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2014年9月2日火曜日

「異物」としての原光景

アインシュタインの特殊相対性理論から一般相対性理論への移行を例にとって考えてみよう。特殊相対性理論はすでに歪んだ空間という概念を導入しているが、その歪みを物質の効果と見なしている、物質がそこに存在することによって空間が歪む、つまり空っぽの空間だけが歪まない。一般相対性理論への移行にともなって、因果が逆転する。物質が空間の歪みの原因なのではなく、物質は歪みの結果であり、物質の存在が、空間が曲がっていることを示している。このことと精神分析との間にどんな関係があるのかというと、見かけ以上に深い関係がある。アインシュタインを模倣しているかのように、ラカンにとって<現実界> ――<物>―― は象徴的空間を歪ませる(そしてその中に落差と非整合性をもたらす)不活性の存在ではなく、むしろ、それらの落差や非整合性の結果である。

このことはわれわれをフロイトへと引き戻す。その外傷理論の発展の途中で、フロイトは立場を変えたが、その変化は右に述べたアインシュタインの転換と妙に似ている。最初、フロイトは外傷を、外部からわれわれの心的生活に侵入し、その均衡を乱し、われわれの経験を組織化している象徴的座標を壊してしまう何かだと考えた。たとえば、凶暴なレイプだとか、拷問を目撃した(あるいは受けた)とか。この視点からみれば、問題は、いかにして外傷を象徴化するか、つまりいかにして外傷をわれわれの意味世界に組み入れ、われわれを混乱させるその衝撃力を無化するかということである。後にフロイトは逆向きのアプローチに転向する。フロイトは彼の最も有名なロシア人患者である「狼男」の分析において、彼の人生に深く刻印された幼児期の外傷的な出来事として、一歳半のときに両親の後背位性交(男性が女性の後ろから性器を挿入する性行為)を目撃したという事実を挙げている。しかし、最初はこの光景を目撃したとき、そこには外傷的なものは何ひとつなかった。子どもは衝撃を受けたわけではさらさらなく、意味のよくわからない出来事として記憶に刻み込んだのだった。何年も経ってから、子どもは「子どもはどこから生まれてくるのか」という疑問に悩まされ、幼児的な性理論をつくりあげていったが、そのときにはじめて、彼はこの記憶を引っ張り出し、性の神秘を具現化した外傷的な光景として用いたのである。その光景は、(性の謎の答を見つけることができないという)自分の象徴的世界の行き詰まりを打開するために、遡及的に外傷化され、外傷的な<現実界>にまで引き上げられた。アインシュタインの転向と同じく、最初の事実は象徴的な行き詰まりであり、意味の世界の割れ目を埋めるために、外傷的な出来事が蘇生されたのである。(ジジェク『ラカンはこう読め!』p128)

原光景(原幻想)といえば、このように狼男の症例がまっさきに参照される。


【狼男とラスキンの公式】

男性にとっては、女性との関係は、女性が彼の公式にフィットする限りでしか可能にならない。フロイトの患者として有名な狼男の公式は、「後ろからみて、手と膝をついて、地上にある、彼女の前にあるものを何かを洗うか、きれいにする」であると考えられる。女性がそのポジションにいるところを見れば、自動的に愛が発生するのだ。ジョン・ラスキンの 公式はギリシアとローマの塑像モデルにならったものである。結婚初夜の最中に、ラスキンが塑像に陰毛がないことを見たときに、この公式は悲喜劇的な落胆に 導かれた。この発見はラスキンを完全に不能にしてしまった。それ以来、ラスキンは妻をモンスターだと考えるようになった。(ジジェク『欲望:欲動=真理:知』より)

わたくしにも「原光景」らしきものが、--性的色調はやや希薄ではあるがーー二つほどある。そのうちの一つは、ここでの文脈における原光景=幼児型記憶とは言いがたいのかもしれない。というのはたぶん幼稚園集団登園の初日の記憶であり、幼児型記憶の分水嶺は通常、三歳前後以前とされ、このときは三歳を過ぎている(三歳三ヶ月)。

…………

田んぼの真ん中の一本道。周りに他の幼児たちの集まりがある。(集団登園だというのは後ほどの言語命題)。遠くに鎮守の森がみえる。遠い…。

幼児たちは、たすきがけ(ななめ掛け)にしてハンカチをぶら下げている。他の幼児はすべて白いハンカチなのに、私のものは柄ものであるのに気づいて泣き出している。母が駆けつけてくる、その上気した困惑の表情。




これとはすこし異なるが、ーー鎮守の森はずっと遠くにみえ、道はおそらく舗装はされていなかったにしろ、草が生えていたわけではないーーたとえば次の画像でもやはりやや異なる。殊に空のすがすがしい感じはまったくあの光景とは異なる。






二歳半から三歳半のあいだにさまざまな点で大きな飛躍があるとされている。フロイトのいうエディプス・コンプレックスの時期である。これは、対象関係論者によって「三者関係」を理解できる能力が顕在化する時期であると一般化された(注:バリント『治療論からみた退行』)。それ以前は二者関係しか理解できないというのである。これは、ラカンのいう「父の名」のお出ましになる時期ということにもなるだろう。それ以前は「想像界」、それ以後は「象徴界」ということになるらしいが、ラカンの理論については自信のあることはいえない。

(……)この大きな変化期において、もっとも重要なのは、そのころから記憶が現在までの連続感覚を獲得することではなかろうか。なぜか、私たちは、その後も実に多くのことを忘れているのに、現在まで記憶が連続しているという実感を抱いている。いわば三歳以後は「歴史時代」であり、それ以前は「先史時代」であって「考古学」の対象である。歴史と同じく多くの記憶が失われていて連続感は虚妄ともいいうるのに、確実に連続感覚が存在するのはどこから来るのであろうか。それは、ほとんど問題にされていないが、記憶にかんして基本的に重要な問題ではなかろうか。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』P44-46)




ーーこれは立ち去って行く自転車の女が含まれる画像であり、わたくしの「原光景」は母を残して鎮守の森に向うのだからやや異なるが、この「原光景」が遡及的に外傷化されたのは、この画像のイメージに大きく関わる。こういったことはあまり書きたくないが、「遠い道」という記事の後半に、いくらか仄めかしてある。

狼男の原光景、「後ろからみて、手と膝をついて、地上にある、彼女の前にあるものを何かを洗うか、きれいにする」、女性がそのポジションにいるところを見れば、自動的に愛が発生する、--とまではいかないにしろ、わたくしにとってかなり危ない女の後姿だ。

鎮守の森でなくてもよい。一本道の先に、たとえば「海」があってもよい。両方とも、母胎であり女性器である。

神経症者が、女の性器はどうもなにか君が悪いということがよくある。しかしこの女の性器という気味の悪いものは、誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷への入口である。冗談にも「恋愛とは郷愁だ」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女の性器、あるいは母胎であると見ていい。したがって無気味なものとはこの場合においてもまた、かつて親しかったもの、昔なじみのものなのである。しかしこの言葉(unhemlich)の前綴unは抑圧の刻印である。(フロイト『無気味なもの』著作集3 P350)



と書けば、かなりウソくさくなる。鎮守の森や海でなくても、穴だったらいいのだから。





要するに、このたぐいの画像を眺めて、いまでもドキッとするのは、わたくしの最初期の記憶にかかわるには違いない。

わたくしの「原光景」では、女たちが振り向いてくれないのが残念だが。

《柿の木の杖をつき
坂を上っていく
女の旅人突然後を向き
なめらかな舌を出した正午》(西脇順三郎)

もう一つの記憶は、これは明らかに三歳以前の記憶で、ひどくぼんやりはしており、ほとんど映像とはいい難くむしろ声に包まれた安堵の感覚。ただし右側の窓から光が射し込んでいる。薄暗いつやけしの光のなかで、若い母の穏やかな低く囁くような歌声。歌は、「かあさんが夜なべをして」だ。――かあさんが 夜なべをして 手袋 編んでくれた 木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて せっせと編んだだよ ふるさとの 便りは届く 囲炉裏の 匂いがした」。母の歌で思い出すのは、もうひとつあるが、これはもうすこし後年になってからだ、――ロシア民謡の「赤いサラファン」。

これは適当な画像がないが、木漏れ日や樹々の間に差し込む光をひどく愛するのは、そのせいかもしれない。




ーーもっとも樹間から斜めから光の束や、曇天の空から束の間幾筋もの光が差し込む光景は、多くのひとが愛するものなのだろう。もちろん、窓から漏れ入る光でもよいのだ。

天井に 朱きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
  手にてなす なにごともなし(中原中也)


とすれば、最初期の幼児型記憶は、わたくしの音楽の趣味にいっそう大きくかかわるといったほうがよいのかもしれない。あの、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のような感覚。

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)

 フォーレOP.121のアンダンテへの愛は、幼児型記憶に関係する、とまで言ってしまえば、これもこじつけになる(要するに、原光景は、本来言語化できない記憶なのだから、言葉に表して説明しようとしても、画像を示しても、すべてウソくさい)。

むしろ、上の画像の樹間の斜めから来る光の感覚は、マタイ受難曲の「真に彼こそは神の子だった」と重なり合う。





さて、なんの話だったか。

スタンダールのような、より性的な原光景がなくて残念だ……。

私の母、アンリエット・ガニョン夫人は魅力的な女性で、私は母に恋していた。
急いでつけくわえるが、私は七つのときに母を失ったのだ。(……)

ある夜、なにかの偶然で私は彼女の寝室の床の上にじかに、布団を敷いてその上に寝かされていたのだが、この雌鹿のように活発で軽快な女は自分のベッドのところへ早く行こうとして私の布団の上を跳び越えた。(スタンダール『アンリ・ブリュラールの生涯』

実は、中井久夫の「原光景」をめぐって書こうとしたのだが、寄り道が長くなったので、またの機会にし、いまはそのさわりのみとする。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 53頁)

ここに鉤括弧つきで「異物」と出てくるのは、フロイトの“Fremdkörper”のことだろう。『ヒステリー研究』1895に頻出し、この語は、トラウマに関連して使用されている。中井久夫の幼児型記憶論は、原光景という語はたしか出てこなかったはずだが、フロイトの「原光景」概念をより拡がりをもって再構成する試みだともいえるのではないか。

たとえばラカンの「サントーム」セミネールに、”un corps qui nous est étranger”とあるが、これは「異物としての身体Fremdkörper」のことだろう。

l'inconscient n'a rien à faire avec le fait qu'on ignore des tas de choses quan qu'on sait est d'une toute autre nature. On sait des choses qui relèvent du signifiant. (...) Mais l'inconscient de Freud (...) c'est le rapport qu'il y a entre un corps qui nous est étranger et quelque chose qui fait cercle, voire droite infinie - qui de toutes façons sont l'un à l'autre équivalents - quelque chose qui est l'inconscient." (Seminar XXIII, Joyce - le sinthome, lesson of 11th May 1976


シニフィアンによって分節化された象徴界の内部にあって、しかもその内部の異物としてあるものが、現実界としてのFremdkörperのことである。それは言葉で言いあらせないトラウマのことでもある。

Fremdkörper, a foreign body present in the inside but foreign to this inside. The Real ex-sists within the articulated Symbolic.(Paul Verhaeghe "Mind your Body ")


…………

以下、原光景をめぐる資料。

◆向井雅明「精神分析とトラウマ」

1885年(1895?)頃にはフロイトは次のような要素で構成される、最初のヒステリー理論を完成する。

1-ヒステリーは父親もしくは近親者の性的誘惑によるトラウマにがもとになって引きおこされる。

2-トラウマは常に性的な性格を持っている。

3-トラウマは遡及的に作用する。

S1―>S2->S1

エマの例。店員の笑い→過去の想起商店の親父の性的いたずら→症状一人で店に入れない。ある回想が抑圧されずっと後になって遡行作用によって初めて外傷になる。

4-抑圧理論。トラウマの記憶は不快を呼び起こすので、快感原則によって支配されている他の記憶とは隔離され抑圧される。

これがneuroticaと呼ばれるフロイトの最初のヒステリー論の中核を構成する考えです。
しかしそれから少し経って、フロイトはこの理論を捨てることになります。

1987年(1897年:引用者)9月21日付けのフリースへの手紙の中で、フロイトは、この理論を否定する理由を説明しています。

フロイトがneuroticaを捨てた理由

1-トラウマを追求することの患者側からの拒否。分析が続けられない。
2-父親の倒錯的行為がそれほど多いとは考えにくい。
3-無意識では実際に起こったこととファンタスムの区別がつけられない。
4-精神病においては外傷の無意識的記憶を明らかにできない。

父親または近親者による性的誘惑によって生じた心的外傷がヒステリーの原因になるという理論をフロイトはここで捨てたわけです。そして、その代わりにくるのは幻想の理論です。外傷体験だと見なされていたものは実はファンタスムだという考えです。幼い子どもは父親のような人にたいして愛されたいと、かわいがってほしいという願望を抱く、だがこれは近親相姦的な願望であるので抑圧され、逆転されて誘惑されたというファンタスムになるのである。

したがって、トラウマはファンタスム、つまりフィクションだということになります。

ところがここでまた問題がひとつ生じます。トラウマがたんなるフィクションであるというなら、トラウマがどうしてつよい不安や様々な深刻な症状を生みだすのか理解することが困難となるでしょう。単なるフィクションであるなら、その苦しみから逃れるのには別のフィクションで対抗させればよいだけですから。それが主体を現実に苦しめるのはやはりそこにはフィクションを超えた何かの現実界との繋がりを考えることが必要となります。

フロイトはここでファンタスムを持ち出していますが、ファンタスムを単純にフィクションであると決めつける必要はありません。たとえファンタスムであろうと、何もないところからそれが生まれるわけではありません。ファンタスムにはファンタスムを構成する素材が必要なのです。では、そうした素材はどこから来るのでしょうか。それはやはり主体が出会った実際の出来事です。

したがって、よく言われる、フロイトはヒステリーの原因は外傷であるという考えを廃棄したという説は正しくありません。それまでの理論が

- 現実界に繋がるトラウマ→症状

という図式であったのにたいして、ここでは

-現実界との遭遇→ファンタスム(トラウマ)→症状

という図式となるので。また神経症の原因としての性という要素はここでもずっと保持されています。したがって、ここにおける神経症についての理論は、誘惑理論に比してより現実的であり、かつより精緻な理論的把握を許すものとなっているのです。

neurotica以後の理論化において外傷的経験の重要さをよく示しているテクストは狼男の症例です。

フロイトは患者の神経症の背後には何らかの現実的な出来事との遭遇があったはずだという考えで、執拗に、そしてまた強引とまで感じられる手法をもって狼男の分析を推し進めました。その結果、分析の場で患者が提供する様々な素材から、患者は両親の性行為のシーン(原光景)を目撃したと結論するのであった。それもかなり具体的に、患者が一歳半のとき、ある日の夏の夕方五時に、両親は子どもの前で後背位による性交を行ったと断定するのです。そしてこれば患者の以後の人生にとって決定的な出来事となったと考えました。

フロイトがこれほどまでに強く原光景の実在性に執着したのは、トラウマを引き起こすのが単なるフィクションであるならば、トラウマがそれほどまでに強力な影響を及ぼすとは考えにくいからでした。そしてそれに関連して、ユングとの理論的な確執もありました。ユングにとって、無意識には元型というものが備わっており、原光景はそれを元に空想されるということになるでしょう。したがってユングにとっては現実的なとの出会いは必要ないのです。それにたいしてフロイトはあくまで原光景の体験の先行性を認めて、現実界との接触を保持しようとしたのだ。ユングはすべて観念の次元でかたづけようとするのに対して、フロイトは唯物論的に考えようとするのです。

オオカミ男の症例ではフロイトは分析を通して原光景を構築したのであって、直接トラウマとして得られたものではなかったという点に注目すべきです。



             (Bernardo Bertolucci  «Novecento»)


◆『光をめぐって』(1991)より(ベルトルッチインタヴューは、1982.10帝国ホテルにて)

蓮實重彦)……ある一つの事実に気がつきました。それは、あなたの映画では、人は決してベッドで寝られないという事実です。まるで、ベッドから追いはらわれるように、公園とか庭先の椅子といったところで熟睡するのです。

ベルトルッチ)ああ、そうだろうか。

―――ええ、もちろん、あなたの映画にベッドはたくさん出てきます。でも、そこでは誰も熟睡できず、むしろ不安な表情で目覚めている。『革命前夜』の美しい叔母は、一晩、ベッドの上で眠れぬ夜を過し、『暗殺の森』のコンフォルミストも、冒頭から正装のままベッドに横たわり目覚めていた。彼らは、ベッドの上で眠れないだけではなく、そこで愛戯にふけることもできない。『ラストタンゴ・イン・パリ』でも『1900年』でも、男女は、床の上や藁の中といったところで交わり、もっぱらベッドを避けているようです。後者でのロバート・デ・ニーロとジェラール・ドパルデューとは、女に誘われてその部屋に行き、着ているものを脱ぎすてさえするのですが、ベッドに裸身を横たえる女が突然引きつけを起してしまうのでそのまま何もできない。ベッドに横たわる唯一の人間は、『ラストタンゴ』のマーロン・ブランドの死んだ妻ばかりです。こうしてみると、あなたの映画ではベッドが不吉な場所ということになるのですが……。

ベルトルッチ)なるほど、おっしゃる通りです。そう、こういうことがいえるかもしれません。私の父の小説に『寝室』というのがあります。イタリア語では文字通りベッドのある部屋となりますが、その小説は私や兄弟たちの少年時代は、家庭では『ベッドルーム』と英語で呼ばれていました。父が、とりすましたふりをしてそう呼んでいたのです。もちろん、子供たちにはベッドルームという音の響きが何を意味しているかはわからなかった。十五、六歳になって英語を習ってから、はじめてこの小説の題の意味が理解できたのです。

もし私の映画にそうしたイメージが恒常的に現れるとすれば……。

―――もっと多くの例も引けますよ(笑)。

ベルトルッチ)……それはまぎれもなく、タブーを意味しています。フロイトのいう原光景という奴です。つまり、そこで両親がセックスをする場所であったわけで、この原光景は、それを見る必要はない、想像されるだけでよいのだとフロイトはいっています。しかし、そんなことは、こうした場面を撮るときは考えてもいなかった。

―――意図的な表現ではなかったわけですね。

ベルトルッチ)いや、自分ではあなたに指摘されるまで考えてもいなかったことです。私は、撮影にあたっては、理性的、合理的ではありません。私はちょっと音楽を演奏するように撮るのです。したがって理性に導かれてというよりは、情動に従って映画を作ります。ですからそうした問題を模索するといったことはしません。たしかピカソが、「私は探すのではない、発見するのだ」といいましたが、まあ、それに近い状態です。

しかし、こうした統一性を誰か他人が発見してくれるのは、何とも不思議な気がします。なるほどおっしゃる通り、ベッドはずいぶん出て来ますね(笑)。で、『革命前夜』では、二人はベッドの上にいるが、女が写真をベッドの上に置いてみたりして遊んでいて、実際に二人が抱き合うのは別の場所です。そう、こうした映画は、自分が成熟した大人とは思っていない人間たちを描いているわけだから、ベッドで抱擁することができない。ベッドで愛戯をするのは、大人になっていなければいけないのです。デ・ニーロはドミニク・サンダと農家の麦藁の中で寝るし、ドパルデューは人民の家で、ステファニア・サンドレッリと抱き合う。レーニンの肖像の前で。……