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2014年11月14日金曜日

この古い写真(1854年)は私の心を打つ

侯 孝賢《風櫃來的人》


《またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.》(黒田夏子






…………



一軒の古い家屋、影になっているポーチ、屋根瓦、昔のアラブ風の装飾、壁に寄りかかって坐っている男、人気のない街路、地中海沿岸に見られ樹木(チャールズ・クリフォード撮影の「アルハンブラ」)。この古い写真(1854年)は私の心を打つ。私はひたすらここで暮らしたいと思う。この願望は、私の心の奥深いところに、私の知らない根を下ろしている。私を引きつけるのは、気候の暑さか? 地中海の神話か? アポロン的静謐さか? 相続人のいない状態か? 隠棲か? 匿名性か? 気高さか? いずれにせよ(私自身、私の動機、私の幻想がどのようなものであるにせよ)、私はそこで繊細に暮らしたいと思うーーその繊細さは、観光写真によっては決して満足させられない。私にとって風景写真は(都市のものであれ田舎のものであれ)、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。この居住の欲望は、自分自身の心に照らしてよく観察すると、夢幻的なものではない(私は非日常的な場所を夢みているわけではない)し、また、経験的なものでもない(私は不動産屋の案内広告の写真を見て、家を買おうとしてるわけではない)。この欲望は幻想的なものであり、一種の透視力に根ざしている。透視力によって私は未来の、あるユートピア的な時代のほうへ運ばれるか、または過去の、どこか知らぬが私自身のいた場所に連れもどされるように思われる。ボードレールが「旅への誘い」と「前の世」でうたっているのは、この二重の運動である。そうした大好きな風景を前にすると、いわば私は、かつてそこにいたことがあり、いつかそこにもどっていくことになる、ということを確信する。ところでフロイトは、母胎について、《かつてそこにいたことがあると、これほどの確信をもって言える場所はほかにない》(『不気味なもの』)と言っている。してみると、(欲望によって選ばれた)風景の本質もまた、このようなものであろう。私の心に(少しも不安を与えない)「母」をよみがえらせる、故郷のようなもの(heimlich)であろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』p52-53)

History of photography in Spain


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フォーレのOP108は、わたくしにはバッハのBWV 1056やBWV1043(BWV 1062)のLARGOなどをどうしても想起せざるをえないのだが、どうして誰もそういっていないのだろう。









2014年10月24日金曜日

「関係構造」は事物の存在より重要である

私は仕事のための場をふたつもっている。ひとつはパリに、そしてもうひとつはいなかに。二ヶ所に、共通の品物はひとつもない。何ひとつとして運んだことがないからだ。それにもかかわらず、これらふたつの場所は同一性をもっている。なぜか? 用具類(用紙、ペン、机、振子時計、灰皿)の配置が同じだからである。空間の同一性を成立させるのはその構造なのだ。この私的な現象を見ただけでも十分に、構造主義というものがはっきりわかるだろう。すなわち、体系は事物の存在より重要である、ということだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)

…………

天動説のままの阿呆鳥、あるいは「死の欲動」」にて、柄谷行人の「或る関係構造の項」をめぐる叙述を引用した。ここでもうすこし関係の構造――これはマルクスの価値形態論に起源(のひとつ)があるーーをめぐってメモしてみよう。

柄谷行人の"Revolution and Repetition"(「革命と反復」)にはこうある。おそらく日本語原文があるのだろうが、わたくしは手元に英文しかないので、まずこれを貼り付ける。

I believe that there is a repetition of history, and that it is possible to treat it scientifically. What is repeated is, to be sure, not an event but the structure, or the repetitive structure. Surprisingly, when a structure is repeated, the event often appears to be repeated as well. However, it is only the repetitive structure that can be repeated.

《私は歴史に反復があると信じている。そしてそれを科学的に扱うことが可能である。反復されるのは、たしかに、出来事ではなく、構造あるいは反復構造である。驚くべきことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて、しばしば現われる。しかしながら、反復されるのは反復構造のみである。》とでも訳せる文であろう。

 ところで、柄谷行人は、90年代、システム/出来事、記録/記憶を語った、《それは、システムと出来事の違いだし、記録と記憶の違いだね》(「悪い年」を超えて 浅田彰・坂本龍一・柄谷行人による鼎談 1996-9

これは次の文脈の流れのなかの発言である。

坂本:情報と経験の違いでもある。
(……)
浅田:ドゥルーズの『差異と反復』じゃないけど、記憶というのは常に差異の反復なんで、しかしだからこそ真実なわけじゃない? 全く同じものがコピーされてくるんだったら、記録の再生だけで、そこに本当の反復はない。

とすれば、柄谷行人が反復構造の反復を主張するとき、システムの反復を言っているのだろうか、それとも出来事の反復を言っているのだろうか。通常は、「構造」と言えば前者である。だが反復構造は記録ではなく記憶であるとも考えられないものだろうか。

さあて、ドゥルーズの『差異と反復』もつまみ読みをしただけであり、最近の柄谷行人の仕事にも疎いわたくしは首を傾げて思案するふりをしてみる。

次の文はプルーストの「レミニッサンス=無意識的想起」をめぐるなかで語られ、「純粋過去」の議論に発展していくなかでのドゥルーズの「反復」である。

それら二つの現在〔古い現在と現働的な現在〕が、もろもろの実在的(レエル)なものからなる系列のなかで可変的な間隔を置いて継起するということが真実であるとしても、それら二つの現在はむしろ、別の本性をもった潜在的対象に対して共存する二つの現実的な系列を形成しているのである。しかもその別の本性をもった潜在的対象は、それはそれでまた、それら二つの現実的な系列のなかで、たえず循環し遷移するのだ(たとえ、それぞれの系列のもろもろの位置や項や関係を実現する諸人物、つまり諸主体が、それらとしては依然、時間的に区別されているにしてもである)。反復は、ひとつの現在からもうひとつの現在へ向かって構成されるのではなく、むしろ、潜在的対象(対象=x)に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成されるのだ。(ドゥルーズ『差異と反復』)

潜在的対象(対象=x)とあれば、ラカンの現実界やら、対象a、そして享楽概念を想起せざるをえない。

ラカン派にはシニフィアンの反復をめぐる議論がある。ラカンはセミネールⅩⅠで二種類の反復を語っている。アリストテレス用語のautomaton/tucheを援用しつつ、象徴界におけるシニフィアンのくり返しが、”automaton”とされ、現実界的なものに促された反復がtuche(チュケー)である(参照:二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」)。

おそらくキルケゴール=ドゥルーズの反復とは、このチュケーの審級に属するものであるだろう。そして柄谷行人の《反復されるのは、たしかに、出来事ではなく、構造あるいは反復構造である。驚くべきことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて、しばしば現われる。しかしながら、反復されるのは反復構造のみである》という文における反復は、チュケーの審級の臭いが、わたくしにはぷんぷんしてくるが、ここで臆断は避けることにする。

ただ同じような反復にみえるものでも、潜在的対象(対象=x)ーーここではトラウマ的なものとしておくーーに促された反復は、シニフィアンの換喩的な連鎖による反復とは、異質なものであるには相違ない。

たとえば日本が戦前のある時期の「構造」を反復するとする。それはただシステムの反復 ”automaton”ではなく、tuche(チュケー)の反復として捉え得る。ここでは、戦後70年経っても解決されないままに居座る戦前の亡霊xによる反復という意味で言っている。《戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。》(「加藤周一「今日も残る戦争責任」)

ただこの議論はいまは発展させない。いずれ? それをめぐってもうすこし詳しく書くかもしれない? ーーとだけしておく。いやいつのことになるかわからないので、ここでそれにまつわる三つの論文を提示しておこう。

1、Jacques-Alain Miller“Transference, Repetition and the Sexual Real Reading The Four Fundamental Concepts of Psychoanalysis”

2、Alenka Zupancic" When Surplus Enjoyment Meets Surplus Value"

3、Ian Parker ”Identification: Signifiers, Negation and the Unary Trait in Seminar IX”


ただラカンは、セミネールⅩⅦにて、次のように言っている、《享楽はそれ自身へのシニフィアンの不十分(無能)以外のなにものでもない。Jouissance is nothing but the inadequacy of the signifier to itself》と。シニフィアンに不足しているものは、中期以降のラカン(ファルスから対象aへ、欲望から欲動へのラカン)においては、主体と対象aであるだろう(ラカンにとって主体とは無意識の主体のことである)。これはほとんどマルクスの剰余価値と同じことを言っている、《価値形態論の構造じたいが、みずからの完成を拒み、みずからに無限のくりかえしを強いることになる》(岩井克人『貨幣論』)。

もちろんラカンの剰余享楽はマルクスの剰余価値から生まれている。

マルクスの剰余価値という概念をもとにして、ラカンが剰余享楽なる概念をつくりあげたのは当然といえば当然であって、剰余享楽もまた貨幣と同じように、事物(快楽の対象)をその反対物に変え、通常はきわめて快い「正常な」性体験と見なされているものを猥褻なものに変え、(愛する人を苦しめるとか、辛い辱めに耐えるといった)ふつうは胸糞悪い行為と見なされているものを言葉では尽くせないほど魅惑的なものに変える、逆説的な力をもっている。(ジジェク『 斜めから見る』)

ここでドゥルーズがファルスと関連付けて語る《潜在的対象(対象=x)》とは実は、主体であり対象aであると修正したい誘惑にかられる。

だが、いまは関係構造の話である。

柄谷行人は、かねてより次のマルクスの文をくり返し引用している、

・《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。》(マルクス『資本論序文』)

・《彼らは、彼らの異種の生産物をたがいに交換において価値として等置させることいよって、彼らのさまざまな労働をたがいに人間労働として等置させるのだ。彼らはこのことを意識しないが、しかしそうやっているのだ。》(『資本論』第一巻第一部第一章第四節)

これをわたくしは次のように変奏してみる、《人はあるポジションにおかれたら、いくら「善」をなそうとしても、社会的な悪に染まってしまう。彼らはこのことを意識しないが、しかしそうやっているのだ。》

◆ひとは、たとえば大学教師のポジションに置かれたら、学者村(共同体)のなかでの保身に走るようになる。これは別に学者でなくてもよい、「専門家」というものはそういうものだ。

プロフェッショナルというのはある職能集団を前提としている以上、共同体的なものたらざるをえない。だから、プロの倫理感というものは相対的だし、共同体的な意志に保護されている。(蓮實重彦『闘争のエチカ』)

◆ひとは、生活苦のポジションに置かれたら、排外主義・レイシズムなどに無関心となる。

排外主義にしろ戦争準備政権にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、アベノミクスで経済の上向き期待感を与えてくれるならば、起きるかどうか不確かな戦争への傾斜の怖れなんかに気をとめるだろうか。この政策なら明日の給料がすこしでも上がって、すこしでも生活が楽になるかもしれないと思わせてくれるなら、安倍政権の欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。甘く見てはならないとか高をくくってはならないとか、「日常」をねつ造するメディアに流されないようになんて言われても、財布の中身のほうが大切に決ってる。(さる「社会思想史」研究者のツイート変奏

◆ひとは、病苦に襲われたら、自分以外のことはどうでもよくなる。

器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心を自分の愛の対象から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。(……)W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」と述べている。リビドーと自我への関心とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズムなるものはこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心が、肉体上の障害のために追いはらわれ、完全な無関心が突然それにとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』フロイト著作集5 p117)

であるならば、ひとは、自民党総裁のポジションにおかれれば、ネオナチを擁護し、経済界の奴隷になって市場原理主義を擁護する、などと言えるかもしれない(すくなくともベルリンの壁崩壊以後は)。いやナショナリズムでさえ仮装でありうる、資本の欲動一辺倒ではないか、とさえ臆断するひともいるだろう。

安倍晋三は集団的自衛権で、この米国の真似っこをしたいのです。だから中国も韓国も関係ない。保守も愛国も関係ない。領土も防衛も関係ない。たんに経団連傘下の大企業の受注を増やしてあげて、公共事業として戦争をやりたいってだけです。だってそういう企業の献金で生き延びてきたのが自民党だもん。(資本の欲動のはてしなさ(endless)と無目的(end-less)

逆に、ひとは在野のポジションにおかれればーー、だがこれは書くのをやめにしよう。そうではなく、ここで自らのポジションを「宣言」する次元の話を附記しよう。

人が何かをすると、その人は自分を、それをした者として自覚する(そしてそう宣言する)。そしてその宣言にもとづいて、その人は新たな何かをする。主体が変容するのは、行為の瞬間ではなく、宣言の瞬間である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p37)

〈あなた〉が反排外主義デモに参加するとする。そしてそれをツイッターで宣言する。そのとき、〈あなた〉は変容する。それは自分は反レイシズムだと自他ともに宣言することだが、ここにおける〈他者〉の、--小文字の他者ではなく大他者のーー認知が肝要である。そのとき〈あなた〉の現実そのものが変わり、〈あなた〉は違ったふうに行動するようになる。これは、ハサミ状の格差のメカニズムでもある。

もっと一般的に、池で溺れている少年、あるいはいじめられようとしている少女を目撃した場合に、見て見ぬふりをして立ち去るか、敢えて救助に向かうかの決定が紙一重となる瞬間がある。この瞬間にどちらかを選択した場合に、その後の行動は、別の選択の際にありえた場合と、それこそハサミ状に拡大してゆく。卑怯と勇気とはしばしば紙一重に接近する。私は孟子の「惻隠〔みてしのびざる〕の情」と自己保存の計算との絞め木にかけられる。一般に私は、救助に向かうのは最後までやりとおす決意とその現実的な裏付けとが私にある場合であるとしてきた。(中井久夫「一九九六年一月・神戸」『復興の道なかばで  阪神淡路大震災一年の記憶』所収)

中井久夫はこうも書いている、《半分は、ふだんの構えによって決まるが、半分は、いったん一つの構えを取ると、それを取りつづける傾向が強い》と。


さて少し前に戻って、柄谷行人のマルクス引用とそれに付されるコメントをやや長く引用する。

《ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。》(『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」)

ここでマルクスがいう「経済的カテゴリー」とは、商品や貨幣のようなものではなくて、何かを商品や貨幣たらしめる価値形態を意味する。『グルントリセ』においても、マルクスは商品や貨幣というカテゴリーを扱っていた。『資本論』では、彼は、それ以前に、何かを商品や貨幣たらしめる形式に遡行しているのである。商品とは相対的価値形態におけれるもの(物、サービス、労働力など)のことであり、貨幣とは等価形態におけれるもののことである。同様に、こうしたカテゴリーの担い手である「資本家」や「労働者」は、諸個人がどこに置かれているか(相対的価値形態か等価形態か)によって規定される。それは彼らが主観的に何を考えていようと関係がない。

ここでいわれる階級は、経験的な社会学的な意味での階級ではない。だから、現在の社会において、『資本論』のような階級関係は存在しないというような批判は的外れである。現在だけでなく、過去においても、どこでもそのように単純な階級関係は存在しなかった。そして、マルクスが具体的な階級関係を考察するとき、諸階級の多様性、そして言説や文化の多様性について非常に敏感であったことは、『ルイ・ポナパルドのブリュメールの一八日』のような仕事を見れば明らかなのだ。一方、『資本論』では、マルクスは、資本制経済に固有の階級関係を価値形態という場において見ている。その意味では、『資本論』の認識はむしろ今日の状況によりよく妥当するといってよい。たとえば、今日では、労働者の年金は機関投資家によって運用されている。つまり、労働者の年金はそれ自身資本として活動するのである。その結果、それが企業を融合しリストラを迫ることになり、労働者自身を苦しめることになる。このように、資本家と労働者の階級関係はきわめて錯綜している。そして、それはもう実体的な階級関係という考えではとらえられないように見える。しかし、商品と貨幣、というよりも相対的価値形態と等価価値形態という非対称的な関係は少しも消えていない。『資本論』が考察するのはそのような関係の構造であり、それはその場に置かれた人々の意識にとってどう映ってみえようと存在するのである。(柄谷行人『トランスクリティーク』p40-41)

この文の次に、《しかし、このような見方は、読者を途方にくれさせる》と続くが、いまは割愛。

最後にニーチェは関係構造への視線が欠けていた、とする柄谷行人の文を掲げておく。

《「然り」〔Ja〕への私の新しい道。--私がこれまで理解し生きぬいてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」--これが私には本来の価値尺度となった。(中略)この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲するーーあるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニュソス的に然りと断言することにまでーー(中略)このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。》(ニーチェ『権力への意志』原佑訳)

ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだ二ーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。

彼が言う運命愛とは、そのような人生を、他人や所与のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。

ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。

しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生みだす現実的な諸関係が存することを見ようとはしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。(『トランスクリティーク』第一部第3章 P187)

…………

さあてカタイ話のあとのデザート。ロラン・バルトで始めたのだから、バルトで終えよう。

静かに編物をしながら子供を遊ばせている申し分のない母親(保護者であってしかも放任的な)……「うまくいっている」カップルの構造とはそうしたものであるだろう。いささかの禁止と多くの自由。欲望を教示し、あとは自由にさせておく。道は教えてくれるが、一緒に行ってやるなどとは言い出さぬ、親切な土地の人たちのように。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』P208 )



2014年10月19日日曜日

ニーチェとフロイトの「エスEs」

フロイトの『自我とエス』には、次のような叙述がみられる。

グロデックはわれわれが自我とよぶものは人生において本来受動的にふるまうものであり、彼の表現にしたがえば、未知の統御しえない力によって「生活させられ」といる、と繰りかえし主張している(註記:グロデック『エスについて』国際精神分析出版発行、1923年)。
われわれは、知覚体系Wに由来する本質ーーそれはまず前意識的であるーーを自我と名づけ、自我がそのなかで存続する他の心理的なものーーそれは無意識的であるようにふるまうーーをグロデックの用語にしたがってエスと名づけるように提案する。(フロイト著作集6 P273) 

そして次のような註が附される。

グロデック自身、たしかにニーチェの例にしたがっている。ニーチェでは、われわれの本質の中の非人間的なもの、いわば自然必然的なものについて、この文法上の非人称の表現エスEsがいつも使われている。

さてニーチェのエスの話に移る前に、ここでいささか捕捉しておこう、エスだけが無意識ではないことを。

自我の多くのものは、それ自身無意識的である。とりわけ自我の中核とみなされるものは無意識的である。そしてそのごくわずかの部分は、われわれが前意識とよぶものに相当する。こんなふうに記述的な表現法を、体系的あるいは力学的な表現法にかえるならば、被分析者の抵抗はその自我から生ずるのである、ということができるし、それにつづいて、反復強迫を意識されぬ抑圧されたものに由来すると理解することができる。(フロイト『快感原則の彼岸』p160)

と引用すれば、「反復強迫」にも捕捉を加えなければならない。

ラカン派には、フロイトは二種類の反復を混同しているという見解がある。シニフィアンの反復と享楽(リアルそのもの)の反復を。

セミネールⅩⅠのラカンによればーーあえてセミネールⅩⅠと断わったのは、セミネールⅩⅦやⅩⅩなどでやや異なったこと? いやひとによればラカンの享楽概念の転回ともいうのだが、ここではそれは脇にやることにしてーー、快原則の此岸内、すなわち象徴界におけるシニフィアンの繰り返しが、反復強迫Wiederholuagszwangであり、automatonとされる。とすればフロイトの「自由連想」もautomatonであるだろう。

快原則の彼岸、すなわち快原則内の非-全体の領域ーーこれはセミネールⅩⅩでの話であり、カントの閉集合における「否定判断」ではなく開集合の「無限判断」の話でもあり(参照)、そのS.20とS.11の叙述を混淆させていうとしたらーー、象徴界(快原則内)の非-全体の領域に、外-存在ex-sistするものがtuchèと呼ばれてよい、すなわち、リアルとの真の遭遇(〈他者〉の享楽)であるということになる(参照:二種類の反復ーー「反復強迫automaton」と「反復tuche」)。


これはフロイト概念Fremdkörper(Freign body)にもかかわる。ひょっとしてアルトー=ドゥルーズの器官なき身体にもかかわるのではないか、というのは浅墓なわたくしの「妄想」である。

ところで、最近上梓されて渋好みの一部の「識者」に評判の高い江川隆男氏の『アンチ・モラリア 〈器官なき身体〉の哲学』に「身体の身体」などという言葉があるそうで、前書『死の哲学』書評(小泉義之)を眺めると、スピノザの文がこの前書の出発点であるそうだ。

われわれは、この生において、とくに幼児期の身体を、その本性の許す限り、またその本性に役立つ限り、もっとも多くのことに有能な別の身体に、そして自己と神と物とについいてもっとも多くのことを意識するような別の身体に変化させようと努める。

しかし、こういうことを引用して何が言いたいわけでもない。


後期ラカンには次のような文がある。

l'inconscient, c'est le réel. (...) c'est le réel en tant qu'il est troué." (Seminar XXII, RSI, Ornicar?, 15th April 75

無意識はリアル(現実界)である……それが穴が開けられているtroué限りにおいて。(私訳)

この”troué”とは、われわれのなかには、エイリアン(異物としての身体Fremdkörper)がいるということ(“Fremdkörper”は、すでにフロイトの『ヒステリー研究』1895に頻出し、それはトラウマに関連して使用されている)。

たとえばラカンの「サントーム」セミネールに、”un corps qui nous est étranger”とあるがこれは「異物としての身体Fremdkörper」のことだろう。(仏語とは三十年ほど仲がよくないので、間違っていたらゴメンナサイ!)

l'inconscient n'a rien à faire avec le fait qu'on ignore des tas de choses quan qu'on sait est d'une toute autre nature. On sait des choses qui relèvent du signifiant. (...) Mais l'inconscient de Freud (...) c'est le rapport qu'il y a entre un corps qui nous est étranger et quelque chose qui fait cercle, voire droite infinie - qui de toutes façons sont l'un à l'autre équivalents - quelque chose qui est l'inconscient." (Seminar XXIII, Joyce - le sinthome, lesson of 11th May 1976

シニフィアンによって分節化された象徴界の内部にあって、しかもその内部の異物としてあるものが、現実界としてのFremdkörperのことであり、またかつそれは言葉で言いあらせないトラウマのことでもある(参照:ラカンの三つの身体)。


さて、こうしてようやくニーチェのEsの話に向かうことができる。

ツァラトゥストラ第二部最終章「最も静かな時刻」にある、「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ」Du weisst es, Zarathustra? という文をめぐってである。

わたくしの手元にある手塚富雄訳には、この「それ」を含む文に、次のような註釈が書かれている。

「それ」は永劫回帰の真理。知っていて、なぜ黙っているのだ。

この手塚富雄氏の註釈は、やや飛躍のある指摘ではあると感じられないでもないが、それが言わんとしている含意は同じツァラトゥストラの第四部を読むとなるほどと思わせられる。が、それについては後述することにし、今は第二部の最終章をめぐることに専念する。

「最も静かな時刻」には、「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」( Du weisst es, Zarathustra, aber du redest es nicht! )ともある。

ここでラカンの「それ自身を知らない知」を説明するジジェクの文を挿差しておこう。

知られている「知られていること」、知られている「知られていないこと」、知られていない「知られていないこと」、そして、知られていない「知られていること」などと出てきて(“known knowns”、“ known unknowns”、 “unknown unknowns”、“unknown knowns,”)やや邦訳だけでは混乱を招くので、英文を併記しておく。

2003年、ドナルド・ラムズフェルドは、知られていることと知られていないことの関係をめぐり、突然発作的にアマチュア哲学論を展開した。

《知られている「知られていること」がある。これはつまり、われわれはそれを知っており、自分がそれを知っているということを自分でも知っている。知られている「知られていないこともある」。これはつまり、われわれはそれを知らず、自分がそれを知らないということを自分は知っている。しかしさらに、知られていない「知られていないこと」というのもある。われわれはそれを知らず、それを知らないということも知らない。》

“There are known knowns. These are things we know that we know. There are known unknowns. That is to say, there are things that we know we don’t know.But there are also unknown unknowns. There are things we don’t know we don’t know.”

彼が言い忘れたのは、きわめて重大な第四項だ。それは知られていない「知られていること」、つまり自分はそれを知っているのに、自分がそれを知っているということを自分では知らないことである。これこそがまさしくフロイトのいう無意識であり、ラカンが「それ自身を知らない知」と呼んだものであり、その核心にあるのが幻想である。

What he forgot to add was the crucial fourth term: the “unknown knowns,” things we don’t know that we know – which is precisely the Freudian unconscious, the “knowledge which doesn’t know itself,” as Lacan used to say,the core of which is fantasy.

もしラムズフェルドが、イラクと対決することの最大の危機は「知られていない『知られていないこと』、すなわちサダム・フセインあるいはその後継者の脅威がどのようなものであるかをわれわれ自身が知らないということだ、と考えているのだとしたら、返すべき答はこうだ―――最大の危機は、それとは反対に、「知られていない『知られていること』」だ。それは否認された思い込みとか仮定であり、われわれはそれが自分に付着していることに気づいていないが、それらがわれわれの行為や感情を決定しているのだ。

If Rumsfeld thinks that the main dangers in the confrontation with Iraq are the “unknown unknowns,” the threats from Saddam about which we do not even suspect what they may be, what we should reply is that the main dangers are, on the contrary, the “unknown knowns,” the disavowed beliefs and suppositions we are not even aware of adhering to ourselves, but which nonetheless determine our acts and feelings.

これを読めば、ニーチェはすくなくともフロイトの「無意識」(ラカンのそれ自身を知らない知」)と類似したことを謳っていると読めないではない、ーー「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」( Du weisst es, Zarathustra, aber du redest es nicht! )

さて、『ツァラトゥストラ』第二部最終章「最も静かな時刻」からやや長く引用する。

何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。――ああ、わたしの女主人が怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ。(……)

君たちは、眠りに落ちようとしている者を襲う驚愕を知っているか。――

足の指の先までかれは驚愕する。自分の身の下の大地が沈み、夢がはじまるのだ。

このことをわたしは君たちに比喩として言うのだ。きのう、最も静かな時刻に、わたしの足もとの地が沈んだ。夢がはじまった。

針が時を刻んで動いた。わたしの生の時計が息をした。――いままでこのような静寂にとりかこまれたことはない。それゆえわたしの心臓は驚愕したのだ。

そのとき、声なくしてわたしに語るものがあった。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ」――

Dann sprach es ohne Stimme zu mir: Du weisst es, Zarathustra? -

このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。しかしわたしは黙ったままだった。

と、重ねて、声なくして語られることばをわたしは聞いた。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」――

Da sprach es abermals ohne Stimme zu mir: Du weisst es, Zarathustra, aber du redest es nicht! -

と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった、「欲しないというのか、ツァラトゥストラよ。そのことも真実か。反抗のなかに身をかくしてはならない」――

そのことばを聞いて、わたしは幼子のように泣き、身をふるわした。そして言った。「ああ、わたしはたしかにそれを言おうとした。しかし、どうしてわたしにそれができよう。そのことだけは許してくれ。それはわたしの力を超えたことなのだ」

と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった。「おまえの一身が問題なのではない、ツァラトゥストラよ。おまえのことばを語れ、そして砕けよ」――
(……)

と、ふたたびささやくようにわたしに語りかけるものがあった。「嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。

おお、ツァラトゥストラよ、おまえは、来たらざるをえない者の影として歩まねばならぬ。それゆえおまえは命令しなければならぬ。命令しながら先駆しなければならぬ」――

わたしは答えた。「わたしは羞恥を感ずる」と。

と、ふたたび声のない声はわたしにむかって語りかけた。「おまえはこれから幼子になり、そして羞恥の思いを放棄しなければならない。

青年期の誇らしさがまたおまえを離れない。おまえは青年になることがおそかったのだ。しかし幼子になろうとする者は、おのれの青年期をも乗り超えなければならぬ」――(『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻」 手塚富雄訳)

ここには《わたしの恐ろしい女主人の名だ》という蠱惑的な表現もある。もっともこの「女主人」がアリアドネのことだなどと言い出すつもりはない。

手塚富雄註釈では、「女主人」について、《時刻 die Stundeが女性名詞なのでこうと言った。「最も静かな時刻」に直面し、その命令を聞くことは、内省的な人間には非常におそろしい》とされている。

ただ「最も静かな時刻」にある《彼女の名(女主人の名)をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか。》と次の文を並べておくだけにしよう。

わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳

ーーというわけだが、わたくしの「妄想」をexplicitに言い表わすのはやめておこう。

クロソウスキーさんよ、あなたのも「妄想」だよ。

《いまや、迷路、アリアドネ、ディオニソスその三つの名前だけがニーチェのなかに残されたものである》(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』)」

フーコーさんよ、あんた、クロソウスキーを褒めすぎだよ

おそらく表徴=記号(シーニュ)と模造(シミュラークル)とのあいだには厳密な区別を設けるべきであろう。それらは、たとえ時として重ね合わされることがあろうとも、同じ経験には属してなどいないのである。それはつまり模造は意味を定めはしないからだ。それは時間の炸裂の中の現われの領界に属する―<真昼>の悟明であり永遠の回帰だ。

たぶんギリシャの宗教は模造しか知っていなかった。まずはじめソフィストが、ついでストア派とエピクロス派がそうした模造を表徴(シーニュ)のごとく読もうとし、この遅まきな読解によってギリシャの神々は姿を消してしまった。アレクサンドリアを故里とする、キリスト教的釈義はこの解釈を受け継いだのである。クロソウスキーが彼の言語のうちに描き出しそして動かしている人物像はすべて模造(シミュミラクル)である以上、このシミュラクルという語を、われわれが今やそれに与え得る響き合いのうちに聴解せねばなるまい―虚しい似姿(現実との対立において)であり、何ものかの表現=代理(そのものがそれのうちに代理派遣され、顕現し、しかもしりぞいて、或る意味では身を隠すもの)であり、一つの表徴と取り違えさせる虚偽であり、一個の神体の臨在の表徴(そして今度は逆にこの表徴をその反対のものと取り違えるという可能性)であり、<同一者>と<他者>の同時到来である(擬装するとは、元来、共に来ることである)。かくしてクロソウスキーに固有の、そしてすばらしく豊かなあの星座が形成される―シミュラクル、シミリチュード(相似)、シミュルタイネイテ(同時性)、シミュラシオン(擬装)、そしてディシュミュラシオン(隠蔽、ごまかし)。(フーコー『外の思考』――「クロソウスキー・メモ 永劫回帰の複数化」)

ラカン=アリストテレスのように、「わかりやすく」、オートマトンautomaton /チュケーtuche との反復の相違だと言うわけにはいかないのだろうか、シーニュ/シミュラークルの反復を。

意図なしに行動すること、それがニーチェの内に秘められた決意であり、不可能なモラルである。ところで、意図なき宇宙の全体の体制は、意図ある諸存在を産出する。「ヒト」という種はこのようにして――偶然に――生み出された被造物、そこでは力の強度が意図に転換される、そうした被造物なのだ。つまりは道徳の産物なのである。人間の意図を力の強度に、ファンタスムを生み出す力の強度につれもどすこと、それがシミュラークルの機能である。それは科学の機能ではありえない。科学は意図を否定しながらも、有効性のある、有益な活動をおこなうことによって、その意図の否定を埋め合わせるのである。(ピエール・クロソウスキー『ニーチェと悪循環』)

いやいや、やや趣きが違うようにも思える。

でも、ドゥルーズをパクってすこぶるシンプルに言い放つ柄谷行人のように言う訳にはいかないのだろうか。

同一的な規則を前方に想定するような行為は「想起」(キルケゴール)にほかならないが、そうでない行為、規則そのものを創りあげてしまうような行為は、「反復」または「永劫回帰」とよばれる。(柄谷行人『探求Ⅱ』)

このあたりは樫村晴香が、ハイデガー、クロソウスキー、ドゥルーズ、ラカンを参照しつつのニーチェの永劫回帰をめぐる論に、わたくしにはすこぶる巧みと思われるまとめがあるが、いまは割愛する。ところで、樫村氏は、この論文を書いたあと、仏で「労働者」をやりつつ小説を書いたり、ミャンマーで山篭りしたり、などという噂があるが、あれはホントウなんだろうか、--とはどうでもいい話である。

さて、次のツァラトゥストラ第四部「正午」にある、《陸から一匹の蜘蛛が糸をつむいでよこすだけで、それを繋ぐに十分である》とされる糸がアリアドネの糸であるなどとも臆断するつもりは、わたくしには毛ほどもない。

静かに! 静かに! 世界はいままさに完全になったのではないか。いったいわたしの何事が起こ
るのだろう。

柔和な風が平坦な海の面〔おもて〕で、目に見えずかろやかに、鳥の羽毛に似てかろやかに舞うように、眠りはわたしを訪れて舞う。

この眠りはわたしの目をふさがない。わたしの魂を目ざめたままにしておく。この眠りは軽い。まことに鳥の羽毛のように軽い。(……)

魂は身を伸ばす、長く、――より長く。そして静かに横たわっている、この奇妙な魂は。それはあまりにも多くの美味をすでに味わった。そのことからくる黄金の悲哀が、魂を押しつける。魂は口をゆがめる。

――このうえもなく静かな港にはいった船に似て、――それはいま地にもたれている。そして長い旅とふたしかな海に飽きている。地のほうが海よりも誠実なのではないか。

――このような船が陸に寄りかかり、寄りそうているときにはーー陸から一匹の蜘蛛が糸をつむいでよこすだけで、それを繋ぐに十分である。それより強い綱はいらない。

静かな湾に憩うこういう疲れた船のように、わたしもいま地に触れてやすらっている。誠実な心をもち、信頼をよせて、待ちながら、そしてかぼそい糸でつながれて。

おお、幸福よ、幸福よ。おお、わたしの魂よ。おまえは歌おうとするのか。おまえは草のなかに横たわっている。しかしいまは、ひそやかな、おごそかな時刻なのだ。笛を吹く一人んお牧人もいない。

つつしむがいい。暑い正午が野いちめんを覆って眠っている。歌うな。静かに。世界は完全なのだ。

こうしてこの後、永遠という泉が謳われることになる。

わたしに何事が起こったのだろう。聞け! 時間は飛び去ってしまったのだろうか。わたしは落ちてゆくのではなかろうか。落ちたのではなかろうか、――耳をこらせ! 永遠という泉のなかに。(ニーチェ「正午」)

以下、いくらかは神々しいトカゲ」に行を分けて引用してある、西脇順三郎やフロイトの蜥蜴とともに。


さて、ツァラトゥストラの第二部「最も静かな時刻」と、第四部「正午」には、あきらかに互いに響き合う。

そして前者には、《おまえはこれから幼子になり、そして羞恥の思いを放棄しなければならない》とあり、後者には《船が陸に寄りかかり、寄りそうているときにはーー陸から一匹の蜘蛛が糸をつむいでよこすだけで、それを繋ぐに十分である。それより強い綱はいらない》とある。

ドゥルーズをたいして読んでいるわけではないわたくしにも、ああ、ここにはドゥルーズがいる、と感じるわけで、おそらくドゥルーズのよき読み手であれば、もっとほかにもドゥルーズの痕跡を嗅ぎ分けることだろう。

たとえば「蜘蛛」、ーーニーチェの「最も静かな時刻」とは「女主人の名」やら「無意識」などといわないでも、われわれが「器官なき身体」になっている刻限ではないか。

はっきりしているのは、語り手は何も見ず、何も聞かないで、ひとつの器官なき身体であり、あるいはむしろ、いわば自分の巣の上でじっと身構えている蜘蛛のような存在であるということである。この蜘蛛は何も観察しないが、ほんの僅かの兆候、ほんの僅かの震動にも反応して、自分の餌にとびかかる。……(『アンチ・オイディプス』)
しかし、器官のない身体とは何であろうか。クモもまた、何も見ず、何も知覚せず、何も記憶していない、クモはただその巣のはしのところにいて、強度を持った波動のかたちで彼の身体に伝わって来る最も小さな振動をも受けとめ、その振動を感じて必要な場所へと飛ぶように急ぐ。眼も鼻も口もないクモは、ただシーニュに対してだけ反応し、その身体を波動のように横切って、えものに襲いかからせる最小のシーニュがその内部に到達する。『失われた時を求めて』は、大聖堂や衣服のように構築されているのではなく、クモの巣のように構築されている。語り手=クモ。その巣そのものが、或るシーニュによって動かされるそれぞれの糸で作られ織りなされつつある『失われた時を求めて』である。巣とクモ、巣と身体は、ただひとつの同じ機械である。語り手に極度の感受性、異常な記憶力が与えられても役に立たない。それらの能力についての、意志的で組織的ないかなる使用でできない限り、彼には器官がない。逆にひとつの能力は、強制され、無理じいされるときには、語り手において行使される。そしてこの能力に対応する器官が、この能力に重ねて置かれるが、しかしそれはその無意志的な使用を惹起する活動によって眼覚めさせられた強度の素描としてである。そのたびごとに、或る性質を持ったシーニュに対する器官のない身体の包括的で強度は反作用として存在する無意志的な感受性、無意志的な記憶作用、無意志的な思考。『失われた時を求めて』の粘着性のある糸にひっかかる小さな箱のそれぞれをなかば開けるか閉じるために動くのは、この身体=巣=クモである。語り手の奇妙な可塑性。スパイ、警官、嫉妬する者、解釈する者、そして要求する者――狂人――普遍的な分裂病患者である語り手の身体=クモが、そこから自分自身の錯乱の操り人形、器官のないおのれの身体の強度な力、おのれの狂気のプロフィルを作るために、偏執病患者であるシュルリュスに一本の糸をのばそうとし、色情狂であるアルベルチーヌにもう一本の糸をのばそうとする。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

そしてニーチェの「幼子になる」とは、どうしたってドゥルーズ&ガタリの「少女になる」あるいは「子供になる」を想起せざるをえない。

少女とは何か、そして少女の集団とは何か? 少なくともプルーストは、この問いに決定的な答を与え、少女の個体化は、それが集団的なものであれ、個別的なものであれ、決して主体性にもとづいて実現するのではなく、あくまでも<此性>によって、それも純粋な<此性>によって実現することを明らかにした。「逃れゆく存在」。少女とは純粋な速さと遅さの関係であって、それ以外の何ものでもない。少女は速さによって遅れる。彼女を待つ者の相対的時間に比べると、少女はあまりにも多くのことをおこない、あまりにも多くの空間を横切ってしまったからだ。そこで少女は示す見かけ上の遅さは、待つ側に特有の途方もない速さに変化する。『千のプラトー』P312
ある<此性>の思出。――ひとつの身体は、それを限定する形態によって規定されるのでもなければ、限定された実体や主体として規定されるわけでもないし、それが所有する器官やそれが果たす機能によって規定されるのでもない。存立平面の上では、一つの身体はもっぱら経度と緯度によって規定されるのだ、つまりなんらかの運動と静止の、あるいは速度と遅さの関係のもとで、身体に所属する物質的要素(これが経度だ)と、なんらかの力、あるいは力能の度合のもとで、それが身体が受けいれることのできる強度的な情動の総体(これが緯度だ)によって規定されるのである。そこには情動と局所的運動、そして微分的速度しかない。この<身体>の二つの次元を抽出し、<自然>の平面を純粋な経度および緯度として規定したのはスピノザの功績だろう。緯度と経度は地図学を構成する二大要素なのである。『千のプラトー』P300

そしてこうやってドゥルーズ(&ガタリ)から拾い出せば、アリアドネの糸が出現することになる。

暗闇に幼い児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつ分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(……)

歌はカオスからとびだしてカオスのなかに秩序をつくりはじめる。ひとりの子どもが、学校の宿題をこなすために、力を集中しようとして小声で歌う。ひとりの主婦が鼻歌を口ずさんだり、ラジオをつけたりする。そうすることで自分の仕事に、カオスに対抗する力を持たせているのだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』「リトルネロについて」厚表紙版p359)

《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ。》(ニーチェ 遺稿

賢くあれ、アリアドネ!……そなたは小さき耳をもつ、そなたはわが耳をもつ。(ニーチェ『ディオニュソスーディテュランボス』(Dionysos-Dithyrambus)第七歌「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne)より

小さな耳とは、「内耳」(Labyrinth)のことであり、「迷路」(Labyrinth)のことでもある。

わたくしの見解を差し挟まないように書いているつもりだが、そうはいってもいささか隠された牽強附会の気味あるかもしれない。ここで書かれていることは、要するに、「悦楽は常にすべてのことの永遠ならんことを欲する」(ニーチェ)で引用したロラン・バルトの文にかかわる。

『テクストの快楽』につけ加えて。享楽jouissance、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。(『彼自身によるロラン・バルト』佐藤信夫訳)

そしてそのさらに起源としては、次の文の「アリアドネ」にかかわる。

その特別の写真のなかには、何か「写真」の本質のようなものが漂っていた。そこで私は、私にとって確実に存在しているこの唯一の写真から、「写真」のすべて(その《本性》を《引き出す》こと、この写真をいわば導き手として私の最後の探求をおこなうことに決めた。この世にある写真の全体は一つの「迷路」を形づくっていた。その「迷路」のまっただなかにあって、私は、このただ一枚の写真以外に何も見出せないことを知り、ニーチェの警句を地で行くことにしたのだ。すなわち《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ》。「温室の写真」は、私のアリアドネだった。それが何か隠されたもの(怪物や宝石)を発見させてくれるからではない。そうではなくて、私を「写真」のほうへ引き寄せるあの魅力の糸が何で出来ているのかを私に告げてくれるだろうからである。これからは、快楽の観点に立つのではなく、ロマン主義的に言えば愛や死と呼ばれるであろうものとの関連において、「写真」の明証を問わなければならない、ということを私は理解したのだった。

(「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないであろう。それはいかなる点においても一つの科学の明白な対象とはなりえず、語の積極的な意味において、客観性の基礎とはなりえない。時代や衣装や撮影効果が、せいぜい読者のストゥディウムをかきたてるかもしれぬが、しかし読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷もないのである。)(ロラン・バルト『明るい部屋』)


そして、さらにーー、結局、わたくしは常にここに戻ってしまう、最も根源的な欲動、あるいは享楽としての無意識(原トラウマ)、すなわち「スフィンクスの謎」の反復=永劫回帰に。

これらの文と対決しつつ、な。

反復されることになる最初の項などは、ありはしないのだ。だから、母親へのわたしたちの幼児期の愛は、他の女たちに対する他者の成人期の愛の反復なのである。(……)反復のなかでこそ反復されるものが形成され、しかも隠されるのであって、そうした反復から分離あるいは抽象されるような反復されるものだとは、したがって何も存在しないのである。。擬装それ自身から抽象ないし推論されうるような反復は存在しないのだ。(ドゥルーズ『差異と反復』財津理訳)
……ラカンにとって、反復は抑圧に先んずるものである。それはドゥルーズが簡潔に言っているのと同様である。《われわれは、抑圧するから反復するのではない。反復するから抑圧するのだ》(『差異と反復』)。次のようではないのだ、――最初に、トラウマの内容を抑圧し、それゆえトラウマを想起できなくなり、かつトラウマとの関係を明確化することができないから、そのトラウマの内容がわれわれに絶えずつき纏いつづけ、偽装した形で反復するーー、こうではないのだ。現実界(リアル)が極細の差異であるなら、反復(それはこの差異を作り上げるもの)は、原初的なものである。すなわち抑圧の卓越性が現れるのは、現実界から象徴化に抵抗する「物」への“具現化”としてであり、排除され、あるいは抑圧された現実界が、己を主張し反復するときに初めて抑圧は現れる。現実界は原初的には無である。だがそれは物をそれ自身からの分離する隙間なのであり、反復のずれ(微細な差異)なのである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』(私意訳)

これらの見解への齟齬を表明している論者ーーわたくしが勝手にそう読むのだがーーは、日本でも、向井雅明やら(参照:心的外傷後ストレス障害PTSD/フロイトのトラウマ)、樫村晴香(ドゥルーズのどこが間違っているか? 強度=差異、および二重のセリーの理論の問題点 )などがあるが、ここではそれに触れだしたら長くなりすぎる。

樫村晴香の奥さんである樫村愛子さんは、ジジェクに何度か文句を書いているはずだが、どのような文句なのかは知らない。

ーーというわけで、このような短い文で何が言えるわけではない。そのうち気が向いたらーー、おそらく永劫回帰する。

自分が知らないこと、あるいは適切に知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けばよいのだろうか。(ドゥルーズ『差異と反復』「はじめに」)




2014年10月17日金曜日

「悦楽は常にすべてのことの永遠ならんことを欲する」(ニーチェ)

『テクストの快楽』につけ加えて。享楽jouissance、それは欲望《に応える》もの(それを満足させるもの)ではなく、欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもののことである。このように主体を踏み迷わせうるものを適切に言いあらわすことばは、神秘主義者たちにたずねるほかない。たとえばライスブルックのことば、「私が精神の陶酔と呼ぶものは、享楽が、欲望によって垣間見られていた可能性を越えてしまう、あの状態である。(『彼自身によるロラン・バルト』佐藤信夫訳)

この文は、《享楽の垣根における欲望の災難》(ラカン)のパクリである。

神話において禁止の形式をとるものは、元来、失われたものです。禁止は失われたものについての神話です。「享楽の垣根における欲望の災難[Mesaventure du desir aux haies de la jouissance]」 とラカンが上品に呼んでいるのはこれです。欲望が享楽に向かって進もうとするときはいつでも、それはトカゲの尻尾のように落ちます[ca tombe]。これが-φの素晴らしい表現であり、また、対象a の表現でもあることを認めなければなりません。対象a とは、すなわち、空虚を埋める失われた対象です。また、ここで「同一化は欲動を満たすことなしに欲望によって決定される」とラカンが言うとき、フロイトの第二局所論についてのラカンの読みがその真価を発揮します。

欲望と欲動は混同されてはならない二つの異なった秩序なのです。(資料:欲望と欲動(ミレールのセミネールより


バルトの文の、《欲望の不意を襲い、それを圧倒し、迷わせ、漂流させるもの》とあるが、これもパクリである(たぶん――、「漂流」の原語を調べてみることは今はしない)。

きみたちにフロイトの『性欲論三篇』を読み直すことを求める。というのはわたしはla dériveと命名したものについて再びその論を使うだろうから。すなわち欲動Triebを「享楽のdérive(drift)漂流」と翻訳する。(ラカンセミネールⅩⅩアンコール フィンク英訳からの私訳)

《欲望そのものはすでにある種の屈服、ある種の妥協形成物、換喩的置換、退却、手に負えない欲動に対する防衛なのではあるまいか。》(ジジェク『斜めから見る』)


フロイトはその理論のそもそもの最初から、症状(症候)には二重の構造があることを見分けていた。一方には欲動、他方にはプシケ(個人を動かす原動力としての心理的機構:引用者)である。ラカン派のタームでは、現実界と象徴界ということになる。これは、フロイトの最初のケーススタディであるドラの症例においてはっきりと現れている。(“Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way”(Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq)私訳ーー症例ドラの象徴界/現実界(フロイト、ラカン)

もちろんロラン・バルトのパクリには何の問題もない。

彼の《優雅な身振りでその出典を曖昧にしながら、自分の言説にくみいれる》そのやり方、《つまり、バルトは他者の言葉をあからさまに引用する》のだ。

他人の言葉や概念をあからさまに引用することすら辞さないその身振りは、ほとんど盗みのそれに近いということもできるだろう…出典となった言説にあっては深さに保護されていた概念なり語句なりが、文脈から孤立化させられてあたりにばらまかれることで断片化の力学にさらされ、もっぱら拡散しながら浅さの衣裳をまとうことになる…バルト的な犠牲者の言説は、文脈を奪われた語句たちによる浅さの戯れを介して理論の閉域を解放する…(蓮實重彦『物語批判序説』)


…………


ところで、ニーチェ『ツァラトゥストラ第四部』(酔歌)、いわゆる「永劫回帰」が謳われるツァラトゥストラのこのグランフィナーレには、手塚富雄訳では「悦楽」という語が出てくる。これはLustの訳語であり、文脈によって「快」とも訳される(参照:悦楽(享楽)と永劫回帰)。


悦楽は常にすべてのことの永遠ならんことを欲する、蜜を欲する、おりかすを欲する、酔いしれた真夜中を欲する、息を欲する、墓を欲する、墓の涙の慰藉を欲する、金色にちりばめた夕映えを欲するーー

Alle Lust will aller Dinge Ewigkeit, will Honig, will Hefe, will trunkene Mitternacht, will Gräber, will Gräber-Thränen-Trost, will vergüldetes Abendroth –

悦楽が欲しないものがあろうか。悦楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が悦楽のなかに環をなしてめぐっている。――

- _was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -

さて、ここで再度、バルトに戻ろう。

快楽のテクスト。それは、満足させ、充実させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。

悦楽jouissanceのテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(恐らく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の擬着を揺るがすもの、読者と言語活動を危機に陥れるもの。(ロラン・バルト『テクストの快楽』沢崎浩平訳)

「悦楽jouissance」は、さきほども見たように、訳者によって「享楽」と訳される場合もある。

バルトにはこの「快楽/悦楽」の変奏であるだろう「ストゥディウム/プンクトゥム」が、最晩年の『明るい部屋』(花輪光訳)にある。

・ストゥディウム(studium)、――《この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。》

・プンクトゥム(punctum)、――《ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。》

・ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する。

ーー「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか(ニーチェ)」より

ここで再度ニーチェを引用する。この文は、フロイトの『快感原則の彼岸』の出所のひとつではないかとさえ疑う。

人間は快をもとめるのでは《なく》、また不快をさけるのでは《ない》。私がこう主張することで反駁しているのがいかなる著名な先入見であるかは、おわかりのことであろう。快と不快とは、たんなる結果、たんなる随伴現象である、──人間が欲するもの、生命ある有機体のあらゆる最小部分も欲するもの、それは《権力の増大》である。この増大をもとめる努力のうちで、快も生ずれば不快も生ずる。あの意志から人間は抵抗を探しもとめ、人間は対抗する何ものかを必要とする──それゆえ不快は、おのれの権力への意志を阻止するものとして、一つの正常な事実、あらゆる有機的生起の正常な要素である。人間は不快をさけるのではなく、むしろそれを不断に必要とする。あらゆる勝利、あらゆる快感、あらゆる生起は、克服された抵抗を前提しているのである。──不快は、《私たちの権力感情の低減》を必然的に結果せしめるものではなく、むしろ、一般の場合においては、まさしく刺戟としてこの権力感情へとはたらきかける、──阻害はこの権力への意志の《刺戟剤》なのである。(ニーチェ「権力への意志・第三書・二・三・権力への意志および価値の理論」原佑訳ーー「権力への意志Wille zur Macht」と「死の欲動Thanatos」)

フロイトは、その『自己を語る』1925のなかで次のように書いているを以前みた。

私は思弁のみに身を任せてしまったのではなく、逆に分析による資料を重視し、臨床的な技法的テーマを取り扱うことをやめなかった。私は哲学に近づくことは避け、大切な点ではフェヒナーに頼ることにしていた。精神分析がショーペンハウアーの哲学と広汎な一致があるとしても(彼は感情の優位性と性愛の意義を重視し、抑圧のメカニズムも知っていた)、私が彼の本を読んだのはずっと後になってからだ。ニーチェの洞察も精神分析の成果と驚くほど合致するのだが、だからこそ公正さを保持するために避けてきた。

フロイトはショーペンハウアーのなかにさえ、抑圧理論の端緒があるといっている。もちろんショーペンハウアーはニーチェの若き日の大先生である。

――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)

さて、ここではフロイトの『快感原則の彼岸』からではなく、より後年の論文『文化への不満』(新訳では『文化のなかの居心地の悪さ』)から引こう。

読者もおわかりのとおり、人生目標を設定するのは快感原則のプログラムに他ならない。われわれの心理機構の働きは、そもそもの始めからこの原則によって支配されている。この原則が合目的なものであることは疑いをいれない。(……)

厳密な意味での幸福は、どちらかと言えば、相当量になるまで堰きとめられていた欲求が急に満足させられるところに生れるもので、その性質上、挿話〔エピソード〕的な現象としてしか存在しえない。快感原則が切望している状態も、そのが継続するとなると、きまって、気の抜けた快感しか与えられないのである。人間の心理構造そのものが、状態というものからはたいした快感は与えられず、対照〔コントラスト〕によってしか居売れるな快感を味わえないように作られているのだ。(フロイト『文化への不満』人文書院 フロイト著作集3 P441

ーーと書かれ、次の註が付されている(「欲動と享楽の反倫理学」覚書より)。

註)ゲーテにいたっては、「楽しい日々の連続ほどたえがたいものはない」とさえ警告している。もっとも、これは誇張と言っていいかもしれない。

以下、そのうちにーー気が向いたらーーたぶん? 続く。




2014年10月10日金曜日

「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか」(ニーチェ)

エピローグ

一閃の電光、ディオニュソス エメラルド色の美に包まれて現われる。

(ディオニュソス)               

賢くあれ、アリアドネ!……
そなたは小さき耳をもつ、そなたはわが耳をもつ。
一つの賢き言葉を汝が耳に納めよ!--
ひともし愛し合うべきなれば、先ずもって憎み合うべきにあらずや?……
われは汝が迷宮なり……


ニーチェ『ディオニュソスーディテュランボス』(Dionysos-Dithyrambus)
第七歌「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne)より

アリアドネの「小さき耳」とはなにか
アリアドネは「耳」の中の「耳」、内耳(Labyrinth)を持つこと
眼を閉じよ、そうすれば内耳への小道が開ける

武満徹は瀧口修造への追悼曲「閉じた眼Ⅱ」
の題名について問われてこう応じた
《閉じた眼と謂う言葉が、私に 開かれた耳 と謂う言葉を聯想させたから》

「われは汝が迷宮なり」とは
「内耳」(Labyrinth)の「迷宮」(Labyrinth)のなかに真実を探さないこと
真実とは迷宮にさ迷うことではないだろうか

アリアドネは迷宮の王ミノスの娘
迷宮の奥に怪物をさぐろうとするテセウスに
帰りの道に迷うないようにと糸を渡す

その特別の写真のなかには、何か「写真」の本質のようなものが漂っていた。そこで私は、私にとって確実に存在しているこの唯一の写真から、「写真」のすべて(その《本性》を《引き出す》こと、この写真をいわば導き手として私の最後の探求をおこなうことに決めた。この世にある写真の全体は一つの「迷路」を形づくっていた。その「迷路」のまっただなかにあって、私は、このただ一枚の写真以外に何も見出せないことを知り、ニーチェの警句を地で行くことにしたのだ。すなわち《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ》。「温室の写真」は、私のアリアドネだった。それが何か隠されたもの(怪物や宝石)を発見させてくれるからではない。そうではなくて、私を「写真」のほうへ引き寄せるあの魅力の糸が何で出来ているのかを私に告げてくれるだろうからである。これからは、快楽の観点に立つのではなく、ロマン主義的に言えば愛や死と呼ばれるであろうものとの関連において、「写真」の明証を問わなければならない、ということを私は理解したのだった。

 (「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないであろう。それはいかなる点においても一つの科学の明白な対象とはなりえず、語の積極的な意味において、客観性の基礎とはなりえない。時代や衣装や撮影効果が、せいぜい読者のストゥディウムをかきたてるかもしれぬが、しかし読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷もないのである。)(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ここでバルトは何を言っているのか
《迷路の人間は、決して真実を求めず、
ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ》(ニーチェ 遺稿)

真実を求めるのは、ストゥディウムの次元に属するとまではいっていない
だがアリアドネの糸はプンクトゥムの次元に属するに相違ない。

・ストゥディウム(studium)、――《この語は、少なくともただちに≪勉学≫を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。》

・プンクトゥム(punctum)、――《ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。》

・ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する。(ベルト付きの靴と首飾り

ストゥディウムとはたんに「好奇心」の次元に属するものである。

快楽も、愛も、好奇心から生まれるものではない(……)。好奇心とは、感覚器官の粗雑さを忘れるために、知的に遂行されるストリップのごときものであり、自信にみちた心の動きだ。ニーチェにならって、「われわれは、精緻さが欠けているから、科学的になるのだろう」とバルトが書くとき、科学の名で指し示されているのは、まだ見えていないものへの究明へと人を向かわせるものが好奇心だとする社会的な、それこそ粗雑きわまる暗黙の申し合わせのことである。(蓮實重彦「倦怠する彼自身のいたわり」『表象の奈落』所収)

…………

《ここに次のような方法がある。若いたましいが、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」と問うことによって、過去をふりかえって見ることだ。》(ニーチェ)

ーーニーチェ三十歳のときの作品『反時代的考察』からであり、
ここだけ抜き出せば口あたりのよい
「人生指南」的な言葉としても読めるかもしれない。

だが、今はこの言葉を素直に読もう。
ときに忘れてしまっているのだから。

《これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか》

ーーときには過去をふりかえって見ることも必要だ。
初老の男にとっては過去に耽溺する仕方でない限り。
また若い人であれば次のようであるべきだろう。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。 (高橋悠治『ロベルト・シューマン』)

われわれはたいして愛していないものに
たんなる「好奇心」に促されて時間をとられていないか

好奇心とは、特権的な感覚器官を粗雑なままに特権化し、主体を拡散と断片化の力学にさからわせようとする、知性の、独断的で退屈な拒絶の儀式にほかならない。ことによると、それは、無自覚なまま先取りされた死の実践であるかもしれぬ。自分に対しても、他者に対しても、いたわりを欠いた振舞いであるが故に、それは独断的なのだ。好奇心とは別の文脈に生きること。中庸の記号たるバルトの真の美しさは、そうした願望を、決定的な実現へと導くことなく、退屈と倦怠のよるべなさと戯れさせた点にある。それが彼自身の生の倫理だ。(蓮實重彦「倦怠する彼自身のいたわり」)

…………

さてニーチェの言葉を単に「人生指南的」に読まないために、もうすこし長く引用しておこう。

群衆に属すまいとする人間は、自己に対し安易であることをやめさえすればよい。「君自身たれ! 君がいま行い、思い、欲求している一切のものは、君ではないのだ」と呼びかける自分の良心に従えばよいのだ。

すべての青春のたましいは日夜この呼びかけを耳にし、うちふるえる。なぜなら、彼らは、そのたましいの真の解放を思うとき、そこに定められている測りしれない幸福を予感するからだ。しかも彼らが俗見と恐怖の鎖にしばられているかぎり、とうていこの幸福にたどりつくことはできないのだ。そして人生は、この解放をもたない場合、なんと味気なく無意味になりかねないことか!

自分の守護本尊を手ばなし、四方八方をぬすみ見している人間以上に、味気なく疎ましい生物は自然界にはない。こういう人間はついにもはや全然つかみどころがなくなってしまう。彼はまったく核心のない表皮であり、虫の食った、派手な、だぶだぶの衣裳以外のなにものでもなく、恐怖どころか、同情する気さえ起こらぬ飾りたてた幽霊にほかならぬからだ。

……ほかならぬ君が生の流れを渡って行く橋は、君ひとりを除いては誰もかけることはできないのだ。なるほど世間には、君をになった川を渡してやろうという無数の小道や橋がある。しかしそれは君自身を犠牲にするにきまっているのである。君は人質にとられ、自己自身を失うであろう。世には、君を除いて他の誰も行きえぬただ一つの道がある。どこへ行くか、と問うことは禁物だ。ひたすらその道をいけ。「自分のたどる道がどこへ行くのか自分にも分からないときほど、先へ行っていることはない」と述べたのは、誰であったか。(ゲーテ「格言と反省」901番)

しかし、どうすればわれわれは自分自身にめぐり会えるであろうか。どうすればおのれを知ることができるか。

人間は一つの暗い、覆いかくされたものだ。そして、うさぎに七枚の皮があるとするなら、人間は七の七十倍の皮をむいても、「これこそ本当のお前だ、これはもう皮ではない」と言いえないであろう。

ここに次のような方法がある。若いたましいが、「これまでお前が本当に愛してきたのは何であったか、お前のたましいをひきつけたのは何であったか、お前のたましいを占領し同時にそれを幸福にしてくれたのは何であったか」と問うことによって、過去をふりかえって見ることだ。

尊敬をささげた対象を君の前にならべてみるのだ。そうすればおそらくそれらのものは、その本質とそのつながりによって、一つの法則を、君の本来的自己の原則を示してくれるであろう。

そういう対象を比較してみるがよい。一つが他を捕捉し拡充し、凌駕し浄化して行くさまを見るがよい。そして、それらが相つらなって、君が今日まで君自身によじ登ってきた一つの階梯をなすさまを見るがよい。

なぜなら、君の本質は、奥深く君のうちにかくされているのではなくて、君を超えた測りしれない高い所に、あるいは少なくとも、普通きみが君の「自我」と取っているものの上にあるからだ。

君の真の教育者・形成者は、君の本質の真の根源的意味を根本素材とを、君に洩らしてくれる。すなわち君の教育者は、君の解放者にほかならぬのである。

そして、これこそすべての教養の神秘であるが、義手義足や、蠟性の鼻や、めがねをかけた目を貸しあたえてくれるものが、教養なのではない、――むしろ、そういう贈物をくれるようなものは、教育の偽者にすぎない。

解放こそ教育である。若木のきゃしゃな芽を侵そうとかかる、あらゆる雑草、瓦礫、害虫をとりのぞき、光りと熱をそそぎ、愛情をもって夜の雨を振りそそいでくれるものこそ、教育なのだ。(ニーチェ『反時代的考察 第三篇』1874 秋山英夫訳)

途中ゲーテの言葉として
「自分のたどる道がどこへ行くのか自分にも分からないときほど、
先へ行っていることはない」とある。

これが迷宮にさ迷うことの起源ではないか
そしてニーチェのアリアドネの起源ではないか

迷宮あるいは耳。迷宮はニーチェにしばしば現われるイメージである。それはまず無意識を、自己を、指示する。アニマだけがわれわれを無意識と和解させ、無意識を探すための導きの糸をわれわれに与えることができる。次に、迷宮は永遠回帰そのものを指示する。迷宮は循環的であって、行きどまりの道ではなく、同一の地点に、また、現在、過去、未来の同一の瞬間にわれわれを導く道である。だがより根本的に言えば、永遠回帰を構成するものの観点からみると、迷宮は生成であり、生成の肯定である。ところで、存在は生成に由来し、生成そのものによって自己を肯定する。そのかぎり、生成の肯定は別の肯定(アリアドネの糸)の対象である。アリアドネがテセウスのところに足繁く通ったあいだは、迷宮は逆の意味にとられていた。それはましな価値に開放され、糸は否定と怨恨の糸、道徳の糸であった。だが、ディオニュソスは彼の秘密をアリアドネに教える。真の迷宮はディオニュソス自身であり、真の糸は肯定の糸である。「私はおまえの迷路なのだ。」ディオニュソスは迷路にして雄牛、生成にして存在であるが、その肯定そのものが肯定される場合にのみ存在であるような生成である。ディオニュソスはアリアドネにたんに耳を傾けることだけでなく、肯定を肯定することを要求する。「おまえの耳は小さい。私の耳と同じだ。その耳で私の細心の言葉を聞くがよい。」(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』足立和浩訳)

…………

閑話休題。

ニーチェという名の基体として、自分が何を書いているかを意識することができるのは、まさにその瞬間に、書くということが起こるために何が生み出されたのかを自分が知らない、いやそればかりか(もし彼が書き思考したいと思うならば)知らないでいる必要があるということを、さらには、後に彼が衝動たちのあいだの闘いと名づけるものをその瞬間にはまったく必然的に知らないでいるということを、彼が知っているからなのである。(クロソウスキー『ニーチェと悪循環』)

では、クロソウスキーは何を言っているのか。
《知らないでいる必要がある》だって?
これも迷宮にさ迷うことだ
ーーそう、作家は知らないでいる必要があるのだ。


ロラン・バルトの『恋愛のディスクール』から
辞書のようにアルファベット順に列挙されていくGの項目のひとつ、
「GRADIVA」(「グラディヴァのような女」)の項目の冒頭を挿入しよう。

『グラディヴァ』の主人公は尋常ならざる恋人である。ほかの者なら思う浮かべただけで終るものを、幻覚として体験し、とり憑かれているのだ。それと気づかぬままに愛している女性がいて、そのフィギュールとなるのが、いにしえの女グラディヴァなのであるが、彼はこれを現実の女性として知覚している。そのことが彼の錯乱(妄想? ※引用者)である。ところで問題の女性は、ひとまずは彼の錯乱に同調したうえで、穏やかにそこから引き出そうとしている。ある程度まで彼の錯乱の中へ入りこみ、あえてグラディヴァの役を演じ、幻影を一挙に打ちこわしたり、夢想から唐突んび目覚めさせたりはせず、それと気づかぬうちに現実に近づいていってやろうとするのだ。そのことで、ひとつの恋愛体験が、分析治療と同じ機能を果たすことになるのである。

「グラディヴァ」とはもちろんフロイトの論文からである。

われわれの仲間の一人が『グラディーヴァ』に出てくる夢とその解釈可能性に関心をもった(……)。その人が当の作家に直接会って、あなたの考えに非常によく似た学問上の理論があることをご存知だったのかと尋ねれみた、はじめから予想できたことだが、これにたいして作者は知らないと返答した、しかもそこには多少不快げな調子がこもっていた。そして、自分自身の空想が『グラディーヴァ』のヒントをあたえてくれたのだ、(……)これが気に入らない人はどうかかまわないでいただきたい、と言った。(フロイト「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」1907)

《作者はこのような法則や意図を知っている必要などまったくないし、だから彼がそれを否定したとしてもそこに微塵の嘘もないのである》としつつ、フロイトは続けてこのように書く。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。(フロイト「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」1907)

批評家と創造者の振舞いを混同してはならない
リルケは、才能を無くするということでフロイトの治療を断わられた

リルケ?
クロソウスキーがリルケの隠し子であるかどうかは知るところではない

クロソフスキーの《ディアーナとアクタイオーンII》1957





これは女に襲いかかったつもりで
ひそかに手助けされてしまう男だな
チガウカナ?

(あなたガンバッテ!
そこじゃないの
アタシが手引きしてあげるわ)

母の影はすべての女性に落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。これはどの若い警察官の悪夢でもある、中年の女性が車の窓を下げて訊ねる、「なんなの、坊や?」

この原初の母なる全能性はあらゆる面で恐怖を惹き起こす、女性蔑視(セクシズム)から女性嫌悪(ミソジニー)まで。((Paul Verhaeghe『Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE』私訳)

心の傷が疼くんだよな
(オレは全然ミソジニーではないけどさ
と言っておかないとな)

これが彼のーーオレの、あるいはクロソフスキーのーー
グラディヴァであり、ひょっとしとアリアドネである
とするよりはリルケ隠し子説は信憑性が低い

ピエール・クロソウスキーはバルタザール・クロソウスキー・ド・ローラ
という弟をもっており、別名バルチュスであるのはよく知られている


でなんの話だったか?
オレがホントウに愛してきたものの話だな、
タブン?

時刻は遅い午後、といっても陽が落ちるにはまだ遠く、燦々と輝いていた陽光がその盛りをすぎ、どれほどともわからぬ時間が濃密な密林の液体のようにゆるやかに、淀みながら流れていったことはぼんやりと意識にのぼっているのだが、正確な時刻となると見当もつかない晴れた日の昼すぎ、まるで部屋の外にはなにも存在せず、ただこの室内だけが世界のすべてであるかのようだ。まるで眼につかぬほどゆっくりと、だが着実に翳ってゆく陽射しが、長椅子の肘掛や背凭せ、テーブルの縁、またあれら少女たちのスカートや剥き出しになった下着の上に落ちかかり、それぞれの粒子の物質的な手触りを際立たせながら優しい白さで輝き出させ、穏やかに暖めている。





……まるで浴槽の熱い湯の中に浸りこむようにして、少女は自己の内部の充足のなかに浸りこむ。甘美な自己放棄。視線がうつろになる。もうわたしは何も見ていない。眼をつむる。猫のように、うっとりと伸びをし、軀を丸める。だが、―――だがまさにその瞬間、ふと軀から溢れ出すものがある。何かが、足りないような気がするのだ。苛立ちと呼ぶにはあまりに甘ったるく熱っぽい、この胸苦しいやるせなさ。むずかゆさ。これはいったい何なのか。何もかもが満ち足りていたはずなのに、今は、しきりと何かが不足しているように思われてならない。何かが欲しい。われしらず溜息が漏れる。けれども、わたしの息はどうしてこんない熱いのだろう。このせつない欠乏感は決して嫌悪をそそる種類のものではない。むしろ快いとさえ言っていいような、奇妙に甘美なやるせなさ。(……)少女は眠りの中に閉じてゆきながら、しかも同時に自分を世界に向かって押し広げてみずにはいられない。脚と脚とがわれしらず離れてくる。しだいに頭の上へとあがってゆき、頭部を抱えこんで自分を内へ閉ざそうとする両腕のやるせない動きそれ自体が、そのまま、腕の付け根の柔らかな腋窩を思いきり開ききって外へさらけ出すことになる。(……)そして、目に見えないほど細かな粒子として、しかしくまなく全身から、じっとりと滲み出してくる夢を吸いとっているブラウスと下着の、決して純白というわけではない白さの何とすばらしいことだろう。この汚れた白さの何という輝き、捲くれ上がったスカートの下のシュミーズの縁取りのレースのよじれと縮み、股間を覆う下着によった襞。そして、折り曲げた左足によってかたちづくられ、この股間の白いよじれた襞をのぞかせている三角形と照応するもう一つの、逆向きの三角形、襟元のブラウスの下からのぞいている小さな三角形の、何という蠱惑。顔を横に捩っているために筋肉の腱がくっきりと浮かび上がっている首筋の真下に、強く打たれた句読点のように輝いているこの小さな白い三角形の染みこそ、少女の夢がそこから発散してくる負の起源、またそこへと収斂してゆく虚の焦点であるかのようだ。夢想に軀を預け背を後ろに倒しながら、しかし完全な自己放棄には至らず、背筋をわずかにこわばらせ、不安定な角度で身を支えているこの緊張した姿勢のうちに、開くことと閉じることとの官能的な共存が生きられている。その微熱を帯びた緊張のただなかで滲み出した夢の粒子は、あたり一面に拡散して空気中に漂い、椅子やテーブルや水差しや猫や猫がなめているミルクと親しく交流し合う。……(松浦寿輝「インテルメッツォ―――バルテュスの絵をめぐる」(『官能の哲学』より)

もっともオレはパンストフェチ、ストッキングフェチであり
(理由はどこかに書いたな
ーー「遠い道」にあるよ、かなりぼかして書いてあるが)
同じ「変態」でもややクロソフスキー兄弟と趣味が異なる






「これまで本当に愛してきた」にもかかわらず
当地は暑い国であり
よほどの高級オフィスガールでなければパンスト類を穿かず、






すなわち滅多にお眼にかかれないという限りない不幸は
画像を収集することでなんとか埋め合わせてはいるのだが
なぜか椅子とストッキングの組み合わせを好み
これはひょっとしてバルチュスの影響ではないか









2014年10月8日水曜日

山師ニーチェ

むさぼるように私は『曙光』の断章を読みました。ニーチェを読むときに役だつ、あのあらゆるひねくれた感情を込めながら。そして翻訳者にたいする、一巡してはまた生まれてくる感謝の気持を、その“ひねくれた”感情に交えたのです。……(「ニーチェとヴァレリー ヴァレリーのニーチェに関する手稿から」 丹治恒次郎 著 – 1985 ネット上PDFより)

ヴァレリーは仏国では、もっとも早くからのニーチェの読者のひとりだったらしい。上の文は、ニーチェの翻訳者である友人アンリ・アルベール宛(1901)の書簡からであり、彼に感謝の気持を表明しているのだが、それに続いて現われる「“ひねくれた”感情」という表現がいかにもヴァレリーらしい。”Tous les mauvais senntimenntos utiles”――悪感情、不快感としてもよいだろう。

もっともヴァレリーは死の二年前のカイエ(72歳)にも、ニーチェに触れている。

ニーチェを読むーーニーチェ(かれはイデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとりだが)にある詐りのものはーーかれが他者に付与する重要性――論争術、――およびいろんな理論立てを思わせるものすべてである。彼はすでに「文学史」中に席を与えられた物事をあまり眼中におきすぎる。――ソクラテスとカントを制服した「彼」が、だ。――/それから魔術的な語の『生』。しかしこれに助けを呼ぶのは安易というものだ。(寺田透訳)

この時期に到っても熱心にニーチェを読んでいたことになる。しかもやはり「詐りのもの」という表現を差挿させて。

だが《イデオロギーの分野で私のもっとも高く評価するもののひとり》ともあるわけだが、ヴァレリーはマルクスの最初期の読者であることも知られている(もっともマルクスーニーチェーフロイトという偉大な三人組(イデオロギー、道徳、自我の)の残りの一人フロイトへの言及というのは殆んどなかったんじゃないか)。

まあそれはこの際どうでもよろしいが、ニーチェを、”道徳の分野で”、とはいわず、”イデオロギーの分野で”もっとも高く評価すると言っているのも、ヴァレリーらしい。たぶんニーチェの同情道徳批判など端から信じていなかったのだろう。

ニーチェのなかでもっとも面白いものはあの断固たる風采、倫理的執心である。――これが僕をいつも笑わせる。――というのは、要するにこれは台所仕事なのだ、道徳のなかで働こうとする。道徳の現代的基礎が見かけのよい無関心でだということに気がつかない。(ヴァレリー ジッド宛ての書簡 1899.1.13)


◆ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』より

・私はニーチェが言っていることを気にかけない。ニーチェが考えねばならないことに関心がある。

・あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ。

・山師根性の発生源〔は何か〕。存在の分割。

・大ほら吹き。――構築家ではない。


山師だって?、大ほら吹きだって?

ニーチェは妹への手紙で言っている、

自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ。

ーーたぶん、「お兄さん、どうして物を書くとき、あんなに大言壮語するの?」 とでも訊ねられたのではないか。


ところで冒頭の「ひねくれた感情」については小林秀雄もすでに昭和二十五年のエッセイ「ニーチェ雑感」にて次のように引用している。

「私はニイチェを読む、彼を読むに必要な悪意をもって」とヴァレリイは言っている。これはニイチェの知らぬフランス風のアイロニイだ。彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている。そういう血筋についての日本人としての一種の不感症の意識が、ニイチェを読むには、およそ女々しさを知らぬ善意が必要だ、と私に言うようである。ニイチェは暴露心理学の名人ではない。それは彼にはあんまりやさしい芸である。心理は暴露されるが、ひたすら隠そうとしているものが、常にそこにある。それは真理の絶対性であり、そこにはドイツの伝統的精神の血が流れている。頑固な執拗な容赦のない精神の渇望が、憧憬がある。これを、彼の「悪意の知恵」のうちに、いつも感じているのには強い善意を要する。


ここには上に引用したヴァレリーの『ニーチェに関する手稿』における《あまりにも教授気質、あまりにもドイツ的、あまりにも非古典的、形而上学と美学の不純な混合だ》の翳も窺われる、すなわち《彼は、彼が腹を立てようと立てまいと、ルーテルの血筋をひいている》とは、《あまりにもドイツ的》の変奏だろう。

ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

吉田秀和はもちろん小林秀雄の弟子筋であり、この見解も起源は小林秀雄にあるに相違ない。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

ニーチェの主著のひとつ『道徳の系譜』では、この書に収められた三論文のテーマ、第一論文「善悪」、第二論文「同情」、第三論文「禁欲主義」に対して、それぞれ激しく反駁しているのだが、ニーチェこそ善悪の彼岸にある「善=真理」の人、窮極の「同情」の人、至高の「禁欲主義」の人であった、と小林秀雄はすでに暗に言ってしまっているのだ。

そして小林秀雄の見解も、ヴァレリーに負うところが大きいように見える。

ニーチェは卓越した人間であった。文献学の優等生。メッツの城壁の下では良き看護兵。勤勉で控え目な青年。屈託よりも病気で身を退いた優れた教授。狂気にいたってもなお静かな人柄であった。彼の生涯は真のキリスト教徒の、あるいは賢者の生涯であった。いや、賢者よりもキリスト教徒としてこそ適わしいと思える貞節、そのような貞節のつらぬく生涯であった。

ところが彼の存在の、さほど重要でもない内的部分が、書くことへと向かった。そしてこの部分こそが心神喪失をきたしたものと思える。全体的には穏和で規則正しいこの体系〔人間〕が、ある熱狂的な一部分に、錯乱した冗漫な一部分に、とり憑かれたのだ。」(ポール・ヴァレリー『ニーチェに関する手稿』sur les manuscrits de Paul Valery au sujet de Nietzsche)

たとえばショーペンハウアーの《哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである》とある次の文を読んでみよう。

ニイチェは、「教育者としてのショオペンハウエル」を、私という人間を知る鍵だと、これを書いてから十年も経ってから、ローデへの手紙で言っているが、どんな鍵だかは言っていない。鍵をあけるのは読者の方だ。これはニイチェの変わらぬやり方である。

彼はショオペンハウエルの第一ページを読むやいなや、あらゆるページを読んで、あらゆる言葉を傾聴するに違いないことを決定的に感じてしまう、そういう種類のショオペンハウエルの読者だ、と言っているが、彼の書いたものは、まさにそういう読者の書いた「ショオペンハウエル論」であって、この哲学者の哲学上のドグマを、後年のニイチェは罵倒しているが、哲学上のドグマなぞ、初めから問題ではなかったのである。相手を信頼しきった愛読者として、ニイチェがショオペンハウエルから感得したものは、もっと深い処にあるもの、ドグマが死んでも今日もショウペンハウエルが私たちを動かしているものだ。感得とは私の勝手な言葉ではない、ニイチェはこの哲学者を語り、愛読者の「生理的印象」を語るのだ、とさえ言っている。「教育者としてのショオペンハウエル」は、同時代への攻撃が目的であり、それは鋭く雄弁で、一篇の重点をなしているのだが、ニイチェの鍵をあけるなら、私としては、彼が愛読者としての気持ちを語る最初の部分を選びたい。

ショオペンハウエルが、カントの「批判」から立ち上がったのは周知のことであるが、この点で、ニイチェは特色ある洞察を述べている。カントによって厳密に証明された知性の相対性を、いろいろと弄くり廻しているような「計算機械」たちには自分は何の興味もない、なぜ絶望しないのかと彼は言う。彼は、カントから与えられた打撃により、絶望した心を語るクライストの手紙を引用し、人間はいつになったら、クライストのように自然にすなおに感じるようになるか、いつになったら哲学の意味を自分の心の底に照らして計ることを学ぶようになるかと言っている。ショオペンハウエルは、それをやった。それをやったところに、ニイチェが見たものは奇怪なほど明らかなあたりまえなことであった。正直な思想家。その点で、彼に肩を並べられる思想家はモンテエニュ一人だと断言しているのもおもしろい。同時にニイチェは、当代の思想家の、不機嫌、憂鬱、錯雑が、つまるところ自分自身に対する信頼感の不安定をごまかそうとする虚偽から来ているのであって、他にもっともらしい理由なおいっさいないのだと見る。ところで、正直であるとは、「人生の全像」が、この苦痛と不幸との絶えぬ絵が一つ目で見えているという意味だ。ショオペンハウエルは、この絵から、画家を発見しようと男らしく、単純に誠意をもって考えて行く、他の思想家たちが、絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している間に。この愛読者は、そういうふうに読んだ。(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

小林秀雄の、しばしば「はったり的」とも批判される様をこの文章に読むひとがいるかもしれない。ショーペンハウアーの「哲学的ドグマなぞ初めから問題ではなかった」だって? 研究者だったらこの断言に苛立つのを憶測できないわけでもない。

ニーチェはこう書いてるじゃないか、と。

ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

だがニーチェが山師なら、小林秀雄を山師として読んでどうしていかないわけがあろう。その山師根性から生み出される神経や情動に働きかけてくるエクリチュールに魅せられないひとーーたとえば学者共同体のひとびとはーー、地道に研究活動に精をだしておればよろしい。それが《絵も見えずにカンヴァスと顔料とを研究している》のではないことを、ここで他人事ながら祈願しておこう。


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475

もっともいま黒字強調をした箇所も、たとえば次の文とともに読む必要があるだろう。

ひとはものを書く場合、分ってもらいたいたというだけでなく、また同様に確かに、分ってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にはならない。おそらくそれが著者の意図だったのだ--著者は《猫にも杓子にも》分ってもらいたくなかったのだ。すべて高貴な精神が自己を伝えようとする時には、その聞き手をも選ぶのだ。それを選ぶと同時に、《縁なき衆生》には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこに起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである」(『悦ばしき知識』381番 秋山英夫訳)

もちろんニーチェはこれだけではない。ここでニーチェ読みなら欠かせないとされるクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』を次のように引用しておいてもよい。

強度、刺激、音調。それが思考である。思考が何を語るかはまた別の問題であり、思考が何を語ろうとも同じである。そして思考が何かに適用されれば、また他 の強度、他の刺激、他の音調が生み出される。いまやニーチェは、もはや概念的能力においてではなく、情緒的能力において、思考を実践しようとする。それは 一つの限界点。知が、悟性の平和のためにではもはやなく、〈カオス〉の呼びかけにも似た諸力の意のままに活動する、そのための手段のようなものを手にする 限界点にほかならない。(『ニーチェと悪循環』「トリノの陶酔」兼子正勝訳)

「音調」という語彙が出てきた。ならば、こう重ねて引用せざるをえない。

二種類の著作者たちを区別しなければならない。第一は、人がある著作者たちについて書く、そういう対象としての著作者たちであり、彼らからの影響は、人が彼らについて語ることがらの外にはなく、そのことがらに先立つものではない。そして第二は(もっと古典的な考えかたであり)、人が読む対象としての著作者たちである。ところで、第二の著作者たちから私に及ぼされるものはいったい何だろうか。一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)(『彼自身によるロラン・バルト』ーー「自分の声をさがしなさい」)

で、小林秀雄のニーチェ小論はこの側面が欠けているって? まさか!

ニイチェは、「ツァラトゥストラ」を音楽だと言っている。比喩ととるのは間違いだ。音楽は、まさしく、かくのごときものとして、彼には聞えていたのだと私は思う。もう一つ奇怪な例をあげよう。彼の一生で彼を本当に驚かした書物が三つある。二十一歳の時読んだショウペンハウエルの主著、三十五歳で出会ったスタンダアルの「赤と黒」、四十三歳の時、偶然仏訳を手にしたドストエフスキイの「地下室の手記」、この三番目の書を読んだ当時の手紙で、彼は昂奮して書いている、他に言いようがないから言うのだが、これは私を歓喜の頂まで持って行った血の声だと言う。第二部は、「汝自身を知れ」というパロディイに関する天才的な心理学だが、第一部は全く非ドイツ的な(ドイツという言葉は、ニイチェの用いた最大の反語の一つであることに注意したい)世にも不思議な音楽だと言うのである。「地下室の手記」を読んだ人に、これが音楽として聞えて来る耳を私は要求したいのだ。これが音楽家ニイチェの鍵だ。……(小林秀雄「ニーチェ雑感」)

…………

※附記

彼(小林秀雄)の批評の「飛躍的な高さ」は、やはり、ヴァレリー、ベルクソン、アランを読むこと、そしてそれらを異種交配してしまうところにあった。公平にいって、彼の読みは抜群であったばかりでなく、同時代の欧米の批評家に比べても優れているといってよい。今日われわれが小林秀雄の批評の古さをいうとしたら、それなりの覚悟がいる。たとえば、サルトル、カミュ、メルロ=ポンティの三人組にいかれた連中が、いま読むに耐えるテクストを残しているか。あるいは、フーコー、ドゥルーズ、デリダの新三人組を、小林秀雄がかつて読んだほどの水準で読みえているか。なにより、それが作品たりえているか。そう問えば、問題ははっきりするだろう。(柄谷行人「交通について」――中上健次との共著、『小林秀雄をこえて』所収ーー意図的な誤読の「楽しみ」


2014年10月2日木曜日

「沖合いはるかな遠い未来のなかに」

人が私に同意するときはいつも、私は自分が間違っているに違いないと感じる。

Whenever people agree with me I always feel I must be wrong. (オスカー・ワイルド)

ははあ、ワイルドの言葉のなかに、すでにロラン・バルトがいるな。

何か《洒落た》考察によって聴衆をほほえませるや否や、何か進歩主義的な常套句で聴衆を安心させるや否や、私はこうした挑発の迎合性を感ずる。私はヒステリー的欲動を遺憾に思う。遅まきながら、人に媚びる言述よりいかめしい言述の方が好ましく思われ、ヒステリー的欲動を元に戻したいと思う(しかし、逆の場合には、ヒステリー的に思えるのは、言述の《厳しさ》の方である)。実際、私の考察にある微笑が応じ、私の威嚇にある賛意が応じると、私は、ただちに、このような共犯の意思表示は、馬鹿者か、追従者によるものと思い込む(私は、今、想像上の過程を描写しているのだ)。反応を求め、つい反応を挑発してしまう私だが、私が警戒心を抱くには、私に反応するだけで十分である。

そして、どのような反応をも冷まし、あるいは、遠ざけるような言述を続けていても、そのために自分が一層正確である(音楽的な意味で)とは感じられない。なぜなら、そのときは、私は自分のパロールの孤独さを自賛し、使命を持った言述(学問、真理、等)というアリバイをそれに与えなければならないからである。(ロラン・バルト「作家・知識人・教師」『テクストの出口』所収)

遡ればデカルトだっているさ。

人が二十年もかかって考えたことのすべてを、それについて二つ三つのことばを聞くだけで、一日でわかると思いこむ人々、しかも鋭くすばやい人であればあるほど誤りやすく、真理をとらえそこねることが多いと思われる。(デカルト『方法序説』)

すぐさま理解されたら引退という規約の集団だってあったらしい。

フランスにブルバキという構造主義数学者集団があった。この匿名集団の内密の規約は、発表が同人にただちに理解されれば己の限界を悟って静かに退くというものであった。出版と同時に絶賛される著者には、時にこの自戒が必要であろう。(中井久夫「書評の書評」『リテレール』創刊号 1992)

どうして、いまでは大量ハテブされたり、ツイッターで大量RTされたりなどしても、恥じない手合いばかりなんだろ? 

ーーというのは捏造されて疑問符だよ、そんなことは分かってる。

ただ「承認欲求」という言葉は使用したくなくてね、
ああ使っちまった、消去線引いとかなくちゃな

《誰もが、誰かに見られていることを求める》。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』

クンデラはこう書き、四つの視線のカテゴリーをあげる。

①限りなく多数の無名の目による視線(大衆の視線)
②数多くの知人の目という視線
③愛している人たちの視線
④想像上の視線(死者の視線、理念の視線など)

ーー③か④にしとけよな、「承認」されたいのなら。


ここでなぜかシュネデールのグールド論の言葉を引用しておこう。

実際コンサート・ホールという場にあっては、音楽はめったに人の心に届かないと彼はすでに感じていた。うとうとしている人々、終わったあとの食事を思い浮かべている人々、翌日になって演奏会に行ったと語るのが目的で来ている人々、彼らを除いてしまえば、ほとんど誰もいなくなる。ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。p7


これは演奏会の話だが、ネット上の読者なんてのもーーいや「文化人」の書き物をあり難がる手合いももちろんーーこういった連中がほとんどなんだからさ。

深遠に見せかけた挑発的な気の利いたジョークのガラクタに、道義的な義憤というスパイスを加えている(……)。真実など、ここでは重要ではない。重要なのは影響力である。これこそ今日のファストフード的な知的消費者が望んでいたものだ。道義的な義憤を織り交ぜた、単純で分かりやすい定式である。人々を楽しませ、道徳的に気分を良くさせるのだ。(ジジェク

「わかりやすさのファシズム」の時代だからな。

結局今の時代ってさ、テレビを観てても、お笑いの奴が喋ってる言葉がわざわざ吹き出しテロップで出てくるじゃない? 耳の不自由な方は別だけどさ、「え? そこまで丁寧なの?」っていう感じがあるんだよね。そういう時代だから、後姿や背中でものを言うなんて時代じゃないのかな、って思うよね。

登場人物が相手をじっと睨んでて、映画を観てる人に「あ、こいつ絶対復讐を考えてんだな」なんて思わせるような間を作ることができなくなってきてる。「てめえ、殺すぞ」って言った方がいい。(北野武

…………

……天才の作品がただちに賞賛をえることの困難なのは、それを書いた天才その人が異例であり、ほとんどすべての人々が彼に似ていないからである。天才を理解することができるまれな精神を受胎させ、やがてその数をふやし、倍加させてゆくのは、天才の作品それ自身である。ベートーヴェンの四重奏曲(第12、第 13、第14および第15番の四重奏曲)は、それを理解する公衆を生み、その公衆をふくれあがらせるのに五十年を要したが、そのようにして、あらゆる傑作の例にもれず、芸術家の価値にではなくとも、すくなくとも精神の社会に―――最初この傑作が世に問われたときには存在せず、こんにちそれを愛することができる人々によってひろく構成されている精神の社会―――一つの進歩を実現したのは、ベートーヴェンの四重奏曲なのである。人々がいう後世とは作品の後世で ある。作品自身が(……)その後世を創造しなくてはならないのだ。したがって、作品が長くとっておかれ、後世によってしか知れれなかったとしたら、その後世とは、その作品にとっては、後世ではなくて、単に五十年経ってから生きた同時代人のあつまりであるだろう。だから、芸術家は自分の作品にその独自の道を たどらせようと思えば(……)その作品を十分に深いところ、沖合いはるかな遠い未来のなかに送りださなくてはならない。(プルースト「花咲く乙女たちのかげにⅠ」より)

なんてのは芸術家のみなさんも生活かかってるんだから
「沖合いはるかな遠い未来のなかに」なんて

こんな物言いも無視したらよろしい。
せいぜいレスポンスをもらうことに専念したらよろしい。
なあ、ソウダロウ?

蓮實重彦)なぜ書くのか。私はブランショのように、「死ぬために書く」などとは言えませんが、少なくとも発信しないために書いてきました。 マネやセザンヌは何かを描いたのではなく、描くことで絵画的な表象の限界をきわだたせた。フローベールやマラルメも何かを書いたのではなく、書くことで言語的表象の限界をきわだたせた。つまり、彼らは表象の不可能性を描き、書いたのですが、それは彼らが相対的に「聡明」だったからではなく、「愚鈍」だったからこそできたのです。私は彼らの後継者を自認するほど自惚れてはいませんが、この動物的な「愚鈍さ」の側に立つことで、何か書けばその意味が伝わるという、言語の表象=代行性(リプレゼンテーション)に対する軽薄な盲信には逆らいたい。

浅田彰)  …僕はレスポンスを求めないために書くという言い方をしたいと思います。 東浩紀さんや彼の世代は、そうは言ったって、批評というものが自分のエリアを狭めていくようでは仕方がないので、より広い人たちからのレスポンスを受けられるように書かなければいけないと主張する。… しかし、僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦) 下らない。それは批評の死を意味します。

――中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田 彰)


蓮實重彦なんて、サルトルまで貶しているわけだからな

…………

サルトルは第二次世界大戦終結後の五日後、『大戦の終末』という文を発表している。《一発で十万人もの人間を殺すことのできる小さな爆発》が導きだした大戦の終末、この武器は《明日ともなれば、二百万人もの生命を奪うこと》にもなろうから《これが突如として我々の人間の責任と、我々とを対決させることになったのだ》。そのとき人は《自己の死滅の鍵》を握って茫然とする、と。

この次の機会には、地球は破裂するかもしれぬし、この不条理な結末は一万年も前から我々人間の心にかかっていた様々な問題を、宙ぶらりんにしてしまうだろう。

もし明日また新しい事変が起ったと告げられても、我々は、あきらめたように肩ををびやかせながら、「予定どおりさね」と言うに違いない。(「大戦の終末」)

――なにやら2011年の極東の島国での「想定外」の事態をめぐって、ある種の「知識人」によって同じようなことを呟かれてもおかしくない文であるし、実際、いくらかの語句修正を施された《聡明、かつ反射神経鋭敏な》評論家連によって語られたともいえる。

蓮實重彦はその『物語批判序説』のなかで、上記のサルトルの文を引用して《世界の表層を不条理というほかない亀裂が走りぬけたとき、みずからのもっとも神経過敏な部分をその痕跡に重ね合わせるほとんど反射的といえる身体反応の美しさ》と語りながらも、《ある種の身体的な聡明さとは、あくまで相対的なものでしかなく》、《誰もが否定しえない知的聡明さと、人間的な誠実さにもかかわらず、この爽快なまでに短い論文を綴ったサルトル》の言説への齟齬感をめぐって書き進める。
……大洪水前の虚無からは幾世代にもわたる祖父たちによって守られており、未来の虚無に対しては、何代にもわたる甥孫によって守られており、つねに時間の流れの中間にあって、決してその末端にはいなかったのだ。しかし、今や我々は、この「世界終末の年」へ戻ってしまったのであり、朝起きる度毎に、時代の終焉の前日にいることになるだろう。(同サルトル)


蓮實氏は、《サルトルのもっともできの悪い文章をとりあげて、作家サルトルの文学的資質をことさら軽視しようとしてこの一節を引いたのではない》、としながらも、《終りという事態を前にした場合、サルトルさえもがこうした貧しい比喩に逃れるほかないという点が問題》であるとするのだ。

「世界終末の年」への逆戻りという表現は、サルトルのいわんとすることの表現であるより、むしろその思考の運動を出来合いの言葉の方へと招きよせ、語りつつある主体を、それが喚起するもろもろの象徴へと、検証を欠いた安易さで同調させる機能を演じているように思う。
……『大戦の終末』はきわめて素直な文章だといえるかもしれない。素直な、というのは誰かに教えこまれたのでもないのに、昔からひそかにくりかえし暗記していた台詞が、ふと口から漏れてしまったような印象を与えるからだ。事実、人間の死の予言は、神の死という言葉が流通しうる文化的な圏域にあっては、いずれ誰かが口にすべき言葉として予定に組みこまれていたもののはずである。あからさまに言明されることはなくとも、そうした命題が論じられて何の不思議でもない文脈が用意されていたのであり、それにふさわしいきっかけが与えられればたちどころに顕在化するはずの、潜在的な主題でさえあったといえるだろう。

もちろん、サルトルは、いちはやくその事実を察知する聡明さに恵まれていた、それは日本の2011年の早春における何人かの[知識人」も同様だっただろう。彼らは《聡明さのみならず、ある大胆さと、そしておそらくはいくぶんかの通俗性にも恵まれていたので、誰よりもさきに予定されていた言葉を口にしてしまったのである》。

このようにして、『物語批判序説』の作者によって、『大戦の終末』の文章は、「説話論的な権利に従った自然さ」、あるいは「物語の罠に陥る甘美さ」があると指摘されることになる。つまりは、

しかるべき文化圏に属するものであれが、誰もが暗記していつでも口にする用意が整っていた台詞であり、その意味で、それをあえて言説化してみることはほとんど何も言わずにおくことに等しい。

この後、同じ「人間の死」を語りながらも、つまり《思考が人間の顔を描きえたのはたかだか過去百五十年ほどのことでしかなく、その人間の横顔も、とうぜん、知の配置が体験するだろう新たな変容とともに「波打ちぎわの砂の上に描かれた顔のように消滅する」ほかあるまい》と語るフーコーとの言説的戦略の差を語ることになるのだが、それはここでは割愛する。




2014年10月1日水曜日

ニーチェの隠し事

…技術の本があっても、それを読むときに、気をつけないといけないのは、いろんな人があみ出した、技術というものは、そのあみ出した本人にとって、いちばんいい技術なのよね。本人にとっていちばんいい技術というのは、多くの場合、その技術をこしらえた本人の、天性に欠けている部分、を補うものだから、天性が同じ人が読むと、とても役に立つけど、同じでない人が読むと、ぜんぜん違う。努力して真似しても、できあがったものは、大変違うものになるの。(……)

といっても、いちいち、著者について調べるのも、難しいから、一般に、著者がある部分を強調してたら、ああこの人は、こういうところが、天性少なかったんだろうかな、と思えばいいのよ。たとえば、ボクの本は、みなさん読んでみればわかるけれども、「抱える」ということを、非常に強調しているでしょ。それは、ボクの天性は、揺さぶるほうが上手だね。だから、ボクにとっては、技法の修練は、もっぱら、「抱えの技法」の修練だった。その必要性があっただけね。だから、少し、ボクの技法論は、「抱える」のほうに、重点が置かれ過ぎているかもしれないね。鋭いほうは、あまり修練する必要がなくて、むしろ、しないつもりでも、揺さぶっていることが多いので、人はさまざまなのね。(神田橋條治「 人と技法 その二 」 『 治療のこころ 巻二 』 )

…………


『ツァラトゥストラ』の第二部に「同情者たちVon den Mitleidigen」という項がある(Thomas Commonの英訳では the pitiful)。

以下、手塚富雄訳より抜粋する。

わたしは、同情せずにいられないときにも、同情心の深い者とは言われたくない。また、同情するときには、自分の身を離して遠くから同情したい。まことに、わたしは苦悩している人たちに何ほどかのことをしたことはある。しかし、それ以上によいことをしたと思えたのは、わたしがよりよく楽しむことを覚えたときである。
……わたしは悩む者を助けたことのある自分の手を洗う。そればかりでなく、自分の魂をも念入りに拭うのだ。というのは、悩む者が悩んでいるのを見たとき、わたしはそのことを、かれの羞恥のゆえに恥じたのだから。また、かれを助けたとき、わたしはかれの誇りを苛酷に傷つけたのだから。
大きい恩恵は、相手に感謝の念を起こさせない。それどころか、相手のうちに復讐心を芽ばえさせる。また小さい恩恵が記憶のうちに残っているあいだは、それは呵責の虫となって、その恩恵を受けた者の心を食い荒らす。
……だが、わたしは贈り与える者である。友として友にわたしは喜んで贈り与える。しかし未知の者や貧しい者たちは、わたしの果樹から自分の手で果実を摘み取るがいい。そうすればかれらに羞恥の念を起こさせることが少ないだろう。

次に『この人を見よ』から。

わたしが同情心の持ち主たちを非難するのは、彼らが、恥じらいの気持、畏敬の念、自他の間に存する距離を忘れぬ心づかいというものを、とかく失いがちであり、同情がたちまち賤民のにおいを放って、不作法と見分けがつかなくなるからである。(手塚富雄訳)


これらの断片から窺われるのは、ニーチェは決して同情=憐れみを感じることそれ自体を批判しているわけではなく、ただその感情を露骨に表してしまうのを嫌厭すること甚だしいということだ。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるのではないか。( ……)すべての哲学はさらに一つの哲学を隠している。すべての意見はまた一つの隠れ家であり、すべてのことばはまた一つの仮面である。(ニーチェ『善悪の彼岸』 289番)

《ニーチェを読むと、彼はこのキリスト教的美徳〔すなわち同情〕を口を極めて排撃しているけれど、それはつまりは、彼がどんなに自分の中のその能力のために悩み苦しんだかの証拠に他ならない。》(吉田秀和ーー 『ニーチェ――どうして同情してはいけないのか』(神崎繁)よりの孫引き)

《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

…………

ニーチェがトゥリンにあるホテルから外出する。向かいに馬と、馬を鞭打っている馭者を見る。ニーチェは馬に近寄ると、馭者の見ているところで馬の首を抱き、涙を流す。

それは一八八九年のことで、ニーチェはもう人から遠ざかっていた。別のことばでいえば、それはちょうど彼の心の病がおこったときだった。しかし、それだからこそ、彼の態度はとても広い意味を持っているように、私には思える。ニーチェはデカルトを許してもらうために馬のところに来た。彼の狂気(すなわち人類との決別)は馬に涙を流す瞬間から始まっている。

そして、私が好きなのはこのニーチェなのだ、ちょうど死の病にかかった犬の頭を膝にのせているテレザが私が好きなように私には両者が並んでいるのが見える。二人は人類が歩を進める「自然の所有者」の道から、退きつつある。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』P332ーー「軽さと重さ」)

写真はいわば、穏やかな、つつましい、分裂した幻覚である。一方においては、《それはそこにはない》が、しかし他方においては、《それは確かにそこにあった》。写真は現実を擦り写しにした狂気の映像なのである。…写真と狂気と、それに名前がよくわからないある何ものかとのあいだには、ある種のつながりがある、ということを私は理解したと思った。私はその何ものかをとりあえず愛の苦悩と呼んでみた。しかしながら…その何ものかは、恋愛感情よりももっと豊かな感情のうねりだった。写真によって呼び覚まされる愛のうちには、「憐れみ」という奇妙に古くさい名前をもった、もう一つの調べが聞き取れた。私は最後にもう一度、私を《突き刺した》いくつかの映像、…を思い浮かべてみた。それらの映像のどれをとっても、まちがいなく私は、そこに写っているものの非現実性を飛び越え、狂ったようにその情景、その映像のなかへ入っていって、すでに死んでしまったもの、まさに死なんとしているものを胸に抱きしめたのだ。ちょうどニーチェが、1889年1月3日、虐待されている馬を見て、「憐れみ」のために気が狂い、泣きながら馬の首に抱きついたのと同じように。comme le fit Nietzsche, lorsque le 3 janvier 1889, il se jeta en pleurant au cou d’un cheval martyrisé : devenu fou pour cause de Pitié(ロラン・バルト『明るい部屋』).

…………

ニーチェはショーペンハウアーとの遭遇を次のように語っている。

或る日(1865年秋:二十一歳)、私は古本屋でこの本(『意志と表象の世界』:引用者)を見つけ、全然未知のものであったので、手にとってページを繰った。・・お前はこの本を家に持ち帰れ・・と私に囁いたのはどういうデーモンであったのか私にはわからない。いずれにせよ書物の購入をあまり急がないという私の日頃の習慣に反した出来事であった。(ニーチェ『回顧』)

ここでは『意志と表象の世界』からではなく『存在と苦悩』から。

すべての生きとし生ける者に限りない同情を持つことこそ、倫理的に正しい態度をとる上で最も堅固、確実な保証を与えるものであり、これについてとやかく良心の問題などを取り上げる必要はない。この気持ちに満たされた者は、必ずや、誰にも危害を加えたり、侵害したり、なんびとをも陥れようとせず、むしろできる限り他人のことをおもんばかり、あらゆる人を許し、助けるようつとめるであろう。さらにそうした人の行動は、正義と人間愛の刻印を担うことになろう。(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)

ここにまた「正義」なんて言葉が出てくるのだよな
この文はじつは、「"正義"という「主人のシニフィアン」(バディウ=ジジェク)」やら
正義とは不快の打破である」の続きものだ、ということを分かってもらえるだろうか
あるいは、「「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ」の。
ーーまさか! だれにもそんなことは期待してないさ


《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)


ショーペンハウアーは生に敵対した、このゆえに彼にとっては同情が徳になったのである・・・アリストテレスは、周知のごとく、同情のうちに、ときどきは一服の下剤でなおすのが好ましい、病的な危険な状態をみとめた。彼は悲劇を下剤と解したのである。ショーペンハウアーの場合が(そしていかんながら、セント・ペデルブルグからパリまでの、トルストイからヴァーグナーまでの現代の全文学的芸術的デカタンスもまた)示しているような、同情のそうした病的な危険な鬱憤に一撃をくわえる手段が、生の本能からこそ事実探しもとめられなければならないであろう、すなわち、この鬱積が炸裂するためにである・・・(ニーチェ『反キリスト』原佑訳  P172)

《カントをもまた、道徳の毒蜘蛛であるルソーが刺していた。カントにもまた、魂の底には道徳的な狂信の思想が伏在していた。》(『曙光』序文)

ルソーに反対。――われわれの文明は何かあわれむべきものそれ自体を持つということが真であるなら、ルソーとともに「このあわれむべき文明はわれわれの劣った道徳に対して責任がある」と結論を続けるか、あるいはルソーに反対して次のように逆の結論を出すかは、諸君のお好み次第である。「われわれのすぐれた道徳は文明のこのあわれむべき状態に対して責任がある。善悪に関するわれわれの弱い、男らしくない、社会的な概念、および心身に対するその絶大な支配は、すべての身体とすべての心をとうとう弱めてしまい、自主的な、独立的な、とらわれない人間を、すなわち強い文明の支柱を破壊してしまった。劣った道徳に現在なお出会う場合、これらの支柱の最後の破片が見られる。」やはりこのように逆説が逆説に対立するとすれば! この場合真理がどちらの側にもあることは不可能である。それでは真理はそもそもどちらかの側にあるのか? 吟味せよ。(ニーチェ『曙光』P163番 茅野良男訳)

ーーとしつつ後年、カントやショーペンハウアーよりも、ルソーを相対的に持ち上げている。

二人のドイツ人。――精神に関してではなく、魂に関して、カントやショーペンハウアーとを、プラトンや、スピノザや、パスカルや、ルソーや、ゲーテなどと比較するなら、上述の二人の思想家は不利な立場にある。彼らの思想は情熱的な魂の歴史を形成していない。そこでは、物語も、危機も、破局も、臨終も、何ら推測されない。彼らの思索は同時にひとつの魂の無意識的な伝記であるのではなく、カントの場合にはひとつの頭脳の歴史であり、ショーペンハウアーの場合には、ひとつの性格の(「不変なものの」)記述と反映であり、「鏡」そのものの、すなわち優れた知性の喜びである。カントは、その思想を通して彼がちらちら光るとき、最上の意味で実直で、尊敬すべきように思われるが、しかし重要でないように思われる。彼には広さと力が不足している。彼はあまり多くの体験はしなかった。しかも彼の流儀の仕事は、重要なことを体験する時間を彼から奪いとる。――当然のことながら、私は外面的な粗っぽい「出来事」のことを考えているのではない。閑暇を所有して思索の情熱に燃えている全く孤独で全く静かな生活の帰属する、運命と戦きとのことを考えているのである。ショーペンハウアーは、カントよりも先んじている。彼は少なくとも生まれつきある種の激しい醜さを身につけている。憎悪や、欲望や、虚栄心や、邪推の点で、彼は幾分野性的な素質の持ち主であり、この野性のための時間と閑暇とを持っていた。しかし彼の思想圏にも不足していたように、彼には「発展」が不足していた。彼はいかなる「歴史」も持たなかった。(『曙光』481番)

ところでカントの正義ってなんだったっけ?
これでいいのかな、カント研究者さんたちよ

カント自身、その方法の斬新さは、いまや法が<善>に依存するのではなく、逆に<善>が法に依存するのだという点にあるのだと口にしている。それが意味するところは、もはや法には、その権利の源流となる上位の原理を基礎にしてみずからを築く必要性もなければ、またその可能性もないということである。(……)

事実、法がそれに先立ってある高次の<善>に根拠をおくことがもはやなく、その内容をまったく非限定的なものとして放置するそれ固有の形態によって有効であるとするなら、最善をめざして正義が法に服するということは不可能になる。というよりむしろ、法に服するものは、然るが故に正義にかなっているわけではないし、またそう自覚することもないということだ。事態は逆であって、自分は罪を犯しているという自覚があり、彼は前もって有罪者なのである。しかも厳格に法に服すれば服するほど、ますます罪深いものとなるのである。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「法、ユーモア、そしてイロニー」の章 蓮實重彦訳ーーメモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)

ラカンの「サドとともにカントを」なんていうのは持ち出さないでおくよ
この程度にしておくぜ、ここでは。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーー「否定判断」と「無限判断」--カントとラカン

さて、なんのはなしだったか?
ニーチェは、後年ルソーを持ち上げる、なんて書いてしまったんだなーー、まさか!

私の意味での進歩。――私もまた「自然への復帰」について語るが、もっともそれは、もともと帰ることではなく高まりゆくことであるーー高い、自由な、怖るべきものでさえある自然と自然体、大いなる課題と戯れる、戯れることの許されているそうした自然と自然性のうちへと高まりゆくことである・・・それを比喩で言えば、ナポレオンは私が解する意味での「自然の復帰」の一つであった(たとえば戦術のことにおいて in rebus tacticis それでころか、軍人の知るとおり、戦略的なことにおいて)。――ところがルソー ーーこの男はもともとどこへ帰ろうとしたのであろうか? ルソー、この最初の近代的人間は、理想主義者と下層民とを一身にそなえている。この男は、しまりのない虚栄としまりのない自己軽蔑に病んで、おのれ自身の外見を保つために、道徳的「品位」を必要とした。近代の閾ぎわに陣取ったこの奇形児もまた「自然への復帰」を欲したーー繰り返したずねるが、ルソーはどこへ帰ろうとしたのであろうか? ――私は革命の点においてもやはりルソーを憎悪する、革命は理想主義者と下層民というこの二重性を世界史的に表現するものであるからである。この革命が演ぜられた血なまぐさい茶番、その「無道徳性」は、私にはほとんどかかわりない。だが、私が憎悪するのは、そのルソー的道徳性であるーーこの道徳性がいまなおそれで影響をおよぼし、一切の浅薄な凡庸なものを説得して味方にしている革命のいわゆる「真理」である。平等の教え! ・・・しかしこれ以上の有毒な毒は全然ない。なぜなら、平等の教えは正義について説いたかにみえるのに、それは正義の終末であるからである・・・「等しき者には等しきものを、等しからざる者には等しからざるものを」――これこそが正義の真の言葉であるべきであろう。しかも、そこから生ずるのは、「等しからざるものをけっして等しきものになすことなかれ」ということにほかならない。――あの平等の教えの周囲ではあれほど身の毛もよだつ血なまぐさいことがおこったということは、この選りぬきの「近代的理念」に一種の栄光や火光をあたえ、そのためこの革命は演劇として最も高貴な精神をも誘惑したのである。このことは結局は、この革命により以上の敬意をはらう理由とはならない。――私は、この革命が感じとられなければならないとおりに、嘔吐をもってそれを感じとったたった一人の人を知っているーーゲーテを・・・(ニーチェ「或る反時代的人間の遊撃」『偶像の黄昏』原佑訳 P142)

ルソーを読むには、鼻をきかせなくちゃな。もちろんニーチェを読むのにも、さ。

《私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。感傷的なルソーは泣かんばかりに進歩的思想を語ったが、一方で自分が産ませた大勢の私生児を方々の救貧院や感化院に入れたきり、一顧だにしなかった。(……)ドストエフスキーを 感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、 ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。》(ナボコフ『ロシア文学講義』ーー「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ


…………

◆『悦ばしき知識』338番 「苦悩への意志と同情者たち」より 、(「共苦Mitleid」/「共喜Mitfreude」)の叙述。

何はさておいても同情深い人間であるということは、君たち自身の身のためになることであろうか? さてまた、…苦悩している人たちの身のためになることだろうか?

―我々は最も深刻に、最も個人的に悩んでいるものは、他人の誰にもほとんど理解されえないし、窺い知られないものである。…それなのに、我々が苦悩者だと気づかれる際は、いつも、我々の苦悩は浅薄な解釈を蒙る。他人の苦悩から、その独特に個人的な契機を剥ぎ取ってしまうのが、同情という感情の本質に属したことだ。…不幸な人たちに施される大方の慈悲には、同情深い者が運命をいじり回す知的軽率さが見られて、何となく腹立たしい気持ちになる。

同情深い者は、私や君にとって不幸とされているもの、内面的いきさつやもつれの全体について、何ひとつ知るところがない! …彼らは援助しようとするが、不幸の個人的必要性というものが存在することには思いつかない。のみならず私にも君にも恐怖・窮乏・零落・暗夜・冒険・離れ業・失敗など が、その反対のものと同様に必要であることに、いや、神秘的な言いあらわしをすれば、自分の極楽に至る道が、いつでも自分の地獄の歓楽を突っ切っていくも のだということに、思い及ばない。

ああ、君たち安楽で善良なる方々よ、君たちは人間の幸福について何と僅かしか知っていないことか! ―なぜかといって、幸福と不幸とは兄弟であり双生児であって、そろって大きく育ってゆくか、あるいは君たちの場合のように、そろって―小さいままでいるからである!……

……さもあれ私は自分に次のように告げる私の道徳を秘密にしておく気はない、―お前はお前自身を生きうるために、隠れて生きよ!お前と現代との間に、少なくとも三世紀の皮膚を張りわたせ! …お前とて人を助けようとはするだろうが、しかし、お前と苦悩を一にし希望を同じくするがゆえに、その人の憂苦をお前が残らず了知している者たちだけを、助けよ、―つまり、お前の友達だけを助けよ。それも、お前がお前自身を助けるようなやり方でだけ助けるがいい。―…私は、彼らに、こんにちごく僅かな者だけが理解して、あの同情共苦の説教家たちがほとんど理解しないものを、教えようと思う、―つまり同喜共歓をだ! (信太正三訳)

◆『曙光』より「同情する人間と同情を持たない人間」

「もはや私のことを思わない。」――まあ本当に徹底的にとくと考えてもらいたい。眼の前で誰かが水の中に落ちると、たとえ彼が全く好きでないにもせよ、われわれがそのあとから飛びこむのは、なぜか? 同情のためである。そのときわれわれはもう他人のことだけを思っている。――と無思慮がいう。誰かが血を吐くと、彼に対して悪意や敵意さえ持っているのに、われわれが苦痛と不快を感じるのは、なぜか? 同情のためである。われわれはその際まさしくもはや自分のことは思っていない。――と無思慮が言う。

真実は、同情というときーー私は間違ったやり方で通常同情と呼ばれるのが常であるもののことを考えているのだが、――われわれはなるほどもはや意識的にわれわれのことを思っていないけれども、極めて強く無意識的にわれわれのことを思っているのである。ちょうど足がすべったとき、われわれにとって現在意識されていないが、最も目的にかなった反射運動をし、同時に明らかにわれわれの知性全体を使用しているように。

他人の不幸は、われわれの感情を害する。われわれがそれを助けようとしないなら、それはわれわれの無力を、ことによるとわれわれの卑怯を確認させるであろう。言いかえると、それはすでにそれ自体で、他人に対するわえわれの名誉の、またはわれわれ自身に対するわれわれの名誉の減少を必然的にともなう。換言すれば、他人の不幸と苦しみの中にはわれわれに対する危険の指示がある。そして人間的な危うさと脆さ一般の目印としてだけでも、それらはわれわれに苦痛を感じさせる。

われわれは、この種の苦痛と侮辱を拒絶し、同情するという行為によって、それらに報復する。この行為の中には、精巧な正当防衛や、あるいは復讐さえもありうる。われわれが根底において強くわれわれのことを思うということは、われわれが苦しむもの、窮乏するもの、悲嘆するものの姿を避けることのできるすべての場合に、われわれの行なう決心からして推測される。われわれが一層強力なもの、助けるものとしてやって来ることができるとき、喝采を博することの確実であるとき、われわれの幸福の反対のものを感じるのを望むとき、あるいはまたその姿によって退屈から脱出することを期待するとき、われわれは避けることをしまいと決心する。そのような姿を見るときわれわれに加えられ、しかも極めて多種多様でありうる憂苦を同情と名づけることは、間違った道に導く。なぜなら、どんな事情があっても、それは、われわれの前で苦しんでいる者とは関係がない憂苦であるからである。

しかしわれわれはこの種のことを、決してひとつの動機から行なうのではない。われわれがその際苦しみからの解放を望んでいることが全く確実であるように、われわれが同じ行為において、快楽の衝動に服従することもやはり確実である。――快楽が生じるのは、われわれの状態の反対のものの姿を見るときである。われわれが望みさえすれば助けうるという考えをもつときである。われわれが助けた場合、賞賛され、感謝されるという思いを抱くときである。行為がうまくゆき、そしてそれが一歩一歩成功するものとして実行者自身を楽しませるかぎり、助けるという行為そのものの中においてである。しかしとくに、われわれの行為が腹立たしい不正を制限する(彼の腹立たしさの爆発だけでも気分をさわやかにする)という感覚の中においてである。この一切合財に、さらに一層精巧なものがつけ加わると、「同情」である。――言語はそのひとつの言葉を用いて、何と不格好に、そのように多声的な存在の上に襲いかかることであろう! ――これに反して、苦しみを眺めるときに起きる同情が、その苦しみと同種のものであること、あるいは、同情が苦しみに対して特別に精巧な、透徹した理解をもつこと、この二つのことは、経験と矛盾する。そして同情をほかならぬこの二つの視点で称賛した者は、まさに道徳的なもののこの領域において、十分な経験を欠いていたのである。ショーペンハウアーが同情について報告することのできるすべての信じがたい事柄にもかかわらず、これが私の懐疑である。彼はわれわれをして、彼の大きな新発明品を信じさせようとしている。それによると、同情はーー彼によって極めて不完全な観察がなされ、全く粗悪な記述がなされた、まさにその同情はーー、一切のあらゆる以前の、また将来の道徳的な行為の源泉であるーーしかも彼がはじめて捏造して、同情になすりつけたほかならぬその能力のためにそうなのである。――

おしまいに、同情をもたない人間は、同情する人間と何で区別されるか? 何よりもまずーーここでもやはり荒っぽくのべるだけであるがーー同情をもたない人間は、恐怖という刺激されやすい想像力や、危険をかぎつける鋭い能力をもっていない。さらに、何事か起きても、かれらが阻止できるならば、彼らの自惚れはそんなに速やかに傷つけられはしない。(彼らの誇りの慎重さは、関係のない事柄に無益な干渉をしないように、彼らに命令する。それどころか、彼らは自発的に、各人が自分自身を助け、自分自身のトランプで遊ぶことを好むのである。)その上彼らは大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない。最後に彼らにとっては心の優しい状態は、ちょうど同情する人間にとってストア主義的な無関心の状態が苦痛であるように、苦痛である。彼らはその状態に軽蔑的な言葉を付加し、自分の男らしさと冷たい勇気がそれによって危険にさらされたと思う。――彼らは涙を他人の眼からかくし、自己自身に立腹して、それをぬぐう。それは、同情する人間とは別の種類の利己主義である。――しかし彼らをすぐれた意味で悪いと呼び、同情する人間をよいと呼ぶことは、時をえているひとつの道徳的な流行にほかならない。ちょうど反対の流行にも時が、しかも長い時があったように! (ニーチェ『曙光』第133番 茅野良男訳)

ーーとだけ引用して、ニーチェの「同情」を、逆張り的に解釈するのは一面的であるに相違ない。以下、次回?、もしくはそのうちに続く(たぶん)。

ところで、同情をもたない人間は、《大てい、同情的な人間よりも、苦痛に堪えることに馴れている。さらに彼ら自身苦しんできたのであるから、他人が苦しむことは、彼らにはそう不公平には思われない》というのはーー、そうだなよなあ

自分が苦しんでいるときに他人への同情なんてしないだろうから。

器質的な痛苦や不快に苦しめられている者が外界の事物に対して、それらが自分の苦痛と無関係なものであるかぎりは関心を失うというのは周知の事実であるし、また自明のことであるように思われる。これをさらに詳しく観察してみると、病気に苦しめられているかぎりは、彼はリピドー的関心を自分の愛の対象から引きあげ、愛することをやめているのがわかる。(……)W・ブッシュは歯痛に悩む詩人のことを、「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」と述べている。リビドーと自我への関心とがこの場合は同じ運命をもち、またしても互いに分かちがたいものになっている。周知の病人のエゴイズムなるものはこの両者をうちにふくんでいる。われわれが病人のエゴイズムを分かりきったものと考えているが、それは病気になればわれわれもまた同じように振舞うことを確信しているからである。激しく燃えあがっている恋心が、肉体上の障害のために追いはらわれ、完全な無関心が突然それにとってかわる有様は、喜劇にふさわしい好題目である。(フロイト『ナルシシズム入門』フロイト著作集5 p117)


現代日本では、生活苦という「もっぱら奥歯の小さな洞のなかに逗留している」人間が多くなったのだろうな。ーー《みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。》(「なんのために」ーーー加藤周一『羊の歌』より

「ルソーの憐れみのひと」らしい東浩紀氏がこんなこと言ってたなあ。

@hazuma: ぼくは第二次大戦については、戦争悪いとかとは別に、いちどあれだけリベラルでモダンになった日本が急速に竹槍とかモンペ一色になっていく、その文化的墜落にいつも衝撃を受けるのよね。その点では、この15年ほど似たような墜落が生じていると感じていて、このあと戦争がなかったとしても嫌だ

@hazuma: いまはバブル世代や団塊ジュニアって評判悪いけど、95年までの日本はどうのこうのいいながら余裕があって、嫌韓本がベストセラーになったりすることはなかった。それは単純にいいことなんじゃないですかね。「戦わなければ生き残れない!」とか、そりゃそうかもしれないけど、基本下品ですよ。 (東浩紀)

ーーというわけで、この話題を続けようと思ったら、百投稿ぐらい連投しなくちゃならないんじゃないか。で、やっぱり「専門家」にまかせるよ。この投稿自体、これで12000字ほどだから、そこらあたりのブログの5~10投稿分ほどはあるのだよな

原来此種の記載は無用に属するかも知れぬが、或は他書を併せ考ふるに及んで、有用のものとなるかも知れない。わたくしは此の如き楽天観に住して、甘んじて点簿の労に服する。(森鴎外『伊沢蘭軒』 その百三)

で、問題は、専門家や学者はお上品な種族のひとがほとんどで、鼻が退化しているのじゃないか、ということだな

匂いを嗅ごうとする欲望のうちには、さまざまの傾向が混じり合っているが、そのうちには、下等なものへの昔からの憧れ、周りをとり巻く自然との、土と泥との、直接的合一への憧れが生き残っている。対象化することなしに魅せられる匂いを嗅ぐという働きは、あらゆる感性の特徴について、もっとも感覚的には、自分を失い他人と同化しようとする衝動について、証しするものである。だからこそ匂いを嗅ぐことは、知覚の対象と同時に作用であり ──両者は実際の行為のうちでは一つになる ──、他の感覚よりは多くを表現する。見ることにおいては、人は人である誰かにとどまっている。しかし嗅ぐことにおいて、人は消えてしまう。だから文明にとって嗅覚は恥辱であり、社会的に低い階層、少数民族と卑しい動物たちの特徴という意味を持つ。(M.ホルクハイマー、Th.W.アドルノ『啓蒙の弁証法』)