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2014年3月22日土曜日

「涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!」(ジジェク)

今日では、形而上学にあらゆる軽蔑をあらかさまに示すことが、時代の好尚となってしまった。(……しかし)実際、人間の自然的本性にとって無関心でいられないような対象に関する研究に、どれほど無関心を装ったろころで無益である。自分は形而上学に対して無関心であると称する人達が、いくら学問的な用語を通俗的な調子に改めて、自分の正体をくらまそうとしたところで、とにかく何ごとかを考えるかぎり、彼等がいたく軽蔑しているところの形而上学的見解に、どうしても立ち戻らざるをえないのである。(カント『純粋理性批判』)

こう引用したからといって、たいして知っているわけでもない「形而上学的見解」に立ち戻るふりをするつもりはない。だがツイッターなどのインターネット上の書き込みを眺めていると、いまさら素朴に驚くなどとカマトトぶるつもりはないにしろ、いろんな種類のひとの呟き・見解に遭遇して感慨を新たにするということがあるわけで、フロイトやジジェクをいくらか齧り、ラカンを掠った程度のわたくしでも、なんらかの感想を書きたくなることがある。だがそれを「精神分析的見解」などとは安易にいうまい。とはいえ以下に書かれるものは、いささか「心理学的見解」の気味があるには相違ない。

…………

たとえば「貧困」や「差別」に対する姿勢である。「まったく無関心」、「嘆かわしい事態として憂慮する」、あるいは「本気で同情して声を荒立てる」という三種類のタイプがまずは目につくだろう。

……たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。(ジジェク『斜めから見る』p260)


ジジェクの指摘する四つ目のタイプはひとまず置くことにして、一見真摯な態度、「本気で同情して声を荒立てる」タイプに似たような態度を諌める発言として、すこしまえに次のような「正義欲」をめぐる簡潔なツイートにめぐりあった。

@smasuda: 「正義欲」というものがある。無関係の他人の振舞いをみて「こんな不正をしてけしからん」「こんな下劣なことをしてけしからん」と正義の怒りに身を任せる快楽に浸りたい欲望である。人々の正義欲を刺戟するビジネスを「下劣でけしからん」と思うのならば正義欲の発露はほどほどにしとくのが吉

このツイートが《軽薄な幻想の支配を告発する身振りに自足しうる軽薄さ》(蓮實重彦『物語批判序説』)でしかないかどうかは判断を保留しよう。だがインテリとは誰もがこのような一見「気の利いた」発話をしてみたくなるものだ。ときに似非インテリ・にわか知識人として振舞いたくなるわたくしももちろん例外ではない。

もっとも、繰り返すが、「正義欲」なるものは、ときに、己れ加害性を忘れるために、あるいは隠蔽するために、発露されることはあるという意味で、上のツイートの内容自体を批判するつもりは毛頭ない。

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)

あるいはフロイトやジジェクなら、次のように指摘する。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』)
ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

…………

ここでジジェクが最近の大著『LESS THAN NOTHING』で、フロイト、あるいはラカンの「政治的」態度をもふくめて批判=吟味している文を原文のまま挿入するが、これは読み飛ばしてもらっていい。

We should reject here the common‐sense view according to which, by dispelling all mystifications and illusions, psychoanalysis makes us aware of what we truly are, what we really want, and thus leaves us at the threshold of a truly free decision no longer dependent on self‐delusion. Lacan himself seems to endorse this view when he claims that “if, perhaps, the analysis makes us ready for the moral action, it ultimately leaves us at its door”: “the ethical limits of the analysis coincide with the limits of its praxis. This praxis is only a prelude to a moral action as such.”2 However, does not Lacan outline here a kind of political suspension of the ethical? Once we become aware of the radical contingency of our acts, the moral act in its opposition to the political becomes impossible, since every act involves a decision grounded only in itself, a decision which is, as such and in the most elementary sense, political. Freud himself is here too hasty: he opposes artificial crowds (the church, the army) and “regressive” primary crowds, like a wild mob engaged in passionate collective violence (lynching, pogroms). Furthermore, from his liberal perspective, the reactionary lynch mob and the leftist revolutionary crowd are treated as libidinally identical, involving the same unleashing of the destructive or unbinding death drive.3 It appears as though, for Freud, the “regressive” primary crowd, exemplarily operative in the destructive violence of a mob, is the zero‐level of the unbinding of a social link, the social “death drive” at its purest.
註3:Freud's voting preferences (in a letter, he reported that, as a rule, he did not vote—the exception occurred only when there was a liberal candidate in his district) are thus not just a private matter, they are grounded in his theory. The limits of Freudian liberal neutrality became clear in 1934, when Dolfuss took over in Austria, imposing a corporate state, and armed conflicts exploded in Vienna suburbs (especially around Karl Marx Hof, a big workers housing project which was the pride of Social Democracy). The scene was not without its surreal aspects: in central Vienna, life in the famous cafés went on as normal (with Dolfuss presenting himself as defender of this normality), while a mile or so away, soldiers were bombarding workers' blocks. In this situation, the psychoanalytic association issued a directive prohibiting its members from taking sides in the conflict—effectively siding with Dolfuss and making its own small contribution to the Nazi takeover four years later.

よく組織された集団(教会と軍隊)と退行的な原初集団という語彙が出てくることから分かるように、その言及がないにもかかわらず、フロイトの『集団心理学と自我の分析』(ヒットラーが理論書として参考にしたとも言われる)の批判(吟味)としてある。そして註には、ドルフースの名が出てくることから分かるように、フロイトたちの集団の政治的無力が書かれている。いやナチスによる占領に加担してしまった集団として。

ここでは、以下の蓮實重彦の『凡庸な芸術家の肖像』における次の文の「芸術家」の語に「知識人」、あるいは「学者」を代入して読んでみるだけにする。

芸術家とは、その内的な感性の鋭さ故に政治に背を向けるのではない。内的な繊細さが要求されてもいないときに外的な鈍感さを装う、きわめて政治的な存在なのである。それはほかでもない、制度的に深く政治に加担する存在だということだ。p315
自分には政治のことはよくわからないと公言しつつ、ほとんど無意識のうちに政治的な役割を演じてしまう人間をいやというほど目にしている(……)。学問に、あるいは芸術に専念して政治からは顔をそむけるふりをしながら彼らが演じてしまう悪質の政治的役割がどんなものかを、あえてここで列挙しようとは思わぬが、… p461
混乱に対して共感を示さずにおくことの演じうる政治性に無自覚であることの高度の政治的選択 p582

…………


さて挿入前に戻れば、正義欲など己れの怨恨の隠蔽さ!、などと安易に言い放ってしまうと、たとえばヘイトスピーチに対する怒りの表出を抑圧することにもなる。あるいは政治行動に参加しない言い訳にもなりうる。たとえば以前に、《主観的には「差別に反対する」意図を持った人たちが、これほど露骨に差別の温床になり、あるいは差別の増幅装置にすらなっていることが、あまりに放置されています》などというツイートを拾ったことがあるが、その見解に頷くにもかかわらず、これも抑圧系の呟きとして機能するだろう。

他方、作家・思想家の佐々木中氏にはこんなツイートがある。

@AtaruSasaki: 知人のプログラマによると、もうギークたちはFacebookにもTwitterにもいない、Github Gistで日記書くのもやめてリアルで会ってる。が、TwitterにはまだRSSリーダの代替としての、そして市民運動の連絡ツールとしての役割が残ってる。

@AtaruSasaki: おっと、もうひとつ役割がありました。それは「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」としての機能です。どっちもどっち論者、そこまでやらなくても論者、内容はいいがやってる人間が気に食わない論者。内心にあるのは既得権益を失いたくないという自己保身。東電か。

@AtaruSasaki: 繰り返しますが、人種差別などの歴とした不正が目前で行われているのに、客観中立を装ったり党派的に日和見をしたりするのは、そのような不正に積極的に加担していることになります。その理由が狭い業界での保身ともなれば、思っているより遙かにあなたはあなたの敵だと思っていたものに酷似している。

@AtaruSasaki: 自分の信念を貫くこと、しかしこの社会で生き延びること。この二つをなんとか両立するために、ネゴシエーションというものがある。ギリギリの交渉はストレスフルで疲れます。が、いつも逃げ回っていれば、信念や既得権どころか、正義も生命もすべて失うことになる。

ネット上の「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」にて、佐々木中氏をマッチョ系だと嘲弄するような発言を垣間見たことがあるが、彼の態度は、やはりいまあるべき「模範的」な態度のひとつである、とわたくしは思う。

仮に反差別運動が差別の温床になろうが、己れの加害性の隠蔽になろうが、あるいはまたときによっては速断による誤解や勇み足のはしたなさを晒そうが、場合によっては売名行為などの「偽善」であろうが、それらの批判(自己吟味)を頭の片隅にとどめながら即座に「行動」を起さねばならない対象というものがある。

@AtaruSasaki: 知人が作家ゴイティソーロから直接聞いたユーゴ内戦の話。脱出して来た旧ユーゴの作家や学者達が慟哭し悔いていたこと。「排外主義を唱える連中はみな愚かで幼稚に見えた。何もできまい、放っておけ、三流の媒体でわめかせておけと思った。それが、このざまだ。真正面から戦わなかった我々の責任だ…」

たとえば、われわれは二一世紀に入ってから、仏国のルペン父娘の率いる反EU、移民反対などを唱える極右政党国民戦線の躍進、ーーいつのまにか若者を中心に瞠目せざるをえない支持を集めてしまっているのを知っている。あるいはドイツ? いまだいくらかはナチスの記憶のトラウマが抑制効果の名残りをとどめているのだろうが、それも予断を許さない。

…………

さてここで冒頭近くのジジェクの発言に戻れば、その第四番目の差別、排外主義に対する態度、「われわれはみんなユダヤ人である」、「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」というのは、次の浅田彰の発言、「自分も別の次元ではマイノリティーだ」に想到しないでもないが、それは近似した態度と言えるのだろうか。

 浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

 そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

 千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。(「つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん」)

発言内容はジジェクと類似しているに相違ない。だがその態度が似ているにしろ、--たとえば、われわれはみな被差別者である!としてみようーー、ジジェクと浅田彰のその態度を受けての政治的な言動はまったく相反するようにみえる。

二十一世紀初頭に書かれた浅田彰によるジジェク吟味の文がある。

ローティに代表されるポストモダン相対主義が政治固有の次元を部分的社会工学へと解消してしまっているという批判は正しい。また、ラカン=アルチュセール主義過激派(観念論との闘争において唯物論の立場に立つことが哲学の任務である)に抵抗して、より重層的な判断の必要性を説いていたデリダ(第一のフェーズでは観念論と唯物論の優劣を逆転する必要があるが、第二のフェーズでは観念論と唯物論の対立の基盤そのものを脱構築する必要がある)も、今となってみれば、実際面ではとりあえず社会民主主義的な漸進的改良を支持する一方、理論面ではアポリアに直面しての不可能な決断といったものを神秘化するばかりという両極分解の様相を呈し、政治固有の次元を取り逃がしていると言えるかもしれない。そのような相対主義や(事実上の)オブスキュランティズムに対し、悪役の責めを負うことを覚悟してあえてドグマティックな現実への介入を行なわなければならないというジジェクの立場は、分かりすぎるほどよく分かる。しかし、それが60年代のヨーロッパのマオイズムと同じ極端な主観主義のネガなのではないか、あるいは、現在支配的なポストモダン相対主義のネガなのではないかという疑いを、われわれはどうしても払拭することができないのである。(パウロ=レーニン的ドグマティズムの復活?

この文は、この記事の表題に掲げられた《涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ!》の吟味としてもある。ジジェク批判として今も十分に生きているだろう。ではどうしたらいいのか、というのは宙吊りのままにしろ。

ところで浅田彰はかつて次のように発言している。

資本主義的な現実が矛盾をきたしたときに、それを根底から批判しないまま、ある種の人間主資義的モラリズムで彌縫する機能しか果たしていない。上からの計画というのは、つまり構成的理念というのは、もうありえないので、私的所有と自由競争にもとづいた市場に任すほかない。しかし、弱肉強食であまりむちゃくちゃになっても困るから、例えば社会民主主義で「セイフティ・ネット」を整えておかないといかない。(浅田彰 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」2000.11.27)

すなわち、資本主義的な現実を根底から批判する、そのシステムの暴力を、というのが浅田彰の姿勢なのだろう。浅田氏は、たとえばベーシックインカム導入に比較的積極的な態度をとっているには違いない。これは田中康夫の発言だが、《前から言ってるけど、人口構造も逆ピラミッド状態で、制度をいくらいじったって、年金制度が維持できる訳もない今、ベーシック・インカムのようなドラスティックな方法を取る必要があると改めて痛感するね》に対して、ほぼ同調する態度であるように思える(「憂国呆談」)。だがその新しいシステムの導入に積極的に加担する様子は、わたくしの知るうるかぎり、あまり見えてこない。


※いくつかのベーシック・インカムの議論を垣間見たなかでは、なんと「財務省」内での議論、《「ベーシック・インカムと財源の選択‐Atkinson教授の考察を中心に‐」2010年11月12日(金)》 、ーーそこには財源として「シニョリッジ」(貨幣の発行者が貨幣の発行によって手に入れる利益)を利用することが検討されており、参加者の淺川副財務官からは異議は呈されているのだがーーこれは今までの経済学の「通念」を越えた提案なのだろう。いずれにせよ、わたくしのようなシロウトには判断しがたいにしろ、財務省でも打開策のひとつとしてBI制度が検討されていることが窺われる。シニョリッジを財源にするという考え方は、早稲田大学の若い経済学者井上智洋氏の「過激な」--すなわち思いがけないーー提案にもつながるが、以前ネット上にあったいささか難解な論文「貨幣レジームとベーシックインカムの持続可能性」は消えてなくなっているようだ。


ベーシックインカム制度の是非は別にして、田中康夫の認識、少子超高齢化社会が極まりつつある今、社会保障制度は維持できるはずはない、という議論は、大和総研の「超高齢日本の 30 年展望 持続可能な社会保障システムを目指し挑戦する日本―未来への責任」(理事長 武藤敏郎 監修 調査本部)に詳しい。
高齢化先進国の日本の場合、老年人口指数で言えば、既に 2010 年時点で 100 人の現役世代が 35 人の高齢者を支えており、2020 年には 48 人、2050 年には 70 人を支える必要があると予想される(いずれも国連推計であり、社人研推計ではより厳しい)
賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。

※ジジェクのベーシックインカムに対する態度は次の通り。
……popularised in Europe and latin America, of basic income. I like it as an idea but I think it's too much of an ideological utopia. For structural reasons, it can't work. It's the last desperate attempt to make capitalism work for socialist ends. The guy who developed it, Robert Van Parijs, openly says that this is the only way to legitimise capitalism. Apart from these two, I don't see anything else.(Interview with Slavoj Zizek




他方、千葉雅也氏との対談における《「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行く》という態度は、佐々木中氏の立場からみたら、<この今>の「行動拒否」「逃げ」の態度として腹立たしいということはありうるだろうと推測する。

大江健三郎はその親友伊丹十三を主要登場人物「吾良」のモデルにした『取り替え子』で、吾良がヤクザに襲われた事件に直面して、インテリや学生は、《これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う》と書いている。

おそらく佐々木中氏のツイッター上での挑発的発話は、若い人たちのひとりでも多くが「怒り」の表出としての行動をすることを刺激しようとする試みであろうと憶測する。そしてその「マッチョ性」に顔を顰めてみせる連中、すなわち「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」の機能の場としてもSNSはある、という指摘は正しい。だが不思議なのは、反ヘイトスピーチに積極的な言動を顕示している種族のなかにも、党派性のためなのか、彼に顔を顰めてみせる手合いがいることだが、そのツイートをここで晒してみせることは当面遠慮しておこう。わたくしが僅かな情報にて、佐々木中氏の姿勢を過分に肯定的評価している可能性もあるのだから。

吾良が、関西の暴力団からテロの使命をあたえられて上京したヤクザに刺された時、(……)古義人はシカゴ大学二百年祭の行事に、アジア関係の学部から招かれていた。

(映画研究会の)学生たちは、……東京で映画関係者や学生たちの抗議デモが計画されていると思うが、その日程と時間を確かめてもらえば、自分らも十四時間の時差を見込んで、シカゴで呼応する学内集会を組織する、今日のうちに計画を発表したい、といった。

古義人は、あくまでそれがいま東京から離れた場所にいる自分の憶測で、むしろ誤っていることを望むのだが、と断った上で次のように答えたのだ。

――吾良よりいくらか年長の世代から、同年代の監督たちが、いま日本の映画界の中心だが、かれらはこれを日本映画界へのテロとは見なさないだろう。かれらはこれが吾良個人の災難だとだけ考えるだろう。つまり映画人のデモはありえないし、いま、日本の学生たちは、これを社会と文化への脅威としてデモで抗議する元気を持っていないと思う。(大江健三郎『取り替え子』)

ところで、浅田彰は、NAM運動をめぐるシンポジウム(2000.11.27)で「政治化する以上だれかを傷つける」と語っている。

すべての「他者」に対して優しくありたいと願い、「他者」を傷つけることを恐れて何もできなくなるという、最近よくあるポリティカル・コレクトな態度(……)そのように脱―政治化されたモラルを、柄谷さんはもう一度政治化しようとしている。政治化する以上、どうせ悪いこともやるわけだから、だれかを傷つけるし、自分も傷つく。それでもしょうがないからやるしかないというのが、柄谷さんのいう倫理=政治だと思う。(『NAM生成』所収 シンポジウム「『倫理21』と『可能なるコミュニズム』」における浅田彰発言)

浅田彰はこの柄谷行人の倫理=政治を十分に引き受けなかっただろうし、実際、NAM運動は無残な結果に終わった。東浩紀氏との最近の対談では、《柄谷さんはナイーブに行き過ぎたと思う》などという発言もあるようだ。

そもそも、ひとは「政治化」すれば小ファシストであることを免れるのは、とても困難なのだ。それが佐々木中氏が「冷笑者」たちからマッチョと批判されることにもなる理由のひとつだろう。

あらゆる言葉のパフォーマンスとしての言語は、反動的でもなければ、進歩主義的でもない。それはたんにファシストなのだ。なぜなら、ファシズムとは、なにかを言うことを妨げるものではなく、なにかを言わざるを得なく強いるものだからである。(ロラン・バルト『文学の記号学』)

―――バルトはこう語る。68年前後の言葉の暴風雨に辟易して? だかもちろんそれだけではない。

政治的な主張の繰り返しには、もうたくさんだ! という嫌厭感が生じてしまうことがあるのを否定はしまい。そこには同意を強制する声があるのだ。声、--すなわち<正義>という名のもとの破廉恥な同調圧力。

…………

けだし政治的意味をもたない文化というものはない。獄中のグラムシも書いていたように、文化は権力の道具であるか、権力を批判する道具であるか、どちらかでしかないだろう」(加藤周一「野上弥生子日記私註」1987)
私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた」(加藤周一「現代の政治的意味」あとがき 1979)

そう、たとえ政治が嫌いでも(おそらく多くの人がそうであるように)、政治が「土足」でむこうからやってきたら、どうしたらいいというのか。

ブレヒトからR・Bへの非難(『彼自身によるロラン・バルト』より)


R・Bはいつも政治を《限定し》たがっているように見える。彼は知らないのだろうか? ブレヒトがわざわざ彼のために書いてくれたと思われる考えかたを。

「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(『政治・社会論集』)

彼の場所(彼にとっての《環境》)、それは言語活動である。その場所で、彼は選び取ったり、拒絶したりするのだ。彼の身体にとって何かが《可能で》あったり、《不可能で》あったりするのも、その場所においてである。彼の言語生活を政治的言述のいけにえに捧げるべきなのか? 彼は喜んで政治的《主体》になってもいいと思う。が、政治的《話し手》はご免だ(《話し手》とは、自分の弁説をよどみなく繰り出し、述べ立て、同時にそれが彼の言述であることを告示し、それに署名しておく人間のことだ。)そして、自分の《反復される》一般的な言述から政治の現実をはがし取ることが彼にはどうしてもできないから、けっきょく政治性から彼は排除されているのだ。しかし彼は、少なくとも、排除されているという事実を、自分が書くものの《政治的》意味につくり変えることができる。さながら彼は、ある矛盾現象を体現する歴史的な証人であるとでもいうかのように。それは、《敏感で、貪欲で、沈黙した》政治的主体(これらの修飾語群を分離させてはいけない)、という矛盾現象である。

政治的な言述ばかりが、反復され、一般化し、疲弊するわけではない。どこかに言述の突然変異がひとつ生じると、たちまちそこに、いわば公認ラテン語訳聖書が成立し、そのあとに、動きを失った文がぞろぞろお供について、うんざりさせる行列ができるものときまっている。その現象は珍しくもないが、それが政治的言述に現れたとき、とりわけ彼にとって許しがたいものと思われるのだ。なぜかというと、政治的言述における反復は、《もうたくさんだ》という感じを与えるからである。政治的な言述は、自分こそ現実に対する根本的な知識あるは科学であるという主張を押しつけるので、私たちのほうでは、幻想のあやかしによって、その政治的言述に最終的な権力を認めてしまう。それは、言語活動をつや消しに見せ、すべての討論をその実質の残滓に還元してしまうという権力である。そうだとすれば、政治的なものまでがことばづかいという地位に割りこみ、“おしゃべり”に変身するのを、どうしても歎かずに黙認しておけるだろうか?

(政治的な言述が反復におちいらずにすむ、いくつかのまれな条件がある。すなわち、第一は、政治的言述がみずから言述性のひとつの新しい方式を打ち立てる場合である。マルクスがそうであった。さもなければ、第二はもっと控えめな場合で、著述者が、ことばづかいというものについて単に《知的理解》さえもっているなら―――みずからの生む効果についての知識によって―――厳密でありながら同時に自由な政治的テクストを生み出せばいい。そういうテクストは、すでに言われていることをあらためて発明し変容させるかのように働き、自身の美的な特異性のしるしについて責任をもつことになる。それが、『政治・社会論集』におけるブレヒトの場合である。さらに第三の場合を考えてみるなら、それは政治的なものが、暗い、ほとんど信じられぬほどの深みにおいて、言語活動の材質そのものに武装をほどこし変形させてしまうときである。それが“テクスト”、たとえば“法”のテクストである。)

ロラン・バルトの姿勢も、自らブレヒトを引用して吟味するように、いま直面する世界的な「排外主義」への傾きに抵抗するには無力だろう。これは浅田彰と千葉雅也の対談を読むかぎり、この二人も類似した姿勢だと言ってよいのではないか。《誰だって様々な面で…マイノリティーでありうるという自覚を活性化すること》。理論的には、こういう立場があるのを批判するつもりはない。だが日本の場合、これは悪くすれば、大勢順応主義的な「政治的無関心」あるいは「逃げ」の姿勢を是認する言い訳になってしまうのではないか、とわたくしは思う。

資本主義社会では、主観的暴力((犯罪、テロ、市民による暴動、国家観の紛争、など)以外にも、主観的な暴力の零度である「正常」状態を支える「客観的暴力」(システム的暴力)がある。(……)暴力と闘い、寛容をうながすわれわれの努力自体が、暴力によって支えられている。(ジジェク『暴力』)

浅田彰×千葉雅也の二者の対話には、現在のシステム的暴力への目配りがあまり感じられないように見えるのは、わたくしの思い過ごしかもしれない。たかだか新著の紹介対談なのだから、そこまで期待するのは無理というものなのだろう。

だがこの記事の最後に附記するが、浅田彰には《早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか》という己れに問う発言もあり、その文脈上読めるのは、《早すぎる断念》、あるいはニーチェの「最後の人間」的態度もやむえないとする諦念がある(すくなくともその発言の時期には)。

すこし前に「政治的無関心」としたが、その日本的特徴と韓国の特徴を対比させて書く柄谷行人の言葉を抜き出してみる。韓国では《知行合一という考え方が伝統的に強調されてきた》とある。「即刻運動」の気質の指摘もある。だがそれが韓国人にとっては墓穴を掘る、と。

私から見ると、韓国にあるような大胆な活動性が望ましいが、キム教授から見ると、むしろそのことが墓穴を掘る結果に終わることが多かった。韓国では激しい行動をしない者が非難されるが、それはなぜか、という新聞記者の問いに対して、教授は、つぎのように応えている。《知行合一という考え方が伝統的に強調されてきたからだと思う。知っているなら即刻行動に移さなければならないとされていた。行動が人生の全てを決定するわけではない。文明社会では行動とは別に、思考の伝統も必要だ》。日本と対照的に、韓国ではむしろ、もっと慎重に「空気」を読みながら行動すべきだということになるのかもしれない。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」

中井久夫にも《堅固な意志と非妥協的な誠実さ》の韓国人と《曖昧模糊とした春のような気質》の日本人とを対比させる文章がある(京城の深く青く凛として透明な空)。「空気」を読みながら行動することの甚だしい国民には、《堅固な意志と非妥協的な誠実さ》を鼓舞する態度を、「知識人」というものがかりに今でも存在するならば、彼らはもっと強く押し出すべきではないだろうか、それが「偽善」であっても少しもかまわない。それは2011年春以来、ことさら際立った大江健三郎や柄谷行人の態度でもある。

すこしややこしい言回しをしたが、柄谷行人の知識人の定義(知識人とは知識人を批判するひと)を想起したためである。

われわれは今日ある種の言葉を使えなくなっている。厳密にいえば、それらは死語ではなく、今でも使われているが、あるためらいや留保の感じなしに使えないだけである。その一つは知識人という語である。知識人と名乗る人はほとんどないし、いたところで誰も彼らを相手にしない。にもかかわらず、知識人を攻撃し嘲笑する言葉だけはあいかわらず続いている。むしろいまや知識人批判者が現在の典型的な知識人だというべきである。しかし、実は、知識人、intelligentzia intellectualtという語が使われ実際にそのような者があらわれた時点から、すでにそうであったのではないだろうか。“知識人”をどこかに想定しそれを批判することで自らを意味あらしめようとするようなタイプ、それが知識人なのである。(柄谷行人「死語をめぐって」『終焉をめぐって』1990所収)

最後にジジェクのいささか極右をめぐる発言(ルペンを中心にした)と、ジジェクの政治的態度を象徴する過激な発言を並べておこう。

私が思うに、極右 が力を得ている原因の一つは、左翼 が今や直接に労働者階級 に自らの参照点を置くことに消極的になっていることにある。左翼 は自らを労働者階級 として語ることにほとんど恥を抱いており、極右 が民衆の側にあると主張することを許している!左翼 がそれをするときは、民族 的な参照点を用いることで自らを正当化 する必要性を感じているようだ。「貧困に悩むメキシコ 人」とか「移民 」云々で。極右 は特別のそして結束力のある役割を演じている。「民主主義 者たち」の大部分の反応は見るとよい。彼らは、ル・ペンについて、受け入れがたい思想 を流布する者だと言いながら、「しかし...」とことばを継ぐ。こうやって、ル・ペンが「ほんとうの問題」を提起していると言外に述べようとする。そうしてそのことによってル・ペンの提起した問題を自分たちがとりあげることを可能にする。中道リベラル は、根本 的には、人間の顔をしたル・ペン主義だ。こうした右翼 は、ル・ペンを必要としている。みっともない行き過ぎに対し距離をとることで自らを穏健派と見せるために。私が、2002年 [大統領選挙 ]の第2回投票 の際の対ルペン連帯について不愉快に思ったのは、それが理由だ。そしていまや少しでも左に位置しようとすると、すぐさま極右 を利用しようとしていると非難される。それが示しているのは、ポスト ・ポリティックの中道リベラル が極右 の幽霊 を利用し、その想像 上の危険を公的な敵に仕立て上げようとしていることだ。偽りの政治 対立の格好の例がここにあると私は思う。ジジェク『資本主義の論理は自由の制限を導く』2006)
わたしが言いたいのはもちろん、現代の「狂気のダンス」、多様で移動するアイデンティティの爆発的氾濫もまた、新たなテロルによる解決を待っていると言うことだ。唯一「現実的」な見通しは、不可能を 選ぶことで新たな政治的普遍性を基礎づけること、まったき例外の場を引き受け、タブーもアプリオリな規範(「人権」、「民主主義」)もなく、テロルを、権 力の容赦ない行使を、犠牲の精神を「意味づけなおす」のを妨害するものを尊重すること……もしこのラディカルな選択を、涙もろいリベラルが「ファシズムへ の道」だと非難するなら、言わせておけ! (バトラー、ラクラウ、ジジェク『偶発性・ヘゲモニー・普遍性』


《私たちがますますもって必要としているのは、私たち自身に対するある種の暴力なの だということです。イデオロギー的で二重に拘束された窮状から脱出するためには、ある種の暴力的爆発が必要でしょう。これは破壊的なことです。たとえそれが身体的な暴 力ではないとしても、それは過度の象徴的な暴力であり、私たちはそれを受け入れなけ ればなりません。そしてこのレヴェルにおいて、現存の社会を本当に変えるためには、 このリベラルな寛容という観点からでは達成できないのではないかと思っています。お そらくそれはより強烈な経験として爆発してしまうでしょう。そして私は、これこそ、 つまり真の変革は苦痛に充ちたものなのだという自覚こそ、今日必要とされているので はないかと考えています 》(『ジジェク自身によるジジェク』--「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」より)




…………


※附記:以前、浅田彰が珍しく自らの立場を語った文を拾ったことがある。いまは引用先の記事がなくなってしまっており、どこでいつ語ったのかもはっきりしないが、ここで参考文献として附記しておくことにする。

子どもの頃、『ツァラトゥストラはこう言った』でニーチェが侮蔑を込めて描いている「最後の人間(末人)」の像に触れて、「これはまさに自分のことだ」と思ったのを覚えている。もはや想像と破壊の ドラマは終わり、すべてが平準化された中にあって、「最後の人間」たちは退屈な幸福を生きるだろう。

あらゆる情報を記録したテープがリミックスを加えて反復されるのを瞬きして眺めながら、(後の章に出てくる「小人」のように)「およそすべては円環をなして回帰する」などと小賢しく呟いてみせもするだろう・・・。

『早稲田文学』11月号に出た鎌田哲哉の私に宛てた公開書簡は、そのような「最後の人間」であることに居直る私に対し、「安直なニヒリズムを捨て、人間としてまともに生きよ」と呼びかけるものである と言ってよい。
その書簡は石川啄木の日記にならってローマ字で綴られている。 「僕は啄木のようにまともに生きる、あなたもまともに生きるべきだ」ということだろう。

その純粋な熱意は(ありがた迷惑とはいえ)ありがたいと思うし、そこに書かれた私への批判も(いくつかの点で異論があるとはいえ)おおむね受け入れる。

だが、残念ながら、私はその呼びかけに動かされることがなかった。

ひとつだけ、私の言葉に対する誤解と思われる部分に触れておこう。鎌田哲哉が部分的に引用している通り、西部すすむに「浅田さんがほとんど 書かなくなったのは世界や人類を馬鹿にしてのことですか」と問われて、私は「いや単純に怠惰ゆえにです。しいていえば、矮小な範囲で物事が明晰に見えてしまう小利口かつ小器用な人間なので、おおいなる盲目をもてず、したがってどうしても書きたいという欲望ももてない。要するに、本当の才能がないということですね。書くことに選ばれる人間と、選ばれない人間がいるんで、僕は選ばれなかっただけですよ。と、今言ったことすべてが逃げ口上にすぎないということも、明晰に認識していますけど」と答えている (『批評空間』Ⅱ-16)。

これは、私が本格的なものを書く力がないということ(私の「弱さ」)を、私が明晰に意識しているという意味ではない。書こうとする努力もせずに自分には書けないのだと前もって居直ってしまうことが逃げ口上にすぎないということを、明晰に意識しているという意味だ。
その意味で、私の立場に論理的な問題はないと思う。
では、倫理的な問題としてはどうか。

そのような早すぎる断念は卑怯な逃避として否定されるべきか
むろん、私は、自分自身がそうできないだけにいっそう、断念を拒否してなんとか努力しようとする人(鎌田哲哉を含めて)を眩しく見上げ、可能なら助力しようとしてきたが、断念したい人に対して断念するなと言う気はさらさなないし、自分に対してそう言われたくもない。
努力したい人は努力し、断念したい人は断念する。
それでいいではないか。

ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終り』で論じるバイオテクノロジーの問題ともからめて言えば、20世紀が限りない延命を目指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的にいって、たとえば安楽死施設、さらには自殺(幇助)施設の合法化であると思う。

生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。それでいいではないか。
ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでいく」と書いている。
かれの侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいられないのだ。

もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」という主人公の強迫観念が主題化されていたが、これはすでに父を喪った私にも大変よくわかる。
幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理と言うより礼節の問題として。母より先に自殺するつもりはない。

そうやって生き延びている間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしながら「i-modeかなにかでくだらないお喋りを続けること」があってもいいのではないか。
また生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあってもいいのではないか。

だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意思を死の病毒で汚染するだけだというのなら、私はそれを断念し、彼の後姿にむけて静かに幸運を祈るばかりである。