徳の俳優と罪の俳優。――徳のために有名になった古代の人々の間には、自分自身に対して俳優を演じた人々が数えきれないほど多数いたように思われる。ことにギリシア人は、根っからの俳優であるから、このことをまさしく全く無意識的に行ない、よいことだと思ったであろう。その上各人は自分の徳で、ある他人の徳または他のあらゆる人々の徳と競争していた。自分の徳を見せびらかすために、何よりもまず自分自身に見せるために、練習のためにさえも、あらゆる手段に訴えてどうしていけないのだろう? 示すこともできず、示し方を心得てもいな徳が何の役にたとうか! ――これらの徳の俳優たちを阻止したのは、キリスト教である。その代わりにキリスト教は、罪の不快な顕示と誇示を案出し、捏造された罪深さを世界にもちこんだ(今日にいたるまで、立派なキリスト教徒の間では、これが「上品な作法」と見なされている)。(ニーチェ『曙光』29番 茅野良男訳)
ここでニーチェは徳の「俳優」であることを肯定的に語っている。自分自身に俳優であること、自分の徳を見せびらかすことを。
ニーチェと言えば、標準的には「俳優」という語彙を否定的に使う、たとえば《やめよ、おまえ、俳優よ、贋金造りよ、根柢からの嘘つきよ。おまえの正体はわかっている。》(『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)
高徳の俳優として演技しているおまえの正体はわかっている、この腐敗した弱虫野郎め! というわけだ。
だが「俳優」には二種類ある。フロイトーラカン用語で言うなら、理想自我(想像的同一化)と自我理想(象徴的同一化)としての俳優である。
・想像的同一化とは、われわれが自分たちにとって好ましいように見えるイメージへの、つまり「われわれがこうなりたいと思うようなイメージへの、同一化である。
・象徴的同一化とは、そこからわれわれが見られているまさにその場所への同一化、そこから自分を見るとわれわれが自分にとって好ましく、愛するに値するように見えるような場所への、同一化である。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)
たとえば、マッチョのイメージは、人を惑わせる仮面として経験されるのではなく、人がなろうと努力する理想自我(想像的同一化)として経験される。そのイメージの裏には、マッチョイメージにはまったくそぐわないただ弱々しいごく標準的な男が透けてみえる。
the macho-image is not experienced as a delusive masquerade but as the ideal-ego one is striving to become. Behind the macho-image of a man there is no secret, just a weak ordinary person that can never live up to his ideal .(ZIZEK 『Woman is One of the Names-of-the-Father, or How Not to Misread Lacan's Formulas of Sexuation』)
逆に自我理想としての俳優は、すなわち自分自身に俳優であること、自分の徳を見せびらかすことは、次のような肯定的なメカニズムが働く場合がある。
私の興味をひいたのは、東側と西側が相互に「魅入られる」ということでした。これは「幻想」の構造です。ラカンにとって、究極の幻想的な対象とはあなたが見るものというより、「まなざし」自体なのです。西側を魅惑したのは、正統的な民主主義の勃発なのではなく、西側に向けられた東側の「まなざし」なのです。この考え方というのは、私たちの民主主義は腐敗しており、もはや民主主義への熱狂は持っていないのにもかかわらず、私たちの外部にはいまだ私たちに向けて視線をやり、私たちを讃美し、私たちのようになりたいと願う人びとがいる、ということです。すなわち私たちは私たち自身を信じていないにもかかわらず、私たちの外部にはまだ私たちを信じている人たちがいるということなのです。西側における政治的な階級にある人びと、あるいはより広く公衆においてさえ、究極的に魅惑されたことは、西に向けられた東の魅惑された「まなざし」だったのです。これが幻想の構造なのです、すなわち「まなざし」それ自体ということです。
そして東側に魅惑された西側だけではなく、西側に魅惑された東側もあったのです。だから私たちには二重の密接な関係があるのです。(Conversations with Žižek, with Glyn Daly(,邦題『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、邦訳が手元にないので、私訳 を附す)
資本主義諸国は、ベルリンの壁が崩壊する以前にも、己れの徳(制度)を信じていなかったにもかかわらず、社会主義諸国からの「まなざし」があり、その「まなざし」に同一化することによって、「人間の顔をした社会主義」を目指す努力、つまり福祉国家への努力があった。
ある意味では冷戦の期間の思考は今に比べて単純であった。強力な磁場の中に置かれた鉄粉のように、すべてとはいわないまでも多くの思考が両極化した。それは人々をも両極化したが、一人の思考をも両極化した。この両極化に逆らって自由検討の立場を辛うじて維持するためにはそうとうのエネルギーを要した。社会主義を全面否定する力はなかったが、その社会の中では私の座はないだろうと私は思った。多くの人間が双方の融和を考えたと思う。いわゆる「人間の顔をした社会主義」であり、資本主義側にもそれに対応する思想があった。しかし、非同盟国を先駆としてゴルバチョフや東欧の新リーダーが唱えた、両者の長を採るという中間の道、第三の道はおそろしく不安定で、永続性に耐えないことがすぐに明らかになった。一九一七年のケレンスキー政権はどのみち短命を約束されていたのだ。
今から振り返ると、両体制が共存した七〇年間は、単なる両極化だけではなかった。資本主義諸国は社会主義に対して人民をひきつけておくために福祉国家や社会保障の概念を創出した。ケインズ主義はすでにソ連に対抗して生まれたものであった。ケインズの「ソ連紀行」は今にみておれ、資本主義だって、という意味の一節で終わる。社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない(しかしまた、強制収容所労働抜きで社会主義経済は成り立ち得るかという疑問に答えはない)。
(……)
冷戦が終わって、冷戦ゆえの地域抗争、代理戦争は終わったけれども、ただちに古い対立が蘇った。地球上の紛争は、一つが終わると次が始まるというように、まるで一定量を必要としているようであるが、これがどういう隠れた法則に従っているのか、偶然なのか、私にはわからない。(中井久夫「私の「今」」1996.8初出『アリアドネからの糸』所収)
《社会主義という失敗した壮大な実験は資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた。今、むき出しの市場原理に対するこの「抑止力」はない》とあり、「むき出しの市場原理」とは、ベルリンの壁崩壊以降のグローバル資本主義の姿であろう。
これはジジェクによれば、かつての「幻想の構造」が崩壊したということになる。
もっとも基本的な幻想のメカニズムについてジジェクの説明をここで附記しよう。
幻想の中にあらわれた欲望は主体自身の欲望ではなく他者の欲望、つまり私のまわりにいて、私が関係している人たちの欲望だということである。幻想、すなわち幻の情景あるいは脚本は、「あなたはそう言う。でも、そう言うことによってあなたが本当に欲しているものは何か」という問いへの答である。欲望の最初の問いは、「私は何を欲しているのか」という直接的な問いではなく、「他者は私から何を欲しているのか。彼らは私の中に何を見ているのか。彼ら他者にとって私は何者なのか」という問いである。幼児ですら関係の複雑なネットワークにどっぷり浸かっており、彼を取り巻く人びとの欲望にとって、触媒あるいは戦場の役割を演じている。父親、母親、兄弟、姉妹、おじ、おばが、彼のために戦いを繰り広げる。母親は息子の世話と通して、息子の父親にメッセージを送る、子どもはこの役割をじゅうぶん意識しているが、大人たちにとって自分がいかなる対象なのか、大人たちがどんなゲームを繰り広げているのかは、理解できない。この謎に答を与えるのが幻想である。どんな単純な幻想も、私が他者にとって何者であるのかを教えてくれる。どんなに単純な幻想の中にも、この幻想の相互主観的な性格を見てとることができる。たとえばフロイトは、苺のケーキを食べることを夢想する幼い娘の幻想を報告している。こうした例は、幻覚による欲望の直接的な満足を示す単純な例(彼女はケーキがほしかった。でももらえなかった。それでケーキの幻想に耽った)などではけっしてない。決定的な特徴は、幼い少女が、むしゃむしゃケーキを食べながら、自分のうれしそうな姿を見て両親がいかに満足しているかに気づいていたということである。苺のケーキを食べるという幻想が語っているのは、両親を満足させ、自分を両親の欲望の対象にするような(両親からもらったケーキを食べることを心から楽しんでいる自分の)アイデンティティを形成しようという、幼い少女の企てである。(ジジェク『ラカンはこう読め』鈴木晶訳)
幻想のなかにあらわれた欲望として、「他者は私から何を欲しているのか。彼らは私の中に何を見ているのか。彼ら他者にとって私は何者なのか」とあるが、東西冷戦時では、それは「東側は私(西側)の中に何を見ているのか」、ということになる。この「まなざし」が、西側諸国における資本の論理の暴走の「抑止力」として働いたのであり、すなわち《資本主義が生き延びるためにみずからのトゲを抜こうとする努力を助けた》ということになる(福祉や社会保障制度を整備させた)。
抑止力がない現在、年々どんな現象が生まれつつあるのかは周知の通り。
・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……
・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる。(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)
すなわちニーチェのいう「徳の俳優」から「悪の俳優」ーー資本の論理の《罪の不快な顕示と誇示を案出》ーー、の政策が、二十一世紀も十年あまりを経て、世界中いたるところで、いっそう猖獗している。
ではどうするのか、という提案は、いまだだれにもない。ジジェクは《われわれは宿命の支配する社会 société du destin」に戻ってしまった》と言う。
マルクスの資本主義批判は内在的なものだった。彼は、自由な領域を生み出した資本主義が、最終的にはその自由を保障しないというという事実を分析した。今後、資本主義に内在するこの論理が自由を制限するほうへ自らを導くだろう。共産主義の終焉、そればかりでなく社会民主主義の終焉によって、消えていくのは、集団的行動によって歴史を変えることが可能だという考えだ。われわれは「宿命の支配する社会 société du destin」へと戻ってしまった。ここではグローバリゼーションが宿命とされる。それを拒否することはできようが、しかしそれを待つ代償は、排除だ。人類が集団的な約束によって生を変えられるのだという考えそのものが、潜在的に全体主義的なものとして非難される。「新しい強制収容所を作るつもりか!」という批判を受ける。私はといえば、綱領も、政策も、単純な「解決」も持たない。左翼はそれ独自の責任を持っている。哲学者として、私の倫理的・政治的義務は、解答を与えることにではなく、神秘化された問題を新しく定義しなおすこと、そして、アラン・バディウ Alain Badiou が「問題の現われる場所 site événementiel」と呼んだところのものを見つけることにある。それは、なんらかの可能性があるところ、何かがあらわれてくるための潜在的可能性のある場所だ。その意味では、私はヨーロッパに対しいかなるユートピア観も抱いていない。同じ一つのシステムの二つの面を象徴する合衆国と中国のつくる軸の外に位置しようという意欲がヨーロッパにはあるにしても。(ジジェク--資本主義の論理は自由の制限を導く」2006)