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2014年5月3日土曜日

五月三日 「経済なき道徳は寝言」

偽の現場主義が支える物語的な真実の限界」という記事にコメントを頂いているが、寝言を言われても困る。いやわたくしには「寝言」にしか聞こえないとしておこう。

…………

2011125日、大前研一の「債務危機で日本政府が切れる唯一の「カード」」という記事に次のような文がある。

アタリ氏は「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」と言う。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」とも述べている。(……)

現にアタリ氏自身も「(公的債務に対して)採用される戦略は常にインフレである」と述べている。お金をたくさん刷って、あるいは日銀が吸収している資金を市場に供給して貨幣価値を下げ、借金をチャラにしてしまいしょう、というわけだ。

の記事が書かれてから三年ほど経っているが、実際に今の日本がやっている政策はインフレ政策である。アベノミクスはギャンブル、博打と言われるが、「立て直し」、すなわち執着気質的「勤勉の倫理」の人びとが大半を占めてきた、たとえば日銀の指導層においても、「世直し」倫理(ラディカルな革命的倫理)で応じなければ策のない状況なのだろう。もちろんインフレ政策だけでは埒が明かないので、増税、歳出削減、経済成長という8つの選択肢のなかの3つも含めて4つの政策が取られている。そして今では、もうひとつの選択肢「戦争」の臭いだって振り撒くおぼっちゃん指導者、――《性格は弱いのにタカ派を気取り、大言壮語して日本を深みに引きずり込むような》(中井久夫)――こんな人物さえわれわれは首長として抱え込んでいる。


上に挙げた「立て直し」/「世直し」とは、精神科医の中井久夫の『分裂病と人類』の区分であるが、立て直し、すなわち執着気質的「勤勉の倫理」の人びとは、

「大変化(カタストロフ)」を恐怖し、カタストロフが現実に発生したときは、それが社会的変化であってもほとんど天災のごとくに受け取り、再び同一の倫理にしたがった問題解決の努力を開始するものである。反復強迫のように、という人もいるだろう。この倫理に対応する世界観は、世俗的・現世的なものがその地平であり、世界はさまざまの実際例の集合である。この世界観は「縁辺的(マージナル)なものに対する感覚」がひどく乏しい。ここに盲点がある。マージナルなものへのセンスの持ち主だけが大変化を予知し、対処しうる。ついでにいえば、この感覚なしに芸術の生産も享受もありにくいと私は思う。(中井久夫『分裂病と人類』)

とある。おそらく<あなた>はデフォルトというカタストロフが現実に発生しても天災のごとく受け取るタイプではないかい?

どうも日本の勤勉な「正義」の志士たちは、財政危機という釈迦の掌のうえで、やれ貧困者救済、生活保護の充実、社会保障費の見直し、消費税増反対など「正義感」の表出や活動をしているのだが、なによりも大切なのは債務危機には《8つしか手段のないことを認識することが大切》(大前研一)なのではないか。どうもその認識がなくて闇雲にその場かぎりの反対運動をしているだけに思えてしまうことがある。

彼らに、大言壮語のおぼっちゃん指導者のかわりに、どんな指導者を求めるのか、と問うてみたら、おそらくその大半はインフレ反対、消費税増反対を言い募る指導者を求めるのではないか。だがそれは8つの選択肢のなかの「デフォルト」を選ぶ態度ではないか、と疑ってみたほうがいい。

既に中井久夫は1988年の段階で「引き返せない道」と題し、日本の凋落を語り、《ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある》と書いている。現在の「見栄えのしない課題」に応じる姿勢とは、ほどよいインフレ政策であり、漸増的な消費税増政策であり、あわよくば経済成長への期待でしかないようにわたくしには思える。

・消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある。

・日本のリベラルは増税と財政規模拡大に反対する。世界にない現象で不思議だ。高齢化という条件を選び取った財政拡大を。〔岩井克人――「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」

正義の志士たちが、リベラルなのか「左翼」というのかはよく分からないが、まったくのところ、彼らは世界に稀に見る不思議な手合いである。

《道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。》(二宮尊徳)――切羽つまりつつある時期に寝言はやめたほうがいい。


これは今気づいたが、『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』におけるジジェクの「悪党」/「道化」と似たようなことを語っている。きみたちはまさか「宮廷道化師」ではないだろうな?

『精神分析の倫理』のセミナールにおいてラカンは、「悪党」と「道化」という二つの知的姿勢を対比させている。右翼知識人は悪党で、既存の秩序はただそれが存在しているがゆえに優れていると考える体制順応者であり、破滅にいたるに決まっている「ユートピア」計画を報ずる左翼を馬鹿にする。いっぽう左翼知識人は道化であり、既存秩序の虚偽を人前で暴くが、自分のことばのパフォーマティヴな有効性は宙ぶらりんにしておく 宮廷道化師である。社会主義の崩壊直後の数年間、悪党とは、あらゆる型式の社会連帯を反生産的感傷として乱暴に退ける新保守主義の市場経済論者であり、道化とは、既存の秩序を「転覆する」はずの戯れの手続きによって、実際には秩序を補完していた脱構築派の文化批評家だった。

いずれにせよ、きみがコメントをくれた記事に引用があるが、《中長期の課題は、短期の課題が片付くまで棚上げにしておきましょうという話は成り立たない。》(池尾和人「経済再生の鍵は不確実性の解消」2011 fis.nri.co.jp/ja-JP/knowledge/thoughtleader/2011/201111.html なのだよ。

「短期の課題」のみのプロフェッショナルであるのは、やめなければならない。


…………

※追記:

ははあ、検索してみたら、きみのコメントはこの河添誠という方のほぼパクリなのだな。これこそわたくしには「まったく理解不能」な言葉で成り立っている不思議な「寝言」だ。

2014年03月27日(木)
河添 誠@kawazoemakoto

・「消費税増税で低所得層に打撃になるのは問題だと思うけれど、今の日本の財政では云々」という人へ。前段の「低所得層への打撃」だけで、消費税増税に反対するのに十分な根拠になるはず。なぜ、財政を理由に低所得層の生活に打撃になるような増税が正当化されるのか?この問いにだれも答えない。

・「消費税増税にはさまざまな問題がありますが、財政の厳しい状況では仕方ないですね」と、「物わかりよく」言ってみせる人たち。低所得層の生活が破壊され、貧困が拡大する最大の政策が遂行されるときにすら反対しないのかね?まったく理解不能。

この種の「寝言」にたいしては、上にもリンクしたが、《「見えざる手(Invisible Hand)」と「消費税」(岩井克人)》に、わたくしが依拠する、おそらくきみたちに言わせれば「悪党」の見解、あるいは「偏った」見解をまとめている。

河添誠氏のプロフに書かれている文を[記念]のために貼付しておこう。

NPO非営利・協同総合研究所いのちとくらし研究員・事務局長/首都圏青年ユニオン青年非正規労働センター事務局長/都留文科大学非常勤講師。非正規労働者・低い労働条件の正社員と失業者の生活支援・権利拡充のために活動中。反貧困たすけあいネットワーク、反貧困ネットワーク、レイバーネット日本の活動なども。