視野においては、すべてが、二律背反的に行動する二つの項の間に表現される。物の側には視線がある。ということはつまり、物が私を見ている。一方、私にはそれらの物が見える。福音書においてしきりに強調されている、「彼らは、見えないかもしれない眼をもっている」という言葉は、右のように理解されなければならない。何かが見えないかもしれないといっているのか。それはまさしく、物が彼らを見ているということである。(ラカン『セミネールⅩⅠ』)
学生時代、休みになると、彼は漁師に混じって漁に出た。船上の漁師のなかに「プチ・ジャン」とかいう男がいた。その男が、陽光を受けて光っている鰯の缶を指して、ラカンにこう言った。「この缶が見えるかい。本当に見えるかい。でも、その缶にはおまえが見えないんだぜ。」ラカンはこう注釈を加えている。「もしプチ・ジャンが私に言ったこと、つまり缶には私が見えないということに何か意味があったとしたら、それは、ある意味で、それにもかかわらず缶は私を見ていた、ということです」。
なぜ缶は彼を見ていたのか。(……)それは「私がいわば絵の中の染みの役割を演じていたからです」。大変な苦労をして日々の糧を稼いでいる無教育な漁師たちの間で、ラカンはまったく場違いだった。(ジジェク『斜めから見る』p223)
ラカンの「眼差し」(対象a)の叙述だが、小林秀雄の勾玉講演をめぐって、《勾玉の方が自分を見ている》と書いているひとがいる。
講演の冒頭で、小林は次のように話します。今現在、大規模な展覧会が盛んに開かれたり、詳しい研究がなされたり、アートはとても盛んである。みんな知識だけはいっぱい持っている。しかし、本当にアートがわかる人なんて、ほとんどいないのではないか。行列を作って、本物の有名な作品を見に行ったって、およそ無意味である。それよりは、小さな勾玉のようなものでいいから、いつも傍に置いて、時間をかけてゆっくり対話をするといったことの方が、感性も磨かれるし、ずっといろいろなことがわかって来て有意義である、とまあ、大体こんなことを語っています。
(……)今の人間は、このように時間をかけてゆっくり親しむというのが、とても不得手です。そこに明確な正解などというものが、まったく保障されていない世界に入って行くのを、とても怖がります。小林は掌の中の勾玉とじっくり話しているうちに、自分が勾玉を見ているのではなくて、むしろ勾玉の方が自分を見ているのではないかという気分になったといいます。そしてこの勾玉の形は、命というものが最初に形を持ったとしたら、もしかしたらこんなふうになるんじゃないだろうか、という結論に至ります。もちろん、これが正解かどうかはわかりません。ただそこへ至るプロセスの中に、言葉では語り尽くせない豊かな感性の冒険があるのです。それが、アートと接するときに一番重要なことなのです。知識も解釈も、そんなものは、第二義的な、後付けの理屈に過ぎません。(小林秀雄の勾玉の話)
これは前投稿「戀戀風塵と童年往事(侯孝賢)」にもかかわるのだけれど、芸術を語っていながら、こういったことが見えてこないヤツというのは、「相対的には聡明なガキ」とでも呼ぶほかない(形式的、あるは構造分析、--つまり要素に分解すること、その諸要素の組み合わせが示す表情をくまなく記述するのが肝要であるのは当然にしても)。
対象aやら、「対象が自分を見ている」とまで言わなくてもよい。たとえばプルースト。
対象aやら、「対象が自分を見ている」とまで言わなくてもよい。たとえばプルースト。
……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルーストの「囚われの女」井上究一郎訳)
ただ、かつて小林秀雄の亜流で「おのれを語るばかり」の連中が輩出したことへの反省というものは間違いなくあるのだろう。
大江:浅田さんには「自分は単なる明晰にすぎない」という、つつましい自己規定があるんですね。明晰な判断力ではとらえきれないものがあって、それは明晰さより上のレベルだと思っていられる。天才というようなものが働くレベルというか。文学というあいまいな場所で生きている人間からすると、上等な誤解を受けている気がします・・・・・・(笑い)。
浅田:ところが不思議な転倒現象があるんです。戦後の文学界で最も明晰なのは三島由紀夫であり、明晰であるべき批評家たちが不透明に情念を語ることに終始したんですね。三島は、最初から作品の終わりが見え、そこから計算しつくされたやり方で作品を組み立てて、きらびやかであるだけいっそう空虚な言葉の結晶を残した。他方、小林秀雄の亜流の批評家たちは、作品をダシにおのれを語るばかりだった。二重の貧困です。(平成2年5月1日朝日新聞夕刊 対談 大江健三郎&浅田彰)
「自分だけが見えてしまう」やら「安っぽいレトリック」やらとの相剋もある (共同討議)「芸術の理念と<日本>」 浅田彰、磯崎新、岡崎乾二郎、柄谷行人 『批評空間No.10 1993年)
相対的には聡明な連中から次のような人材が育つなら、彼らが対象aにかかわらなくても文句はいわないがね(平倉圭はどうなのだろう)。
だけど僕の夢は、本当の構造主義者が日本に出現することなんです。別に文学に限らないけれど、徹底的な構造分析を本気で試み、しかもそれで成功する人がね。成功というのは、その結果で人を納得させるんじゃなく、対象を分析してそれを言説化してゆく手続きで人を恐れさせるような仕事です。それがいないんだ。(蓮實重彦『闘争のエチカ』 P167
そのうち資料をいくらかまとめてみよう(勾玉批判の話もあったはずだ)。