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2013年11月10日日曜日

向うからしのび寄ってきた邪悪なる意志

(母親の死によって)
首筋から肩へとかけて背後から寡黙に注がれていたはずの
親しい視線のぬくもりが不意に途絶えてしまったり

(地震によって)
目をつむったままでも細部を克明に再現できるほど
見馴れていたあたりの風景にいきなり亀裂が走りぬけ
幾重にも交錯しながら数をますその亀裂が
汚点のように醜く視界を乱してしまったり

(ツナミによって)
肌身をはなさず持ち歩いていたはずのものが
突然嘘のように姿を消し
その行方をたどる手がかりもつかめぬばかりか
それを身近に感じていた自分の過去までが
奇妙によそよそしい存在に思われてきたり

(被災生活によって)
足もとの地盤がいつのまにか綿なんぞのように
頼りなげな柔らかさへと変容し
しかも鳥もちさながらに粘っこく肢体にまつわりついて
進もうとする意志を嘲笑しはじめたり

(自失によって)
ことさら声を低めたわけでもないのに
親しい人の言葉がうまく聞きとれず
余裕ありげに微笑する相手の口から漏れる
無意味な音のつらなりを呆然としてうけとめるだけ

(行政の対応によって)
いったんは何か悪い冗談だろうと高を括ったものの
いつしかそんな事態が日常化してしまう
といった体験をしいられたりすると
人は何かが自分から不当に奪われた
誰もが何のためらいもなく信じていた秩序が崩れ落ちてしまった
そんなことが起こってはならないはずだと思い

(世間の無関心によって)
こちらは何も悪いことはしていないのに
向うからしのび寄ってきた邪悪なる意志が
この崩壊をこの喪失をあたりに波及させたのだと
無理にも信じこむことで
そのとり乱したさまを何とかとりつくろおうとする


ーー以上の文は、丸括弧内の言葉を付け加えた以外は、以下の620字ほどを一息に書かれる「健康という名の幻想」という論文の冒頭を、行分けし、句読点の削除、二つの接続詞を除いただけのものである。

首筋から肩へとかけて背後から寡黙に注がれていたはずの親しい視線のぬくもりが不意に途絶えてしまったり、目をつむったままでも細部を克明に再現できるほど見馴れていたあたりの風景にいきなり亀裂が走りぬけ、幾重にも交錯しながら数をますその亀裂が汚点のように醜く視界を乱してしまったり、肌身をはなさず持ち歩いていたはずのものが突然嘘のように姿を消し、その行方をたどる手がかりもつかめぬばかりか、それを身近に感じていた自分の過去までが奇妙によそよそしい存在に思われてきたり、足もとの地盤がいつのまにか綿なんぞのように頼りなげな柔らかさへと変容し、しかも鳥もちさながらに粘っこく肢体にまつわりついて進もうとする意志を嘲笑しはじめたり、あるいはまた、ことさら声を低めたわけでもないのに親しい人の言葉がうまく聞きとれず、余裕ありげに微笑する相手の口から漏れる無意味な音のつらなりを呆然としてうけとめるだけで、いったんは何か悪い冗談だろうと高を括ったもののいつしかそんな事態が日常化してしまうといった体験をしいられたりすると、人は、何かが自分から不当に奪われた、誰もが何のためらいもなく信じていた秩序が崩れ落ちてしまった、そんなことが起こってはならないはずだと思い、こちらは何も悪いことはしていないのに、向うからしのび寄ってきた邪悪なる意志が、この崩壊を、この喪失をあたりに波及させたのだと無理にも信じこむことで、そのとり乱したさまを何とかとりつくろおうとする。(蓮實重彦「健康という名の幻想」『表層批評宣言』所収)

冒頭はこのように始まり、この論の末尾には次のように書かれることになる。

「生」とは、局部的で過渡的な健康の乱れに接して全体や個体のあるべき健康を夢想するあの抽象的な問題であってはならぬのだ。その装われた善意こそが、「制度」の維持に貢献する悪しき頽廃の実態だからである。

あの事故は「局部的で過渡的な健康の乱れ」としてのみ取り扱われ、ふたたびあるべき健康を取り戻すための「装われた善意」が、あいもかわらず旧来の「制度」の維持に貢献する悪しき頽廃のさまをいやというほど見せつけられて、二年七ケ月あまりの時が過ぎている。

たとえば、原発事故があっても資本主義への反省が芽生えるどころか、つぎのようであるのを目の当たりに見てきた。

・歴代の経団連会長は、一応、資本の利害を国益っていうオブラートに包んで表現してきた。ところが米倉は資本の利害を剥き出しで突きつけてくる……

・野田と米倉を並べて見ただけで、民主主義という仮面がいかに薄っぺらいもので、資本主義という素顔がいかにえげつないものかが透けて見えてくる》(浅田彰 『憂国呆談』2012.8より)

「世の中がいやになっちゃうよ、もう。かってにしやがれ」(大岡昇平


中井久夫に阪神・淡路大震災後満二年に書かれた「二年目の震災ノート」というエッセイがある(『アリアドネからの糸』所収)

《今、被災地のことは非常に書きにくい。あることを書けば、必ず、いやそうじゃないという反論があり、それはそれで証拠がある》とある。

《貧富の差、地縁人脈の差、個人的才覚の差、年齢や体力の差は普段からある。(……)格差は時間とともに拡大してゆく。ハサミを開くのに似ているからハサミ状格差という》ともある。


…………

谷川俊太郎「そのあと」(「朝日新聞」2013年03月04日夕刊)


そのあと

そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に
霧の中へ消えている
そのあとは限りなく
青くひろがっている

そのあとがある
世界に そして
ひとりひとりの心に


…………

少し思い返してみよう。


◆中井久夫は、三ケ月に一度の連載、20余年続けたコラム「清陰星雨」を震災後一年をへて休むことになった。


中井氏は終戦前後の記憶から語り出す。

そして、《以来、私は食糧難、悪性インフレを何とか切り抜け、迂回路を通って医学部を卒業し、最終的には精神科医になった。今日まで自分の体験の基礎は、ほぼ揺らぐことがなかったように思う》と。

しかし、
今度の東日本大震災をきっかけにそれが揺らいだ。77歳になって、ぼつぼつ「軟着陸」であればよいなと思う頃である。その時に、体験の基礎ととでもいうべきものがこんなに揺るがせられるとは予想していなかった。

振り返ってみると、日本の自然をずいぶん信頼していた。明治の三陸大津波は、絵をみたことだけはある。子どもの時、富士山が活火山ということは知っていたけれど、噴火は江戸時代の過去と思っていた。実際、鉄道で通る時に、美しいね、と言うだけである。

3・11以後、何かが違う。何かが起こるかもしれないという感覚がある。日本の自然は恐ろしい顔をむきだした。原子炉の状況もチェルノブイリまでは行くまいと思っていたが、どうも違うらしい。日替わりで情報が時には根本から変わり、何が何だかわからなくなることがしばしばあった。

以前、「チェルノブイリの子供たち」という本を読んで、東京の中央線で不覚にも泣いたことがある。しかし、まさかチェルノブイリが日本で起こるとは思っていなかった。通り一遍の知識もなかったことを悔やんでいる。

私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。

最後には、次のように書く。
私の中では東北の大震災は突然の破滅的事態という点では戦争と結びつく。無残な破壊という点では戦災の跡を凌ぐ。原発を後世に残すのは、戦勝の可能性がゼロなのに目をつぶって戦争を続けるのと全く同じではなかろうか。


◆関東大震災や東京大空襲をくぐるぬけてきた吉田秀和が「最大の絶望」と語ったのは、東日本大震災、とりわけ原発事故だった。

あの事故をなかったように、朝日(新聞)の読者に向け、気楽に音楽の話をすることなんて、ぼくにはできない。かといって、この現実に立ち向かう力は、ぼくにはもうない。
 ――これが最後の寄稿となっているが(2011年の6月)詳しいことは分らない。



◆大江健三郎は、ルモンド紙(2012年3月16日)インタヴューで次のように語った。

今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。ぼくたちは問題に声を挙げることができるでしょうか。それとも、このまま黙ったままでいるのか。今から10年たてば、日本が「民主国家」の名前にふさわしい国であったのかどうかが分かるでしょう。こんなに深く日本の民主主義が未熟であったことを感じたことはありませんでした。今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?

…………

二年目の「あの追悼」の日、若い詩人が次のように呟いていた。

@kumari_kko: 「東北が被災した」と思うことに、まず断絶を生む原因があると思う。被災したのはわたしたちで、日本だと、感じられたらいいよね。そして本当にはそうなんだけどね。

@kumari_kko: いや、それはわたしが特に、自分のことだと思わないと無関心になりがちな人間だからなのかもしれないけど!去年、一人で中国にいて、新聞のトップ記事が追悼記事だったの。嬉しいなと素直に思えた。

それがかりに「偽善」でもいい、いまこういったことをさりげなく語ることのできる人はそんなに多くない。

暁方ミセイの呟きは、わたくしにすぐさま次の文を思い出させた。


……たとえば、ユダヤ人虐待のための暴動を例にとろう。そうした暴動にたいして、われわれはありとあらゆる戦略をとりうる。たとえば完全な無視。あるいは嘆かわしく恐ろしい事態として憂う(ただし本気で憂慮するわけではない。これは野蛮な儀式であって、われわれはいつでも身を引くことができるのだから)。あるいは犠牲者に「本気で同情する」。こうした戦略によって、われわれは、ユダヤ人迫害がわれわれの文明のある抑圧された真実に属しているという事実から目を背けることができる。われわれが真正な態度に達するのは、けっして比喩的ではなく「われわれはみんなユダヤ人である」という経験に到達したときである。このことは、統合に抵抗する「不可能な」核が社会的領域に闖入してくるという、あらゆる外傷的な瞬間にあてはまる。「われわれはみんなチェルノブイリで暮らしているのだ!」「われわれはみんなボートピープルなのだ」等々。(ジジェク『斜めから見る』p260