カントの『実践理性批判』に、この上なく厳密なその表現がみいだしうる(……)。カント自身、その方法の斬新さは、いまや法が<善>に依存するのではなく、逆に<善>が法に依存するのだという点にあるのだと口にしている。それが意味するところは、もはや法には、その権利の源流となる上位の原理を基礎にしてみずからを築く必要性もなければ、またその可能性もないということである。法は、それ自身として有効でなければならないし、みずからを基礎として築かねばならず、したがってそれ自身の形態をおいてはいかなる手段も持たないのだということを意味している。以来はじめて人は《法》を、それ以外の特性によってでもなく、また対象を指示することもなく語ることが可能となり、またそうせざるをえなくなったのである。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「法、ユーモア、そしてイロニー」の章 蓮實重彦訳 p105)
事実、法がそれに先立ってある高次の<善>に根拠をおくことがもはやなく、その内容をまったく非限定的なものとして放置するそれ固有の形態によって有効であるとするなら、最善をめざして正義が法に服するということは不可能になる。というよりむしろ、法に服するものは、然るが故に正義にかなっているわけではないし、またそう自覚することもないということだ。事態は逆であって、自分は罪を犯しているという自覚があり、彼は前もって有罪者なのである。しかも厳格に法に服すれば服するほど、ますます罪深いものとなるのである。純粋な法として法が顕在し、われわれを有罪なりと断ずることになるのは、同様の操作によるものだ。古典的イメージをつくりあげていた二つの命題は同時に崩壊する。それは原理をめぐる命題と影響のそれ、<善>による根拠の設定の命題と、正義による批准のそれとである。以下の如き道徳意識のおどろくべき逆説を解き明かしたのは、フロイトの功績だ。法の支配下に身をおくこおで、それだけ強く正義の自覚を持ちうるものであるどころか、法というものはかえって「苛酷きわまる振舞いをしめし、主体が潔白であればあるほど巨大化する不信を表明する……。最善にしてこの上なく従順な存在の道徳意識のこの並はずれた厳密性は……」
だがそうした点にとどまらず、以上の逆説に分析的な説明を加えたのもフロイトの功績である。すなわち、道徳意識から導きだされるのが衝動の放棄なのではなく、放棄することから生れるのが道徳意識だというのがその説明である。したがって、放棄が強力で厳密なものであればあるほど、諸々の衝動の後継者としての道徳意識の威力は強まり、厳密に行使されることになる。(「放棄することで意識がこうむる作用は驚くべきものであり、だからわれわれがその充足を差しひかえる攻撃的要素は超自我によって引きつがれ、自我に対する自己攻撃性が強調されることになるのだ」)。法の根底的に非限定的な性格に関するいま一つの逆説が、そのとき解消される。ラカンがいっているように、法とは抑圧された欲望と同じものである。法は、矛盾に陥ることなくその対象を定義することはできないし、その基礎としての抑圧を排除しないかぎり、内容によって定義されることもありえない。法の対象と欲望の対象とはまさに同一のものをかたちづくり、同時に姿を隠すものなのだ。対象の自己同一性が母親に帰着し、法と欲望の対象そのものが父親に帰着するとフロイトが示すとき、彼はたんに法の限定された内容を回復すべく目論んでいるのではなく、ほとんどそれと反対に、法が、そのエディプス的淵源の力によって、必然的にその内容を奪うことしかできず、その結果として、対象と主体(母と父)との二重の放棄から生ずる純粋形態として有効たらんとするということを示すことにあるのだ。同p107-108
……すなわち、良心はその持主が行いの正しい人であればあるほどますます厳格かつ疑い深い態度をとり、その結果、ついには聖なるものの領域に一番深く足を踏み入れた人々こそが一番酷く罪の意識に悩むことになるのだ。こうなると、正しい行いをしても、それにたいする報いの一部は帳消しになってしまうわけで、超自我の命ずるままに自分を抑えてきた自我は、超自我の信頼を博するどころか、信用を得ようといくら努力しても無駄に終わるかに見えるのである。こういうと、そんな苦情はわざとでっち上げたものだという反論が出ることだろう。すなわち、良心が平均より厳格で敏感であることこそ行いの正しい人間の特色で、聖者たちが自分は罪人だという場合それは、欲動を満足させたいという誘惑のことを考えると、あながち嘘ではないというのである。なぜなら、周知のように誘惑は、折に触れて満足させてやれば少なくとも当座は力が弱まるのにたいし、いつも撥ねつけてばかりいるとその力を増すだけだから、聖者たちはとくに強い誘惑に曝されているわけなのだ。
さまざまの問題をはらむ倫理の領域のもう一つの側面は、不運――つまり外部の力によって欲動満足が拒否されることーーは超自我の中にある良心の力を非常に強めるという事実である。幸運にめぐまれているかぎり、われわれの良心も寛大で、自我に何が起っても大目に見ている。ところが不幸に見舞われると、われわれは自分の殻に閉じこもり、自分の罪深さを承認し、良心の要求を高め、自制を誓い、贖罪によってわれとわが身に懲罰を加えようとする。人類は民族全体としてもこれと同じ態度を取ってきたし、いまなおこれと同じ態度を取りつづけている。けれどもこの現象は、良心のそもそも幼時段階を考えるとすぐ理解できる。つまり、この幼時段階の良心は、超自我へ取りこまれたあとも、無くなってしまうのではなく、超自我と並んで、また超自我の背後で存在しつづけているのだ。この場合、運命はかつての両親と同じく、法廷としての意味を持っており、不運に見舞われたら、それはこの最高権力者である運命がもはや自分を愛してくれないことを意味し、この愛の喪失を恐れてわれわれは、幸運に恵まれている時には振り向こうともしなかった超自我のうちなるこの両親の代用品の前に、あらためて膝を屈するのである。このことがとくに顕著なのは、純宗教的な意味で、運命を神の意志の表現としか見ない場合だ。イスラエルの人々は、自分たちは神の寵児だと考えていた。ところが、この偉大なる父が自分の寵児の上へつぎからつぎへと不幸を注ぎかけた時、イスラエルの人々は、神と自分たちのこの特殊な関係に疑いを差しはさむとか、神の力と正義を疑いの目で見るとかいうことはせずに、預言者たちを生んで、これに自分の罪深さを責めさせ、この罪の意識をもとにして、司祭宗教の厳格きわまる戒律を作り出したのだった。未開人たちがこれとはまったく違った反応をしめすことは注目していい事実だ。すなわち、未開人たちは不運に出あうと、それを自分たちの罪にはせず、明らかに責任を怠った呪物のせいにして、自分に懲罰を加えるかわりに、この呪物(フェティッシュ)を打ち据えるのである。
以上によって明らかなとおり、罪責感の源泉には、優位に立つ他者にたいする不安と、のちになって生れた超自我にたいする不安という二つがある。最初のものはわれわれを強制して欲動満足を断念させるし、第二のものは、それ以外に、懲罰をも迫ってくる。なぜなら、超自我にとっては、禁止された欲望が存続していることは見通しなのだから。われわれはまた、超自我の峻厳さーーつまり良心の要求――をどのように理解すべきかも知っている。それは、優位に立つ他者が持っていた峻厳さの継続以外の何ものでもなく、優位に立つ他者の峻厳さのかわりに登場したものであるほか、一部はそれを代用してもいる。これで欲動満足の断念と罪の意識がどういう関係にあるかが明らかになった。欲動満足の断念は、もともと優位に立つ他者にたいする不安から生れたものだった。つまり、その他者の愛を失わないために欲動満足を断念するのである。したがって、この断念が行われてしまったあとは、その他者との関係はいわばすっかり清算され、罪責感などは残らないはずだ。ところが、超自我にたいする不安の場合には事情が異なる。欲望そのものは残っており、しかもそれを超自我に隠しておくことができぬ以上、欲動満足の断念だけでは不充分である。したがって、きっぱり欲動満足は断念した場合にもある種の罪責感が発生することが予想されるわけで、これは、超自我の設定ないしは良心の形成が心理エネルギーの管理配分以上に持つ大きなマイナスである。この場合、欲動満足を断念したところで、もはや百パーセント開放的な効果は期待できないし、自分の行いを慎んでみても、もはや相手は、いっそう多くの愛を注いでくれるわけではない。優位に立つ他者の愛を失ったり、優位に立つ他者から懲罰を加えられたりという、外部から襲ってくる不幸は無くなったかわりに、罪の意識の緊張という、一瞬も休むことのない内面的な不幸が登場したのだ。
この間の事情は非常に複雑であるうえに、非常に重要なでもあるから、私は、重複の危険をおかしても、この問題を別の側面からもう一度取り上げてみようと思う。すなわち、時間的経過を追って叙述すれば次のようになるだろう。まず、優位に立つ他者に攻撃されるという不安から欲動満足の断念――この他者の愛を失なうことにたいする不安ももちろんこれと同じである。なぜなら愛は、懲罰という形で行なわれるこの攻撃にたいする保護に他ならないのだからーーついで、優位に立つ他者の内面設置、それにたいする不安が原因となっての欲動満足の断念、良心の不安、という順序になる。第二の場合には、悪い行為と悪い意図が同列の扱いを受けるところから、罪の意識、自己懲罰の要求が生まれる。良心の攻撃的性格は、優位に立つ他者の攻撃的性格を受けついだものである。ここまでは明らかになったが、さて、不運――外部からの強制による欲動満足――が良心を強化する効果を持ったり、道徳的に一番すぐれ道徳の命令に一番よく服従している人々の良心が並はずれて峻厳であったりするのはどういう理由にもとづくのであろうか。良心のこの二つの特色についてはすでに説明したが、おそらく読者は、あの説明は徹底的なものではなく、まだ説明の足りない部分が残っているという印象を持ちつづけておられることだろう。そしてこの段階になってようやく、まったく精神分析的で、われわれの通常の思考にとっては思いも寄らぬような考え方が登場する。この考え方に立ってはじめてわれわれは、われわれがいま論じている問題がなぜこんなに混乱した正体不明のものとしか思えなかったかの理由を理解する。すなわちこの考え方によれば、なるほど最初は良心(もっと正確にいえば、あとで良心になった不安)が欲動断念の原因であったが、のちにはこの関係が逆になったのである。そして、欲動断念が行なわれるたびに、それは良心の尽きぬ源泉となり、新たな断念があるたびに、良心の峻厳さと不寛容とはますます増大する。そして、われわれがすでに知っている良心の発生史と矛盾さえしなければ、われわれは、「良心は欲動断念の所産である」とか「(われわれに外部から強制された)欲動断念は良心を生み、今度はこの良心がいっそうの欲動断念を要求するのだ」といったパラドクシカルな主張をしたいという気持に駆られるほどである。
……幼児の最初のーーしかしきわめて重要でもあるーー欲動満足を阻止した優位に立つ他者にたいし、幼児の心には、その場合要求された欲動断念の種類の如何にはかかわりなく、かなりの量の攻撃欲動が生れたにちがいない。しかし幼児は、やむなくこの復讐的な攻撃欲動の満足を断念した。そして心理エネルギーの管理配分上のこの苦境を、周知の心理的メカニズムを使って乗り越える。すなわち幼児は攻撃をしかけるわけにはゆかないこの優位に立つ他者を、同一視によって自分のなかに取り入れる。するとこの他者は、幼児の超自我になる、できれば幼児がその他者にたいして用いたであろうあらゆる攻撃欲動を備えるにいたる。そして幼児の自我は、そのように貶められた他者――父親――という悲しい役割で満足するほかはない。これはよくある場面の逆転の例で、「ぼくがお父さんでお父さんがぼくだったとしたら、うんと酷い目に会わしてやるからな」というわけだ。つまり、超自我と自我の関係は、まだ分化していない自我と外界の対象のあいだの現実の関係が、願望によって歪められた形で再現したものである。こういう形での再現は典型的なものであるが、いまの場合の本質的特色は、超自我の峻厳さは本来、われわれが超自我から受けた、ないしは受けるだろうと覚悟しているようなものではーーかならずしもーーなくて、超自我にたいする自我自身の攻撃欲動の代理だという点である。もしこれが正しいとするなら、良心は最初ある攻撃欲動が押えつけられたことから発生したもので、その後の発展においてそういう事例が度重なることにより漸次強化されるのだと主張してもあながち嘘ではなくなってくる。
ところで、これら二つの考え方のうちどちらが正しいのだろうか。発生史的に考えて非常に完璧だと思えた第一の考え方だろうか、それとも、理論的にまことに都合よくまとまっている第二の考え方だろうか。直接観察の結果によっても、二つの考え方が両方とも正しいことは明らかである。両者はたがいに矛盾などしておらず、それどころか、ある箇所では一致さえしているのだ。なぜなら、幼児の復讐的攻撃欲動は、幼児が父親から予期している懲罰的攻撃欲動の量にも左右されるのだろうから。ところが実際には、幼児の中に形成される超自我の峻厳さは、その幼児自身が経験した取扱いの峻厳さの反映ではけっしてないのである。両者のあいだに直接の関係はないらしく、非常に甘やかされて育った幼児が峻厳な良心の持主になることもある。けれでも、両者のあいだが無関係であることを誇張するのも、これまた間違いだろう。厳格な教育が幼児の超自我の形成に大きな影響をおよぼすことは、充分理解できることである。それはつまり、超自我の形成と良心の発生にあたっては、生まれつきの素質というファクターと現実の環境という外部からの影響が共同して働いていることに帰着するのであって、このことはけっして意外ではなく、この種の現象に一般的な素因である。
註:フランツ・アレグザンダーは『全人格の精神分析』の中で、病気の原因を作るような教育方法の二つの主要タイプ、すなわち過度の厳格さと甘やかしとを(……)正しく評価している。
「あまりにも優しくて寛大な」父親に育てられると、幼児の心には過度の峻厳な超自我が形成されるのだろう。なぜなら、あまりにも豊富な愛を注がれたその子供は、自分の攻撃欲動を内面に向けるほかないからである。愛されることなく、放任されて育った子供の場合には、自我と超自我のあいだに緊張関係が成立せず、持っているだけの攻撃欲動をぜんぶ外に向けることができる。
したがって、当然予想される生まれつきの素質をひとまず除外して考えるなら、峻厳な良心は、攻撃欲動を誘発する欲動断念と、この攻撃欲動を自分自身へ向けて超自我に転移する愛の経験というこの二つの生の力の共同作業からうまれると言ってよい。P484
……われわれは超自我、良心、罪責感、自己懲罰の欲求、後悔など若干の用語をあまりにもルーズに、また混同して使ったことが多かったようだから、これらの単語の意味を説明しておくことも、非常に重要というわけではないにしても、かならずしも無駄ではあるまい。これらの用語はすべて同一の事態に関係しているが、ただそれぞれの同じ事態の違った側面を表現しているのである。超自我はわれわれ自身の手で開設された法廷であるが、良心は、われわれがこの超自我の機能と認めているものの一つであり、自我の行動と意図を看視し判断するという、一種の検閲のような役割を果たす。したがって、超自我の峻厳さのあらわれである罪責感は、良心の厳しさと同じもので、こういう工合に看視されているのだぞという、自我に与えられた知覚であり、自我の志向するところと超自我の要求のあいだの緊張の評価であり、これらすべての関係の根本に潜んでいるこの批判的な法廷にたいする不安、すなわち自己懲罰の欲求は、サディスティックな超自我の影響でマゾヒスティックになったーーというのはつまり、自分の中に存在している内面的破壊への欲動の一部を超自我への性愛的結合のためにしようとするーー自我の欲動のあらわれである。良心を云々するには、まず超自我の存在が説明されている必要があろう。罪の意識については、それが超自我より以前から、したがってまた良心より早くから存在していることを認めざるをえない。そうだとすると、罪の意識とは、自分より優位に立つ外部の他者にたいする不安の直接の表現であり、自我とこの他者のあいだに緊張が存在することを承認することであり、この他者の愛を得ようとする欲求と欲動満足への心拍――この心拍が制止されると攻撃欲動が生まれるーーのあいだの葛藤の直接の所産である。罪責感にはこの二つの層――すなわち、優位に立つ外部の他者にたいする不安と自分の心の内に立つ者にたいする不安という二つの層――が重なり合っているため、良心のもろもろの関係がどうなっているかを見抜くことはむつかしいことが多かった。後悔とは、罪責感が存在する場合の自我の反応の総称で、そこには、その背後に働く不安の中に含まれる感覚材料がほとんどそのまま残っており、それ自身が懲罰であり、また、自己懲罰の欲求を含むことがありうる。したがって、後悔も良心より起源が古いかもしれない。
これまでの叙述において一時われわれを混乱させたいくつかの矛盾をもう一度思い返してみるのも、別段マイナスになるまい。罪責感は、ある場合には攻撃欲動の発動が中止された時に生まれるものである反面、他の場合、ことにその歴史的発端となった父親殺しの場合には、攻撃欲動が満足させられた結果であるはずだ。われわれはこの矛盾を解決する方法も発見した。すなわち、自分の心の内なる優位に立つ者である超自我の設定は、事態を根本的に変えてしまったのである。それまでは、罪責感は後悔と同じものとされていた。そのさい注意すべきことは、後悔という言葉は、攻撃欲動が実際に満足させられたあとの心理反応をあらわすためにしか使ってはならないことである。それが後になると、超自我にとっては万事が見通しであるところから、攻撃欲動の発動が意図されただけか、それとも本当に実行に移されたのか区別は意味を失ってしまった。そこで、実際に行われた暴力行為が罪責感を生むーーこれは誰でも知っていることだーーと同時に、ただたんに意図されただけの暴力行為も罪責感を生むことになったーーこのことを発見したのは精神分析の功績である。つまり、心理的状況の変化にはかかわりなく、あの二大根本欲動のあいだのアンビヴァレンツ的葛藤は同一の結果を生むのである。この場合われわれが、罪責感の意識にたいする関係がいろいろ変化をするという事実によってこの謎を解きたいという誘惑に駆られるのももっともである。すなわち、実際に悪いことをしたことについての後悔から生まれる罪責感はかならず意識されるのにたいし、悪いことをしようという衝動が自分の中にあることの知覚から生まれる罪責感は無意識のままのこともあるというのである。けれども。事態はそれほど簡単ではない。強迫神経症の例を見れば、こういう説明は絶対に受け入れられない。第二の矛盾は、超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。第一の考え方は罪責感の発生史の説明に便利であり、第二の考え方は罪責感の理論的説明に便利であるように思われる。ところが仔細に検討した結果、このどうにも解決できないかに見えた矛盾も、あっけなさすぎると言っていいほど見事に消し飛んでしまった。そして罪責感に本質的かつ共通な点としては、それが内部へ転位した攻撃欲動であるということだけが残ったのである。490頁
《罪責感に本質的かつ共通な点としては、それは内部へ転位した攻撃欲動であるということだけが残ったのである。》ーーこの文だけに注目すべきである、とするわけにはいかない。