このブログを検索

2014年1月19日日曜日

遠い道

この場景が決ってあらわれるのは不可解です
これをどう扱ったらよいのか
私にはさっぱり分かりません

お話申上げます
四角の、少しばかり傾斜の急な野原が見えます
緑色で、びっしり草が生い茂っています
緑の中にとてもたくさんの黄色い花が咲いています
普通のタンポポなのです
野原の上手には一軒の農家があります
戸の前に二人の女が立っており
互いにときおりお喋りをしています
頭巾をかぶった農夫と子守りなのです
野原では三人の子供が遊んでいます
一人は私で二歳から三歳にかけてです
ほかの二人は、ひとつ上の従兄とその妹
私とほぼ同じ齢の従妹です

私たちは黄色い花を摘んでいます
めいめい摘んだ花をたくさん手に持っています
いちばん美しい花束を持っているのは少女です
私たち男の子は彼女に襲いかかり花をひったくります
少女は泣き泣き野原を駈けて行き
農婦から慰めに大きな黒いパン一片貰います
それを見るとすぐ私たちは花を投げ捨て
家に駈けて行き同じようにパンをねだります
農婦はパンの塊を長いナイフで切ってくれるのです
貰ったパンは追憶のなかではともておいしく
それといっしょにこの場景は終るのです


――いつからこんな幼児期記憶を想起するようになったのですか


その点についてはまだ考えたことがありませんでした
こんな幼児期記憶は以前には
思い出さなかったように思います

十七歳のとき私は高等学校の休暇に
はじめて生れた故郷に戻ってみました
私の生家はもともと裕福で
あの片田舎では悠々たる生活
送っていたのでした

私が三歳のとき父のやっていた工場が
行きづまってしまいました
父は財産を失い私たちは余儀なく
その土地を離れ大きな町に引き移りました
その後長く苦しい年月がつづきました
なにかその頃のことを思い出す
というのにも値しない年月でした
町では居心地がいい
とはちっとも感じませんでした
故郷の美しい森林を懐かしむ気持
片時も私の心から離れなかったのです

さて田舎で過ごす最初の休暇でした
時に十七歳
私はある知り合いの家の客となりました
その家はわれわれが移住して以来
ぐんぐんと上向きになっていたのでした
私はその家の裕福な生活と
町のわが家の暮しぶりを比較する機会をもちました

もうこうなったら避けたところで
なんにもならないでしょう
私に強烈な刺激を与えたもの
まだ他にもあったこと
白状しなければなりません
私をもてなしてくれた家族に
十五歳の娘がいました
その娘が好きになってしまったのです
それは私の初恋でした
たしかに激しいものでした
が完全に内に秘めたままでした
相手の少女は数日後
師範学校へと出発しました
同じように彼女も休暇で帰ってきたのです

こうして知り合って束の間で別れたとなると
思慕の情はますます募るばかりでした
私は長時間独りぼっちで
ふたたび目の当たりにした
素晴らしい森の中を散歩しながら
空中楼閣を築くのに耽りました
それは不思議にも未来へとは向かわず
過去を訂正しようと試みるのでした
あの頃破産していなかったならとか
郷里に残って田舎で成長し
この家の若い衆や恋人の兄弟たちのように
強健になっていたらとか……

奇妙なことですが、今、彼女を時折見かけても
――彼女は偶然こちらの方へ嫁入ったのですがーー
彼女なんかまったくどうだっていい気がします
しかし最初に出会ったときに
彼女が着ていた服の黄色
がその後どのくらい長いあいだ
同じ色をどこかで目にするたびに
私を刺激したかははっきり思い出せます

第二の契機のことを申し上げます
三年後、休暇中に叔父のところを尋ねました
こうして私の最初の遊び仲間だった
子供たちにふたたび出会いました
タンポポの野原の場景にでてくる
あの一歳年長の従兄と私と同年齢の従妹です
この家族も私たちと同時に
私の郷里をあとにしたのですが
遠い町で裕福な生活に立ち戻っていたのでした


――そしたまた好きになってしまって、こんどはその従妹にですね、そして空想を築きあげたというわけですか


いいえ、こんどはそうではなかったのです
私はすでに大学に行っており
書物にかかりきりでした
従妹にたいする余裕などありませんでした
でも父と叔父のあいだには
こんな計画があったと思います
つまり私がやっている深遠な学問を
なにか実際的にもっと役に立つ学問にかえ
学問を終えたら
叔父の居住地に腰を落ち着け
従妹を妻に娶るというふうに
私をさせようとする計画でした
私が自分自身のたてた企て
没頭しているのが分かって
この計画はご破算になったのでしょう
ずっとのちに学者になりたての頃
生活の苦労で難儀し
この町である職にありつくまで
長く待たなければならかったとき
私はしばしば考えたにちがいありません
父はもともと私のためを思ったからこそ
あんな結婚計画を立てたのだ
それによって昔の破産
私の全生涯にもたらした損失の
埋め合わせをつけよう
としてくれたのだと


――あなたはあの幼時場景からもっとも強烈な要素として田舎風のパンがとてもおいしい味がする、という点を強調しています。あなたは空想した。もし故郷に残っていたら、あの娘と結婚していたら、どんなに自分の生活は快適であっただろう、と。これは象徴的に表現すれば、それよりずっと後のあの時代にあなたが苦闘しながら求めていたパンが、どんなにおいしい味がしたことであろう、ということになる。それに花の黄色は同じ少女のことを暗示してします。それはそうと、あの幼時場景には、もしあなたが従妹と結婚していたなら、という第二の空想にしか結びつかない要素が入っています。花を投げ捨てて、それと引換えにパンを手に入れようとするのは、あなたの父親があなたにたいして抱いていた意図の偽装として悪くない、と思います。あなたに、あなたのやっている実用的でない観念的なものを断念させて、「パンのための学問」を選ばせよう、というのでしたね。


それでは結局、私の生活がどんなに快適であったか
という両方の空想を互いに溶かしあって
一方からは《黄色》と《田舎》風パンを
他方からは花を投げ捨てることと人物たちを
取り出したことになるわけでしょうか
しかしそうなるとこれは幼児期記憶ではなくて
幼児期へと移し換えられた空想
ということになるますね
でも私にはこの場景は本物だ
という気がするのです
どうしてそんな気がするのでしょうか


――われわれの記憶の陳述には、そもそも保証というものがありません。しかし、その場景が本物だ、というあなたの言葉を認めましょう。そうすると、あなたが無数に多くのこれに似たような、あるいは他の場景の中からこれを探し出してきたのは、この場景がーーそれ自体は取るに足りないーー内容のために、あなたにとってはきわめて重要であった、二つの空想を述べるのに適していたからです。私は次のような記憶、すなわちそれが記憶の中で、のちの時代の印象や思想の代理をしている点にその価値があり、その内容が象徴的な、似たような関係によって本来の内容と結びついている記憶を、隠蔽記録と命名したいと思っています。いずれにせよ、この場景があなたの記憶の中に繰り返し現れてきても、もう不思議に思うことはないでしょう。この場景はもはや無邪気なものとはいえません。なぜならわれわれがすでに発見したように、これはあなたの生活史におけるもっとも重大な転機、つまり「飢えと愛情」という二つのもっとも強大な動機の影響を例証するような役割を課せられているからです。


一人の少女から花をもぎ取ること
これは処女を汚すということなのですね
それとこのテーマ全体でもっとも誘惑的なのは
なにもできない青年にとっての
初夜についての観念です
しかしこの観念はおもてに出てきません
少女たちにたいする遠慮と畏敬の雰囲気が優勢なので
抑圧されてしまいます
こうしてこの観念は無意識のままにとどまり……

――幼児期記憶に移動するわけです


…………

以上はフロイトの『隠蔽記憶』(人文書院旧訳)から抜き出したものだが、一部の文や助詞を除いたり接続詞の表現を変えた箇所がある。もちろん行分けは引用者がしている。この論は1899年に書かれており、『夢判断』が発表された前年ということになる。話者は大学教育を受けた三十八歳の男性で、フロイトが以前精神分析によって軽い恐怖症から解放してそれ以来、心理学的な問題に興味を抱きつづけていたということになっているが、実際は、フロイト自身の経験である、と言われることがあるようだ(この論文執筆当時フロイトは四十三歳)。


ここでかつてわたくしの「友」からきいた、彼に繰り返し現れた場景を想いだしてみよう。

朝はやく幼児たちが集まっている
土ぼこりが舞う道のかたわら
何人かの付添いのおとなの姿もある
パーマネントをかけたり
やわらかな胸や腰まわり
軀のまわりに靄がたちこめたような
艶っぽい若い母親たち
「母だけじゃないのだな
いいにおいのする女性は」
なめらかなくちびる
そこから洩れ光る濡れた白い歯

きょろきょろしていると
襷がけに吊るしたハンカチ
彼だけが色ものなのだ
集団登園の初日
ほかの幼児はみな白いハンカチ
自分で気づいたのか
誰かに指摘されたのか
は覚えていない
顔をゆがめて泣き出した

母が慌てて駆けつけてくる
見知らぬまわりの子供たちのまなざし
付添いの母親たちのまなざし
ふっくらしたきれいな保母さん
もいた気がする
が定かではない
赤い唇の派手な女性
彼女の生温かい吐息
を憶い出すのはどういうわけか
だれかが声をかけてくれたわけではない
子供たちよそよそしくしたりきょとんとしたり
大人たちは戸惑っている
そんな印象が残っている

母の困って赤らんだ顔
躾けの厳しかった母の口から
「しっかりしなさい、そんなことで」
との叱責を喉もとで抑えている
ような不安におそわれそうになる
母は白いハンカチにとりかえに
家に急いだのだったか
これも定かではない

さあ出発だ
だが出足が悪い
ほぼ真っ直ぐな道
田圃のなかの舗装されていない道
鎮守の森が遠くにみえる
行き先はあそこだ
遠いなあ
あそこまで歩いていくのか
母なしで






――この友人は中学二年生のときある少女に熱烈な恋をした。同じクラスの抜群に勉強のできる短髪でぼっちゃりした可憐な少女だった。わたくしも魅せられた。学校内だけでなく県内の一斉テストでも十番内に入るほどの成績だ。《朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚》とは中井久夫の村瀬嘉代子さんの書への書評のなかの言葉だが、あの頃の少女から受けた感覚は、いま想い起こしてもこの言葉がぴったりくる。

先生が彼女を指名し立って返答をするのを見ただけで彼は顔が真っ赤になってしまう。クラスの仲間はその様子にたちまち気づき、彼に視線が集まる。多くはひややかなものか、珍奇な動物を眺めるようなおしゃまな少女たちのまなざしもあった。先生も気づく。彼がわたくしに話してくれたのはそれからしばらく経ってからだが、その頃から上のような幼児期記憶の場景が繰り返しあらわれるということだった(わたくしが書いたものはやや脚色している)。

彼もわたくしも少女とは別々の高校に通ったが(当時は不幸にも学校制度というものがあった)、彼は後年この少女と結婚している。わたくしは大学時代、彼がひどいパンストフェチだったのを知っている。その理由は少女と公園でのデートの折、スカートのしたをまさぐったのだが、パンティストッキングがお臍の上まであってうまく引き摺りおろせなかったせいだと言い訳をきいたことがある。その公園での幼い愛戯の直前に少女が堕胎していたことをのちに打ち明けられ、ーーそうでなかったら、パンスト下ろすのすこしは手伝ったわーーかなりの衝撃を受けたらしい。何度かヤケ酒に付き合わされた。





彼はそれ以外にも変な癖があった。これも少女に関係するようだ。少女は自転車通学をしていた。校区ぎりぎりのところにある住まいで、たしか二キロ以上を越える場所に住む生徒は自転車通学が許可された。彼は自転車のサドルをみるとたまらなくなるらしい。ようするににおいを嗅いでみたくなるのだ。当時から豊かな腰と大腿をもった女だった。胸の華奢さとのアンバランスが奇妙な淫猥さの眩暈をもたらしたのは、これはわたくしも同じだった。大学時代、彼と少女とわたくしの三人で遊んだこともあり、少女とは友人関係にあったのだが、少女は彼にいささか暴力的なところがあると打ち明けながらも、彼を強く愛するようになっていったようだ。かつての活発な少女はなにかに耐える様子に変わっていったのが印象に残っている。