どちらでも派が多いのだろうし(とくに聴き手は)、それが悪いわけではない。
ショパンだって、たとえばマズルカ派/ピアノソナタ派(あるいは《革命》やら《英雄ポロネーズ》やらのわたくしには頭が痛くなる曲派)があるだろう。
十代のころは、バッハ派(あるいは一部それ以前の宗教曲を含む)/その他の音楽派気味のところがあったのだけれど。
ショパンだって、たとえばマズルカ派/ピアノソナタ派(あるいは《革命》やら《英雄ポロネーズ》やらのわたくしには頭が痛くなる曲派)があるだろう。
十代のころは、バッハ派(あるいは一部それ以前の宗教曲を含む)/その他の音楽派気味のところがあったのだけれど。
――というわけで、「それが悪いわけではない」のではないと書いているようなものだが、いやそんなことはない、たんなる趣味の問題であって……以下略。
たとえば、シューベルト派/シューマン派とかベートーヴェン派/モーツァルト派などとは決して言い難い(少なくともわたくしには)。
ところでショパンでさえ、こういう言い方がある。
サロンはもともとスノッブなしでは成立しない(……)。ショパンがサロンの人間だったということは、彼が芸術を自分の本心を打ちあける手段と考えることから、遠く離れていたという意味である。彼は、人間の間にまじっている限り、言いたいことの大部分は言わずに生きていた。彼は「友人としての人間」を信じず、また信じないでもすませられるようなエチケットの確立したソサイエティにまじって、非の打ちどことのない挙止の中に身と心を包んで、生きていた。(……)
ショパンは、きき手を、より敏感にする。ショパンの音楽は、元来がそれほど音楽的な人でもなく、また音楽がなければ生きられないといった習慣のない人をも、その音楽をきいている限り、音楽の魅力に敏感なきき手にかえる力をもっている。
……いずれにしろ、私たち日本人には、全体の一見単調な反復の中に、細部の微妙な変化、洗練、巧緻といったものを、かぎつけ、見出し、それを享受する能力が発達しているというのが、私の考えである。(吉田秀和『私の好きな曲』)
《黒鍵》とか《告別》とか《木枯し》とか《革命》などとあだ名されるものは、妥協の産物であって、《誰に妥協したのか? 大衆の好みへのそれであり、出版社、あるいはピアニストの好みへのそれである。(……)ショパンを、ベートーヴェンより深刻なものとうけとったり、シューマンよりすぐれた芸術家とみることは、私にはどうしてもできない。(……)ショパンは精神の問題を避けて、芸術をつくりすぎた。》
もっともリストに比べればまだましだ、ともいう。
ショパンは、生活の次元での他人への思いやりという点では、どうやら、あまり寛大な人ではなかったらしいが、それは彼の心情の偏狭さ、冷酷さ、あるいは自己中心主義よりもむしろ虚弱な健康が許さなかったのと、彼の心情の貴族性というか精神的集中度の非常な高さが、人々のありふれた考え方に応じて周囲をみることを許さなかったという事情によるのかも知れない。(……)その点で、ショパンは、たとえばリストと極端にちがっていた。リストは、あまりにも他人の好むところがわかりすぎ、それを無視して、自分を忠実に守る力が弱すぎた。それにまた、あまりにも「成功の味」を知りすぎていたので、それに酔いすぎ、それから離れることがむずかしすぎた。
いやリストだって最晩年には他人の好むところから離れて作られた曲があるぜ、――と書いておこう。
しかしわたくしの好みの曲と毛嫌いしている曲とを同時に好むなどという人があると、コイツ、オレの好みの曲の上っ面しか聴いてないんじゃないだろうか、とヒソカに呟くことになり、ことによると、アバヨ! ということになりかねない。いずれにせよ、個人の好みをひとにあまり押しつけるべきではない。
《私の好きなもの、好きではないもの》、そんなことは誰にとっても何の重要性もない。とはいうものの、そのことすべてが言おうとしている趣意はこうなのだ、つまり、《私の身体はあなたの身体と同一ではない》。というわけで、好き嫌いを集め たこの無政府状態の泡立ち、このきまぐれな線影模様のようなものの中に、徐々に描き出されてくるのは、共犯あるいはいらだちを呼びおこす一個の身体的な謎 の形象である。ここに、身体による威嚇が始まる。すなわち他人に対して、《自由主義的に》寛容に私を我慢することを要求し、自分の参加していないさまざま な享楽ないし拒絶を前にして沈黙し、にこやかな態度をたもつことを強要する、そういう威嚇作用が始まるのだ。(『彼自身によるロラン・バルト』)
ーー今、わたくしの書いている文章は、リスト好きにとっては、威嚇作用になっているはずだから、読んだらダメだぜ
プルースト曰く、
《あまりききなれないめずらしい作品をきいたときには、すぐには記憶できないばかりでなく、それらの作品から、(……)われわれがききとるのは、それほどたいせつではない部分なのである。》
あるいは、《彼がききとったそれほどたいせつではない部分の「美」は、もっとも奥深く秘められた美があきらかになったとき、彼から離れ、逃げ出してしまった》と。
おい、そこのきみ、きみはそれほどたいせつではない部分の「美」を聴いてるだけじゃないかい? というわけだ。
私はこのソナタがもたらすすべてを時間をかさねてつぎつぎにでなければ好きになれなかったのであって、一度もソナタを全体として所有したことがなかった、このソナタは人生に似ていた。しかし、そうした偉大な傑作は、人生のようには幻滅をもたらすことはないが、それがもっている最上のものをはじめからわれわれにあたえはしない。ヴァントゥイユのソナタのなかで一番早く目につく美は、またあきられやすい美であり、そうした美がすでに人々に知られている美とあまりちがっていないのも、まず早く目にとまる美だからである。しかしそんな美がわれわれから遠ざかったとき、そのあとからわれわれが愛しはじめるのは、あまり新奇なのでわれわれの精神に混乱しかあたえなかったその構成が、そのときまで識別できないようにしてわれわれに手をふれさせないでいたあの楽節なのである。(プルースト「花さく乙女たちのかげにⅠ」井上究一郎訳)
……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)
ところで演奏家だって、たとえばジャズだったら、モンク派/オスカー・ピーターソン派とかがある(繰りかえせば、これも趣味の問題なのであって、クリフォード・ブラウン派/マイルス・ディビス派など言う人があっても、こっちの方はまったく肯んじえない)。
ヤクザの親分派/堅気派の二分法だってある。
ドビュッシーの前奏曲集の演奏比較で、ポリーニは「いい人すぎる」とか、ミケランジェリを「ニコリともしない」やら、サンソン・フランソワを「デカタン」とか、ミシェル・ベロフを「ネクラ」等々、青柳いずみこ氏が書いているが、この感じはやっぱりかなり当っているんじゃないか。とくにポリーニの「いい人すぎる」ってのは絶妙だな、ほかの曲でも。もっともこれらはおおむねある時期のある演奏に限ってであって、たとえばステージで脳溢血で倒れてそのあと復活してからのミケランジェリは、音楽する喜びに溢れていて「ニコリともしない」どころじゃない、病気の前だって、マズルカなんてのは情感あふれて冷たい完全主義者どころじゃない(たとえばOP33-4)。ヤクザの親分の器だね。
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… ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトゥーロ・べネデッティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのぼらせる。(『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル千葉文夫訳)
さて冒頭に戻れば、内田光子はシューマンの作品133を最近弾きだしたようだ。七十歳になったらバッハの平均律をやりたいとも言っている。
シューマンだって最晩年のこの曲・練習曲派/なんだかガチャガチャ聴こえる派があるだろうな(たとえばよく弾かれる幻想曲はオレにはどうもダメだ)。失礼! またたんなる趣味の話だよ
「シューマンへの愛の表明は、ある意味 で、今日、時代に『逆らう』ことで、責任ある愛でのみ可能である。社会的命令によってではなく、自ら望んでシューマンを愛することは、主体に自分の時代に 生きていることを強く自覚させることになる。」(ロラン・バルト)
内田光子のこの録音を最初聴いたときは、左手の和音が重いなとか和音の中音の響きが強すぎるとか、あるいは右手で軽やかに歌うべき箇所の歯切れが悪いなどと感じたのだが、何度か聴くうちに、左手の和音の重さの深淵から突如閃光として煌めくソプラノの飛翔が際立つ印象を生む箇所に魅惑される(第二曲の中盤はことさら)。このところアンデルジェフスキの演奏がお気に入りで、いまのところ乗り換えるつもりはないが、内田の演奏の左手の沈潜したやや濁った響きとゆらめく閃光の輝きの対照は独自の魅力をもたないでもない(それにしても、第三曲は濁り過ぎてほとんど聴くに耐えないのだけれど、ウチダさん?ーーPCスピーカーが悪いのかな、重低音が響くボーズだからな)。内田光子は最近のコンサートのプログラムの最終曲で、この作品133の第一曲「暁の歌」を演奏しているようだ――ちょっと待てよ、第四曲は内田がいいかもな、アンデルジェフスキよ、この曲に限ってはちょっと軽すぎるんじゃあないか?ーー、まあ細かい話はこの際どうでもよろしい。この作品133を愛する演奏家に強い好感をもつということだ(しかしたとえばHélène Boschiのように暁の歌の最初の音を不器用に入ってもらっては興醒めだということはある)。
ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』(暁の歌)の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)
「暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ち止まる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。」(ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ)
痛みはつねに内部を語る。しかしながら、あたかも痛みは手の届かないところにあり、感じえないというかのようである。身の回りの動物のように、てなづけて可愛がることができるのは苦しみだけだ。おそらく痛みはただ次のこと、つまり遠くのものがいきなり耐えがたいほど近くにやってくるという以外の何ものでもないだろう。
この遠くのもの、シューマンはそれを「幻影音」と呼んでいた。ちょうど切断された身体の一部がなくなってしまったはずなのに現実の痛みの原因となる場合に「幻影肢」という表現が用いられるのに似ている。もはや存在しないはずのものがもたらす疼痛である。切断された部分は、苦しむ者から離れて遠くには行けないのだ。
音楽はこれと同じだ。内側に無限があり、核の部分に外側がある。(ミシェル・シュネデール『シューマン 黄昏のアリア』)
シューマン--「はるかな解放へのあこがれが、抑圧されたものの素朴なゆめへの共感としてあらわれる」(高橋悠治)
死なずに生きつづけるものとして音楽を聞くのがわたしは好きだ。音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる。《遠くからやってくるように》、シューマン(<ノヴェレッテ>作品二一の最終曲、<ダヴィッド同盟舞曲集>作品六の第十八曲)あるいはベルク(<ヴォツェック>四一九-四二一小節)に認められるこの指示表現は、このうえなく内密なる音楽を指し示している。それは内部からたちのぼってくるように思われる音楽のことだ。われわれの内部の音楽は、完全にこの世に存在しているわけではないなにかなのである。欠落の世界、裸形の世界ですらなく、世界の不在にほかならない。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド PIANO SOLO』)