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2014年9月30日火曜日

自己を語る遠まわしのファシズム批判の方法

なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?」にて、
町山智浩氏のツイートを拾ってから、
すこし彼の発言に注目しているのだけれど、
本日(20140.9.30 PM2;00前後)次のように発言されている。

@TomoMachi: 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります。スターリニズムやポルポトの失敗から学んでください。

@TomoMachi: 普通は「ファシズム倒せ」ですよ。「潰せ」は権力者、強者側のレトリックですよ。

@TomoMachi: 「潰す」というのは上から下に、大きな者が小さな者に対してやる行為です。でも革命や抵抗というのは、下から上、弱く小さな者たちが強く大きな者に挑む戦いです。それは「潰す」ことではないでしょう。

ーーで、たちまち「カウンター」運動やその共感者たちだろう、町山氏の過去の記事を
探し出して、次のようなツイートをしている。

@sangituyama: “@lautrea: 町山さんいいファシズム批判してますね。 「一般の人がダマされる前に共闘し、全力をあげて徹底的に叩き潰しておかないとならない。大変だけど」 http://t.co/4Fiq0eOleF”.

《@royterek 町山さんへのリスペクト感一挙に増した。》!


実際この記事はよいことが書かれている。
記念に、冒頭箇所をいくらか割愛して、すこし長めに貼り付ける。(2004-03-07)

かつてヒットラーが出てきた時、ドイツは民主的なワイマール共和国で、
最初はかなりの人がヒットラーを見て「あんなものにダマされるのはよほどのバカだけだ」と、たかをくくっていた。

そしたら、いつの間にか国民に圧倒的に支持され、
ヒットラーを批判する人は少数者として封殺されてしまう事態になった。

ヒットラーを例に挙げるのは大げさに聞こえるかもしれないが、
こういったことは会社の内部でもあるでしょう?
口がうまくて立ち回りのうまいだけの奴が同じ会社にいて、
「あいつは実力もないし、本当は思いやりもないから、どうせみんないつか気づいてくれるさ」とたかをくくっていると、
そいつがどんどん出世して、
マジメに働いてた方はバカを見るわけですよ。
人を見る目がある人というのは、実際はそんなに多くない。

インチキをインチキだとすぐにわかるカンのいい人はたいていシニカルで現実にあまり期待していないので、

「ほうっておこう」「無視しよう」「自分の仕事に専念しよう」ということになりがちだ。自分も含めて。

しかしインチキに気づかない人々はすぐにノせられてしまうし、そちらのほうが圧倒的に人数が多いので、

あっという間にヒットラーに政権取らせたり、村上が「これほどまでに多くの人に愛されたアーティストはいなかった」なんて大物になってしまうのだ。

だから、こういうインチキな連中が出てきた時は、インチキを感じた人々はシニカルにならず、面倒くさいしお金にならないけれども頑張って、一般の人がダマされる前に共闘し、全力をあげて徹底的に叩き潰しておかないとならない。大変だけど。

そうしておかないと、インチキがわからない圧倒的多数の人たちが彼らを認めたときには、我々は少数派として発言力を失い、

彼らがほしいままに文化や政治や経済を搾取するのを見ているしかなくなってしまう。そうなってからでは遅いのだ。

ーーというわけで、若いひとたち、町山氏をせめちゃいけない!
これはごく標準的な「心理学」の問題にすぎない
フロイトやラカンの「精神分析学」を持ち出す必要など毛頭ない

プルーストでいい。

……自己を語る一つの遠まわしの方法であるかのように、人が語るのはつねにそうした他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」 Ⅱ 井上究一郎訳)
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト「囚われの女」)
性格の法則を研究する場合でさえ、われわれはまじめな人間を選んでも、浮薄な人間を選んでも、べつに変わりなく性格の法則を研究できるのだ、あたかも解剖学教室の助手が、ばかな人間の屍体についても、才能ある人間の屍体についても、おなじように解剖学の法則を研究できるように。つまり精神を支配する大法則は、血液の循環または腎臓の排泄の法則とおなじく、個人の知的価値によって異なることはほとんどないのである。(プルースト「見出された時」)

かりにもし精神分析を参照したいなら、前期フロイト程度でよいのだ。

……他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させるのである。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。その典型は、子供の「しっぺい返し」にみられる。すなわち、子供を嘘つきとして責めると、即座に、「お前こそ嘘つきだ」という答が返ってくる。大人なら、相手の非難をいい返そうとする場合、相手の本当の弱点を探し求めており、同一の内容を繰り返すことには主眼をおかないであろう。パラノイアでは、このような他人への非難の投影は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされるのである。

ドラの自分の父に対する非難も、後で個々についてしめすように、ぜんぜん同一の内容をもった自己非難に「裏打ちされ」、「二重にされ」ていた。(フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片』(症例ドラ))


※追記:《日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しい》

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion
まあそういわず、潰しましょうよ。RT @TomoMachi 差別や独裁、ファシズムへの反対デモで「潰せ」という表現を使うのがおかしいのは、「潰す」は力や数で少数派や弱者を圧殺するファシズムや差別の考え方だからです。「潰す」という行為を肯定した途端に自らがファシズムに陥ります…

町山智浩‏@TomoMachi
韓国系である出自を明らかにして差別に対して発言して攻撃や脅迫の矢面に立ってきた自分ですが、日本人のサポーターのやり方が韓国系に対する反感を拡げないように慎重にして欲しいだけです。@soulflowerunion

ソウル・フラワー・ユニオン ‏@soulflowerunion @TomoMachi 了解しました。町山さん、是非一度、若者達のデモやカウンターの現場、取材して下さい。また新たな感慨も抱かれると思います。ちなみに、俺はずっと町山さんの本、読ませていただいてます。町山ファン 笑

町山智浩‏@TomoMachi
@soulflowerunion 僕は高校まで韓国名でしたので差別は身をもって体験していますし、文章や放送を通して訴えるのが自分の役割だと思っているのですが作品をクリエイトしている中川さんがそうおっしゃるなら一度お邪魔したいと思います

彼らはこうやって「一度お邪魔したいと思います」--という言質を引き出したわけだ。