このブログを検索

2013年8月17日土曜日

「心的装置の成立過程における二つの翻訳」補遺


以下、「心的装置の成立過程における二つの翻訳」補遺。(かなり前の記事で投稿し忘れ)

藤田博史氏の「セミネール」断章2012.2から抜き出す。


   わたしは、臨床において必要なものは、たった一つしかないと思っています。頭のなかにあるのは一つ、(……)ファンタスム、つまり人間の幻想(ファンタスム)の式です。

$◇a

これが幻想の式。ファンタスム。これ一つでいいんです。このなかに全てが入っています。これだけ知っていればいい。これが何たるかを本当に知っていれば、あとは何もいりません。



$◇aは次のように読まれている、《斜線を引かれた主体は究極の対象を目指しながら永遠にこれに到達することができない。》






$◇aが分解される、$ ー -φ ー Φ ー A ー a(-φマイナス・プチ・フィーは、想像的ファルスの欠如であり、Φグラン・フィーは、象徴的ファルス。)。


そして次のように読まれる、《斜線を引かれて抹消された主体が、生の欲動に運ばれて、突き進んで行くその先には、まず「想像的ファルスの欠如」があり、次に「象徴的なファルス」があり、そして言葉で構築された世界があり、そしてその先に永遠に到達できない愛がある。》



aは、「対象a」と一般には読まれるが、ここでは「愛」とされている(ラカンは、プラトンの饗宴のagalmaとobjet petit aを同時に語っていることを想起しよう)。「愛」、すなわち人が、誰しも求めているその最終目的地、最終的な愛の場所であり、すなわちかつて<母>が占めていた場所。($ ー -φ ー Φ ー A ー aは、$ー -φーS1ーS2ーaと書き換えることもできる。)

※追記:藤田氏のセミネール断章 2012年1月14日講義録には次のようにある。
$とa と現実界

ラカンはこの a (objet petit a オブジェプチタ) によって、何を意味しようとしているのでしょうか。端的に は、人が、誰しもが求めているその最終目的地、最終的な愛の場所のことです。かつて母が占めていた場所なのだと もいえるでしょう。そして、すでに母から切り離され、言語の世界に組み込まれてしまっているわたしたちには、直 接それと知覚することのできない領域になっています。ですからこの $ (S barré エスバレ―) も、a (objet petit a オブジェプチタ)も、コトバに囚われてしまったわれわれには、直接それと認識できないのです。そういう 領域のことをラカン理論では「現実界 le reél」と呼んでいます。 a (objet petit a オブジェプチタ)も$ (S barré エスバレ―)も「現実界」に位置しているので、われわれの知覚がそれと認識することはできません。



次に性的倒錯、精神病、ボーダーライン、神経症と分けて語っている箇所はそのまま引用する(とくに藤田氏は、「ボーダーライン」を広義の神経症としながらも、そこでの「不完全拒否」という記述に注目。それは、ミレールなどの「普通の精神病」概念生成とはいくぶん齟齬がありながら、S1が、つまりマスター・シニフィアンが後期ラカンではsemlant(みせかけ)とされることとの親和性がありはしないか?)。


【性的倒錯】

たとえば -φ から Φ に移る時、-φ に固執して Φ の受け入れを否認することが起こります。これがいわゆる性(的)倒錯です。つまり、性倒錯者は Φ を受け入れて入るのだけれども、このことを認めない。そして自らは -φであろうとする。ダ・ヴィンチや美川憲一がその例です。興味深いことはどちらにも二人の母 Die twei Mutter つまり産みの母と育ての母がいます。


※Ordinary psychosis: the extraordinary case of Jean. Genet. Pierre-Gilles Gueguen pdfでは、ジャン・ジュネ、従来はマゾヒスト的色調の倒錯者として位置づけられていたのだが、Gueguenは、ジュネを「普通の精神病」タームで解釈し直そうとしている。


【精神病】

次に Φ で起る場合。これには二通りあります。

「完全拒否」と「不完全拒否」。「完全拒否」の場合は、Φ の場所が空席になってしまいます。この場合、一番目のΦ の場所が空席のまま、とりあえずA(大文字の他者)に接続されてしまいます。例えて言えば、扇子の要の部分が留っていない状態です。扇いでいたらそのうちにバラバラになってしまう。これが精神病の発病に相当します。したがってΦの「完全拒否」が精神病の根底にあり、ラカンはこの種の拒否のことを「排除 forclusion」と呼んでいます。



【ボーダーライン】

「不完全拒否」の場合、よく見られる例としては、ネット上に匿名で登場するメンヘラと言われている人たち、リストカットや他者批判を繰り返しながら、不安定な状態でパソコンへ向かっているような人たちが挙げられるでしょう。このような人たちは、女性に多いのですが、ボーダーライン・ケース、日本語では境界例と呼ばれるような状態です。正常にもなれないし、精神病にもなれない、その中間に位置するゆえにボーダーラインと言う訳です。これはΦ から A への接続部分で生じる病態です。広い意味での神経症といってもいいでしょう。


ですから、わたしたちのコンパス、つまりこのファンタスムの式が頭のなかにあれば、この構成要素の中で、どこが異常になった時にどのような症状が出てくるかということを想定することができるのです。つまり、症状の原因が、 -φのレベルなのか、Φ のレベルなのか、それともA のレベルなのかということを考えるのです。







【精神病の治療と神経症の治療】

たとえば Φ が欠如してしまった場合、これは精神病の基本構造になりますけど、この場合、治療というのは Φ を事後的にそこへ填め直すことができるのかどうか問題になってきます。


これに対し、神経症では大文字のAのレベルでの話になります。こうして、各病態や症状を把握する場合は、このファンタスムの各要素の成立順位が大切になってきます。具体的には Φが最初に取り込まれますが、これは最初の抑圧すなわち原抑圧が起こることを意味します。この時、何が抑圧されるかというと Φ の手前にある ーφ が抑圧される訳です。そしてこの Φ は次ぎに来る大文字の他者A によって抑圧されます。この抑圧を後期抑圧と呼びます。ですから抑圧の分数式を書くと(図 7)、―φ、Φ、A のそれぞれは三階建てビルみたいなものを形作っていることになります。もっと正確に表現するなら、これがビルとすれば、その下は全部地下(図7)。そしてわたしたちにはこの地上のビルしか見えないのです。しかしながら A の下には Φ が埋もれており、 Φ の下には ーφ が埋もれています。ここで梶井基次郎の有名な言葉「桜の樹の下には死体が埋まっている」という表現を思い出してもよいでしょう。つまり -φ が埋まっているからこそ、大文字の他者Aという万華鏡のような世界を創り出すことが可能になっている、と。


 そして神経症というのは、この抑圧された地下から A に何らかの影響が及ぶ事態なのです。つまりこの地上のラインが、抑圧のラインに相当し、地下から地上に向かって影響を及ぼす。ですから、神経症の場合は、地面に埋まっているナマズのようなもの、あるいはマグマのようなものを、治療という形で A の中へ解消あるいは回収することができれば、症状は消失すると考える訳です。これが神経症に対する精神分析治療の基本的な考え方です。つまり地下になにか、ガスの塊とか、エネルギーの塊のようなものが留まっていて、これが地上の A に悪影響を与えているとすれば、このエネルギーの塊が逃げることの出来る通路を造って、それを A の中に回収することで症状の消失を目論みます。これは別の言い方をすると、上手く意味にならなかったエネルギーを意味に変換することによって解放してしまう行為です。これが神経症の治療です。