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2013年6月22日土曜日

カール・リヒターとクリフォード・ブラウン


カール・リヒターが東京についた夜、私は彼を囲む少人数の食事によばれた。凝った天ぶら屋だったが、座につくや否や彼は料理の整うのも待ちきれず、大根おろしをはじめあたりにあるものを手当り次第平らげ出した。結局は優に二人前以上食べたろう。座の人は半分は初対面だったが、彼は食べる以外に何一つ念頭にない様子だった。さすがに見かねて、つきそいが説明した。『リヒターは飛行機に乗ってから今まで何も食べてないのです。スチュワーデスが食事を持ってきても楽譜を手から放さず追い払ってしまうものですから』と。

あとで私が確かめると、彼はこともなげに『飛行機旅行というものは電話もかからずいやな客も来ないから楽譜をゆっくり見ていられて、実に楽しい。楽譜、特にバッハの楽譜はいつひろげてみても新しい悦びとナゾがみつかるものだから』と言っていた。

間近で見たリヒターはこういう人だった。これは音楽に憑かれた人、探求してやまない人である。(……)

リヒターの指揮と曲のつかみ方は、一面では峻厳をきわめ、一面では驚くほど自由である。その棒で彼はどこを切っても鮮血のほとばしり出そうな生気に満ちた演奏を創りだす。それは復古的な姿勢を全然持たないくせに、個人的な恣意とは逆の、規範的な様式の樹立に向ってつきすすむ。(……)

合唱が、《マタイ》の「真に彼こそは神の子だった」で一瞬だがすごい漸強と漸弱の曲線を描いたり、あるいは《ヨハネ》でイエスの処刑を知らせるバスのアリアのまっただ中に割って入り「どこへ? どこへ?」と何回となく問いを投げてくる時は、音自体は囁きの微妙な段階的変化でしかないのに、その響きはきくものの意識の中で反転反響しながら棘のようにつきささる。ここでは対位法は技術であると同時に象徴にまで高められている。

こういう感動は私たち一生忘れられないだろうし、それを残していった音楽家は、天才と呼ぶ以外に何と呼びようがあるだろうか?(吉田秀和「カール・リヒターとバッハ」)

「真に彼こそは神の子だった」(マタイ)と「どこへ? どこへ?」(ヨハネ)ーー、それぞれカール・リヒターのバッハの至高の箇所(もちろんほかにも棘のような突き刺さってくる合唱はいくらでもある…、あれらのカンタータ、マタイの最後の合唱の直前……)ーー少年時代、その箇所に焦点を絞るようにして何度も繰り返し聴いており、後にこの吉田秀和の文を読んで、それ以降、氏の言葉を全面的に信頼するようになった時期がある。



◆カール・リヒター (1969)



ーー若い頃、いや少年の頃、このギリギリのトランペットの高音の響きと合唱のバランスをひどく愛した。(ここでのピッコロ・トランペットは、Maurice Andreだ)。


◆オイゲン・ヨッフム




ーー合唱の爆発的な力を愛するならこれか?


◆オットー・クレンペラー





ーー
これもプロの合唱の声が迫力がある、だが巧すぎるのだな(いつも歌っているプロに「祈り」など出てこないぜ)…カール・リヒターの『ミュンヘン・バッハ合唱団』 はビラ配りをして募集した集まりだということを聞いたことがある。




あまり聴きくらべする趣味はないのだが(今回、Philippe Herreweghe, Nikolaus Harnoncourtも聴いてみはした)、どうもカール・リヒターのものから逃れられない。もっともわたくしがよく聴くのは、1961年の録音で、そこではダイナミクスがより豊かで、殊に合唱がフォルテシモからピアニッシモのあいだで大きく揺れ、一瞬静まりかえったなかを、トランペットの高音の旋律がより苦しげに奏されーー半ば割れかかっており、ひょっとして一般には下手糞とするのかもしれないーー、だが、それが天の届こうとして到り切らない宙吊りになったような印象を齎し、ああ、神よ、と言葉にならない言葉が口から洩れ出てしまう至高の瞬間がある。(ここに、Bach: Mass in b minor, Karl Richter, 1962 となっているものがあるが、録音は1961であり、Sanctusは、34:16 23.から始まる)


ロ短調ミサの《サンクトゥス》--「このミサの中で崇高なるものという観念をこれほど完全に表現したものは、ほかにないだろう」(シュバイツァー『著作集14』)


…………

もっとも割れかかった音をつねに好むわけではない。


ジャズトランペットでは、なぜかクリフォード・ブラウンの輝かしい音を愛する。マイルスではないのだ、






それはあまりにも完璧で…、なんというのか、マイルスのように恰好つけたり、粋に振舞おうとしたりせず…、などということを言っていいのか…、ただひたすら熱い…<力>が、<光>が、軀を吹きぬける…ああ月並みな言葉しかない…痛いのだ、悲しいのだ…、マイルスは軀を突き貫けはしない、脳を、皮膚を震わすだけだ…はたしてそうだろうか?…

美には傷以外の起源はない。単独で、各人各様の、かくされた、あるいは眼に見える傷、どんな人間もそれを自分の裡に宿し、守っている。そして、世界を去って、一時的な、だが深い孤独に閉じこもりたいときには、ここに身を退くのである。》(ジャン・ジュネ「ジャコメッティのアトリエ」宮川淳訳)


ーーここではもうひとつ、今では毀誉褒貶のある小林秀雄の「モーツアルト」のなかの言葉を使うしかない。

『モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない.涙の裡に玩弄するには美しすぎる.空の青さや海の匂いにように、万葉の歌人がその使用法をよく知っていた「かなし」という言葉のようにかなしい。こんなアレグロを書いた音楽家はモオツァルトの後にも先にもない。』(小林秀雄「モオツァルト」)


マイルス? スマン! ーーいや酒を飲みながらなら、よく聴くのはマイルスのほうなのだが。