吉田秀和は昨年の六月のこう語った(追悼をめぐって)。
あの事故をなかったように、朝日(新聞)の読者に向け、気楽に音楽の話をすることなんて、ぼくにはできない。かといって、この現実に立ち向かう力は、ぼくにはもうない。
――もっとも、吉田氏の追悼番組の収録のなかには、こういう言葉もあるらしい。《それでも、いつまでか知らないが、私は書き続けるだろう。 人間は生きている限り、自分の信じ愛するものを力をつくして大切にするほかないのだから。》
私はどこか日本の学者を信頼して、それが体験の基礎になっていた。官僚も、政界も、はてなと思うことはあっても、終戦の時と同じく、列車が走り、郵便が着くという初歩的なことで基盤にゆえなき信頼感があったのであろうか。私が20余年続けたこのコラムを休むのは、その代わりに考えきれない重しのようなものが頭の中にあるからである。
――こうやって年輩のすぐれた書き手たちの何人かは、絶望感に苛まれて擱筆する。
…………
ところで、浅田彰は今年の入学式式辞でつぎのように語っている(2012年度 京都造形芸術大学 入学式)。
※0.13,30辺りから浅田彰の出番。
ーーー以下は、正確な書き起こしではないことを断っておく。
昨年の事件以来、日本が、近代の物質文明が大きな反省を迫られている、アートが何ができるか、何もできないんじゃないかという絶望を感じた人もいた、だが一年たった今こそアートやデザインの出番なのではないか、(……)事件後、大量生産、大量消費、大量廃棄型の物質文明を今までどおりまたやろうという動きが出てきている、こういう間違った復興ではなくて、こういう大きな事故を反省とした文明全体の組み換えをしようと思えば、これは単に、アートやデザインというものが新しい想像力をもって人々のライフスタイル、あるいは美意識を変えてゆくことが必要だと思う……。
「間違った復興をしようとする勢力、もとに戻そうとする勢力」、それに抵抗しなければならない。その抵抗の仕方は、アートの方法でなく別の仕方もあるだろうが、ここではそれには触れない。
今は素直に浅田彰の若いアーティストの卵への激励の言葉を聴いておこう、―――「芸術」の大きな役割、それは、文明全体の組み換えをし、新しい想像力をもって人々のライフスタイル、あるいは美意識を変えてゆくこと、と。
ここで谷川俊太郎を思い出しておこう(震災後 詩を信じる、疑う 吉増剛造と谷川俊太郎)。
震災後の世界で、詩がそれほど役に立つとは思っていない。詩は無駄なもの、役立たずの言葉。書き始めた頃から言語を疑い、詩を疑ってきた。震災後、みんなが言葉を求めていると聞いて意外。僕の作品を読んだ人が力づけられたと聞くと、うれしいですが。
詩という言語のエネルギーは素粒子のそれのように微細。政治の力や経済の力と比べようがない。でも、素粒子がなければ、世界は成り立たない。詩を読んで人が心動かされるのは、言葉の持つ微少な力が繊細に働いているから。古典は長い年月をかけ、その微少な力で人間を変えてきた。
初期から谷川俊太郎は「何かどんでもないおとし物」をめぐって歌ったきた。
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
「かなしみ」谷川俊太郎詩集 20億光年の孤独より
――今は、大量生産、大量消費、大量廃棄型の物質文明による「何かとんでもないおとし物」、そこから生じる「かなしみ」と読んでみたい。
……
古井由吉は、震災後の文学にはどんな表現が可能なのだろう、と問われて次のように語っている(長い安泰で浮いてしまった言葉)。
例えば、(津波がきたとき)最後まで避難を呼びかけて命を失った人がいたが、それらはこの国の人のどんな美徳から来ているのか。失われたものを考えるだけでなく、逆に何が失われていなかったのかを考えるのも一つの方法でしょう。