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2013年8月27日火曜日

引き返せない道

中井久夫の『昭和を送る』所収の「「昭和」を送る――ひととしての昭和天皇」1989年に書かれながら「長く単行本に収録する気力を失っていた」)の結びは次のようにある(わたくしはこの著は手元になく、ウェブ上から拾った)。

日本国民の中国、朝鮮(韓国)、アジア諸国に対する責任は、一人一人の責任が昭和天皇の責任と五十歩百歩である。私が戦時中食べた「外米」はベトナムに数十万の餓死者を出させた収奪物である。〔…〕天皇の死後もはや昭和天皇に責任を帰して、国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る。


ここで加藤周一の言葉を挿入しよう。

加藤周一は,こう問うた。

2003年3月20日に開始されたイラク戦争に対する,日本とドイツの政府の態度がおおきく異なったのは,なぜか。

ドイツは参戦を拒否し,日本は平和だろうと戦争だろうとアメリカのあとにしたがう。ドイツは「ヒトラーに臣従した過去」を徹底的に批判し,いまや「アメリカの権力にも権威にも臣従しようとしない」国である。それにくらべ日本は,かつては「臣民にすぎなかった過去」から真に訣別しなかったゆえ,「国民が主権を保持する国」となったいまでも、「昔を懐かしみ和を貴しとする」以外に批判精神を研ぎすますことがすくない)。bbgmgt-institute.org/Ronsou12.pdf
ここで加藤周一氏は、「今日も残る戦争責任」の記事の中で「生まれる前に何が起ころうと、それはコントロールできない。自由意志、選択の範囲はないのです。したがって戦後生まれたひと個人には、戦争中のあらゆることに対して責任はないと思います。しかし、間接の責任はあると思う。戦争と戦争犯罪を生み出したところの諸条件の中で、社会的、文化的条件の一部は存続している。その存続しているのものに対しては責任がある。もちろん、それに対しては、われわれの年齢の者にも責任がありますが、われわれだけではなく、その後に生まれた人たちにもは責任はあるのです。なぜなら、それは現在の問題だからです。」(「加藤周一 戦後を語る」かもがわ出版  (Ⅴ 戦後世代の戦争責任・・・今日も残る戦争責任)81ページ記事引用)
加藤周一氏は『朝日新聞』連載「夕陽妄語」の中で「国の犯罪」と題して次のように述べている。「国が犯罪を犯せばどうなるか。犯罪を犯した国が、そのまま今日まで続いている場合もあり、犯罪を犯した国と今日の国との間に連続と断絶の両面のある場合もある。国土と国民とは連続していても、国家権力の、指導者と制度と価値観に、時と場合によって異なる程度の断絶があり得るからである」。ここで加藤氏が犯罪を犯した国と今日の国との間の連続と断絶を問題にする場合、前者の例として日本を、後者の例としてドイツを念頭に置いていることは明らかであるが、この問題をここでの用語法で言い換えれば、日本では戦前の「公」と戦後の「公」とが連続しており、従って戦前的思想・政策を戦後の現在になってもまだ完全に否定できないのに対して、ドイツにおいては戦後の「公」は戦前の「公」を否定するかのような立場を採ることによって、自らの正当性を担保しており、日本とは逆に戦前的価値を完全否定することが現在の「公」の存在証明となっているように見えることである。(ナチ犯罪処罰の論理構造 「公」の無答責・「私」の断罪

もちろん、これは現在の日本の、たとえば東北沖の「汚染水」の垂れ流しのことを想起しつつ引用している。そしてドイツの決断のことをも。

国民は高枕ではおれない。われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る》であるならば、われわれは今、世界に対して「政府」「官僚」「東電」である。


これだけの人類が全て滅びるような最悪な種をそのまま置いていくという事は
私達が今初めて、やっているんです。

それは、人間がやらなかった、これまでやらなかった最悪の事、最も悪い事じゃないでしょうか。

それは、つまり、人間として、人間としての倫理、モラルの根本に反するものだと。
私たちは考えなければならないと思います。

ドイツで原発を廃止する必要があるという事を決めた学者たちが供述しました。
そして彼らは見事な報告書を作りました。
あの委員会がですね、ドイツ倫理委員会、
ドイツのエシックスのモラルのコメディと言われていた事を、述べられていた事を
皆さんは御記憶になっているでしょう。

このドイツ倫理委員会が、ドイツの人間の、将来の人間の、そして、ヨーロッパ全体の
世界の人間がやってはならん事を、何よりも緊急にやらなければならない問題として、
そのようなこと、すなわち倫理として、倫理の原理としてこの原発の問題を取り上げた。
そして、メルケル首相はそれを受け入れました。
議会はそれを通しました。そして、ドイツは大きい一歩を踏み出したわけでありました。(「原発をやめること、それは人間のいかなる価値を超えて一番大事な倫理なのです」大江健三郎


…………

「昭和と送る」とほぼ同時期に書かれた中井久夫の「引き返せない道」より(1988初出 産業労働調査所よりの近未来のアンケートへの答え 『精神科医がものを書くとき』〔Ⅰ〕広栄社)。


近未来の変化

1、労働道徳の質的変化。統計によれば、うつ病のピークは四十年に二十代中ごろ、昭和六十年に五十台中ごろにある。これは同一集団が時間とともに高年齢に移動したに過ぎない。この特殊な年齢層の内容吟味は紙幅を超えるが、とにかくこの階層が舞台から消えるとともに、勤勉、集団との一体化、責任感過剰、謙譲、矛盾の回避などの徳目は、第二線に退く。かわって若干の移行期をおいて「変身」(変わり身の早さ)、「自己主張」「多能」などの性格が前面に出てくる。現在の韓国エリートの性格は将来の日本のエリート層の姿でありうる。これは歴史的推移であるとともに、終身雇用の衰退、企業買収、技術革新などの論理的帰結でもある。大方の予想に反して精神病は増加せず、むしろ軽症化に向うが、犯罪、スリルの愛好が増大する。

2、「普遍的労働者」の消滅。異能を持たない平凡な人がなるとされる一般的職業「サラリーマン」「労働者」が、意識としても、おそらく実態としても消滅しつつある。その帰納として、「ふつうの人」が暮らしにくくなる一時期が現れる(こういう時期は歴史上何度か現れた。ルネサンス、明治維新前後など)。また「労働組合」の存立基盤の危機である。(……)

3、階級相互の距離が増大する。新しい最上階級は相互に縁組みを重ね、社会を陰から支配する(フランスの二百家族のごときもの)。階級の維持は教育によって正当化され、税制や利益の接近度などによって保証され、限度を超えた階級上昇はいろいろな障害(たとえば直接間接の教育経費)によって不可能となる。中流階級は残存するが、国民総中流の神話は消滅する。この点では西欧型に近づく。労働者内部の階級分化も増大する(この点では必ずしも西欧型でない)。

4、天皇制はそのカリスマの相当を失い、新階級と合体する。世代交代とともに君が代や日の丸は次第に争点ではなくなり、旧右翼は消滅するが、“皇道派”に代わる“統制派”のごとき、天皇との距離を置いた新勢力が台頭する。(……)

5、抵抗はあっても外国人労働者の移入が行われ、国内の老人労働者、非組織労働者との格差がなくなる。(……)

6、一般に成長期は無際限に持続しないものである。ゆるやかな衰退(急激でないことを望む)が取って代わるであろう。大国意識あるいは国際国家としての役割を買って出る程度が大きいほど繁栄の時期は短くなる。しかし、これはもう引き返せない道である。能力(とくに人的能力)以上のことを買って出ないことが必要だろう。平均寿命も予測よりも早く低下するだろう。伝染病の流入と福祉の低下と医療努力の低下と公害物質の蓄積とストレスの増加などがこれに寄与する。ほどほどに幸福な準定常社会を実現し維持しうるか否かという、見栄えのしない課題を持続する必要がある。国際的にも二大国対立は終焉に近づきつつある。その場合に日本の地理的位置からして相対的にアジアあるいはロシアとの接近さえもが重要になる。しかし容易にアメリカの没落を予言すれば誤るだろう。アメリカは穀物の供給源、科学技術供給源、人類文化の混合の場として独自の位置を占める。危機に際しての米国の強さを軽視してはならない(依然として緊急対応力の最大の国家であり続けるだろう)。


驚くべき予測といっていいだろう。ただし、五番目の移民をめぐって以外は。


《外国人登録によれば、日本の外国人人口は2009年末で219万人、1.7である。国立社会保障・人口問題研究所の人口移動調査によれば外国生まれの人口比率は1.1である(2011年)》とのこと(「主要国の移民人口比率推移」より)。









次のようであることを誰もが知っているにもかかわらず(人口構造の変化と現役世代


※「二十一世紀は灰色の世界…働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって」渡辺美智雄1986


債務残高の国際比較(対GDP比)









月収とへそくり40万円の収入の家庭において、社会保障費が24万円、ローン返済が18万円、つまりこの二つを合わせて42万円の支出となり、収入を超えてしまう。これが国家の財政状況だ。


個別的には移民は嫌だとか、消費税増税、社会保障費削減は嫌だというのは当然あるには相違ない。であるならば、なにを選びたいというのだろう。

ジャック・アタリーー「国家債務がソブリンリスク(政府債務の信認危機)になるのは物理的現象である」とし、「過剰な公的債務に対する解決策は今も昔も8つしかない」。すなわち、増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、そしてデフォルトである。そして、「これら8つの戦略は、時と場合に応じてすべて利用されてきたし、これからも利用されるだろう」。


移民問題で欧米諸国は苦しんでいるだと? そう、たしかに間違いない。  

少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

かつて消費税導入して景気停滞し税収が下がっただと? それでは税収を上げるために、消費税ゼロにしてみたらどうだろう。





※参照:「消費税増税は97~98年の景気後退の「主因」であったとは考えられない」(消費税増税のマクロ経済に与える影響について 吉川洋)www.cas.go.jp/jp/seisaku/syakaihosyou/syutyukento/dai9/siryou3-2.pdf



※附記

林房雄の放言という言葉がある。彼の頭脳の粗雑さの刻印の様に思われている。これは非常に浅薄な彼に関する誤解であるが、浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(……)

「俺の放言放言と言うが、みんな俺の言った通りになるじゃないか」と彼は言う。言った通りになった時には、彼が以前放言した事なぞ世人は忘れている。「馬鹿馬鹿しい、俺は黙る」と彼は言う。黙る事は難しい、発見が彼を前の方に押すから。又、そんな時には狙いでも付けた様に、発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人が現れる。林は益々頭の粗雑な男の様子をする始末になる。(小林秀雄「林房雄」)