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2014年9月28日日曜日

「左翼っぽいこと書いてるくせに、真摯な「左翼」を罵倒」だって?

偽の現場主義が支える物語的な真実の限界」にコメント貰ってるがね
飛んで火にいる夏の虫だから、無視せずに応答しとくよ

左翼っぽいこと書いてるくせに、真摯な「左翼」を罵倒だって?

ーーああすまなかったね
でもそんなの、ほかにもいくらでもあるぜ
たとえばこれもそうだな→ 「経済なき道徳は寝言

このところ顕揚している野間易通だって、
「消費税反対」の主張ってのは彼の「現場主義の限界」だね
結局、弱者の首をしめる見解じゃないか、あれは

オレはフリードマンの「負の消費税」か、
BIかしかないんじゃないかという考えだな

前から言ってるけど、人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない今、ベーシック・インカムのようなドラスティックな方法を取る必要があると改めて痛感するね(田中康夫「憂国呆談」)

参照:「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)

それか、早く消費税20~25パーセントに上げて
しかも社会保障費三割カットしないとどうしようもないんじゃないか

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)より)

社会保障費カットなんて選挙でかわるわけがないんだから
老人が大半を占める選挙でさ
若い者たちが「搾取」されるのが続くだけさ

(インフレ政策で年金スライド制やめて実質三割カットなんだろうか
深謀遠慮の「誠実な」高級財務官僚が考えている「効果的な」施策のひとつは)

経済学的に考えたときに、一般的な家計において
最大の保有資産は公的年金の受給権です。

今約束されている年金が受け取れるのであれば、
それが最大の資産になるはずです。
ところが、そこが保証されていません。》(池尾和人


(ネオナチの猖獗なんてのも根にはこれがあるんじゃないかと憶測するぐらいでね
まあそんなことはこっそりしかいえないのだが)

アタリ氏は「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」と言う。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」とも述べている。(……)

現にアタリ氏自身も「(公的債務に対して)採用される戦略は常にインフレである」と述べている。お金をたくさん刷って、あるいは日銀が吸収している資金を市場に供給して貨幣価値を下げ、借金をチャラにしてしまいしょう、というわけだ。(資料:「財政破綻」、 「ハイパーインフレ」関連

「戦争」の選択肢とりつつあるの、このせいじゃないか、実のところは。
戦争だけはやめとけよ、デフォルトのほうがましだぜ


まあこれは高みの見物ってところで、
日本に住んでたら消費税増反対してるさ、もちろん!

消費税大幅増と社会保障費三割カットしないと
どうあがいてもデフォルトの道しかないってのは
有能な「経済学者」であればーーもちろん例外の見解はあるけれどーー
分かっていて、だがなかなか言い出せないだけさ

彼らも経済学者である前に高齢者もしくは高齢者予備軍だからな
ひっそりと「逃げ切る」つもりだったのさ
アベノミクス反対なんてのもさ、資産・貯蓄の目減り政策だからな

むしろデフレ期待が支配的だからこそ、GDPの2倍もの政府債務を抱えていてもいまは「平穏無事」なのです。冗談でも、リフレ派のような主張はしない方が安全です。われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれないのだから...(これは、本気か冗談か!?)(ある財政破綻のシナリオ--池尾和人2009.10ーーアベノミクスの博打

…………

「公共的合意」じゃあラチがあかないんだよ

…ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、今ここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人たちが考慮に入っていないのだ。

たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者たちが、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。(柄谷行人『トランスクリティーク』P191-192)

《人々が自由なのは、たんに政治的選挙において「代表するもの」を選ぶことだけである。そして、実際は、普通選挙とは、国家機構(軍・官僚)がすでに決定していることに「公共的合意」を与えるための手の込んだ儀式でしかない。》(柄谷行人『トランスクリティーク』p230-231)

まあたまには選挙で「奇跡」が起こることもあるけれど、
社会保障政策変更の奇跡は起こりえないな。

《中長期の課題は、短期の課題が片付くまで棚上げにしておきましょうという話は成り立たない。》(池尾和人「経済再生の鍵は不確実性の解消」2011 fis.nri.co.jp/ja-JP/knowledge/thoughtleader/2011/201111.html )

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)