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2014年9月19日金曜日

言葉の独走

クーによる身体の欲動の噴出」で引用した若き浅田彰の言葉を若干編集して、そのいくらかを再掲してみよう。

・許し難く凡庸な優等生は、音楽の制度に余りにも見事に適合しているため、分節構造の内部のしかるベき位置に音を置いていくことしかできない

・打つことを知っている者は、――打つというのは知ってできることではないーー、彼らは音楽の制度から何ほどかずれているがゆえに、分節構造からはみ出るような音をどうしようもなく打ち出してしまう

・打つことにおいて身体の欲動が分節構造の只中に噴出する

・半ば連続体に身をひたしつつそこからとび出そうとする点、自らのうちにずれや複数性を孕んだ点が、振動しながらつらなってレース模様を織りなしていくとき、そこに音楽が生まれる


これはなにも音楽だけの話じゃないはずだ。
たとえば詩や散文でもこういうことはある。
そして「許し難く凡庸な優等生」は、知ってできることではない。

たとえば次の蓮實重彦の文は、「物語」と「小説」をめぐって書かれているのだが、ここにはエクリチュールの定義めいたものが読みとれる。

波瀾万丈の物語とは一つの語義矛盾である。あらゆる物語は構造化されうるもので、思ってもみないことが起るのは、その構造に弛みが生じ、物語がふと前面から撤退したときに限られる。挿話の連鎖に有効にかかわらない細部がときならぬ肥大化を見せるような場合に、かろうじて事態は波瀾万丈と呼びうる様相を呈するにいたる。物語を見捨てた言葉の独走といったことが起るとき、構造の支配が遠ざかって小説が装置として作動し始めるといったらいいだろうか。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

ーー細部がときならぬ肥大化を見せ、《自らのうちにずれや複数性を孕んだ点が、振動しながらつらなってレース模様を織りなして》いき、言葉の独走といったことが起るとき、《そこに「エクリチュール」が生まれる》

もっとも「言葉の独走」とされているとしても誤解はしてはならない。

波瀾万丈とは、本来、そうした驚きの構造化されがたい衝突を意味しているはずなのだが、言葉が独走するときに起るその種の衝突は、必ずしも迅速さの印象を与えるとは限らない。それは停滞としても、迂回としても、無方向な横滑りとしても起りうる。(同蓮實)


以下は、《なるほど彼(石川淳)は、当代きっての巧みな日本語遣いというべきで、ときには威勢よく啖呵を切り、きわどい冗談をさらりと言ってのけ、下世話な題材を繊細な比喩でもっともらしい語り口に仕立てあげてみせたあたり、その小気味よさに思わずうっとしもしてしまう》としつつの蓮實重彦の「ボロクソ」芸の冒頭である。

何やら微妙な複雑さを身にまとい、理屈では解明しがたい神秘さをたたえているのが小説だとする視点は、文学に無償の価値を捏造して特権的に享受しようとする者たちの悪しき思い込みにすぎないし、その種の捉えどころのなさなど小説はいささかも必要としておらず、文学的な才能というものもその種の曖昧さによって擁護されたりはしないだろう。小説とは、漠たる曖昧さにとらえられた定義しがたい何かなのではなく、優れて厳密なものなのであり、しかも、厳密さとは、形式の問題ではなく、運動の問題にほかならないのである。小説とは、なによりもまず、厳密に作動する装置なのであり、物語があからさまなのは、それが厳密に作動することを回避し、もっぱら形式を踏みはずすことを恐れているだけの言葉だからなのだ。(写経:石川淳『夷齋筆談』と蓮實重彦の「ボロクソ」芸


ーーとすれば若いころ書いた自らの言葉が跳ね返って(「言葉の独走」に縁がない「許し難く凡庸な優等生」であることを自覚して)、書くのをやめたんだろうか、浅田彰。

子どもの頃、『ツァラトゥストラはこう言った』でニーチェが侮蔑を込めて描いている「最後の人間(末人)」の像に触れて、「これはまさに自分のことだ」と思ったのを覚えている。もはや想像と破壊の ドラマは終わり、すべてが平準化された中にあって、「最後の人間」たちは退屈な幸福を生きるだろう。

あらゆる情報を記録したテープがリミックスを加えて反復されるのを瞬きして眺めながら、(後の章に出てくる「小人」のように)「およそすべては円環をなして回帰する」などと小賢しく呟いてみせもするだろう・・・。

『早稲田文学』11月号に出た鎌田哲哉の私に宛てた公開書簡は、そのような「最後の人間」であることに居直る私に対し、「安直なニヒリズムを捨て、人間としてまともに生きよ」と呼びかけるものである と言ってよい。

その書簡は石川啄木の日記にならってローマ字で綴られている。 「僕は啄木のようにまともに生きる、あなたもまともに生きるべきだ」ということだろう。

その純粋な熱意は(ありがた迷惑とはいえ)ありがたいと思うし、そこに書かれた私への批判も(いくつかの点で異論があるとはいえ)おおむね受け入れる。
だが、残念ながら、私はその呼びかけに動かされることがなかった。

ひとつだけ、私の言葉に対する誤解と思われる部分に触れておこう。鎌田哲哉が部分的に引用している通り、西部すすむに「浅田さんがほとんど 書かなくなったのは世界や人類を馬鹿にしてのことですか」と問われて、私は「いや単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、おおいなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、僕は選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に認識していますけど」と答えている (『批評空間』Ⅱ-16)。

これは、私が本格的なものを書く力がないということ(私の「弱さ」)を、私が明晰に意識しているという意味ではない。書こうとする努力もせずに自分には書けないのだと前もって居直ってしまうことが逃げ口上にすぎないということを、明晰に意識しているという意味だ。
その意味で、私の立場に論理的な問題はないと思う。
では、倫理的な問題としてはどうか。

そのような早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか。
むろん、私は、自分自身がそうできないだけにいっそう、断念を拒否してなんとか努力しようとする人(鎌田哲哉を含めて)を眩しく見上げ、可能なら助力しようとしてきたが、断念したい人に対して断念するなと言う気はさらさなないし、自分に対してそう言われたくもない。
努力したい人は努力し、断念したい人は断念する。
それでいいではないか。

ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終り』で論じるバイオテクノロジーの問題ともからめて言えば、20世紀が限りない延命を目指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的にいって、たとえば安楽死施設、さらには自殺(幇助)施設の合法化であると思う。

生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。それでいいではないか。

ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでいく」と書いている。
かれの侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいられないのだ。

もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」という主人公の強迫観念が主題化されていたが、これはすでに父を喪った私にも大変よくわかる。

幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理と言うより礼節の問題として。母より先に自殺するつもりはない。

そうやって生き延びている間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしながら「i-modeかなにかでくだらないお喋りを続けること」があってもいいのではないか。
また生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあってもいいのではないか。

だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意思を死の病毒で汚染するだけだというのなら、私はそれを断念し、彼の後姿にむけて静かに幸運を祈るばかりである。

ーーと以前拾ったのだが、リンク切れになっている。http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/realitas/200512c.html


まあ浅田彰のことはどうでもいいというひとがいまでは多いし、
そうであるべきかもしれないけど、
オレは浅田彰と一年違いでね、
彼の若書きの文章読んで、
(雑誌に発表され始めたのは、1981年の『現代思想』)
ああ、これは「思想」やらなんやらから早々に「引退」しなくちゃな、
と観念した口なんだな。

浅田彰は東京生まれではないけれど
やっぱりオレのような田舎者は、中学・高校で決定的に遅れてるのさ
(頭のできぐあいは、ここでは割愛しておくよ、なあ、そうだろ?)

《東京に生まれるのはひとつの才能》(蓮實重彦)なのは間違いないから
大都市生まれの若いきみたち、頑張ってくれ

というわけでこの文章は何度読んでも、
ボカってやられる気分になるぜ

きみらの世代はいいねえ
おそらくそれなりに「有能」であるのだろう「思想家」の処女作出るのは
早くて三十前後だし、通常、三十半ばだから。

いや「引退」を観念するには遅すぎて引くに引けなかった輩が
多数、批評家や学者として棲息している時代じゃないか
とも言えるかもな

知識も基礎学力もない人たちが、こうまで簡単に批評家になれるとはどういうことですかね。最近の文芸雑誌をパラパラと見ていると、何だか多摩川の二軍選手たちが一軍の試合で主役を張っているような恥ずかしさがあるでしょう。ごく単純に十年早いぞって人が平気で後楽園のマウンドに立っている。要するに芸がなくてもやっていけるわけで、こういう人たちが変な自信をまでもっちゃった。(『闘争のエチカ』蓮實重彦)

ーーと蓮實重彦が語ったのは、すでに二十年以上前で
最近こんなことを語っているようだが
《結局20年経って思うのは、何も驚くべき事はないということで、これが一つの驚きだった》

ところで浅田彰のグールドをめぐるすばらしい映像と解説が
以前YouTubeにあったのだが消えているな

かわりに次の映像貼り付けておく
坂本龍一、小沼純一、浅田彰でさえ「寄生虫」のことしか殆ど語っていない
という言い方ができるかもしれないが、
バッハの啓蒙番組だからやむ得ないさ
そもそも音楽というのはバーンスタインのいうようには
なかなか語り難いものだよ

バーンスタインは、音楽における意味を四種のレベル、すなわち1)物語的=文学的意味 2)雰囲気=絵画的意味 3)情緒反応的意味 4)純粋に音楽的な意味に分類したうえで、 4)だけが音楽的な分析を行うに値すると述べて、「音楽を説明すべきものは音楽そのものであって、その周囲に寄生虫のように生じた、音楽以外のもろもろの観念ではない」とする。(見すてられた石切場





有名な曲・演奏の紹介が多いのだけれど
そのため逆にむしろあまり聴かなくなってしまった演奏録音であり
(オレにとってだけだけれどさ)
あらためて久しぶりに聴くのだけれど
いいねえ、懐かしいなあ
フルトヴェングラーの「まことに、この人こそ神の子であった
Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」まで挙げてるな
まさにオレと同年代のバッハ愛好者たちだね

熱中した少年時代の記憶さえ蘇ってくるな

私のなかに三、四度にわたってよみがえった存在は、そんなわけで、たったいま、時からまぬがれたともいうべき人生の断片を味わったのであったが、それを観想しようとすると、その観想は、永久的なものであるにもかかわらず、つかのまに逃げさって行くのだった。それでも、やはり私に感じられたのは、これまでの生活で、めずらしい間隔を置いて、そのような観想が私にあたえた快感こそ、みのりある、真実な、唯一のものであった、ということだ。(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)

三人はオレと同世代ということもあるのだけれど
バッハを愛してSwingle Singersを聴かないってのはマガイだぜ

とは言いすぎだがね、
中学生のときスウィングル・シンガーズのシンフォニアを聴いて
幼い頃すこし習ったきりの、バッハのインベンションとシンフォニアの曲集を
あらためて練習しだしたな
そのとき惚れていた少女の顔まで浮かんで来るな
まさに「時からまぬがれたともいうべき人生の断片」だね





いまでもシンフォニアはこの第十一曲のト短調と
それに第六曲のホ長調を特権的に好むな
当時、ト短調が右手と左手の線を出すのがひどくむずかしくて
かわりにホ長調から練習しだしたのだな


ーーというわけで「知識も基礎学力もない」初老のディレッタントの戯言だぜ、この文章は