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2014年12月3日水曜日

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2014年12月2日火曜日

小旅行中

まだ旅行中だけれど、サヨクだかヘサヨの連中にニゲタ! とかなんたらコメントをチョウダイしており、とてもウレシいぜ。

ところで、このブログには、ワケありでもう書かない。
ワケありというのは、PCでログアウトしてしまい、前にも書いたが、パスワードを失念しており、再度ログインできない。いまはiPadから。

逃げたのではない証拠にほかのブログつくるから、そっちにコメントくれるかい? ヘサヨくんたちよ。

まあそうアワテンナよ、気分が変わってまえのように毎日サヨク嘲弄や文学趣味満喫文のたぐいはもう書かないかもしれないが。


2014年11月15日土曜日

アバヨ!

文化人類学者の乙女とインドからチベットに旅行することになったので、しばらくお休み。生きて帰れたら、またひと月後ぐらいに書くかもしれないし、気分が変わってこんなところでぐたぐた書くのはやめるかもしれない。というわけでアシカラズ!

釈迦の掌で猿回しをやっている隠れナチスたち

いわせてもらえば、消費税増やら社会保障費削減の課題を「抑圧」して、安倍死ね!やらネオナチくたばれ!とか、やれ弱者救済だとか教育制度の充実だのを叫んでいるのみの輩は、超少子高齢化社会にその多くが起因するだろう財政危機逼迫という釈迦の掌で猿回しをやっている宮廷道化師でしかない。

ツイッターでよくみかける我かんせずの涼しい顔をした「知識人」、――学者や研究者であったり芸術家であったりする人種だがーー、まあ彼らはほうっておけばよろしい。もともと精神の中流階級に属する人種で彼らにはなんらかの期待をするのはシツレイである。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)
文学や自然科学の学生にとってお極まりの捌け口、教職、研究、または何かはっきりしない職業など(……)これらの学科を選ぶ学生は、まだ子供っぽい世界に別れを告げていない。彼らはむしろ、そこに留まりたいと願っているのだ。教職は、大人になっても学校にいるための唯一の手段ではないか。文学や自然科学の学生は、彼らが集団の要求に対して向ける一種の拒絶によって特徴づけられる。ほとんど修道僧のような素振りで、彼らはしばらくのあいだ、あるいはもっと持続的に、学問という、移り過ぎて行く時からは独立した財産の保存と伝達に没頭するのである。( ……)彼らに向かって、君たちもまた社会に参加しているのだと言ってきかせるくらい偽りなことはない。( ……)彼らの参加とは、結局は、自分が責任を免除されたままで居続けるための特別の在り方の一つに過ぎない。この意味で、教育や研究は、何かの職業のための見習修業と混同されてはならない。隠遁であるか使命であるということは、教育や研究の栄光であり悲惨である。(レヴィ= ストロース『悲しき熱帯』 Ⅰ 川田順造訳)

いま猿回しといっているのは、「左翼」やら「リベラル」やらと呼ばれる種族で、一見「正義」面した「誠実で真摯」のつもりでいる連中だ。ここでつけ加えておけば、彼らの言葉に湿った瞳をおくり頷き合っているにわかインテリとして振舞いたいらしい猿どももほうっておけばよろしい。

「左翼」やら「リベラル」やらの手合いは、なぜ消費税増や社会保障費削減について噤むのだろう。彼らの表面的・庶民的な「正義感」には似合わないせいか。だがこれは黒か白かの選択しかない。

消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。(岩井克人ーー「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)

どっちをとるかだけの問題であり、現実は米国型をとりつつある。

国民の中では、「中福祉・中負担」でまかなえないかという意見があるが、私どもの分析では、中福祉を維持するためには高負担になり、中負担で収めるには、低福祉になってしまう。40%に及ぶ高齢化率では、中福祉・中負担は幻想であると考えている。

仮に、40%の超高齢化社会で、借金をせずに現在の水準を保とうとすると、国民負担率は70%にならざるを得ない。これは、福祉国家といわれるスウェーデンを上回る数字であり、資本主義国家ではありえない数字である。そのため、社会保障のサービスを削減・合理化することが不可避である。(武藤敏郎「日本の社会保障制度を考える」

というわけで中負担なら、少福祉であり、正義の味方くんたちは、無意識的にそれを選択しつつある。

消費税20%以上にして社会保障費を3割カットするのがイヤなら(参照:「諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう」(マルクス)、ベーシックインカム制度などを導入するしかない。ベーシックインカムが夢物語であるなら、負の所得税ぐらいしかない。

ミルトン・フリードマンは1962年に、貧困者対策として「負の所得税」構想を提起した。それは、第一に、すべての人および課税基盤の全体に対して唯一つの税率を適用すること、第二に、基礎的な人的控除と厳密な意味での必要経費以外に一切の控除を認めず、所得の総額に課税することを前提した上で、 「所得が課税最低限度を下回る場合に、その差額分に税率を掛け合わせたものを補助金として支給する制度である。 」 (フリードマン、1984)。彼はこれについて、 「現在の徴税機構をそのまま利用し、ある所得水準に達しないすべての人々に財政援助を与えよう」という考え方であると説明している。夫婦と子ども 2 人の 4 人家族で、所得税控除額が3000ドルというケースで考えてみよう。その家族の所得が3000ドルであったとすれば、所得と控除が相殺されて課税所得はゼロとなり、税金を払う必要はない。4000ドルの所得があると、控除を差し引いた1000ドルに均一の税率が適用される。2000ドルの所得の場合には、課税所得はマイナス1000ドルとなり、負の所得税率が50%であるとすれば、負の所得税として500ドルが給付される。所得がゼロの場合には、課税所得はマイナス3000ドルとなり、給付される金額は1500ドルになる。この例では、税金を払わず、給付も受けないという所得の水準が3000ドルで、最低保障所得は1500ドルになるが、フリードマンはこの二つの金額に差があることが、低所得家庭に自ら収入を得ようとする意欲を失わせないために、重要であると言う。また、このような包括的な制度の実現によって、児童手当や生活保護などの直接救済制度を完全に廃止することが可能になると主張する。 (フリードマン、1984)(「日本の社会保障制度の現代的課題」加茂直樹)

もっともこれも消費税20%以上にしてからの話である。これは思い掛けない経済成長をしても、他の歳出削減をしても免れない。そもそも日本においてはBI制度も、実は高齢者の社会保障費を削減して現役層に資源を振分ける施策であることに変わりはない。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」(大和総研2013)より)

他にも正義の味方くんたちの主張していることは、次の通りである。

公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである(国家債務危機 ジャック・アタリ)
簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)


すなわち将来世代に借金を背負わせて、「後は野となれ山となれ」派の主張である。「善意」にみちあふれた諸君よ、オメデトウ! 未来の他者の殺人者よ! ユダヤ人迫害ならぬ未来の子供の迫害者よ! 隠れナチスよ!

現代日本の精神構造は、中世の魔女裁判のときやヒットラーのユダヤ人迫害のときの精神構造とそれほど隔たったものではない。ほとんどの人は安心してみんなと同じ言葉をみんなと同じように語る。同じ人に対して同じように怒りをぶつける。同じ人に対して同じように賞賛する。(『醜い日本の私』中島義道)

…………

まあツイッターにも次ぎのようにぼそぼそとまともなことを言っている経済学者もいるのだし、せめて隠れナチスくんたちはこういったのに反論してみろよ、はあ?

斎藤誠@makotosaito0724: 本当に8%への消費税増税の影響を軽微に思ったのか。普通に考えて耐久消費財や半耐久消費財、住宅は10%増税までを織り込んで前倒と反動が大きいが、10%への増税は逆に非耐久消費税の影響にとどまったであろう。ただ、1年半置けばリセットされる。折角苦しいのを超えたのに本当にもったいない…

@makotosaito0724: 原油安と10%増税まで織込み済のところを活かす機転があれば、派手な立ち回りなどする必要もなく、将来に向けて資源を節約できただろうに… 残念…

小黒一正@DeficitGamble: 同感です。@makotosaito0724 原油安と10%増税まで織込み済のところを活かす機転があれば、派手な立ち回りなどする必要もなく、将来に向けて資源を節約できただろうに… 残念…

@makotosaito0724: @DeficitGamble 残念ですね。淡々と課題を解決していくしかない状況ですしね。

@DeficitGamble: @makotosaito0724 今回の判断は、かなり痛いと思います。破綻回避のための戦略の立て直しが必要です。


ーーというわけでオレに文句いってくるなら、「いまの痛みか vs 近い将来のより大きな痛みか」にリンクしてある記事を読んでからにしてくれ。



世の中で一番始末に悪い色魔くん

なんだ、遅れてきたポストモダンのシキ○ーマくんの受け売りか、やめとけよ、彼だけは。 彼はとてつもない阿呆だよ、彼のブログやらツイッターやらの一字一句ーーまあまったく熱心に読んだことはないので、これは誇張だがーー、マヌケさが滲み出ている。あきれはてて批判する気もならないがね。

まえに一度「ジジェクの例え話がしばしばわからなくなる件について」というエントリーを読んで唖然としたことがあるがね、ジジェクの最も基本的な書き物のひとつの分かりやすい例が読めないとはね。リンクはやめとくよ、莫迦にして営業妨害するつもりはないのでね。


「世の中で一番始末に悪い馬鹿、背景に学問も持った馬鹿」(小林秀雄=菊池寛)ってヤツだなあ、あれ。

まあ世間はほとんどそんなヤツばかりだってことはあるがね、オレもある分野では似たようなもんさ。


たとえばこれ以前のブログで書いて、そのブログ全部削除してしまったけど、こんな具合さ。

…………

まず、松岡正剛のロラン・バルト『テクストの快楽』の書評の冒頭より

人の欲望は、セックスを視たいというアドレッサンスな夢と、物語の結末を知りたいというロマネスクな夢とに代表される。そのほかのすべての夢はこの二つの夢の代換物だ。水平に溺れたいのか、垂直に大騒ぎしたいのか、それだけだ。
なぜなら読書行為はアドレッサンスであるか、ロマネスクであるか、結局はそのどちらかなのだ。読者はその選択の自由をもっているし、多くの忘れがたい読書はそのように成立してきたはずである。

そしてロラン・バルトの『テクストの快楽』(沢崎浩平訳 みすず書房 P18ー24より) 

身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所ではないだろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析がいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちららと見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現ー消滅の演出である。

それはストリップ・ショーや物語のサスペンスの快楽ではない。この二つは、いずれの場合も、裂け目もなく、縁もない、順序正しく暴露されるだけである。すべての興奮は、セックスを見たいという(高校生の夢)、あるいは、ストーリーの結末を知りたいという(ロマネスクな満足)希望に包含される。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)

二つの読み方が生ずる。一つは一気に逸話の関節に向かい、テクストの広がりを見渡すが、言語活動の遊びを知らない(シュール・ヴェルヌを読むとき、私は先を急ぐ。ところどころ話の流れを見失う。しかし、私の読書は言語の覆流水―――洞穴学において持ち得る意味で―――によって魅せられることはない)。もう一つの読み方は何もとばさない。吟味し、テクストに密着し、いわば、熱心に、夢中になって読み、テクストの各箇所で、言語活動―――逸話でなく―――を断ち切る連辞省略を捉える。この読み方を魅するのは(論理の)発展でも、真理をむしろとることでもなく、意味形成性の薄片だ。熱い手遊び(マン・ショード)のように、興奮は進行を急ぐことから生じるのではなく、いわば、垂直の大騒ぎ(言語活動とそれの破壊の垂直性)から生じるのである。

松岡正剛氏は高校生の夢をアドレッサンスの夢としている。これは問題ない。

だが、バルトを読むとわかるように、「<高校生の夢>、あるいは、ストーリーの結末をしりたいという<ロマネスクな満足>」の文にある「あるいは」は「or」であるはずだ。

バルトの後半部分の引用を読むと、より一層明確だが、バルトは、<高校生の夢>=<ロマネスクの夢>を、「テキストの広がりを見渡す」として、これが水平的であり、他方、テクストに密着する読み方を、垂直的としているように、あきらかに読める。

ところが、松岡正剛氏は、<高校生の夢>と<ロマネスクの夢>を対置し、高校生の夢=水平的、ロマネスクの夢=垂直的、としている。一読して奇妙だったので、比較してみたわけだ。

明らかに誤読である。ロラン・バルトのテクストを、「高校生なみ」に読んでいる。

誤読は誰にでもありうる。でも、この誤読は、ほとんど何も読んでいないに等しい振る舞いである。

ネット上の、特に多くの本を書評している人は、このような初歩的な誤読の記述で氾濫している。名高い書評家松岡氏でさえ、かくの如し。


…………

※追記:仄めかしだけの嘲弄ではまずいのなら、こうやってつけ加えておくよ。冒頭の話はジジェクのまなざし論の基本中の基本。あれが分からないのであれば、幻想(ファンタジー)の構造も分からないということ。

◆Conversations with Zizek(Slavoj Zizek and Glyn Daly)より私意訳(「きみは軀のどの部分をもっとも熱心に使うんだい?」より)

究極のファンタジーの対象は、まなざし自体だね。そして私は思うんだが、これは政治に当てはまるだけでなく、セックスも同じだね。ひとは、どうやってポルノは可能かという基本的な問いをいつもなすべきだな。精神分析の物議をかもす答は、セックスとしてのセックスはいつもすでにポルノだからだというものだ。私が愛人、あるいは愛人たちといっしょにいるとき、ーー強調しておくよ、複数形を。というのは二項ロジックとして非難されないためにねーー私はいつも第三のまなざしを想像しているんだな。つまり私は誰かのためにヤッテいるんだ。こういえるかもしれない、ここに恥の基本的な構造がある、と。きみがヤルことに没頭してるとき、いつも魅惑/怖れがあるんだな、〈大他者〉の眼にはどうみえるかというね。

私たちの最も内密の行動でさえ、いつも潜在的なヴァーチャルのまなざしのために行動してるのだよ。だからこの構造、すなわち誰かが私を観察しているという考えに取りつかれた構造ね、これはいつもセクシャリティ自体に刻みこまれてるんだな。ファンタジーとはヤッテいるのを観察している〈他者たち〉という考えにそれほどかかわるわけではなくて、むしろ逆だね。最も基本的なファンタジーの構造というのは私がヤッテいるとき、誰かが私を観察しているのを幻想しているfantasizeことだな。

2014年11月14日金曜日

資料:金持のための社会主義

前投稿「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」補遺ーー市場原理主義と新自由主義は違うなどという寝言を言ってくる輩がいるので。市場原理主義とは資本の欲動の論理である。

◆柄谷行人の「歴史の終焉について」(『終焉をめぐって』所収)

要するに、資本主義圏と社会主義圏があるというのはうそである。資本主義は世界資本主義としてあり、「社会主義圏」はその内部にしか存在したことがない。だが、こうした二項対立がなぜ戦後を支配したのだろうか。

もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。p160
人々は自由・民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている(『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。

それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。p162

※参照:資本の欲動のはてしなさ(endless)と無目的(end-less)

一般市民は「理解」しないといけないのだろうか? 社会保障の不足を埋め合わせることはできないが、銀行があけた莫大な金額の損失の穴を埋めることは必須であると。厳粛に受け入れねばならないのか? 競争に追われ、何千人もの労働者を雇う工場を国有化できるなどと、もはや誰も想像しないのに、投機ですっからかんになった銀行を国有化すのは当然のことだと。Alain Badiou, “De quell reel cetre crise est-ellelespectacle?” Le Monde, October 17, 2008

…………

以下、ジジェク『First as Tragedy, then as Farce』より。

「あなた(グリーンスパン-引用者)はイデオロギーをおもちでしたね。このような供述があります。「私(グリーンスパン-引用者)には自分なりのイデオロギーがある。私の判断では、自由競争市場は経済を整えるのに最良の方法だ。規制も試みたが、成果を上げたものはなかった。」これがあなたの言葉です。サブプライム危機につながる無責任な貸付を防止する権限があなたにはあった。そうすべきだと多くの人から忠告されていた。そしていまや、経済全体がその代償を払っている。あなたは自分のイデオロギーによって決断したことを悔やんでいますか?」

「グリーンスパンは答えた。「世界の動向を決めるという重要な機能を持つ構造だと私が信じていたモデルに、欠陥がありました」。言い換えれば...自由市場のイデオロギーに欠陥があることが証明されたと、グリーンスパンは認めたのだ。のちには、金融会社が多大な損失をこうむらないよう取引相手を十分調査しなかったことに「茫然とした」と何度もくり返した。「人々は、金融機関の自己利益追及によって株主の権利は守られると期待していました。彼らは茫然自失の状態にあります。私もです。」

「グリーンスパンの過ちは、賢明に自己利益を追求する貸出機関であれば、もっと責任ある、もっと倫理的な行動をとるはずで、早晩バブルがはじけることが明白な無謀な投機に一目散に走るようなまねはするまい、と期待したことだった。」

「グリーンスパンの失策は、市場参加者の合理性を過大評価していたことに、つまり無謀な投機で荒稼ぎする誘惑に負けたりしないと信じていた点にある。しかし、それだけではない。リスクを冒す価値があるという、金融投機家のごく合理的な期待 - いざ金融崩壊となっても国家による損失補てんをあてにできる - を計算に入れ忘れていたのだ。」(ジジェク『ポストモダンの共産主義』

二〇〇八年の金融大崩壊への緊急援助策

『この巨額な緊急援助は何の解決のもならない。これは財政社会主義であり、反アメリカ的である。』(ジム・バニング共和党上院議員)

共和党の緊急援助策への反対のしかたは階級闘争の様相を呈していた。つまり、ウォール街と目抜き通りとの闘争だ。なぜこの危機を招いた責任のあるウォー ル街の金持ちを助け、住宅ローンをかかえた目抜き通りの普通の人たちに犠牲を払うよう、求めねばならないのか?……

……マイケル・ムーアがこの緊急援助策を世紀の強盗事件であると避難する意見広告を出したのも無理はない。

この左派と共和党保守主義者との見解の意外な一致点は、考察に値する。

では、緊急援助策は本当に「社会主義」的な政策であり、ついにアメリカに社会主義国家が誕生したことを意味しているのか? もしそうなら、きわめて特殊な形態である。「社会主義」政策の第一の目的が、貧しい者ではなく富める者、債務者ではなく債権者を助けることになってしまうからだ。金融システムの「社会主義化」が資本主義を救うために役立つのならば認められるというのは、究極の皮肉である。社会主義は悪──のはずだが、ただし、資本主義の安定に資する場合にかぎり悪ではないと言うことだ(現代中国との対称性に注目を。中国共産党は同じように、「社会主義」体制を強化するために資本主義を利用している)。(同上)

※「目抜き通り」は、原文をみるとmain streetになっている。Wall street 対 main streetであって、一般大衆の住むストリート、つまり「一般市民」として読もう。

◆参照1:ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』より。

資本の限界は資本そのものであるという公式を進化論的に読むのは的外れである。この公式の眼目は、生産関係の枠組みは、その発展のある時点で、生産力の伸びを邪魔するようになる、といったことではなく、この資本主義の内在的限界、この「内的矛盾」こそが、資本主義を永久的発展へと駆り立てるのだ、ということである。資本主義の「正常な」状態は、資本主義そのものの存在条件のたえざる革新である。資本主義は最初から「腐敗」しており、その力をそぐような矛盾・不和、すなわち内在的な均衡欠如から逃れられないのである。だからこそ資本主義はたえず変化し、発展しつづけるのだ。たえざる発展こそが、それ自身の根本的・本質的な不均衡、すなわち「矛盾」を何度も繰り返し解決し、それと折り合いをつける唯一の方法なのである。したがって資本主義の限界は、資本主義を締めつけるどころか、その発展の原動力なのである。まさにここに資本主義特有の逆説、その究極の支えがある。資本主義はその限界、その無能力さを、その力の源に変えることができるのだ。「腐敗」すればするほど、その内在的矛盾が深刻になればなるほど、資本主義はおのれを革新し、生き延びなければならないのである。剰余享楽を定義するのはこの逆説である。この剰余とは、何か「正常」で基本的な享楽に付け加わったという意味での剰余ではない。そもそも享楽というものは、この剰余の中にのみあらわれる。すなわち、それは本質的に「過剰」なのである。その剰余を差し引いてしまうと、享楽そのものを失ってしまう。同様に、資本主義はそれ自身の物質的条件をたえず革新することによってのみ生き延びるのであるから、もし「同じ状態のままで」いたら、もし内的均衡を達成してしまったら、資本主義は存在しなくなる。したがって、これこそが、資本主義的生産過程を駆動する「原因」である剰余価値と、欲望の対象-原因である剰余享楽との、相同関係である。


参考2:ケインズの「美人投票」理論  (岩井克人)

ケインズの美人投票とは、しゃなりしゃなりと壇上を歩く女性の中から審査員が「ミス何とか」を一定の基準で選んでいくという古典的な美人投票ではない。もっとも多くの投票を集めた「美人」に投票をした人に多額の賞金を与えるという、観衆参加型の投票である。この投票に参加して賞金を稼ごうと思ったら、客観的な美の基準に従って投票しても、自分が美人だと思う人に投票しても無駄である。平均的な投票者が誰を美人だと判断するかを予想しなければならない。いや、他の投票者も、自分と同じように賞金を稼ごうと思い、自分と同じように一生懸命に投票の戦略を練っているのなら、さらに踏み込んで、平均的な投票者が平均的な投票者をどのように予想するかを予想しなければならない。「そして、第四段階、第五段階、さらにはヨリ高次の段階の予想の予想をおこなっている人までいるにちがいない。」すなわち、この「美人投票」で選ばれる「美人」とは、美の客観的基準からも、主体的な判断からも切り離され、皆が美人として選ぶと皆が予想するから皆が美人として選んでしまうという「自己循環論法」の産物にすぎなくなるのである。

ケインズは、プロの投機家同士がしのぎを削っている市場とは、まさにこのような美人投票の原理によって支配されていると主張した。それは、客観的な需給条件や主体的な需給予測とは独立に、ささいなニュースやあやふやな噂などをきっかけに、突然価格を乱高下させてしまう本質的な不安定性を持っている。事実、価格が上がると皆が予想すると、大量の買いが入って、実際に価格が高騰しはじめる。それが、バブルである。価格が下がると皆が予想すると、売り浴びせが起こり、実際に価格が急落してしまう。それが、パニックである。

ここで強調すべきなのは、バブルもパニックもマクロ的にはまったく非合理的な動きであるが、価格の上昇が予想されるときに買い、下落が予想されるときに売る投機家の行動は、フリードマンの主張とは逆に、ミクロ的には合理的であるということである。ミクロの非合理性がマクロの非合理性を生み出すのではない。ミクロの合理性の追求がマクロの非合理性をうみだしてしまうという、社会現象に固有の「合理性のパラドックス」がここに主張されている。

《グリーンスパンの失策は、市場参加者の合理性を過大評価していたことに、つまり無謀な投機で荒稼ぎする誘惑に負けたりしないと信じていた点にある。しかし、それだけではない。リスクを冒す価値があるという、金融投機家のごく合理的な期待 - いざ金融崩壊となっても国家による損失補てんをあてにできる - を計算に入れ忘れていたのだ》とあったが、金持のための社会主義は、ケインズ理論(美人投票論)が明かした資本の欲動の必然的な結果。資本が自由に振舞えば、このマクロの「非合理性」を生むのだから。そしてこの資本主義のシステムを守ろうとすれば、資本の欲動の結果としての金融崩壊が起こっても国家による損失補てんをせざるをえない。

《資本主義の純粋化によるミクロ的な効率性の上昇は、逆にマクロ的な安定性を揺るがせてしまうと論ずるのである。資本主義が、大恐慌などの幾多の危機を経ながら、まがりなりにもある程度の安定性を保ってきたのは、貨幣賃金の硬直性や金融投機の規制など市場の働きに対する「不純物」があったからである。効率性を増やせば不安定化し、安定性を求めると非効率的になるという具合に、効率性と安定性とは「二律背反」の関係にあるというのである。》(岩井克人)

そもそも金融崩壊による損失補てんは、一見金持のための社会主義にみえるが、その事態が起こったときに真っ先に困窮するのは、低所得者たちである。

ジジェクの金持のための社会主義とは、ジジェク一流のレトリックなのであって、その言葉だけを取り出して真に受けるのはマヌケでしかない。事実、ジジェクもこう語っている。

《もし「モラルハザード」が資本主義の本質そのものであったとしたらどうだ? つまり両者は不即不離の関係にある。資本主義の体制下では、目抜き通りの人々の幸福はウォール街の繁栄にかかっている。だか、緊急援助に反対する共和党のポピュリストが正しい理由から誤ったことをしている一方で、緊急援助の発案者は誤った理由から正しいことをしているのだ。もっと凝った用語を使えば、これは「非推移的関係」なのである。》(ジジェク『ポストモダンの共産主義』)



彼らは私たちを負け組だと言ってるようだが、本当の敗者はウォール・ストリートにいる。連中は私たちのカネで莫大な額の保釈金を払ってもらったようなものだ。私たちを社会主義者だと言うが、いつだって金持ちのための社会主義が存在しているではないか。私たちが私的財産を尊重していないと言うが、たとえここにいる全員が何週間も日夜休まず破壊活動を続けたとしても、2008年の金融崩壊で破壊された個人の財産には及びもつかない。私たちを夢想家だという。でも、夢を見ているのはこのままの世の中が永久に続くと考えている人々だ。私たちは夢を見ているのではない。悪夢となってしまった夢から目覚めようとしているのだ。

覚えておいてほしい。問題は不正や強欲ではない。システムそのものだ。システムが否応なく不正を生む。気をつけなければいけないのは敵だけではない。このプロセスを骨抜きにしようとする、偽の味方がすでに活動を始めている。カフェイン抜きのコーヒー、ノンアルコールのビール、脂肪分ゼロのアイスクリームなどと同じように、この運動を無害な人道的プロテストにしようとするだろう。


「エンロンEnron社会」を泳がざるをえない「文化のなかの居心地の悪さ」

◆まず、フロイト博物館の国際会議(17 October 2014)における基調講演者Paul Verhaegheの要旨より。

ーー「悲哀のなかのナルシシズムーー父権社会の消滅」(Paul Verhaeghe Narcissus in Mourning - The Disappearance of Patriarchy)

ある概念を理解するためのひとつの方法は、その対立物とその概念を対照させることである。私の考え方では、ナルシシズムはメランコリーの片割れである。ナルシシズムとは完全性と全能性omnipotenceを意味する。それは全能なるalmighty母との同一化を呼び戻す。彼女は子供が欠けているものを与えることができるので全能なのである。エディプス期の間に、この同一化は父にシフトする。その父の機能とは母からの保護を意味する。メランコリーは喪失と無力感を意味する。原初の全能性の幻想の不首尾は、父の避けがたい不首尾、あるいは父が請合うと見なされた安全保障感の失敗である。実際のところ最終的なファリックな保障などどこにもない。結果として、典型的な神経症の反作用が、代替物を絶え間なく探求することとなる。それが一連のイマジナリーな父たちを創りだす。これが導くのは、二次的なナルシシズムであり、ファリックな思考の領域の内部に留まることになる。

One way to understand a concept is to contrast it with its opposite. To my way of thinking, narcissism is the counterpart of melancholia. Narcissism implies completeness and omnipotence. It harks back to the identification with the almighty mother. She is almighty because she can give what the child lacks. During the oedipal period, this identification shifts to the father, who functions as a safeguard for the mother. Melancholia implies loss and helplessness. The failure of the original fantasy of omnipotence is the inevitable failure of the father and the safety that he was meant to guarantee; there is in fact no final phallic guarantee whatever. Consequently, a typically neurotic reaction is the endless search for a substitute, creating a series of imaginary fathers. This leads to secondary narcissism and stays within the realm of phallic thinking.
われわれは個人のレベルでのこのような考え方を解釈するのに馴染んでいる、父たちと子供、エディプスコンプレクス等々。フロイトが、彼のエッセイ『ナルシシズム入門』と『悲哀とメランコリー』を書いたとき、まさに同じ衝突が世界的なスケールで起こっていた。ファリックなナルシシズムが第一次世界大戦によって情け容赦なく粉々に打ち砕かれた。そして世界的な悲哀の時期が引き続いたーー、父への悲哀(哀悼)、大文字の父への哀悼。私の観点からは、この悲哀は父権制社会の終焉の告知であり、別の言い方をすれば、伝統的な権威の終焉である。これは権威の概念自体を再考するように、われわれを強いる。

We are accustomed to interpreting these ideas at the level of the individual – the child with his parents, the oedipus complex and so on. When Freud was writing his essays ‘On Narcissism’ and ‘Mourning and Melancholia’, the very same clash was happening on a global scale. Phallic narcissism was brutally shattered by the First World War, and a period of universal mourning followed – the mourning of the father, of The Father. In my view, this mourning announced the end of patriarchy, in other words, the end of traditional authority. This compels us to rethink the concept of authority as such.


まず前段の《全能なるalmighty母との同一化を呼び戻す。彼女は子供が欠けているものを与えることができるので全能なのである。エディプス期の間に、この同一化は父にシフトする。その父の機能とは母からの保護を意味する》をめぐっていささか捕捉しよう。ポール・ヴェルハーゲが1995年(40歳時)に書いた論文からである。


◆NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL(Paul Verhaeghe)より(私意訳ーー「鰐なる母=女の口、あるいは象徴的ファルスと想像的ファルス」より)

構造的な理由により、女の原型は、危険な、貪り食う〈大他者〉と同一化する。それはもともとの原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。このようにして純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねにfascinans et tremendum(魅惑と戦慄)の混淆である理由だ。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆である。このことが説明するのは、セクシュアリティ自身の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。熱望するものは、享楽の原初の状態と名づけられよう。

この畏怖に対する一次的な防衛は、このおどろおどろしい存在に去勢をするという考えの導入である。無名の、それゆえ完全な欲望の代りに、彼女が、特定の対象に満足できるように、と。この対象の元来の所持者であるスーパーファザー(享楽の父)の考え方をもたらすのも同じ防衛的な身ぶりである。ラカンは、これをよく知られたメタファーで表現している。《母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。》

このことは、われわれに想い起こさせる、スフィンクスとその謎に直面した状況を。スフィンクスはあなたを貪り食うだろう、もしあなたが正しい答え、すなわち、正しいシニフィアンを齎さなかったら。実のところ、われわれは実在の女について話しているわけではもはやない。逆に、すべての女は、二重の仕方でこの姿形の餌食になるのだ。主体として、彼女はこのおどろおどろしい形象に直面する(すなわち、男と同じように、生れたときは、母の欲望に直面する:引用者)。さらに、女として、彼女はこの畏怖すべき形象の姿を纏わせられる。あなたがこのおどろおどろしい女性の姿形の説明を知りたいのなら、カミール・パーリアの書物、『性のペルソナ』をにおける性と暴力をめぐる最初の章を読んでみるだけでよい。彼女は正しく、この姿形と自然自身とを同一化している。もしこの姿形に直面した男性の不安の臨床的な説明を読みたいなら、オットー・ヴァイニンガーの『性と性格』Geschlecht und Charakterを読んでみよう、ジジェクのコメントとともに。この二つとも意図されずに、臨床的な事実の説明となっている。すなわち、防衛的な機能とともに、おどろおどろしい女性の姿形のアポステリオリな(後天的な)構築物であるという事実の。もし意図された臨床的な説明がほしいなら、Klaus Theweleitによる美しい『Männer Phantasien』を手に入れ、繙いてみればよい。

後段の《ファリックなナルシシズムが第一次世界大戦によって情け容赦なく粉々に打ち砕かれた。そして世界的な悲哀の時期が引き続いたーー、父への悲哀(哀悼)、大文字の父への哀悼》の捕捉については中井久夫の次の簡潔な文がよい。

二十世紀をもっとも大きく動かした詩は結局、フランス詩のポール・ヴァレリー( 1871-1945年)の「若きパルク」『魅惑』の一対、ドイツ詩のライナー・マリア・リルケ(1875-1926年)の『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』の一対、そして英詩のT・S・エリオット(1888-1965年)の『荒地』に落ちつくかと私は思う。

これらの詩は一九二二年を中心とするごく狭い時期に出ている。「若きパルク」だけは一七年春に刊行されたが、この詩人が世に広く知られるのは一九年である。二二年は『魅惑』『荒地』との刊行の年である。翌二三年早々に『ドゥイノの悲歌』『オルフォイスへのソネット』が伝説的な短期間で完成する。

これらの詩は成立の時間が近いだけではなく、互いに密接な関係にある。「若きパルク」『魅惑』の衝撃がリルケが書き悩んでいた『ドゥイノの悲歌』を完成させ、その傍らに『オルフォイスへのソネット』を生んだ。リルケは『魅惑』の独訳にその後の短い晩年の多くを費やすとともに、フランス語で詩作するようになる。エリオットの『荒地』だけは詩でなく十九年に英国の雑誌に掲載されたヴァレリーのエッセイ「精神の危機」と密接な関係にある。ともに西洋の精神的危機を正面からとりあげたものである。(中井久夫「私の三冊」ーートラウマを飼い馴らす音楽

もっとも最近のポール・ヴェルハーゲの論点は、冒頭の記事の叙述の範囲を超えた領域がその核心となっている。フロイトを生み出したヴィクトリア王朝時代の禁止ー抑圧の文化が、第一次世界大戦によってその文化の超自我(父権制社会)が揺るがされる。ここまでは同じである。だがその後、1968年の学生運動によって象徴的父の決定的な崩壊、さらには1989年のベルリンの壁の崩壊後の現在の課題とは、この今、われわれはどんな社会構造に囚われており、その社会構造では異なった人格(アイディンティティ)、異なった病が生み出されているという点を指摘することにある。

ヴェルハーゲによれば現在の自閉症の多発は、旧来型のものとは異質であり、この社会の「文化のなかの居心地の悪さ」から生まれているとする。世界的な「いじめ」猖獗、あるいはひとびとの幼児化などもこの新しい社会構造のせいであると。

これらの歴史的進展については日本ではやや様相が異なるという指摘もあるだろう、《かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか》(中井久夫「父なき世代」)。あるいはまた柄谷行人は、90年代初頭に、日本の権力構造の特徴のひとつとして、母系的なものの残存を指摘している、《日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない》(柄谷行人「フーコーと日本」1992)。だがいまはそれについて詳しく触れることはしない。

ヴェルハーゲは、1990年以降の市場原理主義社会(新自由主義社会)における病理をたんに父権制社会の消滅のせいとして片付けるわけにはいかないとする。彼は21世紀の先進国における病理のよってきたる社会を「エンロン社会」と名づけている。すなわち、マッキンゼー出身でエンロン社CEOになったジェフリー・スキリングの「ランク・アンド・ヤンク」方式ーー役員から社員までをランク付けしておいて、下位の者をクビにしていくーーこの差別化方式がその多寡はあれ、あらゆる領域で運用されている社会である。勝ち組と負け組みをたえずつくりだしていく「効率的な」システム。

ここでは敢えて訳さずに英文のまま貼り付けておく。「文化のなかの新しい居心地の悪さ」と名づけれらた論文(2011)である。これについては、最近でもGuardian(ガーディアン 2014.09.29) にて"Neoliberalism has brought out the worst in us"「新自由主義はわれわれに最悪のものを齎した」という記事が書かれている(参照:「人間は幸福をもとめて努力するのではない。そうするのはイギリス人だけである」(ニーチェ)

◆『Capitalism and Psychology Identity and Angst: on Civilisation's New Discontent』 Paul Verhaeghe

In the Enron company this became known as Rank and Yank. The achievements of every employee were judged competitively and on that basis one fifth of them were sacked each year after being publicly humiliated by having their name, photo and ' failure' posted on the company's website. (de Waal, 2009, p.Sl) In a very short time, almost every employee started to lie about his achievements, which ultimately led to the company's bankruptcy. Nevertheless, various weaker versions of the Enron model are still in operation elsewhere.

ポール・ヴェルハーゲのこの「エンロン社会」の主張は、ここでもまた中井久夫の次の文によって捕捉することができる。

今、市場原理主義がむきだしの素顔を見せ、「勝ち組」「負け組」という言葉が羞かしげもなく語られる時である。もはや「生き甲斐」の出番はなくなり、「アイデンティティ」概念も存在を脅かされているのではないか。80年代から弱々しい「自分探し」がさまよえる魂の呟きとなった。アイデンティティ追求の猶予である「モラトリアム」も得難くなって、それは無期限の「ひきこもり」になったかに見える。しかしこれらもやがて過ぎ去るであろう。先の見えない移行期に私たちはいる。

セーフティーネットのない殺風景な世界が実現すれば、「生き甲斐」はもちろん「アイデンティティ」の追求も一種の贅沢になるだろう。冒頭に述べたように現にそういう社会はある。その行き着く果ては「人間であること」が贅沢とされる世界である。「アイデンティティ」や「生き甲斐」はもう古いなどと軽々しくいうべきでないと私は思う。(中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』)


もっともこれらの見解は、ジジェクが90年の初頭に書いた『斜めから見る』にすでに書かれているという言い方もできるかもしれない。エンロン社会における「勝ち組」であるための典型的戦略が「病的ナルシシスト」として振舞うことであると言いうる。

……「病的ナルシスト」の出現は、それ以前の二形態の根底に共通してあった自我理想の枠と絶縁する。象徴的法を自分の中に取り入れるのではなく、複数の規則、すなわち「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則がいろいろ与えられる。ナルシスト的な主体は、他者たちを操るための「(社会的)ゲームの規則」だけを知っている。社会的関係は、彼にとってはゲームのためのグラウンドである。彼はそこで、本来の象徴的任務ではなく、さまざまな「役割」を演じる。本来の象徴的同一化を含んでいる、自分を縛るような関わりはいっさい持とうとしない。彼は根源的に体制順応者でありながら、逆説的に、自分を無法者(アウトロー)として経験する。(「現代の「病的ナルシスト」たち、あるいは「母なる超自我」と「内的な自由」」より)


おそらく多くの人が、「エンロン社会」においてどうやって「勝ち組」になるかを無意識的にせよ模索しているのだろう。そしてそれを全面的に否定するものでは、わたくしは全くない。

さて前にもいったように、実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも、それが疑いえぬものであるかのように従うことが、ときとして必要であると、私はずっと前から気づいていた。(デカルト『方法序説』ーー「人間的主観性のパラドックス」覚書

ところで國分功一郎氏は、「哲学とは人生論でなければならない」と言っているそうだが、これはわたくしのような旧世代の人間には、驚くべき言葉である(彼のその真意は別のところにあるのかも知れないし、「人生論」という語彙の捉え方にもよるだろうが)。90年以前に思想なるものに出会った人間には、決して口に出来なかった言葉であり、かつてそんなことを言ってしまえばひどく嘲笑されただろう。

僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。
21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。

……住民投票による「来るべき民主主義」とか、おおむね情報社会工学ですむ話じゃないですか。哲学や思想というのは、何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試みなんで、可能な範囲での修正を目指すものじゃないはずです。(浅田彰


「エンロン社会」をどうやって巧みに泳ぐかの「人生論」ではなく、「エンロン社会」で生きる前提を問い直す「人生論」であることを是非とも望むがーーすくなくともそれに触れていることをーー、わたくしは彼の著作を読んでいるわけではないので、あまりえらそうなことをいえない。

もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』1983)

いずれにせよ(市場原理主義にせよ、新自由主義にせよ、エンロン社会などにせよ)、われわれが囚われている所与の”環境”を批判=吟味するのが、「哲学者」やら「思想家」の仕事のはずだ。

今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)

哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』)

以下の千葉雅也氏のツイートに《精神医学の領域ですでに起こった変化》とあるのは、DSMという黒船のことや、認知科学や神経生物学、あるいは薬物療法や行動療法などに取って代わられつつある傾向を言っているのだろう。

@masayachiba: 根源的な問いを多様に議論するのをやめ、人それぞれだからという配慮で踏み込まなくなるというのは、精神医学の領域ですでに起こった変化だ。文明全体がそういう方向に向かっていると思う。残される課題は「現実社会の苦痛にどう対処するか」だけ。そもそも苦痛とは何かという問いは悪しき迂回になる。千葉雅也

上に引用したポール・ヴェルハーゲは痛烈なDSM批判をくり返している精神分析医でもある(参照:フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」)。

ここでは、千葉雅也氏の《文明全体がそういう方向に向かっている》という文をあえて「誤読」して、文明全体がエンロン社会に向かっているとしておこう。

さてくだくだしく書くのはもうやめる。ただ巷間に流通が目立ちはじめたらしい「人生論」なるものが、《「いかに成功するか」を教えてくれる便利な規則》やら《現実社会の苦痛にどう対処するか》だけでないことを祈るばかりである。

もっともアドラー心理学の流行も病的ナルシシスト育成のための見解に感じられないでもないし(参照:「原初とは最初のことじゃないんだよ」)、米国MBAで修業を積んだらしいどこかの経営コンサルタントが、文科省の有識者会議にて提案した「G型大学とL型大学」なるものを「真摯に」受け止めざるを得ないのも、エンロン社会の病いの臭いがしないでもない。

そしてくり返せば、成功やら苦痛をめぐる教えは、人生を巧みにやりすごすテクニックとしてはひどく大切であり、安易にばかにするつもりは毛頭ないことを念押ししておこう。たとえばアランの人生論から抜き出しておけば、こういった側面はわれわれは意想外に忘れがちなのだから。そしてアランの限界はあるにしろ(たとえば第二次世界大戦勃発前に、サルトルはアランのオプティミズムから離れた)、通常のわれわれの人生の99%はこれでやっていける。

赤ちゃんがはじめて笑うとき、その笑いは絶対になにも表現していない。幸福だからといって笑ったりしない。むしろこういったほうがよい。赤ちゃんは笑っているからこそ、いま幸福なのであると。赤ちゃんは笑うことに快楽を感じているのだ、食べることに快楽を感じるのと同様に。(アラン『プロポ集』井沢義雄・杉本秀太郎訳)

ーーすなわち、《幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ》

私が信頼を寄せれば、彼は正直な人間でいる。私が心のうちで彼をとがめていると、彼は私のものを盗む。どんな人間でも、私のあり方次第で私にたいする態度をきめるのである。(アラン「オプチミスム」

だが第二次世界大戦直前のナチにはこれでは通用しなかった。そして現在のネオナチ猖獗にも通用するはずがない。

最後にエンロン社会のバイブル、アイン・ランドの書から抜き出しておこう。

お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます。(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)

※補遺:資料:金持のための社会主義

この古い写真(1854年)は私の心を打つ

侯 孝賢《風櫃來的人》


《またある朝はみゃくらくもなく,前夜むかれた多肉果の紅いらせん状の皮が匂いさざめいたが,それはそのおだやかな目ざめへとまさぐりとどいた者が遠い日に住みあきらめた海辺の町の小いえの,淡い夕ばえのえんさきからの帰着だった.》(黒田夏子






…………



一軒の古い家屋、影になっているポーチ、屋根瓦、昔のアラブ風の装飾、壁に寄りかかって坐っている男、人気のない街路、地中海沿岸に見られ樹木(チャールズ・クリフォード撮影の「アルハンブラ」)。この古い写真(1854年)は私の心を打つ。私はひたすらここで暮らしたいと思う。この願望は、私の心の奥深いところに、私の知らない根を下ろしている。私を引きつけるのは、気候の暑さか? 地中海の神話か? アポロン的静謐さか? 相続人のいない状態か? 隠棲か? 匿名性か? 気高さか? いずれにせよ(私自身、私の動機、私の幻想がどのようなものであるにせよ)、私はそこで繊細に暮らしたいと思うーーその繊細さは、観光写真によっては決して満足させられない。私にとって風景写真は(都市のものであれ田舎のものであれ)、訪れることのできるものではなく、住むことのできるものでなければならない。この居住の欲望は、自分自身の心に照らしてよく観察すると、夢幻的なものではない(私は非日常的な場所を夢みているわけではない)し、また、経験的なものでもない(私は不動産屋の案内広告の写真を見て、家を買おうとしてるわけではない)。この欲望は幻想的なものであり、一種の透視力に根ざしている。透視力によって私は未来の、あるユートピア的な時代のほうへ運ばれるか、または過去の、どこか知らぬが私自身のいた場所に連れもどされるように思われる。ボードレールが「旅への誘い」と「前の世」でうたっているのは、この二重の運動である。そうした大好きな風景を前にすると、いわば私は、かつてそこにいたことがあり、いつかそこにもどっていくことになる、ということを確信する。ところでフロイトは、母胎について、《かつてそこにいたことがあると、これほどの確信をもって言える場所はほかにない》(『不気味なもの』)と言っている。してみると、(欲望によって選ばれた)風景の本質もまた、このようなものであろう。私の心に(少しも不安を与えない)「母」をよみがえらせる、故郷のようなもの(heimlich)であろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』p52-53)

History of photography in Spain


…………

フォーレのOP108は、わたくしにはバッハのBWV 1056やBWV1043(BWV 1062)のLARGOなどをどうしても想起せざるをえないのだが、どうして誰もそういっていないのだろう。









2014年11月13日木曜日

「民主政国家は債務の膨張を止めることはできない」ジェームス・ブキャナン

アメリカではもはや、男性だけでは家計を支えられず、夫婦共働きが当たり前になってしまった。平均年間労働時間が2200時間を超えて、日本人よりも長くなった。

1979年と比較すると、標準的なアメリカ人家庭では年間500時間、12週分も余計に働くようになった。(橘玲 『(日本人)』

ーーという記述を読んで、意想外であったので、すこし調べてみたが、探し方が悪いのかーーそれほど熱心には探してはいないがーー、次の図表程度のものにしかいまのところ当らない。


Working hours 

だがこの図表にても、2012年時点では、アメリカは日本より労働時間がやや長くなっているには違いない。もっとも統計の取り方(たとえば日本のサービス残業などの悪癖)はどう考慮されているのかは定かではない。

橘玲氏の文章を拾ったのは、次の理由による。

…………

いまの痛みか vs 近い将来のより大きな痛みか」補遺(「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会より)。


◆日本の国債市場と投資家行動 2014年10月3日 角間和男 (野村アセットマネジメント)よりの孫引き。

ジェームス・ブキャナンは「民主政国家は債務の膨張を止めることはできない」という論理的な帰結を1960年代に導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡大するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。

このような説 明は、ほとんどの人にとって不愉快きわまりないものにちがいない。だが 現実には、日本国の借金は膨張をつづけ、ついには1000兆円という人 類史上未曽有の額になってしまった。ブキャナンの「公共選択の理論」は、 この事実を見事に説明する。そしてこれまで誰も、国家債務が膨張する 理由について、これ以上シンプルな説明をすることができないのだ。(橘玲『(日本人)』)

 橘玲氏はやや際物めいたところのある経済小説家だという評判もあるのだが、上のような比較的由緒正しい研究会での発表資料のなかにも引用されているようだ。わたくしも「アベノミクスの博打」で橘玲氏のよる「20XX年ニッポンの国債暴落」を引用したことがある。


この橘玲を引用する角間和男氏(現 野村アセットマネジメント)をめぐっては次の通り。

債券の取引はほとんどが店頭市場で行われ、主たる取引参加者が少数のプロの投資家に限定されているので、株式市場と比較してその実態が外部者にはわかりにくい。今回の研究会では、主として調査分析を中心に長年にわたり日本国債市場において仕事を続けてこられた角間和男氏(現 野村アセットマネジメント)に「日本の国債市場と投資家行動」というタイトルで国債市場の「内部者」の立場から報告をしていただいた。

 政府債務の膨張と予想インフレ率上昇を背景に国債暴落を懸念する人は多い。一方で、長期金利にはむしろ低下圧力がかかり、史上最低水準にある。両者の不整合性の原因と持続性について考える材料を提供していただきたいというのが研究会メンバーから角間氏にお願いしたことである。

 日本の財政状況は、たしかに数字の上では危機的な状況にあるが、国債の保有構造特性から直ちに危機が表面化する可能性は低いと市場は見ている、というのが角間氏の見方である。ほぼ国内で閉じた資金循環の中で、国債を買い支えているのは実質的には家計の金融資産であり、こうした家計金融資産保有特性が金融機関の投資行動に反映され、長期金利は上昇しにくい構図ある。影響が大きいのが銀行、保険、年金を経由した資金の流れで、これに最近の日銀を経由した流れが加わり、これらのチャネルで国債に伴う金利リスクの大部分が負担されている。日銀の金融政策が今後も最大の相場変動要因だが、日銀のオペ以外では、近年影響力が強くなっているのが生命保険である。その負債特性の変化を含めて生命保険の今後の動向は要注意である、という指摘がなされたのが注目される。

 研究会における今後の議論の参考になる様々なソースからの広範なデータに基づく分析をしていただいた角間氏に感謝したい。

角間氏の報告用ファイルは以下からダウンロードできる。

角間和男「日本の国債市場と投資家行動」 

角間氏による「日本の国債市場と投資家行動」の充実した資料から、他の論者によっても比較的よく語られる「一般会計を家計に喩えると」の頁を抜き出しておこう。







角間氏の試算によれば、3.5%成長かつ収支改善の20年後でさえ、日本の家計は現在のローン残高7800万円から1億1964万円と120%となっている。

いずれにせよブキャナンの言明は実践的には圧倒的に正しいのだろう。そしてくり返せば、リスクは第一にデフレ、第二に金利上昇、第三にばらまき財政とあるように、いま第一のリスクは黒田日銀がギャンブルをやって対応しようとしているわけで、そのとき第二のリスクがどうなるかであろう。


※附記:橘玲 『(日本人)』より。

日本がグローバルスタンダードの国に生まれ変わることはものすごく難しい。それは日本の社会に<他者>がいないからだ。グローバル空間とは、包摂できない<他者>と共存せざるを得ない世界のことだ。

日本にも在日朝鮮・韓国人のような人たちがいるが、日本社会は彼らを「日本人」として包摂するか、存在を無視するかしてローカルルールを変えずに対応してきた。

ほとんどの組織が日系日本人で構成されているかぎりはグローバルになる理由はどこにもない。





philia 愛とneikos闘争、あるいはビオスBiosとゾエZoë

――いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、――(ニーチェ『ツァラトゥストラ』酔歌 「悦楽(享楽)と永劫回帰」より)

《フロイトのタナトス欲動は、〈他〉のなかの消滅に対抗して個の生の継続を確保する。このように解釈したら、死の欲動は、ビオス欲動である。ビオスBiosとは古代ギリシアの個の生の名である。それは死するが、また個がどのように彼もしくは彼女自身の生を処するかにかかわる。ゾエZoëは、逆に、永遠の生それ自体である。限定されたビオスを貫く縫い糸であり、個別的なものが消滅しても、ゾエは破壊されない。このように読めば、フロイトのエロスはゾエ欲動であり、タナトスはビオス欲動である。》(Paul Verhaeghe『Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender』私訳)

ここにあるように、ビオスとゾーエーは古代ギリシャ人が語った概念であり、フロイト派ならぬユング派のカール・ケレーニイの著作に次のように書かれている。

ゾーエーはすべての個々のビオスをビーズのようにつないでいる糸のようなものである。そしてこの糸はビオスとは異なり、ただ永遠のものとして考えられるのである。(カール・ケレーニイ『ディオニューソス.破壊されざる生の根源像(Dionysos.Urbilddesunzerst・rbarenLebens)』1976)

このケレーニイの文は、冒頭のニーチェの《永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを》の変奏とさえ言いうるだろう。

『ディオニューソス.破壊されざる生の根源像』という書名にあるように、ディオニソスは、ゾーエー(破壊されざる生)、エロスの神ということになる。とすれば、ディオニソス/アポロンの対立は、エロス/タナトスの対立となるのか。無限の生(ゾーエー)/一回性の生(ビオス)と。

「永遠の生」についてはラカンはこう語っている。

根源的な喪失とはなにか? 「永遠の生の喪失である、それはひどく逆説的だが、性的存在としての出産の刻限に失われる、そのMeiosis(分裂)により」(ラカン『セミネールⅩⅠ』英訳からの私訳)

フロイトはその最晩年の著作(1937年)でーーラカンがフロイトの遺書と呼んだーー、「永遠の生」をphilia 愛=エロスとしている。

エンペドクレスの二つの根本原理――philia 愛とneikos闘争 ――は、その名称からいっても機能からいっても、われわれの二つの根源的本能(欲動;引用者)、エロスと破壊beiden Urtriebe Eros und Destruktionと同じものである。その一方は現に存在しているものをますます大きな統一に包括しようと努め、他のものはこの統一を解消し、統一によって生れたものを破壊しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』人文書院 旧訳

このようにしてポール・ヴェルハーゲによって、《生の欲動(エロス)は死を目指し、死の欲動(タナトス)は生を目指す》と書かれることになる(参照:フロイトの『Why War?』における愛と憎悪)。

エロスが死をめざす、という意味は、〈大文字の母〉との融合を目指すということであり、だがそのとき個体は消滅する。エロスは不安にかかわるのだが、その不安とはその消滅の怖れの不安だ。

タナトスが生をめざす、という意味は、エクスタシーの瞬間の個体の消滅から逃れだし、しかしながらつねにエロスの欲動と合体して、ファリックな快楽(性交に代表される)の反復衝動をするということだ。灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その反復運動。(参照:エロスとゆらめく閃光

もちろんこれらの解釈については異論があるだろう。とくにタナトス概念については諸説紛々である。だが、わたくしの書き物において、たとえば〈愛〉という語彙を使用するとき、このヴェルハーゲのフロイト解釈にもとづいて主に叙述している。そしてそれはニーチェにも繋がる、ーーというのは最近いささかどうでもよくなってきたのだが、カボチャ頭くんたちの誤読を惧れるので、いま念押ししておこう。

ここでやや遡って、フロイトの同じ後期でも1920年の著作ーーエロスとタナトス概念がはじめてこの論文で書かれたーー『快感原則の彼岸』におけるプラトンの『饗宴』の引用箇所をその前後も含めて抜き出しておく。

……われわれは科学の領域で性の発生の問題についてわずかしか発見したものをもたないので、この問題は、仮説という光線すらも射し込まない暗闇に比することができるほどである。まったく別の場所で、むろん、われわれはこのような仮説に出くわすことはあるけれども、それは非常に空想的なものである。たしかに科学的な説明というよりは、むしろ一つの神話である。だがそれは、われわれがまさにのぞんでいる一つの条件を満たすものであって、もしそうでなかったら、私はあえてここで引用する勇気をもたなかったであろう。それは、つまり以前の状態を回復するという要求から一つの本能を演繹しているのである。

言うまでもなく私はここでプラトンが『饗宴篇』の中で、アリストファネスを通じて展開させている理論のことをさしている。この理論は、性的衝動の起源のみならず、対象に関するその重要な変型の由来をも論じている。

「つまりわれわれの身体は、もとは現在とおなじにつくられていなかった。それはまったく別物だった。最初に三つの性があった。いまのように男と女だけでなく、この二つの性を結びつけていた第三の性……つまり男女〔おとこおんな〕があった……」この種の人間ではすべてが二重になっていた。つまり四本の手と四本の足、二つの顔、二重の陰部などをもっていた。ところがゼウス神は、あらゆる人間を二つの部分に分けようという気になった。「ちょうど『まるめろ』の実を漬け物にするために真っ二つにするように……こうして全体が二つに断ち切られてしまったため、二つの半分はたがいに憧憬に駆りたてられた。彼らは手と手で抱き合い、合体しようとの望みをいだいて、たがいにひとと絡み合った……」

われわれは、詩人哲学者の暗示にしたがって、生命ある物質は生を享けたさいに、小部分に引き裂かれ、これら小部分はその以来というもの、性的衝動によってふたたび結合しようと努めると、勇んで仮定すべきなのであろうか?(……)

しかし、批判的な考慮から出た数言をつけ加えておく必要があろう。ここに展開した仮定を、果たして確信しているかいないか、また、どの程度まで信じているのかと問う人があるかもしれない。私は自分でも信じていないし、他人にもそれを信じよなどと求めはしないと答えたい。もっと正確にいえば、私がどの程度それを信じているのか分からないのである。確信というような感情的な要素は、ここではまったく問題とするに足りないように思われる。われわれは、ある思考過程に身をまかせ、それがみちびくところまでついて行くことはできるが、それはただ学問的な好奇心からである。いってみれば、悪魔の代弁者として思考の路を追うのだが、だからといって、悪魔に身を売ることにはならない。(……)

以前の状態を回復しようとするのが、現実に本能の一般的な性質であるとすれば、精神生活において多くの事象が快感原則の支配をうけずに成就されることは、あやしむにたりないであろう。この性質はそれぞれの部分的衝動につたえられて、それぞれの場合に応じて発展経路の一定段階にふたたび到達することになるであろう。しかし、これらのすべてのことは、快感原則がまだ支配するにいたらない場合のことであるから、快感原則に対立する必要はないのであって、衝動的な反復現象が快感原則の支配とどのような関係ひあるかは、未だに解決されていない課題である。

われわれは、心的装置の最初の、そしてもっとも重要な機能として、侵入する衝動興奮を「拘束」すること、それを支配する一次過程を二次過程に置き換えること、その自由に流動する備給エネルギーをもっぱら静的な(強直性の)備給に変化させることなどのことをみとめた。(フロイト『快感原則の彼岸』フロイト著作集6 p188-190


「悪魔と青い深海のあいだ」、あるいは美しい男たち


ズッキーニ@香港 ‏@Zuki_Zucchini

明報によると、和平佔中の発起人、戴耀廷、陳健民と朱耀明は来週の金曜日、21日に自首する見込み via @Hongkongdash //《明報》今日報道,佔中三名發起人戴耀廷、陳健民與朱耀明,已計劃下周五(21日)自首。http://fb.me/6UwSTT8ah

戴耀廷


陳 健民


朱耀明

ただの大学の教師たちのような印象の彼らも正念場ではあんなに美しくなる。サルトルやフーコー、ゴダール、ジュネやドゥルーズらと同じくらい美しい。もっとも日本の初老の学者たちに、頭を丸めポロシャツを着て似合う男たちがいるかどうかーーそもそもそんなことをする気になる連中がいるのかどうかーーは知るところではない。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

まさか21世紀に入って10年以上経った今でも、精神上の中産階級でありつづけ、気概のかけらもない学者先生ばかりではあるまい?




「フーコー当人からして、すでに正確な意味で人称とはいえないような人物だったわけですからね。とるにたりない状況でも、すでにそうだった。たとえばフーコーが部屋に入ってくるとします。そのときのフーコーは、人間というよりも、むしろ大気の状態の変化とか、一種の<事件>、あるいは電界か磁場など、さまざまなものに見えたものです。かといって優しさや充足感がなかったわけでもありません。しかし、それは人称の序列に属するものではなかったのです」(ドゥルーズ








 (DELEUZE, GODARD, MARLON BRANDO)

…………

ここでなぜか開高健の晩年の名品「玉、砕ける」を引用する。すなわち冒頭の画像の左右の二人朱耀明ーーあるいは陳健民もいくらかーーは開高健の短篇に出てくる「張立人」の生まれ変わりではないかなどと一瞬思ってしまったせいだ。また開高健は真中の戴耀廷にいささか似ていないでもない。

だが三島由紀夫や丹生谷貴志により、開高健への強い批判があったことは忘れないでおこう(参照:丹生谷貴志「個人史を巡る旅:中上健次を巡る旅」)。

あるいはこれはわたくしの思い違いかも知れないが、敢えてここで引用しておこう。

遅い時刻のテレヴィ番組の、一応は文化的な情報を提供する姿勢で作られているものに、まだ俳優だった吾良が出演した。ヨーロッパに留学した時間こそ短いが、いまはパリの社交界にも知己が多いという作曲家が一緒だった。そのパリで仕立てたタキシードと、吾良の方は自分でデザインして洋服屋に作らせたマオカラーの長い上衣がーー黒い繻子の底に臙脂色の艶がほのめいているーー、番組序幕のスタジオを圧するようであったものだ。

しばらく両者の話し合いがあり、その間もかれらはシャンパンを飲んでいたのだが、そこへやはりタキシードを着てシャンパン・グラスを手にした小説家が加わった。ヨーロッパ文化と風俗、とくに美食について一家言ある小説家の、語り口こそ陽気だが、古義人も知っているかれは、そうした表層とはまた別の、むしろ閉鎖的な性格なのだ。マスコミにおいても、海外の文化界でも、自分の才能と見識にみあうーー等身大の、というのが口癖だったーー対応を受けていない、と憤おることのある難しい人だった。そのうち進行が渋滞した。(大江健三郎『取り替え子』)





それにもかかわらず、この晩年の小品は美しい。

…………

玉、砕ける」 開高健

九竜半島の小さなホテルに入ると、よれよれの古い手帖を繰って張立人の電話番号をさがして、電話をかける。張が留守のときには、私は菜館のメニュを読むぐらいの中国語しか喋れないから、私の名前とホテルの名前だけをいって切る。翌朝、九時か十時頃にあらためて電話をすると、きっと張の、初老だけれど迫力のある、炸(はじ)けたような、流暢な日本語の挨拶が耳にとびこんでくる。そこでネイザン・ロードの角とか、スター・フェリーの埠頭とか、ときには奇怪なタイガー・バーム公園の入口とかをうちあわせて、数時間後に会うことになる。張はやせこけてしなびかかった初老の男だが、いつも、うなだれ気味に歩いてきて、突然顔をあげ、眼と歯を一度に剥(む)いて破顔する癖がある。笑うと口が耳まで裂けるのではあるまいかと思うことが、ときにあるけれど、タバコで色づいた、そのニュッとした歯を見ると、私はほのぼのとなる。ニコチン染めのそのきたならしい歯を見たとたんに歳月が消える。

顔を崩して彼がいちどきに日本語で何やかや喋りはじめると、私は黴の大群がちょっとしりぞくのを感ずる。それはけっして消えることがなく、いつでもすきがあればもたれかかり、蔽いかかり、食いこみにかかろうとするが、張と会ってるあいだは犬のようにじっとしている。私は張と肩を並べて道を歩き、目撃してきたばかりのアフリカや中近東や東南アジアの戦争の話をする。張ははずむような足どりで歩き、私の話をじっと聞いてから、舌うちしたり、呻いたりする。そして私の話がすむと、最近の大陸の情勢や、左右の新聞の論説や、しばしば魯迅の言説を引用したりする。数年前にある日本人の記者に紹介されていっしょに食事したのがきっかけになり、その記者はとっくに東京へ帰ってしまったけれど、私は香港へくるたびに張と会って、散歩をしたり、食事をしたりする習慣になっている。しかし、彼の家の電話番号は知っているけれど、招かれたことはなく、前歴や職業のこともほとんど私は知らないのである。日本の大学を卒業しているので日本語は流暢そのもので、日本文学についてはなみなみならぬ素養の持主だとはわかっているけれど、小さな貿易商店で働きつつ、ときどきあちらこちらの新聞に随筆を書いてポケット・マネーを得ているらしいとしかわからない。彼は私をつれて繁華なネイザン・ロードを歩き、スイスの時計の看板があって『海王牌』と書いてあれば、それはオメガ・シー・マスターのことだと教えてくれる。小さな本屋の店さきでよたよたの挿絵入りのパンフレットをとりあげ、人形がからみあっている画のよこに『直行挺身』という字があるのを見せ、正常位のことだと教えてくれたりする。また、中国語ではホテルのこと××酒店、レストランのことは△△酒家という習慣であるけれど、なぜそうなのかは誰にもわからないと教えてくれたりするのである。

 最近数年間、会えばきっと話になるけれどけっして解決を見ない話題がある。それは東京では冗談か世迷言と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である。白か黒か。右か左か。有か無か。あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す。しかも沈黙していることはならぬといわれて、どちらも選びたくなかった場合、どういって切りぬけたらよいかという問題である。二つの椅子があってどちらかにすわるがいい。どちらにすわってもいいが、二つの椅子のあいだにたつことはならぬというわけである。しかも相手は二つの椅子があるとほのめかしてはいるけれど、はじめから一つの椅子にすわることしか期待していない気配であって、もう一つの椅子を選んだらとたんに『シャアパ(殺せ)!』、『ターパ(打て)!』、『タータオ(打倒)!』と叫びだすとわかっている。こんな場合にどちらの椅子にもすわらずに、しかも少くともその場だけは相手を満足させる返答をしてまぬがれるとしたら、どんな返答をしたらいいのだろうか。史上にそういう例があるのではないだろうか。数千年間の治乱興亡にみちみちた中国史には、きっと何か、もだえぬいたあげく英知を発揮したものがいるのではないか。何かそんな例はないものか。名句はないものか。

 はじめてそう切りだしたのは私のほうからで、どこか裏町の小さな飲茶屋でシューマイを食べているときだった。いささか軽い口調で謎々のようないいかたをしたのだったが、張はぴくりと肩をふるわせ、たちまち苦渋のいろを眼に浮べた。彼はシューマイを食べかけたまま皿をよこによせ、タバコを一本ぬきだすと、鶏の骨のようにやせこけた指で大事そうに二度、三度撫でた。それからていねいに火をつけると深く吸いこみ、ゆるゆる煙を吐きながら、呟いた。

「馬でもないが虎でもないというやつですな。昔の中国人の挨拶にはマーマーフーフーというのがあった。字で書くと馬馬虎虎です。なかなかうまい表現で、馬虎主義と呼ばれたりしたもんですが、どうもそう答えたんではやられてしまいそうですね。あいまいなことをいってるようだけれど、あいまいであることをハッキリ宣言してるんですからね、これは。これじゃ、やられるな。まっさきにやられそうだ。どう答えたらいいのかな。厄介なことをいいだしましたな」

 つぎに会うときまでによく考えておいてほしいといってその場は別れたのだったが、張はつよい打撲をうけたような顔で考えこみ、動作がのろのろしていた。シューマイを食べかけたままほうってあるのでそのことをいうと、彼は苦笑して紙きれに何か書きつけ、食事のときにはこれが必要なんですといった。紙きれには『莫談国事』とあった。政治の議論をするなということであろう。私は何度も不注意を謝った。

 その後、一年おいて、二年おいて、ときには三年おいて、香港に立寄るたびに張と会い、散歩したり食事したりしながら——すっかり食事が終ってからときめたが——この命題をだしてみるのだが、いつも彼は頭をひねって考えこむか、苦笑するか、もうちょっと待ってくれというばかりだった。私は私で彼にたずねるだけで何の知恵も浮ばなかったから、謎は何年たっても謎のまま苛酷の顔つきの朦朧として漂っている。もしそんな妙手があるものとすればみんながみんな使いたがるだろうし、そういう状況は続発しつづけるばかりなのだから、そうなれば妙手はたちまち妙手でなくなる。だから、やっぱり謎のままでこれはのこるしかないのかもしれなかった。しかし、ときには、たとえば張があるとき老舎の話をしてくれたとき、何か強烈な暗示をうけたような気がした。ずっと以前のことになるが文学代表団の団長として老舎は日本を訪れたが、その帰途に香港に立寄ったことがある。張はある新聞にインタヴュー記事を書くようたのまれてホテルへでかけた。老舎は張に会うことは会ってくれたが、何も記事になるようなことは語ってくれなかった。革命後の知識人の生活はどうですかと、しつこくたずねたのだけれど、そのたびにはぐらかされた。あまりそれが度重なるので、張は、老舎はもう作家として衰退してしまったのではないかとさえ考えはじめた。ところがそのうちに老舎は田舎料理の話をはじめ、三時間にわたって滔々とよどみなく描写しつづけた。重慶か、成都か。どこかそのあたりの古い町には何百年と火を絶やしたことのない巨大な鉄釜があり、ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかでもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮たてる。客はそのまわりに群がって柄杓で汲みだし、椀に盛って食べ、料金は椀の数できめることになっている。ただそれだけのことを、老舎は、何を煮るか、どんな泡がたつか、汁はどんな味がするか、一人あたり何杯ぐらい食べられるものか、徹底的に、三時間にわたって微細、生彩をきわめて語り、語り終ると部屋に消えた。

「……何しろ突然のことでね。あれよあれよというすきもない。それはもうみごとなものでしたね。私は老舎の作品では『四世同堂』よりも『駱駝祥子』のほうを買ってるんですが、久しぶりに読みかえしたような気特になりました。あの『駱駝祥子』のヒリヒリするような辛辣と観察眼とユーモアですよ。すっかり堪能して感動してホテルを出ましたね。家へ帰っても寝て忘れてしまうのが惜しくて、酒を飲みましたな。焼酎のきついやつをね」

「記事にはしなかったの?」

「書くことは書きましたけれど、おざなりのおいしい言葉を並べただけです。よくわかりませんが老舎は私を信頼してあんな話をしてくれたように思ったもんですからね。それにこの話は新聞にのせるにはおいしすぎるということもあって」

張はやせこけた顔を皺だらけにして微笑した。私は剣の一閃を見るような思いにうたれたが、その鮮烈には哀切ともつかず痛憤ともつかぬ何事かのほとばしりがあった。うなだれさせられるようなものがあった。二つの椅子のあいだには抜道がないわけではないが、そのけわしさには息を呑まされるものがあるらしかった。イギリス人はこの事を“Between devils and deep blue sea ”(悪魔と青い深海のあいだ)と呼んでいるのではなかったか?……

「これは風呂屋ですよ。澡堂(そうどう)というのは銭湯のことです。ただ湯につかるだけではなく垢も落してくれるし、按摩もしてくれるし、足の皮も削ってくれるし、爪も切ってくれます。あなたは裸になって寝ころんでるだけでいいんです。眠くなれば好きなだけ眠ればいいんです。澡堂もいろいろですけれど、ここは仕事がていねいなので有名です。帰りには垢の玉をくれます。いい記念ですよ。一つどうです。布を三種類、硬いのやら柔らかいのやらとりかえて、手に巻いて、ゴシゴシやる。びっくりするほどの垢がでる。それをみんな集めて玉にしてくれる。面白いですよ」

 明日は東京へ発つという日の午後遅く、張と二人でぶらぶら散歩するうち、『天上澡堂』と看板をかけた家のまえを通りかかったとき、張がそういって足をとめた。私がうなずくと彼はガラス扉をおして入っていき、帳場にいた男にかけあってくれた。男は新聞をおいて張の話を聞き、私を見て微笑し、手招きした。張は用事があるのでこのまま失礼するがあすは空港まで見送りにいくといって、帰っていった。

 帳場の男は椅子からたちあがると、肩も腰もたくましい大男であった。手招きされるままについていくと、壁の荒れた、ほの暗い廊下を通って小さな個室につれこまれた。個室には簡素なシングル・ベッドが二つあり、一つのベッドに白いバス・タオルを巻きつけた客が俯伏せになって寝ていて、爪切屋らしい男が一本の足をかかえこんで、まるで馬の蹄を削るようにして踵の厚皮を削っていた。帳場の男が身ぶり手真似で教えるので私はポケットの財布、パスポート、時計などをつぎつぎと渡す。男はそれをうけとると、サイド・テーブルのひきだしにみんな入れ、古風で頑強な南京錠をかけた。その鍵は手ずれした組紐で男の腰のベルトにつながれている。安心しろという顔つきで男は微笑し、腰を二、三度かるくたたいてみせて出ていった。服やズボンをぬいで全裸になると、白衣を着た、慈姑のような、かわいい少年が入ってきて、バス・タオルを手早く背後から一枚、腰に巻きつけてくれ、もう一枚、肩にかけてくれる。手真似で誘われるままに個室を出ると、草履をつっかけてほの暗い廊下をいく。そこが浴室らしいが、べつの少年が待っていて、手早く私の体からバス・タオルを剥ぎとった。ガラス扉をおすと、ざらざらのコンクリートのたたきがあり、錆びた、大きなシャワーのノズルが壁からつきでていて、湯をほとばしらせている。それで体を洗う。

 浴槽は大きな長方形だが、ふちが幅一メートルはあろうかと思えるほど広くて、大きくて、どっしりとした大理石である。湯からあがった先客がそこにタオルを敷いてもらってオットセイのようにどたりとよこたわっている。全裸の三助が繃帯を巻きつけてその団々たる肉塊をゴシゴシこすっている。おずおずと湯につかると、それは熱くもなく、冷たくもなく、何人もの男たちの体で練りあげられたらしくどろんとして柔らかい。日本の銭湯のようにキリキリと刺しこんでくる鋭い熱さがない。ねっとり、とろりとした熱さと重さでたゆたっている。壁ぎわにたくましいのと、細いのと、二人の三助が手に繃帯を巻いて全裸でたち、私があがるのを待っている。たくましい男のそれがちんちくりんのカタツムリのように見え、やせた男のが長大で図太くて罪深い紫いろにふすぼけて見える。それは何百回、何千回の琢磨でこうなるのだろうかと思いたいような、実力ある人のものうさといった顔つきでどっしりと垂れている。嫉妬でいらいらするよりさきに思わず見とれてしまうような逸品であった。それを餓鬼のようにやせこけた、貧相な小男がぶらさげていて、男の顔には誇りも傲りもなく、ただ私が湯から這いあがってくるのをぼんやりと待っている。私が両手でかくしながら湯からあがると、男はさっとバス・タオルをひろげ、私に寝るように合図する。

 張がいったように垢すりの布は三種ある。一つは麻布のように硬くてゴワゴワし、これは腕や尻や背や足などをこする。ちょっと綿布のように柔らかいのは脇腹とか、腋とかをこするためである。もっとも柔らかいのはガーゼに似ているが、これは足のうらとか、股とか、そういった、敏感で柔らかいところをこするためである。要所要所によってその三種の布をいちいち巻きかえとりかえ、そのたびにまるで繃帯のようにしっかりと手に巻きつけてこするのである。手をとり、足をとり、ひっくりかえし、裏返し、表返し、男は熟練の技で、いささか手荒く、けれど芯はあくまでも柔らかくつつましやかにといったタッチでくまなくこする。しばらくすると、ホ、ホウと息をつく気配があり、口のなかでアイヤーと呟くのが聞えたので、薄く眼をあけてみると、私の全身は、腕といわず腹といわず、まるで小学生の消しゴムの屑みたいな、灰いろのもろもろで蔽われているのだった。男は熱意をおぼえたらしく、いよいよ力をこめてこすりはじめる。それはこするというよりは、むしろ、皮膚を一枚、手術としてでなく剥ぎとるような仕事であった。全身に密着した垢という皮膚をじわじわメリメリと剥ぎとるような仕事であった。男は面白がって、ひとりでホ、ホウ、アイヤーと呟きつつ、頭のほうへまわったり足の方へまわったりして丹念そのものの仕事にはげんでくれた。そのころにはもう私は羞恥をすべて失ってしまい、両手をまえからはなし、男が右手をこすれば右手を、左手をこすれば左手を、なすがままにまかせた。一度そうやってゆだねてしまうと、あとは泥に全身をまかせるようにのびのびしてくる。石鹸をまぶして洗い、それを湯で流し、もう一度浴槽に全身を浸し、あがってきたところで二杯、三杯、頭から湯を浴びせられ、火のかたまりのようなお紋りで全身をくまなく拭ってくれる。

「ハイ、これ」

 そんな口調でニコニコ笑いながら手に垢の玉をのせてくれた。灰いろのオカラの玉である。じっとり湿っているが固く固く固めてあって、ちょうど小さめのウズラの卵ぐらいあった。それだけ剥ぎとられてみると、全身の皮膚が赤ん坊のように柔らかく澄明で新鮮になり、細胞がことごとく新しい漿液をみたされて歓声あげて雀躍(こおど)りしているようであった。

 個室にもどってベッドにころがりこむと、かわいい少年が熱いジャスミン茶を持って入ってくる。寝ころんだままでそれをすすると一口ごとに全身から汗が吹きだしてくる。少年が新しいタオルを持ってきて優しく拭いてくれる。爪切屋が入ってきて足の爪、手の爪、踵の厚皮、魚の目などを道具をつぎつぎとりかえて削りとり、仕事が終ると黙って出ていく。入れかわりに按摩が入ってきて黙って仕事にかかる。強力で敏感な指と掌が全身をくまなく這いまわって、しこりの根や巣をさがしあて、圧したり、撫でたり、つねったり、叩いたりして散らしてしまう。どの男も丹念でしぶとく、精緻で徹底的な仕事をする。精力と時間を惜しむことなく傾注し、その重厚な繊細は無類であった。彼らの技にはどことなく重量級の選手が羽根のように軽く縄跳びをするようなところがある。涼しい靄が男の強靭な指から体内に注入され、私は重力を失って、とろとろと甘睡にとけこんでいく。

…………

カボチャ頭たちに奇態な教訓を読み取られないように(誤読されないように)次ぎのように引用しておこう。

学者や芸術家とつきあうときに、人はまったく逆の評価をしてしまいがちである。すぐれた学者を凡庸な人物だと思い込むことが多いしー、凡庸な芸術家をーきわめてすぐれた人物だと思い込んでしまうものだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』)
芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』p315
自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、…… 同P461)


2014年11月12日水曜日

きみは惜しむだろうか 季節が晩秋に向かって容赦なく流れ去るのを

きみは恥じるだろうか
ひそかに立ちのぼるおごりの冷感を

ぼくは惜しむだろうか
きみの姿勢に時がうごきはじめるのを

迫ろうとする 台風の眼のなかの接吻
あるいは 結晶するぼくたちの 絶望の
鋭く とうめいな視線のなかで


ーーー 清岡卓行「石膏」より 『氷った焔』所収(1959             


※Gustave Courbet L'origine du monde(ラカン所有の経緯について


いまさらクルーペの「世界の起源」でもないが、ラカンの「裂け目の光のなかに保留されているもの」(対象a)やら「享楽の垣根における欲望の災難[Mesaventure du desir aux haies de la jouissance]」やらの起源のひとつは、この根源的に開いた裂け目にあるには相違ない。


神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』著作集3 P350)





……案の定! いったん畑の平面へ降りてから風呂の焚き口へ登る、小石を積んだ短い段々の中ほどに、そこで立ちどまれば顔の高さに、こちらへゆるくかたむいた50センチ×30センチの薄暗いガラスのスクリーンが風呂場の板壁を壊してとりつけられているのだ。剥がした羽目板や新しい角材の残りと大工道具が、物置の脇にたてかけられていた。僕らが並んで位置につくやいなや、僕らの頭をまたいで前へ出る具合に向うむきの若い娘ふたりの下半身が、かしいだスクリーンに現れた。

――この角度がな、Kちゃん、女をもっとも動物的に見せるよ、とギー兄さんは解説した……(大江健三郎『懐かしい年への手紙』




根源的に開いた裂け目について考えるさい、それが子どもと<母>の近親相姦的な二者関係結実を阻止するべく、子どもを象徴的去勢/隔離の次元へと追いこむ、父権的な<法>/<禁止>の干渉からもたらされた産物と理解する安直は退けなければなるまい。この裂け目、「バラバラに寸断された身体」という経験は、あらゆる物事に先だって存在しているのだ。それは死への衝動が産み落としたもの、快楽原則の円滑な運用を停止させる何らかの過剰/トラウマ的な享楽が侵入した結果の所産であり、そして父権的な<法>は――鏡像との想像的同一化とは異なり ――この裂け目を飼い慣らし/安定化する試みのひとつなのである。忘れてはならないのは、ラカンにとって<エディプス>的な父親の<法>とは、突き詰めれば「快楽原則」に服し、それに資するためだけに存在している点である。(ジジェク『厄介なる主体』)


Robert Mapplethorpe

予は節子以外の女を恋しいと思ったことはある。他の女と寝てみたいと思ったこともある。現に節子と寝ていながらそう思ったこともある。そして予は寝た――他の女と寝た。しかしそれは節子と何の関係がある? 予は節子に不満足だったのではない。人の欲望が単一でないだけだ。(……)

余は 女のまたに手を入れて、手あらく その陰部をかきまわした。しまいには 5本の指を入れて できるだけ強くおした。・・・ ついに 手は手くびまで入った (啄木のローマ字日記

「吾れはあく迄愛の永遠性なると云ふ事を信じ度候。」(節子)

ラカン派の用語では、結婚は、対象(パートナー)から“彼(彼女)のなかにあって彼(彼女)自身以上のもの”、すなわち対象a(欲望の原因―対象)を消し去ることだ。結婚はパートナーをごくふつうの対象にしてしまう。ロマンティックな恋愛に引き続いた結婚の教訓とは次のようなことである。――あなたはあのひとを熱烈に愛しているのですか? それなら結婚してみなさい、そして彼(彼女)の毎日の生活を見てみましょう、彼(彼女)の下品な癖やら陋劣さ、汚れた下着、いびき等々。結婚の機能とは、性を卑俗化することであり、情熱を拭い去りセックスを退屈な義務にすることである。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』私訳)

すなわち、世界の起源の「裂け目の光のなかに保留されているもの」が、結婚によって消え去ってしまう。じっくり観察してしまえばなおさらである。


荒木経惟



Méry, l'an pareil en sa course
Allume ici le même été
Mais toi, tu rajeunis la source
Où va boire ton pied fêté.

メリよ、年はひとしく運行を続けて
いまここで、同じ夏を燃え立たせる
しかし、君は泉を若返らせて
祝福される君の足がそこへ水を飲みに行く

ーーーマラルメのメリへの誕生祝の四行詩(愛人メリ・ローランの47回目の誕生日1886 保苅瑞穂訳)


Mery Laurent(マネの愛人、その後、マラルメの愛人)


若かりし世界の起源の持ち主も
年は流れる川と同じ運行を続けて
夏の終りへ向かって容赦なく流れ去る
晩夏もたちまちにして過ぎ去り
楚々として秋は来る
北風に苛らだち西風に雨を感知して
日に日に地表はむくつけきい容貌と変つてくる
ああ母の如くも優しく美しい季節よ! 
いまだ火のない暖炉の中から蟋蟀の細い寂しい唄が聞えてくる


Stéphane Mallarmé et Mery Laurent (1896) par Nadar



小さな気泡が次々に弾ぜるような感覚

男根が子宮口に当り、さらにその輪郭に沿って奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細い柔らかい触手のようなものが伸びてきて搦まりついてくる場合が、稀にある。小さな気泡が次々に弾ぜるような感覚がつたわってくる(吉行淳之介『暗室』)





あの海は昏い、あの海は激しい、憤ろしい、しかも静かだ、

あの海は太古から変わらぬはるかな眼差しとたえず打ち寄せては退く波音のなだらかな息遣いを夜陰に拡げ、少年の恥軀をすっぽり覆い尽くし、雲間ごしにかすかに洩れた月光だけが少年の足元にまでとどいて、あちこち波打ち際に舫う海人船と荒磯にひそむ泡船貝の蠢動を仄かに照らしている、

生暖かな浜風が少年の魂に誘う何たる蠱惑の触手、短袴から斜めに突きだしつややかな肌を輝かせる一本の百日紅樹は、脈うち反りかえり薔薇色に変貌し、すもものように包皮を脱ぎ棄て密やかに反復される熟練の骨牌賭博師の手捌き、少年はある未知の道、死の道とも思われた一つの道をかきわけ、ついに勢いよくふるえおののき、月明りのなか白い鳩の羽搏きを奔出させる、耳のなかの海潮、その凪、その放心、遠い水平線の手触り、茫漠たる焚火の燻り、燃え尽きた魂の煙、--少年の足元を浸しはじめる潮満ちる海は法螺貝のむせび泣きとともに、栗花薫る漿液を吸い清める、少年は星の俘虜のように海の膝に狂った星を埋める、それとともに四方八方にひるがえって交接する無数の夜光虫、あの圧倒的な現前のさまを思え、海の熱風、海の卵巣、海の気泡、海のこめかみ、海のひかがみ、海のひよめき、海の窪みの抱擁に少年はもどかしくもたゆたいはじめ、空から落下する無垢の飾窓のなかで偶さかの遊戯の余韻に溶け込んでゆく、

「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。___ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」(三好達治「郷愁」)

あの女を見つけねばならぬ、あのなかにこそほんとうの奇跡が潜んでいるのだから、ふるえる一筋の光の線がなぎさを区切っている不動の海、ゆらぐ海藻のかげ、波間に見え隠れするとび色の棘、縦に長く裂けた海の皺の奥、その輪郭に沿ってさらに奥のほうへ潜りこんで貼り付いたようになってしまうとき、細かく柔らかい触手が伸び絡まりつき、小さな気泡が弾ぜる数え切れない奇跡の痕跡がくっきり刻まれているのだから、あの女は昏い、あの女は激しい、憤ろしい、しかも静かだ、紡錘形の二つの岬のあわいの磯陰でひたひたと匂いさざめく法螺貝の唇をまさぐりあて、あの女のなかに歩み入っていかねばならぬ






2014年11月11日火曜日

血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉

もうその手の話は、わたくしは厭きた。だがそこの〈きみ〉への応答のために最後の「糖果入りの壺」を贈ろう。

(わたしは)小さな愚行やはなはだ大きい愚行がわたしに加えられても、一切の対抗策、一切の防護策を―――従って当然のことながら一切の弁護、一切の「弁明」を禁ずるのである。わたし流の報復といえば、他者から愚かしい仕打ちを受けたら、できるだけ急いで賢さをこちらから送り届けるということである。こうすれば、たぶん、愚かしさの後塵を拝せずにすむだろう。

比喩を使っていうなら、わたしは、すっぱい話にかかりあうことをご免こうむるために、糖果入りのつぼを送るのである。……わたしに何かよからぬことをしてみるがいい。まちがいなく、わたしはそれにたいしてこういう「報復」をする。つまり、わたしはほどなく、その「犯人」に(ときにはその犯行にたいして)わたしの感謝を表明する機会をみつけるのである―――もしくは、その犯人に何かを頼む機会をみつけるのである。この方が、こちらから何かを進呈するよりいんぎんでありうるのだ。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

以下、すべて引用ですませておく。わたくしはいま忙しいのだ。

 …………
人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)

サド(サン=フォン) : 《もしわしが他人から悪を蒙ったら、わしはそれを他人に返す権利、いや、進んでこちらからも悪を働く幸福さえ享有するだろう》 (『悪徳の栄え』マルキ・ド・サド澁澤龍彥訳)

……隣人を倫理的に飼い慣らしてしまうという誘惑に負けてはならない。たとえばエマニュエル・レヴィナスはその誘惑に負けて、隣人とは倫理的責任への呼びかけが発してくる深遠な点だと考えた。レヴィナスが曖昧にしているのは、隣人は怪物みたいなものだということである。この怪物性ゆえに、ラカンは隣人に〈物das Ding〉という用語をあたはめた。フロイトはこの語を、堪えがたいほど強烈で不可解な、われわれの欲望の究極の対象を指す語として用いた。(……)隣人とは、人間のおだやかな顔のすべてから潜在的に垣間見える(邪悪な)物〉である。(ジジェク『ラカンはこう読め』p81

おわかりだろうか? 偽の正義の味方、おろかな猿たちよ、きみたちにも〈隣人〉がいないわけではあるまい?

フロイトが、まるで恐れをなしたかのように、隣人愛の掟がもたらす帰結の前で立ち止まるたびに、浮かび上がってくるもの、それはこの隣人のうちに宿るあの深い悪意の現前にほかならない。ところが、そうであるとすれば、この悪意は私自身のうちにも宿っている。いったいどんなものが、私の享楽の核心であるところのこの私自身のうちの核心以上に、私に近しいというのか? ただし私は、この核心にあえて近づこうとはしない。というのも、私がそれに近づくやいなや――それこそが『文化のなかの居心地悪さ』の意味である――あの測深しがたい攻撃性が現れてくるからであり、私はそれを前にして後ずさりし、それを私自身に向け直すのである。そうすると、この攻撃性は、消え入ってしまった〈法〉にまさに代わって、 〈物〉の限界にあるひとつの境界線を私が踏み越えることを妨げるものに、重さを与えにやってくるのである。 」 (ラカンSVII, 219)
 何よりも毒性が高いのは〈隣人〉という存在、その欲望とみだらな快楽の深淵である。したがって、人間関係を支配するあらゆる法則の究極の目的は、この毒 性を隔離もしくは中和して〈隣人〉を同胞に転じることだ。(他者という、もうひとつの)主体にあるかもしれない毒性をさがすだけでは不十分だ。自己という 主体自体が、その内部の〈大文字の他者〉という深淵に毒性をたたえているのだから。(ジジェク『ポストモダンの共産主義』p82)

ここにあるように、〈隣人〉とは、悪をなした他人その人ではなく、大文字の〈他人〉である。フロイトを挿入しよう。

ランク(1913年)はちかごろ、神経症的な復讐行為が不当に別の人にむけられたみごとな症例を示した。この無意識の態度については、次の滑稽な挿話を思い出さずにはいられない。それは、村に一人しかいない鍛冶屋が死刑に値する犯罪をひきおこしたために、その村にいた三人の仕立屋のうちの一人が処刑されたという話である。刑罰は、たとえ罪人に加えられるのではなくとも、かならず実行されなければならない、というのだ。(フロイト『自我とエス』著作集6 P288)

おわかりであろうか? きみたちの〈正義〉なるものの根源を。

人間の歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという理由から刑罰が加えられたことはなかったし、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたこともなかった。――むしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りからして刑罰は行なわれたのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』 木場深定訳 P70)

攻撃欲動の標的が外部に見当たらなければ、自己破壊に向かうということはあり得る。ナチに拷問された生存者たちが自殺衝動に襲われるように。

…………

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。
 
Recall the strange fact, regularly evoked by Primo Levi and other Holocaust survivors, about how their intimate reaction to their survival was marked by a deep split: consciously, they were fully aware that their survival was the result of a meaningless accident, that they were not in any way guilty for it, that the only guilty perpetrators were their Nazi torturers. At the same time, they were (more than merely) haunted by an irrational feeling of guilt, as if they had survived at the expense of others and were thus somehow responsible for their deathsas is well known, this unbearable feeling of guilt drove many of them to suicide. This displays the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of selfdestruction.
超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的なを途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。 
The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our beinghuman, the inhuman core of beinghuman, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.
レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。 
For Levinas, the traumatic intrusion of the radically heterogeneous Real Thing which decenters the subject is identical with the ethical Call of the Good, while, for Lacan, on the contrary, it is the primordial evil Thing, something that can never be sublated into a version of the Good, something which forever remains a disturbing cut. Therein lies the revenge of Evil for our domestication of the Neighbor as the source of the ethical call: the repressed Evil returns in the guise of the superego's distortion of the ethical call itself.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)

きみたち仔羊のために穏やかな衣裳をまとったリルケをも引用しておこう。

目に見えるだけではすこしも害にならない人間がいる。僕たちはそういう人間にほとんど気がつかないで、すぐにまた忘れてしまっている。しかし、そういう人間たちがどうにかして目に見えるのではなくて、耳に聞こえると、耳のなかで育ち、いわば孵化し、場合によっては、犬の鼻孔からはいりこむ肺炎菌のように、脳のなかへまで匐い入り、脳髄を食い荒らしながら成長する。

それは隣人である。

僕はひとりぼっちで漂白するようになってから、数えきれないほど多くの隣人を持った。階上の隣人、階下の隣人、右隣りの隣人、左隣りの隣人、あるいは、この種類の隣人を同時に持ったこともある。僕は隣人の物語が書けそうである。大著述になるだろう。、むろんそれは僕が隣人に悩まされた神経衰弱の物語になるだろう。隣人はそのたぐいの生物と同じく、僕たちのある組織内に生じさせる障害によってのみ存在を感じさせるのが特徴である。(リルケ『マルテの手記』)


 さてプリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちの自殺衝動」に戻ろう。きみたちには「死んだ人に申し訳ない」という生存者罪悪感はないのか?そうであるならそれを仔羊の人生という。


一般に外傷関連障害は決して発見しやすいものではない。葛藤を伴うことの少ない天災の場合でさえ、アンケートをとり、訪問〔アウトリサーチ〕しても、なお発見が困難なくらいである。人災の場合になれば、患者は、実にしばしば、誤診をむしろ積極的に受け入れ、長年その無効な治療を淡々と受けていることのほうが普通である。外傷関連患者は治療者をじっと観察して、よほど安心するまで外傷患者であることを秘匿する。

PTSDの発見困難はむろん診療者の側の問題でもある。膵臓疾患の診断の第一は「膵臓が存在することを忘れていないこと」である。それほど膵臓は忘れられやすい臓器だということだが心的外傷でも同じである。多くの外来患者はフラッシュバックなど侵入症状を初めとする外傷関連症状の存否をそもそも聞かれていない。それに怠慢ばかりでなく、心的外傷には、土足で踏み込むことへの治療者側の躊躇も、自己の心的外傷の否認もあって、しばしば外傷関与の可能性を治療者の視野外に置く。

しかし患者側の問題は大きい。それはまず恥と罪の意識である。またそれを内面の秘密として持ちこたえようとする誇りの意識である。さらに内面の秘密を土足で入り込まれたくない防衛感覚である。たとえば、不運に対する対処法として、すでに自然に喪の作業が内面で行われつつあり、その過程自体は意識していなくても、それを外部から乱されたくないという感覚があって、「放っておいてほしい」「そっとしておいてほしい」という表現をとる。

天災においてさえ、恥の意識はありうる。「他の人たちは我慢しているのに」「生きのびただけでも感謝するべきなのに」「私の弱さをさらけだしたくない」など。「死んだ人(家をなくした人)に申し訳ない」という生存者罪悪感もある。たとえば周囲が皆倒壊している中で一軒だけ倒壊しなかった家の人の持つ罪の意識である。性的被害や児童虐待においては、なおさらのことである。(中井久夫「トラウマとその治療経験」)


ヤスパースは《「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。》


おわかりだろうか、レヴィナスの寝言があまりにも寝言すぎるのが。あるいはヤスパースの「形而上の罪」の厚顔無恥な寝言ぶりを。

ヤスパースは戦後まもない講演(『罪責論』)において、戦争責任を、刑事的責任、政治的責任、道徳的責任、形而上的責任の四種類に分けている。

第一に、「刑事上の罪」、これは戦争犯罪――国際法違反を意味する。これはニュールンベルク裁判で裁かれている。

第二に、「政治上の罪」、これは「国民」一般に関係する。《近代国家において誰もが政治的に行動している。少なくとも選挙の際の投票または棄権を通じて、政治的に行動している。政治的に問われる責任というものの本質的な意味から考えて、なんびとも、これを回避することは許されない。政治に携わる人間は後になって風向きが悪くなると、正当な根拠を挙げて自己弁護するのが常である。しかし、政治的行動においてはそういった弁護は通用しない》(橋本文夫訳)

つまり、ファシズムを支持した者だけでなく、それを否定した者にも政治的責任がある。《あるいはまた「災禍を見抜きもし、予言もし、警告もした」などというが、そこから行動が生まれたのでなければ、しかも行動が功を奏したのでなければ、そんなことは政治的に通用しない》。

第三に、「道徳上の罪」、これはむしろ、法律的には無罪であるが、道徳的には責任があるというような場合である。たとえば、自分は人を助けられるのに、助けなかった、反対すべき時に反対しなかったというときがそうである。もちろん、そうすれば自分が殺されるのだから、罪があるとはいえない。しかし、道徳的には責任がある。なぜなら、なすべきこと(当為)を果たさなかったからである。

最後に、「形而上の罪」として、アドルノがいったようなことを述べている。たとえば、ユダヤ人で強制収容所から生還した人たちは、ある罪悪感を抱いた。彼らは自分が助かったことで、死んだユダヤ人に対して罪の感情を抱く、まるで自分が彼らを殺したかのように。それは、ほとんどいわれのないことだから、形而上的だというのである。

この講演はほとんど知られていないが、戦後ドイツの戦争責任への処し方を規定したものである。こうした区別は、それらがつねに混同されている現状から見て不可欠である。しかし、ここに幾つかの問題がある。ヤスパースは、まるでナチズムがたんに精神的な過誤であり、それを哲学的に深く反省すれば片づくかのように考えている。そこには、ナチズムをもたらした社会的・経済的・政治的諸原因への問いが欠落している。ヤスパースは、カントのいう道徳性を「道徳的な罪」のレベルにおき、「形而上の罪」をより高邁なものであるかのように見なした。しかし、カントのいう道徳性は根本的にメタフィジカルである。同時に、それは「責任」を離れて、「自然」(因果性)を徹底的に探求すべきであることと矛盾しないのだ。(『トランスクリティーク』P190の註より)

おわかりだろうか、ヤスパースのなんたる寝言カント解釈を。きみたち猿の〈正義〉は、このヤスパースをさらに四周ほど寝言にしたものだ。「寝言は寝てから言え」!

《耐え難いのは重大な不正などではなく凡庸さが恒久的につづくことであり、しかもその凡庸は、それを感じている彼自身と別のものではない。》(ドゥルーズ『シネマ Ⅱ』)

カントはその『純粋理性批判』において、否定判断と無限判断という重要な区別を導入した。

「魂は必滅である」という肯定文は二通りに否定できる、述語を否定する(「魂は必滅でない」)こともできるし、否定的述語を肯定する(「魂は不滅である」)こともできる。

この両者の違いは、スティーヴン・キングの読者なら誰でも知っている、「彼は死んでいない」と「彼は不死だ」の違いとまったく同じものだ。無限判断は、「死んでいる」と「死んでいない」(生きている)との境界線を突き崩す第三の領域を開く。「不死」は死んでいるのでも生きているのでもない。まさに怪物的な「生ける死者」である。

同じことが「人でなし」にもあてはまる。「彼は人間ではない」と「彼は人でなしだ」とは同じではない。「彼は人間ではない」はたんに彼が人間性の外にいる、つまり動物か神様であることを意味するが、「彼は人でなしだ」はそれとはまったく異なる何か、つまり人間でも、人間でないものでもなく、われわれが人間性と見なしているものを否定しているが同時に人間であることに付随している、あの恐ろしい過剰によって刻印されているという事実を意味している。おそらく、これこそがカントによる哲学革命によって変わったものである、という大胆な仮説を提出してもいいだろう。

カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

一歩後退二歩前進 高橋悠治

音楽についてなんたら書くのはもうやめたよ
せいぜいYOUTUBEを貼り付けるぐらいだね
オレにできるのは。

次ぎのような文章を書くべきなのさ本来ひとは。
1978年初版発行なんだから
悠治40歳のときのものさ

ところできみたち、
いまこういった文章に当ったことがあるかい?
長い文章じゃなくていいさ
ツイッターだっていいよ
あるかい?

エラそうにツイッターがどうのこうのと言っている
ションベンくさい売れっ子の研究者やら評論家がいるが
アイツらとんでもないひよわなエリートじゃないかい?






『ロベルト・シューマン』 高橋悠治


一歩後退二歩前進

シューマンについて考えてみよう。なぜ十九世紀のロマン主義の音楽家にいまかかわりあわなければいけないのか?

学問的な研究をする興味はない。他人の生きた時代、他人の生き方、他人の思想を正確に理解し、記述し、批判したって何になるのだ? 作品のかくされた意味を読みとって、それをどうするのだ? シューマンの音楽とのであいを演出しオレもオマエもおなじなやみなんだ、とくれば小林秀雄のようにひよわなエリートをだますことはできるだろうが、文化の役割を無条件に肯定するのは宮廷道化役のすることだ。芸術家の孤立無援の思想をエラそうに言いたてるがよい。そのことばがもっともらしくひびくのは、本人も気づかぬうちにカネで買われてしまっている思想だからだ。過去にかかわるのはどんな時か?

 
    コブ

  コブ
  あれはきみか?
  タマリンドの木につるされ
  血にまみれ-
  ヤツらがきみの両手を切りおとしたのはなぜだ?
  きみはどうしてもたたかうのだと言った
  コブ、いまきみを信じるよ
  おぼえているかい
  朝、村へいくぬかるみ道をあるいたことを?
  日が照りつけ、道は遠く
  きみにおくれまいとしても、つかれた脚はすべるだけ
  きみは歩調をゆるめて待ってくれた
  いっしょに歩く時をすごすため
  きみのしてくれたおかしな話
  女の子が雨の日学校へいこうと
  一歩前進すれば、道がすべって二歩もどる
  そこで女の子はうしろを向いてあとずさりして歩いていった
  そしたらたちまち学校についた
  ぼくらは笑った、するとホラ
  村がもう見えた
  脚も元気をとりもどした
  どうしてもたたかうのだと言ったね、コブ
  いまきみを信じるよ
  今日、コブ
  きみを見て
  木からぶらさがり
  手を切りおとされた姿を見て 
  ぼくは思った、ぼくはもう二度と歩けまいと
  それからきみの笑いを思いだし
  どうしてもたたかうのだといったことばを思いだし
  ぼくは元気をとりもどす
  コブ、いまきみを信じるよ

一九七六年十月六日、バンコクのタマサート大学で四人の学生が右翼になぐり殺され、死体は木につるされてさいなまれ、焼かれた。そのなかの一人のために、友人が書いた詩がこれだ。ことばの技術をきわめた日本の現代詩人たち、ことばが銃弾のようにまっすぐ人を打つ技術を教えてくれ。

現在の状況がきびしく、まともに前進できない時、過去を問題にしながら後退すると見せて前進することもできる。障害物をとびこえるためにうしろへさがる、あのやり方だ。やがて助走、目もくらむ一瞬の跳躍がくる。われわれのいるのは、だがここではない。一九七六年十月のタイのクーデターの前の状況ほどわるくはないが、別な意味で、一層悪質な状況、脚元がすべりだしたのを感じながらも、まだこのまま前進できると信じている時、そのくせぬかるみしか見えず、真の敵の姿はどこにもなく、一歩踏みだす度に後退していく、こんな時だ。見えている風景がニセであり、抵抗もニセであるような、奇妙な安定のなかで生きている、こんな場所だ。

現代の危機、文化の危機については、たくさんのことが言われた。言うほどに、ことばはそらぞらしく、行動はちぢかまっていく。危機を言うことばの効力だけは信じられると言うのか? 価値がゆらぐのを危機と言うなら、ことばが何で例外になろう? ことばに表現するだけで批判や抵抗が成立するとおもえるとすれば、日本ではことばが実践の裏打ちをもたない無意味な身振りにすぎないからゆるされているのをわすれている。ことばの価値がまずすりへってしまった。

大江健三郎は書く、「死をおしつけてくる巨大なものへの最後の抵抗として、なにもかもを笑いのめし、価値を転倒させる道化」。何と悲愴ぶった笑い、センチメンタルな道化だろう。しばいがかった最後の抵抗の前に、巨大なものをその名ではっきり名指し、最初の抵抗を見せてくれ。キム・ジハの笑い、殺されたタイの大学生の笑いにくらべれば、ピンチランナーの笑いは笑いを信じない笑いだ。力なく、そのくせ重苦しい笑いが空中に飛びかっている、ah、ha、ha。

ことばの価値がすりへると同時に、沈黙も意味をうしなった。言うべき時にはだまって身をかわし、しゃべらなくてよい時にはとめどなくしゃべる。

状況に足をとられて前進できない時、前進を言いつつ後退しているのがわかった時、沈黙が必要だ。いままでの方法、領域はすてて、すばやく撤退しなければならない。それでなければ自分のあやまちをくりかえし、それを防衛しながら状況におぼれていくのだ。

ふりむくことは回想にひたることではない。つかれを吹きとばす笑いのやさしさと、たたかいの意志をおもいだし、過去に歩みよるそれ以上の力で未来へ押しもどされるようなふりむき方をするのだ。