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2014年10月18日土曜日

転倒・転回、あるいは抑圧された「カウンターニーチェ」

以下は、柄谷行人の『マルクス その可能性の中心』からの孫引きであり、ハイデガーによるニーチェの「プラトニズムの転倒」を説く箇所の長々しい引用である。

ハイデガーのニーチェの「プラトニズムの転倒」については、ドゥルーズやクロソウスキーによる吟味(批判)、あるいは別の見解があるのはよく知られているし、柄谷行人の後年の批判もあるが、ハイデガーなど読む気もないわたくしのような人間でも、このくらい長く引用してくれると何を言っているのか分かった気になれる。ほかにもマルクスはもちろんのこと、ヴァレリーなどの長い引用もある書であり、この1978年に出版された、つまり柄谷行人(1941-三十代の仕事は、そこに引用されている文を読み直すだけでも価値がある。

ニーチェの哲学は、彼自身の証言するように、ひとつの転倒されたプラトン主義である。そこで私たちは問う。プラトン主義に固有な美と真理の関係は、いったいどのような意味で、転倒をとおして別の関係になるのであろうか。

この問いは、もしプラトン主義の〈転倒〉ということが、プラトンの諸命題をいわばただ逆にするだけの操作と同一視されてよいのなら、単純な換置によって容易に答えられるであろう。たしかにニーチェ自身が、事態をしばしばそのようなぐあいに表現している。しかもそれは、大ざっぱな仕方で事を簡明にするがためだけでなく、彼自身がまたときには、なにか他のことを求めていながら事実そのような仕方で思惟しているところに起因している。

後期、それも彼の思索家としての仕事が破局に至る直前となって、はじめてニーチェは、このプラトン主義の転倒をもって彼がどのようなところに追いこまれたかを、それが及ぼす意味のすみずみまで明察する。しかも、この転倒の必然性、つまりそれがニヒリズム克服の課題によって要求されたものであることを把握するとき、ニーチェにとってこのことはいっそう明瞭となるのである。それゆえ私たちは、プラトン主義の転倒を明確にするに際して、まずその構造形態から出発せねばならない。プラトンにとっては、超感性的なものが真なる世界である。真なる世界が規範的なものとして上位に置かれる。感性的なものんは見せかけの世界として、下位に定位されるのである。上位のものが先行的かつ唯一規範的なもの、したがってまた希求されるものである。転倒を経たあとにはーーこれは公式的に容易に答えを出しうるーー感性的なもの、見せかけの世界が上位に、そして超感性的なもの、真の世界が下位にくることになる。すでに叙述されたことを回顧して確認できるように、ニーチェが〈真なる世界〉と〈見せかけの世界〉について述べていることは、もはやプラトンの語るところではないのである。

だが、感性的なものが上位にあるとは、そもそも何を意味するのか。それはすなわち、感性的なものが真なるものであり本来的存在者である、ということである。もし転倒がただこのような仕方でのみ理解されるなら、それはいわば、上位と下位という空虚な位づけが固執され、ただ異なったものがその位置を占めるだけ、ということになる。そして、この上位、下位という位づけがプラトン主義の構造形態を規定するものであるかぎり、この位づけの保存は、プラトン主義が本質的に存続していることになる。かかる転倒は、ニヒリズムの克服としてそれが本来果たすべきこと、プラトン主義の根底からの克服を、けっしえ成就してはいないのである。上位という位づけそのものが排除され、ひとつの真なるもの、希求されるべきものをまえもって端初づけることが熄むとき、つまりーー理想の意味でのーー真なる世界そのものが除去されるときにのみ、はじめてそのような試みは成功するのである。真なる世界が除去されるとき、何が生起するであろうか。そのときにもなお、見せかけの世界は存続するのであろうか。否である。けだし、見せかけの世界が見せかけの世界でありうるのは、ただ真なる世界の対立としてのみなのである。真なる世界が崩れるとき、見せかけの世界も崩れなければならない。そのときはじめて、プラトン主義は克服される、すなわち、哲学的思惟がプラトン主義から転回脱出するような形で転倒されるのである。しかしそのとき、はたして事態はどのようなところへ立ちいたるのであろうか。

プラトン主義の転倒がニーチェにとってそれからの転回脱出となったとき、狂気が彼を襲った。この転倒がおよそニーチェの成就した究極的な歩みであったこと、それがニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられたことが、いままで認識されていなかった。(ハイデガー『ニーチェ』薗田宗人訳)

《プラトン主義の転倒がニーチェにとってそれからの転回脱出となった》のは、《ニーチェの創造の最後の年(1888年)にはじめて明確になしとげられた》などとあるな。

ハイデガーも書いているように、1888年と言えば、1889年1月3日に狂気に陥る前年であり、ニーチェ多作の年、--たとえば、1887年は『道徳の系譜』一冊のみ、1886年は、『善悪の彼岸』、『悦ばしき知識』二冊に対して、1888年は『ワーグナーの場合』、『偶像の黄昏』、『反キリスト』、そして同じ年に書かれているが死後出版の『この人を見よ』、『ニーチェ対ワーグナー』があるーーやはり『権力への意志』遺稿をも真面目に読まなくちゃいけないってことかいな。

ドゥルーズは、遺稿は既に公表された仕事を確認する以外は使用しがたい、と。もっとも『ツァラトゥストラ』さえ続編が計画されていたわけで、それがどんなふうに展開されるのかを憶測するには遺稿を読むほかはないと言ってはいるが。

We cannot make use of the posthumous notes, except in directions confirmed by Nietzsche's published works, since these notes are reserved material, as it were, put aside for future elaboration. We know only that Thus Spoke Zarathustra is unfinished, and that it was supposed to have a further section concerning the death of Zarathustra: as though a third time and a third occasion. (Gilles Deleuze ”Difference and Repetition” Translated by PauiPatton)

ハイデガーの話に戻れば、「真なる世界/見せかけの世界」をいくら転倒して「見せかけの世界/真なる世界」としても、その分母にある上下関係は、プラトン主義のままだから、上下関係の分母そのものから転回脱出しなくちゃいけないという議論であるのだろうな。

まあでもハイデガーは--重ねて言うがーー、読む気は全然ないけどさ。

このあたりの理解で当面?胡麻化しておこう。

(デリダは)ある種の二重の戦略の必要性を力説しています。僕がよく挙げる例なのですが、man(男)と woman(女)という二項対立があったとして、そこでは明らかに manが womanを暴力的に抑圧しているのだから、その二項対立を転倒し、 manに対して womanを復権しなければならない。しかし、 manと womanは実は Man(人間=男)という土俵に乗っているのだから、そこで優劣を転倒しただけでは、ニーチェの言うように勝利した女が男になった自らを見出すだけという結果に終わりかねない。したがって、転倒と同時に、 Man(人間=男)という土俵自体を脱構築していかなければならない、というわけです。(浅田彰
第二項は、「第一項/第二項」の対立に属すると同時に、第一項において不可避的に生じる「不両立関係」(パラドックス)を回避するために見出されるメタレベルであり、そしてこの上下(クラスとメンバー)の混同を禁止するところに、いわば「形而上学」がある。つまり、プラトン以来の哲学は、たんなる二分法によるのではなく、この対立がもつ自己言及的なパラドックスを“禁止”するところにあった。
しかし、それはけっして“禁止”できない、というのは、それは形式的にコンシステントであろうとするかぎり、「決定不能性」におちいるからである。(柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社版)pp.115-119)

かつての浅田彰ーー三十一歳だな、このときーー、で済ませておくとかさ。

ハイデガーによると、ニーチェというのは、まさにデカルト的な近代の人間主義・主体主義を極端に突き詰めて完成させた人であるということになる。もう神は死んだのだから、人間こそが絶対者であると。それが、あらゆる超越的な意味を失ったこの世界で、その無意味製を支配する。それこそが超人なのだと。つまり、超人というのは、あらゆる制約を解かれたデカルト的主体ということになっているわけです。(……)

ところが、クロソウスキー的な立場から見るとそのすべてが反転しえしまうわけです。クロソウスキーによれば、神が死に、永劫回帰が啓示されたときに、それによって絶対的主体になるはずであった自我が、アイデンティティの支えを失って、いわば高速で交替し振動する仮面の群れみたいなものになってしまう。そのときからすべては、一丸となって大地の支配に向かうどころか、既に自分のパロディであるような多神教的空間の中になだれこんでしまうのだと言うんですね。だから、神の死イコール自我の勝利という公式を採用したとたん、ハイデガーが示した通りもおうほとんどファシズムになるわけですが、クロソウスキー流に言えば、それはやはり永劫回帰というものが持っている解体的でトラジコミックな側面を見ない解釈なんですね。(『天使が通る』 浅田彰・島田雅彦対談集1988)

クロソウスキーはニーチェの遺稿を滔滔と引用したり、ニーチェの狂気に陥った次の日の手紙(1889.01.04)の手紙を引用したりして(ニーチェ曰く昨日のはジョークだよ、とか書いてある)、悪循環とかシミュラークルとかの概念を仮にうっちゃってもおもしろい。

[Postmarked Turin, 4 January 18891 Meinum verehrungswurdigen Jakob Burckhardt

That was the little joke on account of which I condone my boredom at having created a world. Now you are - thou art - our great greatest teacher; for I, together with Ariadne, have only to be the golden equilibrium of all things, everywhere we have such beings who are above us. . . .

Dionysus

こうやって引用されたあと、フロイトの名を出しつつ、”パラノイア”という語彙が出現するのだが、それはこの際どうでもよろしい。ここでは、次のクロソウスキーのコメントにのみ注目しておこう。

Nietzsche's behaviour in Turin could be 'explained' or demonstrated by the irruption of a 'repressed' counter- Nietzsche (after the loss of Tribschen and the break with Wagner and Cosima). This counter-Nietzsche emerged alongside the previously lucid Nietzsche,


Daniel W. Smith(英翻訳者)序文によれば、フーコーもクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』を、べた褒めなようだ。

When it was originally published in 1969, Michel Foucault, who frequently spoke of his indebtedness to Klossowski's work, penned an enthusiastic letter to its author. 'It is the greatest book of philosophy I have read,' he wrote, 'with Nietzsche hmself'(『Nietzsche and the Vicious Circle』(PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)



(Klossowski en Cerisy-la-Salle durante las jornadas dedicadas a Nietzsche en 1972, con Derrida, Deleuze, Lyotard, M. de Gandillac y Pautrat)


ーーーで、いまはどうしてクロソウスキーとか、フーコー、ドゥルーズ、デリダのたぐいの人物どこにもいなくなっちまったんだろ?






クロソウスキーが、ニーチェの遺稿を引用する文のひとつ。

688 (March-June 1888)

[My theory would be:_] that the will to power is the primitive form of affect, that all other affects are only developments of it;

that it is notably enlightening to posit power in place of individual "happiness" (after which every living thing is supposed to be striving): "there is a striving for power, for an increase of power";-pleasure is only a symptom of the feeling of power attained, a consciousness of a difference (-there is no striving for pleasure: but pleasure supervenes when that which is being striven for is attained: pleasure is an accompaniment, pleasure is not the motive--);

that all driving force is will to power, that there is no other physical, dynamic or psychic force except this.

In our science, where the concept of cause and effect is reduced to the relationship of equivalence, with the object of proving that the same quantum of force is present on both sides, the driving force is lacking: we observe only results, and we consider them equivalent in content and force-

It is simply a matter of experience that change never ceases: we have not the slightest inherent reason for assuming that one change must follow upon another. On the contrary: a condition once achieved would seem to be obliged to preserve itself if there were not in it a capacity for desiring not to preserve itself-Spinoza's law of "self-preservation" ought really to put a stop to change: but this law is false, the opposite is true. It can be shown most clearly that every living thing does everything it can not to preserve itself but to become more-

この後、同じくらいの長さの引用が遺稿からあり、そして権力への意志は、衝動のことだ、と書くことになる。クロソウスキーにとってはニーチェ用語、《欲動Triebe、欲望Begierden、本能Instinke、権力Machte、力Krafte、衝動Reixe, Impulse、情熱Leidenschaften、感情Gefiilen、情動Afekte、情熱Pathos》はひとまとめに衝動Impulseとされるのだ。

Nietzsche himself had recourse to a varied vocabulary to describe what Klossowsky summarizes in the term 'impulse': 'drive' (Triebe), 'desire' (Begierden), 'instinct' (Instinke), 'power' (Machte), 'force' (Krafte), 'impulse' (Reixe, Impulse), 'passion' (Leidenschaften), 'feeling' (Gefiilen), 'affect' (Afekte), 'pathos' (Pathos), and so on.
(”Translator’s Preface” Nietzsche and the Vicious Circle PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)


冒頭の文”that the will to power is the primitive form of affect, that all other affects are only developments of it”を、《権力への意志が原始的な欲動形式であり、その他の欲動は単にその発現形態であること、――》(ニーチェ遺稿 1888年春)と訳されている学者先生がいらっしゃって(『「権力への意志」の冒険 砂原陽一 2004)、Affekt-Formを「情動形式」ではなく、「欲動形式」とされている。別になんの怨みもないが、ニーチェはどこで言っているのだろうと、探し出すのに苦労した。


独語は読めないが、ウェブ上から拾うことができる。

Meine Theorie wäre: – daß der Wille zur Macht die primitive Affekt-Form ist, daß alle andern Affekte nur seine Ausgestaltungen sind;

daß es eine bedeutende Aufklärung giebt, an Stelle des individuellen »Glücks« (nach dem jedes Lebende streben soll) zu setzen Macht: »es strebt nach Macht, nach Mehr in der Macht«; – Lust ist nur ein Symptom vom Gefühl der erreichten Macht, eine Differenz-Bewußtheit – (– es strebt nicht nach Lust: sondern Lust tritt ein, wenn es erreicht, wonach es strebt: Lust begleitet, Lust bewegt nicht –);

daß alle treibende Kraft Wille zur Macht ist, daß es keine physische, dynamische oder psychische Kraft außerdem giebt.

In unsrer Wissenschaft, wo der Begriff Ursache und Wirkung reducirt ist auf das Gleichungs-Verhältniß, mit dem Ehrgeiz, zu beweisen, daß auf jeder Seite dasselbe Quantum von Kraft ist, fehlt die treibende Kraft: wir betrachten nur Resultate, wir setzen sie als gleich in Hinsicht auf Inhalt an Kraft ...

Es ist eine bloße Erfahrungssache, daß die Veränderung nicht aufhört: an sich haben wir nicht den geringsten Grund, zu verstehen, daß auf eine Veränderung eine andre folgen müsse. Im Gegentheil: ein erreichter Zustand schiene sich selbst erhalten zu müssen, wenn es nicht ein Vermögen in ihm gäbe, eben nicht sich erhalten zu wollen ... Der Satz des Spinoza von der »Selbsterhaltung« müßte eigentlich der Veränderung einen Halt setzen: aber der Satz ist falsch, das Gegentheil ist wahr. Gerade an allem Lebendigen ist am deutlichsten zu zeigen, daß es Alles thut, um nicht sich zu erhalten, sondern um mehr zu werden ...




2014年8月30日土曜日

ラカンの“il y a”とハイデガーの “es gibt”

もろもろの喪失のなかで、ただ「言葉」だけが、手に届くもの、身近なもの、失われていないものとして残りました。

 それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです、すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千もの闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来て、しかも、起こったことに対しては一言も発することができないのでした、──しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けて来たのです。抜けて来て、ふたたび明るい所に出ることができました──すべての出来事に「豊かにされて」。(「ハンザ自由都市ブレーメン文学賞受賞の際の挨拶」『パウル・ツェラン詩文集』より)


…………

◆中井久夫「私の三冊」より

「若きパルク」は「誰が泣くのか、過ぎ行く一筋の風ならで/いやはての星々とともにひとりあるこのひとときに」で始まる。『ドゥイノの悲歌』は「誰が、たとえ私が叫ぼうとも、天使たちの序列の中から私の声を聞いてくれようか」で始まる。いずれも鋭い、答えのない「誰が?」で始まる。

そうして「若きパルク」では個人の意識の中に、『ドゥイノの悲歌』では人間の現存在世界とでもいうべきものの中に、ずんずん下って行く。『荒地』だけは問いかけではなく、「四月は残酷な月だ」で始まるが、中途に「誰が?」「誰だ?」という問いかけをいく度も放ちながら、現代社会の荒廃と索莫の地獄めぐりを行う。いずれの詩も最後近くににわかに上昇に転じ、肯定で終わるが、肯定は唐突であり、どこかに弱さがある。読み終えた者の耳に残るものは不安で鋭い問いかけの方である。

これらの詩を二十世紀後半の詩と隔てるものは何であろうか。

私たちは三歳から五歳以後今まで連続した記憶を持っている。むろん忘却や脱落はあるが、にもかかわらず、自我は一つで三歳以後連続している確実感がある。それ以前の記憶は断片的である。また成人型の記憶は映画やビデオのように、いやもっとダイナミックに動いているが、ある時期の記憶は前後関係を欠き、孤立したスティール写真のような静止画像である。成人型の記憶と違って、言葉に表しにくい。

「若きパルク」も『ドゥイノの悲歌』も、『荒地』でさえも、映像も言語も成人型の記憶のように動き流れていく。断絶や飛躍を越えて連続性がある。前後関係があり遠近がある。

これに対して、二十世紀後半の詩は孤立した鋭い断片であって、成人以前の記憶が禁止を破って突き上げてきた印象がある。このタイプの映像は幼い時の記憶だけでなく、たとえ成人であっても耐えがたい心の傷を負った時には、その記憶がとる形である。

たとえばパウル・ツェランの詩が痛ましさを以て迫るのは、その内容だけでなく詩句もそれが呼び起こす映像も外傷的記憶の形をとっているからであると私は思う。それはもはや冥府下りでなく、冥府からの途切れがちの声である。(中井久夫「私の三冊」『アリアドネからの糸』所収)

中井久夫は、ここでツェランの詩句を《冥府からの途切れがちの声》としているが、外傷的記憶と関連付けられて語られているように、冥府とは、ラカン的には現実界の次元のものである。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 53頁)

ここにある《語りとしての自己史に統合されない「異物」》という表現に注目しよう。

フロイトの『ヒステリー研究』1895には、「異物」と訳される“Fremdkörper”という語が頻出し、トラウマに関連して使用されている。

他方ラカンの「サントーム」セミネールに、”un corps qui nous est étranger”とあるが、これは「異物としての身体Fremdkörper」のことだろう。

l'inconscient n'a rien à faire avec le fait qu'on ignore des tas de choses quan qu'on sait est d'une toute autre nature. On sait des choses qui relèvent du signifiant. (...) Mais l'inconscient de Freud (...) c'est le rapport qu'il y a entre un corps qui nous est étranger et quelque chose qui fait cercle, voire droite infinie - qui de toutes façons sont l'un à l'autre équivalents - quelque chose qui est l'inconscient." (Seminar XXIII, Joyce - le sinthome, lesson of 11th May 1976


シニフィアンによって分節化された象徴界の内部にあって、しかもその内部の異物としてあるものが、現実界としてのFremdkörperのことである。

Fremdkörper, a foreign body present in the inside but foreign to this inside. The Real ex-sists within the articulated Symbolic.(Paul Verhaeghe "Mind your Body ")

※参照:ラカンの三つの身体


中井久夫は、ツェランを語りつつ、ラカンの“il y a”やハイデガーの “es gibt”の次元をめぐって語っているのではないだろうか、--とするには、わたくしはハイデガーについてまったく無知である。

…… 境界例や外傷性神経症の多くが自由連想に馴染まないのは、自由連想は物語をつむぐ成人型の記憶に適した方法だからだと私は考えている。いや、つむがせる方法である。この点から考えると、フロイトが自由連想法を採用したことと幼児期外傷の信憑性に疑問を持ったこととは関係があるかもしれない。語りにならば、それはウソくさくなったかもしれないのである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収  p85)

…………

以下、ハイデガーについてまったく知らないものがメモする。



〈存在する〉とは...

古くは、〈存在する〉の意味は一つだった
ギリシア以降、〈存在する〉には〈本質存在〉と〈事実存在〉に分かれた
ギリシア人は、制作(創作)を好み、多くの制作を行っていたことが理由か?
〈事実存在〉は(日本語では)「~〈ガアル〉」と表現できる。ものがある、自然現象として観察できるなど。

〈本質存在〉は(日本語では)「~〈デアル〉」と表現できる。ものを作る前の頭の中にある設計図のようなもの。概念的なものも含まれる。

英語では、be動詞は本来〈本質存在〉を表すときに使う。〈本質存在〉は「A is B」と表す。〈事実存在〉は「There is A」と表す。

ドイツ語やフランス語では、〈本質存在〉では〈sein〉や〈etre〉を使い、〈事実存在〉は〈es gibt---〉や〈il y a---〉と〈geben(与える)〉や〈avoir(持つ)〉を使う。

形而上学(あるいは哲学)は、〈本質存在〉と〈事実存在〉を明らかに区別する。

ジジェクは、jouissance féminine(女性の享楽)、あるいは〈他者〉の享楽について、女性の享楽は存在しない。が、”il y a de jouissance féminine”としている。そして、引き続き、ハイデガーのes gibtが言及されている。

もっとも、こう書かれつつ、同じ書の後半には次のように文も見られるのだが、ハイデガーに無知の身として、それには触れ得ない。

what is totally missing in Heidegger is not only the dimension of the Real of jouissance, but, above all, the dimension of the “between‐two‐deaths” (the symbolic and the Real) which designates Antigone's subjective position after she is excommunicated from the polis by Creon


◆ジジェク『LESS THAN NOTHING』からのメモ。

when Lacan talks about jouissance féminine, he always qualifies it—“if a thing like that were to exist (but it does not)”—thereby confirming its incommensurability with the order of (symbolic) existence.68 Jouissance féminine does not exist, but il y a de jouissance féminine, “there is” feminine enjoyment. This il y a, like the German es gibt which plays such a key role in late Heidegger, is clearly opposed to existence (in English, the distinction gets blurred, since one cannot avoid the verb “to be” in translation). Jouissance is thus not a positive substance caught in the symbolic network, it is something that shines through only in the cracks and openings of the symbolic order—not because we, who dwell within that order, cannot regain it directly, but, more radically, because it is generated by the cracks and inconsistencies of the symbolic order itself.

We should be attentive here to the difference between the inexistence of jouissance féminine and the inexistence of a father who would fit its symbolic function. (“If there is no such father, it still remains true that the father is God, it is simply that this formula is confirmed only by the empty sector of the square.”)69 In the case of the father, we have a discrepancy between the symbolic function (of the Father) and the reality of individuals who never fit this function, while in the case of jouissance féminine, we have the Real of jouissance which eludes symbolization. In other words, in the first case, the gap is between reality and the symbolic, while in the second case, the gap is between the symbolic and the Real: miserable individuals called fathers exist, they just do not fit their symbolic function, which remains an “empty sector of the square”; but jouissance féminine, precisely, does not exist.

One standard definition of the Lacanian Real describes it as that which always returns to the same place, that which remains the same in all possible symbolic universes. This notion of the Real as a “hard core” that resists symbolization must be supplemented by its opposite: the Real is also a “pure appearance,” that which exists only when we look upon reality from a certain perspective—the moment we shift our point of view, the object disappears. What both extremes exclude in the standard notion of reality as something which resists in its In‐itself, but changes with regard to its properties: when we shift perspective, it appears different. However, these two opposed notions of reality can be thought together—if one bears in mind the crucial shift that takes place in Lacan’s teaching with regard to the Real. From the 1960s onwards, the Real is no longer that which remains the same in all symbolic universes; with regard to the common notion of reality, the Real is not the underlying sameness which persists through the multitude of different points of view on an object. The Real is, on the contrary, that which generates these differences, the elusive “hard core” that the multiple points of view try (and fail) to recapture. This is why the Real “at its purest” is the “pure appearance”: a difference which cannot be grounded in any real features of the object; a “pure” difference.


《現実は象徴界によって多かれ少なかれ不器用に飼い馴らされた現実界である。そして現実界は、この象徴的な空間に、傷、裂け目、不可能性の接点として回帰する。》

reality is the Real as domesticated—more or less awkwardly—by the symbolic; within this symbolic space, the Real returns as its cut, gap, point of impossibility(François Balmès, Ce que Lacan dit de l'être)――ジジェク『LESS THAN NOTHING』 より孫引きであり、邦訳は私訳