感覚的刺戟と感動とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである( …)これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる」(カント『判断力批判』篠田英雄訳)
こう引用したからといって、カントの『判断力』をまともに読んだことがある身ではなく、カントをめぐってなにか言いたいことがあるわけではない。そして上の文を読んでみたらわかるように(「判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば」とあるように)、表題の「すべての芸術のうちで音楽は最低の地位を占める」とは惹句に過ぎない。
わたくしは詩や音楽を好む人間のひとりだが、詩や音楽に耽溺するさまを見せびらかす「他人」に、ときにひどく不快感を覚えることがある、「そんなに酔ってどうするの? 頭はからっぽのまま」と言いたくなるときがある。――《そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いで何をするの/頭はからっぽのまま/……》(茨木のり子「時代おくれ」)
不快感のよってきたるところのひとつは、クンデラのいうホモ・センチメンタリス的振舞いを見てしまうときだ。
ホモ・センチメンタリスは、さまざまな感情を感じる人格としてではなく(なぜなら、われわれは誰しもさまざまな感情を感じる能力があるのだから)、それを価値に仕立てた人格として定義されなければならない。感情が価値とみなされるようになると、誰もが皆それをつよく感じたいと思うことになる。そしてわれわれは誰しも自分の価値を誇らしく思うものであるからして、感情をひけらかそうとする誘惑は大きい。(『不滅』)
――ああ、美しい 胸に染みいるわ 言葉を失ってしまう……言葉を「喪失」しても、まだそのことを言葉によって他人に示したい手合いがいる。
《なぜ口を閉じ耳を開けておかないのだろうか。馬鹿なんだろうか。》(ジョン・ケージ)
そこには、ここぞとばかりに自らの内的感性の鋭敏さを誇示するかの如き意気込みでメロドラマに耽りかえる凡庸さと、さらにその鋭敏さの確信こそが自らの凡庸さの叙事詩をかたちづくっていることに不感症であるという二重の凡庸さに犯された存在がいる。
この「凡庸さ」はクンデラの云う「キッチュ」に置き換えてもよい。
《キッチュな人間のキッチュな欲求。それは、あばたをえくぼと化する虚偽の鏡の覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求である。》(クンデラ「七十三語」――「私は「音楽」を愛する人間が嫌いなんです」)
あるいはロラン・バルトのように、己の「身体による威嚇作用」への鈍感さと穏健にいってもよい。
《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集め たこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎 の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざま な享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)
さらに「穏健に」、そして視点を変えていえば、《「好きな音楽」というのと「好きな音楽について書く」というのとは、少しちがう。そうして音楽について書くということになると、ベートーヴェンはどうしてもさけがたくなる。この自己主張の強い音楽は、きき手のそれをも誘発しないではない。》(吉田秀和『私の好きな音楽』)
ひとは本当のところは、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)であったり、《まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。》(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)ではないか。
ひとは本当のところは、《心を寄せていた異性の名を口にできないのとおなじように、ほんとうに好きな作家、好きだった詩人の名はぜったいに明かせない》(堀江敏幸『河岸忘日抄』)であったり、《まもなく、私の二十年来の友人が須賀敦子さんを”発見”した。私たちは、少年が秘密の宝を共有するように、須賀さんの作品について、声をひそめるような感じで語り合った。ひとにはむしろ触れ回りたくなかった。》(中井久夫『須賀敦子さんの思い出』)ではないか。
詩や音楽への「主観的お喋り」をふと口から漏らしてしまったとき、ひとに不快感をあたえていないかどうかをときに惧れ、いや間違いなく不快感を与えているに違いないと嫌悪感を抱き、読み手の顔が想定される SNSに書き込むのをやめた。まだブログなら読み手に不快感を与えるようなことを漏らしてしまっても読まなかったらよいだろう、として詩や音楽に耽溺する表現を漏らしてしまうことがあるが、後で読み返すとときに反吐がでることがある。
そんな他人への不快感を抱かないひともあるだろう。要するにこれらの心理的機制は次のようなものだ。
人は自分に似ているものをいやがるのがならわしであって、外部から見たわれわれ自身の欠点は、われわれをやりきれなくする。自分の欠点を正直にさらけだす年齢を過ぎて、たとえば、この上なく燃え上がる瞬間でもつめたい顔をするようになった人は、もしも誰かほかのもっと若い人かもっと正直な人かもっとまぬけな人が、おなじ欠点をさらけだしたとすると、こんどはその欠点を、以前にも増してどんなにかひどく忌みきらうことであろう! 感受性の強い人で、自分自身がおさえている涙を他人の目に見てやりきれなくなる人がいるものだ。愛情があっても、またときには愛情が大きければ大きいほど、分裂が家族を支配することになるのは、あまりにも類似点が大きすぎるせいである。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)
優れた文学の読み手であって、詩をめぐっては殆んど書かない人たちがいる。たとえばわたくしの比較的よく読む作家であればロラン・バルト(ラシーヌ以外は)、日本なら蓮實重彦(もっともわたくしの知るかぎり、であって彼らの著作を網羅的に読んでいるわけではない、そして蓮實重彦なら友人の天沢退二郎の詩の絶賛や弟子筋にあたる松浦寿輝の詩集への賞賛の言葉があるのを知らぬわけではない)。
もっともバルトには、《(それは)一種の音楽、一種思索的な音の調子、程度の差はあるがともかく厳密なアナグラムのゲームである。(私の頭はニーチェでいっぱいであった。読んだばかりだったのである。しかし私が欲していたもの、私が手に入れたがっていたものは、文である思想、という歌唱であった。影響は純粋に音調上のものであった。)》(ロラン・バルト『テクストの快楽』)という文はある。
ニーチェの調子、それは翻訳文であってさえ明らかだ。
ひとは何よりもまず、この人物の口から発せられる調子、あの晴れた冬空に似た静穏な調子を、正しく聴きとらねばならぬ。そうしてこそ、かれの英知にふくまれた意味をみじめに誤解することがなくなるのだ。「嵐をもたらすものは、もっとも静寂な言葉だ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだーー」
「いちじくの実が木から落ちる。それはふくよかな、甘い果実だ。落ちながら、その赤い皮は裂ける。わたしは熟したいちじくの実を落とす北風だ。
このようにいちじくの実に似て、これらの教えは君たちに落ちかかる。さあ、その果汁と甘い果肉をすするがいい。時は秋だ、澄んだ空、そして午後――」
ここで語っているのは、狂信家ではない。ここで行われているのは「説教」ではない。ここで求められているのは信仰ではない。無限の光の充溢と幸福の深みから、一滴また一滴、一語また一語としたたってくるのだ。ねんごろの緩徐調が、この説話のテンポだ。こういう調子は、選り抜きの人々の耳にしかはいらない。ここで聴き手になれるということは、比類のない特権だ。ツァラトゥストラの言葉を聴く耳をもつことは、誰にでも許されていることではないのだから……。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
《音楽による偽りの深さ/音楽的ニーチェ/安請合いをする人》とヴァレリーはニーチェにアンビバレントな感情を抱く。
近代の音楽はあまりにも大きく、あまりにも甘美で、あまりにも速い。そのためそれは、すべてのものをあまりにも脆くする。音楽はその力を濫用し、その能力はわずか三分間で生命を賦与する。/加速するイリュージョン。停止するイリュージョン。――そのイリュージョンが、あらゆるものに個々別々に価値をあたえてしまう。そしてこれがアーティキュレーションなのだ。思想は力づくで柔らかくされてしまう、――不完全な現実によって。(ヴァレリー「カイエ」――「完全に不埒な「精神」たち、いわゆる「美しい魂」ども」)
頭をからっぽにする「音楽」、そして場合によっては「詩」。思想は力づくで柔らかくされてしまう。ときには抵抗すべきではないか。
散文を歩行に、詩を舞踏に例えたのはポール・ヴァレリーである。T・S・エリオットはこれにやんわりと異議を唱えて、詩と散文とはそれほど明瞭に区別されるものではないと述べている。
これは英詩とフランス詩との相違をも写し出していて、英詩には「歩行的」な「語り」が現代に至るまで少なくない。フランス詩、少なくとも二十世紀のフランス詩とは全く異なる。例外としてサン=ジョン・ペルスの「アナバシス」を挙げることもできるかもしれないが、この「語り」は英詩の基準からすればおおよそ曖昧模糊としたものである。
その底をさぐれば、詩と散文との両者を媒介〔なかだち〕し、そして本来はエクリチュール(書かれたもの)でなくエノンセ(口を衝いて出るもの)である詩劇というもののイギリスとフランスとの違いが絡んでくるだろう。フランスのラシーヌ劇の詩的完成はシェイクスピアの及ばないところであるが、ラシーヌは何よりもまず詩として、それも厳格な規則に従ったアレクサンドラン詩形の技巧の極致として耳を打ってくる。これに反してシェイクスピアを純粋に詩として聴く人はあるだろうか。ラシーヌの舞台が観客からいわば無限遠にあるのに対して、シェイクスピアの観客は舞台の上にあがって、そのダイナミズムに合流する。
詩作者としてのヴァレリーが「詩とは舞踏である」という時、彼はおそらくソロで舞踏する姿を思い浮かべていたのであろう。そうだとすれば訳詩というものはデュエットでの舞踏である。原詩の足を踏むかもしれないし、完全に合わせることはできないだろう。程度の差はあってもぎこちないパートナーだろう。しかし、それにもかかわらず、散文の翻訳とはちがう。訳詩者はただ並んで歩き、たかだか歩調を合わせればよいのではない。もっと微妙で多面的な波長合わせが必要である。手を取り合い、足をからませ、肌を合わせ、時には汗を浴び、体臭をふんだんに嗅ぎ、思いがけない近さで顔の造作を眺め、そして醒めていながらも陶酔を共にしなければならない。訳詩者の「舞踏」はそういうものである。したがって、訳詩の過程によって訳詩は原詩よりも劇詩に近づく傾向があって、それはたいていの場合にそうあるよりほかないものである。(中井久夫「訳詩の生理学」)
ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。(ロラン・バルト『明るい部屋』)
――ということで、マラルメやヴァレリーなどの優れた読み手だったアランの詩への異和をめぐる文をすこし長くなるが引用しておこう。《散文は我々を解放する。それは詩でも、雄弁でも、音楽でもない。中断された歩み、後戻り、 突然の強い調子が、再読と熟考を命ずることからも感じられるやうに。散文は時間から解き放たれて
をり、型どほりの議論からも自由である》、あるいは《散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない》とするアランを。もちろん全面的に信頼する必要はない。アラン自身、《散文とは何か、散文は何をなし得るのか、散文はどうあるべきか。私はこれらを知っているとはまだとてもいえない》と書いている。
第9章 詩と散文について
私は詩人の作品を読むのが苦手だ。必然性のない韻、繰り返し、塞がれた穴が 見えすぎるのだ。読んで貰つたら、もつとよく分かつた。さうすると、待つことの ない動きに捉へられた。繰り返しを忘れて、それについて考へる時間さへなかつた。 韻は、その度に感じる小さな恐れによつて、どれも心地よかつた。聞こえてゐる詩をうま く終はらせることは、いつも、不可能だと思はれるのだから。この待つことのない動きは、 即興を思はせる。かうして私を旅へと導くものを、私は詩しか知らない。ここには前文もなく、 用心もない。私は自分が動き出すのを感じる。最初の言葉たちにも別れを告げる。リズムで、 私はやつて来るものを察する。述べてみよといふ呼び掛けであり、最高の詩は、これに応じる。
だが、もつと詳しく調べよう。詩の中では、いつでも二つのものが争つてゐる。規則的な リズムがあり、繰り返される韻を伴ふが、私はこれを常に感じてゐる必要がある。リズムに 逆らふ物語りがあり、長い時間ではないが、時折そのためにリズムが隠れる。この芸は音楽家の もののやうだが、もつと分かりやすい。また、我々に自由な想像を許さないといふ点で、 より専制的なものでもある。その分、慰められることも少ない。しかし、音楽のときのやうに、 あちこちに、休息のやうな和解がある。リズムのある一節と、語られた一節とが一緒に終はる瞬間が 来るのだから。自然さ、言葉の単純さと意味の豊かさが、奇跡を起こすのはこの時だ。詩人がそれまでに 少し苦労をしてゐることさへも、悪くはないのだ。落ちる真似をする軽業師のやうに。しかし、 それはいつでも、船での旅のやうに止まることがない。詩はさういふふうに受け取らねばならない。 この条件がないと、注意を引くリズムとリズムを外さうとする動きを調和させる力が全く理解できないだらう。
☆
雄弁も、また、一種の詩である。そこには音楽的な何かが簡単に見つかる。言ひ回しの強弱、均整、 響きの調整、そして予告され、期待され、言葉が奇跡のやうにそれに応へる結末だ。だが、かうした 極まりは隠されてゐる。思ひが脹らむと、演説家はこれに従はないことがよくある。残るのは、時間を 満たすといふ必要と、避けられない動き、心配と苛立つた疲れで、これはやがて聴衆に伝はる。しかし、 ここでも読むのではなく聞かねばならない。さうしないと、繰り返しやつなぎの言葉で嫌になるだらう。 だが、これは、特に演説家が議論を展開してゐるときには、必要なものなのだ。読むのでは、集まつた 人達の抑へた動きが見えない。書斎の静けさと二千人の沈黙には確かな違ひがある。そして、ソクラテスが、 大きな理由を述べてゐる。「君が話の終はりに来たときには、私は最初を忘れて了つた。」さらに、 全ての詭弁は雄弁である。また、さわぐ心はどれも、他の者にも、自分自身にも雄弁である。確信は、 時の歩みにより、また、証明が現れることで、強まる。それで、雄弁は不幸を予言するには、あるいは、 過ぎ去つた不幸を呼び起こすには、特に適してゐるのだ。この人間は、不幸な者が犯罪へと向かふやうに 結論に至る。終つた不幸に戻るといふのは、最悪の道行きだ。運命論的な考へがその証拠を手に入れるのは、 そのやうにしてなのだから。
☆
散文は我々を解放する。それは詩でも、雄弁でも、音楽でもない。中断された歩み、後戻り、 突然の強い調子が、再読と熟考を命ずることからも感じられるやうに。散文は時間から解き放たれて をり、型どほりの議論からも自由である。かういふ議論は雄弁の一手段に過ぎない。真の散文は 私を急せかさない。繰り返しもない。 しかし、このため、人が私に散文を読んでくれるのは、 堪へられない。詩は、自然な言葉が、人々が言語を耳で聞いていた時代に、固定されたものだ。 しかし、今では、人はそれを眼で見る。小さな声に出しながら読むことは、少なくなる一方だ。 人間は殆ど変つてゐないと、私は思ふ。しかし、ここには重要な進展がある。この知的な対象を 眼が追ふのだから。眼はその中心を選び、そこに全てを持ち帰る。画家のやうに。組み直し、 自分で強調し、視点を選び、全ての頂に同じ日の光を求める。散歩する者はこのやうに歩むのだが、 いつでも早足すぎる。特に若く力があると、さうだ。脚が悪い者だけがしつかりと見る。かうして、 散文は、正義と同様に、脚を引きずりながら進む。(アラン「詩と散文について」『精神と情念に関する81章』所収)
私はこれまでに時どき、詩人たちについてかなり手きびしく語ったことがある。雄弁家、それも非凡な雄弁家たちを、私はそれ以上に大して愛しているわけではない。いたって学識のある人が、そのことで私につっかかってきた。どんな話でも心底から出たものは雄弁の動きとリズムをおのずと帯びる。ただすぐれた詩においてのみ、このリズムは一そう規則立っているのだ、と彼はいう。彼はそこで実例をそらで引用したが、なかなかうまく択んだ。私は散文をしかるべく弁護するすべを知らなかった。散文は、読者が声を出して読むとかならず損なわれる。そして目の方がいっそうよく散文をとらえるように私は思う。散文には媚がない。耳の期待をうらぎる。散文は絶対に歌おうとはしない。あの巫女の痙攣など散文は知らない。どんな遠慮も知らず、いかなる宗教臭もない。これこそ、すっかりはだかになった人間性そのものである。筆致が道具のように喰い入るのだ。
ナポレオンはフランス野戦のとき、ソワッソンの町が二日も早く陥落したのち、しばし無言であったが、やがていった、「そんなことは偶発事にすぎぬ。だがあのときは幸運がほしかった。」これが、ほかの時にはまたみずから運命を作った人のことばである。ここには翼のはばたきがある。美辞をつらねる人々は、ためしにやることしかしないが、この人間は勝負に出るのだ。注目にあたいすることだが、訂正加筆をせぬこの術の他の実例を求めにゆくとすれば、ナポレオンと同時代、そして彼と同じ行動の人、スタンダールに、私はそれを求める。「彼は脚下に二十里四方の土地を見た。ハヤブサであろう、彼の頭上の大岩から飛び立った鳥が、いたって大きな輪を、音もなく、えがいているのがときどき彼の視界に入った。ジュリアンの目は、機械的にこの猛禽のあとを辿っていた。その落ち着いた、しかも力強い動きが、彼の心を打った。彼はあの力をうらやんだ。彼はあの孤立をうらやんだ。それはナポレオンの運命であった。いつの日か、それが彼の運命になるだろうか。」(『赤と黒』)
修辞と呼ばれているあの模倣の痕跡のごときを、私はここにはまったく見かけない。しかも、喜劇なきこの散文は、公定の芸術(散文)が美辞をつらねて弁じ立てていた一時代のものなのである。ここには、欲望というよりもむしろ意志が、姿をあらわしている。行動が感情をむさぼり食ってしまう。同様に、この散文は何巻もの詩をむさぼり食ってしまう。ちょうど土が水を吸いこむように。イメージは、ここではオペラの舞台装置とはちがう。イメージは動きであり、稲妻であり、とぶ鳥のかげなのだ。「えがく」というこの語が、二つの意味をもっているとは、すばらしい。動きをえがくことは、まさにその動きをすることである。それゆえ、一方で描写は比較する。しかし他方で、描写は象徴するのだ。
散文とは何か、散文は何をなし得るのか、散文はどうあるべきか。私はこれらを知っているとはまだとてもいえない。絵画について何かと書く芸術批評家たちに、私はしばしばおどろいた。なぜなら、絵画は散文よりもなお一そう隠されているからである。こんにちでは、私は詩と散文のあいだの対立関係に気づいている。詩は、ふとした出会いで集まったイメージを延べ拡げ、かつ成長させる。そしてある種の散文は、こうした装飾を徹底的に叩きのめすのである。しかしながら、ヴァイオリンの弾き方がまなばれねばならぬごとく、散文の弾き方も、まなばずしては体得されえない。スタンダールのなかに、装飾をあまりにうち倒してしまう一つの術を、私は見いだす。ところで一方、シャトーブリアンをまねるのは危険性なきにしもあらず、ということを私は知っている。逆に、スタンダールは、ひとりならずの若い天分を枯渇させるだろう。
スタンダールは、雄弁家から、ありうる限りにおいてはなれている。説教は大げさで冗漫なものである。説教は耳と一致させなばならない。いく度も耳を打ち、そして耳をひき戻さねばならない。用意しておき、前ぶれしておくこと。ともかく、雄弁家の力、抒情の力を作っているのは、期待なのだ。韻の期待、区切りの期待、声の抑揚の期待。一完結文とは、手はずをととのえられ、もつれ、そして解決を見る劇のようなものである。それは窓ごしに見られた嵐なのだ。他方、散文の芸術家は事物の空洞そのもののなかにいる。彼の足音の反響がきこえてくる。だが二度とこだましない。ただ一度きりなのだ。彼は道具を休めて空を仰ぐ。詩の一切が通りすぎてゆく。丘から丘にとどく音のように。あのはだかの文体の魔術、それは喜劇を見る子供のように待っているのではなく、ふりかえって自己のうしろを注視することである。目の一躍によって読みかえす。イメージをもう一度しっかり捉える。あの固定した線条があなたを駆けさせる。これに反して、雄弁の芸術は、坐ってじっとしているわれわれのために駆ける。このゆえに、一方の芸術は朗読されたがり、他方の芸術は彫り刻まれることを求める。散文、つねに片足に体をかける、ブロンズ製の、いそぎの使者。(アラン『プロポ集』井沢義雄/杉本秀太郎訳)
ーー《ベルゴットのもっとも美しい文章は、実際に、読者に、自己へのより深い反省を要求したが、読者はそんなベルゴットよりも、単に書きかたがうまくなかったという理由でより深く見えた作家たちのほうを好むのであった。》(プルースト「見出された時」)
詩や音楽が、陶酔だけでなく、自己へのより深い反省を要求するものであってほしいとひとは願わないだろうか。
散文をバラにたとえるなら
詩はバラの香り
散文をゴミ捨場にたとえるなら
詩は悪臭
ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より
《自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)
散文をバラにたとえるなら
詩はバラの香り
散文をゴミ捨場にたとえるなら
詩は悪臭
ーー谷川俊太郎「北軽井沢語録」より
《自分が愛するからこそ、その愛の対象を軽蔑せざるを得なかった経験のない者が、愛について何を知ろう》(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部「創造者の道」手塚富雄訳)