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2013年11月29日金曜日

閨の教養




大島渚の『愛のコリーダ』(1976)の全篇が、少し前Youtubeにアップされているのに気づいた(2013/11/06)。





『愛のコリーダ』についての藤竜也のインタビュー 2000年(2)

聞き手)―定役の松田英子さんは先に出演が決まっていましたが、藤さんのほうは製作発表の前日になったそうですね。彼女とはその場で初めて会ったんですか?

(藤竜也)面識はあったんです。日活の「野良猫ロック」シリーズで、不良少女のグループの一人として彼女が出ていたんですよ。(採録者注:二人は、長谷部安春監督1970年『野良猫ロック マシンアニマル』で共演しています。松田は「市川魔胡」名義)なんで覚えているかというと、彼女が耳に小さなサソリの入れ墨していましてね。それが印象的で。

―演技のやりとりはあったんですか?

彼女はわりと小さな役でしたからね。不良少女のただの一員だった。で、松田さんとお会いして初めて、「あ、会ったことあるな」と。

―ほとんど新人同然の松田さんに不安はありませんでしたか?

全然。だって、ああいう映画ですよ。僕も初めてですから(笑い)。それに、どんな演技だって、バッテンのものってないと思うし。

―監督も演技指導はしないそうですね。

何もしてない、いっさいなし(笑い)。

―芝居を着けずに、ひたすら役者にまかせるというのは、逆にいうと、場の雰囲気をつくるのがうまいのでしょうね。

実に誇りの高い現場でしたね。たとえば、僕はタバコ吸いだけども、セットなのかでは吸う気になれないぐらいの毅然とした雰囲気があった。だからセットに上がるときも、思わず足の裏を見て、汚れてないかな、って見るくらいキチーッとしてね。やはり美術的にも素晴らしいんですよ。鑑賞するだけの値打があるようなセットを、美術監督の戸田重昌さんがつくった。一礼してから入りましょう、っていう感じでしたから。こういうところに映画の喜び、誇りがあるんですね。大島渚というキャラクターも大きいでしょうね。でも、俳優にはむちゃくちゃ優しかった。気持ちが悪いくらい(笑い)。ああいうセンシティブな映画だったので、事情にありがたかったですよ。だけど、スタッフには、まわりが度肝を抜かれるくらい厳しい。こっちを向くか、あっちを向くかとでは、お多福が急に般若に変わるくらい違いました。


◆石原陽一郎氏のブログよりカンの『愛のコリーダ』論をめぐっての発話箇所を引用しておこう。


一本の日本映画を見た。小さな会場でね。学派のメンバーを何人か連れて行ったんだが、その人たちも私と同様、仰天したと思うね。あの映画から受けた印象を言い表すには、仰天というよりほかに言葉がない。

なぜ仰天したかというと、女性のエロティシズムについての映画であったからだ。日本映画を見に行って、まさかそんなものを見せられるとは思ってもみなかった。これを見て、日本人女性のパワーがわかりはじめた。

 [……]女性のエロティシズムがここでは究極的なかたちで描かれていると思うんだが、そのかたちというのは、男を殺すという幻想につきる。でも、それでもじゅうぶんではないんだ。殺したあとでさらにその先まで行くんだよ。そのあとで……なぜそのあとで、なのか? ここで首をひねってしまう。

くだんの日本人女性は実は妾なんだが、連れ添い(partenaire)——そんなふうに呼ばれている——の性器を切り取る。女はなぜ殺すまえに切り取らないのか?

この行為は幻想であることがはっきりしている。映画のなかでは血がざばざば流れるからね。海綿体に血液が行き届かなくなるはずだと思うんだが、実は私もよくはわからない。死んだあと、どんなふうになるかは知らないんだ。

さきほど言ったように、ここで首をひねってしまう。去勢が幻想ではないことははっきりしている。精神分析における去勢の機能をはっきり位置づけるのはそんなにかんたんじゃない。幻想のなかで去勢をおもいえがくこともあり得るからね。

これについては、わたしの概念Φにたちもどることにしよう。この文字を fantasme(幻想)という単語の語頭の文字と受け取ってもらってもかまわない。

この文字は、わたしが発声(phonation)の機能(phonction)と呼ぼうとするものの諸関係を表している。それこそΦの本質だ。ふつう考えられているのとは逆なんだ。発声の機能こそ、オスそのもの、いわゆる男の代理物なんだ。
『アンコール』というセミネールで、わたしはこのΦをS(A)という複雑な数学的文字でしかあらわせないシニフィアンで代理することに反対した。

S(A)というシニフィアン、これはΦとはぜんぜん別物だ。S(A)はそれを使って(avec)男性が性交するものじゃない。[仮にそうだとしたら]男は自分の無意識で(avec)性交すると言っているにすぎない。
女性が幻想にいだくものについてはどうかというと、この映画がわれわれに見せてくれているのが女性の幻想だとした場合、いずれにしても、出会い(rencontre)を妨げるようななにかであることはたしかだ。

※石原氏による解釈はリンク先を参照のこと。


…………

まず基礎的な幻想の式$◇aに立ち戻れば、幻想の式が次のように分解される。




《斜線を引かれて抹消された主体が、生の欲動に運ばれて、突き進んで行くその先には、まず「想像的ファルスの欠如」があり、次に「象徴的なファルス」があり、そして言葉で構築された世界があり、そしてその先に永遠に到達できない愛がある。》(「心的装置の成立過程における二つの翻訳」補遺

ここでの「ΦーA」は、象徴界の審級に属するが(-φは、想像界、$とaは現実界)、ラカンはΦについて次のように語っているわけだ。

「わたしの概念Φにたちもどることにしよう。この文字を fantasme(幻想)という単語の語頭の文字と受け取ってもらってもかまわない。/この文字は、わたしが発声(phonation)の機能(phonction)と呼ぼうとするものの諸関係を表している。それこそΦの本質だ。」

ーーこの箇所がわたくしには分らない。

ジジェクは、”Conversations with Žižek Slavoj Žižek, Glyn Daly”にて、三つの象徴界を分けて説明している。
The real Symbolic is (……)meaningless formulae. The symbolic Symbolic is simply speech as such, meaningful speech. And the imaginary Symbolic consists just of archetypes: Jungian symbols, and so on.

The symbolic Symbolicは、S(A)であるとして、ではΦは、このジジェクの区分でもどこに位置づけたらよいのか分らない。

「性的幻想」そのものは、次の叙述で明らかなように、《われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守っている遮蔽膜》としてよいだろう。

もしわれわれが「現実」として経験しているものが幻想によって構造化されているとしたら、そして幻想が、われわれが生の〈現実界〉にじかに圧倒されないよう、われわれを守っている遮蔽膜だとしたら、現実そのものが〈現実界〉との遭遇からの逃避として機能しているのかもしれない。夢と現実との対立において、幻想は現実の側にあり、われわれは夢の中で外傷的な〈現実界〉と遭遇する。つまり、現実に耐えられない人たちのために夢があるのではなく、自分の夢(その中にあらわれる〈現実界〉)に耐えられない人のために現実があるのだ。(ジジェク『ラカンはこう読め!』ーーラカン派の現実(幻想)と現実界をめぐる

つまりラカンが云う「この映画がわれわれに見せてくれているのが女性の幻想だとした場合、いずれにしても、出会い(rencontre)を妨げるようななにか」ということになる。


幻想の式$◇aは、《斜線を引かれた主体は究極の対象を目指しながら永遠にこれに到達することができない》と読まれる。$はaと出会うことはできない。

では、『愛のコリーダ』の阿部定と石田吉蔵の外傷的な<現実界>とはなんなのだろうか。二人の(あるいは定のみの)究極の「享楽」、あるいは「愛」とは?

S・シュナイダーマンの『ラカンの《死》』によれば、ラカンは精神分析理論の中心軸を、フロイトの「性」から、「死」へとずらしたい願望を密かに抱いていたとされる。

なんらかの事情があって(シュナイダーマン曰く、トラブルを回避すべく)、「死」ではなく「享楽jouissance」にすり替えるという妥協の道を選んだらしい。(伊藤正博「ラカンの《第二の死》の概念について」による)

しかし、ラカンは「女性のエロティシズムがここでは究極的なかたちで描かれていると思うんだが、そのかたちというのは、男を殺すという幻想」とも言っているわけで、その文脈からすれば、「死」が享楽=現実界とするわけにはいかない。

しかも、ラカン自身、死後に去勢するということに首をひねっている。つまり、本来の「去勢」の意味からすれば、生きているうちにすべきだ、と言っていることになる。

ーーというわけで、オレにはわからんね、なんのことやら。

ところで、さる国では次のようなこともあるらしい。
ベトナム社会を理解する上で大切なキーワードがカカア天下である。相次ぐ戦争で男手を戦場に取られ女性が銃後を守った歴史の賜物だろうが、ベトナム女性は強く男性はこぞって恐妻家である。ベトナムはアジアでも有数の美人の産地だが、美しいバラには棘があるように、笑顔の下にはすさまじい嫉妬心が隠されている。「ベトナムには辛くない唐辛子はない、旦那に嫉妬しない妻はいない」という諺がある位で、旦那の浮気が発覚した際の妻の怒り心頭ぶりは凄まじく、定期的に阿部定事件が発生し地元紙の社会面を賑わせる、といった具合である。(三菱商事株式会社 業務部
さいわい、こういう目にはまだあったことがない。

そもそも一度くらい切られただけでは、ニュースにならないという噂もある(アンザン省:妻が夫の局部切断 なんと2回目)。

ところで、わたくしの妻はアンザン省出身である。

あだしごとはさておき、
今、ネットで検索すると、新宮一成氏の英語で書かれたラカンの『愛のコリーダ』In the Realm of the Senses論への言及論文(2005)がある。www.discourseunit.com/matrix/shingu_mpm_paper.doc

To cut it off after death means that for Sada, what is important is the play of the penis, or the on-off phenomenon of the organ (ф and -ф). (Incidentally, the film was based on a true story; it is well-known in Japan that the real-life Sada was carrying the ф with her at the time of her arrest.)

For psychoanalysis to work, symbolic castration must be possible; in other words, the desire for the Other should be introduced by the signifier ‘Φ’. According to Lacan, this symbolic phallus cannot be negated. However, given the extreme intensity of Sada’s fantasme, the signifier ‘Φ’ is at risk of being negated and rendered back to the play of ‘ф and -ф’. This is the very risk entailed in Japanese psychoanalysis.

たぶん、これは、幻想の式が成り立たない「精神病」の症状を指摘をしているはずだ。もともと一神教ではない日本では、幻想の式が成り立つ神経症ではなく、精神病的な気質のひとが多い、という通説もあるが(「父の名」の象徴的機能の弱体)、このあたりのこともあまりいい加減なことを書きたくないのだが、少なくとも、ここでの「精神病」とは、ラカンが晩年語ったらしい、次の意味での「精神病」だ。

……しかし最後には、ラカンは精神病的主体はまったく正常であると喜んでいうようになりました。これは、アブノーマルなのは象徴的秩序の方であり、人間の性質は基本的にパラノイア的であるということを意味しています。
「ラカンの臨床パースペクティヴへの導入」 ジャック=アラン・ミレール 訳 松本卓也




定は事件後、吉蔵が事件当時に身につけていた褌を腰に巻き、シャツにステテコと吉蔵の血で汚れた腰巻を身につけて逃亡していた。吉蔵の下着類はいくら探しても見つからないので警察も不思議に思っていたのだが、それらは拘置所(市ヶ谷刑務所)に入った定が身につけていた。拘置所で汚いので差し出すように言われた際は「これはあたしと吉さんのにおいが染み付いているの、だから絶対渡さない」と大騒ぎをしている。(阿部定

ーーという「情報」も関心のあるひとは、とっくの昔に知っているのだろう。


…………

以下は附記。

『愛のコリーダ』には、『春の雪』の蓼科のような老女が何人か出てきてそれにも魅了される。もちろん阿部定役の女優の声音、足の表情などが魅惑の中心を占めるには違いないが、ーー《目の底には、繪巻の女の一途な足指の撓みが殘つてゐる。その卑猥な白さの胡粉の色が殘つてゐる》。

あの老芸者たち、定と吉の性戯の傍らで、平然と三味線を鳴らす中老女たちのなんという蠱惑、それは三島の蓼科ほどではないにしろ、ーー《蓼科の一絲亂れぬ振舞、恭謙な媚態、閨の敎養においては誰にもひけをとらないといふ矜りが丸見えなのが、伯爵に對して或る威壓的な作用を及ぼす》。

もっとも1969年に上梓された『春の雪』に、大島渚(『愛のコリーダ』(1976)が影響されているなどと言い募るつもりはない。


大島渚について私が知っている二、三の事柄 その一(鈴木創士)より
…総じて、女には俳優に絶対不向きという人間は少なく、それに比べると男にはそういう人間が多いのであるが、この最も俳優に不向きな体質、ということは精神状態も含んで言うのだが、そういう体質の人のなかにどうしても俳優になりたいという人間がいるのである。そういう俳優志望者に私なども時々襲われるのであるが、この人たちは全く始末が悪い。とにかく思い込んでしまってきかないのである。三島さんもそういう思い込んでしまう人間のように私には見えた。私は、そんな三島さんを主役の俳優として使わなければならなかった『空っ風野郎』の監督増村保造氏のことを思って同情を禁じえなかった。と同時に、私は三島さんという人はなかなかこの世の中に適応しえない人間なのであろう、しかもそれを適応すべくすごい努力をしていらっしゃるというふうに一種同情の目で見たのであった。

三島さんは何故、いわゆる体位向上を心掛けられたのだろうか。いわゆる肉体についてのコンプレックスならば、私なども同様である。青春時代は骨ばかりだったし、ちょっと肉がついていい感じと思っていたら一足飛びに百キロになんなんとするデブになってしまった。今は少し節制してやややせたが見て格好のいい形態ではない。しかしもう諦めている。三島さんはなぜ体型を根本的にまで変えられたのか。自分の文学が貧弱な肉体或いは異常な肉体の産物だというふうに見られるが厭だったのか。とすれば、健康な肉体或いは正常な肉体の産物である文学でも、対応関係としては等価ではないか。或いは、自分の肉体が貧弱から健康へ、異常から正常へ変わっても、自分の文学は変わらぬということが言いたかったのか。それだったら、もう一回、貧弱な肉体、異常な肉体へ帰ってみたほうがもっと面白かったではないか。私はヨボヨボの三島さん、デブデブの三島さんを見たかった。しかし、三島さんは、それを断乎拒否して死んでゆかれた。だから、そこにはやはり三島さんの美意識の問題があったのだろう。

私は文学の評論家ではないから、三島さんの文学の美の問題については深入りしたくないが、私の考えでは三島さんの美意識は私などの美意識と決定的にちがっていた、と言える。というより、私などの創作過程における美意識の置きかたと三島さんのそれは決定的にちがっていたと思う。対談の時に三島さんは私の『無理心中・日本の夏』をわからないと言われた。それは無理もない。三島さん的な美意識からは絶対にわかる筈はないからである。そして三島さんは何故美男美女を使わないのかと言われた。このあたりが三島さんの美意識の限界なのである。つまり三島さんの美意識は大変通俗的なものだったのだ。そしてそれだけならよかったのだが、三島さんは一方で極めて頭のよい人だったから、おのれの美意識が通俗的なものだということに或る程度自覚的だったのである。そこから三島さんの偽物礼讃、つくられたもの礼讃が生まれたのだった。そして自分自身をもつくり上げて行ったあげく、死に到達してしまったのである。 (大島渚「政治的オンチ克服の軌跡 三島由紀夫」)



◆三島由紀夫『春の雪』

急に聰子の中で、爐の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、雙の手が自由になつて、清顯の頬を押へた。その手は清顯の頬を押し戻さうとし、その唇は押し戻される清顯の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの餘波で左右に動き、清顯の唇はその絶妙のなめらかさに醉うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。

清顯はどうやつて女の帶を解くものか知らなかつた。頑ななお太鼓が指に逆らつた。そこをやみくもに解かうとすると、聰子の手がうしろへ向つてきて、清顯の手の動きに強く抗しようとしながら微妙に助けた。二人の指は帶のまはりで煩瑣にからみ合ひ、やがて帶止めが解かれると、帶は低い鳴音を走らせて急激に前へ彈けた。そのとき帶は、むしろ自分の力で動きだしたかのやうだつた。それは複雑な、収拾しやうのない暴動の發端であり、着物のすべてが叛亂を起したのも同然で、清顯が聰子の胸もとを寛ろげようとあせるあひだ、ほうぼうで幾多の紐がきつくなつたりゆるくなつたりしてゐた。彼はあの小さく護られてゐた胸もとの白の逆山形が、今、目の前いつぱいの匂ひやかな白をひろげるのを見た。

聰子は一言も、言葉に出して、いけないとは言はなかつた。そこで無言の拒絶と、無言の誘導とが、見分けのつかないものになつていた。彼女は無限に誘ひ入れ、無限に拒んでゐた。ただ、この神聖、この不可能と戰つてゐる力が、自分一人の力だけではないと、清顯に感じさせる何かがあつた。

それは何だつたろう。清顯は、目をつぶつたままの聰子の顔がすこしづつ紅潮してきて、そこに放恣な影の亂れるのをまざまざと見た。その背を支へる清顯の掌に、はなはだ微妙な、羞恥に充ちた壓力が加はつてゆき、彼女はさうして、あたかも抗しかねたかのやうに、仰向きに倒れた。

清顯は聰子の裾をひらき、友禪の長襦袢の裾は、紗綾形と亀甲の雲の上をとびめぐる鳳凰の、五色の尾の亂れを左右へはねのけて、幾重に包まれた聰子の腿を遠く窺はせた。しかし清顯は、まだ、まだ遠いと感じてゐた。まだかきわけて行かねばならぬ幾重の雲があつた。あとからあとから押し寄せるこの煩雑さを、奥深い遠いところで、狡猾に支へてゐる核心があつて、それがじつと息を凝らしてゐるのが感じられる。

やうやく、白い曙の一線のやうに見えそめた聰子の腿に、清顯の體が近づいたときに、聰子の手が、やさしく下りてきてそれを支へた。この恵みが仇になつて、彼は曙の一線にさへ、觸れるか觸れぬかに終つてしまつた。

――二人は疊に横たはつて、雨のはげしい音のよみがへつた天井へ目を向けてゐた。彼らの胸のときめきはなかなか静まらず、清顯は疲れはおろか、何かが終つたことさへ認めたがらない昂揚の裡にゐた。しかし二人の間に、少しづつ暮れてくる部屋に募る影のやうな、心殘りの漂つてゐることも明らかになつた。彼は又、源氏襖のむかうに、かすかな、年老いた咳拂ひをきいたやうに思つて、身を起しかけたが、聰子がそつと彼の肩を引いて引止めた。
やがて聰子は、一言もものを言はずに、かうした心殘りを乗り越えて行つた。そのとき清顯は、はじめて聰子のいざなひのままに動くことのよろこびを知つた。あのあとでは何もかも恕すことができたのである。

清顯の若さは一つの死からたちまちよみがえり、今度は聰子のなだらかな受容の橇に乗つた。彼は女に導かれるときに、こんなにも難路が消えて、なごやかな風光がひろがるのをはじめて覺つた。暑さのあまり、清顯はすでに着てゐるものを脱ぎ捨ててゐた。そこで肉のたしかさは、水と藻の抵抗を押して進む藻刈舟の舟足のやうに、的確に感じられた。清顯は、聰子の顔が何の苦痛も泛べず、微光のさすやうな、あるかなきかの頬笑みを示してゐるのをさへ訝らなかつた。彼の心にはあらゆる疑惑が消えた。

(……)

聰子が言つた最初の言葉は、清顯のシャツをとりあげて、
「お風邪を召すといけないわ。さあ」
と促した言葉だつた。彼がそれを亂暴につかまうとすると、聰子は輕く拒んで、シャツを自分の顔に押し當て、深い息をしてから返した。そのとき聰子が手を鳴らすのにおどろかされた。思はせぶりな永い間を置いて、源氏襖をひらいて、蓼科が顔を出した。
「お召しでございますか」
聰子はうなづいて、身のまわりに亂れた帶のはうを目で指し示した。蓼科は、襖を閉めると、清顯のはうへは目もくれずに、無言で疊をゐざつて来て、聰子の着衣と帶を締めるのを手つだつた。それから部屋の一隅の姫鏡臺を持つてきて、聰子の髪を直した。この間、清顯は所在なさに死ぬやうな思ひがしてゐた。部屋にはすでにあかりが點ぜられ、女二人の儀式のやうなその永い時間に、彼はすでに無用の人になつてゐた。(三島由紀夫「春の雪」『豊饒の海』第一巻 P185-187)

巻物の畫はまづ屏風の前に對座してゐる柿色の衣の和尚と若後家の一景からはじまつてゐた。俳畫風の筆づかひで洒脱に書き流され、和尚の顔は、滑稽で魁偉な男根そのものの感じに描かれてゐた。次の和尚が突然のしかかつて若後家を犯さうとし、若後家は抗ふが、すでに裾は亂れてゐる。次に二人は素肌で相擁してゐるが、若後家の表情は和んでゐる。
和尚の男根は巨松の根のやうにわだかまり、和尚の顔は恐悦の茶いろの舌を出してゐる。若後家の、胡粉で白く塗られた足の指は、傳來の畫法によつて、悉く内側へ深く撓められてゐる。からめた白い腿から顫動が走つて、足指のところで堰かれて、曲られた指の緊張が、無限に流れ去らうとする恍惚を遁がすまいと力んでゐるように見える。(三島由紀夫「春の雪」P291)


            (歌麿 若後家の睦み)

……目の底には、繪巻の女の一途な足指の撓みが殘つてゐる。その卑猥な白さの胡粉の色が殘つてゐる。

それから起つたことは、あの梅雨のものうい熱氣と、伯爵の嫌惡からとしか言ひやうがない。

この梅雨の晩よりさらに十四年前、奥方が聰子を懐妊中に、蓼科に伯爵のお手がついた。すでにその時蓼科は四十歳を超えてゐたのであるから、伯爵の甚だしい気紛れとしか云ひやうがないが、しばらくして沙汰は止んだ。伯爵自ら、それからさらに十四年を經て五十路半ばの蓼科と、こんなことにならうとは夢いも思つてゐなかつた。そしてこの晩のことがあつて以後、伯爵は二度と北崎の家の閾をまたがなかつた。

松枝侯爵の来訪、傷つけられた矜り、梅雨の拠る、北崎の離れ座敷、酒、陰惨な春畫……すべてが寄つてたかつて伯爵の嫌惡をそそり立て、自分を瀆すことに熱中させて、そんな所業に駆り立てたのだとしか思へない。

蓼科の態度に、毛筋ほどの拒否も見られなかつたことが、伯爵の嫌惡を決定的にした。『この女は十四年でも、二十年でも、百年でも待つてゐるつもりなのだ。お聲がかかれば、いつ何時でも容易をさをさ怠りなく』……伯爵は自分にとつては全くの偶然から、或る突きつめた嫌惡から、よろめき入つた暗い木陰に、じつと待伏せしてゐたあの春畫の幽靈を見たのである。

そして又、さういふときの蓼科の一絲亂れぬ振舞、恭謙な媚態、閨の敎養においては誰にもひけをとらないといふ矜りが丸見えなのが、伯爵に對して或る威壓的な作用を及ぼすことは、十四年前と同じであつた。

(……)

その日、松枝侯爵はやつて来て、挨拶に出た聰子のお河童頭を撫で、多少酒氣を帶びてゐたせゐか、子供の前で、突然こんなことを言つた。
「ああ、お姫〔ひい〕さんは實に美しくおなりだ。成長されたときの美しさは想像に餘る。小父さんがよいお婿さんを探して上げるから心配するな。何事も小父さんに任せてくれれば、三國一のお婿さんを世話してあげる。お父上には何も心配かけず、金襴緞子に、一丁もつづく嫁入道具の行列を調へてあげる。綾倉家の代々から一度も出たことのないやうな長い長い豪勢な行列をね」

伯爵夫人はちらと眉をひそめたが、そのとき伯爵は柔和に笑つてゐた。
はずかしめに對して笑つてゐる代りに、彼の祖先は、少しは優雅の權威を示して抗〔はむか〕つたものだつた。しかし今では、家傳の蹴鞠も廢絶し、俗人どもにちらつかせる餌もなくなつた。本物の貴族、本物の優雅が、それを少しも傷つける氣なぞはない、善意に充ちた贋物の無意識のはづかしめに、ただあいまいに笑つてゐるだけなのだ。文化が、新らしい權力と金との前で、あいまいに泛べるこの微笑には、ごく弱い神秘がほのめいてゐた。

さういふことを蓼科に語つた上で、伯爵はしばらく默つてゐた。優雅が復讐するときには、どんな仕方で復讐するだらうか、と考へてゐたのである。いかにも長袖者流の、袖に炷きしめる香のやうな復讐はないものだらうか。袖でおほひかくされた香の緩慢な燃燒、ほとんど火の色も見せずに灰に變つてゆくひそかな經過、煉り固めた香がひとたび炷かれると、微妙なかぐはしい毒を袖に移して、いつまでもそこにとどまるやうな……。

そこで伯爵は、たしかに蓼科に、「今から頼んでおく」と言つたのである。
すなわち、聰子が成人したら、とどのつまりは松枝の言ひなりになつて、縁組を決められることになるだらう。さうなつたら、その縁組の前に、聰子を誰か、聰子が気に入つてゐる、ごく口の固い男と添臥させてやつてほしい。その男の身分はどうあつてもかまはない。ただ聰子が氣に入つてゐるといふことが條件だ。決して聰子を生娘のまま、松枝の世話する婿に與へてはならない。さうしてひそかに、松枝の鼻を明かしてやることができるのだ。しかしこのことは、誰にも知らせず、私にも相談せず、お前の一存でをかした過ちのやうに、やり通してくれなくてはならない。ところでお前は、閨のことにかけては博士のやうだが、生娘でないものと寝た男に生娘と思はせ、又反對に、生娘と寝た男に生娘ではなかつたと思はせる、二つの逆の術を聰子に念入りに敎へ込むことができるだらうか?

蓼科はそれに對して、しつかりとかう答へた。
「仰言るまでもございません。二つながら、どんなに遊び馴れた殿方にも、決して氣づかれる心配のない仕方がございます。それはよくよくお姫様にお敎へ申上げませう。それにしても、あとのはうは、何のためでございますか」
「結婚前の娘を盗んだ男に、大それた自信を持たせぬためだよ。生娘と知つて、下手に責任を持たれてはかなはぬ。その點もお前に委せておく」
「承りましてございます」
と蓼科は、軽く「御意」と言ふ代りに、四角四面な挨拶で請け合つた。
…………。(P292-295)


衆知の通り、清顯と聰子の愛は、聰子の剃髪、そして清顯のほとんど自死にちかい急性肺炎死として終わる。