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2013年9月7日土曜日

カール・リヒターとメランコリー





おそらく1958年録音か1969年の東京ライブの、カール・リヒターのマタイ受難曲録音からだろう。

該当箇所は、次の1.27.06あたりから。





このリヒターの1958年版は、今でもある年代以上のマタイ愛好者には決定版といわれているもの(リヒター録音のマタイは四つの版がある)。

合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)


この箇所のクレッシェンドとデクレッシェンドは、リヒターだけの特徴ではなく、かつてフルトヴェングラーは次のように語ったそうだ。

「大規模な交響楽的クレッシェンドは、ロマン主義的なルバート、すなわち緩急の自由なテンポの扱いと同様に、作品内の有機的な形態の多様性と結びついている。特に後者は――これは楽譜への忠実さをどんなに口先だけで信条としていても、やはり現代の真の病いであり、劇場に発するものである――バッハでは厳しく徹底的に排除されなければならない。私が『マタイ受難曲』であえて行なっている唯一の例外が、「まことに、この人こそ神の子であった」という言葉にともなう大規模なクレッシェンドとデクレッシェンドである。私はこれを様式の上で弁護するつもりはないが、歌詞の内容を見事に表現するように思われ、それを断念する気になれない。これは私がカール・シュトラウベから受け継いだものである。」(『フルトヴェングラー 音と言葉』






最近の「まことに、この人こそ神の子であったWahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」ーー、たとえばHerrewegheは次のような演奏。






あるいは。





…………


当時、レオンハルトやアルノンクールがやり始めたのは、厳密な校訂を通じてバッハならバッハの元の楽譜をできるだけオリジナルに近い形で復元し、徹底的に研究した上で、当時の楽器、あるいはできるだけそれに近いものを使って、19世紀ロマン派以後に広まった妙な感情移入やドラマティックな演出(とくにテンポの伸縮)なしにザッハリッヒ(即物的)に演奏するということです。いわゆるピリオド楽器によるオーセンティックな奏法ですね。それが対立しているのは、ヴァーグナーから(指揮者だと)フルトヴェングラーを通じてカラヤンに至るようなロマン主義的な演奏のスタイル、どんな音楽でもヴァーグナーのように巨大なオーケストラを使ってドラマティックに演奏してしまうスタイルです。カラヤンに至ると、縦の線をほとんど無視してテンポを主観的に伸縮させながら音楽を流線型の華麗な流れと化し、半強制的な感情移入によって聴衆をそのなかに引きずり込んでいく、というようになる。ある種、ファシズム的な美学ですね。それは言い過ぎだといても、後期資本主義社会における「聴取の退化」(アドルノ)の典型です。それに対して「ノン」と言ったのがレオンハルトやアルノンクールといった人たちだった(古楽でも、カール・リヒターらの演奏は、むろんカラヤンとは違うとはいえ、どこかそれに通じる壮麗なドラマとして演出されていたので、それに対比しても彼らの新しさは明らかです)。要するに、大オーケストラや大コーラスはやめる。そもそもバッハの時代は10人、20人でやっていたのだから、それでいいではないか。縦の線を重視し、むしろ機械的なくらい速めで一定のテンポを保つ。強弱も、連続的なグラデーションで変化させるより、むしろ機械的に強弱を対立させる。ヴィブラートによる表情豊かな表現を排し、できるだけノンヴィブラートであっさり弾く。このように、カラヤンに極まるような、流線型の巨大なオーケストラ音楽で共同体の感情移入を誘うという方向に対し、むしろそれを異化する。ザッハリッヒに、言い換えれば風通しよくドライにいくというのが、この時代に始まったことです。これは古楽で始まったわけですが、アルノンクールなどの場合、その後モーツァルトやベートーヴェン、さらにはロマン派でもそういう形でやってみたらどうかということになってくる。60年代はマイナーだったのが、いまやメジャー化したとは言わないまでもずいぶん一般化してきた。実をいえば、昔の楽器や奏法をどんなに研究しても、録音はないんだし、当時本当にどんな演奏が行なわれていたかはわからないんで、僕なんかはピリオド楽器によるオーセンティックな奏法と称するものの流行がちょっと行き過ぎているんじゃないかと思ったりもする。それこそゴダール的に、たんに音楽があるので、正しい音楽なんてない、と言いたくなったりもする。ともあれ、それくらい、正しい音楽を可能なかぎり歴史的研究で裏付けて演奏しよう、ロマン派の時代にこびりついた余分な化粧は削ぎ落とそうという動きは、古楽の枠をこえて、かなり一般的になってきているんですね。(ちなみに、古楽的なアプローチではなく、現代のオーケストラを使った演奏でも、ストローブ=ユイレのシェーンベルクのシリーズで指揮者を勤めているギーレン[シェーンベルクの女婿のノーノから推薦された]などは、カラヤン的な演奏とはまったく違う、非情なまでにザッハリッヒな演奏スタイルを貫いてきました。ベルリンで彼がアドルノの小品とベルクのヴァイオリン協奏曲を振るのを聴いたことがあるのですが、後半のシューベルトの第8交響曲は、フルトヴェングラーの演奏だと「天国のように長い」はずが、その1.5倍はあるんじゃないかと思われる超高速でさーっと演奏され、さすがに唖然とさせられたものです。)(講演「ダニエル・ユイレ追悼――ストローブ=ユイレの軌跡 1962-2006」2006年12月9日 浅田彰






《メランコリーは、失われた対象への愛着であるのみならず、対象が最初に失われたこと〔起源における喪失〕それ自体への愛着でもある(……)。

アドルノは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮を評して明快にこう述べた。

フルトヴェングラーは、すでに失われてしまった何かを救出すること(Returng)、拘束力のある伝統が廃れようとしているときに失われつつあったものを取り戻すことに心を砕いていた。この救出の試みを成功させようとして、彼はやや過剰に祈りを込めて指揮棒を振ったが、その祈りが探し求めているのは、もはや直接的にそれ自体としては現前していないものなのだ。(Theodor W. Adorno, Bewahrer der Musik [Furtwängler]

注目すべきは、今日の(当然といえる)フルトヴェングラー崇拝を支える二重の喪失、すなわち彼の古い録音が放つ魅力である。指揮が、面白味のない技術的な完璧さと舞台芸人のようなわざとらしい情熱とに分裂してしまった今日(レナード・バーンスタインを見よ)、フルトヴェングラーの一見ナイーヴで直接に有機的な情熱を持つことはもはや不可能に思えるが、われわれは彼のそうした情熱に魅了されているだけではない。われわれを魅了する失われた対象それ自体、すでに或る喪失を伴っている。つまり、フルトヴェングラーは、すでに危険にされされていて当時の社会にはもはや簡単には見出しえなくなっていたものを、伝統の一部として救出しようと必死になっており、だからこそ彼の情熱は、そこからくる切迫感やトラウマ的な強度に満ちていたのである。それゆえ、われわれがフルトヴェングラーの古い録音を聴いて取り戻したいと願うものは、クラッシック音楽の有機的直接性ではなく、有機的で直接な喪失の経験そのもの、もはや接近不可能な喪失の経験なのだ。この意味において、今日のフルトヴェングラー熱は、もっとも純粋な状態にあるメランコリーなのである。

ジョルジオ・アガンベンが強調したように、喪の対極にあるメランコリーは、喪の作業の失敗、対象のリアルへの不変の愛着であるだけでなく、そうした失敗や愛着とは正反対のものでもある。つまり、「メランコリーは、対象の喪失を見越し、喪失に先立って喪の作業を行おうというパラドクスを提示している」。ここにメランコリーの策略がある。一度も手にしたことのない対象、最初から失われていた対象を所有する唯一の方法は、しっかり所有している対象を、あたかもそれがすでに失われたものであるかのように扱うことなのだ。だから、喪の作業を成し遂げることを拒否するメランコリー者の身振りは、そうした拒否とは正反対の外観を呈する。それはつまり、対象が失われないうちから、その対象に関して過剰で余計な喪の作業を行うという偽の身振りである。(……)

いまだ失われずに目の前に存在している対象に対して喪の作業を行うというパラドクスを、どう解決すればよいだろうか。この謎を解く鍵は、メランコリー者は失われた対象において何を失ったのかを知らない、というフロイトの明確な定式にある。ここで、ラカンによる、対象と欲望の原因(-対象)との区別を導入する必要がある。欲望の対象はたんに欲望された対象にすぎないが、欲望の原因は、欲望の対象をわれわれに欲望させる特質(ふだんは気づかなかったり、時には対象を欲望する際の邪魔になっているとさえ思えたりするような或る細部や直し難い癖)である。こうした視点から見ると、メランコリー者は、失われた対象に固着し喪の作業を完遂できない主体であるばかりか、対象を欲望させる原因が消えて力をなくしたために、対象を所有していながらその対象への欲望を失ってしまった主体でもあるのだ。メランコリーは、挫かれた欲望、対象を奪われた(欲望されなくなった)対象それ自身の現前を表している。欲望された対象をついに手に入れたがその対象への欲望は失われている、そういうときにメランコリーは生じるのだ。まさしくこの意味で、メランコリー(欲望を満たすことができない対象、実定的で〔ポジティヴ〕で観察可能な対象すべてに対する失望)は事実上、哲学の始まりなのである。》(ジジェク「メランコリーと行為」2000



ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼン「シューマン論」)

もうひとつ、ジジェクのメランコリーをめぐる叙述。

ある特定の町に住み慣れてきた人が、もしどこか別の場所に引っ越さなくてはならなくなったら、当然、新しい環境に投げ出されることを考えて、悲しくなるだろう。だが、いったい何が彼を悲しませるのか。それは長年住み慣れた場所を去ることそれ自体ではなく、その場所への愛着を失うという、もっとずっと小さな不安である。私を悲しませるのは、自分は遅かれ早かれ、自分でも気づかないうちに新しい環境に適応し、現在は自分にとってとても大事な場所を忘れ、その場所から忘れられるという、忍び寄ってくる意識である。要するに、私を悲しませるのは、私は現在の家に対する欲望を失うだろうという意識である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)