて回顧するだけだ。

小学生の入学前後、母の病気で母方の祖父の家の裏庭に引っ越した。三十米ほどさきに奇妙な路地があった。そこだけ舗装されておらず、道の一方は背の高いコンクリート塀が続く。他方の側に十軒前後だろう、小さな薄暗い家があった。その路地は、これも三十米ほどの長さだっただろう、拳大よりも大きく尖った石が、埃っぽいでこぼこ道からいくつも顔を出していたり、軒には唐辛子が吊るしてあったり、玄関脇に大きな壺が置かれてあったりした。小学一、二年と五、六年に、その路地にある家の子と同じクラスになった。一、二年のころは彼が「在日」であるかどうかにまったく頓着していなかったはずだが、彼の家に遊びに一度行った後、母から「あそこは、ちょっと違ったひとが住んでいるところだから……」云々のような言葉で、遊びに行くのを止められた。家に友達を招く機会にも、彼とは学校ではそれなりに親しくしていて、また一番近い住まいの友だったのに、彼が遊びに来た記憶はない。

小学生のときの記憶はこれだけだが、中学二年生になってまた同じクラスになった。そのとき「チョン」に近い言葉を使ったり、彼を敬遠するような振舞いがあったに相違ない(ようやく今になってそう思う)。

もう一つの日本における「在日」の方との交わり、たぶん気づかずにそれまでも接してきたことはあるのだろうが、意識的な交際をしたのは、京都に住むようになってからで、同じマンションで、コンピューターソフトの会社を経営しているひどく美しい夫妻と顔見知りになった。互いの娘がこれも同じマンションのピアノ教師に学んでおり、ピアノ教師が自らのピアノの演奏を聞かせる催しのため自宅に招いた折、何度か食事を一緒にしたり、子どものピアノ発表会の帰りにカフェで一緒になったり。ただそれだけの関係であり、とても遠慮深い上品な夫妻だったが、互いを訪問しあうまでには至らなかった。

インドシナにあるいまの国に住むようになってからは、多くの韓国の方と知合いになっている。主にテニスを一緒にする。いまの住まいの土地には、大きな韓国籍の繊維工場や製靴工場がいくつかあり(主に著名なブランド製品委託生産して米国へ輸出しており、二級品をすこぶる安い価格で手に入れることができる)、多くの知友はそこの従業員たちである。それなりの数の韓国人が居住しているため、この都心から三十キロほど離れた郊外の土地には、日本食堂はないが、韓国料理屋は何軒かある。どの店も韓国出身の女主人であり、そのうちの馴染みの客になった一軒の女将さんは、ひどく「情が濃い」。それほど年齢はかわらないはずだが、なんだか彼女の息子のようにかわいがってもらっている気分になる。ただし片言の英語での意思疎通ではある。そこでテニス仲間の韓国人とともに食事をする、酒を飲む。別に小さな韓国製食料品店もあり、電話一本で食材を配達してくれる(この主人は名古屋生まれであり、さて尾張や三河の伝統的商売法を受けついでいるのかーー、とまで訊いたことはない)。

もっとも当地では最近韓国人は評判を落としている。その大きな理由のひとつは、業者による「売買婚」のせいだ(それ以外に、妻は韓国人はアツイからねえ、と口を濁すが、これは昔からのことであり、逆に日本人はヌルスギルとも言いうるものだ、実際彼らとテニスをすると、そのアツサはよくわかる)。売買婚は、かつて日本がタイやフィリピンの女性と大量に結婚したやり方と同様のふるまいなのかどうかはわたくしは詳しくはない。




なにはともあれ、この現象に、日本人として過剰に苛立つことはできがたい。それはわれわれの〈加害者的側面を一時忘れさせ》ることになってしまうだろうから。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)


さて話をもとに戻せば、韓国人の知友から、日本の嫌韓風潮の話題が出ることはない。だがわたくしには、彼らと歓談しているおり、ときにうしろめたい気分でいっぱいになることがある。それに「かつて彼らの家に土足で上がりこんだ」日本人だという心持をもってしまうことがある。もっとも、ここで「無限責任」などということを言い出すつもりはない。

だが「在日」の問題は、「強姦によって生れた子ども」という側面は忘れるわけにはいかない。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

またもし恥じるべきことがあるならば、日本の《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部は存続している》かどうかだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)

だがここでは、《なんだろねこの一種独特の「ぬるさ」は》が、《戦争と戦争犯罪を生み出した…社会的、文化的条件の一部》かどうかは問わないでおこう。それが「空気」を読みながら行動する曖昧模糊として春のような気質のことであるならば、そんな気質は容易に変え難く、これまた「無限責任」の話に近づいてしまのだから。


わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』)
日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』ーー「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ)

ーーというわけで、われわれにまず第一に何が必要なのだろうか。われわれも、ある次元では「マイノリティ」であることに気づくことではないか。もっともそれが日本という「ムラ社会」ではことさら難しいのだろうが。

浅田彰) 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。(マジョリティの「選択的非注意」)

たとえば反ファシズムを声高に言い募る「正義」の集団はーーここで文脈上、来るべきマジョリティと呼んでおこう、ーー実は「権力欲」を発露させているのでは、との疑いはときにあってもよい(参照:ネオナチ完全無視のすずしい顔の手合い)。

われわれは、権力志向という「人間性」が変わることを前提とすべきでなく、また、個々人の諸能力の差異や多様性が無くなることを想定すべきではない。(柄谷行人『トランスクリティーク』)

「カウンター」のひとびとは、たとえば「在特会」の連中を、《より下位のもの》、《「自分より下」の者》としがちなことは明らかなのだから。

差別は純粋に権力欲の問題である。より下位のものがいることを確認するのは自らが支配の梯子を登るよりも楽であり容易であり、また競争とちがって結果が裏目に出ることがない。差別された者、抑圧されている者が差別者になる機微の一つでもある。(……)

些細な特徴や癖からはじまって、いわれのない穢れや美醜や何ということはない行動や一寸した癖が問題になる。これは周囲の差別意識に訴える力がある。何の意味であっても「自分より下」の者がいることはリーダーになりたくてなれない人間の権力への飢餓感を多少軽くする。(中井久夫「いじめの政治学」)

もっともこういった側面もあるというだけであり、この側面に心を配りつつも、わたくし自身はいまの「カウンター」運動をかなり熱心にーー海外住まいの「無行動」派であり、いささか「偽善」の様相を呈していないでもないがーー応援していることは念押ししておこう。



※附記

人種差別の標準的な分析では、人種差別主義者たちは誤った教育を受けたか、無学で、犠牲者たちについて無知であることになっている。人種差別主義者が犠牲者となる人種を客観的に見て、彼らをよく知りさえすれば、偏見もなくなるだろう、とこの理論は続ける。たとえば、もしドイツの人種差別主義者が、トルコ移民がいかにドイツに貢献しているかを理解したら。フランスの人種差別主義者が、アルジェリアの共同体がフランスの名のもとにいかに文化的に重要な貢献を果たしてきたかを知りさえしたら。あるいは、イギリスの人種差別主義者が、第二、第三世代のインド人たちが英国の健全な発展にいかに貢献してきたかを理解することができさえしたら。しかしジジェクによれば、たとえ人種差別主義者たちがそういうことを理解したとしても、それでもなお彼らは人種差別主義者のままだろう。なぜだろうか?

答えは、人種差別を受ける主体は、個々の人間からなる客観的な集団ではなく、幻想上の人物像だからである。たとえば1930年代に、アーリア人種をひそかに陥れようとする国際的な陰謀があってその中心はユダヤ人である、などという考えはばかげている、という合理的な議論をしても、ナチスが説得されることはなかっただろう。ジジェクによると、ユダヤ人はそんなことはしていないと証明する経験的な証拠を、ナチスに示すことはできない。彼らは……現実に対する客観的な見かたを云々していたわけではないからだ。むしろ彼らは、ユダヤ人を幻想の枠組みで見ていた。そのため、彼らはそうした幻想の枠組みと、現実はどのようなものかという視点を対比することができなかった。幻想の枠組みの肝心な点は、なによりもまずそれがあなたの現実を構成していることだからだ。だからジジェクの推測では、もしあなたがナチで、真に友好的で「善良な」ユダヤ人が隣に住んでいても、あなたは自分の反ユダヤ主義とこの隣人とのあいだに、いかなる矛盾も経験しないだろう。むしろ、隣人が表面上はきちんと見えることこそ、ユダヤ人の危険を示す最高の証拠である、と結論を下すだろう。あなたは幻想の窓を通じてものを見ているので、反ユダヤ主義と一見矛盾するように見える事実こそが、まさに反ユダヤ主義を支える議論となりうるのである。(トニー・マイヤーズ『スラヴォイ・ジジェク』ーー幻想の横断)

…………

というわけで、この記事自体、いかがわしい臭いをぷんぷんさせているのは、わかってるさ。

……イカガワシサときみがいい、H氏やK氏の僕への言葉だともいうんだが、きみ自身として当の言葉をよく考えてのことだろうか? そのように僕は内心の思いを展開させていたのだ。鋏でよく髯を刈りこんでいるが、それゆえにかえって薄汚れた風情の、若い同胞よ。初対面の会話できみが軽く使う、その言葉を、僕は相当の心づもりに立たずには使ったことがない。いったいきみはどういう対決の理由があって、この旅先まで僕を訪ねて来ているのか? それをまず聞くことができれば、話は早手まわしとなるはずだが。きみがイカガワシサという言葉について、それを発したとたんに始まる厄介な闘いへの、心準備なしにしゃべりたてる人物なら、僕として真面目に答える必要もないわけだ……(大江健三郎「見せるだけの拷問」)

ここにある《H氏やK氏》というのは、小説のなかの記述とはいえ、もちろん蓮實重彦と柄谷行人のことだからな。もっともらしいことを書いたらイカガワシイのさ。

大江健三郎だけではなく、蓮實重彦や柄谷行人だって、自らのイカガワシサを自覚しているはずだよ

《たしかに、人権なんて言っている連中は偽善に決まっている。ただ、その偽善を徹底すればそれなりの効果をもつわけで、すなわちそれは理念が統整的に働いているということになるでしょう。》(柄谷行人ーーマッチョイメージとしての「革命家」)

途中、「火病」、「ファビョる」などという語彙群を口にするのを思い留まるのに苦労したな。

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。(「安克昌先生を悼む」『時のしずく』所収)

すなわち、「堅固な意志と非妥協的な誠実 」と「ファビョる」との相関関係を。

……右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。(福沢諭吉『学問のすすめ』)

次の元高級官僚のオッチャン、ときにとんでもないツイートするんだが、これは事実を記述している。

林雄介 @yukehaya

ファビョるはアメリカ精神科協会が公的に韓国人特有の精神疾患と認定している。精神疾患の国際的なガイドラインであるDSMに、火病という韓国人特有の精神疾患として分類されている。精神疾患の判断は国際的にDSMを使うから、国際基準でファビョるは民族的な精神疾患と断定されている。

もっともテニスのダブルスでペアを組んで、こちらが気の抜けたミスを怒髪天を突く表情で睨む彼らを「ファビョる」など言ってはいけないらしい。

おそらく「火病 Hwa-Byung」研究の第一人者のひとりであるだろうSung Kil Min氏によれば、「火病」は、朝鮮民族の主人のシニフィアンの一つ“恨(ハン)”概念にかかわるということ。

◆”Clinical Correlates of Hwa-Byung and a Proposal for a New Anger Disorder”( Sung Kil Min)

Collective haan and Korean culture Many scholars consider haan as a unique Korean sentiment beyond its literal meaning, and it is a key word to understand Koreans or Korean culture. Haan has been thought of as Koreans' traditional, cultural and collective emotional state of suppressed and accumulated anger or uk-wool. Koreans have endured repeated suffering from both domestic and international injustice and unfair violence throughout their nation's history. Ordinary people, farmers, servants or other people of the lower class were suppressed by bureaucrats or the literate upper class, called yang-ban. Women were suppressed by men. But haan has been the source of energy for the creativity of ordinary people including for example, the ceramic art that has been made by unknown masters, or for making revolution against political suppression including, for example, a farmers' military rebellion against the local government in the 19th century, which is called Donghak-ran. The typical collective Korean experiences with haan in modern history include the inherited poverty for thousands of years, Japanese colonization, the Korean War and division of the country, suppression by military dictators and the recent economic polarization. But haan has been also thought to provide energy to Koreans for economic development (haan-puri of poverty) and democratization (haan-puri of political suppression) during the so-called "condensed history" of Korea. The haan of women has been solved by women's liberation.52,56 Accordingly, Korean history is referred to as a history of haan and Korean culture as a culture of haan (In this paper, haan will not be translated and it will be used as it is.).

この記述は、朝鮮半島のトラウマの歴史による“恨(ハン)”とも読めるものだ。

もちろん日本民族にも「甘え」、「意地」やら、最近では「ヤンキー」などの奇妙な概念があることを忘れてはならない。

※参照:「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ








2014年7月11日金曜日

「おみこしの熱狂と無責任」気質(中井久夫)、あるいは「ヤンキー」をめぐるメモ

……国民集団としての日本人の弱点を思わずにいられない。それは、おみこしの熱狂と無責任とに例えられようか。輿を担ぐ者も、輿に載るものも、誰も輿の方向を定めることができない。ぶらさがっている者がいても、力は平均化して、輿は道路上を直線的に進む限りまず傾かない。この欠陥が露呈するのは曲がり角であり、輿が思わぬ方向に行き、あるいは傾いて破壊を自他に及ぼす。しかも、誰もが自分は全力をつくしていたのだと思っている。醒めている者も、ふつう亡命の可能性に乏しいから、担いでいるふりをしないわけにはゆかない(中井久夫「戦争と平和についての観察」『樹をみつめて』所収)

…………

日本や日本人の特性としてかつてから種々のことが言われてきた。「蛸壺」、「タテ社会」、「甘え」などは、わたくしが少年時代に書物で読んだ言葉たちである。時枝誠記や森有正の日本語論、すなわち日本語は本質的に敬語的などというのも当時は感心したものだ。それ以外にもいろいろある。ムラ社会、会社主義、共感の共同体等々。ところで、いまは「ヤンキー化」ということが言われる。これはムラ社会などからイメージされるものとはやや異なるようだ(わたくしは斎藤環氏などによるヤンキー論を読んだことがないので、あまりえらそうなことは言えないが)。だが共感の共同体の住人、あるいは浅田彰のいうアーバン・トライバリスト(部族中心主義者)が、次のような特質をしめそうとするときヤンキー的になるのではないかとは思う。

中井)確かに1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰)

そしていまはそうせざるをえない社会なのであろう、おそらくエディプスの斜陽という文脈においては、世界的にも(先進諸国においては)おなじく。インテリもいくぶんかは、あえてヤンキーとして振舞わなければならないのではないだろうか。四十前後の売れ筋の「思想家」の言葉をツイッターなどで眺めていると、あえてヤンキーとして振舞っているようにも邪推せざるをえないことがある、その気合主義、アゲノリ、若い世代への媚び、みえみえの承認欲求、己れのイメージへの極度のこだわり等々ーー。


◆北野武が語る「暴力の時代」

―監督は先ほど「エンターテイメントに徹している」と仰いましたよね。今言われたような編集で間を詰めるということと、エンターテイメント性というものは、監督の中では繋がっているものなんでしょうか?

北野:うん。結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

―なるほど。

北野:登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。

ムラ社会の住人が「他人うけ」を狙うことに大きく傾くとヤンキーになるのではないか、というのが、いまのところの、すくない資料を読んだにすぎない、そして海外住いにて日本人の生態についての実感から遠く離れて暮している者の、とりあえずの浅墓な仮定である。

斎藤環氏は、田中角栄、小泉潤一郎、橋下徹、安倍晋三などを日本的なヤンキー気質の政治家として挙げているが、わたくしの場合、政治的に「ヤンキー」という語からまっさきにイメージするのは、ラカン派のコプチェクの次の指摘である。

ラカン派のコプチェク(ジジェクの朋友でもある)は、《アメリカ人ヒステリー的な態度によって主人を選出すると言う。必然的に妨げられる欲望は、妨害そのものへの欲望に転化する。満たされない欲望は、決して満たされる ことのない状態への欲望に転倒される。つまりそこでは、誤りを犯すことがわかっているような無能な人物があえて主人に選ばれることになる》と言う。(暗号的民主主義──ジェファソンの遺産 | 田中純ーー無責任体制の「記号」としての「安倍晋三」)


…………

以下、おおむね資料の列記である。


【ムラ社会】

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』より)


【会社主義】

ヒットラーが羨望したといわれる日本のファシズムは、いわば国家でも社会でもないcorporatismであって、それは今日では「会社主義」と呼ばれている。

ところで、それは、もし「国家」を構築的なもの、「社会」を生成的なものとして区別するならば、この国では、構築と生成の区別が厳密に存在しないということを意味する。あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。国学者の本居宣長が、中国的な思考に対して、日本の原理としてとりだしたのは、そうした生成である。しかし、それはニーチェがいうような生成ではない。また、構築のないところで、生成を唱えることには大して意味はない。(……)

日本の言説空間は、外からの原理による去勢を排除してしまった分裂病的な空間であるといえるかもしれない。見かけの統合はなされているが、それは実は空虚な形式である。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。それは、大陸的な父権的制度と思考を受け入れながらそれを「排除」するという姿勢の反復である。

日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。……(柄谷行人「フーコーと日本」1992 『ヒューモアとしての唯物論』所収ーーいつのまにかそう成る「会社主義corporatism」)
日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」)

※《去勢を排除してしまった分裂病的な空間》という柄谷行人の1992年における言葉遣いは、いまからみればいささか異和がある(たとえば、現在のラカン派ならこれを「ふううの精神病」的な空間とか、「ふつうの倒錯」的空間と呼ぶかもしれない。が、ここでは厳密さを求めずに引用に終始することにする。ただ柄谷行人の文に現われる《母系制(厳密には双系制)的なものの残存》という表現に注目したい)。


【母性的な社会】

さて、高度成長と、それによる高度大衆社会の形成は、共同幻想の希薄化をもたらした。 いいかえれば、国家のレヴェルが後退し、家族のレヴェルが、それ自体解体しつつも、前 面に露呈されてきたのだ。......そもそも対幻想を対幻想たらしめていた抜き差しならぬ他者との「関係の絶対性」の契機がそれ自体著しく希薄化し、対幻想は拡大された 自己幻想に限りなく近付いていく。そうなれば、そのような幻想の共振によって共同体を構成することも不可能ではなくなる。公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがた い力で束縛する不可視の牢獄と化している。それがハードな国家幻想に収束していく可 能性はたしかに小さくなったかもしれないとしても、だからといってソフトな閉塞に陥らない という保証はどこにもないのである。(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 年 7 月号)

ここで《公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェル》という表現が出てくるが、これは神経症/精神病の対比であり、現在、「二十世紀の神経症の時代から二十一世紀の精神病の時代」という言い方が一部のラカン派ではなされている。これも諸論がありここで追求するつもりはないが、日本が「ふつうの精神病」先進国でありうるのは次の叙述を参考。

ラカンは精神病を本質的に想像的な(イマジネールな)ものによって定義していました。ラカンはある意味、精神病と想像的なものは等価であると考えていたのです。ラカンの著作における想像的なものはこのように精神病的であり、鏡像段階をパラノイアの記述として読み直すこともできるでしょう。すなわち、他者との基礎的な衝突があり、それは他者が私の役割を強奪していくからである。(ジャック=アラン・ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)
かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。財政を握っている日本の母親は、生活費だけを父親から貰う最近までの欧米の母親よりも社会的存在であったと私は思う。現在も、欧米の女性が働く理由の第一は夫からの経済的自立――「自分の財布を持ちたい」ということであるらしい。

明治以後になって、第二次大戦前までの父はしばしば、擬似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになるーーそういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」初出2003 『時のしずく』2005所収)

※より詳しくは「みせかけsemblant」の国(ラカン=藤田博史)



【共感の共同体】

この共同体では人々は慰め合い哀れみ合うことはしても、災害の原因となる条件を解明したり災害の原因を生み出したありその危険性を隠蔽した者たちを探し出し、糾問し、処罰することは行われない。
「将来の安全と希望を確保するために過去の失敗を振り返」って、「事を荒立てる」かわりに、「『仲良し同士』の慰安感を維持することが全てに優先している」のである。しかし、この共同体が機能している限り、ジャーナリズムは流通せず、「感傷的な被害者への共感」の記事に埋もれてしまう。(酒井直樹「無責任の体系」)

要するに次のような「共同体」気質だろう、《『クラス全員が反省しています』と言う。みんなに責任があると言いながら誰も謝罪しない。それでは、誰にも責任がないと言っているのと同じじゃないですか》http://www.asahi.com/national/update/0330/TKY201303300083.htmlーーリンク切れになっているが、たしか「いじめ自殺」をめぐる記事である。

これらの「共感の共同体(ムラ)」は、原子力ムラから理研ムラまで、そしてツイッターなどでの研究者ムラ、文芸愛好家ムラなどまで、いまでも到る処にみられる。

この共感の共同体に溺れないようにするための「望まれるべきコミュニケーション」のあり方とも読みうる言葉として、1999年4月12日、東京大学総長式辞(蓮實重彦)の文句を拾っておこう。

・気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学
・共感とは異質のある種の齟齬感
・同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感
・親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たり

微妙ではありながらも何かが決定的に違っている対象を前にしたときの驚きは、齟齬感や、違和感や、隔たりの意識を煽りたてる対象への深い敬意を前提にしております。(1999年4月12日 東京大学総長 蓮實重彦の式辞より)


【ヤンキー化】

ヤンキーとは、本来はアメリカ人を指すYankeeが語源。日本では、『周囲を威嚇するような強そうな格好をして、仲間から一目おかれたい』という少年少女。また、それら少年少女のファッション傾向や消費傾向、ライフスタイルを指す場合もある。口伝えで広まった言葉のため、本来の意味を知らない多くの人々によってあいまいな定義のまま使用されることが多く、『非行少年』『不良』『チンピラ』『不良軍団』など多くの意味で使用される。
「ヤンキー」については、語源や解釈を巡る議論がいまだ決着していないのだが、単に不良性を示すだけの言葉ではない点は確認しておこう。少なくとも、僕がヤンキーと言う場合、それはもはや不良や非行のみを意味しない。むしろ、彼らが体現しているエートス、すなわちそのバッドセンスな装いや美学と、「気合い」や「絆」といった理念のもと、家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合したひとつの“文化”、を指すことが多い。
現代はこうしたヤンキー文化が、かつてないほどの広がりをみせている時代ではないか。確かに本物の不良や非行少年は減ったかもしれない。しかしそのぶん、彼らに特有と思われていた文化的エートスが、非行とは無関係な層にまで浸透しつつあるように見える。(斎藤環『ヤンキー化する日本』)

もしヤンキーがアメリカ人をさす言葉だとすれば、ふたつのアメリカがあって、《移民を受け入れ、国の中にあらゆる民族がいて、しかも商品も資本もかなり自由に行き来できるというアメリカ》と《モンロー主義のアメリカ》があり、その後者を指すのだろう。

柄谷行人)ぼくが言いたいのは、アメリカにあるモンロー主義の可能性をむしろ見てなきゃいけないということなんですよ。つまりあまりにも戦後のアメリカに慣れすぎて、むしろモンロー主義が基底にあるということを忘れているのではないかと思うんですね。アメリカのナショナリズムの思想的元祖は、エマソンですね。彼は、日本の本居宣長とある意味でよく似ているんです。彼のトランセンデタシズムは、歴史や伝統を切断して、自分の内部と経験に問えということですが、これは別の意味で、アメリカのナショナリズムです。なぜなら、歴史や伝統はヨーロッパのものだからです。

エマソンは「ヨーロッパへ行くな」とも書いている。これは、宣長が「漢意」を批判して、おのれ自身の心(もののあはれ)を重視したのと平行しています。日本の場合と同様に、これは、反インテレクチュアリズムとして根強いですね。ただし、日本と違って、インテリのほうも頑固で根強いですが、と言うのも、インテレクチュアルはヨーロッパから直接に来ていますからね。書物だけが来るのではない。とにかく、このエマソン主義は、政治的な表現をとるかどうかは別としても、アメリカの思想的基底にあるものだと思う。この意味で、ぼくはアメリカは巨大な「島」だと思っているんです。(柄谷行人 岩井克人対談集1990『終りなき世界』より)



※精神科医・斎藤環×歴史学者・與那覇潤より

ここには「反知性主義」(反インテレクチュアリズム)、「母性的」「気合い」とか「アゲアゲ」という言葉が現われ、かつ上の『ヤンキー化する日本』の引用にあらわれた「絆」という語、あるいは《家族や仲間を大切にするという一種の倫理観とがアマルガム的に融合》という表現から窺われるように「ムラ社会」や「共感の共同体」、「おみこし熱狂や無責任」(中井久夫)の変奏ともいうべき文句が散りばめられている。

與那覇:知性をもっていると思う側は、しばしばヤンキーを「反知性主義」といって叩きがちですけど、反知性主義というのは単なるバカとは違うわけですね。

斎藤:それははっきりと違います。私がよく言ってるのは、ヤンキーの成功者は「地頭がいい」ということです。地頭がいいヤンキーがいちばん日本人では尊敬されると。そこで最近よく挙げるのが白洲次郎です。あのあたりの人がヒーロー像としてはいちばん印象的なんだろうなと思うわけですね。反知性というよりも「反教養主義」に近いかもしれません。

與那覇:反知性主義を単に「お前ら知性ないじゃん」と攻撃してもダメで、「彼らはなぜ、地頭がいいにもかかわらずインテリ的なものを嫌悪するのか」という部分を問わなければならないと。そこで斎藤さんがご著書で示された手がかりが、“ヤンキーはエクリチュール(書かれたもの)的でない”という指摘と、“つっぱったヤンキーは一見マッチョで父性的に見えても、じつは母性的なんだ”という議論の2点だったと思うんです。

斎藤:そうですね。ネオリベというのは基本的に、良くも悪くも父性的な考え方だと思いますが、ヤンキーの場合は「厳しい母性」なんですね。保護的なんですけど、スパルタ的でもあるということ。母性的だからこそ、気合いとかアゲアゲとか、身体性に依拠するんでしょう。彼らにとって真実を担保してくれるものは常に行動であり、行動を可能にしてくれる「夢見る身体」なんです。

與那覇:わかる気がします。父性的というのは、最後は自分から独立させて切り離すということですね。お前とはもう他人だから、一個人として自分の判断で生きていけと。

斎藤:そうです。切断的なものは父性ですね。それで、連続的、包摂的なものを母性と考えれば、厳しい母性がヤンキーだとなる。

與那覇:それは自分の頭で考えたいインテリにとっては、いちばん生きづらい……。

斎藤:生きづらい! そして、日本の大衆にとっては、いちばん心やすらぐということですね。

與那覇:厳しくするくらいなら「ほっといてよ」と思うのに、「でも私に合わせるなら、受け入れてあげるのよ」と追いかけてくる。体罰教師の生徒指導みたいな話ですよね。

斎藤:そうです! 体罰の背景にあるのは母性なんですよ。ルール無き恣意的暴力で包み込もうとする。決してほっといてくれないんですよ。ルールの厳格な適用なら父性的と言えるんですけどね。

※マッチョという語が出てくるが、ジジェクによれば次の通り、《マッチョのイメージは、人を惑わせる仮面として経験されるのではなく、人がなろうと努力する理想自我(想像的同一化)として経験される。そのイメージの裏には、マッチョイメージにはまったくそぐわないただ弱々しいごく標準的な男が透けてみえる。》(徳の俳優と悪の俳優)

理想自我という語は、フロイト=ラカン派の「自我理想/理想自我」の二項であり、これは「象徴界/想像界」の二項対立の範疇に属する。すなわち、ラカン派からみても、マッチョは母性的なイマジネールの領域の語彙のひとつである。

かつ「切断的な父性/連続的、包摂的な母性」とは、「父なるレリギオ(つつしみ)/母なるオルギア(距離のない狂宴)」(中井久夫)のことでもあろう。そして「距離のない饗宴」とは、「おみこしの熱狂」のことである。


さてこれ以外に、日本的な精神構造をめぐるものとして、古典的な「甘え」「意地」なども挙げられるだろう。

甘えという言葉が日本語に特有なものでありながら、人間一般に共通な心理現象を表 しているという事実は、日本人にとってこの心理が非常に身近かなものであることを 示すとともに、日本の社会構造もまたこのような心理を許容するようにでき上がって いることを示している。言い換えれば甘えは日本人の精神構造を理解するための鍵概 念となるばかりでなく、日本の社会構造を理解するための鍵概念ともなるということ ができる。(土居健郎『「甘え」の構造』1971)
「日本人の意地は欧米人の自我に相当する」とは名古屋の精神科医・大橋一恵氏の名言である。中国人の「面子」にも相当しよう。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・外傷・記憶』所収)
意地について考えていると、江戸時代が身近に感じられてくる。使う言葉も、引用したい例も江戸時代に属するものが多い。これはどういうことであろう。

一つは、江戸時代という時代の特性がある。皆が、絶対の強者でなかった時代である。将軍も、そうではなかった。大名もそうではなかった。失態があれば、時にはなくとも、お国替えやお取り潰しになるという恐怖は、大名にも、その家臣団にものしかかっていた。農民はいうまでもない。商人層は、最下層に位置づけられた代わりに比較的に自由を享受していたとはいえ、目立つ行為はきびしく罰せられた。そして、こういう、絶対の強者を作らない点では、江戸の社会構造は一般民衆の支持を受けていたようである。伝説を信じる限りでの吉良上野介程度の傲慢ささえ、民衆の憎悪を買ったのである。こういう社会構造では、颯爽たる自己主張は不可能である。そういう社会での屈折した自己主張の一つの形として意地があり、そのあるべき起承転結があり、その際の美学さえあって、演劇においてもっとも共感される対象となるつづけたのであろう。

そして現在の日本でも、「民主的」とは何よりもまず「絶対の強者」がいないことが条件である。「ワンマン」がすでに絶対の強者ではない。「ワンマン」には(元祖吉田茂氏のような)ユーモラスな「だだっ子」らしさがある。「ワンマン」は一種の「子ども」として免責されているところがある。

二つには、一九八〇年代後半になっても、いまだ江戸時代に築かれた対人関係の暗黙のルールが生きているのではないかということである。われわれの職場にいくらコンピューターがはいっても、職場の対人関係は、江戸時代の侍同士の対人関係や徒弟あるい丁稚の対人関係、または大奥の対人関係と変わらない面がずいぶんあるということである。政治にも、官僚機構にも、変わっていない面があるのではないか。非公式的な集まりである運動部や、社会体制に批判的な政党や運動体においても、そういう面があるのではないか。(意地の場について(中井久夫))

柄谷行人もかつてコジューヴの日本文化論(日本的スノビズム)を語りつつ、《日本的な生活様式とは実際に江戸文化のこと》としている。

《江戸幕府の基本政策はどういうものであったか。刀狩り(武装解除)、布教の禁と檀家制度(政教分離)、大家族同居の禁(核家族化)、外征放棄(鎖国)、軍事の形骸化(武士の官僚化)、領主の地方公務員化(頻繁なお国替え)である。》(中井久夫「歴史にみる「戦後レジーム」」)

※東浩紀の「動物化」概念については詳しくないが、宮台真治氏は次のように言っている、

コジェーブは、歴史の終焉後、日本的「スノッブ化」とアメリカ的「動物化」の二者択一しかないと見たが、東さんは、日本的「スノッブ化」すら過去のもので、今や「動物化」しつつあると。

 スノッブが動物に「なる」とはどういうことか。「あえて」形式と戲れるスノッブですが、コジェーブはそこに人間の自由を、ジジェクは「あえて戯れ『ざるを得ない』」不自由を見出しました。さて「動物的なもの」においては、その「あえて」の契機がスッポリ抜けるのだと東さんは言います。だから、せっかくスノッブがディタッチメントを達成したのに、再び素朴なコミットメントに回帰しているように見えます。同じ戯れでも「あえて」が入るか入らないかの差異が重大だという指摘……(宮台・東対談~『動物化するポストモダン』を読む~)

だがこれは柄谷行人が吉本ばななに触れるなかで、「あえてのないイロニー」をすでに語っている(「死語をめぐって」1990)。


さてこれらの日本人の特質が容易に変えられないものだとしたら、その肯定的側面を考えることも重要なのだろう。

「例えば、(津波がきたとき)最後まで避難を呼びかけて命を失った人がいたが、それらはこの国の人のどんな美徳から来ているのか。失われたものを考えるだけでなく、逆に何が失われていなかったのかを考えるのも一つの方法でしょう」(作家、古井由吉さん『蜩の声』 長い安泰で浮いてしまった言葉 産経新聞)

磯崎新は鎖国して「和様化」しろ、という。

《「歴史を振り返ると、日本人は鎖国状態の時期、非常に細かい技術を駆使して、発案した人たちを脅かすものをつくり続けてきた。そして、その時期にできた日本語や自動車などの日本的なものが、日本の文化や産業の歴史的な主流になってきています」》(「和様化」今が好機 」)

わが国が歴史時代に踏入った時期は、必ずしも古くありませんが、二千年ちかくのあいだ、外国から全面的な侵略や永続する征服をうけたことは、此度の敗戦まで一度もなかったためか、民族の生活の連続性、一貫性では、他に比類を見ないようです。アジアやヨーロッパ大陸の多くの国々に見られるように、異なった 宗教を持つ異民族が新たな征服者として或る時期からその国の歴史と文 化を全く別物にしてしまうような変動は見られなかったので、源平の合戦も、応仁の乱も、みな同じ言葉を話す人間同士の争いです。 (中村光夫『知識階級』ーー日本語と下からの目線)


…………

※附記

上のに引用された論のひとつ、中井久夫の「「踏み越え」について」は、冒頭に掲げた「戦争と平和についての観察」とはまた別の、もうひとつの戦争論、暴力論である。上の文脈とはあまり関係がないかもしれないがここで引用しておく。というのは、《行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にした全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない》という文があるからだ。

斎藤環には次のようなヤンキーの特徴をしめす文がある。

ヤンキーの特徴の一つに、「行動主義」「仲間主義」などが挙げられる。それが助け合いの原動力となり、震災直後の復旧活動において、大きな力を持ったのは間違いない。
我々の心の中には多かれ少なかれヤンキーが住んでいる。だからヤンキー的なものを嫌悪している人も、土壇場や正念場で「気合い」を入れたり、「がんばればなんとかなる」とつい洩らしてしまったりする。それほど深く日本人の感性に根付いている。それゆえに、ヤンキー性ゆえの強みと弱みを認識し、ある種の諦観をもって、日本人は自らの内なるヤンキーと向きあわねばならない、というのが僕の今考えていることである。(誰の心にもヤンキーはいる)
 
これは中井久夫の、阪神淡路大震災において、髪を茶色に染めたボランティアの若者が目覚しい活躍をしたことを感嘆の口調で語っていたのを想起させる。あのようなときに率先して行動する「無名の」人間がもっとも信用できるというような意味合いだったはずだ(いま、どこで書いていたか探し出せないでいるので、そのうち見つけ出したら、中井久夫の文と差し替えるつもり)。あの若者たちは「ヤンキー」としてよいのだろう。

さて、前段もふくめ(これはここでの文脈とはほとんど関係がない)、すこし長くなるが「「踏み越え」をめぐって」から抜粋する(下段に「ここでの文脈の核心部分である」としているので、そこまで読み飛ばしてもらってもいい)。

戦争こそ、明確な言語化やイメージ化を経由せずに行動化される最たるものである。四年三ヶ月にわたって不毛な会戦を反復し、ヨーロッパに回復不能の打撃を与えた第一次大戦は、双方とも一ヶ月で終わると思って始まった。日中戦争は南京陥落で終結するはずだった。

見通しだけではない。近代の開戦理由を枚挙してみても、それが必要充分な理由であったことはかつてないのではないか。「なぜ、それが戦争になるのか」という反問に耐えないものばかりであると私は思う。不確実で、より小さな不利益の可能性のために、確実でより大きな損害を招く行為である。これは多くの犯罪と軌を一にしている。

戦争への引き返し不能点は具体的に感覚できるものである。太平洋戦争の始まる直前の重苦しさを私はまざまざと記憶しており、「もういっそ始まってほしい。今の状態には耐えられない。蛇の生殺しである」という感覚を私の周囲の多くの人が持っていた。辰野隆のような仏文学者が開戦直後に「一言でいえばざまあみろということであります」と言ったのは、この感覚からの解放感である。この辺りの変化は猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』によく描かれている。東条英機首相も、昭和天皇も、この重圧によって開戦へと流されていった。東条の神経衰弱状態は、開戦と同時に、軽躁状態に急変する。天皇を初めとする大多数の国民もまた。

ある患者は、幻覚妄想のある時期とない時期とを往復していたが、幻覚妄想のある時期はなるほど苦しいけれども、幻覚妄想がいつ起こるか、いつ始まるかという不安だけはないと言った。逆にない時期にはその不安から逃れられないという。平和の時期と戦争の時期との違いにも少し似ている。

私は戦争直前の重圧感を「マルス感覚」と呼んだことがある。湾岸戦争直前、私はテレビを見ていて、太平洋戦争直前に似た「マルス感覚」を起こしている自分に驚いた。「ああ、あの時の感じだ」と私は思った。フランスの哲学者ベルクソンは第一次大戦の知らせを聞いて、「部屋の中に目にみえない重苦しいものが入ってきていすわった」と感じたそうである。これをも「マルス感覚」とすれば先の「事前的マルス感覚」に対して「事後的マルス感覚」となろうか。私は二〇〇一年九月十一日以後、アフガニスタン戦争の期間を通じて、「事後的マルス感覚」をしたたかに味わった。

戦争へと「踏み越える」際の「引き返し不能点」は政治的よりも心理的に決定されると私は思う。戦争は避けられないという無力感が世を覆うようになることである。この独特の無力感を引き起こすことこそ、戦争を起こしたい勢力がもっとも重視し努力するものである。それは「心理的引き返し不能点」を手前に引き寄せる試みである。その手段は多様で持続的なものでなければならない。宣伝だけでなく、動員をはじめ、種々のしめつけや言論統制である。PP307-309

「マルス感覚」については『家族の深淵』に「「マルス感覚」の重要さ」というエッセイがある。だがここではもうひとつのエッセイから抜き出しておこう。

一九一四年夏には第一次大戦が始まる。早く「方法的制覇」「鴨緑江」によってこの危機を予言していた彼は、後の有名な論文「精神の危機」(一九一九年)に見るごとく、自己を西欧(彼の場合はほとんど英国とフランス)と同一化していた。「パルク」をおのれの個人的な最後の詩とするつもりの彼は、文明の破局によってこれが最後のフランス詩となる可能性に思い至っている。かれは徴兵を覚悟し、妻子を疎開させ、パリに残留して詩作を継続した。「若きパルク」は「軍神マルスの相のもとに書かれた」と彼はいう。「パルク」がどういう詩であるかはさんざん論じられてきた。「内容でなく形式が私の自叙伝である」と詩人自身は韜晦している。形式とは何であろうか。それが構成であれば、純粋予感というべきもので始まり、比較的唐突な肯定が喚起されては次第に否定的なものに転調変化しつつ、この反復によって次第に深く沈下してゆくという構成を持っている。周知のように最終的な形は、昇る太陽に向かって感謝しつつ乙女が立ち上がって終わるのであるが、一九一六年初めの第四稿では、この詩句の後、再び下降が始まり、入水に終わろうとして中断する。彼は一八九六年秋ロンドンで自殺未遂をしている。引き返そうとしてはさらに深みに下降する形は知的な自殺者の行動にしばしば見られる。(「「詩の基底にあるもの」―――その生理心理的基底」『家族の深淵』所収)

《フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、一八九四年、彼が精神病的とさえ憶測される二年間を通過した後、生涯、朝四時に独り起きだしてコーヒーを沸かし、八時まで、現在「カイエ」と称される膨大なノートを執筆した。詩作も、この暁の純粋で孤独な時間になされた。》(中井久夫「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)

ーーとあるようにヴァレリーはほぼ精神病的、あるいは分裂病体験をしたといってよいだろう。「マルス感覚」はムラ社会のの住人にはほとんど訪れがたい。分裂気質/執着気質の二項対立を説く文脈で中井久夫は次のように書いている。

(ムラ社会の執着気質タイプの人間は)、「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)

《私の分裂病論の核心の一つは一見奇矯なこの論文にある。他の仕事は、この短い一文の厖大な注釈にすぎないという言い方さえできるとひそかに思う。》(中井久夫「『分裂病と人類』について」2000年初出『時のしずく』所収)

…………

◆さてここでの文脈の核心部分である。

事後的な言語化の意味と効用について述べたが、皮肉なことに、行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にした全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。
行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。

DVにおいても、暴力は脳/精神の低い水準での統一感を取り戻してくれる。この統一感は、しかし、その時かぎりであり、それも始まりのときにもっとも高く、次第に減る。戦争の高揚感は一ヶ月で消える。暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。最初は思い余ってとか論戦に敗れてというそれなりの理由があっても、次第次第に些細な契機、ついにはいいがかりをつけてまでふるうようになる。また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。

ちなみに、賭博も行動化への直行コースである。パチンコはイメージとも言語化とも全く無縁な領域への没入であるが、パチンコも通常の「スリル」追求型の賭博も、同じく、イメージにも言語化にも遠い。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収pp311-313)

ヤンキーの否定的側面ばかりを強調してもはじまらない。それが日本人の感性に深く根付いていて逃れがたいものであるならなおさらのことである、《ヤンキー性ゆえの強みと弱みを認識し、ある種の諦観をもって、日本人は自らの内なるヤンキーと向きあわねばならない》と書く斎藤環はあまりにも「正しい」、--などと書くのは、前投稿で斎藤環をアゲノリ・ラカン派と貶したことの反動の気味がまったくないとは言わないが。

右のほか、驕傲と勇敢と、粗野と率直と、固陋と実着と、浮薄と穎敏と相対するがごとく、いずれもみな働きの場所と、強弱の度と、向かうところの方角とによりて、あるいは不徳ともなるべく、あるいは徳ともなるべきのみ。ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。(福沢諭吉『学問のすすめ』)

実は、九鬼周造の『「いき」の構造』を真似して、上にある語彙群を中心に、例の図式を作ってみようとしたのだが、やはり日本の生活から遠く離れ、眺め得る文献もわずかであるので、無謀な試みであることをすぐさま悟った。あのような精緻な「ヤンキーの構造」論がそのうちだれかから出てくることを期待しよう。



     (ーーー「日本人の精神構造・社会構造の鍵概念をめぐる」より)





    (ーーーーー「いき」の構造)

2014年7月6日日曜日

「生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね」

インターネットで、金井美恵子や中上健次の真似をして、「バカ、死ね」と書いてはいけないのは、アラタメテ言うまでもない。で、引用ぐらいはいいだろう?

人間は諸関係の中で死ぬのである限り、死ぬ自由などありはしないと思った。死のうとする意志がどうしようもなくあるのは認めるが、死ぬ自由などないのである。

その考えは、ぼくの倫理でもあるが、ぼくはその時、奇妙なことに、なにひとつまっとうな人間としてものを考えようとしないやつらは、生きてても目ざわりになるから首でもくくって死ね、そうすれば皮でもはいで肉を犬にでもくれてやる、と思ったのだった。おもしろい反応である。(中上健次『鳥のように獣のように』)

もうすこし穏和系も引用しとこう

私はまったく平和的な人間だ。私の希望といえば、粗末な小屋に藁ぶき屋根、ただしベッドと食事は上等品、非常に新鮮なミルクにバター、窓の前には花、玄関先にはきれいな木が五、六本―――それに、私の幸福を完全なものにして下さる意志が神さまにおありなら、これらの木に私の敵をまあ六人か七人ぶら下げて、私を喜ばせて下さるだろう。そうすれば私は、大いに感激して、これらの敵が生前私に加えたあらゆる不正を、死刑執行まえに許してやることだろう―――まったくのところ、敵は許してやるべきだ。でもそれは、敵が絞首刑になるときまってからだ。(ハイネ『随想』――フロイト『文化への不満』から孫引き)

…………

さて冒頭の話とはマッタクカンケイガナイ

@dongyingwenren: 正直、イデオロギー抜きで各論検証した場合、脱原発も秘密保護法反対も集団的自衛権反対もそれなり以上に主張する意味があると思えるのに、実際に支持する人を見ると「生理的に嫌になる(→消極的賛成を示さざるを得ないかと思えてくる)」この現象は何なんだろう。煽り抜きでヤバい気がするのだが。

などとソウメイな方がツブヤカレテオラレ、たくさんのRTやファボを集めてオラレル

ノンフィクション作家、多摩大学「現代中国入門」非常勤講師。著書『中国人の本音』(講談社) 、『独裁者の教養』(星海社)、『中国・電脳大国の嘘』(文藝春秋)ほか。近著に『和僑』(角川書店)amzn.to/YOIgIX 。講談社『COURRiER Japon』誌で「ダダ漏れチャイニーズ」好評連載中です。

マジョリティに好まれる呟きであるに相違ない

闘ってるやつらを皮肉な目で傍観しながら、「やれやれ」と肩をすくめてみせる、去勢されたアイロニカルな自意識ね。いまやこれがマジョリティなんだなァ。(浅田彰『憂国呆談』)

 しばしば見かける典型的な「インテリ」系譜の囀りでもある。一応、大学人でもあるらしい

何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ、という性質の話の筈。偉そうにTwitterでどっちもどっち論を繰り返し、動いているのは指先のみ。いま大学人がいかに信用失墜しているか新聞でも眺めればわかる筈なのに、そのざまか。民衆は学び、君を見ているぞ、「ケンキューシャ」諸君。(佐々木中)

「消極的賛成を示さざるを得ないかと思えてくる」とは、ひょっとして《混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択》(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』P582)かもな

自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、…… 同『凡庸』P461


…………

私化した個人は、原子化した個人と似ている(政治的に無関心である)が、前者では、関心が私的な事柄に局限される。後者では、浮動的である。前者は社会的実践からの隠遁であり、後者は逃走的である。この隠遁性向は、社会制度の官僚制化の発展に対応する。(中略)原子化した個人は、ふつう公共の問題に対して無関心であるが、往々ほかならぬこの無関心が突如としてファナティックな政治参加に転化することがある。孤独と不安を逃れようと焦るまさにそのゆえに、このタイプは権威主義リーダーシップに全面的に帰依し、また国民共同体・人種文化の永遠不滅性といった観念に表現される神秘的「全体」のうちに没入する傾向をもつのである。(「個人析出のさまざまなパターン」『丸山真男集』第九巻p385---丸山真男とジジェクのシューマ)

《実際に支持する人を見ると「生理的に嫌になる」》とはなんだろう?

あれら原子化した個人の群衆のぶざまな醜態は「原始的集団における情緒の昂揚と思考の制止」ってわけでもあるまい?

集団内部の個人は、その集団の影響によって彼の精神活動にしばしば深刻な変化をこうむる(……)。彼の情緒は異常にたかまり、彼の知的活動はいちじるしく制限される。そして情緒と知的活動と二つながら、集団の他の個人に明らかに似通ったものになっていく。そしてこれは、個人に固有な衝動の抑制が解除され、個人的傾向の独自な発展を断念することによってのみ達せられる結果である。この、のぞましくない結果は、集団の高度の「組織」によって、少なくとも部分的にはふせがれるといわれたが、集団心理の根本事実である原始的集団における情緒の昂揚と思考の制止という二つの法則は否定されはしない。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)

《フロイト自身、ここでは、あまりにも性急すぎる。(……)フロイトにとっては、あたかも“退行的な”原始集団、典型的には暴徒の破壊的な暴力を働かせるその集団は、社会的なつながり、最も純粋な社会的“死の欲動”の野放しのゼロ度でもあるかのようだ。

(だが……)“退行的な”原始集団は最初に来るわけでは決してない。彼らは人為的な集団の勃興の“自然な”基礎ではない。彼らは後に来るのだ、“人為的な”集団を維持するための猥雑な補充物として。このように、退行的な集団とは、象徴的な「法」にたいする超自我のようなものなのだ。象徴的な「法」は服従を要求する一方、超自我は、われわれを「法」に引きつける猥雑な享楽を提供する。》(ジジェク『LESS THAN NOTHING』――デモの猥雑な補充物としての「享楽」)


それとも連中は「賤民」ってわけかい? まさか!

権力をもつ者が最下級の者であり、人間であるよりは畜類である場合には、しだいに賤民の値が騰貴してくる。そしてついには賤民の徳がこう言うようになる。「見よ、われのみが徳だ」と(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第四部「王たちとの会話」手塚富雄訳)

憎悪だけで寄り集まった連中だってわけでもないだろ?

特定の個人や制度にたいする憎悪は、それらにたいする積極的な依存と同様に、多くの人々を一体化させるように作用するだろうし、類似した感情的結合を呼び起こすであろう。(フロイト『集団心理学と自我の分析』フロイト著作集6 P219)

なんにもしないよりなんかしたほうがマシじゃないのかい?

私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた。(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)
私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。(ブレヒト『政治・社会論集』ーー「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」(ジジェク))

インテリくんたちは、どっちかしかないことぐらいワカッテルダロウナ?、権力の道具か権力を批判する道具か

けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう。(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987)

岡崎乾二郎の昨日のツイート、削除してしまってるな

@kenjirookazaki: まさか、自分の国が道ならぬ道を歩むこといになるとは思ってもみなかった 花 でした。てっ!

ところで、《自分の国が道ならぬ道を歩むこといになるとは思ってもみなかった》という痛恨の思いに囚われている人でも、「脱原発も秘密保護法反対も集団的自衛権反対もそれなり以上に主張する意味があると思えるのに、実際に支持する人を見ると「生理的に嫌になる」なんて呟くもんだろううか?




いやいや、まだ若い人の囀りなのだ、なんのウラミもない、寡聞にして、はじめて知った名でね

《私はまったく平和的な人間だ。私の希望といえば、粗末な小屋に藁ぶき屋根、ただしベッドと食事は上等品、非常に新鮮なミルクにバター、窓の前には花、玄関先にはきれいな木が五、六本……》、犬が四匹、人間の皮をはいで肉をあたえたことはまだない








2014年6月22日日曜日

甘く見てはならないとか高をくくってはならないとかなんて言われても

排外主義にしろ戦争準備政権にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、アベノミクスで経済の上向き期待感を与えてくれるならば、起きるかどうか不確かな戦争への傾斜の怖れなんかに気をとめるだろうか。この政策なら明日の給料がすこしでも上がって、すこしでも生活が楽になるかもしれないと思わせてくれるなら、安倍政権の欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。甘く見てはならないとか高をくくってはならないとか、「日常」をねつ造するメディアに流されないようになんて言われても、財布の中身のほうが大切に決ってる。


ーーというのは以下の文のコラージュである。


◆社会思想史を研究しているらしい若い研究者のツイート

・生活保護にしろ在日にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

・でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、就職活動で自分の人生の選択を迫られている時に遠くの土地で起こっている排外デモに気をとめるだろうか。毎日毎日夜遅くまで働かされて家庭のために頑張ってるなかで生活保護をめぐる過剰なバッシングの欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

・みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。これは、生命過程の必然性(アレント)のせいではない。後期資本主義という社会制度のせいである。我われの眼差しは、胃袋からやはり社会構造へ。


甘く見てはならない。高をくくってはならない。相手を見くびってはならない。前例はもうなにもあてにならない。これは、この機に自衛隊を「日本国軍隊」として、どうしても直接に戦争参加させたがっている、戦後史上もっとも狂信的で愚昧な国家主義政権およびそのコバンザメのような群小ファシスト諸派と、9条を守り、国軍化と戦争参加をなんとしてもはばみたいひとびととの、とても深刻なたたかいである。それぞれの居場所で、各人が各人の言葉で、各人が各人のそぶりで、意思表示すること。「日常」をねつ造するメディアに流されないこと。ことは集団的自衛権行使の「範囲」の問題ではない。そもそも集団的自衛権じたいに同意しない、うべなうことができないのだ。9条に踏みとどまること。ひとり沈思すること。にらみ返すこと。敵と味方を見誤らないこと。いまを凝視すること。静かにきっぱりと、反対を告げること。「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性」をいま眼前にしている。それはよみがえったのだ。虚しくても空疎でも徒労でも面倒でも、たたかいつづけること。怒りをずっともちつづけること。安倍政権はうち倒されるためにのみ存在している。エベレストにのぼった。(辺見庸:私事片々 2014/06/17)

…………

・おい、安倍晋三よ、以下を読め。衆院本会議での答弁。吉田茂首相「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定しておりませぬが、第9条第2項において、一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。従来、近年の戦争は多く自衛権の名において戦われたのであります。満州事変が然り、太平洋戦争また然りであります」「戦争放棄に関する憲法の草案条項におきまして、(質問者は)国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私はかくの如きことを認むることが有害であると思うのであります(拍手)。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが戦争を誘発するゆえんであると思うのであります。(自衛のための軍隊などという)御意見の如きは有害無益の議論と私は考えます(拍手)」(昭和21年=1946年6月26日。下線は引用者)。安倍、高村、石破よ、よく読め。「正当防衛権を認むることが戦争を誘発するゆえん」。日本の戦後はこうしてはじまり、〈新しい戦前〉のいまがある。(辺見庸「私事片々(2014/06/19)」)


加藤周一国会参考人の議事録(「第150回国会 憲法調査会 第2号 平成十二年十一月二十七日(月曜日) 」)。

それで、日本に関してもう一言申し上げておきたいと思うんですが、現実には日本の再武装があるわけですね。自衛隊があって、強い軍事力があって、そして憲法と矛盾しているじゃないかという議論が当然あると思うんです。しかし第一に、一般的に言えば、法律は現実と矛盾しているから法律があるんです。もし矛盾がなければ、だからほとんど現実と法 律との乖離は法律のレーゾンデートルです。泥棒がいなければ刑法は要らないんだから。 しかし、それは一般論です。 特に今の第九条に関しては、今まで申し上げたことがある程度それを説明していると思いますが、これはいわゆる解釈改憲で、政策をとってだんだんに軍備が増大したから現実と離れたんでね、そうでしょう。だから現在の問題は、憲法を現実に近づけるか現実を憲法に近づけるか、どっちかということになると思う。それが根本的な仕方ですね。 今までの私のお話ししたことで、ちょっとはしょりますが、結論は、今後の日本の行き先と しては、先取りの憲法は世界で早く徹底した平和主義をとったから先取りというだけではな くて、日本の将来にとって有効な政策を憲法が先取りしているというふうに私は考えます。 ですから、変えるよりも変えない方がいい。なぜならば、憲法にあらわれていることを実現することが日本の将来を開くのであって、憲法を変えて現在の現実に近づけることが将来を開くんじゃないんですね。 その状況はほとんど米国憲法のシビルライツに似ていますね。人種の平等をうたっているわけだから、米国憲法は。ところが、差別は非常に強かった。憲法を変えてそれを現実 に合わせたんじゃなくて、憲法に現実を合わせようとしたのがシビルライツです。そして、 その成果はかなり大きかった、六〇年代から七〇年代にかけて。ですから、日本国憲法 の場合にも同じような構造があると私は考えます。(資料:憲法の本音と建て前)

…………

ところで、社会思想史研究者のツイートにこうあった、《後期資本主義という社会制度のせいである。我われの眼差しは、胃袋からやはり社会構造へ》

後期資本主義という社会制度とは、「新自由主義」システムとしてよいだろう。あるいは「市場原理主義」のそれと。89年の冷戦の終焉以後しだいにその姿が露骨になり、現在はいっそうのこと「市場原理主義」がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られるようになっている。

成功、投資、生産性、競争性、革新、成長、アウトプットーーこれらはすべて経済のディスクール、――ラカン派的に言えば「資本主義のディスクール」ーーの語彙群であるが、大学人もこれらの評語の音楽に乗って「踊る」ことを余儀なくされているに相違ない。(参照:Paul Verhaeghe“ Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities http://gfm.statsvet.uu.se/Portals/1/UppsalaUfourdec2013.pdf


だが、そもそも研究者や学者たちが、「無関心と無知と無自覚」でありうるのは、「財布の中身」だけの問題ではないだろう。フロイトさえ次のようであった。

◆ジジェク『LESS THAN NOTHING』より

フロイトの選挙投票の選好(フロイトの手紙によれば、彼の選挙区にリベラルな候補者が立候補したときの例外を除いて、通例は投票しなかった)は、それゆえ、単なる個人的な事柄ではない。それはフロイトの理論に立脚している。フロイトのリベラルな中立性の限界は、1934年に明らかになった。それは、ドルフースがオーストリアを支配して、共同体国家(職業共同体)を押しつけたときのことだ。そのときウィーンの郊外で武装した衝突が起った(とくにカール マルクス ホーフの周辺の、社会民主主義の誇りであった巨大な労働者のハウジングプロジェクトにて)。この情景は超現実主義的な様相がないわけではない。ウィーンの中心部では、有名なカフェでの生活は通常通りだった(ドルフース自身、この日常性を擁護した)、他方、一マイルそこら離れた場所では、兵士たちが労働者の区画を爆撃していた。この状況下、精神分析学連合はそのメンバーに衝突から距離をとるように指令していた。すなわち事実上はドルフースに与することであり、彼ら自身、四年後のナチの占領にいささかの貢献をしたわけだ。(ジジェク 私意訳)

Freud's voting preferences (in a letter, he reported that, as a rule, he did not vote—the exception occurred only when there was a liberal candidate in his district) are thus not just a private matter, they are grounded in his theory. The limits of Freudian liberal neutrality became clear in 1934, when Dolfuss took over in Austria, imposing a corporate state, and armed conflicts exploded in Vienna suburbs (especially around Karl Marx Hof, a big workers housing project which was the pride of Social Democracy). The scene was not without its surreal aspects: in central Vienna, life in the famous cafés went on as normal (with Dolfuss presenting himself as defender of this normality), while a mile or so away, soldiers were bombarding workers' blocks. In this situation, the psychoanalytic association issued a directive prohibiting its members from taking sides in the conflict—effectively siding with Dolfuss and making its own small contribution to the Nazi takeover four years later.(ZIZEK “LESS THAN NOTHING”)

ジジェクは大著『LESS THAN NOTHING』(2012)の最終章(「CONCLUSION: THE POLITICAL SUSPENSION OF THE ETHICAL」)にて、フロイトばかりでなく、ラカンや自らの師であるラカンの娘婿ジャック=アラン・ミレールをも、その「政治的」姿勢を批判している。だがその具体的内容については、ここでの話題とは異なり、いま触れることはしない。そもそも上の文は、フロイトの『集団心理学と自我の分析』における考え方ーー《フロイトのリベラルな視点では、極右的リンチの群衆と左翼の革命的集団はリピドー的には同一のものとして扱われる。これらの二つの集団は、同じように、破壊的な、あるいは無制限な死の欲動の奔出になすがままになっている云々》ーーこの考え方への批判(吟味)文の註記である。

いまは冒頭の話に戻って、ジジェクがリーマン・ショック後、しばしば引用する(好んで?)アイン・ランドの言葉を掲げておくだけにする。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)





2014年6月21日土曜日

「わたしに何事が起ったのだろう。聞け!」

Bibiana Nwobilo



※Elisabeth Schwarzkopf、Kirsten Flagstad、Aulikki Rautawaara、Cloe Elmo、Rosa Olitzka





《水べを渉る鷭の声に変化した女の声を聴く》(吉岡実)

まさに、ごくわずかなこと。ごくかすかなこと、ごく軽やかなこと、ちょろりと走るとかげ。一つの息、一つの疾駆、一つのまばたきーーまさに、わずかこそが、最善のたぐいの幸福をつくるのだ。静かに。

――わたしに何事が起ったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(『ツァラトゥストラ』第四部「正午」)


ーー同じ曲の歌唱ではないが、他の時期の彼女の歌声を聴いても、このほとばしるアンテンシテ(強度)は、わたくしにはきこえてこない。彼女は激しい恋をしていたのではないか? そんな憶測をしたくなるほどの絶唱である。

もっとも、ひとは齢を重ねれば技術は向上するだろうが、ほとんど誰もが萌芽期にあった「ビロードの肌ざわり」を失ってしまう。

理知が摘みとってくる真実――この上もなく高次な精神の理知であっても、とにかく理知が摘みとってくる真実――透かし窓から、まんまえから、光のただなかで、摘みとってくる真実についていえば、なるほどその価値は非常に大きいかもしれない。しかしながらそのような真実な、より干からびた輪郭をもち、平板で、深さがない、というのは、そこには、真実に到達するために乗りこえるべき深さがなかったからであり、そうした真実は再創造されたものではなかったからだ。心の奥深くに神秘な真実があらわれなくなった作家たちは、ある年齢からは、理知にたよってしか書かなくなることが多い、彼らにはその理知が次第に力を増してきたのだ、それゆえ、彼らの壮年期の本は、その青年期の本よりも、はるかに力強くはあるが、そこにはもはやおなじようなビロードの肌ざわりはない。(プルースト「見出された時」)

《最初、わたしの青空の中に あなたは白く浮かび上がった塔だった。あなたは初夏の光の中で大きく笑った。わたしはその日、河原に降りて笹舟を流し、あふれる夢を絵の具のように水に溶いた。空の高みへ小鳥の群れはひっきりなしに突き抜けていた。空はいつでも青かった。わたしはわたしの夢の過剰で一杯だった。白い花は梢でゆさゆさ揺れていた。》(大岡信「青空」より)


Je-t-aimeは能動的である。自身を力として確認するーー他の諸力に逆らって。いかなる力か。世間に存在する無数の力(科学、通念、現実、理性、など)、Je-t-aimeの価値を低めようとするすべての力。あるいはまた、言語に逆らって。(……)発語としてのJe-t-aimeは記号ではない。記号の負けに賭けるものなのだ。Je-t-aimeを言わぬ者(唇の間をJe-t-aimeが通過することを望まぬ者)は、多様で、不確実で、疑わしく、かつ貪欲な愛の諸記号を、その標識を、その「証拠」を、つまりは、身振り、視線、ほほえみ、ほのめかし、省略などを、とめどもなく発しつづけるほかない。彼は解釈されるがままになるしかない。愛の諸記号の反動的要求に支配され、すべてを言わぬことによって言語の隷属的世界に譲渡されてしまうのだ(奴隷とは舌を切られた者、態度、身振り、表情でしか語れぬ者である)。

恋愛の諸「記号」は広範な反動的文学を養っている。愛は表象され、外観の美学に委ねられている(要するに、恋愛小説を書くのはアポロンなのだ)。反記号としてのJe-t-aimeはディオニューソスの側になる。苦痛は否定されない(嘆きも、嫌悪も、怨念さえも)。ただし、発語によって苦痛が内化されるのではない。Je-t-aimeを言うこと(それをくりかえすこと)は、反動的なものを放逐すること、それを、記号の、ことばの迂路(ただし、わたしはたえずそこを通過しつづけている)の、音のない悲しい世界へ送り返すことなのである。(ロラン・バルト「わたしは・あなたを・愛しています」『恋愛のディスクール・断章』)


Barbara Hendricks  Schubert "Nacht und Träume"



人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくとこもある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。(……)

その眼や指先、その髪や胸や腰、その衣裳や姿勢……その一瞬の表情には、――それは歓びに輝いていたり、不安に怯えていたり、断乎として決意にみちていたり、悲しみにうちひしがれていたりするのだが、――私の知らない女の過去のすべてが凝縮され、当人にさえもわからない未来が影を落としている。(加藤周一『絵のなかの女たち』)

2014年5月17日土曜日

五月十七日 美談家森鴎外

◆ 『伊沢蘭軒』 最終回 その三百七十一より

わたくしの渋江抽斎、伊沢蘭軒等を伝したのが、常識なきの致す所だと云ふことは、必ずや彼書牘の言の如くであらう。そしてわたくしは常識なきがために、初より読者の心理状態を閑却したのであらう。しかしわたくしは学殖なきを憂ふる。常識なきを憂へない。天下は常識に富める人の多きに堪へない。


この文は、荷風の『濹東綺譚』にも引用されている、ーー《「言文一致でも鴎外先生のものだけは、朗吟する事ができますね。」帚葉翁は眼鏡をはずし両眼を閉じて、伊沢蘭軒が伝の末節を唱えた。「わたくしは学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに堪えない。」》(『濹東綺譚』)


◆その三百七十より

……此にわたくしの自ら省みて認めざることを得ざる失錯が胚胎してゐる。即ち異例の長文が人を倦ましめたことである。(……)

人はわたくしの文の長きに倦んだ。しかし是は人の蘭軒伝を厭悪した唯一の理由では無い。蘭軒伝は初未だ篇を累ねざるに当つて、早く既に人の嘲罵に遭つた。無名の書牘はわたくしを詰責して已まなかつたのである。

書牘はわたくしの常識なきを責めた。その常識なしとするには二因がある。無用の文を作るとなすものが其一、新聞紙に載すべからざるものを載すとなすものが其二である。此二つのものは実は程度の差があるに過ぎない。新聞紙のために無用なりとすると、絶待に無用なりとするとの差である。

わたくしは今自家の文の有用無用を論ずることを忌避する。わたくしは敢て嘲を解かうとはしない。

…………

『伊沢蘭軒』を読み終わって、今度は『渋江抽斎』を読み返す。かねてからいささか奇妙に感じていた叙述がある。抽斎の嗣子である渋江保と姉や甥のあいだに十数年も付き合いがなくなってた事が書かれてる箇所だ。明治時代に姉弟の間でそんな形で疎遠になることがあるのは、よほど互いに軋轢があったのではないかと疑うのだが、鴎外の文には、そのことに触れている箇所はやはり今回も見当たらない。たとえば父母の忌日などの法事も姉と弟でそれぞれ勝手にやっていたのだろうか。

血族関係は杵屋勝久さんが姉で、保さんが弟である。この二人の同胞の間に脩という人があって、亡くなって、その子が終吉さんである。然るに勝久さんは長唄の師匠、保さんは著述家、終吉さんは図案を作ることを業とする画家であって、三軒の家は頗る生計の方向を殊にしている。そこで早く怙を失った終吉さんは伯母をたよって往来をしていても、勝久さんと保さんとはいつとなく疎遠になって、勝久さんは久しく弟の住所をだに知らずにいたそうである。(その七)
今残っている勝久さんと保さんとの姉弟、それから終吉さんの父脩、この三人の子は一つ腹で、抽斎の四人目の妻、山内氏五百の生んだのである。勝久さんは名を陸という。(その九)

鴎外の『渋江抽斎』新聞連載が機縁になって三人は漸く顔を合わせたり手紙をやりとりするようになる、《叔父甥はここに十数年を隔てて相見たのだそうである。》(その八)

あるいは杵屋勝久、すなわち保の姉陸は、母五百に溺愛され過ぎた弟保との気持ちの疎隔があって、《勝久さんと保さんとはいつとなく疎遠になって、勝久さんは久しく弟の住所をだに知らずにいた》のではないかなどと憶測したくなるときがある。

陸が生れた弘化四年には、三女棠がまだ三歳で、母の懐を離れなかったので、陸は生れ降ちるとすぐに、小柳町の大工の棟梁新八というものの家へ里子に遣られた。さて嘉永四年に棠が七歳で亡くなったので、母五百が五歳の陸を呼び返そうとすると、偶矢島氏鉄が来たのを抱いて寝なくてはならなくなって、陸を還すことを見あわせた。翌五年にようよう還った陸は、色の白い、愛らしい六歳の少女であった。しかし五百の胸をば棠を惜む情が全く占めていたので、陸は十分に母の愛に浴することが出来ずに、母に対しては頗る自ら抑遜していなくてはならなかった。

これに反して抽斎は陸を愛撫して、身辺におらせて使役しつつ、或時五百にこういった。「己はこんなに丈夫だから、どうもお前よりは長く生きていそうだ。それだから今の内に、こうして陸を為込んで置いて、お前に先へ死なれた時、この子を女房代りにするつもりだ。」(その八十五)
陸は翌年まで里親の許に置かれた。 棠は美しい子で、抽斎の女の中では純と棠との容姿が最も人に褒められていた。五百の兄栄次郎は棠の踊を看る度に、「食い附きたいような子だ」といった。五百も余り棠の美しさを云々するので、陸は「お母あ様の姉えさんを褒めるのを聞いていると、わたしなんぞはお化のような顔をしているとしか思われない」といい、また棠の死んだ時、「大方お母あ様はわたしを代に死なせたかったのだろう」とさえいった。(その六十九)

さらには杵屋勝久は愛する父の嗣子保に不甲斐なさを感じていたのかもと疑える痕跡ーーもちろんこれもわたくしの勝手な憶測であるがーーそう読みたくなる鴎外の保評がわずかにないでもない。

保さんは抽斎の第七子で、継嗣となったものである。(……)師範学校において、教育家として養成せられ、共立学舎、慶応義塾において英語を研究し、浜松、静岡にあっては、あるいは校長となり、あるいは教頭となり、旁新聞記者として、政治を論じた。しかし最も大いに精力を費したものは、書肆博文館のためにする著作翻訳で、その刊行する所の書が、通計約百五十部の多きに至っている。その書は随時世人を啓発した功はあるにしても、概皆時尚を追う書估の誅求に応じて筆を走らせたものである。保さんの精力は徒費せられたといわざることを得ない。(その百十二)


抽斎伝は嗣子渋江保からの聞き書きの箇所が多分にある。抽斎の四人目の妻五百をめぐる出来事の叙述は何度読んでも面白いが、この小説を史伝物とするわけにはいかない。

大岡昇平が鴎外の『堺事件』を美談に過ぎないとしたように、抽斎伝も抽斎の妻五百の「美談」の物語と言ってもよい箇所が多分にあるのではないか。五百は息子保を溺愛していた。その溺愛された渋江保の母の物語の聞き書き。とくに抽斎が死去した後の後半はその印象が強い。

保の名は成善(しげよし)であったが、明治四年、保と名を改めている。《これは母を懐うが故に改めたので、母は五百の字面の雅ならざるがために、常に伊保と署していたのだそうである。》(その九十三)

以下の加藤周一の文は『渋江抽斎』の最も有名な箇所を引用しての五百賛である。この賞賛を批判するつもりはない。おそらく殆どの読み手は、この五百が腰巻一枚で三人の不埒な侍を追い払った場面の叙述に魅惑されるだろう。だが、この加藤周一の文は五百という人物をいささか褒め過ぎているきらいがないでもないと今は思う。鴎外の聞き書き文にわずかでも「批判=吟味」があっていいのではないか、と。鴎外の小説には、大正以後の多くの日本の小説家や批評家たちに救い難くある「メロドラマ性」の嚆矢がありはしないか。

みずから進んで抽斎の妻に嫁し、思慮深く、好学心があり、しかも勇敢であった五百に鷗外は遂にみずから得なかった理想の妻の姿を見出したのではなかろうか。

作中もっとも劇的な場面の一つは、抽斎を脅迫する三人の侍を、五百が追い出した話である。三人が訪れたとき、五百は浴室にいた。三人は奥の間に通って、抽斎に金を要求し、容れられずとみるや、刀の柄(つか)に手をかけて、抽斎をかこんだ。そのにらみ合いの最中に、廊下に足音もせず、静かに障子が開く。

《刀の柄に手を掛けて立ち上った三人の客を前に控えて、四畳半の端近く坐していた抽斎は、客から目を放さずに、障子の開いた口を斜に見遣った。そして妻五百の異様な姿に驚いた。

五百は僅(わずか)に腰巻一つ身に著けたばかりの裸体であった。口には懐剣を銜(くわ)えていた。そして閾(しきい)際に身を屈めて、縁側に置いた小桶二つを両手に取り上げるところであった。小桶からは湯気が立ち升(のぼ)っている。縁側を戸口まで忍び寄って障子を開く時、持って来た小桶を下に置いたのであろう。

五百は小桶を持ったまま、つと一間に進み入って、夫を背にして立った。そして沸き返るあがり湯を盛った小桶を、右左の二人の客に投げ附け、銜えていた懐剣を把って鞘を払った。そして床の間を背にして立った一人の客を睨んで、「どろぼう」と一声叫んだ。

熱湯を浴びた二人が先に、柄に手を掛けた刀をも抜かずに、座敷から縁側へ、縁側から庭へ逃げた。跡の一人も続いて逃げた。》(森鴎外著『渋江抽斎』)

これは探偵小説の一場面ではなく、さながら映画の活劇場面であろう。腰巻一枚の方はしばらく措き、果たして今日の映画女優に、一声能(よ)く三人の侍を走らせる裂帛(れっぱく)の気合ありやなしや。私は尊敬する先学北野克氏から恵贈された五百自筆の短冊「秋雨」を居室に掲げ、それをみる度に、鴎外の描いた幕末の女の勇気を想出す。(加藤周一著「『渋江抽斎』について」)

※永井荷風、石川淳、丸谷才一などの『渋江抽斎』賛は、「一片欣々たる皇室尊崇の念(森鷗外)」を見よ。


…………

附記:

抽斎の長男恒善が没した後の経緯を、考証家梅谷文夫氏は次のように書いている(「渋江抽斎・吉田篁墩・岡本況斎に関する雑記」1993)。

嫡子を失った抽斎は,当然のことながら,他の子息をもって嫡子とし,その旨を藩庁に届出ているはずである。『江戸日記』を検したところ,安政三年十二月二十八日の条に,次の一項が記録されていた。

 一 渋江道純儀,嫡子無之二付,道陸儀,嫡子,願之通被仰付之。

 分限帳には「道陸」嫡子願いを証する記事を見出し得ないが,そのほかに,弘前市立弘前図書館所蔵『江戸御家中明細帳』元治元年本に,抽斎の跡式を相続した「道陸」について,次のように記録されていた。


七代目                道純三男為嫡子渋江道陸


一 安政三丙辰年十二月廿八日嫡子願之通。○同四丁巳年三月朔日御目見。○同五戊午年十一月朔日親道純跡式御給分無相違瑛喜人被下置,小普請医被仰付之。尤道純是是迄之勤料は被差引之。


抽斎は,安政三年十二月二十八日に,三男「道陸」を嫡子とすることの允許を得たというのである。既述のように,三男八三郎は,天保十三年八月三日に生まれ,同年十一月九日に没している。四男幻香水子は,弘化三年十月十九日に死産した子である。

とすれぱ,抽斎が三男と称して嫡子とすることを願い出た「道陸」は,安政元年二月十四日に生まれた五男専六(修)でなければならない。七男成善,すなわち保は,まだ生まれていなかったのである。

 渋江家六代目道純,すなわち抽斎の後を継いだ七代目道陸は,抽斎の五男専六,すなわち図案家渋江終吉の父脩であったと考えて,誤りあるまい。

 保が脩に代わって渋江家を継いだ時期は,いまだに,これを明らかにし得ない。鴎外によれぱ,脩は,明治三年十二月二十九日に,山田源吾の養子になったというから,それ以前に,廃嫡されたのであろう。保は,抽斎の後を継いだのではなく,脩の後を継いだのであるが,当時の習慣では,このような場合,保を抽斎の嗣子と称しても,虚偽を称したことにはならなかったようである。

 抽斎の知友海保漁村は,『抽斎渋江君墓砥銘』に,「有三子。長恒善,尾島氏出。先卒。次優善,岡西氏出。出為矢島氏後。三成善,山内氏出。継。」と記述している。鴎外は,保の証言に従って,墓隅銘に言う三男「成善」を保と解し,『渋江抽斎』その八に,「勝久さんや終吉さんの亡父脩は此文に載せて無い」と書記している。しかし,抽斎の跡式を相続した「道陸」が,既述のように,五男専六,のちの脩であるならば,墓碍銘に言う三男「成善」も,また,五男専六と解するのが自然であろう。早世した三男・四男を数えぬとすれば,専六は三男ということになる。七男保を「成善」に当てるより,無理はないのである。「成善」は,保の名ではなく,専六,すなわち脩の名であったのではあるまいか。

 抽斎没後の渋江家の相続人に関する謎を解く鍵は,一家が弘前に移住した後にあると推察するが,その時期の渋江家の動静を知る資料を,いまだ見出し得ないでいるために,あと一歩のところで解決し得ないのである。

2014年5月8日木曜日

五月八日 「あんた日本人でしょ、あたしの人生返して!」

ーー「もう一度、17歳のときの青春に戻して」(金学順)
――”I lost my life”(Teng-Kao Pao-Chu )

……社会構築主義者は、また、元従軍慰安婦の運動を支持する多くの知識人も、民族と国民は想像的に構築された所産にすぎないからということで、また、ナショナリズムの再興に加担することになるからということで、日本人としての責任に疑義を呈した。

 これに対して、徐京植(Suh Kyung Sik)は、『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人』(影書房、2002)で、社会構築主義者の上野千鶴子に対して、こう反論した。「上野氏は「国民」というのは「わたし」を作り上げているさまざまな関係性のひとつにすぎないとして、「単一のカテゴリーの特権化や本質化」を拒絶すると述べている。上野氏と同じように、「日本人」というのは自分を構成する多面的なアイデンティティーの一側面にすぎない、と多くの日本人がことさらに言う。そんなことは当然ではないか。私にとっても、「韓国人」というのは「私」の一側面にすぎない。だが、ある集団の他の集団に対する加害責任が問題となっているこの場では、「あなた」という存在の、逃れようのない一側面が名指しを受けているのである」(p.80)。

また、李順愛(イ・スネ)は、『戦後世代の戦争責任論』(岩波書店、1998)で、こう追及した。「朝鮮人が朝鮮人であることを、また、在日朝鮮人が朝鮮人であることを、いやがおうでも意識させ骨身にしみさせたのは日本人だった。他の民族意識を刺激しておいて、問題は未解決のまま、その当の日本のインテリは「日本人であること」「日本国民であること」を知的・観念的に否定してみせるのである」。(小泉義之「他者のために生きる」)

この種の、すなわち上野千鶴子が応答したのと似たようなことを、われわれは言い勝ちなのであって、それはなにも「社会構築主義者」であるからだけではない。だが、《国家が国家であるのは、外部に国家があるからですね。》(柄谷行人『闘争のエチカ』)であるとするなら、日本人が日本人であるのは、外国人があるからだ。韓国人からあなたたち日本人はわたしたちになんということをしたのだ、と言われたとき、この日本人という「名指し」からどうして逃れられよう。(多血質な、そして堅固な意志と非妥協的な誠実さの民から、曖昧模糊とした気質、世間の動向を気にして「空気」を読みながら行動する「根回し」の民への糾弾という面をも忘れないでおこう)。

そもそも社会構築主義とはなんだって?  

歴史の「真実truth」や「事実fact」が実在するのではなく、ただ特定の視角からの問題化による再構成された「現実reality」があるだけである。すべての歴史 叙述が現在から構築されたものであることを認めたうえで、文書中心主義的実証主義から離脱しなくてはならない。(上野千鶴子編 『構築主義とは何か』 勁草書房)

この程度のことを言うのに(いやこれだけでもないのだろうが)、堅苦しい言葉を使うものだ。どうも社会学の概念は、仲間同士の隠語のように聞こえてしまう。と書けば冥府から懐かしい声がしてくる。

池内紀)去年だったかな。『朝日新聞』の書評委員会で、書名をずっと読み上げるでしょう。それで『社会学は何ができるか』という書名が読み上げられたとき、須賀さんがはっきり通る声で、すぐ合いの手を入れた。「何もできない」って(笑)。ぼくもずっとそう思っていたんだけれども勇気がなかったからいえなかった。前に社会学の先生が二人おられたし……(笑)(『追悼特集 須賀敦子』河出書房新社1998)

で、なんの話だったか。ーー「社会構築主義」などという言葉に引っかかってしまったが、どうやらそれはトーマス・クーンの「パラダイム」概念が出自のひとつのようだ。

クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依拠していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」は存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される。(柄谷行人『隠喩としての建築』ーー「人間的主観性のパラドックス」覚書)

さて元に戻れば、たとえば「慰安婦」問題ではなく、もっと大きく戦争責任を問われたとする。

「あんた私の祖国に土足で上がりこんでさんざん荒らした日本人なのね」

ーー私はそのとき生まれてなかったんだから、日本人って言われたって関係ないよ、と応じたくなるところだ。

生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。(加藤周一「今日も残る戦争責任」『加藤周一 戦後を語る』所収)  

加藤周一は《戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある》としている。この「存続している」ものは何だろう。

加藤周一は,こう問うた。

2003年3月20日に開始されたイラク戦争に対する,日本とドイツの政府の態度がおおきく異なったのは,なぜか。

ドイツは参戦を拒否し,日本は平和だろうと戦争だろうとアメリカのあとにしたがう。ドイツは「ヒトラーに臣従した過去」を徹底的に批判し,いまや「アメリカの権力にも権威にも臣従しようとしない」国である。それにくらべ日本は,かつては「臣民にすぎなかった過去」から真に訣別しなかったゆえ,「国民が主権を保持する国」となったいまでも、「昔を懐かしみ和を貴しとする」以外に批判精神を研ぎすますことがすくない)。bbgmgt-institute.org/Ronsou12.pdf

ある時期までのマスコミは《戦時中の自分たちの振る舞いについていままで何度も反省し、それをこれ見よがしに公表し、総括を行ってきたはずだった》し、学者たちもそれを教壇で教えてきたはずだった。いまはそれも滅多にみられない。であるならよりいっそう冒頭の糾弾から逃れるわけにはいかない。(先ほど引用した文に引き続き、小泉義之氏はすこし異なった形で、――日本人の「無限責任」としてーー語っているのだが、この「無限責任」の議論のいくらかは、「「慰安婦」、あるいは支配的イデオロギー」を見よ)。

…………

以下、別に投稿しようと思ったがここに附記。

ガヤトリ・スピヴァックは「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」という言い方をしています。強姦自体はどんなことがあっても正当化されない。しかし、子どもができてしまった場合は、その子どもを排除してはならないという意味です。この言葉自体を、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉だと思います。スピヴァックは直接にはインドの言語状況における英語のプレゼンスについて語っているのですが、これが現実の植民地状況で、今なお起きている事態であり、単なるメタファーとして言っているのではないでしょう。(鵜飼哲 共同討議「ポストコロニアルの思想とは何か」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

《ポストコロニアリズムの 「ポスト」は、コロニアリズムが終わったという意味ではない。(……)一般の意識においては過去とみなされていながら現代のわれわれの社会性や意識を深く規定している構造、それをどう考えるのか、それとどう向き合っていくべきかという問題提起が、この接頭辞には含まれている。》(鵜飼哲『〈複数文化〉のために』 )


◆ポストコロニアリズム 犬飼太介より www.diced.jp/~genbun/event/pdf/1999kouen_inukai.pdf‎

アメリカ大陸という女性 コロンブスは自身の航海誌において土着の民は<女も、母親が産んだ時と同じ状態の裸で歩いております>という一文を記録している。この<部分的記述>が帝国主義イデオロギーによって<全体の物語に仕立て上げ>られてしまった。<イデオロギーは部分を、当然の「常識」や「自然」として、ときには「現実それ自体」として表現することによって、これを成し遂げる>。 ここにおいて新大陸アメリカは往々にして男性侵略を待ち受ける裸の女として表象され、「処女地」という単一像がヨーロッパのために産出される。 そして裸のアメリカは着衣し武装したヨーロッパにレイプされる。

鵜飼哲は、「ポストコロニアリティとは強姦によって生れた子どもである」について《誰が、誰が、どこにアクセントを置いて、どういうふうに言うかで、まさに発話の位置が問われるような言葉》としているが、たとえば、強姦した主体が言う場合と、強姦された主体が言う場合があるだろう。前者は場合によっては、「吐き捨てるように」言うことがあるかもしれない。強姦した主体が「真に」反省して発話すれば、それはたちまち無限責任の領域の話になってくる。

逆に強姦された主体は、「従軍慰安婦」としての〈私〉の現在のあり様を、植民地主義という強姦によって生れた子どもという言い方をすることがあるのかもしれない。とすれば世界中に、たとえば上にあるようにアメリカ先住民の現在の土地返還の訴えも、この「強姦によって生れた子ども」の文脈で語ることができる。だがアクセントによって、誰がいうかによって、ひとをひどく傷つける言葉であることを念頭に置かなければならない。そのことの微妙さをも鵜飼氏は語っているのだろう。

「従軍慰安婦」問題は日本国家の問題ではあるが、それが日本国家だけの問題ではない、という認識は、世界的に共有されつつある。それはまさしく近代国民国家の「性の政治」の最もおぞましい極限態であり、女性を分断しつつ暴力的に支配、搾取してきた近代国民国家の男根主義の象徴なのである。

それはまた、近代国民国家の植民地主義、人種間闘争、自民族中心主義、民族浄化政策の無惨な帰結である。これらは欧米中心的世界システムの中で、巧妙に隠蔽されてきたし、支配体制側の歴史からは抹殺されていた。こうした近代国家の恥部を白日の下に晒したのが、ナチスドイツであり、日本国家である。(大越愛子「「従軍慰安婦」問題のポリティクス」『批評空間』Ⅱ 11-1996)

…………

冒頭のような告発、すなわち欲しても取り返しようのない不可能な願いをしてもよいのか、という疑義はあるかもしれない。また過去の同じような不幸があっても、そのように語らない人もいるだろう。心的外傷という側面を除いて言っても、あのように発話した当時、当人は「不幸」だったのではないかとも憶測される。

(一般に)過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。(中井久夫「統合失調症の精神療法」『徴候・記憶・外傷』所収)

遡及的な外傷という言い方もある。《自分の象徴的世界の行き詰まりを打開するために、遡及的に外傷化され、外傷的な<現実界>にまで引き上げられた。》(ジジェク)

だがこのようなことは、面と向かっては言い難い。また当事者の実践的態度のあるべき姿というのは、理想的にはニーチェの『運命愛」なのかもしれないが、これも、そうあれ! とは要請し難い。

「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(中略)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(『権力への意志』原佑訳)
ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。

彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所与のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。

ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。

しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187 岩波書店)

もし「強姦された者」がこのような実践的な自由な主体であったにしろ、柄谷行人がこの文の最後にいうように、少なくとも「強姦した者」にとっては、括弧に入られた因果的決定の括弧を外してみなければならない。やはりその当時の社会的諸関係を見なければならないし、その社会的諸関係が現在も続くならなおさらである。

人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ、--あらゆる理想主義は、必然的なことを隠し立てしている虚偽だーー、それではなく必然的なことを愛すること……(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

柄谷行人の言葉を繰り返せば、運命愛は運命論的態度とは異なる、ニーチェのこの概念を受け止めるとき、それが最も肝要な点だろう、--《ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。》