このブログを検索

2013年9月23日月曜日

内なるプロレタリアート

どっかの大学の教員の賃金引下げで訴訟
って記事がすこしまえ賑わっていたけれど
国立大学でも二流以下は経営が苦しいってことかね
これも少子化のせいか
「体制」の中で不当に低く待遇されている教員たち
内なるプロレタリアート」(中井久夫)ってわけだな

いや実はこの記事読んでいて思い出したんだけどさ
「不況による大学教育の保守化と教員のパイの縮小」
「不況になって世の中が保守化すると、
実験的だったり先鋭的だったりする人たちの居場所がなくなる」等々

仮に世間は景気がよくなっても
教育産業は不況のままだろうからな
そしてあわせて消費税増反対、社会保障費削減反対って
「誇り高き」インテリくんたちは主張するわけかい?
(あやうく最初の漢字変換「埃高き」のままにしようかと思ったぜ)

で、なにを削りたいのかい




来年度ってのは13年度だけどさ
景気回復で税収増を祈って実現したって
それだけじゃあ歯が立たないぜ


反復だね、あいかわらず
二十一世紀は灰色の世界…働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって」
と渡辺美智雄が語ったのは1986年だけどさ
「国民が年金年齢に達した時に皆死んでくれたら大蔵省は助かる」と

三十年ちかく反対、反対でいまの財政状況になっちまったんだからな

インテリくんたちもまずは自分たちの生活が大事なのはわかるけどさ

これはたぶんまだ教員になってない研究者のツイートだがね

《生活保護にしろ在日にしろ、つまりは「我われの問題」としてはとらえていない、ということだ。自分たちとは関係ない別世界のお話し。リアリティへの眼差し以前の、無関心と無知と無自覚。

でも、それも仕方ないことだとも思う。例えば、就職活動で自分の人生の選択を迫られている時に遠くの土地で起こっている排外デモに気をとめるだろうか。毎日毎日夜遅くまで働かされて家庭のために頑張ってるなかで生活保護をめぐる過剰なバッシングの欺瞞と虚偽に目が向くだろうか。

みんなみんな自分の食べることで精一杯。余裕なんてありゃしない。無関心と無知と無自覚なんて言われたら腹が立つ。だってみんな精一杯生きてるんだから。これは、生命過程の必然性(アレント)のせいではない。後期資本主義という社会制度のせいである。我われの眼差しは、胃袋からやはり社会構造へ。》


教師たちもこんな具合じゃあなさけないぜ
《消費税問題は、日本経済の形を決めるビジョンの問題。北欧型=高賃金、高福祉、高生産性か。英米型=低賃金、自助努力、労働者の生産性期待せずか。日本は岐路にある》

これは社会保障費・教育費削減も同様だと思うけど
「見たくないもの」を見ない〈心の習慣〉(丸山真男)の鎧を脱ぐよう
学生に教えるのが、きみたち大学教師の仕事のひとつじゃないのかい?

日本のような人口の多い国が北欧型になるはずはないのでね
抵抗したって一緒だぜ、どこかに皺よせがくる
腹をくくれよ、せめてもきみたちぐらいは

次の予測は今から大量移民政策とったって
ほとんど変えようがないのだからさ







引き返せない道」(中井久夫)の下り坂は
ときには平坦であったりかすかな登りもあるのだろうが
やっぱり向かう先はいまのままじゃあ、同じ奈落の底だぜ