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2013年9月30日月曜日

「大量の馬鹿が書くようになった時代」

物心ついたときから携帯電話とインターネットが当り前の世代

1995年がインターネット元年だとしたら
同じ頃、携帯電話の所持者の増大があった
ここで仮に2000年に15歳前後だった若者以降の世代としよう

《携帯電話の普及が心の襞まで書き込む男女のあや
というべきものを奪い取ってしまった》(古井由吉『人生の色気』)
誰もがインターネットへ書き込む世代
ひとは大きく変わりつつある
それは間違いない
一九世紀の中葉以来の文化的事件のさなかともいうべきか

……一八六三年の二月一日に一部五サンチームで売り出された小紙面の『ル・プチ・シュルナル』紙は、その安易な文体と情報の単純さによって、日刊紙としては初めて数十万単位の読者を獲得することに成功する。一八五〇年当時、パリの全日刊紙をあわせても三十万程度であったことを考えれば、一紙で三十五万の読者を持つ『ル・プチ・シュルナル』紙の創刊は、言葉の真に意味でマス・メディアと呼ばれるにふさわしいものの出現を意味することになる。(……)ここでの成功が、みずからの凡庸さを装いうるジャーナリストの勇気に負うものだという点を見落としてはなるまい。人類は、おそらく、一八六三年に、初めて大量の馬鹿を相手にする企業としての新聞を発明したのである。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』p380)

百年後の歴史家は
このインターネットの時代をなんというだろう
大量の馬鹿が書くようになった時代か


蓮實重彦はさいきんでも繰り返す、
「現在地球に暮らす人々がこんなにまで活字に接している時代は
人類史上なかった」
インターネットだって大半は活字なんだから、
問題はむしろ活字があまりに多くの人によって読まれていることであって、
「読むという秘儀がもたらす淫靡な体験が
何の羞恥心もなく共有されてしまっているという不吉さ」(蓮實重彦『随筆』)


人びとは驚くほど馬鹿になっています」(ゴダール)やら
《フローベールの愚かさに対する見方のなかでもっともショッキングでもあれば、またもっとも言語道断なことは、愚かさは、科学、技術、進歩、近代性を前にしても消え去ることはないということであり、それどころか、進歩とともに、愚かさもまた進歩する! ということです》(クンデラ「エルサレム講演」『小説の精神』所収)

フローベールは、自分のまわりの人々が知ったかぶりを気取るために口にするさまざまの紋切り型の常套語を、底意地の悪い情熱を傾けて集めています。それをもとに、彼はあの有名な『紋切型辞典』を作ったのでした。この辞典の表題を使って、次のようにいっておきましょう。すなわち、現代の愚かさは無知を意味するのではなく、先入見の無思想を意味するのだと。フローベールの発見は、世界の未来にとってはマルクスやフロイトの革命的な思想よりも重要です。といいますのも、階級闘争のない未来、あるいは精神分析のない未来を想像することはできるとしても、さまざまの先入見のとどめがたい増大ぬきに未来を想像することはできないからです。これらの先入見はコンピューターに入力され、マス・メディアに流布されて、やがてひとつの力となる危険がありますし、この力によってあらゆる独創的で個人的な思想が粉砕され、かくて近代ヨーロッパの文化の本質そのものが息の根をとめられてしまうことになるでしょう。(「エルサレム講演」)


馬鹿、馬鹿といっていてもいたしかたない
すこしでも馬鹿でないようにするには
どうしたらいいのか
それが肝要ではある
と言ってみたりするのは馬鹿の紋切型だ

フローベールの『紋切型辞典』をめぐって


「人びとは驚くほど馬鹿になっています」

性的な対象が、簡単に手に入るせいで──価値を高めるような障害がないせいで──どんどん価値を下げている時代である今日において、交接する欲望をどうよみがえらせるか。(ジジェク「仮想化された現実/仮想化しきれない残余」)

 などと引用したからといって、性的「交接」の話をするつもりはない

したいのは、音楽と交接する欲望をどうよみがえらせるか、という話だ

PCに比較的高音質なスピーカーをつないで
CDから変換したファイルやYouTube
音楽を聴くことがほとんどなのだが
手間暇かけずに
たとえばレコード時代の、
ジャケットから慎重にレコード盤を取り出し、
盤の表面や針の埃を払うなどの神聖な儀式を経ずに
(この儀式はヴェール機能、
アウラや対象aを生み出すことに貢献していたはずだ)
コンピュータや携帯端末の簡単な操作だけで
随意に気に入りの曲や好みの箇所だけを
聴くなどということになっている

以前よりも聴くことが減っているかどうか
それは判然としないが
集中して聴くことは間違いなく減っている
あるいはYouTubeなど音質は劣るにせよ
かつての少年なら宝の山のはずなのに
多くの宝を熱心に探し求めることなどもない
これはなにも音楽だけではない
あらゆる情報が簡単に入手可能なら
それらの情報の価値はかぎりなく低下する
「集められる情報量と情報の価値は反比例するらしい」

強迫的に映画を録画しまくるビデオ・マニア(私もそのひとりだ)ならほとんど誰もが知っているはずだ。--ビデオデッキを買うと、テレビしかなかった古き良き時代よりも観る映画の本数が減るということを。われわれは忙しくてテレビなど観ている暇がないので、夜の貴重な時間を無駄にしないために、ビデオに録画しておく。後で観るためだ(実際にはほとんど観る時間はない)。実際には映画を観なくとも、大好きな映画が自分のビデオ・ライブラリに入っていると考えるだけで、深い満足感が得られ、ときには深くリラックスし、無為(far niente)という極上の時を過ごすことができる。まるでビデオデッキが私のために、私の代わりに、映画を観てくれるかのようだ。ここではビデオデッキが<大文字の他者>、すなわち象徴的登録の媒体を体現している。今日ではポルノですらますます相互受動的な働きをしている。もはやポルノ映画はユーザーを興奮させ、孤独な自慰行為に駆り立てるための手段ではない。「行為がおこなわれている」スクリーンを観ているだけで充分であり、私の代わりに他人がセックスを楽しんでいるのを観察するだけで、私たちは満足する。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

まずは、隣りに住むふたりの叔父たちの
収集したレコードを聴いて育ったのだが
叔父たちの世代はレコード一枚買うのに
月収の十分の一くらいの費用を払って購入したはずだ
そんなふうにした手に入れたレコードは
たとえ最初は気に入らなくても何度も聴いてみる
少年も奇妙な曲だと感じつつ何度も聴いた
こうして愛するようになった作品はたくさんある

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」井上究一郎訳)


いまではこういうことは少ないのではないか
はじめはみにくい女たちのようにしか見えなかったら
それでおしまい
次の曲に向かう
上っ面だけのうつくしい女を求めて

作り手のほうもそれがわかっているから
最初から上っ面のうつくしい女を作る
しまいにはそればかりの技術が磨かれる
長く付き合えば思いがけなく魅力的なうちとけた女
そんなものはうっちゃって

自分の耳や眼が先例と慣習によって汚されている
そして貴重なものを取り逃がしている
そんなことは思ってみもしない


「ガムランでは大きなゴング、雅楽では大きな太鼓が 
最後の拍に打たれるが、長い余韻やアクセントのために 
西洋音楽に慣れた耳はそれを最初の拍として聴く。」(高橋悠治

かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』 より)

訓練された耳ほど音がきこえなくなっている
そんな場合だってあるのだ
だが自らの感受性を疑ったこともない
そんな奴らばかり
「人びとは驚くほど馬鹿になっています」

連中は何もいうことがないので、名前だけでものをいうのです。テレビは、対話というか、そうした話題をめぐって話をする能力を確かに高めはしました。だが、見る能力、聴く能力の進歩に関しては何ももたらしていない。私が『リア王』にクレジット・タイトルをつけなかったのはそのこととも関係を持っています。

ふと、知らないメロディを聞いて、ああ、これは何だろうと惹きつけられることがあるでしょう。それと同じように、美しい映像に惹きつけられて、ああ、これは何だろうと人びとに思ってもらえるような映画を作ってみたいのです。しかし、名前がわからないということは人を不安におとしいれます。新聞やテレビも、一年間ぐらい絶対に固有名を使わず、たんに、彼、彼女、彼らという主語で事件を語ってみるといい。人びとは名前を発音できないために不安にもなるでしょうが、題名も作曲者もわからないメロディにふと惹きつけられるように、事件に対して別の接し方ができるかもしれません。

いま、人びとは驚くほど馬鹿になっています。彼らにわからないことを説明するにはものすごく時間がかかる。だから、生活のリズムもきわめてゆっくりしたものになっていきます。しかし、いまの私には、他人の悪口をいうことは許されません。ますます孤立して映画が撮れなくなってしまうからです。馬鹿馬鹿しいことを笑うにしても、最低二人の人間は必要でしょう(笑)。(ゴダール「憎しみの時代は終り、愛の時代が始まったと確信したい」(1987年8月15日、於スイス・ロール村――蓮實重彦インタヴュー集『光をめぐって』所収)



こんな時代に
交接する欲望を回復するのにはどうしたらいいのか
自己との距離をとること
なんとも厳しい途


「『偶像の黄昏』でしたか、ニーチェがおもしろいことを言っていて、ルネッサンスのような『強い』時代には、人と人との間、階級と階級との間に距離があり、その距離にパトスがみなぎっていた。そのパトスを通じてこそ、自分が自分自身になり、自分を他から卓越させたいという欲望が実現されたんだと。ニーチェ自身の生きていた十九世紀後半のドイツはそういう『強い』時代ではあり得ないという嘆きなんでしょうが、さらに時代がくだって、我々はそれよりさらにいっそう『弱い』時代を生きている。『距離のパトス』が失われているんですね。そうすると、結局、個人ひとりひとりが自分自身の内面に無理やり『距離』をつくり出していくしかない。これは何とも厳しい途ですよね。切羽詰った力業によって、そのつど捏造されるほかない文学の発生でしょう」。(松浦)(古井由吉・松浦寿輝『色と空のあわいで』)


続く→「大量の馬鹿が書くようになった時代



2013年9月29日日曜日

アウラと対象a

The semblant in Lacan
First, though a word on its significance. The importance of the concept is indicated by Lacan's description of objet a as a semblant that fills the void left by the loss of the primary object. If we can explore the nature of this semblant, we shall be able to come to a better understanding of some aspects of objet a. For Lacan a semblant is an object of enjoyment that is both seductive and deceptive. The subject both believes and doesn't believe in semblants but in any case opts for them over the real thing because paradoxically they are a source of satisfaction, better than the real thing that one avoids any encounter with at all cost. Or more accurately, because the semblant fills a lack, we should say that the semblant comes to the place where something should be but isn't, and where its lack produces affects focusing on anxiety. (The Concept of Semblant in Lacan's Teaching • .........Russell Grigg)

Russell Griggが指摘するように
サンブラン(みせかけ)は対象aであったり
フェティシュ(呪物)であったりする
 ラカンのセミネールにおける[対象aとしての声もサンブラン
ということになる
咳払いやらため息、喉を鳴らしたり、言葉を噛み含めたりする
そこに生じる間合い、それが意図的なものでないにしろ
サンブランとして機能する

それは「無」を覆う。覆うことによって
なにかが隠されているような幻想の効果を生む。

The key formula of semblance was proposed by J‐A. Miller: semblance is a mask (veil) of nothing. Here, of course, the link with the fetish offers itself: a fetish is also an object that conceals the void. Semblance is like a veil, a veil which veils nothing—its function is to create the illusion that there is something hidden beneath the veil.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING)


などと書いていれば
なんでもサンブランになってしまう
「知を想定されて主体」もサンブランだ
いやそれどころか$(斜線を引かれた主体)
――主体そのものがサンブランではないのか
その問いはこの際、脇にやる(つまり考えたくない)

ところでアウラはサンブラン、あるいは対象aであろうか

そもそもアウラとは何か。空間と時間の織りなす不可思議な織物である。すなわち、どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的に現われているものである。(ベンヤミン「写真小史」)

不可思議な織物とかある遠さが一回的に現れるものだと?
ご本家がこれじゃいたしかたない
アウラが消えていくことについての
ベンヤミンの説明はうなずけるにしろ

芸術作品が技術的に複製可能になった時代に衰退してゆくもの、それは芸術作品のアウラである。この過程はある徴候である。この過程のもつ意味は、芸術の分野をはるかに超えて広がってゆく。(……)

対象をその被いから取り出すこと、アウラを崩壊させることは、ある種の知覚の特徴である。この知覚は、〈世の中に存在する同種性に対する感覚〉をきわめて発達させているので、複製という手段によって、一回的なものからも同種性を見てとるのである。視覚の領域においてこのような現われ方をしているものは、理論の領域において、統計の重要性の増大として顕在化しつつあるものにほかならない。現実を大衆に合わせ、大衆を現実に合わせてゆくことは、思考にとっても視覚にとっても、無限の影響力をもつ過程である。(「複製技術時代の芸術作品」ヴァルター・ベンヤミン)


対象をその被いから取り出すこと、
そのときアウラもサンブラン、対象aも崩壊する
それはどうやら間違いないらしい

No wonder expressionism is usually associated with anxiety: anxiety arises when the gaze‐object is displayed too directly.76 Benjamin noted that the aura surrounding an object signals that it returns the gaze; he simply forgot to add that the auratic effect arises when this gaze is covered up, “gentrified”—the moment this cover is removed, the aura changes into a nightmare, the gaze becomes that of Medusa. (ZIZEK" LESS THAN NOTHING")

ヴェールの下にはなにもないといいながら
メドゥーサの頭ぐらいはあるらしい
ようするに享楽のねばねばした化け物さ





ではアウラはどうやって生まれるのか
無を被い隠すことさ、
ミレールがサンブランの定義で言うとおり

ヒッチコック映画における恋愛の役割に目を向けてみよう。それは、「無から」突然生まれ、ヒッチコック的なカップルの救済を可能にする、一連の「奇跡」である。言い換えれば、恋愛は、ジョン・エルスターが「本質的な副産物であるような状態」と呼ぶものの好例である。すなわち、あらかじめ予想したり意識的決定によって引き受けたりすることのできない、最も奥深い感情である(私は自分に対して「これからあの女性に恋をしよう」とは言えない。あるとき、恋をしていることに気づくのだ)。エルスターはそうした状態のリストを掲げているが、その中には「尊敬」とか「威厳」といった概念も含まれている。もし私が意識的に威厳を保とうとしたり、他人から尊敬を集めようとしたら、滑稽な結果になってしまうだろう。きっと私は下手な役者のように見えることだろう。これらの状態の根本的パラドックスはこうだーーそれらはきわめて重要なのだが、それをわれわれの行動の直接的な目標にしたとたん、逃げていってしまうのである。そうした状態をもたらす唯一の方法は、その状態をめざして行動するのではなく、他の目標を追求し、それらが「自然」に生まれるのを望むことである。たしかにそれらはわれわれの行動に属しているが、究極的には、われわれが何をするかによってではなく、われわれが何であるかによってわれわれに属している何かなのである。このわれわれの行動の「副産物」にラカンが与えた名前は<対象a>である。これは隠された財宝、「われわれの中にあって、われわれ以上のもの」、すなわち、われわれの肯定的特質のいずれと結びつけることもできないにもかかわらず、われわれの行動すべてに魔法のオーラを投げかける、捉えどころがなく、手の届かないXである。(ジジェク『斜めから見る』p148)


アウラを生み出したかったら
まずはマスクしろよ
スター性などというものはそこからはじまる
ツイッターなどで己れの恥部まで見せびらかしていたら
アウラなんて生まれるわけがないじゃないか
「女」は本能的にわかっているぜ
そのあいだの消息を

それとも
さいきんの連中は、ファンタジーやらアウラは諦めたのか
滑稽にみえるかもな
ふつうの精神病の時代は
ラカンの幻想の式は通用しないらしいからな


いずれにせよ現代は次の如くらしいから
アウラ狙いでも
マスクはほどほどにしておけよ


コプチェクによれば、恥じらわねばならない場面に直面させぬよう、覆い隠し、保護することは一見よいことに思えるが、不安にさせる「余剰」全てを露呈し、不安を取り除こうとする現代において、隠しておくべき秘密として秘匿しておくこと自体が、暴こうとする不当な行為に弁解を与え続けることになりかねないと警告する。(2006/10/8 Joan Copjec (コプチェク)講演会

つまりもうアウラなんてものは危険なだけらしいな
厄介な時代さ


…………

附記:

A fantasy scene is what fully deserves the term “auratic presence.” Insofar as it involves the point of impossibility, it can also be said to stage the objet petit a.》(Zizek”LESS THAN NOTHING”

不可能性だと? 
なんの話だ

Lacan's twist here is that this presence of the objet a fills in the gap, the failure, of representation—his formula is that of the objet a above the bar, beneath which there is S(A), the signifier of the barred, inconsistent other. The present object is a filler, a stop‐gap; so when we confront the tension between the symbolic and the Real, between meaning and presence—the event of presence which interrupts the smooth running of the symbolic, which transpires in its gaps and inconsistencies—we should focus on the way the Real corrodes from within the very consistency of the symbolic. And, perhaps, we should pass from the claim that “the intrusion of the Real corrodes the consistency of the symbolic” to the much stronger claim that “the Real is nothing but the inconsistency of the symbolic.” Heidegger liked to quote a line from Stefan George: “Kein Ding sei wo das Wort gebricht”—there is no thing where the word breaks down. When talking about the Thing, this line should be reversed: “Ein Ding gibt es nur wo das Wort gebricht”—there is a Thing only where the word breaks down. The standard notion according to which words represent absent things is here turned around: the Thing is a presence which arises where words (symbolic representations) fail, it is a thing standing for the missing word. In this sense, a sublime object is “an object elevated to the dignity of the Thing”: the void of the Thing is not a void in reality, but, primarily, a void in the symbolic, and the sublime object is an object at the place of the failed word. This, perhaps, is the most succinct definition of aura: aura envelops an object when it occupies a void (hole) within the symbolic order. What this implies is that the domain of the symbolic is not‐All—is thwarted from within. So, again, what is presence? Imagine a group conversation in which all the participants know that one of them has cancer and also know that everyone in the group knows it; they talk about everything, the new books they have read, movies they have seen, their professional disappointments, politics … just to avoid the topic of cancer. In such a situation, one can say that cancer is fully present, a heavy presence that casts its shadow over everything the participants say and that gets all the heavier the more they try to avoid it.


2013年9月28日土曜日

ラカンの対象aとしての声




ラカンのセミネールとエクリの関係は、治療における被分析者と分析家の関係に似ている。

セミネールでは、ラカンは被分析者としてふるまう。すなわち「自由連想し」、即興で語り、飛躍したり跳躍したりしながら、聴衆に語りかける。そのため聴衆のほうはいわば集合的な分析家の役割を負わされる。

これと比べ、彼の書いたものはひじょうに濃縮されていて、公式的である。時には託宣のような不可解で曖昧な命題を投げつけ、それに取り組んで明快な命題に翻訳し、適切な例を挙げ、その意味を論理的に証明しろ、と読者を挑発する。通常の学問的な手続きにおいては、著者が命題を公式化し、さまざまな議論によってそれを裏付けるわけだが、それとは対照的にラカンはしばしばこの仕事を読者に委ねる。いやそれだけでなく、読者は、ラカンが次々に繰り出す互いに矛盾した命題の中から、どれがラカンの本当の命題なのかを決めなくてはならず、託宣のような公式の真意を忖度しなければならない。そうして厳密な意味において、ラカンのエクリは分析家による介入のようなもので、その目的は、被分析者に既製の意見や陳述を提供することではなく、被分析者を働かせることである。(『ラカンはこう読め!』巻末「読書ガイド」より)

ジジェクはラカンのセミネールについて上のように書いているが、どうもそれだけではないように思える(仏語に疎いにもかかわらず冒頭の映像以外にもいくつか垣間見てみたのだが)。やはりセミネールでも「知っていることを想定された主体」、あるいは対象a=分析家として、聴く者の無意識に語りかけているのではないか。無意識、――この語が陳腐化され過ぎて使われている現在なら、中井久夫の<メタ私>でもよい、ーー<私>に語りかけるのではなく、<メタ私>に語りかけているのではないか。

※参照:中井久夫の<メタ私>概念をめぐっては、「フロイトの偽装された自叙伝、あるいは「原抑圧」」にいくらか引用されている。

もっともラカンは分析家だけでなく、分析主体(ヒステリーの主体)も、ときに「知を想定された主体」となると語っているらしい。

ラカンはまた、分析家にとって分析主体は知を想定された主体であるとも言っている。分析家が分析主体に自由連想の基本的ルールを説明するとき、分析家は実際に「さあ、なんでも言ってください。すべては素晴らしいものになるでしょう」というのだ(S17,59)。言い換えれば、分析家は分析主体にすべてを知っているかのように振舞うように言い、それが分析主体を知を想定された主体として成立させる。(ラカンの「知を想定された主体」[subject supposed to know, sujet suppose savoir]


ジャック=アラン・ミレールは、ラカンのセミネール一巻『フロイトの技法論』の日本語版(岩波書店1991年刊行)の序文で次のように述べている。

……ラカンは、書いてきた原稿を読むということはありませんでした。また、何らかの神憑りの状態で、即興で語ったわけでもありません。そうではなくて、ラカンは、机の上に散らばっている夥しい量の彼のノートと対話しながら彼の道を辿り、熟考し、様々な問いを立てました。聴衆の動向に対しても注意深く、ある時は駆け足で進み、ある時はじっくり論じ、熟達したスキャンションの技術をもちいて、話ぶりや調子を変化させました。それはまるで、気紛れな風が様々の形の大きさの雲を作り出し、ついには入道雲が沸き立ち、稲妻が輝き、突然の嵐がやってきて、哀れな聴衆に襲いかかるように、ラカンはほんのしばらく人々を揺さぶるような調子で語ったかと思うと、次の瞬間には穏やかな口調となり、静かな講義の調子を取り戻しました。そして、その結論は時間のセミネールに新しい光をもたらすことを約束するものでした。
ラカンの講義はパリでも比類なきものでした。1969年に、ラカンが法学部のもっと広い教室へと場所を替えたときには、およそ600人の聴衆が集まるようになり、それが、1980年に幕を閉じるまで続きました。おそらく19世紀なら、パリでラカンほど人を集めた人もいたかもしれませんが、現代においては、確かに彼ほどの人はいません。60年代からは、たくさんのテープレコーダーで録音されるようになり(日本はその分野ではなかなかのものです)、ラカンは最初はテープレコーダーを拒否したのですが、やがて受け入れざるを得なくなりました。そして、自分用にタイプさせていた初期の頃のセミネールまでもが、―――それをラカンは、しばしば弟子たちに貸していたのですがーーーコピーされて、流布していました。しかしながらラカンは、そのように書き取られたものは誤りだらけであり、しかも、声や身振りを欠いた筆記された口頭表現では彼の考えを正しく伝えることはできないと考え、出版を許可しませんでした。
ラカンの弟子たちが、次々に師を満足させることができるような、セミネールの決定版を出そうとあれこれ試みました。しかし、どれもラカンには満足のいくものではありませんだした。ある日、ラカンは私に向かって、ひとつ挑戦してみてはどうかと言いました。そこで、今度は私がトーナメントに挑戦することになりましたが、それは中世のおとぎばなしのように、彼の娘を得るためというわけではなく、―――実際にはそうなりましたがーーー彼の誘いに応じて、ラカンのいつもの「そうじゃないんだよ」を打ち負かすためでした。ラカンが対戦者であり審判でした。私は、ラカンのセミネールの中では一番最初に聞いた『精神分析の四つの基本概念』を彼のところにもっていきました。そして、これが最初に出版されたものとなりました。もちろんその際、私も協力して全面的に検討し直すことにはなりましたが。


1953年、ラカンがセミネールを始めたパリのサンタンヌ病院の精神医学教室においては、精神科医中心の聴講者だけの限られたものであり、最初は40人ほどの受講者だったらしい。

上記のミレールの叙述のように、一般の聴講者にも開かれたのは、1963年の劇的な事件、ラカン自身はそれを国際精神分析協会からの「破門」と呼んでいるわけだが、そのためセミネールを中断しなければならず(もっとも中断は三ヶ月で済んだ)、アルチュセールの招聘に応じて、カルチエ・ラタンのまっただ中の高等師範学校の大講義室で再開されてからである。

そこで行われたのが、ラカンの第十一番目のセミネール、『精神分析の四つの基本概念』であり、ミレールもその機会に、初めてラカンを見、聞いたということになる。

当時、20歳のミレールは、もともと高等師範学校の哲学科の学生であり、その時期のことを彼はこのように述べている。


……私は、ジョルジュ・カンギラム、ロラン・バルト、ルイ・アルチュセール、ミッシェル・フーコー、ミッシェル・セール、ジャック・デリダらの講義に出席していました。その当時、彼らはまだ、その後彼らが得ることになる名声を博していませんでした。要するに、私は、フランス哲学のより優れたもの、しかもその精華を知るという幸運に恵まれたということです。

ところが、300人の聴衆の前で語るラカンは、それとはまったく別物に見えました。一月のその日にラカンがスピノザのことを口にした時、あるいは他の機会にアリストテレスやヘーゲルのことを口にした時、そこには過去の偉大な亡霊たちを震撼させるような、直接的といってもよいような接触が打ち立てられたのです。そしてラカン自身はというと、彼らの注解者というより、まさに彼らと同じ情熱に動かされているように見えました。そして我々を過去の大思想家の中の知られざる秘密の領域へと導いたのです。恐らくは、この様な感動的実現化のうちには転移の突然の効果ということもあったでしょう。しかし、後にいろいろと知るようになっても、その時の魅惑は色褪せることはありません。


※附記:Between Sound and Silence: Voice in the History of Psychoanalysis  ALICE LAGAAY Freie Universität Berlinより

Jacques Lacan: Voice as “objet a”

《What language and the body have in common is the voice, but the voice is part neither of language nor of the body》 (Dolar, 2006, p.73)


To begin with it is interesting to note that Jacques Lacan's relationship to the figure of the voice marks one of those exceptional places in the history of thought where life and theory seem to merge in uncanny and fascinating ways. For a start, it has often been noted by some of those who attended his famous Séminaires that Lacan had a most peculiar and quite theatrical way of talking. In a poignant description of what he refers to as the “ethics of Lacanian speech”, Michel de Certeau, who attended Lacan's seminar, recounts how such sounds as coughing, throat clearing, mumbling, the chewing of words and sighing – in short, an array of disturbances of the voice – constantly accompanied Lacan's practice of talking or holding speeches, as if what he said was always on the brink of dissolving, of retreating or regressing, into a kind of incomprehensible physicality. And whilst being clearly audible to the assembled listeners, these “scars of phonation”, which would not so much interrupt as constitute the master's speech, remained totally incomprehensible with regard to their reference or meaning (Certeau, 2002, p.243). In fact, Lacan's eccentric style of talking can thus be seen as a kind of performative enactment of his theory of listening and of voice: it is not about understanding but about letting one's unconscious take in and react to what is heard; the voice brings to the foreground, but in a movement of suspension, of retreat, that of which the speaker has no knowledge.


The personal nature of Lacan's relationship to voice is further revealed in the fact that Lacan was not a keen writer. The texts of the séminaires are for the most part reconstructions put together and edited by one of the students who attended them (between 1975 and 1995 nine of the 25 seminars were “reconstructed” and published by Lacan's son-in-law, Jacques-Alain Miller). And of the texts that constitute his “Écrits”, many of these seem to challenge the conventions of what written texts are usually expected to be like since they often make little attempt to follow the conventions of rational discourse but come closer to a kind of textual screaming; they are, so to speak, more Écris than écrits!3


The pivotal role of voice in Lacan's teachings takes on a peculiarly existential dimension, however, in the light of the fact that in the final stages of his life, Lacan suffered severe aphasia. Thus, the twenty-sixth seminar of 1978-1979 remains “silent”, as by then Lacan had practically lost the ability to talk at all. But the real poignancy of his sad fate in this regard is perhaps only revealed in the light of Lacan's actual theory, which culminates in the figure of a voice that cannot – and indeed must not – speak.


もっとも、「無意識」とか、「メタ私」に語りかけるやら、対象aとしての声などとややこしいことは言わず、ラカンの語り口は、落語家の「間」のようなものがある、とだけしてもよいのかも。そして、それが独特の魅力を生んでいる。

中井久夫はかつて、《 ぼくはたまたまラカンの訳文を少し校訂させられたんですけど、あれはおじいさんの言葉として、おじいさんがわりと内輪の社会でしゃべっておるフランス語と してはそうおかしくはないんじゃないかと思ったんですね。そいつを哲学の文章みたいに訳そうとするから、さっぱりわけがわからなくなってくるんじゃないか とおもったんですけどね。》(1988 『シンポジウム』柄谷行人 編・著)と語っている。

落語家・古今亭志ん生師は「間」の使い方がうまかったと聞きます。
時々、絶句したような「間」をおく。
が、その後に意表をつくギャグでもって笑わせる。
弟子や関係者のはなしによると、
実は噺の途中で次に何を喋るか、本当に忘れて絶句したという「間」が七、八割ではなかったかということで、
そのあたりも、何だかいかにも、らしくて笑ってしまいます。
残された録音には、そうした絶句のような「間」はあんまりないように思いますが、
それでも「間」のうまさがわかる気がします。(緊張と緩和と「間」のカンケイ











「音楽の反方法論的序説」閑話

2000年から2013年の高橋悠治の水牛連載のエッセイを通して読んでみて、今度は「音楽の反方法論序説」(青空文庫、1997年)を読み返した。読み返したというより、前はまともに読んでいなかったのだろう、今回のように驚愕した、ということは以前はなかった、――などと、わたくしが感想を書いても到し方ないので、今福龍太氏の言葉を抜き出す。

『インターコミュニケーション』という雑誌に5年間連載されたもので、この雑誌にはぼくも何回か書いたことがあるので、 悠治さんの文章のかなりのものは一度目を通してたはずなんですけど、これだけまとまったかたちで読んで、正直に言って驚嘆、というか驚愕したんです。これ はとてつもないテキストだな、と直感しました。(……)非常に本質的な言葉だけでか書かれた文章として「音楽の反方法論序説」のメッセージは特別に強烈で、かつアクチュアルで した。(……)「音楽の反方法論」を読んですごくぼくが感じたのは、これがある意味で現在の高橋悠治という 音楽家の本質的な思考のひとつの断面であるとすれば、この文章から受けるぼく自身の印象は、やっぱり25年ほど前にですね、悠治さんのコンサートにいて、 ぼくがそこから受け取っていた何か非常に突き詰められた、エッセンシャルな方法論への指向性と、同じものだということです。つまり25年前の悠治さんのコ ンサートも、それは単なる音楽じゃなかったんです。はじめから単なる音楽じゃなかった。ではそれは何なのか、っていうことを常に突きつけられながらぼくは ひたすら演奏会に足を運んでいた記憶があるんですね。そしてその問いかけにたいする非常に明快で深いひとつの教えを、「音楽の反方法論」は与えてくれたよ うな気がする。(「音楽の時間」―高橋悠治・今福龍太 音楽を句読点とした対話―2000.11

「音楽の反方法論的序説」には、高橋悠治とたしか四十年近い交遊があったマセダの言葉が後半に引かれている。

フィリピンの作曲家にして音楽学者ホセ・マセダが
何年も前に言っていたことがある。
 正確な言い回しではないが、このようなことだ。
 「一人の名人を百人が聞く。
百人は聞いて、立ち去る。それが限界だ。
 一人が百の太鼓をあやつることもできる。
百人が一つずつ太鼓をもつこともできる」
また、
 「バッハもモーツァルトも、支配者のために書いた。
音楽で支配関係を表現した。
みんながわずかなものをわけあって生きることを
 あらわす音楽はなかった」

《京都のホテルにいたクセナキスをホセ・マセダと訪ねる。マセダは後で、クセナキスはヨーロッパ的なピッチ支配から逃れたいのだろうと言った。「ア ジアでは5つの音でじゅうぶんだ。」

クセナキスの『キアニア」とマセダの『ディステンペラメント(平均律の解体)』をおなじコンサートで指揮する。マセダはクセナキスの音楽は暴力的 だと言う。クセナキスにコンサートの録音を送ると、マセダの音楽は奇っ怪だという返事。》(「だれ、どこ」)

◆Jose Maceda - Pagsamba: agnus


高橋悠治はしばしばコンサート批判を重ねてきた。


クラッシク音楽が、聴き手にとってはとっくに死んだものであることに気づかずに、または気づかぬふりをして、まじめな音楽家たちは今日もしのぎをけずり、おたがいをけおとしあい、権力欲にうごかされて、はしりつづけている。音楽産業はどうしようもない不況で、大資本や国家が手をださなければなりたたないというのに、音楽市場はけっこう繁栄している。これほどのからさわぎも、そのななから、人びとにとって意味のあるあたらしい音楽文化をうみだすことに成功してはいない。(「家具になった音楽」高橋悠治 讀賣新聞 1982年10月21日付け夕刊のグールド追悼記事より)

だが、「音楽の反方法論的序説」には、次のようにも書かれている。

人びとがあつまるとき、
行事であれ、儀式であれ、
ただ人びとが会うことの悦びのためであれ、
音楽がそこにあれば、楽しい。
それがなくても、人びとはあつまるが、
音楽は集いを、ともにあることのしあわせと、
ふかいやすらぎで飾る。

コンサートの語源は「合意にもちこむ」ということらしい。
争っていたものたちが和平を結ぶ場を想像してみれば、
そこには飲み食いがあり、唄があり、踊りがあり、
それらすべてが音楽ではなかったろうか。
いまコンサート会場には、飲み物食べ物はもちこめず、
踊る場所もなく、歩くことも、立つこともできず、
音楽家と、見物人に分かれ、区切られて、座っている。

それでも、コンサートは否定されるべきものだ、
と言うことはない。
コンサートは現実の場であり、そこに来る人たちがいる限り、観念で否定しても、なくなることはない。
それに替わるものがなければ、いくら貧しくても、
コンサートは音楽の場でありつづける。
別な場をつくりだすのは、音楽家のしごとではない。
人びとのあつまりかた、人間関係、社会が変わらなければ、
音楽の場は変わらないだろう。

この文から、度重なる現在の形式のコンサート批判は
音楽への強い<愛>のなせる技であったことを
読みとれないひとはいないはずだ。
高橋悠治は「無礼な義務」を引き受けてきたのだ。

たとえばニュートンの有名なリンゴは重力の法則を知っていたから落ちたのだ、などという言い方は馬鹿げているとしか思われない。しかしながら、仮にそうした言い方がただの無内容な洒落だったとしても、われわれは、そうした発想がどうしてこれほど頻繁にコミックスやアニメの中に登場するのか、という疑問をもたねばならない。猫が、前方に断崖があるのも知らず、必死にネズミを追いかけている。ところが、足元の大地が消え去った後もなお、猫は落下せずにネズミを追いかけ続ける。猫が下を見て、自分が空中に浮かんでいることを見た瞬間、猫は落ちる。まるで<現実界>が一瞬、どの法則に従うべきかを忘れたかのようだ。猫が下を見た瞬間、<現実界>はその法則を「思い出し」、それにしたがって行動する。こうした場面が繰り返し作られるのは、それらがある種の初歩的な幻想のシナリオに支えられているからにちがいない。この推量をさらに一歩すすめるならば、フロイトが『夢判断』の中で挙げている、自分が死んだことを知らない父親という有名な夢の例にも、これと同じパラドックスが見出される。アニメの猫が、自分の足の下に大地がないことを知らないがゆえに走り続けるのと同じように、その父親は、自分が死んだことを知らないがゆえに今なお生きているのである。三つ目の例を挙げよう。それはエルバ島におけるナポレオンだ。歴史的には彼はすでに死んでいた(すなわち彼の出る幕は閉じ、彼の役割は終わっていた)が、自分の死に気づいていないことによって彼はまだ生きていた(まだ歴史の舞台から下りていなかった)。だからこそ彼はワーテルローで再び敗北し、「二度死ぬ」はめになったのである。ある種の国家あるいはイデオロギー装置に関して、われわれはしばしばそれと同じような感じを抱く。すなわち、それらは明らかに時代錯誤的であるのに、そのことを知らないためにしぶとく生き残る。誰かが、この不愉快な事実をそれらに思い出させるという無礼な義務を引き受けなくてはならないのだ。(ジジェク『 斜めから見る』p89-90)

なぜ無礼な義務を引き受けたのか
コンサートで交響曲やらオペラを聴く
指揮者がすべてをコントロールする
聴衆はそれをうやうやしく傾聴する
あれはヒットラーの演説に聴き入る
観衆とどこか違うのか
そこにある熱狂や忘我と陶酔
あるいは支配と統制の論理

フルトヴェングラーを通じてカラヤンに至るようなロマン主義的な演奏のスタイル、どんな音楽でもヴァーグナーのように巨大なオーケストラを使ってドラマティックに演奏してしまうスタイル(……)。カラヤンに至ると、縦の線をほとんど無視してテンポを主観的に伸縮させながら音楽を流線型の華麗な流れと化し、半強制的な感情移入によって聴衆をそのなかに引きずり込んでいく、というようになる。ある種、ファシズム的な美学ですね。それは言い過ぎだといても、後期資本主義社会における「聴取の退化」(アドルノ)の典型です。(浅田彰

《近代国家はオーケストラを必要とする 
オリンピックで日の丸があがるとき 
オーケストラがなかったら だれが君が代を演奏するのだ 
アジアを威嚇する 
あの大太鼓のどろどろも 
オーケストラだけではなく 
指揮者 楽譜 作曲家も
 国家マシンの一部 
この制度をそのままに 
ユートピアを夢見ても 
灰色のオーケストラの音が呼び起こすのは 
北の みたされることのない欠乏の論理 》(音の静寂静寂の音4)

ダライラマ法王と音楽の話をした
(……)
音楽はひとを戦いに 駆り立て 
民族主義に引き込むこともある 
音楽は人びとの感じ方に影響をあたえることができる 
だから 
あなたには責任があります 
と法王は言われた 
とりわけ若い人たちに対しては》 (音の静寂静寂の音2)

「音楽の反方法論的序説」には

《近年は音楽家の友人たちが、病に倒れ、
死んでいくのを見てきた。
そのとき、仕事がなんのたすけになるだろう。
音楽は、生のプロセスを変えることはできない。
水牛楽団のころ、
音楽は社会を変える力はないと知ったときのように、
それを知っても、音楽をやめることはできなかった。
それは、やはり執着というものだろう。》

ともある。
「音楽なんかなくても生きていける」と
あたかも吐き捨てたように語る
あの同じ高橋悠治がここにいる。


音楽は詩と同じく世界にたいして微小な力でしかないだろう。

詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。(「芸術」「詩」の役割をめぐって(浅田彰、谷川俊太郎)

核心箇所の多くは、いまだ十分消化できていないので、これくらいにする。






次に「音楽の反方法論的序説」から抜粋するのは、「閑話休題」とあるように比較的軽い箇所のひとつ。

浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』の批判(=吟味)の文だが、この書はいままでしばしば引用してきた(わたくしにとって、ヴィリリオの事故の博物館」、ジジェク、とくにその「メタ・レイシズム」の箇所、サイードとの対話が強い印象を残してくれている)。

《対話の最後に柄谷行人がくる。
この操作された順番で、
それまで知のシステムのあいだをくぐっては、
パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、
そのからくりに気づかずに
「世界」についての思いこみをひたすら独語する
お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、
群れのなかの相似形の疑似対話で、
知の円環は閉じられる。
この気を許した人間関係は、日本的「ホンネ」の共同体と
どこがちがうのだろう。》
とある。

浅田彰に「パロディー化されたお人よしの知識人」とされる人たちは、
フクヤマ、ジジェク、サイード、リピエッツ、ボードリヤール、バラード、ヴィリリオ、ギュンター、ロトランジェ、リオタール。

日本における「群れのなかの相似形の疑似対話」ーー
今、「ヨーロッパ中心主義」の対話者たちは
柄谷や浅田よりもひどく小粒化したが
粒が小さければ、よりいっそう繁殖するのか
もっともらしい顔で会話している「評論家」やら「研究者」の
なんというウィルスぶりよ

あるいは、少なくとも次のようなインテリたちの跳梁跋扈
《知識人たちは、
知っているものが、知っていることを
知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。》
などと引用すれば
似非インテリとしてときに振舞っていないでもない
己れに跳ね返ってくるのは重々承知はしているけれどさ

まあどこを覗いてもそんなヤツラばかりだね
最も厄介なのは
「合理」やら「実証」、「論理」やら「冷静」
あるいは「誠実」、「無邪気」などの「仮面」を被りつつ
自己顕示欲のにおいを振りまく
「厚顔無恥」な連中じゃないかい?

その「はしたない」手合いが
知らないものに教えてやるという姿勢でものを言う
さらにそのウィルスに感染して
「にわかインテリ」病に罹患している手合いさえ
枚挙に暇がない


…………

音楽の反方法論序説 10
閑話休題 知の枷

 (「コンピュータ音楽 2」は、3 月にパリで
UPIC システムをつかって作業をしながら書こう
と思ったが、それでは期日に間に合わない。そこで)
浅田彰の『「歴史の終わり」と世紀末の世界』は
11 人の知識人との対話集だが、
これを読んで奇妙に思ったことをいくつか。

ここに登場する知識人はほとんどがヨーロッパ人であり、
ヨーロッパ中心主義がくりかえし批判されるにもかかわらず、
ヨーロッパの外を見る視点はやはりヨーロッパ人のものでしかない。
パレスチナ人サイードと、おそらくジジェクを除いて、
外部からの視点が存在することを意識しているものさえいない。
「知の世界」にはアフリカ人もメキシコ人もブラジル人もいない。
そしてアジア人も。(柄谷行人は、日本語をしゃべっているから
アジア人だと言えるのだろうか。)
タンザニアの女たちが薪を拾い集めるかわりに
コンロをあたえてやればいい、とか、
南を援助してやらなければならない、とか、
かれらに見えている非ヨーロッパは、相も変わらず
国家や権力や、原理主義でなければ、
抽象化された人間、対象物、標本としての原住民でしかないのか。
考える人間はヨーロッパにしかいないから、
あたえられる側の人間がどう考えようが、
世界はヨーロッパ人 (あるいはアメリカ人) が考えた通りのものだ
という、意識にさえのぼらない前提。

単線的な歴史の時間と生産向上の神話は、
思考の対象として否定されているかもしれないが、
思考様式はすこしも変わっていない。
何かが終わった、と判断する知性も、
自分自身も終わった側にいるのだとは思っていない。
復古主義や野蛮への退行の危険が指摘されるが、
それらのいかにももっともなことばは、
自分たちではなく「あの連中」が
世界について考えることは許せない、
なぜなら世界 (ことば) はこちら側にあり、
ヨーロッパ標準時で進んでいるのだから、
というようにしかきこえない。
多元的な時間の出会う場としての世界史は
SF にすぎないとでも思っているのだろうか。

使えるものは何でも回収するナチズムや消費社会、
より一般的には資本主義のありかたが話題になるが、
ヨーロッパ的知性がそれとおなじことをやっている、
しかも善意から、
ということは認めようとしない、あるいは見えない。
(ここで、ノーノやヘンツェに対するキューバの音楽家の、
アイロニカルな友情を思い出す。
かれらが自分の意志でやってきて、
キューバ文化を理解しようとしたことについての感謝と、
かれらの善意にもかかわらず、それさえも
ヨーロッパによる知的収奪の一部であることに
かれらが気づかないことについての、ちょっとしたコメント。)

すべてを回収するのは、
ヨーロッパ的時間の一元論にとっては自然なのかもしれない。
すべてについてイエスかノーかを言えなければならなければ、
言うことによって、すべてを知のなかにとりこんでしまうのだろう。
どの対談を読んでも、知識人たちは、
知っているものが、知っていることを
知らないものに教えてやるという姿勢でものを言っている。
(もっとも、かれらはインタビューをうけている、
と思いこんでいるはずで、対話という意識さえないのだろうが。)
それが、ヴィリリオのいうリアルタイム・インタフェースの
じっさいの姿なのだろう。
相手かまわず超高速のフランス語で、
思想のウイルスを過剰露出する。
それが、たちまち回収済みの情報になって、
次の相手との対話で虚仮にされるとは、思ってもみないだろう。
歴史の反復はコッケイなだけだ、とマルクスは思っていたらしいが、
現在の「世界」、つまりヨーロッパの、知識人は、
かつてのヨーロッパ知識人の茶番としての反復にすぎない、
(のかもしれない、) という思いが
一瞬でもかれらの頭をよぎったことがあるだろうか。

対話の最後に柄谷行人がくる。
この操作された順番で、
それまで知のシステムのあいだをくぐっては、
パロディー化した相手の言説を投げかえす浅田彰と、
そのからくりに気づかずに
「世界」についての思いこみをひたすら独語する
お人好しの知識人との喜劇的な緊張関係はやぶれ、
群れのなかの相似形の疑似対話で、
知の円環は閉じられる。
この気を許した人間関係は、日本的「ホンネ」の共同体と
どこがちがうのだろう。
知的天皇制の雰囲気のもとでこそできることではないのか。
(この最後の対話は、日本語という「外部」の言語に
安住しているからできるようなものだ。
この本がもし、英語かフランス語で出版されていたら
論争にまきこまれることになっただろう。)
フランスの理論がアメリカでは大学共同体の「学術」になり、
それがめぐりめぐって日本では
疑似孤立群の世界早解り談義になるのか。
この群れは、一元的普遍に世界をとりこんだあげく
外部を失って自己崩壊するヨーロッパ的知の
貧しいコピーでもいいから、「世界」の内側に席を確保したい、
という願望から、
知的三極構造のなかの日本を忠実に演じているのか。
外部についての知は既成のシステムへの回収にすぎない、
というようなことを書いたのは柄谷行人ではなかったか。
書くことだけならだれでもできるが、
回収されている自覚もなく、世界の見取図を語っているのは、
かつての柄谷行人の影なのか。
回収作業が知識人の習性になっているようでは、
創造 (想像) 力のはたらく余地をあらかじめ塞いでしまい、
過剰ゆえに無力なことばをつらねるか、
現実追認を近未来予見に偽装することができるばかりだ。
近視眼的な図解は転換へのインパクトをもてないだろう。
こういうパフォーマンスを見ていると、外部にとどまるには、
自分が世界のなかで無力であり、無知である
と認めるところからはじめる以外にはないのではないか、と思ってしまう。
無害無力な未知のものが文明の足元に立ちあがる。
カタストロフィ点とはこういうものだろう。
文明内部での文明批判は、じつは
この恐怖感を覆い隠すために費やされていることば
ではないだろうか。

…………

もっとも、次の批判


外部についての知は既成のシステムへの回収にすぎない、
というようなことを書いたのは柄谷行人ではなかったか。
書くことだけならだれでもできるが、
回収されている自覚もなく、世界の見取図を語っているのは、
かつての柄谷行人の影なのか。

あるいは


外部にとどまるには、
自分が世界のなかで無力であり、無知である
と認めるところからはじめる以外にはないのではないか

については、『トランス・クリティーク』から
次の文を掲げておこう。


カントは、われわれは物自体を思惟することはできるが直観できない、そして、この区別がないかぎり、アンチノミーに陥らざるをえないのだ、と述べた。(……)

われわれは世界全体を把握するが、その時、われわれは世界の中にある。それは逆にいってもいい。われわれが世界の中にしかいないというとき、われわれは世界のメタレベルに立っている、と。(『トランスクリティーク』P139)