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2013年11月26日火曜日

ある途方もなく大きな疑問符の消滅

以下は、ドゥルーズのマゾッホ論に附された蓮實重彦の小論「問題・遭遇・倒錯」の冒頭である。この論は、『マゾッホとサド』の訳者でもある蓮實氏の「あとがき」によれば、おそらく1973年に書かれているはずで、1936年生まれの蓮實重彦だから、37歳前後のものということになる。今ならまだ若手研究者に属する年齢であり、蓮實重彦が『批評あるいは仮死の祭典』を上梓するのもこの一年後(1974)である。

ある途方もなく大きな疑問符が、不意に疑問の符牒たる自分をみずからこばみはじめ、虚空に佇立するその輪郭を徐々に曖昧にしながら、ひたすら希薄化の一途をたどり、あたりに散りばめられている幾つもの些細な「なぜ」へと投げかけていた反映を日々弱々しいものとしていって、遂にはいつとも知れず闇へと没入してしまうとき、そんな事態の進展ぶりに身をもって立ちあう魂たちは、ただ呆気にとられて絶句するほかはない。世界が巨大な疑問符たることをやめるとき、人びとはいつもの例にならって、「なぜ」の一語を発しようと思い、胸の奥で言葉をまさぐるのだが、その一語がなかなか声になろうとしない事実に当惑し、苛立ち、煩悶し、遂には途方にくれて、奇怪な失語症に陥っている自分をやがてはうけ入れざるをえなくなる。おのれの背丈にみあったころあいの疑問符は、あたりからすっかり姿を消してしまっているのだ。それまで、各自がそれぞれの思惑に従ってもっともらしく疑問と呼んできたものが、とどのつまりは、唯一にして巨大なる疑問符の、遥かな反映にすぎなかったのだという事実が、そのとき明確化する。そして二〇世紀の西欧が口にする言葉は、その最も尖鋭な部分からかなり弛緩した部分に至るまで、おおむねいまみた失語感覚を基盤として、みずから言葉たる資格を主張しようとするものなのだ。

なにかにつけてもっともらしい図式を捏造し、ありもしない透視図を望見しないと気がすまない性質のものたちなら、ニーチェの「神は死んだ!」あたりを恰好の起点として、カフカの「城」への彷徨を通過し、サルトルの「実存的不条理」へと至る一連の思想史的な流れの上に、いまみた疑問符の消滅と、それを前にする人間の失語症との因果関係を程よく解明してみせてくれもしよう。単一者たる神の不在と、「表象=代行作用〔ルプレザンタシオン〕」による世界解読の試みの失権、そしてそこから当然のものとして導きだされる自己同一性の不可能な模索、さらにはその困難な模索の過程で人が手にすることとなった新たな武器としてのマルクシスムとフロイディスム、等々、巨大なる疑問符の消滅が西欧的な知の相貌にいかなる変質を強いるに至ったかを、いまでは誰もがすらすらと語ってみせることができる。そして、いま少し気を利かせたつもりになりたければ、構造主義的風土を背景として「人間は死滅した」と宣言するミシェル・フーコーの横顔でも浮き上がらせてみれば、いわゆる「現代思想」なるものの一応の見取図を完成させることになりもしよう。そんな見取図の一画の、ちょうどフーコーのかたわらあたりにジル・ドゥルーズの名前を据えてみれば、『マゾッホとサド』の著者が出現する思想的背景とやらが満遍なく理解できそうな気までしてしまう。いまや行きづまったと人がいう「構造主義」的言説の停滞の脇をたくみにすりぬけて、新たな思考を可能にする誇り高い個体として、つまりはマルクシスムとフロイディスムの頽廃を厳しく批判するあの新たなる思想家の一人として、いまや『アンチ=エディプス』(ガタリとの共著 72年)といういささかうさんくさいベスト・セラーの著者ドゥルーズが、われわれの前に姿をみせたというわけなのだ。

人は、新たな思想家の登場に立ちあるごとに、その思想家の思想を一つの疑問符として想定し、その疑問を正しいコンテキストの中に据えてこれを把握しようとする仕草に馴れ親しんでいる。だが、巨大なる疑問符が消滅した以後の白々とした地平には、もはや疑問符が疑問符たりうる条件は残されていないのだから、それが不毛な試みであることは自明の理でありながら、あえて不可能と戯れようとする意図からではなく、ただ驚くほかはない楽天的な姿勢で、新たな思想家の思想を解明しようと躍起になる。それが、「神の死」を徹底した虚構だといいはる人びとによって遂行されるのであればまだ救われもしようが、「神の死」はおろか、「不条理」を、フーコーの「人間の死滅」を当然のこととしてうけ入れている人びとの口からもれてくるもっともらしい言葉であったりすると、それこそ絶句するほかはない。なぜならそれは、「神の死」を無造作に口にしながら、しかも「神の死」をひたすら隠蔽せんとする無意識の仕草にほかならないからである。そんな仕草があたりにまき起こすものはといえば、疑問符の消滅を前にする存在が捉えられる失語症をめぐって、その徹底した絶句だけをこれまた徹底した饒舌によって註釈している無自覚な言葉の崩壊である。ミシェル・フーコーの『知の考古学』が途方もなく読みにくいのは、まさに絶句そのものをなぞろうとする言葉たちが、言葉の輪郭を極端に曖昧にし、その内実を可能なかぎり希薄にしようとしているからにほかならず、それ故にこそあの書物は、たとえようもなく美しいのだ。だからフーコーは、難解な思想を語る難解な思想家なのではない。巨大なる疑問符の消滅とともに、思想も思想家も消滅したという事実を、シュペーグラー流のあのうぬぼれきった饒舌によってではなく、最も絶句に近くあろうとする言葉たちの沈黙との戯れによって、身をもって示しているからにほかならない。

《「神の死」をひたすら隠蔽せんとする無意識の仕草》については、後の書、たとえば『物語批判序説』(1985)にて、《他人の言葉によって自分の言葉を二重に奪われたさまを隠蔽する「問題」》、あるいは《人びとは、現代にふさわしい「問題」が何であるかを知っている自分を確認するために、神の死を語り、自己同一性の喪失を好んで口にする(……)、それが、善意の連帯による他人の物語の真の機能》(p120)などと書かれて、より詳述されているが、いまは敢えてそれを引用することはしない。


この「問題・遭遇・倒錯」の冒頭の文に引き続き、デリダやラカンにも言及されるのだが、それもここでは割愛せざるをえない。ただひとつだけ、《真理と呼ばれる巨大な疑問符の解明に奉仕する科学的なディスクール》、つまり排除と体系化の法則に対して、ラカンの「非=排除の法則」と「非=全体化の法則」に触れ、次のように書かれることだけつけ加えておこう。

「排除」と「体系化」とは、単一者の表象的な影としてあるあの途方もない疑問符を光源とする、小規模な無数の「なぜ」を脈絡づけるに恰好な、絶句を隠蔽する饒舌に属するものなのだ。

 こうすれば「巨大な疑問符」が何を意味するのか判然とし、そしていまでも二十一世紀を十年以上へたあとも小規模な無数の「なぜ」をめぐる議論がくり返されている理由の一端が明らかになるだろう、つまりは《ただ驚くほかはない楽天的な姿勢で、新たな思想家の思想を解明しようと躍起になる》無自覚な連中の跳梁跋扈の由来が。

そもそも研究論文とは、多くの場合、いまだ排除と体系化によって書かれるのではないか。
知の領域における父性原理の権化ともいうべき論文形式、後年のバルトは終始痛烈な異議申し立てをおこなった。後年のバルトにとって、論文形式は「戯画」であり、「ファルス」なのである。(花輪光『ロマネスクの作家 ロラン・バルト』)

彼らの楽天性と呼ばれるものは、《王殺しなどかつて起りはしなかったかのごとくに振舞いながら、記憶喪失に徹すること。また一方で、忘れられた王殺しにもかかわらず、空位になった王座に誰もが自分を位置づける権利だけはあると確信すること》(蓮實重彦『物語批判序説』)という表現もされる。

蓮實重彦の論は、父性原理なき時代にいまだ父性原理があるかのようにして書く人びとへの批判とも読める。だが、その論文の調子は、今読んでみると、いかにも昂然として「父」の役割を果たそうとしているかの如くであり、批評家が「大文字の他者」として振舞うことができた時代の最後の残照の名残りのようにも見える。実際、柄谷行人と蓮實重彦の時代以降、権威としての批評家はいなくなったといってよいだろう。いま37歳の批評家が、あのいかにも「生意気」な調子で書いたら、いくら俊英でも袋叩きにあうのではないか。時代が80年代前後から大きく変わった、という感慨をあらためて抱かざるをえない。

中井)確かに1970年代を契機に何かが変わった。では、何が変わったのか。簡単に言ってしまうと、自罰的から他罰的、葛藤の内省から行動化、良心(あるいは超自我)から自己コントロール、responsibility(自己責任)からaccountability〔説明責任〕への重点の移行ではないか。(批評空間2001Ⅲ-1 「共同討議」トラウマと解離(斎藤環/中井久夫/浅田彰ーー父なき世代(中井久夫)

…………

《無神論の真の公式は「神は死んだ」ではなく、「神は無意識的である」である。》(ラカン『精神分析の四基本的概念』)

実際には,今日,ある意味で,「大文字の〈他者〉はもはや存在しない」(……)――しかし,どういう意味でのことだろう。この非存在が実際にどういうことなのか、明確にすべきだろう。大文字の〈他者〉については、ラカンによれば、あるところで神と同じである(今日では神が死んでいるということではない――神はそもそものはじめから死んでいたが、神自身がそれを知らなかっただけだ……)、「大文字の〈他者〉」が存在しないということは,最終的には,大文字の〈他者〉が象徴界の次元であるという事実、直接の物質的因果性とは別のレヴェルで作動する,象徴界の虚構の次元であるという事実に等価である(ジジェク『サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性』松浦俊輔 訳)


ところでジジェクが「大文字の他者」の崩壊を語るときには、二〇世紀後半の「父の名」の喪失という観点から言われることが多いのだが、その文脈はここではひとまず保留し、上の蓮實重彦の文章と重ね合わせてみよう。

ジジェクは、「大文字の他者の崩壊」(象徴的法の失効)により、「小さな<大文字の他者>a big Other」としての無数の「倫理委員会」で埋められる、という意味のことを書いている。

蓮實重彦のいう《小規模な無数の「なぜ」》の乱立とは、まさに「小さな大文字の<他者>」としての無数の「倫理委員会committees」のこととすることもできるのではないか。

The paradoxical result of this mutation in the “inexistence of the Other”—of the growing collapse of the symbolic efficiency—is precisely the reemergence of the different facets of a big Other which exists effectively, in the Real, not merely as a symbolic fiction.
Perhaps the most eye-catching facet of this new status of the “nonexistence of the big Other” is the sprouting of “committees” destined to decide upon the so-called ethical dilemmas which pop up when technological developments in an ever-increasing way affect our life-world(WHAT CAN PSYCHOANALYSIS TELL US ABOUT CYBERSPACE?  Slavoj Zizek)


さて、このドゥルーズの『マゾッホとサド』の翻訳そのものは、「1972年の夏、時ならぬドゥルーズ・ブームのさなかの、パリで開始され、73年の春、幾度かの中断ののち、東京で完成された。」(訳者あとがき)

当時はもちろん、1968年の世界的な「権威への異議申立て」、進歩史観の上に成り立つ社会変革のヴィジョンへの激しい批判・抵抗運動の余燼がさめやらぬ時期であり、日本ではその後、70年代には権威の衰退、上から押し付けるはずの人たちが物分りのいい振りをしだして、そして80年前後から「ニューアカ」ブームがあり、80年代末には、世界的にもソビエト連邦の悲惨な崩壊を目のあたりにすることになる。そのあいだに権威の空洞化が瞭然とし、性急な近代へのシニシズムが起った。一般にこの時期のことを「ポスト・モダン」と呼んだり、「大文字の他者の消滅」、あるいは「父なき時代」と呼んだりするわけだが、蓮實重彦=フーコーの文脈では、「大文字の他者」、巨大な疑問符の消滅はずっと前に起っているということになる。それはニーチェが「神は死んだ」と宣言したよりもさらに前のことなのだ。

フーコーは、『言葉と物』で、「西欧の<エピステーメー>全体が一八世紀の末に転覆した」と宣言している。

ここで一八世紀末(1788 )に書かれたカントの『実践理性批判』をめぐって語るドゥルーズを並べてみよう。

カントの『実践理性批判』に、この上なく厳密なその表現がみいだしうる(……)。カント自身、その方法の斬新さは、いまや法が<善>に依存するのではなく、逆に<善>が法に依存するのだという点にあるのだと口にしている。それが意味するところは、もはや法には、その権利の源流となる上位の原理を基礎にしてみずからを築く必要性もなければ、またその可能性もないということである。法は、それ自身として有効でなければならないし、みずからを基礎として築かねばならず、したがってそれ自身の形態をおいてはいかなる手段も持たないのだということを意味している。以来はじめて人は《法》を、それ以外の特性によってでもなく、また対象を指示することもなく語ることが可能となり、またそうせざるをえなくなったのである。(ドゥルーズ『マゾッホとサド』「法、ユーモア、そしてイロニー」の章 蓮實重彦訳)

 もっともこれらの一八世紀末に大きな転回があったという見解が、つねに共有されているわけではないだろう。たとえばラカンは神が死んだのはニュートンによる、と捉えることもできる発言をしているようだ。

1955年のセミネールにおいてラカンは聴衆に対して一つの奇妙な質問を出す。「星はどうしてしゃべらないのだろうか」と。これにたいするラカンの回答は「第一に、星には何も言いたいことがないから、第二に、星には時間がないから、第三に、星を黙らせてしまったから」というものであった。(……)

かつてわれわれが夜空を眺めていたとき、星たちはわれわれにこれらの話を語りかけてきたのであり、われわれはそれにやさしく耳を傾けていた(……)。だが現代のわれわれにはもうそれが聞こえない。あるときから星たちは突然黙りこくってしまったのである。むしろラカンの言うように、星を黙らせてしまったのだ。いったい誰が星を黙らせたと言えるのだろう。

それはニュートンである。ニュートンが宇宙を支配する万有引力の法則を発見し、世界を何の意味もない数式にして書きとめ、パスカルの言う「無限空間の永遠なる沈黙」をうちたてたのである。以後、宇宙は何の意味もない数式に還元されるようになり、星には言いたいことはなくなってしまったのである。(向井雅明『真理と知』)

科学者が、「星」を、「神」を、「真理」を、黙らせてしまったのだ、というわけだ。

これで冒頭に引用された巨大な疑問符の喪失がなにを意味しているのかがより明確になったはずだ。だが真理が、善が、相対化されてしまったことを真理として語ってしまってはならない。それが二〇世紀後半の誠実な思想家たちの言葉の読みにくさの理由のひとつなのであり、なぜなら《最も絶句に近くあろうとする言葉たちの沈黙との戯れによって、身をもって示しているから》なのだ。

くり返せば、巨大な疑問符の喪失とは、真理といわれるものが、プラトン的な法の古典的概念ではなくなり、その逆転現象をこうむる契機となったカントのいうコペルニクス的転回、--法がそれに先行する<善>に根拠をおくのではなく、逆に<善>が法に依存することになったことーーつまりは法が「表象=代行作用」によって自分を支えきれず、それ自身として有効性を発揮せざるをえなくなったということである。

フーコーは、思想家の「思想」も、《緒規則の内部において》考えられたものに過ぎず、《われわれの言いうることは、そこから与えられているから》にすぎないという(『言葉と物』)。

「真理」は、イデオロギーであり、プロパガンダ、ドクサに過ぎないということになる。《真理を保証しているのは、たんに支配的なパラダイムにすぎない》(柄谷行人『隠喩としての建築』)。

ここで「神は死んだ」と宣言したニーチェの真理観をいくらでも並べることができるだろうが、今はひとつだけにしておく。

《われわれは、真理への意志がもつ価値を問うた。われわれは真理を欲するというが、ところでなぜむしろ非真理を欲しないのか。なぜ不確実を欲しないのか。なぜ無知をさえ欲しないのか。》(『善悪の彼岸』)

※たとえばここにいくらかまとまっている。「ニーチェの真理観」repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/1339/1/ning_1(1)_ikeda.pdf




ここで、ふたたび蓮實重彦の解説文からその末尾を引用してみよう。

……『マゾッホとサド』をかたちづくるドゥルーズの言葉も、その論理の展開ぶりの驚くべき緻密さと厳密さと結論の明確さにもかかわらず、やはりある種の聞きとりにくい不明瞭な声として響き、フーコーをはじめとする一連の顔ぶれが口にする言葉と遥かに反響しあいながら、巨大なる疑問符の消滅を証明せんとしている。その聞きとりにくさは、みずから積極的な希薄たろうとするドゥルーズの言葉たちの、暗黙の了解からきているように思う。その言葉たちは、ちょうどマゾッホの文学がそうであったように、世界の不可思議な篏没や隆起へと人びとの視線を無理に引きつけ、その畸型性をあからさまにあばきたて、それに修正をくわえようとはしない。むしろ、その畸型性の内部に静かに身をひそめ、そこできわめて緩慢に位置をづらしてみて、それがほかならぬ畸型性たることをみずから確かめてみる。そのとき、畸型性は正常の名において排除されうことも、また畸型性ゆえに、逆説的正統性を付加されることもありはしない。そこには、荒々しい解体だの、破壊だの、蘇生だのといった、ありもしない特権的視点の構築作業が鳴りもの入りで遂行されるわけでもない。ただ、一つの関係が、ほとんど感知しがたいほどの慎しさで位置をかえたにすぎない。

その転位した関係とは、すなわち世界というものが、そっくり非倒錯者に属し、ごく限られた領土のみが倒錯者に許されている」のではなく、正常な人間と倒錯者とを、ともに容認することで、世界が世界として成立しているという事実によって具現化されているものだ。倒錯をめぐるディスクールが、倒錯者のロマンチックな擁護で終わっていない点が、一人の思想家の登場を待ちうけている人びとに、ある積極的な失望をもたらすかもしれない。だが、いまや、哲学の領域であれ文学の領域であれ、一つの疑問符であるような書物は、つまり「なぜ」と問うことに充実した返答となるような言葉は、無益な饒舌いがいにありえないのだときに先導者を気どり、また安定剤の役目をも果し、謎解きの欲望をみたしてくれもした「思想」なるものはもはや存在せず、またかりにあったとしても、それは、偽りの充足感によって読むものを一時的にかわし、いつのまにやらどこでもない場所に宙吊りにしてしまう、悪意にみちたものであるに違いない。

フーコーが難解な思想を語る思想家ではなかったように、ドゥルーズもまた、明解な思想を語る明解な思想家ではない。彼は、徹底して希薄な言葉によって、思想たることをこばむ、現代の倒錯的ディスクールの実践者なのである。(蓮實重彦「問題・遭遇・倒錯」)

《その畸型性の内部に静かに身をひそめ、そこできわめて緩慢に位置をづらしてみて、それがほかならぬ畸型性たることをみずから確かめてみる》とある。これは自ら病気になってみるということでもあろう。

週刊誌ブームが、現代日本文化の一種の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰まらない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。(……)私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。(小林秀雄「読者」

この態度は誤解を生むこともある。そして病気を楽しむということは、やはりそれが好きなのかもしれない、ということもある。

蓮實)浅田彰の言説を特徴づけるものとして、最終的に否定されるべき批判の対象とかなり快く戯れて、ことと次第によっては、自分がその「絶対的スノビズム」であることを恐れないといったところがあり、それがいわゆる若手の文芸批評家どもと彼の絶対的な違いなわけです。つまり、浅田彰はその点で間違いなく優位にあるんだけれど、その優位を彼は余裕をもって遊ぶんで、批評家としての拡がりが出ると同時に、否定と肯定の揺れ動きも大きくなって、たとえば否定さるべきポスト・モダン状況というのを率先して楽しんじゃっているというところがある。

……やっぱり小児的資本主義が面白くて、たまんなく好きなんですよ。

(柄谷)そうなんだ。しかし、それは彼が小児的ではないからですね。僕の方が小児的です(笑)。小児的人間は、小児性を嫌悪するからね。(『闘争のエチカ』)

倒錯をめぐっては、『表層批判宣言』(1979)所収の「倒錯者の「戦略」」という論文に、クロソウスキーとドゥルーズの名を持ち出して、《肯定すること。積極的に変容に身をさらすこと。肯定を思考し肯定を欲望すること。肯定を思考し欲望する身振りを肯定すること。その肯定的な身振りを思考と欲望との肯定的な戯れで支えること。その身振りと戯れとが肯定的に支えあうことで思考と欲望とが肯定的に自分であることをやめること》と「肯定」の語が散乱することになるのだが、今はそれに詳しく触れるつもりもない(ようするにわたくしはそれを語れるほどドゥルーズを読んでいるわけではない)。

いずれにせよ上に引用された文章によってすでに明らかであろうが、ドゥルーズ・蓮實重彦のいう「倒錯」とは器質的な倒錯ではなく、戦略的な倒錯であり、その戦略の目指す処はつぎのようなものだ。

「哲学の誤りは、人間のうちに思考することの善意を、真実なるものへの願望や自然な愛を前提として予想してかかること」にあると口にするドゥルーズであってみれば、彼の言葉をかりたてているのは、もちろん真実の意志ではあるまい。かえって、ある途方もない錯覚によって、真実を志向する手段と思われているものから、その虚構性を解き放つことにあるのだ。真実ゆえに犯される錯誤という錯誤の背後に、ということは、巨大なる疑問符の反映によってみずから一つの疑問符たりうると信じこんでいる些細な「なぜ」の基盤に、その錯誤がかたちづくられる条件を明らかにし、また同時に錯誤ならざるものが占めうる場所を準備しようとするのだ。(蓮實重彦「問題・遭遇・倒錯」)

もちろん、こういった目的のために別の戦略もある。パラノに対抗するためのスキゾは、浅田彰によって、80年代流行しすぎた。

まずファシズム的パラノイア的な型あるいは極があり、中央主権の組織体を備給し、この組織体を歴史上の他のあらゆる社会形態にとっての永遠の目的因として、これを超備給する。またもろもろの飛び地や周辺を逆備給する。あるいは、欲望のあらゆる自由な形態を脱備給する。――そう、私はあなたたちの一族だ。優越的階級と人種に属している。もうひとつは、革命的分裂者的な型あるいは極であり、欲望の逃走線をたどり、壁をうがち、流れを交通させ、自分の機械や融合集団を飛び地や周辺の中に構築する。つまりファシズム的パラノイア的な型や極とは、逆の仕方でふるまうのだ。私はあなたたちの仲間ではない。私は永遠に劣等人種に属する。私は獣だ。黒人だ。
(G・ドゥルーズ/F・ガタリ『アンチ・オイディプス(下)』宇野邦一訳)

そして、浅田彰の『逃走論』から。

ここでまず思い起こされるのが、人間にはパラノ型とスキゾ型の二つがある、という最近の説だ。パラノってのは偏執型(パラノイア)のことで、過去のすべてを積分=統合化して背負ってるようなのをいう。たとえば、十億円もってる吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな、ね。それに対し、スキゾってのは分裂型(スキゾフレニー)で、そのつど時点ゼロで微分=差異化してるようなのを言う。つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。

 さて、もっとも基本的なパラノ型の行動といえば、《住む》ってことだろう。一家をかまえ、そこをセンターとしてテリトリーの拡大を図ると同 時に、家財をうずたかく蓄積する。妻を性的に独占し、産ませた子供の尻をたたいて、一家の発展をめざす。このゲームは途中でおりたら負けだ。《やめられない、とまらない》 でもって、どうしてもパラノ型になっちゃうワケね。これはビョーキなんだけど、近代文明というものはまさしくこうしたパラノ・ドライヴによってここまで成 長してきたのだった。そしてまた、成長が続いている限りは、楽じゃないといってもそれなりに安定していられる、というワケ。ところが、事態が急変したりす ると、パラノ型ってのは弱いんだなァ。ヘタをすると、砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕、なんてことにもなりかねない。ここで《住むヒト》にかわって登 場するのが《逃げるヒト》なのだ。コイツは何かあったら逃げる。ふみとどまったりせず、とにかく逃げる。そのためには身軽じゃないといけない。家というセ ンターをもたず、たえずボーダーに身をおく。家財をためこんだり、家長として妻子に君臨したりはしてられないから、そのつどありあわせのもので用を足し、 子種も適当にバラまいておいてあとは運まかせ。たよりになるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ。とくると、これはまさしくス キゾ型、というワケね。

そして「スキゾ」概念は、こんな具合になってしまった。

蓮實)……まさに概念は署名と不可分だということになる。それで、ドゥルーズという署名の問題が出てくるんだけれども、彼がガタリと創造した概念を、あたかもそれがCMでいうコンセプトであるかのようにして流通させている人は、まさに固有名を背後に感じていながらもこれを切断しているという、悪しき流通形態に陥ってしまう。それに対してドゥルーズは非常に厳しく批判していますね。

浅田)たとえば「スキゾ」という概念が80年代の日本で結果的にCMのコンセプトのようなものとして流通したことは事実だし、その責任の一端は感じますけど……。

蓮實)ありますよ、それは(笑)。

浅田)しかし、本当は、「スキゾフレニー」(分裂症)という言葉だってそれまでにいろんな人たちによっていろんな形で使われてきたわけで、ドゥルーズとガタリは新しい言葉を作るのではなくそういう既成の言葉を新しい形で使うことで概念を創造したんです。……(共同討議「ドゥルーズと哲学」批評空間 1996Ⅱ― 9)

いまかりに偽りの「問い」を発するのならば、この2013年の言論界にも無数に見られる「無償の饒舌」、ときに先導者を気どり、また安定剤の役目をも果し、謎解きの欲望をみたしてくれるふりをする偽りの充足感によって読むものを一時的にかわすことのみ汲々としているかの如き饒舌をどう扱うかだ。

あれら小規模な無数の「なぜ」の乱立やら、「小さな<大文字の他者>」としての無数の「倫理委員会」の代表者としての発言。

ドゥルーズ&ガタリの「スキゾ」やら、ドゥルーズ=マゾッホの「倒錯者」としての肯定的戯れが、ニューアカのシニシズムを生んで、いまの人文学の危機を生んだという批判もあるのだろう。だとしたら、「小さな<大文字の他者>」でもいい、まがいの頑固おやじの復権を担うものとしての「倫理委員会」の代表者・研究者たちをも「肯定」すべきだろうか。

そもそも「ニューアカ」批判、そのニヒリズム批判があるとしたら、その重要なひとつは、そこにあったニヒリズムは「真理」の追求の裏返しに他ならなかったからだろう。真理や善や自由などは虚偽だ、人生を生きている意味などない、というニヒリストの嘆きは、実は依然、かつての道徳慣習の残滓によって人生を解釈しようとしているに過ぎない。

他方、「問い」を捏造したり「解釈」しようとしたりすることそのものが、あらぬかなたに「意味」を想定する振る舞いであり、蓮實重彦の「倒錯」や、浅田彰の「スキゾ」は、そこから逃れる戦略であったはずだが、それが上っ面だけで受けとられ、ただひたすらシニカルな「戯れ」に終わってしまったという反省はあるのだろう。

自分はそもそも、近代はすばらしいと言っていた人に対して、近代にも様々な問題はあるし、近代が忘れてきた様々な問題をもう一回考える必要があるという立場だった。しかし気づいてみると近代こそが最低限の常識だ、という頑固親父がいなくなって、近代は絶対ではないとか、公教育というけれども情報量を詰め込むより生きる力をつけなければなどと言っている。今は、学校が妙に生徒に媚びて、やるべき情報の伝達もせず、もちろん生きる力もつかないといった袋小路に入りつつある。(浅田彰「知とは何か・学ぶとは何か」



・あらゆる理念がついえ去ったのであればもはやホンネに居直るしかないというシニカルなホンネ主義に抵抗するために、それまで「王様を笑い続ける少年」だった彼(浅田彰)が、今や、不本意で面白くないのを重々承知でゴリゴリの「頑固親父」という役割を演じようとしている。

・もし「自由、そんなもんただの幻想だ、虚偽だ」と言ってしまえばもはや否定的契機も向上心も何も出てきやしないこない。だから、結局、(あきらめてシニックになって)今の現状のただの肯定にしかならない。だから、どんなに自由が抑圧されようがそれを肯定することにしかならない。だからこそ、我々はこの向上心とか否定的契機を失わないために、自由に対する抑圧にあきらめないで最後まで抵抗するために、野暮ったくても柄でもなくてもやっぱり声を大にして、もう一度、自由や人権の理念を掲げるという「頑固親父」(=啓蒙主義者)になるしかない


 「小さな<大文字の他者>」としての無数の「倫理委員会」の代表者でも、王様を笑い続ける少年よりはずっとましだというわけだ。

だが、小文字の「頑固親父」(啓蒙主義者)と、「無償の饒舌」、ときに先導者を気どり、また安定剤の役目をも果し、謎解きの欲望をみたしてくれるふりをする偽りの充足感によって読むものを一時的にかわすことのみ汲々としているかの如き饒舌者とをどうやって見分けるというのか。

そのとき「倒錯者の戦略」がひとつのヒントとなるだろう。

蓮實重彦の論から再掲しておく。

ある途方もない錯覚によって、真実を志向する手段と思われているものから、その虚構性を解き放つこと(……)。真実ゆえに犯される錯誤という錯誤の背後に、ということは、巨大なる疑問符の反映によってみずから一つの疑問符たりうると信じこんでいる些細な「なぜ」の基盤に、その錯誤がかたちづくられる条件を明らかにし、また同時に錯誤ならざるものが占めうる場所を準備しようとするのだ。

これはユーモアの戦略でもある。もっともフロイト的な超自我の勝利としてのユーモアに反して書くドゥルーズの「ユーモア」である。《われわれは、ユーモアというものがフロイトの思惑どおりに強力な超自我を表現するものとは思わない》(「マゾッホとサド」)。

ーー両者を仲介するかのような詩人の言葉を先に附しておこう。
《ユーモアとは、同時に自己であり他者でありうる力の存することを示すもの》(ボードレール)
法からより高次の原理へと遡行する運動(イロニー:引用者)ではなく、法から諸々の帰結へと下降する運動をわれわれはユーモアと呼ぶ。誰しも、熱中に度がすぎて法を変質させてしまうやり方を幾つか知っている。そのとき、法の不条理を証明し、法が禁止し除去するべきものとみなされているこの無秩序を、まさに法から引きださんと人が企てるのは、ある細心の応用作業によってである。法を、言葉どおりとらえる。その至上の、あるいは第一義的性格に異議をとなえない。あたかもその性格の力によって法が人間に禁じる快楽を、法が自分のためにとっておくかのように行動する。するとその瞬間から、まさしく法を観察し、法と一体化することに徹しきることで、その快楽のいくらかが味わえるだろう。法は、もはや原理への遡行によってイロニックにくつがえされるのではなく、帰結を深く究明することによって、ユーモラスなかたちで斜めによじまげられるのだ。(ドゥルーズ「法、ユーモア、そしてイロニー」)

《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評》(蓮實重彦『逃走のエチカ』)ではないかどうかも、ひとつの決定的な「無償の饒舌」か否かを見分ける目安だろう。

つまり、自分はその物語に醜く汚染してはいないが故に装置にはいかなる犠牲をも提供してはおらず、したがって多くのものが信じがたい素直さで譲りわたしているものが何であるかを明確に識別することができるという確信が存在する。この確信を共有することはきわめて容易であろう。事実、多くの人が口にする「批判」とか「分析」なるものはその種の確信から生まれ落ちてくるものだ。だが、汚染せざる自分への確信があたりにばらまく「批判」的言辞や「分析」的思考、それが、いま「批判」し「分析」しつつある物語の言葉によってしか語られえないという点を便利に無視しているという意味で、この圏外者の指摘ははじめから抽象たるべく運命づけられているといえる。しかもこの手あいの抽象にもそれなりの物語がそなわっていて、間違いなくあの偉大なる忘却装置の中枢に据えられた歯車としてせっせとまわり続けているのだから、それは何もいわずにおくことと選ぶところがないわけだ。にもかかわらずあれだ、これだと指摘してまわらずにいられない言葉たちを、無償の饒舌と名付けよう。(蓮實重彦「倒錯者の「戦略」)


「倒錯者の戦略」における「倒錯」と、次に言われるようなラカン派によって説かれる「倒錯」とを混同しないようにしなければならない。
私たちの心のメカニズムは(……)際限のない享楽の追及と、その露出(見せびらかし)、および他者と「平等」に享楽する権利の要求によって特徴づけられる心的経済へと移行しつつある。この新型の心的経済は特定の回路を通じて確保される享楽への恒常的な依存を示す点で古典的な臨床構造のなかでは「倒錯」に最も近い。(『露出せよ、と現代文明は言う 』立木康介)


次に書かれるジジェクによる「倒錯」の叙述は、倒錯者の戦略と立木氏によって説かれる「倒錯」との橋渡しになる叙述としても捉えることができる。

時には〈法〉に違反することで(自慰、盗み……)享楽を得るために〈法〉を認め、盗まれた享楽を相手側から奪い返すことによって満足を得るような神経症患者と対照的に、倒錯者は,享楽する大文字の〈他者〉を、直接に〈法〉の代理人に引き上げる。 倒錯者の目標は、〈法〉を切り崩すことではなく、それを確立することである。よくある男のマゾヒストは、自分の相手、女王様を引き上げて、出される命令にこちらが従わなければならない〈法〉の制定者にする。倒錯者は、〈法〉の猥褻な裏面のことを重々承知している。彼は〈法〉にる支配を立てる身振りのまさに猥褻さ、すなわち「去勢」から満足を得るのだ。「正常な」事態においては、象徴界の〈法〉が、(近親相姦の)対象に手を出すのを妨げ、それでそれに対する欲望を創造する、倒錯においては、法を作るのはほかならぬ対象である(例えばマゾヒズ ムでは女王様)。マゾヒズムという倒錯の理論的概念が、「〈法〉にさいなまれることを楽しむ」 マゾヒストという 、ごくあたりまえの概念に重なっている。マゾヒストは、享楽に手を出すことを禁じる〈法 〉の作用の中に享楽を置くのである。

かくて倒錯した儀礼は、去勢という演目、主体が象徴の秩序に入れるようにしてくれる原初の喪失という演目を舞台にかけるが、そこには特徴的なひねりがある。〈法〉 が欲望 (の対象への回路)を調節する禁止の作用として機能する「正常な」主体とは違い、倒錯者にとっては、その欲望の対象はほかならぬ〈法〉そのものである。 ―― 〈法〉は彼が希求する〈理想=観念界〔イデアル〕〉であり、彼は〈法〉によってしっかり認知してもらいたいのであり、その機能に組み込まれたいのだ……。このことの皮肉を見逃してはならない。この、何よりも「正常」でまっとうなふるまいの規則をすべて侵すと言われる倒錯者という「違反者」が、実はまさに〈法〉の支配を求めているのだ。

倒錯者に関してもう一つ言えば、彼にとっては〈法〉は完全に定まっていない ( 〈法〉 は彼の失われた欲望の対象である)以上、彼はこの欠如を、手の込んだ規則群によって補う(マゾヒストの儀礼を見よ)。決定的に重要な点は、〈法〉と規制(あるいは 「ルール」 )の対立を念頭に置くことである。後者は〈法〉が不在あるいは棚上げになっていることを証しだてている。

すると倒錯において実際にあやうくなっているものは何だろう。ニューヨークには「私どもは奴隷です」と呼ばれる団体があって、人のアパートの部屋を無料で掃除し、その家の主婦に乱暴に扱われたいという人を提供している。この団体は、掃除をする人を広告を通して集める(その謳い文句は「隷従そのものが報酬です」である)、応募してくる人の大半が,高い報酬を得ている重役や医者や弁護士で,彼らは動機を聞かれると,いつも責任を負っていることがいかに気分が悪いかを力説する――乱暴に命令されて仕事をし、どなりつけられることをこよなく楽しむのだ。<存在>への通路を得る手段として彼らに開かれているのはそれだけだからである。ここで見逃してあんらない哲学的に大事な点は、<存在>への唯一の通路であるマゾヒスムは、近代のカント的主観性、つまり、自己関係する否定性という空虚な点に帰着する主体と、厳密に相関しているということである。(ジジェク『サイバースペース、あるいは幻想を横断する可能性』松浦俊輔 訳)



※追記

僕自身としては、真実をめぐる言説が「大いなる物語」の中に錨をおろしていた時代をモダンと呼び、その「大いなる物語」の機能失調が明らかになって以後の時代をポスト・モダンとよぶことには反対であり、かりに「大いなる物語」が近代=モダンの言説だと呼ぶなら、その成立は、真実とは無縁の「小さな物語」の発生と同時代的であり、あるいはその「小さな物語」こそが「大いなる物語」の伝播に役立っていたという視点をとっているので、ポスト・モダンをモダンに続く時代ととることにも反対です…… (『闘争のエチカ』蓮實重彦発言)

…………

「神の死」にかんして

「ラカンの「カントとサド」をめぐる三つの思想史」において立木康介はラカンを引用しつつ次のように書いている。

ひとりキリスト教のみが、われわれが神の死と呼んだ真理の本性に、受難のドラマによって表象される、そのまったき内容を与えている。 〔…〕キリスト教によってわれわれに提示されているのは、この神の死を文字通り受肉するひとつのドラマである。また、キリスト教こそがこの死を、 〈法〉をめぐって起こったことがらと連帯させている。そのことがらとは、この法を破壊するのではなく、それに取って代わることで、それを要約することで、それを廃棄するのと同じ運動でそれをやり直すことで――これは Aufhebung というドイツ語のタームがものをいう最初の歴史的例である――これ以後たったひとつの命令が「汝の隣人を汝自身のごとく愛せよ」となる、ということにほかならない。 このことは、 福音のなかにそのままはっきりと書かれている 〔…〕 。 二つの項、すなわち、 神の死と隣人愛とは歴史的に連帯関係にあり、 それを見誤ることは、ユダヤ=キリスト教の伝統のなかで歴史的に成し遂げられていること全体に、体質的な偶然とでもいうべきアクセントを与えるのでもないかぎり、不可能である。 」 (SVII, 227-228)


そして《ラカンの議論は、どうもこういうことのようである》して、以下の如く書かれる。

ニーチェによって告知され、フロイト によって「原父殺害」として新たに神話化された「神の死」は、じつは近代の出来事ではない。神はずっと以前から死んでいたのであり、ただ、死んでいる以上、自分が死んでいるということを知らないだけである。 このことによって、 次のことが明らかになる。 すなわち、神が死んだのちにも、享楽はやはり以前と同様に禁じられたままである、ということである。

いいかえるなら、神が死んでも法はな くならず、それどころか法の強制は強まるばかりで(われわれが自らに禁止を課せば課すほど、禁止はますます強くなる、という『文化のなかの居心地悪さ』において徹底的に検討された超自我のパラドクス) 、フロイトがいうようにいつまでたってもわれわれは幸福になることができない。しかしこのことが明らかにするのは、法がいったい何に仕えているか、ということである。法の根拠は社会的なもの(のみ)ではなく、文化的なもの、すなわち、欲望の構造に根ざすものであることが分かってくる。

法は、主体を享楽から遠ざけることに仕えているのである。 ラカンによれば、まさにここから、す なわち、法の機能が明るみに出るこの地点から、真の倫理がはじまる。 「隣人愛」の掟は、この倫理の次元を代表するものとして到来するのである。 それはまさに快原理の彼岸であり、 フロイトは、そしてサドもまた、その「彼岸」をわれわれに垣間見せはしたが、その前で立ち止まった。フロイトについていうなら、そこで立ち止まった彼は、その境界線上の壁に「死の欲動」という名の抽象画を描き、まさにその限界で中座した彼の欲望を昇華したのだといえる。

このように考えるとき、私たちは、セミネール XI( 『精神分析の倫理』 )のなかで、ラカンがなぜ半ば揶揄するような調子で、 「父の機能の起源をその殺害に基礎づけながらも、フロイトは父を護っている」 (SXI, 58)と述べているのかが分かる。法の支えとして父の機能を救うことは、隣人愛の掟の前で立ち止まることといわば首尾一貫しているのである。