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2014年9月10日水曜日

罵倒の技術の練磨、あるいは「問題はそこではないのさ」

オレはもちろん反差別が差別の温床になることを知ってるさ。
そんなの誰もが知っていることだよ。
問題はそこではないのさ。
問題は、果たして差別の温床となりうる反差別運動をしないで
差別、排外主義、ヘイトスピーチを止めうるかどうかということだぜ。

私はもちろんハイデガーがナチだったと知っています。誰もが知っていることです。問題はそこではないのですよ。問題は、果たして彼が、ナチスのイデオロギーに与することなしに20 世紀で最も偉大な哲学者になり得たかどうかということなのです。(デリダ)

ーーというわけで、たまには文体練習しなくちゃな

フロイトのリベラルな視点では、極右的リンチの群衆と左翼の革命的集団はリピドー的には同一のものとして扱われる。これらの二つの集団は、同じように、破壊的な、あるいは無制限な死の欲動の奔出になすがままになっている、と。(ジジェク『LESS THAN NOTHING]』私訳)


さあて、ここでふたたび野間易通語録を並べてみよう。

・「『私たちは決して許しません』と呼び掛けるのではなく、『ふざけるな、 ボケ』と叫んだほうが人は集まる」

・理路整然とした「上品な左派リベ ラル」の抗議行動は「たとえ正論でも人の心に響かない」と答え、「何言ってるんだ、バカヤ ロー」と叫ぶのが「正常な反応」だ

・しばき隊はどんどん罵倒するのが基本 方針。 僕がよく使う言葉は、『人間のクズ』『日本の恥』などですが、もっと罵倒の技術を磨かねば、 と考えています」

・「カウンター行動は、これまで上品な左派リベラルの人も試みてきました。 ところが悲しいことに、『私たちはこのような排外主義を決して許すことはできません』とい った理路整然とした口調では、 たとえ正論でも人の心に響かない」

・「公道で『朝鮮人は殺せ』『たたき出せ』と叫び続ける人々を目の前にして、冷静でいる方 がおかしい。 むしろ『何言っているんだ、バカヤロー』と叫ぶのが正常な反応ではないか。レイシストに 直接怒りをぶつけたい、 という思いの人々が新大久保に集まっています」

ヘイトスピーチだけではない、
ネオナチの輩に対して、
「私たちはこのようなネオナチの政治家を
決して許すことはできません」
と上品かつ理路整然とした口調で応対すべきものだろうか

「死ね!、安倍」 「ふざけるな、この薄汚い高市早苗!」
などと罵倒するべきだろうか


わたしは仔細ぶった疑いぶかい猫どもの静かさよりは、むしろ喧騒と雷鳴と荒天の呪いを好む。そして人間たちのあいだでも、わたしは最も憎むのは、忍び足で歩く者たち、中途半端な者たち、そして疑いぶかい、ためらいがちな浮動する雲に似た者たちすべてである。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)




お、すこしは上品に写ってるじゃないか、おばちゃんたち
だがやっぱりこの顔が透けてみえるな




女性大臣の登用大変結構なことです。だけど普通大臣などというと優秀な女性を登用するものだと思っていたが男政治家タヌキと全く同じように姑息に生き抜いてきたお子様愛国婦人会のスカンクたちが大臣になるとはね。国会の悪臭ここに極まれりといったところでしょうね。女性の地位云々の話ではない。(鈴木創士)

ーー鈴木創士氏は、神戸新聞にコラムを書くようになってから、罵詈雑言をオブラートに包む手法が目立つようになったのだけれど、さずがにいまだ巧いねえ、こうでなくっちゃいけない。

…………

――それで、反差別集団が差別集団に育ってしまったらどうするんだい?

おまえ、やっぱり上品なリベラルだな、それ

Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better.--Samuel Beckett "Worstward Ho" (1983)

何度やってもダメだって、
それがどうしたというんだい? 
もう一度やって、
もう一度ダメになればいいじゃねえか。
以前よりマシだったら、それでいいさ(ベケット)


どうだい? たとえばこの類の発言をツイッターでしきりに振りまいてカシコイ「正義のひと」のつもりの貴君よ

主観的には「差別に反対する」意図を持った人たちが、これほど露骨に差別の温床になり、あるいは差別の増幅装置にすらなっていることが、あまりに放置されています(<「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」(ジジェク>より)

なかなか「説得的」な言葉じゃねえか、なにもしないで冷笑しているだけのマジョリティに受けたいんだろうよ

@AtaruSasaki: 知人が作家ゴイティソーロから直接聞いたユーゴ内戦の話。脱出して来た旧ユーゴの作家や学者達が慟哭し悔いていたこと。「排外主義を唱える連中はみな愚かで幼稚に見えた。何もできまい、放っておけ、三流の媒体でわめかせておけと思った。それが、このざまだ。真正面から戦わなかった我々の責任だ…」
@AtaruSasaki:何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ、という性質の話の筈。偉そうにTwitterでどっちもどっち論を繰り返し、動いているのは指先のみ。いま大学人がいかに信用失墜しているか新聞でも眺めればわかる筈なのに、そのざまか。民衆は学び、君を見ているぞ、「ケンキューシャ」諸君。(佐々木中)

《まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳)