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2013年11月14日木曜日

「人は文なり」の時代

「文は人なり」という言葉は、たいした言葉で、なんのかの言いながら、文学の研究法も鑑賞法も、この隻句を出ないと見えるものであるが、この簡明な原理の万能を信ずるためには、作者との直かのつあないなぞない方が好都合である。古典の大きな魅力の一つは、作者が死にきり、したがって作品をいちばん大切な土台として、作者の姿を思い描かざるを得ない魅力である。

友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである。ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす。友だちの言行は、しばしば彼の作品より鋭く強く豊かである。おそらく友情というもののする業だ。(小林秀雄「島木健作」『作家の顔』所収)

二〇世紀後半のテクスト論の流行を経由した現在、「文は人なり」など古臭いというなかれ。

柄谷行人が、七十年代の終わりに次のように書いたのを知らぬわけではないし、マルクスの価値形態論経由らしきヴァレリーの『芸術についての考察』の指摘を知らぬわけでもない(参照:「行間にはなにも書かれていません」)。

作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の<神秘的>性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)

しかし、後年、柄谷行人は次のようにも言っている(ツイッター上から拾ったので出典不明。「後年」というのは推測であり、『隠喩としての建築』にも同様なヴァレリー論があるが、そこには記されていない)。

作品が作家をつくるとヴァレリーはいったが、私はやはり作家というものを切り離して作品を論ずる気にはなれない。ただし私のいう「作家」とは、作品がつくり出す作家ではなく、作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働きというようなものである。

つまるところ、《作品をつくり出す作家、すなわち作品を書くという過程を通してあらわれる精神の働き》は、やはり「文は人なり」という隻句に辿り着く。


ところで今ではツイッターなどのSNS上で、作家の日常茶飯の様子が窺われ、もちろんその多寡はあるにしろ、今では実際の友だちではなくても、「にわか友だち」「ヴァーチャル友だち」の親しみを覚えるなどということが起こっている。

すると、《友だちの作品には、いつもなまなましい友だちの姿態がつきまとっている。「文は人なり」の原理は簡単には通用しないのである》などということになり、《ある作が、いかにも彼らしいと思えば、眼の前にある彼の行為のなまなましいままに、言わば逆に「人は文なり」の感をなす》、すなわち「作品」を古典を読むようにして読む具合にはますますいかなくなる。

そもそも古典でさえもイメージで読まれることが多い。いや読まれもせずイメージで語られるのみのことが多い。

ギュスターヴ・フローベールと口にするがはやいか、(……)誰もが意味なくすべてを納得した気分になってしまう(……)。そして、知っているという事実をたがいに確認しまうために、人は、フローベールをめぐって誰もが知っている物語を語りあう。(……)誰にでも妥当性を持つことで、誰もがそれを口にするのが自然だと思われる物語。それが知の広汎な共有を保証し、その保証が同じ物語を反復させる。かくして知は、説話論的な装置の内部に閉じこもる。(蓮實重彦『物語批判序説』p18-19)

「ギュスターヴ・フローベール」という固有名詞には、いくらでも他の小説家や批評家、思想家の名前を代入して読むことができる。たとえば隣のおにいちゃんやらおねえさんの親しみやすいイメージを介して著作も読まれるようになり、《意図することもないままに善意の連帯の輪をあたり一帯におし拡げてゆく》(同『物語批判序説)。


制度とは、語りつつある自分を確認する擬似主体にまやかしの主体の座を提供し、その同じ身振りによってそれと悟られぬままに客体化してしまう説話論的な装置にほかならない。それは、存在しないが機能する不可視の装置なのである。あるいは、きわめて人称性の高い個体としてあったはずの発話者を、ごく類型的な匿名者に変容させてしまう磁場だとしてもよい。この磁場に織りあげられては解きほぐされてゆく言葉、それが(……)現代的な言説なのである。

その担い手たちは、知っているから語ろうとする存在ではない。だからといって知らないことを饒舌に語ってみせる香具師のたぐいでもない。知ることも語ることもできるはずの主体を装置に譲りわたし、みずから説話論的な要素として分節化されることをうけいれながら、それを語ることだと錯覚する擬似主体こをが現代的な言説の担い手なのであって、誰もが『紋切型辞典』の編纂者たる潜在的な資格を持つその匿名の複数者たちは、それを意図することもないままに善意の連帯の環をあたり一帯におし拡げてゆく。おそらくはわれわれもまた、その波紋の煽りを蒙りながら思考し、語りつづけているのだろう。(『物語批判序説』)


冒頭に引用された小林秀雄の「島木健作」の文の続きにはこうある。

「或る作家の手記」の批評文を書こうとしてペンを取り上げると、おのずとこんな前置きめいたものが書けてしまった。作品の印象は、僕に親しい作者日常の言動と離れ難い。「或る作家の手記」という作品が、僕の家の向かいの二階で風邪をひいてたぶんうどんなぞ食っているのである。僕は今文学のなかから出て来て、友情のなかにいることに気づく。そして、そういう気持ちが、批評する者にとっては、どういう筋合いのものだろうか、というようなことは、僕は少しも考えたくない。

友であれば批評し難い。それは確かであり、ツイッター上で「にわか友だち」がうどんなぞ食っているのだ。そこから読み手の批評が生れるだろうか。

もちろん小林秀雄が書く友情関係による「批評の死」は、インターネットだけの問題によるのではない。たとえば高橋悠治は次のように書いている。

浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』は 11 人の知識人との対話集だが、 これを読んで奇妙に思ったことをいくつか。

(……)

どの対談を読んでも、知識人たちは、 知っているものが、知っていることを 知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。 (もっとも、かれらはインタビューをうけている、 と思いこんでいるはずで、対話という意識さえないのだろうが。) それが、ヴィリリオのいうリアルタイム・インタフェースの じっさいの姿なのだろう。 相手かまわず超高速のフランス語で、 思想のウイルスを過剰露出する。 それが、たちまち回収済みの情報になって、 次の相手との対話で虚仮にされるとは、思ってもみないだろう。 歴史の反復はコッケイなだけだ、とマルクスは思っていたらしいが、 現在の「世界」、つまりヨーロッパの、知識人は、 かつてのヨーロッパ知識人の茶番としての反復にすぎない、 (のかもしれない、) という思いが 一瞬でもかれらの頭をよぎったことがあるだろうか。

対話の最後に柄谷行人がくる。 この操作された順番で、 それまで知のシステムのあいだをくぐっては、 パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、 そのからくりに気づかずに 「世界」についての思いこみをひたすら独語する お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、 群れのなかの相似形の疑似対話で、 知の円環は閉じられる。(高橋悠治 音楽の反方法論序説)

浅田彰自身、柄谷行人のふっきれなさを、《理論的にある核心をつかんでいながら、社会性においてホモソーシャルな秩序、要するに、文壇バーの世界にどっぷり浸かっているってこととも無関係じゃないと思う》(『新・憂国呆談 神戸から長野へ』)などとしている。


今でも、「かつての知識人の茶番としての反復」やら「群れのなかの相似形の疑似対話」やらが、いささか小粒になったようにもみえる「思想家」たちのあいだでなされているとしてよいだろう。

浅田彰)僕はそんなレスポンスなんてものは下らないと思う。

蓮實重彦)下らない。それは批評の死を意味します。
(……)
それを嘲笑すべく、ドゥルーズは「哲学はコミュニケーションではない」と書いたわけじゃないですか。(中央公論 2010年1 月号、「対談 「空白の時代」以後の二〇年」

この二人の対話でさえ、高橋悠治だったら、「かつての知識人の茶番としての反復」やら「群れのなかの相似形の疑似対話」と言うかもしれない。

作家というものはその職業上、しかじかの意見に媚びへつらわなければならないのであろうか? 作家は、個人的な意見を述べるのではなく、自分の才能と心のふたつを頼りに、それらが命じるところに従って書かなければならない。だとすれば、作家が万人から好かれるなどということはありえない。むしろこう言うべきだろう。「流行におもねり、支配的な党派のご機嫌をうかがって、自然から授かったエネルギーを捨てて、提灯持ちばかりやっている、卑しいごますり作家どもに災いあれ」。世論の馬鹿げた潮流が自分の生きている世紀を泥沼に引きずりこむなどということはしょっちゅうなのに、あのように自説を時流に合わせて曲げている哀れな輩は、世紀を泥沼から引き上げる勇気など決して持たないだろう25)。(マルキ・ド・サド「文学的覚書」、『ガンジュ侯爵夫人』)

だが何が問題なのか、提灯もちの振舞いの?

いまさらヴァレリーのテスト氏におけるように、《われわれは自分の考えをあまりに他人の考えのかたちに照らし合せて評価しすぎるということだ! 》とか、《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼ぱ己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ》などとは言うまい。

だがご機嫌うかがいの振舞いばかりしていれば、次のような現象はほとんど免れ難い。

芥川賞を初め、文学賞受賞作と受賞後第一作との相違を次のように定式化することができる。受賞作にあるあらゆる萌芽的なもののうち、受賞第一作においては、受賞によって光を当たられた部分が突出しているとーー。しばしば、受賞作にある豊穣さは第一作においては単純明快化による犠牲をこうむっている。(中井久夫「創造と癒し序説」『アリアドネからの糸』所収)

…………

さきほど(11/14夕)、さる若いすぐれた書き手(S氏とC氏)のちょっとした舌戦があった。両者とも注目すべき人なのでいささか興味深い。が、その内容には触れない。そのあと、一方の書き手の友人であるこれも若い書き手Oが次のように書いている。

・本来連帯すべきなのに、つまらない自意識を立てて、あえて悪者ぶって関係者間に無駄な消耗を引き起こす必要はまったくない。そういう「夜戦」はいらない。同世代の連帯を妨げる目障りな言動は、「上の世代」によって大事にされた結果できた「可愛いボク」を守るためのものなのか。甘えるな。

・豊かな時代だったら、「飲み屋のけんか」の延長の議論が話題にもなり、本も売れただろう。だが、人文界隈の不毛な議論を続けて読者を離れさせたのもまた、「飲み屋のけんか」の結果ではないか。


上に蓮實重彦の批判的な言葉、《意図することもないままに善意の連帯の輪をあたり一帯におし拡げてゆく》を挙げたが、最近では、意図して連帯すべきだと言っているようだ。つまり「批評の死」の時代だ、金のために。

でもそのね すべてがビジネスにもとづいているということがますますはっきりしてきたというのは ひとつの文明の衰えていく過程で露になってきた そういう事実  言葉があれだけど 

つまり 文明が盛んなときは別に取引だろうがなんだろうが そういうことはいわなかったし それで成り立ってたわけですよ  それで 今すべてがビジネスだというようなことになったときに そこから何か生まれてくるということはこれ以上ない 儲かる人は儲かるし 力のある人はもっと力があるし そういうようなことでしかないわけでしょ  そうすると そういうことをいくら批判したって始まらないわけだから 

どういうふうに違うものがあるかということになりますね(高橋悠治/茂木健一郎 「他者に痛みを感じられるか」