《あらゆる科学だろうと哲学だろうと結局取引関係にいくわけじゃないですか だから取引関係に基づいて科学も経済も すべてができている これこそ問題じゃないですか?》(高橋悠治)
取引関係、すなわち「交換」であり、それはときに「営業活動」や「販促活動」、つまるところ「金儲け」論理の下にある。「金儲け」のシステムから自由である人などどこにもいない。
「意識しないが、しかしそう行なう」に注目しよう、そして「言語と同じように」に。ここで、マルクスはフロイトの「無意識」を先行して語っている、あるいは「無意識は言語と同じように構造化されている」(ラカン)を。つまるところ、言語の交換も、「金儲け」論理、マルクスの価値形態論の傘下なのである。
彼等は相異なる生産物を交換において等価物として等置することにより、相異なる労働を人間的労働として等置する。彼らは意識していないが、しかしそう行なうのである。
だから、価値なるものの額(ひたい)には、それが何であるかということは書かれていない。むしろ価値が、どの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する。のちにいたって、ひとびとは、この象形文字の意味を解こうとし、彼ら自身の社会的産物――けだし、価値としての諸使用対象の規定は言語と同じように彼らの社会的産物であるーーの秘密を探ろうとする。(マルクス『資本論』)
「意識しないが、しかしそう行なう」に注目しよう、そして「言語と同じように」に。ここで、マルクスはフロイトの「無意識」を先行して語っている、あるいは「無意識は言語と同じように構造化されている」(ラカン)を。つまるところ、言語の交換も、「金儲け」論理、マルクスの価値形態論の傘下なのである。
《おしなべて他者への媚びと「つるつる生きる」ことの鈍重な自足》(金井美恵子)
他人に媚びること自体、それは一種の「金儲け」だとしてよい(後詳述)。
取引関係、――だが何を取引するのだろう。
取引関係、――だが何を取引するのだろう。
自分の時間やエネルギーを売って、鈍重な自足を買う。《公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。》(ヴァレリー)ここで「酒手」とされているその内実は、「名声」のことである。
若き日このように書いたヴァレリーは、後年、「あなたはなぜ書くのか」というアンケートに「弱さから」と答えている(彼は終生金銭に恵まれなかった)。
ーー寄り道だが、ヴァレリーがマルクスの熱心な読者であったことを想い起こそう。以下のヴァレリーの考え方も、柄谷行人によればマルクスの価値形態論から来る。
ーー寄り道だが、ヴァレリーがマルクスの熱心な読者であったことを想い起こそう。以下のヴァレリーの考え方も、柄谷行人によればマルクスの価値形態論から来る。
作者がある考えや感覚を作品にあらわし、読者がそれを受けとる。ふつうはそう見え、そう考えられているが、この問題の<神秘的>性格を明らかにしたのはヴァレリーである。彼は、作品は作者から自立しているばかりでなく、“作者”というものをつくり出すのだと考える。作品の思想は、作者が考えているものとはちがっているというだけでなく、むしろそのような思想をもった“作者”をたえずつくり出すのである。たとえば、漱石という作家は幾度も読みかえられてきている。かりに当人あるいはその知人が何といおうが、作品から遡行される“作家”が存在するのであり、実はそれしか存在しないのである。客観的な漱石像とは、これまで読んだひとびとのつくった支配的イメージにほかならないのだ。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』)
…………
さて、「金儲け」をめぐって、マルクスの「剰余価値」の視点からもう少しみてみよう。
岩井克人が「無限のくりかえし」を書くのは、「資本の論理」、ーー《資本の論理はすなわち差異性の論理であるわけです。差異性が利潤を生み出す。ピリオド、というわけです》(『終りなき世界』柄谷行人・岩井克人対談集1990)のことであり、その構造自体が無限のくりかえしを強いる。ジジェクや柄谷行人ならそれを「資本の欲動」といい、剰余享楽、あるいは<対象a>をめぐる反復運動といってもいい。
さて、「金儲け」をめぐって、マルクスの「剰余価値」の視点からもう少しみてみよう。
ラカンの「剰余享楽」とは、マルクスの「剰余価値」概念をもとにして作り上げたものであることが知られている。そして剰余価値(剰余享楽)を具現化しているものが<対象
a>、すなわち欲望の対象=原因なのであり、「貨幣」も<対象a>である。
マルクスが貨幣のフェティシズムとして資本の分析をしたのは、貨幣(対象a)=フェティシュにかかわる。(フェティシュと対象aに等号が置かれるのは、たとえば、《This fetish, our objet a as the cause of desire, is openly illustrated in this example where not only it is an almost pointless thing, or a substance almost immaterial, but it also depends on a “signifier” play.》Zizek”LESS THAN NOTHING”)
どんな対象もーーそれがもつ魅力がその直接的属性ではなく、それが構造内で占める場所によって生まれたものであるかぎりーー欲望の対象=原因として機能しうるが、われわれは構造的必然性から、その魅力は対象そのものに属しているのだという幻想の犠牲にならなければならない。(ジジェク『斜めから見る』)
このジジェクの文を、マルクスの文を引用・変奏して、明らかにするなら、次のようになる。
ある人間が王であるのは、ただ他の人間が彼に対して臣下として相対するからである。彼らは、逆に彼が王だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている。(資本論)
「王」に「貨幣」を代入する。
ある物が貨幣であるのは、ただ他のもの(商品etc.)が貨幣に対して臣下として相対するからである。他のものは、逆にある物が貨幣だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている。
ここで、この奇矯さを説明する岩井克人と柄谷行人を引用する。
マルクスが価値形態論を完成させたと考えた光りまばゆい貨幣形態の姿では、商品の価値形態はけっして完成していないことを知るはずである。まさに価値形態論の構造じたいが、みずからの完成を拒み、みずからに無限のくりかえしを強いることになるのである。そして、価値形態論のこの無限のくりかえしの極限において、われわれは黄金色の輝きを失い、商品の世界のなかにあって商品よりもはるかにみすぼらしい姿になった貨幣形態をみいだすことになるだろう。だが、そのみすぼらしい姿にこそ本来の意味での「貨幣の謎」が隠されているはずである。(岩井克人『貨幣論』)
マルクスが資本の考察を守銭奴から始めたことに注意すべきである。守銭奴がもつのは、物(使用価値)への欲望ではなくて、等価形態に在る物への欲動――私はそれを欲望と区別するためにフロイトにならってそう呼ぶことにしたいーーなのだ。別の言い方をすれば、守銭奴の欲動は、物への欲望ではなくて、それを犠牲にしても、等価形態という「場」(ポジション)に立とうとする欲動である、この欲動はマルクスがいったように、神学的・形而上的なものをはらんでいる。守銭奴はいわば「天国に宝を積む」のだから。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
《お金があらゆる善の根源だと悟らない限り、あなたがたは自ら滅亡を招きます》(アイン・ランド『肩をすくめるアトラス』)ーージジェクは、このアイン・ランドの文をマルクスの価値形態論(剰余価値論)に結びつけて語っている。
…………
ここで上の「剰余価値=剰余享楽」の論理を、別の角度からみてみよう(自分の時間やエネルギーを売って、鈍重な自足を買う媚態の角度という意味だ)。
《誰もが、誰かに見られていることを求める》。(クンデラ『存在の耐えられない軽さ』)
クンデラはこう書き、四つの視線のカテゴリーをあげる。
①限りなく多数の無名の目による視線(大衆の視線)
②数多くの知人の目という視線
③愛している人たちの視線
④想像上の視線(死者の視線、理念の視線など)
①②は、鏡像的他者(自己意識)の視線、小文字の他者の視線、③が<対象a>の視線、④は大文字の他者の視線などとすることが、ひょっとしてできるのかもしれないが、ここでは厳密に区分することはしない。
そもそも、神経症者(ヒステリー者や強迫神経症者)は、ラカン派によれば、小文字の他者の視線ではなく、大文字の他者の視線を求めるタイプなのであり(ナルシシズム者、精神病親和型が、小文字の他者の視線を求めるタイプ、倒錯者は視線と同一化してしまうタイプで、クンデラのカテゴリーにはない)、上の区分けへのラカン語彙の割当は、まったく危うい。また、こうやって小説の叙述を理論によって解読してしまう振舞いそのものが唾棄されるべきなのであり、むしろ小説によって理論が解読されなければならない。
《批評は小説の解読装置ではなく、小説こそがわれわれを、あるいはわれわれの理論を解読する装置なのである》、という意味合いのことを蓮實重彦は『闘争のエチカ』の「あとがき」で書いている。
そもそも、神経症者(ヒステリー者や強迫神経症者)は、ラカン派によれば、小文字の他者の視線ではなく、大文字の他者の視線を求めるタイプなのであり(ナルシシズム者、精神病親和型が、小文字の他者の視線を求めるタイプ、倒錯者は視線と同一化してしまうタイプで、クンデラのカテゴリーにはない)、上の区分けへのラカン語彙の割当は、まったく危うい。また、こうやって小説の叙述を理論によって解読してしまう振舞いそのものが唾棄されるべきなのであり、むしろ小説によって理論が解読されなければならない。
《批評は小説の解読装置ではなく、小説こそがわれわれを、あるいはわれわれの理論を解読する装置なのである》、という意味合いのことを蓮實重彦は『闘争のエチカ』の「あとがき」で書いている。
さて、今は蓮實重彦の超自我の声に対していささか難聴者として振舞ってみても、より厳密に考えるのは困難なのだが、①は場合によっては、大文字の他者の視線のこともあり得るかもしれず、③は、ナルシシズム的愛なら、小文字の他者の視線ともできるだろうし、"desire for love"なら、大文字の他者の欲望となる。④は、大文字の他者の視線と一括せずに、その下位区分を念頭におき、たとえば「自我理想」の視線とし、このカテゴリー以外に、「超自我」の視線(いや超自我の「声」が正しい)を追加するべきかもしれない(「自我理想」は恥にかかわり、「超自我」は罪にかかわる)。
いずれにせよ、ひとはこんな具合に、そのタイプにより、あるいはその精神構造により、種々の視線を求める。たとえば、インターネットで発話する場合の多くは、①②③のどれかを求めている。多くの場合、小文字の他者の視線を求めている。つまりは「承認欲求の機制」の囚人なのであり、われわれ「父なき世代」の住人においては、④の理念の視線(大文字の他者の視線)を求める人間など、ますます稀少になっている。
(④の視線については、下記最後に引用したヴァレリーや中井久夫が当てはまるのだろうか? いや、③の愛の視線、<対象a>の視線を求める人としても考えられる。インターネットに全く書き込まないようなタイプは、この④の視線(ときに③)を求める人の生き残りだろうか?)
(④の視線については、下記最後に引用したヴァレリーや中井久夫が当てはまるのだろうか? いや、③の愛の視線、<対象a>の視線を求める人としても考えられる。インターネットに全く書き込まないようなタイプは、この④の視線(ときに③)を求める人の生き残りだろうか?)
「私なら失われた時など求めはしない。そういうものはむしろ退けるくらいだ」とプルースト追悼の際にポール・ヴァレリーは書いた。彼が「知性の巨人」で済まされなくなった今、彼はむしろ過剰な記憶に苛まれた人 hypermnesiqueではなかったかと思われる。「初めから失われていた恋人」ともいうべき二十八歳年長のロヴィラ夫人への生涯の執着はほとんど時間が停まっているかのようである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」『日時計の影』所収 p273)
ひとは尊敬を求め、共感を求め、愛を求める。ひとは、小文字の他者の間の主人と奴隷の葛藤(承認欲求=自己意識の泥沼)からも、稀に「貨幣」や「王」のポジション、つまり他者の欲望を支えている幻想を投射できるようなスクリーン(空っぽの空間)として機能しはじめることがある。そのようにして<わたくし>の存在に「剰余価値=剰余享楽」が生まれるのを願う。だが、
もし私が意識的に威厳を保とうとしたり、他人から尊敬を集めようとしたら、滑稽な結果になってしまうだろう。きっと私は下手な役者のように見えることだろう。これらの状態の根本的パラドックスはこうだーーそれらはきわめて重要なのだが、それをわれわれの行動の直接的な目標にしたとたん、逃げていってしまうのである。そうした状態をもたらす唯一の方法は、その状態をめざして行動するのではなく、他の目標を追求し、それらが「自然」に生まれるのを望むことである。たしかにそれらはわれわれの行動に属しているが、究極的には、われわれが何をするかによってではなく、われわれが何であるかによってわれわれに属している何かなのである。このわれわれの行動の「副産物」にラカンが与えた名前は<対象a>である。これは隠された財宝、「われわれの中にあって、われわれ以上のもの」、すなわち、われわれの肯定的特質のいずれと結びつけることもできないにもかかわらず、われわれの行動すべてに魔法のオーラを投げかける、捉えどころがなく、手の届かないXである。(ジジェク『斜めから見る』p148)
ここでもう一度マルクスを思い出そう。――《ある人間が王であるのは、ただ他の人間が彼に対して臣下として相対するからである。彼らは、逆に彼が王だから、自分たちが臣下でなければならぬと信じている。》(資本論)
…………
以下附記。
ある人間が注目を浴びてその話が聞き入られるのは、ただ他の人間が彼に対して傾聴者として相対するからである。彼らは、逆に彼が注目をあびてその話が聞き入られているから、自分たちが傾聴しなければならぬと信じている。
《資本(対象a)は流通において発生しなければならぬと同時に、流通において発生してはならない。 ……幼虫から成虫への彼の発展は、流通部面で行われねばならず、しかも流通部面で行われてはならぬ。ここがロードス島だ、ここで跳べ!》(マルクス『資本論』)
この注目を浴びる「王」のポジションを獲得するためには、つまり、その「説話論的形態」を得るためには、そこはロードス島なのだから、跳ばなければならない。
この注目を浴びる「王」のポジションを獲得するためには、つまり、その「説話論的形態」を得るためには、そこはロードス島なのだから、跳ばなければならない。
ある証人の言葉が真実として受け入れられるには、 二つの条件が充たされていなけらばならない。 語られている事実が信じられるか否かというより以前に、まず、 その証人のあり方そのものが容認されていることが前提となる。 それに加えて、 語られている事実が、 すでにあたりに行き交っている物語の群と程よく調和しうるものかどうかが問題となろう。 いずれにせよ、 人びとによって信じられることになるのは、 言葉の意味している事実そのものではなく、 その説話論的な形態なのである。 あらかじめ存在している物語のコンテクストにどのようにおさまるかという点への配慮が、 物語の話者の留意すべきことがらなのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)
ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』より。
しばしばわたしは自分にとってすぺては終ったと想定してみた。そしてある苦しい状況をなんとか究めつくし、明らかにしたいという思いにかられ、あらん限りの力をふりしぼって自分に決着をつけようとした。
その結果わかったことは、われわれは自分の考えをあまりに他人の考えのかたちに照らし合せて評価しすぎるということだ! 爾来、わたしの耳もとでぶんぶん喰り声をあげていた無数の言葉は、人々がそれらに仮托する意味によってわたしを揺り動かすことは滅多になくなった。また、わたし自身が他者に向って発する言葉についても、それらはすぺてわたしの思考とは不断に区別さるぺきものだと感じてきた――なぜなら、発せられた言葉は不変のものとなるからである。
もしわたしが大方の人たちと同じように決意していたら、わたしも自分を人並以上の人間だと思っただろうし、それぱかりでなく、人の眼にもそう映っただろう。しかしわたしは他人よりも自分を選んだのだ。
すぐれた人と呼ばれる人は自分を欺いた人である。その人に驚くためにはその人を見なければならない――そして、見られるためには姿を現わさなけれぱならない。かくしてその人は自分の名前に対する愚かな偏執にとりつかれていることをわたしに示すのだ。そのように、偉人などといわれる人はすぺて一つの過誤に身を染めた人である。世にそのカが認められるような精神はすぺて己れを人に知らせるという誤ちから出発する。公衆から酒手をもらうのとひきかえに、彼は己れの存在を世に知らしむるために必要な時間をさき、己れを伝達し、己れとは本来無縁な満足を準備するためにエネルギーを費消する。そしてついには栄光を求めて演じられるこうしたぶざまな演技を、自らを他に類例のない唯一無二の存在と感じる喜ぴ――大いなる個人的快楽―――になぞらえるにいたるのだ。
そこでわたしは夢想した。もっとも強靱な頭脳、もっとも明敏な発明家、思考のなんたるかをもっとも正確に認識している人々はすべからく無名の人であり、己れを惜しみ、己れを語ることなく死んでゆく人でなくてはならい、と。そうした人々の存在にわたしの目が啓かれたのは、ほかならぬ、やや志操の堅固さに欠けるがゆえに、名声が赫々として世に現われた人々の存在そのものによってである。(ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』恒川邦夫訳)
私は自分の文体が決まらないのにひそかに深く悩んでいた。自分の書く日本語が骨のない駄目なものであることが誰よりも先にわかっていた。当時は総じて甚だしい自己嫌悪の時代であった。自分の文章だけでなく、文字の書体も、鏡に映る自分の姿も、テープで聴く自分の声もとうてい好きになれなかった。その余り、答案を書くのに、英語やフランス語で書いたりした。冷や汗ものの外国語だった。当時は日本語のいい教科書がなくて、アメリカ占領軍の図書館やひそかに販売される米国医学書の海賊版で勉強するのが医学生の日常だったから、今の若い人が耳にされて感じられるほどには奇異でなかったが、それでも自然な行為ではなかった。文字の書体の嫌悪のためにノートを明朝活字体で書いたこともある。当時の私はそういうことには不思議に器用だった。
ポール・ヴァレリーの『イストワール・ブリゼ』が当時出版された。私は乏しい財布から限定版を購入しているが、そこに「自己でありたくない欲望」という一句を見つけて、私は知己を得たように思った。しかし、それは別物になりたいということではなくて、「どうしようもなく私である私」「忘我だけが許されていない我」をもてあましていたというほうが正しいだろう。「汝は汝自身より脱出するあたわず」というゲーテの句をかなり後まで覚えていた。
いっぽう、私は高校二年の時、「隠れた人生が最高の人生である」というデカルトの言葉にたいへん共感した。私を共鳴させたものは何であったろうか。私は権力欲や支配欲を、自分の精神を危険に導く誘惑者だとみなしていた。ある時、友人が私を「無欲な人か途方もない大欲の人だ」と評したことが記憶に残っている。私はひっそりした片隅の生活を求めながら、私の知識欲がそれを破壊するだろうという予感を持っていた。その予感には不吉なものがあった。私は自分の頭が私をひきずる力を感じながら、それに抵抗した。それにはかねての私の自己嫌悪が役立った。
二十八歳の秋、私は突然自分の文体を持っている私に気づいた。それ以前の私の文章は背骨のない軟体動物であり、今もなお、私はみるだにぞっとする。それ以後に私の書いたものは、出来不出来は別として私のものであることを全面的に承認する。私の言語に文体という背骨が入った時、持病であった自己嫌悪という長いトンネルからも抜け出たと、今も思う。そこで私は精神科医という社会の裏方を選んだ。その選択を私は正しかったと思う。
今でも、私はたとえばパーティーのスピーチは苦手であり、晴れの舞台でのあいさつはさらに苦痛である。さらに、私は、自分から進んでものを書いたことがほとんどない。私は探求ほどには執筆に魅力を感じない。学術論文も含めて、私の書いた散文はほとんどすべて依頼原稿から成り立っている。詩の翻訳の一部だけが例外といえば例外である。しかし、現代ギリシャ詩の訳も最初は私家版で出したものであった。私に書き下しを求めた編集者は少ないとはいえないが、今日まで私はほんとうの書き下しを一冊も書いていない。 (中井久夫「編集から始めた私」『時のしずく』所収 )