このブログを検索

2013年9月14日土曜日

フロイトの偽装された自叙伝、あるいは「原抑圧」

フロイトは、そのユダヤ人としての出自のせいで教授に昇進するのが難しかった。『夢判断』にはこんなエピソードが書かれている。

十歳か十二歳かの少年だったころ、父は私を散歩に連れていって、道すがら私に向って彼の人生観をぼつぼつ語りきかせた。彼はあるとき、昔はどんなに世の中が住みにくかったかということの一例を話した。「己の青年時代のことだが、いい着物をきて、新しい毛皮の帽子をかぶって土曜日に町を散歩していたのだ。するとキリスト教徒がひとり向うからやってきて、いきなり己の帽子をぬかるみの中へ叩き落した。そうしてこういうのだ、『ユダヤ人、舗道を歩くな』」「お父さんはそれでどうしたの?」すると父は平然と答えた、「己か。己は車道へ降りて、帽子を拾ったさ」


彼の夢のひとつ、《(わたしの夢)……なぜ私が日中思想の、ほかならぬこの代用物を選ばなければならなかったのか。これに対しては、ただ一個の説明があるのみであった。R教授との同一化に対しては、この同一化によって不滅の幼児願望たる「えらくなろう」という願望が充足させられるのであるから、私はすでに無意識裡にいつもその用意をしていたのである。》(フロイト『夢判断』下 P318)


フロイトの伝記の類は読んだことがないのだが、中井久夫によれば、《フロイトはウィーンという、オーストリア・アルプスがちょうどドナウ川の谷をおりる最後の山のふもとにできた都市に一生住みつき、ナチスが攻めて来てもギリギリまでそこから逃げなかった。そのためにフロイトの妹たちは全員ガス室で死に、本人は辛うじてギリシア皇女の斡旋でそこから脱出している。フロイトはそれくらいウィーンを離れられなかった》そうだ。その叙述前後を含め、抜き出しておく。


「力動精神医学」とは、「 “正統” 精神医学」に対する言葉で、たとえば正統精神医学を “与党” とすれば、力動精神医学は、 “野党” である。 “与党” の正統精神医学は、主に病気を診断したり病気の原因の研究、特にその科学的研究をテーマとしている。したがって、正統精神医学では治療というものは後からいわば副産物として出てくる順序になる。これに対して力動精神医学のほうは、病気のはじまりから時間軸に沿って患者と共にし、そのダイナミズムすなわち “力動” を勢いとして捉えようとする。このように病気の勢いと健康の勢いとのからみ合いで捉えようとすることから “力動” 精神医学と言われるわけだが、これは一貫して治療からはじまり、その後を理屈(研究)が追いかけるということになる。「理屈が消えても治療は残る」ということもありうるので、大学の学問としてはすこし “異端” であり、すんなりとアカデミズムのなかに入れられないという状況である。ただ、日本はその点比較的に寛容で、力動精神医学を容れる大学もいくつかある。また、韓国ではソウル大学の精神科の教授に力動精神医学の方がおられたことがある。


私は以前、治療中心の精神医学はいったいどういう人から生まれてきたのかを調べたことがある。結論を言ってしまうと、そのような精神医学は大都市の人からは生まれない。さりとて山の真ん中の人からも生まれない。山と平野のはざまに生まれ育った人から生まれているのである。

フロイトは中欧モラヴィアの森の端で生まれ、アドラーはハンガリー西部、ユングはスイス北部の、ともに山と平野のはざまで生まれている。時代をさかのぼると、催眠術の先駆者メスメルはアルプスの麓コンスタンツ湖のほとり、ピュイゼギュールは北フランス・ソワッソンの森と畑の間に生まれている。ジャネはパリ生まれだが、パリ近郊のプール・ラ・レーヌという、当時は丘と森の散在するところに移ってそこで育っている。これらの位置を地図でつきとめると私のいわんとすることがさらにはっきりわかっていただけるだろう。

一八世紀の後半から一九世紀いっぱいをかけて、力動精神医学は自らを宗教から切り離し、ヨーロッパ文化のなかに位置づけたと言えるだろう。フロイトはウィーンという、オーストリア・アルプスがちょうどドナウ川の谷をおりる最後の山のふもとにできた都市に一生住みつき、ナチスが攻めて来てもギリギリまでそこから逃げなかった。そのためにフロイトの妹たちは全員ガス室で死に、本人は辛うじてギリシア皇女の斡旋でそこから脱出している。フロイトはそれくらいウィーンを離れられなかった。何故それほど森の縁に執着したのであろうか。ヨーロッパでは森の文化と平野の文化というものが非常に異なったものであったからではないかと私は思う。宗教についてみると、平野がカトリックであるのに対して、森はそれ以前の多神教の名残りがある。村に住んで森の中で働き、双方を往復する炭焼きは、村では「有徴者」であって、種々の差別を受けるが、一方で狼を自由に使い、森の精と交流するなどの超能力の持主ともされた。
( ……)

眼を日本に向けると、日本の森の世界はまず紀伊半島であろう。南方熊楠の世界である。私は紀州出身の精神科医を五、六人知っているが、彼らの特徴は、森に棲む人らしく気配に敏感なことである。森のなかを一緒に歩いていると、「この辺には何かある」とか言い出す。しばらくすると苔むした墓が見つかるとか、ヨーロッパに行っても、「何か感じる」と言い出したとたんに古い教会が思わぬ谷間から現われる。そういうことが頻繁に起こるらしい。彼らは予感と予兆に満ちた森の世界の人たちである。森というものは見通しがきかないから、かすかな物音や、あるかなきかの風のそよぎ、何者かが踏んだらしい痕跡、枝の茂り方のわずかな差とかを感受するのが決め手になる。こういうところから神秘家が出てくるのだろうなと思ってしまう。(中井久夫「山と平野のはざまーー力動精神医学の開拓者たちが生まれたところ」『時のしずく』所収)


…………

ここで、夢は願望実現であるという命題にも一つの例外があることを告白せねばならない。不安の夢はかつて私が繰りかえしまた詳細に述べたように、このような例外ではない。「処罰の夢」もまた然りである。なぜなら、これは厳禁された願望実現のかわりにそれが当然受けるべき処罰を置くにすぎないのであり、したがって拒否された本能衝動に反応する罪意識の願望実現であるからである。しかし、上述した災害神経症者の夢は、もはや願望実現の観点からみることはできないし、小児期の精神的外傷の記憶をよみがえらす精神分析のさいに起こる夢もまた同様である。これらの夢はむしろ「反復強迫」にしたがうものであり、この反復強迫は、分析のさいには、当然のことながら、「暗示」によって促進される願望、すなわち忘却されたものと抑圧されたものとを呼び出そうという願望に支えられる。(フロイト『快感原則の彼岸』人文書院 著作集6 p169)


フロイトの『夢判断』は、何度も改版されており、上の文さえ押さえておけば、楽しんで読むことができる、ときには小説のように、あるいはエレンベルガーの言うように、(フロイトの『夢判断』は)「偽装された自叙伝」として。

すべての夢は(それに対して文献上で飽くことなく反論が提出されているところの)一個の性的解釈を要求するという主張は、私の夢判断のあずかり知らぬところのものである。私の『夢判断』の七つの版のどこにもこういう主張は見いだされないのだし、また、こういう主張は本書の爾余の内容と明白に矛盾する。

※この訳書の底本となったロンドン版所載の『夢判断』は第八版(新潮文庫 高橋義孝訳 p116)

1900年に出版された『夢判断』は、この第八版では、本文中にさえ、1923年の出来事が書かれており、1923年といえば、すでに後期フロイト、『快感原則の彼岸』(1920)以降のフロイトである。


ところで、次のような訳者注に行き当たった。

日本では従来Verdrängungは「抑圧」と訳されるが、ドイツ語の語感からは「抑圧」ではなしに「追放」とか「放逐」が正しく、「抑圧」はむしろUnterdrückung(かりに上では「抑制」と訳したところの)に当る訳語である。(フロイト『夢判断』下 高橋義孝訳 註  新潮文庫p379)

この「抑圧」=放逐、追放」については、中井久夫の指摘もある。

(中井)フロイトは神経症を三つ立てています。精神神経症、現実神経症、外傷神経症です。彼がもっぱら相手にしたのは精神神経症ですね。後者の二つに関してはほとんどやらなかった―――あるいはやる機会がなかったと言った方がいいかもしれないけど。フロイトの弟子たちも「抑圧」中心で、他のことはフロイティズムの枠内ではあまりやっていませんね。

また、「抑圧」の原語Verdrängungは水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります。(中野幹三「分裂病の心理問題―――安永理論とフロイト理論の接点を求めて」)。とすれば、これをrepression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でもrepressionを否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(批評空間2001Ⅲー1 「共同討議」トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰)

…………


「抑圧」をめぐって十川幸司氏は次のように語っており、治療分野では、ほとんど「死語」に近いのかもしれない。

抑圧という概念の治療論的な意義について言えば、今、この概念を正面きって使う分析家は、自我心理学に属する分析家の一部を除いて、ほとんどいません。無意識的なものを上から押さえつけるという、抑圧という概念がもつイメージが臨床感覚にフィットしないということもあるでしょう。(座談会「来るべき精神分析」--後詳引用有)

ただジジェクなどは、最近の書で、哲学的な視点から、「原抑圧Ur‐Verdrängung」をめぐって、あの手この手で触れている。(参照:フロイトの四つの「否Ver‐」( 排除、抑圧、否定、否認)ーージジェク『LESS THAN NOTHING』より


「抑圧」概念が生き残るためには、「原抑圧」概念の見直しが必要なのかもしれない。次の「カイエ」の「抑圧」の項には、ラカン以降の「原抑圧」のいくつかの見解がまとめられている。→[Repression le refoulement]

たとえば、《‘primary repression' as the key to understanding the ‘original' division of the subject into conscious and unconscious parts.》

《What is primally repressed becomes the thought of the lack in the Other》.( Lacan)

《the relation of primary repression to enjoyment [jouissance] 》(Leclaire)

《primary repression must be understood as in terms of the ‘veiling of the phallus'》 (Leclaire)

われわれには 原抑圧Urverdraengung、つまり欲動の心的な(表象-)代表が、意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に 固着Fixerungが行われる。すなわち、その代表はそれ以後不変のまま存続し、欲動はそれに拘束bindenされる。(……)

抑圧の第二段階、つまり本来の抑圧は、抑圧された代表の心理的な派生物に関連するか、さもなくば、起源は別だがその代表と連合的に結びついてしまうような関係にある思考の連鎖に関連している。こういう関係からこの表象は原抑圧をうけたものと同じ運命をたどる。したがって本来の抑圧とは追加の抑圧である。……(フロイト「抑圧」フロイト著作集6 P79(人文書院)からだが、フロイト翻訳正誤表の指摘により一部修正)

おそらくここに「抑圧(原抑圧)」と「欲動」(あるいは「享楽」)をつなぐヒントがある。


ジジェクは、『LESS THAN NOTHING』で、次のように書いている、《Primordial repression is not a repression of some content into the unconscious, but a repression constitutive of the unconscious, the gesture which creates the very space of the unconscious, the gap between the system cs/pcs and the unconscious.》

 Lacan's key distinction between pleasure (Lust, plaisir) and enjoyment (Geniessen, jouissance) (……): what is “beyond the pleasure principle” is enjoyment itself, the drive as such. The basic paradox of jouissance is that it is both impossible and unavoidable: it is never fully achieved, always missed, but, simultaneously, we never can get rid of it—every renunciation of enjoyment generates an enjoyment in renunciation, every obstacle to desire generates a desire for an obstacle, and so on.(『LESS THAN NOTHING』)

”enjoyment”、すなわち「享楽」であり、享楽の放棄は、放棄することの享楽(あるいは反復欲動)を生む。

おそらく斎藤環が、最近、《原子力の可能性を過大評価することも、危険性を過度に煽り立てることも、“享楽的”であるがゆえに危険である》(「ダークツーリズム」の享楽)というのもこのあたりにかかわるのだろう。


◆参考:藤田博史 セミネール断章 2012 84日講義より


原抑圧と後期抑圧

生後半年から一年半くらいの間、わたしたちが言語を獲得する時に生じるのが「抑圧」という心的メカニズムです。「抑圧」については次のように考えると理解しやすいでしょう。すなわち、常にあるデータが意識のなかに保持され続けているとすぐにその許容範囲を超えてしまいます。当然のことですが、意識された体験のすべてを常時意識のなかに保持しておくことは不可能なわけです。意識が満タンにならないように、データを意識の外へ、いわば意識されない領域のなかへ格納する、いってみれば、意識の光の当たらない、心の倉庫のなかへ言葉を入れてゆくのです。この倉庫のことをフロイトは「無意識」と名付けました。つまり獲得した言葉は無意識の倉庫のなかへ蓄積されてゆくことになるのですが、実はこの倉庫というのは、入り口から押し込むだけではうまく入ってゆかないのです。なにか内部から引っ張るような力が必要であるとフロイトは述べています。ヒトが最初の言葉を獲得する時期は、ラカンのいう鏡像段階に重なっているのですが、恐らくこの引力の出現は鏡像段階に生じる危うい二項関係と無縁ではありません。つまり、鏡像段階では、いってみれば鏡の向こうに現れる対象との間に、想像的、二項的=決闘的 duel な危機的な関係性が生じています。つまり子の心的世界では、極端ないい方をすれば、殺すか殺されるかという、他者廃棄が自己殺害に通じるような耐え難い状況が生じているのです。この耐えがたい状況から子を救い出してくれるのが言葉すなわちシニフィアンなのです。フロイトが「快感原則の彼岸」のなかで記述した子どもの一人遊びがまさにこの危機的状況をシニフィアン(音素の対立)に置換する現場だと考えられます。母親が不在でひとりぼっちでいるときに、糸巻きをベッドの下に投げ入れては引き戻すということを繰り返しながら、同時に fort および da と発音する。 このo/aの音素の対立が、母の不在を補填し、その後の世界形成の基礎となるのです。音素の対立とは、言語学的ないい方をすればシニフィアンという差異 différence のことですが、子のなかでは fort-da と発音した瞬間に世界が二分されているわけです。そして世界と自我がシニフィアンという材料によって同時に構築されてゆき、脳を含む身体に記憶として刻まれていくわけです。この時、最初に生じた抑圧をフロイトは「原抑圧 Urverdrängung」と呼んで、その後に生じる「後期抑圧 Nachverdrängung」と明確に区別しています。そしてこの原抑圧こそが、われわれが言語の世界に第一歩を踏み出した印に他なりません。

フロイトの鋭いところは、先ほども指摘したように、原抑圧が生じるには、ある種の引力が必要であると考えたところです。フロイトは押さえつける力だけでは原抑圧は起こらないだろう、中からの引力を想定しなければいけない、と言っているのです。大変興味深くかつミステリアスないい方です。身体の側から、ラカン流に言うと、シニフィアンを引っぱる引力のようなものを想定しないと原抑圧をうまく説明できない、といっているのです。わたしたちの課題は、このフロイトの予測を証明すること、すなわちこの引力に相当するものが何であるのかを突き止めることです。

冒頭の藤田氏の指摘、《データを意識の外へ、いわば意識されない領域のなかへ格納する》については、フロイトの論文から引用しておこう。おそらく、ここに放逐、追放としての「抑圧」を見てよいのではないか。

意識は、どの瞬間にもわずかな内容をふくむだけであって、意識的な知識と呼ばれるものは、大部分がながいあいだ潜在の状態に、つまり無意識の心理状態にある。(フロイト「無意識について」)

中井久夫の「記憶」論にも同じような指摘があり、氏の「記憶」論はほとんど「無意識」論である。

ーー前投稿に引用された論文「記憶について」における、《このように「意識的私」の内容になりうるものであって現在はその内容になっていないものの総体を私は「メタ私」と呼んできた。これは「無意識」よりも悪くない概念であるとひそかに私は思っている》、あるいは次の文も。

私には、私の現前する意識には収まりきれないものが非常に多くある。私の幼児体験を初めとして、私の中にあるのかないのか、何かの機会がなければためすことさえない記憶がある。私の意識する対象世界の辺縁には、さまざまの徴候が明滅していて、それは私の知らないそれぞれの世界を開くかのようである。これらは、私の現前世界とある関係にある。それらを「無意識」と呼ぶのはやさしいが、さまざまな無意識がある。フロイト的無意識があり、ユング的無意識もおそらくあるだろう。ふだんは意識されずに動いていて意識により大きな自由性をあたえている、ベルグソンの身体的無意識もある。あるいは、熟練したスポーツなどに没頭する時の特別な意識状態があるだろう。無意識というものを否定する人があるとしても、意識が開放系であり、また緻密ではなく、海綿のように有孔性であることは認めるだろう。そもそも記憶の想起という現象が謎めかしいものである。どういう形で、記憶が私の「無意識」の中に持続しているのかは、いうことができない。もし、私の中にあるものが同時に全部私の意識の中に出現し、私の現前に現れたならば、私は破滅するであろう。それは、四次元の箱を展開して三次元に無理に押し込むようなものだろう。

意識において制限者という機能を重視するようになったのは、最近の生理学であるそうだが、精神医学において、はやくサリヴァンは、意識の幅を狭めて、相反するもの、あまりに多義的なものが始末におえないほど氾濫しないようにするシステムとして「自己システム」というものを想定した。彼の「自己システム」は制限者であり、この点で他の「自己」論と異なっている。

彼によれば、統合失調症以外の病いは、「自己システム」の誤作動によるのであるが、統合失調症だけは「自己システム」の解離力の衰弱によるものである。したがって「せめてアンビヴァレンツであってくれたら」というような多義的な観念が氾濫し、意識はこれに圧倒される。(中井久夫「「世界における索引と徴候」について」『徴候・記憶・外傷』所収)


…………

附記

座談会:来るべき精神分析のためにーー十川幸司/原 和之/立木康介(2009/05/29 岩波書店)より


<精神分析の危機>

(立木)
 これらの現象の共通分母として、ここでは「抑圧」の問題を考えてみたい。フランスで起こっていることを見ていると、抑圧というものが精神分析の前面から後退しているように感じられます。僕が留学した1990年半ば頃、すでに、僕の師匠であるピエール・ブリュノが、パリ第八大学精神分析学科のDEA論文のテーマとして「無意識」や「抑圧」を取り上げる学生がとみに減っている、と言っていました。しかし、僕が精神分析の歴史を振り返るときによく引き合いに出す1914年の「精神分析運動の歴史のために」で、フロイトは抑圧こそが精神分析の基礎柱だと述べています。実際フロイトが神経症の治療から精神分析の理論を組み立てていくとき、最初に碁盤に打った手が抑圧の理論だったといってもいい。神経症の病因論においてセクシュアリティが不可欠な役割を果たしていること、ただしそれは抑圧されたセクシュアリティであることをフロイトはまず発見したわけです。


 同じ論文で、フロイトは他にも精神分析の基本概念を挙げています。「抵抗」、「転移」、そして「子供のセクシュアリティ」ですが、この三つは抑圧と直接にリンクしている。抵抗とは、抑圧されたものが想起されそうになる時に自我が自分で待ったをかけることです。転移も、フロイトは最初から症状と同じものとみなして、抑圧されたものが回帰してくる一つの契機と考えていました。そして、子供のセクシュアリティは抑圧されたものの内容です。だから、フロイトが挙げている四つの概念すべてが最終的には抑圧に行きつく。まさに抑圧は精神分析理論の中心だったのです。ところが、どうも今はそうではないように見える。神経症概念が解体されてしまっただけでなく、まるで神経症的な症状形成のメカニズムそのものが成り立たなくなってしまったかのように、神経症が臨床の中心から退いてしまった。これは裏を返せば、抑圧を中心にした心的経済がもはや重きをもたない状況が現れているということです。


 しかし、こうした状況は本当に1980年代に始まったのでしょうか。抑圧ということで言えば、そもそもラカンには抑圧についての固有の理論が存在しません。ラカンに従って抑圧を定義しようと思えば、可能性は主に二つです。一つは「シェーマL」で、想像的なコミュニケーションが象徴界のコミュニケーションを遮る、つまり無意識の、大文字の他者からのメッセージが主体に届かない、というものですね。もう一つはソシュールのアルゴリズムを転倒させた、分子にシニフィアンが、分母にシニフィエがある図式で、ラカンは分母と分子を隔てる横棒を「意味の抵抗のバー」と呼んでいます。この図式は基本的にメタファーのそれと同じです。ラカンは症状をメタファー(隠喩)で説明するとともに、症状とは抑圧されたものの回帰だというフロイトの考え方を前面に押し出していますから、メタファーの構造は抑圧の構造と同じものと言ってよいと思います。しかし、これ以外にラカンには抑圧を理論的に説明したものがないのです。しかも、シェーマLの図式は、セミネールの第五巻(1957-1958)あたりで、つまりラカンが「欲望のグラフ」の構築に乗り出すに及んで力を失うことになり、メタファーの図式も「対象a」が出てきた時点でいわば廃れていく。だから、ラカンの理論で現実界の問題がいっせいに出てくるとき、抑圧の概念は事実上ほぼ打ち捨てられたようにさえ見えます。


 さらに言うと、実はフロイトでも「死の欲動」が出てきたあと、抑圧の相対的な理論的重要性は減少していると思います。フロイトは例えば死の欲動の抑圧ということは言っていないのではないか。死の欲動については「抑圧」という言葉を使いにくいと思ったのか、そういう箇所は見たことがありません。自我が死の欲動から身を守る時には抑圧と異なるメカニズムが働く、とフロイトは考えていたのです。ということは、実は第一次世界大戦後から、抑圧はもう精神分析の実質的な中心ではなくなっていたのかもしれない。それが1980年代の神経症の解体を受けて、前面に出てきただけなのかもしれません。


 とはいっても、精神分析はやはり抑圧理論に依存していたわけで、例えば神経症と精神病と倒錯を構造の違いとして分ける時にも抑圧理論は大きな役割を果たします。精神病は抑圧とは違う図式で説明される。倒錯もそうです。だから、今はそういったカテゴリーそのものが揺らいでいる。十川さんの今度のお仕事はこうした状況に呼応していると思うんですね。抑圧に関しては、ご本の113頁、コミュニケーションの形の話のところで、コミュニケーションが受け取った形、そこから生まれるコミュニケーションのシステムをフロイト的な意味で「無意識」と呼ぶことができるとおっしゃったあと、「これはフロイトの無意識概念を、抑圧といった問題系からではなく、システム論的観点から捉えなおしたものである」という一言を挿入されている。これは大変重要な点だと思います。抑圧を中心とした議論からシステム論へ、という転換がはっきりと描き出されている。1980年代以降、精神分析が経験している大きな変化の中で、提出されるべくして提出された新しい理論だと感じます。つまり、精神病、神経症、倒錯というカテゴリーや構造的な分類が立ちゆかなくなって、精神分析の枠組みが大きく揺らいでいる時に十川さんの理論が現れたと思うんです。これはわれわれにとって大きな希望の光、いや啓蒙の光と言えるかもしれません。


(……)


十川)……先ほどの「抑圧」についての立木さんの話ですが、抑圧という概念は、確かにフロイトがみずからの理論を組み立てていく初期の段階で中心となっている概念です。それは『防衛-神経精神病』(1894)や、そのころにヴィルヘルム・フリースに宛てた手紙などを読めばよく分かります。そして、この時期に、フロイトはヒステリー、強迫神経症、パラノイアといった精神疾患の病因と症状の機制を、性的外傷を受けた時期、外傷の受け方、抑圧の様式などといった視点から分類しています。これは病因論まで含んだ、非常にスケールの大きい疾病分類です。フロイトは一般には神経症の研究者と捉えられがちですが、彼が全精神疾患を射程に置いた理論の構築を目論んでいたことには注目を向けておきたい。その後、この分類に、不安神経症、倒錯などが組み入れられ、先ほど立木さんが話された神経症、倒錯、精神病という三つのカテゴリーが定着する。この三つのカテゴリーは、精神分析の隆盛期に診断のカテゴリーとして広がり、アメリカの精神医学も長いあいだ、この三つのカテゴリーを維持していた。ところが、フロイトのこのような疾病分類は、検証することができない仮説を前提に置いています。それゆえ、その前提となる考えを共有しない人にとっては、この分類は、実にいい加減なもののように見える。1970年頃のアメリカでよく言われていたのは、アメリカの精神医学は精神分析の影響を受けたせいで、診断学に関しては20年くらい他の国に遅れてしまった、ということでした。その焦りはDSM-IIIに結実することになります。その際に依拠したのが、フロイトと同時代人でありながら、総論的な疾病分類を作り上げたエーミール・クレペリン(1856-1926)です。クレペリンの方法とは、症状の記述と膨大な症例の観察に基づく分類です。そこにはフロイトのような仮説が持ち込まれていないため、、より客観的で科学的であるようにも見える。しかし、フロイトの仮説の是非はともかくとして、現在、フロイトとクレペリンのどちらがより普遍性をもっているかといえば、いまだに抗争中というのが実情ではないでしょうか。このことは精神疾患を分類する作業の難しさをよく示しています。


 さて、今話したのは、抑圧および防衛の疾病分類的な意義についてですが、抑圧という概念の治療論的な意義について言えば、今、この概念を正面きって使う分析家は、自我心理学に属する分析家の一部を除いて、ほとんどいません。無意識的なものを上から押さえつけるという、抑圧という概念がもつイメージが臨床感覚にフィットしないということもあるでしょう。さらに、クライン派の「投影同一化」という概念が浸透したことも大きい。投影同一化という機制は、フロイトが抑圧という概念で説明したことを十分に覆うだけではなく、この概念のほうが、精神病も含めた広い範囲の精神疾患の防衛機制を説明することができます。また、精神医学の領域では、解離というメカニズムが、現代的な主体においては、抑圧よりもよく見られる防衛システムとして捉えられる傾向にあることも、抑圧という概念が背景に退いていった要因となっています。