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2013年11月1日金曜日

断腸亭日乗 昭和十二年及十六年

昭和十二年丁丑  荷風散人年五十九

二月三日。快晴の天気立春の近きを知らしむ。午後銀座に往き食料品を購ひて帰る。霊南坂を登るに坂上の空地より晩霞の間に富士の山影を望む。余麻布に卜居してより二十年いまだかつて富士を望み得ることを知らざりき。家に至るに名塩君来りカメラ撮影の方法を教へらる。夜八時W生その情婦を携来る。奇事百出。筆にすること能はざるを惜しむ。この日より当分自炊をなす事とす。一昨日下女去りて後新しきものを雇入るるには新聞に募集の広告をなすなど煩累に堪へざるを以てなり。W生帰りて後台処の女中部屋を掃除し、夜具敷きのべて臥す。畳の上に寝るも久振りなれば何ともなく旅に出でたるが如き心地なり。

こう引用したからといって、五十九歳百戦錬磨のはずの荷風にとっての「奇事百出」とはなんぞやなどと推測してみようなどという魂胆はない。もちろん「筆にすること能はざるを惜しむ」とあり、カメラ撮影の方法などとあれば、それなりに気になりはするが。




唐突に現代版「メドゥーサの頭」を挿入したが、当時の荷風にカラヴァッジョの腕前があったはずもなかろう。


It was Schopenhauer who claimed that music brings us into contact with the Ding an sich: it renders directly the drive of the life substance that words can only signify. For that reason, music “seizes” the subject in the Real of his or her being, by‐passing the detour of meaning: in music, we hear what we cannot see, the vibrating life force beneath the flow of Vorstellungen. But what happens when this flux of life substance is itself suspended, discontinued? At this point, an image emerges, an image that stands for absolute death, for death beyond the cycle of death and rebirth, corruption and generation. Far more horrifying than to see with our ears—to hear the vibrating life substance beyond visual representation, this blind spot in the field of the visible—is to hear with our eyes, to see the absolute silence that marks the suspension of life, as in Caravaggio's Testa di Medusa: is not the scream of the Medusa by definition silent, “stuck in the throat,” and does not this painting provide an image of the moment at which the voice fails?(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")





ところで敬愛すべき性の巨匠代々木忠にとっても《今まで潮吹きというのは何度か見てきた》程度らしい。そして彼が命名する《真性潮吹》なるものは一度だけのようで、ことさら珍しいもののようだ。この三十年間延べ千人近くの女性を撮って来たと語る代々木氏だが。また、《これまで見てきた経験で言うと、感じやすいのだがイケない子に、実は潮吹きが多いように僕には思える。つまり、女の子たちの言う「潮吹き=イク」ではなく、逆に「イケないからこそ潮を吹く」のではないか》と性の巨匠はおっしゃる……(週刊代々木忠第4回 潮吹きについて考える

オレニハ一度シカナイ、などと書けば反語的表現にもかかわらず自慢話と受け取られかねないので、知性溢れるきみたちは決してそんなことは語るべきではないゼ…いずれにせよ男と女との関係は厄介なものである…

during the 'flower power' period, the orgasms of both the man and the woman had to take place at the same time if possible, with the result that the post-Masters and Johnson couple eventually turned into a couple where the man was desperately trying not to reach a climax, while, at the same time, the woman was equally desperately trying to reach a climax. It had been complete-ly forgotten that the woman—despite her potential for having multiple orgasms—has a very different attitude to climaxing compared to the man. The male preoccupation with the actual phallus is in stark contrast with the lack of importance attributed to this work of art by the average woman. This was noted by Oscar Wilde, who said that the obligatory honeymoon trip of those times to the Niagara Falls was the bride's second great disappointment. The elliptical formulation he used is perfect because it effort-lessly evokes a truth that is almost inexpressible. (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


さてここでの話は台処の女中部屋の畳の上に寝ることである。当時、荷風の住んでいた麻布兵衛町「偏奇館」は西洋風の屋敷で、荷風は寝台で寝ていた。家政婦を募ったり探したりはしてはいるようだが、上の記述より少し前から戦渦で館が焼失するまで女中のいる気配は窺われない(わたくしの老化した記憶と散漫な読み方の範囲内では)。

もっとも昭和十三年にはこんな女中志願もあったようだ。

三月廿二日。細雨烟の如し。この頃名古屋よりしばしば艶書を送来る女あり。現代婦人の心ほど測りがたきはなし。手紙の文言次の如し。

第一信
未来の御主人様
お顔も御存じ申上げていませぬのにお手紙差上げたりして御免なさい。
貴方様はきっと静かないい毎日をお暮らしの事と存じ上げます。でも私は困っているのです、世の中がつまらなくって。ですから私を貴方様のお家へ女中に押込む事を思案しましたの。女中には困らないなどとおっしゃっては嫌でございます。(……)いい話がなかったわけは第一御面相が御面相ですし、私自身母さんみたいに九人も産まされたり育てたりする勇気がございません。保存すべきほどの種でもございますまい。
貴方様はそんな風な女人――ちょっと自分には過ぎた言葉ですがーー大嫌いでしょうか。だと私は困る。どうしても貴方様のお家へ寄せて戴きたいのですから。(……)

貴方様のおっしゃる事を聞いたりまたよく守って朝に夕にお心のそばにいたいと思います。そしてちょっとお仕事の邪魔をして上げたい。こわい顔にいつもお会いしたい。ではまた。光江拝

名古屋市熱田区沢下町十五  岸田光江





冒頭の日記から四年後の記述、独居老人の自炊生活の感慨味わい深し。

昭和十六年辛巳 荷風散人六拾三

正月一日。風なく晴れてあたたかなり。炭もガスも乏しければ湯婆子を抱き寝床の中に一日をおくりぬ。昼は昨夜金兵衛の主人より貰ひたる餅を焼き夕は麺麭と林檎とに飢をしのぐ。思へば四畳半の女中部屋に自炊のくらしをなしてより早くも四年の歳月を過ごしたり。始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚しく世の中遂に一変せし今日になりて見れば、むさくるしくまた不便なる自炊の生活その折々の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地のせらるる事多くなり行けり。時雨ふる夕、古下駄のゆるみし鼻緒切れはせぬかと気遣ひならが崖道づたひ谷町の横町に行き葱醤油など買うて還る折など、何とも言へぬ思のすることあり。哀愁の美感に酔ふことあり。かくのごとき心の自由空想の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり。


古井由吉が《孤立者は死ぬまで老年になるわけにはいかない》と書いているのはすこし前みた。

昭和五十七年の八月に私は東京駅を出た新幹線の中でたまたま開いた週刊誌のグラビアに、昭和三十四年四月末の荷風終焉の姿を見て吃驚させられた。取り散らした独り暮しの部屋の、万年床らしい上から、スボンをおろしかけた恰好のまま、前のめりに倒れこんで畳に頬を捺しつけていた。ちょうど外食から帰宅したところで、吐血だったという。墜落だ、これは、と私はつぶやいたものだ。八十一歳の老人というよりも、むしろ壮年の死だ。孤立者は死ぬまで老年になるわけにはいかない。いまや文豪の死というよりも、一般市民の覚悟しなくてはならない最後の姿だ、と。(古井由吉『東京物語考』

…………

蓮實重彦を真似て、変質者・変人だけが傑作をつくり出すことができる、としておこう。

エリック・ロメールまたは優雅な卑猥さの誘惑(蓮實重彦)

・エリック・ロメールの『緑の光線』は「必見の傑作」といった言葉を、恥も外聞もなく使ってみたい誘惑にかられる、驚くべき映画だ
・映画では変質者だけが傑作を撮ることができる
・エリック・ロメールまたは偶然であることの必然

…………

昭和十五年 五月初一

……余が下女を雇はず単独自炊の生活を営み初めしは一昨ゝ年昭和十二年立春の日よりならば満三年をすごせしなり。