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2014年9月16日火曜日

「議論しないこと」と「ほっとく」能力

また「野間易通」話題だ。ややしつこすぎるし、彼を顕揚しすぎるのは、わたくしが政治的にナイーヴなせいかもしれないが、それはこの際どうでもよろしい。ひとはまず誰かを褒めてみるものだぜ。

何ごとによらず、悪口をいうことのほうが褒めることよりもやさしいようである。褒め言葉は、当の対象がよほど十分に褒められるのに値していなければ、とかくうわつ調子なものになりがちである。これに反して、悪口のほうは、対象の弱点を取り上げるのがその仕事であるから、本来の性質上、甘くなることがそれほどできぬではないかと思う。それだから、たとえある悪口が実際にはちょろいものであっても、それが悪口であるというだけの原因によつて、けつしてちょろいものではないという外観をーーー少なくとも褒め言葉よりは、そなえやすいようである。(中野重治 「映画の悪口ーーー罪はどこにある」)

…………

◆野間易通ツイート(2014.09.14)

「議論しないこと」って、実はすごく重要。みんななぜか「意見が違うなら話し合うのがよい」と思ってるでしょ。まあ敵とはそれでいいんだけど、「味方」とはそうしないほうがいい。するならケンカを。

なかなかうまく言葉にできないが、この「議論しない」というのはけっこう意識的にずっとやってきた面がある。他の人は知りませんけど、TwitNoNukesもしばき隊も合議制ではないし、意思決定は「民主的な方法」では行われていない(反原連は合議制)。

この、民主的な合議制を取らないことの引き換えに、組織の形態を取らないということがある。意見が違う場合はどんどん離脱して分裂して、新しいことをやっていけばいいわけで、しばき隊からプラカ隊やらなんやらが生まれたのは全部そういう方式を取ってるからなんだよね。

なので、みんなが「◯◯会」をつくったとか、なんとか団をつくったとか、それで会長だの代表だのの肩書をいちいち名乗ってるのは、なんかゴッコにしか見えないんだよね。遊びではなく真剣にやってるのはわかってますが。そんなにみんな一家の長みたいなのに収まりたいの? それでは広がらんで。

なんで味方陣営同士だと「議論しないこと」が重要かというと、だいたいの方向性は一致してるから、細かいとこまで詰めて合意する必要がないから。それでも議論したいならすればいいけど、全部ケンカに終わってるでしょ。だから最初からケンカのつもりでやれって。

逆に敵とはおおいに議論すべし。それも公の場で、目的は相手を説得することではなく論破すること。相手の間違いを広くいろんな人に訴えるため。「味方同士」の議論なんて、たいていどうでもいい人間関係のいざこざだし、それに時間取られてる場合じゃないでしょ。友達やめたらすむことやがな。

俺ってなんて冷たい人間なんだ……。でも味方同士のことはナァナァにしとけばいい。ナァナァにできないことがあるなら、それはもう「仲間」じゃないからどんどん決裂すればいい。決裂して自分で立てよ。そのほうが結果的に運動は多様になって、人数も増えまんのや。

あと俺と飲み会で一緒になったことある人わかると思うけど、俺って会うと超いい人でしょ? なぜか。「こいつアホなこと言うてるなー」と思ってもたいていニコニコとその場をやりすごしてるからじゃ。酔ったやつとする議論ほど無意味なものはないんじゃ。それは暇つぶしなんじゃ。

それでも許せない発言があったらさすがにケンカになるよね。で、そこでケンカしたら人間関係壊れますやん。そしたら次は別々の飲み会に行くようになるでしょ。これでまた少し広がるんですわ。反レイシズムに関しては「だいたい一緒」なんだから、これでいいのよ。

野間易通氏は、運動の「中心者」になることをしきりに避けてようとしている、権力の中心となることを。その姿勢のひとつが上の文に見事に現れている。ここには辺見庸のいう次の態度の実践者がいるように思う(もっとも即断は避けねばならない、彼にもどこかに落度はある、すくなくともあったはずだろう、その失敗の積み重ねによる者の言葉でもあり得る)。

 きょうお集まりのたくさんのみなさん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。「ひとり」でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです。われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。(辺見庸「死刑と新しいファシズム 戦後最大の危機に抗して」(2013年8月31日の講演記録

組織がファンクラブになってしまったときの先行きは見えているのを、いままでの「運動」から学んでいるのだろうし、なによりも行動者・運動家の長年の実践から出てきた言葉として尊い。

まあ、僕は運動家じゃないのは初めからわかっているので、二、三年で誰か実践的なリーダーが出てきたら引っ込もうと思っていましたが、僕が悠然と引っ込めるような体制にはなりませんでした。NAMがうまくいかなかった理由の一つは、まずインターネットのメーリングリストに依存しすぎたことです。(中略)もう一つは、運動に経験のある未知の人たちに会って組織すべきだったのに、僕の読者を集めちゃったわけね。インターネットでやればどうしてもそうなる。それで、柄谷ファンクラブみたいになってしまった(笑)。しかし、ファンクラブというのは実は互いに仲がわるいうえに、僕に対して別に従順ではなくて、むしろ柄谷批判をすることが真のファンだと思っているから、その中で軋轢が生じる。(『近代文学の終り』柄谷行人(インスクリプト)ーー「柄谷行人ファンクラブ」)

野間易通氏には、《そもそも柄谷行人みたいな大物の哲学者が「日本はデモができる社会になってよかった」とか言ってるのって極めて異常なことで、……》という発言もあることから窺われるように、柄谷行人のNAM運動とその失敗への吟味から生れた、権力の中心はどうあるべきかという思考の裏づけからくる発言をもしているはずだ。もっともNAM運動と彼のやっている「カウンター」は運動のやや性格が異なるという観点をもつ人がいるだろうが、それはここではいったん脇にやる。いったん? いや後述する余裕はないので、次の文だけを挿入しておこう。《NAMの「原理」はいわば遺伝子であって、資本=ネーション=ステートというガンのなかに、対抗ガンを作り出す》(NAM〜New Associationist Movement(2000-2003))。野間易通の「カウンター」のあり方は「対抗ガン」に相違ない。(旧称「レイシストをしばき隊」は、今は「C.R.A.C」となっている。クラック? 割れ目、裂け目だーーどうしてこの名から「対抗ガン」を想起していけないことがあろう?

もし匿名投票による普通選挙、つまり議会制民主主義がブルジョア的な独裁の形式であるとするならば、くじ引き制こそプロレタリア独裁の形式だというべきなのである。アソシエーションは中心をもつが、その中心はくじ引きによって偶然化されている。かくして、中心は在ると同時に無いといってよい。すなわち、それはいわば「超越論的統覚X」(カント)である。(柄谷行人『トランスクリティーク』P282-283ーー「バカジャナイノ?」)

そして野間易通には、ジジェクの柄谷行人批判(吟味)さえ念頭にあるように思う、それはその権力のフェティシズムfetishism of powerを怖れ、権力の「場」の神秘the very mystique of the PLACE of powerから免れようとする態度からの憶測に過ぎないが。

But is this effectively enough to undermine the "fetishism of power"? When an accidental individual is allowed to temporarily occupy the place of power, the charisma of power is bestowed on him, following the well-known logic of fetishist disavowal: "I know very well that this is an ordinary person like me, BUT NONETHELESS... (while in power, he becomes an instrument of a transcendent force, power speaks and acts through him)!" Does all this not fit the general matrix of Kant's solutions where the metaphysical propositions (God, immortality of the soul...) are asserted "under erasure," as postulates? Consequently, would it not the true task be precisely to get rid of the very mystique of the PLACE of power? (The Parallax of the Critique of Political Economy

彼がジジェクを参照しているかどうかはどうでもよいことであり、おそらく自らの経験により、そのような結論を得たのではないだろうか。

《みんなが「◯◯会」をつくったとか、なんとか団をつくったとか、それで会長だの代表だのの肩書をいちいち名乗ってるのは、なんかゴッコにしか見えないんだよね。遊びではなく真剣にやってるのはわかってますが。そんなにみんな一家の長みたいなのに収まりたいの? それでは広がらんで。》





…………

ところでスローガン的発言(キャッチーさを主眼におく)を中心にして発言は、「思考」のレベルでは、それを鵜呑みにすることはでき難い。

@kdxn:アベノミクスの失敗やな。@MSN_Nagato https://twitter.com/kdxn/status/511387603740803072 … pic.twitter.com/mK7883VpHB(2014.9.15)

これだけ読んで(すなわち「貿易赤字はすべてアベノミクスのせいだという見解を読んで)、われわれはただひたすら頷くだけにはいかないだろう。

たとえば、少なくとも次のような分析を参照しなくてはならない。そして、これも数ある分析のひとつに過ぎない。



≪主因は製造業のアジア移転≫

 だが、貿易赤字自体を罪悪視する、「貿易赤字で大変だ」といった議論は根本的に誤っている。赤字が悪くて黒字が好ましい…まさに重商主義の発想に他ならない。アダム・スミスの名著『国富論』は相当部分を重商主義の誤りを正すために割いている。過去の実証分析でも、貿易赤字で成長率が低下するとか金利が上昇するといった傾向は認められていない。

 第2の誤りは、貿易赤字は原発停止-燃料輸入増によるとの見解だ。JPモルガン・チェース銀行の佐々木融氏が提示する分析によると、過去3年間の貿易収支悪化の約3分の1はエネルギー価格上昇と円安が理由だ。エネルギーの輸入増ではなく、価格要因(円安と国際価格の上昇)である。

残りの大半は対アジア貿易収支の悪化、アジアからの輸入増(機械など)で説明可能という。明らかに製造業が過去数年で生産拠点をアジアに移した結果だ。日本は景気回復で消費が拡大したが、国内製造能力の海外移転で輸出は増えず、逆に輸入が拡大する…。構造的変化が起きているのだ。

野間易通氏が先日リツイートしていたが、次の言葉はあれらの「カウンター」運動者の発言のありようを象徴するものだ。

@bcxxx: ネトウヨの猛然たるデマ言説に対して、左翼の対抗言説はいかにも丁寧で、資料を丹念に挙げたりするのだが、その分長ったらしく、キャッチーさに欠ける。教養のある人が、時間のある時に、ふむふむ勉強になるなあ、と思いながら読む感じ。学習会のノリなんだよね。

ここで古井由吉の言葉を並べて見比べてみることにしよう。

本来は、いまのような複雑な世では、一つの考えや状態を人に伝えるのに、どうしてもワンセンテンスの呼吸が長くなるはずなんです。切れ切れの話でやったららちがあかない。もちろん、複雑な事態を複雑なまま、できるだけ正確に伝えるのは難しいが。まずは、一つ呼吸を長くする、というようなことでしょうか。(古井由吉さん 衰えゆく言葉を鍛えよ

ファストフード的読者の席巻に同調する風潮、あるいは《若い人たちはマンガくらいしか読まないし、文学とか全然読まない訳です。そうやってマンガだけを読んで育った人が見る側もほとんどなので、ものすごく子供っぽくなっている》(桃井かおり)というわけだが、なにかを主張したければツイッターなどのSNSにて「わかりやすく」スローガン的な言葉だけを顕揚する風潮には警戒しなくてはならない。すなわち野間易通氏のときにある「挑発的・スローガン的」発話をすべて鵜呑みにするわけにはいかない。しかし冒頭に掲げられたようなツイートは、ひどく傾聴に値する。長年の経験に培われた「一つ呼吸を長さ」を感じさせる言葉である。


◆冒頭の野間易通氏のツイートと同じ時間帯に、佐々木中氏が、別の方のツイートに反応して書かれたドゥルーズの「議論」を否定することをめぐるツイートをしている。ここでは以前に呟かれた言葉を先に引用する。行動者としてもある佐々木中氏であり、その「政治的な」ツイートは、野間易通氏のものと同様に、傾聴に値する。

何もしないなら黙ってろ、黙ってるのが嫌なら何かしろ、という性質の話の筈。偉そうにTwitterでどっちもどっち論を繰り返し、動いているのは指先のみ。いま大学人がいかに信用失墜しているか新聞でも眺めればわかる筈なのに、そのざまか。民衆は学び、君を見ているぞ、「ケンキューシャ」諸君。(佐々木中)ーー罵倒の技術の練磨、あるいは「問題はそこではないのさ」

彼の他のツイートのいくらかはここに拾ってある→「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」(ジジェク)

だが、こうやって野間易通氏のツイートと並べて読むと、どこかに「弱さ」があるように感じてしまう(経験から生れた言葉ではなく、書物から生れた言葉)のは、--やむえないことだろう。

@noiehoie
でも、気をつけなきゃいけないのは、「洗脳したり支配してやろうとする奴は、この『話を聞いて欲しい欲求』をまずくすぐってくる」って事ですな。子供を巧妙に支配する親って、これの魔力に取り憑かれてるのよな。「一旦話さえ聞いてやれば、誘導できる」ことを知悉して、支配の道具にしてる。
@AtaruSasaki  仰る通りで、マネジメントや自己啓発に見られる安手の心理学の「傾聴」の応用なんて、一歩間違えればカルトですよね。@noiehoie

本当の対等な信頼に基づいた友情・愛情関係っていうのは、相手の言うことなんてまともに聞きゃしないし自分の言いたいことテキトーに全部言うけど、突然こっちのいうことをちゃんと聞いて深くわかってないと言えないことをグサッと言われて驚愕する、というものではないのか。

精神分析で言えば、フロイトと言う人は「傾聴」によって依存させるのも、しかしそれを突き放して依存から解放するのも天才的にうまい人だったよ。そして患者に絶対手を出さない。これについては講義でよく話す感動的な逸話がある。ラカンもそう。ちゃんと「自分から離脱」させないと駄目です。

ドゥルーズ=ガタリも共同執筆してるとき、つねに片方がしゃべりまくりその間片方はうんざりしていてて、それなのに不意に相手の言ってたことを自分が語りはじめ、その逆も起こり……ということを言ってる。

ゆえにドゥルーズは「議論」を否定し、別の水準の変化を重要視した。傾聴と透明なコミュニケーションを前提とした議論ではなく、もっと野放図な言葉の投げ合いぶつけ合いが真の変化をもたらし、支配関係のない真の集団性をもたらす。

ドゥルーズは仲間内でクネクネしてる人じゃない。議論を仕掛けられると「はいはいお説ごもっとも」って躱すし、いらないと思った人間は冷酷に撥ね付ける。ちゃんとものの本に書いてある。でも彼以上に愛に満ちあふれた哲学者っていないんだよ。身体めちゃ弱いのに鉄火場に強くてデモにも出てくるしさ。

というわけで、フロイトもラカンもドゥルーズもガタリも、俗流心理学や俗流ポストモダンとは何の関係もないから。無い。(佐々木中)

ここでジジェクのフロイトの政治的態度の批判を掲げておこう。

フロイトの選挙投票の選好(フロイトの手紙によれば、彼の選挙区にリベラルな候補者が立候補したときの例外を除いて、通例は投票しなかった)は、それゆえ、単なる個人的な事柄ではない。それはフロイトの理論に立脚している。フロイトのリベラルな中立性の限界は、1934年に明らかになった。それは、ドルフースがオーストリアを支配して、共同体国家(職業共同体)を押しつけたときのことだ。そのときウィーンの郊外で武装した衝突が起った(とくにカール マルクス ホーフの周辺の、社会民主主義の誇りであった巨大な労働者のハウジングプロジェクトにて)。この情景は超現実主義的な様相がないわけではない。ウィーンの中心部では、有名なカフェでの生活は通常通りだった(ドルフース自身、この日常性を擁護した)、他方、一マイルそこら離れた場所では、兵士たちが労働者の区画を爆撃していた。この状況下、精神分析学連合はそのメンバーに衝突から距離をとるように指令していた。すなわち事実上はドルフースに与することであり、彼ら自身、四年後のナチの占領にいささかの貢献をしたわけだ。(ジジェク『LESS THAN NOTHING』より 私意訳)

原文はここにある→ 「甘く見てはならないとか高をくくってはならないとかなんて言われても


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◆数日前の野間易通氏のツイートも拾っておく。

@kdxn: 何よりも、在日と議論してボロカス言われたからといって「在日はなんでも差别と言う」とか「このままだと在日が嫌いになりそう」とかネットに書いてしまう人と、在日が対等に議論できるわけないじゃないですか。ひどい抑圧ですよ。それは周りがちゃんと批判しないと。@ndoro4 野間易通

@kdxn: 「カウンター」は、行動であり態度のことであって、サークルやグループではないんだよね。日本中でレイシストやファシストにカウンターしてる人のほとんどは、俺の知り合いでも友達でもないし、今後も一生知り合うことがない人たち。そして俺を嫌いな人も大量にいる。これが普通でしょ。

@kdxn: 在日に「おまえはレイシストだ」と言われてカウンターやめるんだったら、しばき隊なんて結成翌日に解散やがな。「ザイトクとしばき隊なんてレイシスト同士のケンカ」と言われてたんだよ、在日に。でもそれって、在日にも日本人と同じぐらいの割合で馬鹿がいるという当然の現実を反映してるだけだよね。

…………

@kdxn: 凛さんの件ですが、今のところツイッター上で怒ってる人のほとんど全部が在日だということは、ちゃんと受け止めてほしいと思う。

@kdxn: 日本人は全然言及してないし、実際あんま怒ってない。なぜなら、「関係ない」から。でも在日の人は、凛さんの事件でものすごい恐怖を味わったはずです。

@kdxn: 凛さんの「生活保護不正受給」とされた件は、同様の事例が年間500件ほどあり、そのほとんどは日本人によるもので、刑事事件にもならない。仮にそういう刑事事件があったとして、日本人はその人に向けていちいち怒ったりしない。他人で知らない人だから。

@kdxn: これが在日の場合は、人数も少なく狭いコミュニティでそういうことがあれば、在日全体の印象が悪くなってしまう。この場合、在日全体に悪い印象を持つマジョリティのほうが間違っていてそれも差別なんですけど、実際にそうなってしまうんだから凛さんの同胞の恐怖は計り知れないものがあったと思う。

@kdxn: 年間500件の不正受給のほとんどに何も手を付けず、すでに返済済みの凛さんのものだけ逮捕・起訴して「犯罪者」としてテレビに報道させたのは明らかに警察の意図的な動きで、これは弾圧案件。しかし警察は、法的にはちゃんとNGになる事例を選んでそういうことをやる。

@kdxn: というわけで、いくら警察の弾圧だといっても、在日の人たちの恐怖や怒りにはちゃんと正当な理由があるので、そこは丁寧に対応してほしいと思います。

@kdxn: 日本人はこの場合、総体として在日に恐怖を与えている側なので、これに乗っかって一緒に凛さんを非難するようなことはやめたほうがいい。幸いカウンターの中には今のところそういう人は見当たりませんが。

@kdxn:というわけでこれは、社会的立場によって対応が変わってしかるべき事例だと思います。

@kdxn: あとスケコマシ問題とかいろいろあるけど、これは分けて考えるべし。仮に凛さんがダメ男だったとして、しばき隊に呼応して最初に立ち上がったのがそういう人しかいなかったのだからしょうがない。みんなの考える「まともな人」が立ち上がってればこうはならなかったけど、いなかったんだよ。

@kdxn: で、その意を決して立ち上がったことがひとつの原因となって警察にいらんことやられてるわけだから、そこは割り引いて考えたい。少なくとも日本人としては。

…………

@ARK_kandu: 野間さんの言ってた,つうのはこれ。泥さんも過労(たぶん極度の寝不足)で判断力落ちてると思います。(U) QT @kdxn: 本人連れてきて自分で反論させろよ。親かおまえは。

@kdxn: @ARK_kandu それ解決でもなんでもなくてスタート地点に戻るだけでしょ。で、自分の感情をコントロールできない人は、議論に向いてない。ていうか、いつまでチアフルの話につきあわせるの? 知らんがな。私が言ったのは「解決するな」ということ。君には無理だよ。

@kdxn: .@ARK_kandu なんでこんなトラブルを自分が「解決」できると思っているのか全くわからない。事実、あなたが種になって負のスパイラルを起こしたでしょう? 犯罪被害にあってる友人を助けるとかならともかく、個人の感情処理の問題を「解決」できるようなタマじゃないでしょう、あなた。

@kdxn: .@ARK_kandu みんな大人なんだから、いろんなことを「ほっとく」能力ちゃんと磨いたほうがいいですよ。そもそも「俺はもうやめてやる!」とか宣言してどっか言っちゃう人って9割9分復活するので、心配してあれこれやる必要は全くないです。本当に離反するのは黙っていなくなる人。

@kdxn: 「もうやめます」とか「休みます」とか「アカウント消します」とか、いちいち言わなくていいから。めんどくさいねん。勝手に休んだらいいやん。誰も文句言わんよ。

@kdxn: RT @鍵: もうやめます→構って 休みます→構って アカウント消します→構って


※参照:
1、旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通
2、罵倒の技術の練磨、あるいは「問題はそこではないのさ」
3、「ネオナチと高市の写った写真見ながら、今もヘラヘラしてんだよ

ーーさあて、これで野間易通話題をいったん打ち切りにすることができるだろうか?
オレにはわからんね