そうだなあ
昨日の投稿はそこまで書かなかったけれど
きみの言うとおり、東浩紀氏は
《村人/旅人/観光客は、思想用語で言うと、共同体/他者/両者のあいだをパートタイムで行き来する人です。》と言っているのだから
柄谷行人の
《経験論/合理論/経験論と合理論の「間」で機敏なフットワークの駆使》そのままかもな
そして、それが、農夫/水夫/商人となるのかもな
しかもいたずらに観光客=商人を顕揚するのはまずいってのは、
最後に柄谷行人引用して書いたこれだよな
まあオレは東浩紀氏の著書を読んでないからそこまでは書けないのだよ
…………
芸術家でも職人でもないタイプ、職人に対しては芸術家といい、芸術家に対しては職人というタイプである。それは「枠」を自覚し越えるようなふりをするが、実際は職人と同じ枠のなかに安住しており、しかも職人のような責任をもたない。中野は、これを「きわめて厄介なえせ芸術家」と呼んでいる。なぜなら、彼らを芸術家の立場から批判しようとすれば、自分は職人であり大衆に向かっているのだというだろうし、職人の立場からみれば、彼らは自分は芸術家なのだというだろうから。(柄谷行人「死語をめぐって」)
この文の「芸術家」と「職人」に、「水夫」と「農夫」を代入してみよう。あるいは合理論者と経験論者でもいい。《彼らを水夫(合理論者)の立場から批判しようとすれば、自分は農夫(経験論者)であるというし、農夫の立場からみれば、彼らは自分は水夫だというだろう》--このきわめて厄介なヌエのような存在が、実際の「商人」の実態なのだ。
―――「水夫と農夫、あるいは商人」より
…………
これだと観光客はヌエのような存在になりかねないということになるな
でもこのあたりは東浩紀氏もわかっていてそれにもかかわらず
キャッチフレーズ的な「観光客」の顕揚のはずだよ
たとえば、これも読んでいない本の断片を拾ったのだがね
千葉雅也(動きすぎてはいけない)@ 逃走は、少なくとも二度、加速されなければならない。一度目は、しがらみを笑い飛ばすイロニー的な初速として。二度目は、そこから伸びるリゾームを、《この》加/減でよしと、笑って済ませるユーモア的なトップ・ギアとして。
農夫からの逃走は、一度は水夫=合理論者のイロニーだな
二度目は、商人=観光客のユーモアということになる
水夫=合理論者のイロニーなしの
商人=観光客のユーモアなんてのはプレモダンさ
このあたりは彼らにはほとんど「常識」なんだよ
上のイロニーとユーモアはほぼドゥルーズのマゾッホ論のほぼパクリだがね
それにもうひとつドゥルーズの超越論的経験論だな
オレはこのあたりはよく知らないけれど
浅田彰の説明する超越論的経験論にぴったりだよ
ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、いちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。
その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。
つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されていたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになるわけです。
ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じたところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。
諸能力を、超越論的というより、超越的に使用すること、つまり、それぞれの能力がそれぞれの原理に従って行くところまで行くようにに仕向けてやることで、「ボン・サンス」や「コモン・サンス」の閉域を突き破り、やはりランボーが「あらゆる感覚の錯乱」と呼んだような非人称的な高次の経験へと突き抜けていかなければならない。そのような経験に定位するのが、高次の経験論、つまり超越論的経験論だということになるわけです。(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)
――というわけでたいした「発見」じゃないさ
農夫どもは気がつかないだけだな