2000年から2013年の高橋悠治の水牛連載のエッセイを通して読んでみて、今度は「音楽の反方法論序説」(青空文庫、1997
年)を読み返した。読み返したというより、前はまともに読んでいなかったのだろう、今回のように驚愕した、ということは以前はなかった、――などと、わたくしが感想を書いても到し方ないので、今福龍太氏の言葉を抜き出す。
『インターコミュニケーション』という雑誌に5年間連載されたもので、この雑誌にはぼくも何回か書いたことがあるので、 悠治さんの文章のかなりのものは一度目を通してたはずなんですけど、これだけまとまったかたちで読んで、正直に言って驚嘆、というか驚愕したんです。これ はとてつもないテキストだな、と直感しました。(……)非常に本質的な言葉だけでか書かれた文章として「音楽の反方法論序説」のメッセージは特別に強烈で、かつアクチュアルで した。(……)「音楽の反方法論」を読んですごくぼくが感じたのは、これがある意味で現在の高橋悠治という 音楽家の本質的な思考のひとつの断面であるとすれば、この文章から受けるぼく自身の印象は、やっぱり25年ほど前にですね、悠治さんのコンサートにいて、 ぼくがそこから受け取っていた何か非常に突き詰められた、エッセンシャルな方法論への指向性と、同じものだということです。つまり25年前の悠治さんのコ ンサートも、それは単なる音楽じゃなかったんです。はじめから単なる音楽じゃなかった。ではそれは何なのか、っていうことを常に突きつけられながらぼくは ひたすら演奏会に足を運んでいた記憶があるんですね。そしてその問いかけにたいする非常に明快で深いひとつの教えを、「音楽の反方法論」は与えてくれたよ うな気がする。(「音楽の時間」―高橋悠治・今福龍太 音楽を句読点とした対話―2000.11)
「音楽の反方法論的序説」には、高橋悠治とたしか四十年近い交遊があったマセダの言葉が後半に引かれている。
フィリピンの作曲家にして音楽学者ホセ・マセダが
何年も前に言っていたことがある。
正確な言い回しではないが、このようなことだ。
「一人の名人を百人が聞く。
百人は聞いて、立ち去る。それが限界だ。
一人が百の太鼓をあやつることもできる。
百人が一つずつ太鼓をもつこともできる」
また、
「バッハもモーツァルトも、支配者のために書いた。
音楽で支配関係を表現した。
みんながわずかなものをわけあって生きることを
あらわす音楽はなかった」
《京都のホテルにいたクセナキスをホセ・マセダと訪ねる。マセダは後で、クセナキスはヨーロッパ的なピッチ支配から逃れたいのだろうと言った。「ア ジアでは5つの音でじゅうぶんだ。」
クセナキスの『キアニア」とマセダの『ディステンペラメント(平均律の解体)』をおなじコンサートで指揮する。マセダはクセナキスの音楽は暴力的 だと言う。クセナキスにコンサートの録音を送ると、マセダの音楽は奇っ怪だという返事。》(「
だれ、どこ」)
◆J
ose Maceda - Pagsamba: agnus
高橋悠治はしばしばコンサート批判を重ねてきた。
クラッシク音楽が、聴き手にとってはとっくに死んだものであることに気づかずに、または気づかぬふりをして、まじめな音楽家たちは今日もしのぎをけずり、おたがいをけおとしあい、権力欲にうごかされて、はしりつづけている。音楽産業はどうしようもない不況で、大資本や国家が手をださなければなりたたないというのに、音楽市場はけっこう繁栄している。これほどのからさわぎも、そのななから、人びとにとって意味のあるあたらしい音楽文化をうみだすことに成功してはいない。(「家具になった音楽」高橋悠治 讀賣新聞 1982年10月21日付け夕刊のグールド追悼記事より)
だが、「音楽の反方法論的序説」には、次のようにも書かれている。
人びとがあつまるとき、
行事であれ、儀式であれ、
ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、
音楽がそこにあれば、楽しい。
それがなくても、人びとはあつまるが、
音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、
ふかいやすらぎで飾る。
コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。
争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、
そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、
それらすべてが音楽ではなかったろうか。
いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、
踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、
音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。
それでも、コンサートは否定されるべきものだ、
と言うことはない。
コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。
それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、
コンサートは音楽の場でありつづける。
別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。
人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、
音楽の場は変わらないだろう。
この文から、度重なる現在の形式のコンサート批判は
音楽への強い<愛>のなせる技であったことを
読みとれないひとはいないはずだ。
高橋悠治は「無礼な義務」を引き受けてきたのだ。
たとえばニュートンの有名なリンゴは重力の法則を知っていたから落ちたのだ、などという言い方は馬鹿げているとしか思われない。しかしながら、仮にそうした言い方がただの無内容な洒落だったとしても、われわれは、そうした発想がどうしてこれほど頻繁にコミックスやアニメの中に登場するのか、という疑問をもたねばならない。猫が、前方に断崖があるのも知らず、必死にネズミを追いかけている。ところが、足元の大地が消え去った後もなお、猫は落下せずにネズミを追いかけ続ける。猫が下を見て、自分が空中に浮かんでいることを見た瞬間、猫は落ちる。まるで<現実界>が一瞬、どの法則に従うべきかを忘れたかのようだ。猫が下を見た瞬間、<現実界>はその法則を「思い出し」、それにしたがって行動する。こうした場面が繰り返し作られるのは、それらがある種の初歩的な幻想のシナリオに支えられているからにちがいない。この推量をさらに一歩すすめるならば、フロイトが『夢判断』の中で挙げている、自分が死んだことを知らない父親という有名な夢の例にも、これと同じパラドックスが見出される。アニメの猫が、自分の足の下に大地がないことを知らないがゆえに走り続けるのと同じように、その父親は、自分が死んだことを知らないがゆえに今なお生きているのである。三つ目の例を挙げよう。それはエルバ島におけるナポレオンだ。歴史的には彼はすでに死んでいた(すなわち彼の出る幕は閉じ、彼の役割は終わっていた)が、自分の死に気づいていないことによって彼はまだ生きていた(まだ歴史の舞台から下りていなかった)。だからこそ彼はワーテルローで再び敗北し、「二度死ぬ」はめになったのである。ある種の国家あるいはイデオロギー装置に関して、われわれはしばしばそれと同じような感じを抱く。すなわち、それらは明らかに時代錯誤的であるのに、そのことを知らないためにしぶとく生き残る。誰かが、この不愉快な事実をそれらに思い出させるという無礼な義務を引き受けなくてはならないのだ。(ジジェク『 斜めから見る』p89-90)
なぜ無礼な義務を引き受けたのか
コンサートで交響曲やらオペラを聴く
指揮者がすべてをコントロールする
聴衆はそれをうやうやしく傾聴する
あれはヒットラーの演説に聴き入る
観衆とどこか違うのか
そこにある熱狂や忘我と陶酔
あるいは支配と統制の論理
フルトヴェングラーを通じてカラヤンに至るようなロマン主義的な演奏のスタイル、どんな音楽でもヴァーグナーのように巨大なオーケストラを使ってドラマティックに演奏してしまうスタイル(……)。カラヤンに至ると、縦の線をほとんど無視してテンポを主観的に伸縮させながら音楽を流線型の華麗な流れと化し、半強制的な感情移入によって聴衆をそのなかに引きずり込んでいく、というようになる。ある種、ファシズム的な美学ですね。それは言い過ぎだといても、後期資本主義社会における「聴取の退化」(アドルノ)の典型です。(浅田彰)
《近代国家はオーケストラを必要とする
オリンピックで日の丸があがるとき
オーケストラがなかったら だれが君が代を演奏するのだ
アジアを威嚇する
あの大太鼓のどろどろも
オーケストラだけではなく
指揮者 楽譜 作曲家も
国家マシンの一部
この制度をそのままに
ユートピアを夢見ても
灰色のオーケストラの音が呼び起こすのは
北の みたされることのない欠乏の論理 》(音の静寂静寂の音4)
《ダライラマ法王と音楽の話をした
(……)
音楽はひとを戦いに 駆り立て
民族主義に引き込むこともある
音楽は人びとの感じ方に影響をあたえることができる
だから
あなたには責任があります
と法王は言われた
「音楽の反方法論的序説」には
《近年は音楽家の友人たちが、病に倒れ、
死んでいくのを見てきた。
そのとき、仕事がなんのたすけになるだろう。
音楽は、生のプロセスを変えることはできない。
水牛楽団のころ、
音楽は社会を変える力はないと知ったときのように、
それを知っても、音楽をやめることはできなかった。
それは、やはり執着というものだろう。》
ともある。
「音楽なんかなくても生きていける」と
あたかも吐き捨てたように語る
あの同じ高橋悠治がここにいる。
音楽は詩と同じく世界にたいして微小な力でしかないだろう。
詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(「芸術」「詩」の役割をめぐって(浅田彰、谷川俊太郎))
核心箇所の多くは、いまだ十分消化できていないので、これくらいにする。
次に「音楽の反方法論的序説」から抜粋するのは、「閑話休題」とあるように比較的軽い箇所のひとつ。
浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』の批判(=吟味)の文だが、この書はいままでしばしば引用してきた(わたくしにとって、ヴィリリオの「事故の博物館」、ジジェク、とくにその「メタ・レイシズム」の箇所、サイードとの対話が強い印象を残してくれている)。
《対話の最後に柄谷行人がくる。
この操作された順番で、
それまで知のシステムのあいだをくぐっては、
パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、
そのからくりに気づかずに
「世界」についての思いこみをひたすら独語する
お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、
群れのなかの相似形の疑似対話で、
知の円環は閉じられる。
この気を許した人間関係は、日本的「ホンネ」の共同体と
どこがちがうのだろう。》
とある。
浅田彰に「パロディー化されたお人よしの知識人」とされる人たちは、
フクヤマ、ジジェク、サイード、リピエッツ、ボードリヤール、バラード、ヴィリリオ、ギュンター、ロトランジェ、リオタール。
日本における「群れのなかの相似形の疑似対話」ーー
今、「ヨーロッパ中心主義」の対話者たちは
柄谷や浅田よりもひどく小粒化したが
粒が小さければ、よりいっそう繁殖するのか
もっともらしい顔で会話している「評論家」やら「研究者」の
なんというウィルスぶりよ
あるいは、少なくとも次のようなインテリたちの跳梁跋扈
《知識人たちは、
知っているものが、知っていることを
知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。》
などと引用すれば
似非インテリとしてときに振舞っていないでもない
己れに跳ね返ってくるのは重々承知はしているけれどさ
まあどこを覗いてもそんなヤツラばかりだね
最も厄介なのは
「合理」やら「実証」、「論理」やら「冷静」
あるいは「誠実」、「無邪気」などの「仮面」を被りつつ
自己顕示欲のにおいを振りまく
「厚顔無恥」な連中じゃないかい?
その「はしたない」手合いが
知らないものに教えてやるという姿勢でものを言う
さらにそのウィルスに感染して
「にわかインテリ」病に罹患している手合いさえ
枚挙に暇がない
…………
音楽の反方法論序説 10
閑話休題 知の枷
(「コンピュータ音楽
2」は、3
月にパリで
UPIC システムをつかって作業をしながら書こう
と思ったが、それでは期日に間に合わない。そこで)
浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』は
11 人の知識人との対話集だが、
これを読んで奇妙に思ったことをいくつか。
ここに登場する知識人はほとんどがヨーロッパ人であり、
ヨーロッパ中心主義がくりかえし批判されるにもかかわらず、
ヨーロッパの外を見る視点はやはりヨーロッパ人のものでしかない。
パレスチナ人サイードと、おそらくジジェクを除いて、
外部からの視点が存在することを意識しているものさえいない。
「知の世界」にはアフリカ人もメキシコ人もブラジル人もいない。
そしてアジア人も。(柄谷行人は、日本語をしゃべっているから
アジア人だと言えるのだろうか。)
タンザニアの女たちが薪を拾い集めるかわりに
コンロをあたえてやればいい、とか、
南を援助してやらなければならない、とか、
かれらに見えている非ヨーロッパは、相も変わらず
国家や権力や、原理主義でなければ、
抽象化された人間、対象物、標本としての原住民でしかないのか。
考える人間はヨーロッパにしかいないから、
あたえられる側の人間がどう考えようが、
世界はヨーロッパ人 (あるいはアメリカ人) が考えた通りのものだ
という、意識にさえのぼらない前提。
単線的な歴史の時間と生産向上の神話は、
思考の対象として否定されているかもしれないが、
思考様式はすこしも変わっていない。
何かが終わった、と判断する知性も、
自分自身も終わった側にいるのだとは思っていない。
復古主義や野蛮への退行の危険が指摘されるが、
それらのいかにももっともなことばは、
自分たちではなく「あの連中」が
世界について考えることは許せない、
なぜなら世界 (ことば) はこちら側にあり、
ヨーロッパ標準時で進んでいるのだから、
というようにしかきこえない。
多元的な時間の出会う場としての世界史は
SF にすぎないとでも思っているのだろうか。
使えるものは何でも回収するナチズムや消費社会、
より一般的には資本主義のありかたが話題になるが、
ヨーロッパ的知性がそれとおなじことをやっている、
しかも善意から、
ということは認めようとしない、あるいは見えない。
(ここで、ノーノやヘンツェに対するキューバの音楽家の、
アイロニカルな友情を思い出す。
かれらが自分の意志でやってきて、
キューバ文化を理解しようとしたことについての感謝と、
かれらの善意にもかかわらず、それさえも
ヨーロッパによる知的収奪の一部であることに
かれらが気づかないことについての、ちょっとしたコメント。)
すべてを回収するのは、
ヨーロッパ的時間の一元論にとっては自然なのかもしれない。
すべてについてイエスかノーかを言えなければならなければ、
言うことによって、すべてを知のなかにとりこんでしまうのだろう。
どの対談を読んでも、知識人たちは、
知っているものが、知っていることを
知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。
(もっとも、かれらはインタビューをうけている、
と思いこんでいるはずで、対話という意識さえないのだろうが。)
それが、ヴィリリオのいうリアルタイム・インタフェースの
じっさいの姿なのだろう。
相手かまわず超高速のフランス語で、
思想のウイルスを過剰露出する。
それが、たちまち回収済みの情報になって、
次の相手との対話で虚仮にされるとは、思ってもみないだろう。
歴史の反復はコッケイなだけだ、とマルクスは思っていたらしいが、
現在の「世界」、つまりヨーロッパの、知識人は、
かつてのヨーロッパ知識人の茶番としての反復にすぎない、
(のかもしれない、) という思いが
一瞬でもかれらの頭をよぎったことがあるだろうか。
対話の最後に柄谷行人がくる。
この操作された順番で、
それまで知のシステムのあいだをくぐっては、
パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、
そのからくりに気づかずに
「世界」についての思いこみをひたすら独語する
お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、
群れのなかの相似形の疑似対話で、
知の円環は閉じられる。
この気を許した人間関係は、日本的「ホンネ」の共同体と
どこがちがうのだろう。
知的天皇制の雰囲気のもとでこそできることではないのか。
(この最後の対話は、日本語という「外部」の言語に
安住しているからできるようなものだ。
この本がもし、英語かフランス語で出版されていたら
論争にまきこまれることになっただろう。)
フランスの理論がアメリカでは大学共同体の「学術」になり、
それがめぐりめぐって日本では
疑似孤立群の世界早解り談義になるのか。
この群れは、一元的普遍に世界をとりこんだあげく
外部を失って自己崩壊するヨーロッパ的知の
貧しいコピーでもいいから、「世界」の内側に席を確保したい、
という願望から、
知的三極構造のなかの日本を忠実に演じているのか。
外部についての知は既成のシステムへの回収にすぎない、
というようなことを書いたのは柄谷行人ではなかったか。
書くことだけならだれでもできるが、
回収されている自覚もなく、世界の見取図を語っているのは、
かつての柄谷行人の影なのか。
回収作業が知識人の習性になっているようでは、
創造 (想像) 力のはたらく余地をあらかじめ塞いでしまい、
過剰ゆえに無力なことばをつらねるか、
現実追認を近未来予見に偽装することができるばかりだ。
近視眼的な図解は転換へのインパクトをもてないだろう。
こういうパフォーマンスを見ていると、外部にとどまるには、
自分が世界のなかで無力であり、無知である
と認めるところからはじめる以外にはないのではないか、と思ってしまう。
無害無力な未知のものが文明の足元に立ちあがる。
カタストロフィ点とはこういうものだろう。
文明内部での文明批判は、じつは
この恐怖感を覆い隠すために費やされていることば
ではないだろうか。
…………
もっとも、次の批判
《外部についての知は既成のシステムへの回収にすぎない、
というようなことを書いたのは柄谷行人ではなかったか。
書くことだけならだれでもできるが、
回収されている自覚もなく、世界の見取図を語っているのは、
かつての柄谷行人の影なのか。》
あるいは
《外部にとどまるには、
自分が世界のなかで無力であり、無知である
と認めるところからはじめる以外にはないのではないか》
については、『トランス・クリティーク』から
次の文を掲げておこう。
カントは、われわれは物自体を思惟することはできるが直観できない、そして、この区別がないかぎり、アンチノミーに陥らざるをえないのだ、と述べた。(……)
われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれは世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかいないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている、と。(『トランスクリティーク』P139)