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2013年6月29日土曜日

「人間的主観性のパラドックス」覚書

「人間的主観性のパラドックスーー世界に対する主観であると同時に世界のうちにある客観であること」をめぐる覚書。

けっきょくのところ、われわれに確信を与えているものは、確かな認識であるよりもむしろはるかにより多く習慣であり先例であること、しかもそれにもかかわらず少し発見しにく真理については、それらの発見者が一国民の全体であるよりもただ一人の人であるということのほうがはるかに真実らしく思われるのだから、そういう真理にとっては賛成者の数の多いことはなんら有効な証明ではないのだ、ということを知った。(デカルト『方法序説』)

人びとが確実だと思っている真理が、彼らの共同体の「先例と慣習」、すなわち共通の規則やパラダイムに従っているにすぎないというこのデカルトの認識――それは、たとえば美をめぐってカントが次のように書いているのをみた。

経験的条件のもとでは、形態の美に関して黒人と白人とはそれぞれ異なる標準的理念をもつに違いないし、またシナ人はヨーロッパ人と異なる標準的理念をもつに違いない。そして美しい馬や美しい犬(それぞれ異なる種属の)の模範についても、事情はまったくこれと同様であろう。美のかかる標準的理念は、経験から得られて一定の規則と見なされるような比例に基づくものではない、むしろこの理念に従って初めて判定の規則が可能になるのである。(カント『判断力批判』篠田英雄訳――「「美しい」といふ事」より)。

つまるところ、時代の、文化の「美しさ」という標準的理念から与えられる規則(カノン)があって、対象は「美しい」のであり、「美」は対象の性質ではないということになる(たとえば、日本では梅よりも桜の花が圧倒的に好まれるが、香り高い梅をもてはやす中国文化の影響があった過去に遡れば、「万葉集」の題材においては、梅約140首、桜約40首であり(もっとも多いのは萩らしい)、しかし「古今集」では桜約100首、梅約20首となり、ある時期から、国風化などの影響で規範が変化したようだ)。



この共同体による「先例と慣例」によるまなざしの汚染をめぐっては、蓮實重彦のいささか衒学的な表現、《解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線》も、上のデカルトやカントの変奏である(われわれは、桜のほうが梅よりも美しいとする解釈を蒙った視線により風景を眺めている)。

……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収――「観念の万能」と「腰の奥の力の圧力抜き」より)

ここで蓮實重彦が退屈な議論として読み手を挑発している裏には、パラダイムや制度を得意になって語ること自体、現在に続くかもしれない当時の「パラダイム」であるにもかかわらず、《あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性》が跳梁跋扈しているのを諌める意味合いがある。


さて前にもいったように、実生活にとっては、きわめて不確実とわかっている意見にでも、それが疑いえぬものであるかのように従うことが、ときとして必要であると、私はずっと前から気づいていた。しかしながら、いまや私はただ真理の探求のみにとりかかろうと望んでいるのであるから、まったく反対のことをすべきである、と考えた。ほんのわずかの疑いでもかけうるものはすべて、絶対に偽なるものとして投げすて、そうしたうえで、まったく疑いえぬ何ものかが、私 の信念のうちに残らぬかどうか、を見ることにすべきである、と考えた。(……)

私は、それまでに私の精神に入りきたったすべてのものは、私の夢の幻想と同様に、真ならぬものである、と仮想しようと決心した。

しかしながら、そうするとただちに、私は気づいた、私がこのよう に、すべては偽である、と考えている間も、そう考えている私は、必然的に何ものかでなければならぬ、と。そして「私は考える、ゆえに私はある」je pense, donc je suis.というこの真理は、懐疑論者のどのような法外な想定によってもゆり動かしえぬほど、堅固な確実なものであることを、私は認めたから、私はこの真理を、私の求めていた哲学の第一原理として、もはや安心して受け入れることができる、と判断した。(デカルト『方法序説』野田又夫訳)

毀誉褒貶の多いデカルトの「我思う、ゆえに我あり」 ego cogito, ergo sumであるが、たとえばラカンなら『同一化セミネール』でこう言う、《デカルトの命題を扱うといっても、デカルトを乗り越えるということが重要なのではない。彼はひとつの袋小路に陥ったのであるが、それと同時にその基盤を示してくれた。(……)「我思う。ゆえに我あり」はこの凝縮された表現をもって一般的に使われるようになった。それはマラルメがどこかでほのめかしている、使い古されて表面が磨り減ってしまっている硬貨のようになっている記号のようである。それをちょっと取り上げ、その記号の機能に磨きをかけ》てよみがえらせよう、と。ここでは、ラカンは、デカルトに戻って考えてみようとしているわけだ。


もちろん、次のように指摘することにはなるのだが。《「我思う」というのは、論理的には幾人かの論理学者を困らした「私は嘘をつく」以上に確固としたものではない》やら、《「我思う」は、「私は考えていると思っている」と捉えることができる、そしてそれは、「彼女は私を愛していると私は思う」以外の何ものでもない》云々。


ところでフッサールは、デカルトの袋小路をこのように整理した。

世界の中へはいって自然的な仕方で経験したり、その他の何らかの仕方で生きている自我を、世界に関心をもつ自我と呼ぶことにすると、現象学的に変更された見方をとり、しかもそのような見方をたえず固持している態度の特質は、その態度においては自己分裂が起こっており、世界に素朴な関心をもつ自我の上に現象学的自我が、世界に関心をもたない傍観者として位置していることにある(……)。しかし、そのような自我分裂が起こっていること自体は、ある新しい反省によってとらえられるのであり、この反省は、超越論的反省として、その自我分裂に対しても、まさにあの関心をもたない傍観者の態度をとることを要求する。もっとも、関心を持たない傍観者である自我には、その自我分裂を観察して、それを十全に記述するという唯一の関心だけは残されている。(フッサール『デカルト的省察』)

柄谷行人は『トランスクリティーク』で、この文を次のように説明する。

《ここで、フッサールは、心理的自我と現象学的(超越論的)自我を分けているだけでなく、その「自我分裂」自体をさらに「傍観者として」見ている自我を指摘している。

(……)正確にいえば、経験論的自我と、それを超越論的に還元しようとする自我と、それによって超越論的に見出された自我があるというべきなのである。フッサールは、ここで、デカルトが混同した「私は疑う」と「私は考える」の区別、いいかえれば、超越論的還元を行う私(疑う私)と、そのような還元によって見出される超越論的主観の区別を取り戻している。》(『トランスクリティーク』p136

……しかし、《この区別は、フッサールにある深刻なパラドックスをもたらす。世界は超越論的自我によって構成されるが、すべてを疑おうとすることの私は世界に属している》、として次の文が引用される。

しかしまさにこの点に困難がある。あらゆる客観性、すなわちおよそ存在するあらゆるものがそこに解消される普遍的相互主観性が人間性以外の何ものでもないことは明らかである。この人間性は疑いもなく、それ自体世界の部分的要素である。世界の部分的要素である人間的主観性が、いかにして全世界を構成することになるのであるか。すなわち、みずからの志向的形成体として全世界を構成することになるのであるか。世界は、志向的に能作しつつある主観性の普遍的結合の、すでに生成し終え、またたえず生成しつつある形成体なのであるが、そのさい、相互に能作しつつある主観そのものが、単に全体的能作の部分的形成体であったよいものであろうか。

そうなれば、世界の構成部分である主観が、いわば全世界を吞み込むことになるし、それとともに自己自身をも吞み込むことになってしまう。何という背理であろうか。(フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』)


この後、柄谷行人は、フッサールの他者を「自我の変様態」以上のものではない、フッサールが構成する他者は真に他者的ではない、としつつ自らの他者論を展開するのだが、それはここでは割愛して、カントのアンチノミーが語られる。

フッサールが指摘したパラドックスは、カントがアンチノミーとして述べたことにすぎない。われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている、と。しかし、このような議論は少しも新しくない。フッサールはその問題に最後に遭遇したが、最初に出会うべきだったのである。つまり、「他なるもの」は、最後に出会うものではなく、超越論的批判そのものをそもそも動機づけているものなのだ。フッサールの現象学は究極的に独我論的であり、そこからの出口はない。P139

………


われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている



この後半の文に関連するものとして、ラカンの「けっして真理を語ることはできない」、――そのことを「真理」として語ってしまうとか、ロラン・バルトの「作者は死んだ」を、作者として説明してしまう「評論家」などがいるだろう。


前半の文、《われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれはその世界の中にある》はどうか。ーー《絵はたしかに私の目の中にあります。しかし、わたしはといえばその絵の中にいます。》(ラカン『精神分析の四基本概念』)ーーこう並べてみればひどく似ている。


もちろん、この文は、柄谷行人の書く意味とは異なり、「しみ=<対象a」に係る。つまり若かりしラカンの有名なサーディン缶の逸話であるが、いまは、この<対象a>の文脈を脇にやる。


そうして、「風景はわたしの目の中にあります。しかし、わたしはといえばその風景の中にいます」とすれば、たちまち、蓮實重彦の「解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかな(い)》と並べてみることができる。


観察主体は、観察対象のなかにつねに含まれている。純粋な対象などというものはない。対象は「染み=<対象a」として、あるいは、「共通の規範=大文字の他者」の視線として、観察主体を見つめ返している。われわれは「風景によって解釈を蒙った解釈される視線」で、梅ではなく桜を愛でる。

※対象aの視線が見つめ返すという場合には、たとえば、観察主体の心的外傷性記憶や、幼少期の記憶が、対象に書き込まれている場合などがあるだろう。(参照:ベルト付きの靴と首飾り

ーー以上、大文字の他者の視線、対象aの視線をめぐっては、以下のジジェクの文にヒントを得て書いている(もっともジジェクの叙述はbut the picture is not mineと書かれているように異なった文脈である)。

Recall Lacan's formula: “The picture is in my eye, but I am in the picture.” If, in the common subjectivist perspectival view, every picture is mine, “in my eye,” while I am not (and by definition cannot be) in the picture, the mystical experience inverts this relation: I am in the picture that I see, but the picture is not mine, “in my eye.” This is how Lacan's formula of the male version of the mystical experience should be read: it identifies my gaze with the gaze of the big Other, for in it I see myself directly through the eyes of the big Other. This reliance on the big Other makes the male version of the mystical experience false, in contrast to the feminine version in which the subject identifies her gaze with the small other.("LESS  THAN NOTHING")



もちろん、対象の視線がわれわれを見つめ返すなどといわずに、ドゥルーズ=ベルグソン流の考え方を思い起してもよい。伝統的な哲学にとっての、光は精神の側にあり、意識は、さまざまな事物をそれらが本来住んでいる暗闇からひき出してくる光の束である、という考え方に対して、ドゥルーズ=ベルグソンは、事物というのはどんな光によって照らされているわけではなく、すでにそれじたいが光なのであり、意識は、この光を屈折させ、停止させ、遮断するもの、言わば光にとっての障害物であるという考え方。(参照:ドゥルーズによるベルクソンのイマージュ論概説をめぐって

 この対象の光を屈折させ遮断する意識に媒介された視線によって、われわれは対象を眺めている。


これらは結局、カントが、「対象」は人間の感性の形式や悟性のカテゴリーによって構成されていると言ったことの変奏だろう(<対象a>のまなざしを除いて)。そしてさらに遡れば、冒頭のデカルトの、われわれの思考が言語と文法と習慣によって決定されているとすることの言い換えである。それは、現在なら、われわれの思考、意識や視線が、制度とかシステム、パラダイム、エピステーメによって支配されているという言い方がされるだけで、ことさら目新しい議論ではない。蓮實重彦が、《…「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている》としているのはそういった意味合いもある。


たまたま、少し前、twitterでの保坂和志botで次の文に行き当たったが、このような捏造された疑問符で語らなくても、 それはデカルト以来の「退屈な議論」ではあるのだが、最近は「アニミズムの時代の復活」(岡崎乾二郎)、土人の時代、つまり穏やかに言えば、人々が日々関心を持つ世界が狭くなった「新タテ社会」であるならば、ときにこのようにして啓蒙的に語る必要があるのだろう、--《見えるもの(現実の世界)をそのまま描く(書く)、というときの「そのまま」とはどういうことなのか?「そのまま」と思い込んでいること自体が自分が育った文化という檻によって作られた、バイアスのかかった見え方でしかないのではないか?》


従来、科学とは、その方法を、徹底的に対象化したモノに対して適用するものだとされた(徹底的能動者である観測主体と徹底的受動者である観測対象の関係)。だが、《クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依拠していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」は存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される。》(柄谷行人『隠喩としての建築』p60)――簡単にいえば、仮説が経験的的データを呼び集めるのだ。



最近では、アフォーダンス的な捉え方、つまり対象が差し出す(アフォードする)情報によって導かれる(観測主体は観測対象に導かれ「教えられて」はじめて何ごとかをなしうる)という考えもあるのだろう。


ーーーというわけで、この文も退屈な復習にすぎないことは、「誰でも知っている」はずのことだ。だが、《その無自覚を基盤としておのれを「制度」に仕たてあげる「文化」の便利な健忘症的資質について、人はいつまで顔をそむけていることができるのか。》

皺だの歪みだの亀裂だの、あるいは毛羽立ちでも引掻き傷といったものでもよかろうが、とにかく自分は平坦でありたいとのみ願うものの相貌を荒々しく乱しにかかる悪意の介入を斥け、盛りあがり、窪み落ち、また穿たれることへの潜在的欲望をもみずからに禁じながら、ひたすら寡黙にその均質で滑らかな表情を人目にさらしつづけ、しかもその謙虚さが熱のこもった視線をいささかもつなぎとめない表層に単調な平坦さのみを露呈することで「文化」に貢献していながら、かえって「文化」の側からのあからさまな無視、蔑視を耐えるしかないものたちの自己犠牲とでもいうべきものをめぐって、「文化」がいまなお無自覚であるという事実、というかその無自覚を基盤としておのれを「制度」に仕たてあげる「文化」の便利な健忘症的資質について、人はいつまで顔をそむけていることができるのか。起伏と陰翳にとぼしく、隆起と陥没とが風景に彩りをそえることのない表層を人目にさらすことで不当に貶められるもの、それは、いま、この瞬間に言葉がその表面に刻みつけられつつある「紙」、それを程よい高さで支えつつ視線を調節する「机」、筆を滑らせつつあるものが外気にこごえることから救っている「壁」、乾燥と湿気とを調節しつつ足を保護している「床」といったものだが、さらには、その同じ瞬間に、別の場所で匿名の足によって踏みかためられつつある「大地」、あるいはその特権的形態としての「道路」などをそれに加えてもよかろうが、こうした平板でのっぺらぼうな顔たちの群に向って、「生活」が投げかける邪悪なる侮蔑の念というか、ほとんどの場合は無関心と呼ぶべきであろうものは、奇妙にも、日常生活の圏域から知的反省の次元にまで均等に流れだしており、だから「文化」が「制度」としての不可視の体系性を強固なものとするのは、意図的な構造化の試みというより、経験的な知と反省的な知との曖昧な妥協ぶりによってなのだ。(蓮實重彦「表層の回帰と「作品」」『表層批評宣言』所収)

この文は、文化という「制度」によって、人は身近にあるものが見えなくなっているだけでなく、そのパラダイムが、われわれの思考全般を囚えていることを語っているのであり、たとえば、この文のすこし先で、蓮實重彦はこのようにも書く、《平坦さがあたりに波及させるあの単調さの印象、そこからくる廃棄された運動感、視線の凪ともいうべき静止の雰囲気が、人びとを平坦なる表層への無視、軽蔑からさらにはその陵辱へと向わせる過程が、日常的な思考と「学問」を自称する思考とに共通な構造を露呈しているという事実こそが、きわめて重要なのだ。》

そしてこんな例が挙げられる、《ミシェル・フーコーはその第一回目の日本滞在中のある講演で、一九世紀初頭のヨーロッパ的食物摂取の形態が蒙った不可逆的な大変動として、民衆による蛋白質消費量の急激な増大という事実を挙げ、伝統的な「歴史」学がかえりみることもなかったこうした「事件」を視界におさめえぬ限り、あらゆる「人間」への言及は抽象的知識に陥るほかないという意味のことを述べている……》

もっともこう引用したからといって、ここでまた桜と梅の話を蒸しかえして、日本の春の花樹として、ひたすら盛りあがった表情を人目にさらすのが「桜」であり、視線の凪、「ひたすら寡黙にその均質で謙虚さが熱のこもった視線をいささかもつなぎとめない」ものが「梅」というのは当らず、梅は風景のなかで桜ほどでなくても、それなりに「盛りあがっている」には相違ない。


……とまで書けば、京都で梅園と菖蒲園のあるやしろ、由緒正しいにもかかわらず、観光名所にはなり切っていないひっそりした小さな神社のそばに住んだことがあって(歩いて五分ほど、路地を抜けたら酒の神様でもあるその神社であり、散歩や煙草を買いにいくついでに、酒蔵からの豊富な奉納のお零れであるただ酒を枡で一杯きゅっと呑むのがおもな目当てであったのだが…神社の名は、梅の名を冠しており…つまりそれいらい、梅の対象aがわたくしを見つめるのだ…)、桜よりも格段に梅好きになり、あるいはもともとへそまがりで共同体の規範を敬遠する身であるので、ここでこの文の表題とは「関係がない」文を引用しておこう。









去年の春、わたくしは物買いに出た道すがら、偶然茅葺屋根の軒端のきばに梅の花の咲いていたのを見て、覚えず立ちどまり、花のみならず枝や幹の形をも眺めやったのである。東京の人が梅見という事を忘れなかったむかしの世のさまがつくづく思い返された故である。それは今にして思返すと全く遠い昔の事である。明治の末、わたくしが西洋から帰って来た頃には梅花は既に世人の興をくべき力がなかった。向嶋むこうじま百花園ひゃっかえんなどへ行っても梅は大方枯れていた。向嶋のみならず、新宿、角筈つのはず池上いけがみ小向井こむかいなどにあった梅園も皆とざされ、その中には瓦斯ガスタンクになっていた処もあった。樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中の神社仏閣の境内にあった梅も、大抵枯れ尽したまま、若木を栽培する処はなかった。梅花を見て春の来たのを喜ぶ習慣は年と共に都会の人から失われていたのである。(……)

わたくしは梅花を見る時、林をなしたひろい眺めよりも、むしろ農家の井戸や垣のほとりに、他の樹木の間から一株二株はなればなれに立っている樹の姿と、その花の点々として咲きかけたのを喜ぶのである。いわゆる竹外の一枝斜なる姿を喜び見るのである。(永井荷風『葛飾土産』)

そう、並木や林としてかたまって眺めるのは、桜のほうがよいのかもしれない。桜樹の枝からやや離れてつける花は風に繊細に靡いて漂い舞い、あるいはその花叢の白い棚を空中にかさねて張り出したようなさまは、遠目に繊細で好ましい。だが一株の梅樹の姿、そのぼってりした蕾や花弁のまろやかなさま、たおやかな香、まだ寒いなか春の先駆けとしてつつましく蕾を綻ばす様子は、かつて自分の家の庭木のようにして散歩がてら眺めていた身には、いっそう親しい。


……「桜切るバカ、梅切らぬバカ」は植木育ての初歩中の初歩である。枝を切ると桜は弱るのである。しかし、桜の木を庭のまん中に植えるとどうなるだろうか。

地下水の潤沢な庭でさえあれば、桜は庭いっぱいに枝をひろげる。

そして、ひろげるだけならまだしも、その覆いかぶさる枝の傘の下には一木一草も生えない。それは桜の木が毒ガスを出して、他の植物を枯らすからだそうである。

この、わずかに苔だけが生える樹の下の暗い地表は、桜の実の腐りつぶれた残骸とおびただしい毛虫が被い尽くして、人が嫌い寄りつかない場所となってしまう。ただ、花見どきは、人が集まって下で無礼講を開く、それだけである。

切るといじける。だからといって、切らないでいると、どこまでも枝を伸ばし、そればかりか毒ガスを出して草一本生えなくし、誰にも嫌われる廃棄物だけをふんだんに降らせるーー、これも桜の一面である。

桜をめでるあまり、もともとあるべき山あいから移して、ちやほやしたのは、桜みずからのせいではなかったであろう。庭のまん中に生えてしまったのも桜の責任ではないかもしれない。隅っこに置けば、それは来る年ごとに道行く人にめでられる花になっただろう。しかし、庭の中央では傍若無人なのが桜である。しかも、いじめるとあわれっぽくいじける。

桜が、「放っておくと図に乗って縄張りをひろげ、その傘の下にあるものを枯らし、汚いものを降らせ、さりとて伸びるのを阻むといじけて哀れっぽく特殊事情を訴える」という象徴にもなりかねないことを時々思い出す必要があるのかもしれない。(中井久夫「桜は何の象徴か」)