・アタシ、勘がいいほうなのです
・奴は勘が鈍いな
・あの人は嗅覚が鋭いわ
ーーこの種の「身体的な」自己あるいは他者評定をしきりに表明する人間には気をつけなければならない(ニブイとはわたくしがそれなりに頻用する形容詞で、「勘」という語は自粛しているつもりだが、それでも自戒の意味で書いている部分もあるのはもちろんのこと。そもそも自らに跳ね返ってこないような文を書いても致し方ない)。
この種の発話を確信をもって繰り返す人物は、「観念の万能」者に所属しないかどうか疑ってかかる必要がある。
「観念の万能」とは、フロイトによればある種の神経症者のあり様であって、神経症患者は特殊な世界に住んでいるのであり、そこでは「神経症的通貨」(フロイト)しか通用しないとされる(もっとも現在、この「観念の万能」者が、はたして神経症者の特長だけであり、たとえば精神病者に当て嵌まらないのかどうかは、微妙なところであり、フロイト自身、ナルシシストをも例にあげて、観念の万能を書いている。ナルシシストとはラカン派の通念なら、精神病親和型のことを指す。さらに精神病的なのは第二次ナルシシズムであり、第一次ナルシシズム、あるいは「原抑圧」などを考慮したら、やはり神経症的だとする論もあり、まあシロウトのわたくしにはできないまだ判然としない)。
すなわち、熱烈に考えられたこと、熱情的に観念化されたものだけが彼らには重要なのであって、それが外界の現実と一致するか否かは、たいしたことがないのだ。ヒステリー患者は、自分の幻想の中でだけ起こった体験、もちろんそれは究極的には実際の出来事に還元されるか、もしくは実際の出来事によってつくりあがられているのであるが、そうした体験を発作の中で繰り返し、また彼(女)の徴候によってこの体験を確かなものとするのである。(フロイト『トーテムとタブー』第三論文「アニミズム・呪術および観念の万能」人文書院 P219)
こういった神経症者は「偏愛」やら「過大評価」を起しやすい。未開人たちのような、思考の性欲化、観念の万能の信仰。――《神経症患者の場合、一方ではこの原始的態度がかなり体質的に残っており、他方では、彼らに加えられた性的抑圧によって思考過程の再度の性欲化をきたしているのである。思考の本来的なリピドー過充塡の場合、また退行的目標とされているリピドー過充塡の場合、そのいずれの場合であっても、心理的結果は同じでなければならない。すなわち知的自己愛、観念の万能でなければならない。》同P222
そこでどうすればいいか? ……身も蓋もない話ですが、腰の奥の力を圧力抜きしなければなりません。そのためには、マスターベイションが手軽です。圧力抜きというのは、ニューヨークのハイスクールで使われていた言葉の訳ですけれど…… (大江健三郎『人生の親戚』)
「観念の万能」は、浅田彰や金井美恵子がかつてしばしば口にした「土人」とか、アニミズムにかかわるもので、岡崎乾二郎によれば、現在、アニミズム的な世界把握が復活してきている、と。
科学技術の進歩とともに世の中はどんどん合理化され、物の怪のようなものが入れ込む余地がなくなると思われてきたのだが、科学の進歩による際限のない分節/解明によって、それらの全てを細部に渡ってきちんと理解した上で使用することが困難になり、どういう仕組みだかは分らないけどどう動くかはだいたい理解できるようなものを、とりあえず「使える」ということでそれ以上の分析を止めて、「目的なき合目的性」として扱うことの方が、つまり物の怪だとかお化けのように「不可知のシステム」を「モノ」としてキャラクター化して扱うことの方が、いろいろと都合が良いということになり、現在、まるで原始時代のようなアニミズム的な習俗/世界把握が復活してきている。(「岡崎乾二郎に関するテキスト」古谷利裕)
というわけで「土人」たちの復活はやむえないとすべきか。
ーーフロイトは、神経症の資質を否定しているわけではない。神経症者は、「健常者」と等号が置かれることもある、そもそも、《ラカンの精神分析においては、われわれすべてが「神経症者」と呼ばれることになる。たとえ日常において健常者のごとく振る舞っていようと、言葉を語る存在であるがゆえに欠如を抱え、不完全かつ不合理な欲望を持たされているという点では、われわれもまた一種の病理的な構造を持つとみなされるからだ。》(斎藤環『「精神分析」を回避することの困難さについて』)。
※ここで斎藤環のいささか片寄った文だけを引用するのは誤解を生むのを怖れて(そもそも現在では、二〇世紀の神経症の時代から、二一世紀の「ふつうの精神病」の時代やら、ふつうの倒錯の時代などという話もあるのだ)、いらぬおせっかいかもしれないが、ミレールは次のように語っていることを附記しよう。
ーーフロイトは、神経症の資質を否定しているわけではない。神経症者は、「健常者」と等号が置かれることもある、そもそも、《ラカンの精神分析においては、われわれすべてが「神経症者」と呼ばれることになる。たとえ日常において健常者のごとく振る舞っていようと、言葉を語る存在であるがゆえに欠如を抱え、不完全かつ不合理な欲望を持たされているという点では、われわれもまた一種の病理的な構造を持つとみなされるからだ。》(斎藤環『「精神分析」を回避することの困難さについて』)。
ヒステリーは芸術創造のカリカチュア、強迫神経症は宗教のカリカチュア、パラノイアは哲学体系のカリカチュアであると、あえて言うこともできよう。(フロイト『トーテムとタブー』p209)
※ここで斎藤環のいささか片寄った文だけを引用するのは誤解を生むのを怖れて(そもそも現在では、二〇世紀の神経症の時代から、二一世紀の「ふつうの精神病」の時代やら、ふつうの倒錯の時代などという話もあるのだ)、いらぬおせっかいかもしれないが、ミレールは次のように語っていることを附記しよう。
……しかし最後には、ラカンは精神病的主体はまったく正常であると喜んでいうようになりました。これは、アブノーマルなのは象徴的秩序の方であり、人間の性質は基本的にパラノイア的であるということを意味しています。
(「ラカンの臨床パースペクティヴへの導入」 ジャック=アラン・ミレール 訳 松本卓也)
《人間の性質は基本的にパラノイア的》とは、われわれすべてが「精神病者」ということであり、《われわれすべてが「神経症者」》(ある時期までのラカン)とは、まったく異なることを語っているわけだ。
…………
ところで次のように発話する人物は許されるべきか、――《勘を鈍らせるものがパラダイムである》(蓮實重彦『闘争のエチカ』 p242)
この「パラダイム」は、次の文の「技術体系」に近似する。
岡崎乾二郎は、《主体のもっている感性や価値判断といったものが、いかにその人の習得している「技術体系」に依存したものであるか、技術を組み替えることで、いとも簡単に価値観や感性、ときには人格といったものまでかわってしまうのか》と語っているが、この「技術体系」は、出自や育った環境・時代などによって獲得される。だが、《主体を相対化することで初めて、自らが責任を負うべき一つの技術体系=主体を、自分自身の判断(=賭け)によって選択することが出来る》と。
以下の文の「視線」という語を、「感性」あるいは「価値判断力」に置き換えて読んでみよう。
視線とはもっぱら技術の問題である。瞳の振舞いが自然なものと思われたりすることは、あらかじめ錯覚として禁じられねばならない。見ることはあくまで技術の歴史に登録されており、あらゆる瞬間に歴史的実践たらざるをえない。
技術の歴史という文脈で視線が語られるとき、まず排除されるのは才能という語彙だろう。選ばれた視線というものは存在しない。よく見ることを心得たものとは、その視線を技術体系の機能ぶりによく同調しえたものにほかならない。つぎに無効にさるべきは、努力という語彙ということになろう。よりよく見ようとする善意は、見ることをいささかも上達させはしない。せいぜいが、技術体系の内部での居心地のよさを保証されるというまでのことである。いずれにせよ、瞳に新たな視力を賦与するのは、才能でも努力でもなく、あくまで技術の歴史的な発達にすぎない。
その限りにおいて、視線はいつでも苛酷な条件がまとわりつく。あらゆる瞳は、見ることの技術体系に拘束されてしか瞳たりえず、かりに未知の視覚的対象とめぐり会うようなことがあるなら、それは偶然の突発事故のごときものでしかない。ほとんどの場合、発見とは技術体系そのものが蒙る不可避的な変容にほかならず、そこでは、選ばれた視線はいかなる自由を享受することもない。瞳に許されているのは、せいぜい繊細であるか粗雑であるかの違いにすぎないが、繊細さで 視線が救われるものではなかろうし、それが何かを救うこともまたない。そこに注がれる視線が繊細であろうと粗雑であろうと風景の構図にはかわりなく、視界がいささか鮮明になったり混濁したりするばかりである。それが、見ることに課せられた条件の苛酷さにほかならない。技術体系そのものに変化が生じないかぎ り、風景の構図は同じままなのだ。だから、おのれの振舞いに多少とも自覚的な視線は、まとわりつく条件の苛酷さに意気阻喪するほかあるまい。そして、ミシェル・フーコーがたえず自分を位置づけようとつとめたのは、まさしくそうした苛酷な条件の交錯しあう一点にほかならない。(蓮實重彦「視線のテクノロジー」『表象の奈落』所収)
この文は、フーコーの「エピステーメ」をめぐって書かれており、エピステーメは、トーマス・クーンの「パラダイム」よりも広い射程をもった語彙だが、ここで、そんなややこしいことの説明をするつもりはない。今はたんに蓮實重彦のトーマス・クーン批判(吟味)をめぐる文を並べるだけにする。
……だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまっており、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批判宣言』所収)
次に、岡崎乾二郎のツイート(2013.1.18))を挙げてみよう。
これは、「用の美」(柳宋悦)をめぐるものだが、より一般的にとらえてみたい誘惑を促す呟きだ。つまりは、《「美しいとしかいいようがない」、というのは決して褒め言葉ではない。(たとえばゴミ箱一歩手前のものを救うときにこそ、使われる言葉でもある)。(言った本人はしばしば自覚していない)》、と。
・生きるために生きるという自同律(芸術のための芸術も同型)は、むしろ自立を妨げる。個々の身体は相互の連結性を断たれ完結した単位として孤立化され、あげく全体的秩序に無自覚=無媒介に帰属、回収されてしまう。身体はそれぞれ、個別の目的(=事情)を手段として固有化することでのみ自律する
・「 用の美」とは事物それぞれがもつ用(目的─手段の系)としての展開の特殊を美という一元性に解消すること(反動)。もし本当に事物それぞれの価値を認めたいなら、美こそを様々な手段に解体し、決して通約できぬ、それぞれの目的の特殊が事物=手段の特殊として在るのを認めなければならない。
・特殊なモノにこそ美を見いだしたいというのは人の性情(nature)にすぎない。別の言い方をすると認識が面倒くさいからそう言う。(だから使わないモノ、あるいはどう使うかわからないモノを保管するとき「美」という語は便利)。
・ たとえば「美しいとしかいいようがない」、というのは決して褒め言葉ではない。(たとえばゴミ箱一歩手前のものを救うときにこそ、使われる言葉でもある)。(言った本人はしばしば自覚していない)。
・ということで(さまざまなる用=目的→手段の特殊を消去した、すなわちいかなる判断論理の系も捨てた)、(美しい!という語だけで支えられるような) 公の秩序は( いうまでもなく)「 美しくない」(=公の秩序に反する)と断定すれば即、ゴミ箱行きという恐ろしい論理にむすびつく。
ーー<わたくし>が美しいと感じるとき、何かに捉われているのではないだろうか、それは慣習やら先入見のせいで、「美しい」だけではないか、というデカルト的疑い。
「疑う」ことは、自らが「思う」ことが共同体(言語ゲーム)に属しているのではないかと疑うことにほかならない。それが自らの「技術体系」を疑うということである。そこから「相対化」がはじまる。
上に引用したいわゆる「ポストモダニスト」ではなく、終生モダニストであり続けた加藤周一は、それにもかかわらず、この共同体の制度にまなざしを向けることを忘れない。《ある時代のある文化のなかでは、古典とのながいつき合いを通ってきた個人の間に、芸術に対する態度の共通の枠組が成立する。その枠組こそは、芸術的趣味または価値の体系の「時代性」を示すだろう。個人の態度は、その枠組のなかで、それぞれちがいながら、同じ時代の特性を帯びるのである。》(『絵のなかの女たち』)
《共通の枠組》は、《パラダイム》であり、《文化と呼ばれる「制度」》であるとしなくて、なんだろう。
そして《創造的時代錯誤》が語られる。これも《風景の構図》に抵抗する振舞いでなくてなんだろう。
ーー《フーコーにとって「ポストモダン」という問題は存在しない。(……)現在のエピステーメーの領域にはいかなる断絶の兆候もない。いわゆる「大理論」の成立は何の変化ももたらさず、またそれらの死と呼ばれるものも、全く効力がない。考古学者フーコーにとって、「ポストモダン」とは、いわば誤まった問題なのである。》(蓮實重彦『フーコーと《19世紀》』)
世間の、 ――おそらくは画商・美術館・美術批評家などが作る美術的世間の、定評というものがある。少なくとも絵の値段は、その定評によって決るだろう。絵の芸術的質は、定評とは関係がない、 ――おそらく大部分の画家はそう考えているにちがいない。商業的成功は、芸術的成功ではない。大家といわれる画家の、もちろん技術的には上手で、何らの造形的冒険も、独創性もない仕事を、十年一日の如くり返している奴がいる。
何が絵の質を決めるのだろうか。それは客観的には決まらない。それは各人が古典との長いつき合いを通じて、次第に養ってきた絵画に対する一種の態度を唯一の拠りどころとして、みずから決めてゆくほかないものだろう。その態度は、人によってちがう。すなわち当人の個人的な面とも係わる。しかし全く恣意的に人によってちがうのではなく、全く個人的な面のみに係わるのではない。なぜなら個人を超える古典の総体が、それぞれの個人の感受性を特定の方向へ、いわば導くように作用するからである。その結果、ある時代のある文化のなかでは、古典とのながいつき合いを通ってきた個人の間に、芸術に対する態度の共通の枠組が成立する。その枠組こそは、芸術的趣味または価値の体系の「時代性」を示すだろう。個人の態度は、その枠組のなかで、それぞれちがいながら、同じ時代の特性を帯びるのである。
しかし評価することなしに創作することはできない。みずから絵を描くためには、みずから絵を評価しなければならない。画家が古典を必要とするのは、古典を模倣するためではなく、絵画を定義するためである。時代が急激に変わり、何を古典とするのか標準も急に変わってゆくときに、 ―――したがって絵画の定義そのものが不安定化するときに、仕事を完成しようとする画家には、何ができるだろうか。彼らは、彼ら自身の時代を無視してでも、前の時代から受けとった古典の全体とのつき合いを維持するほかない。それこそは、たとえばジョルジュ・ルオーの、あるいは富岡鉄斎の、創造的時代錯誤にほかならないだろう。(加藤周一『絵のなかの女たち』)
いずれにせよ、文化という「制度」に抵抗したり、自らの「身体」=「技術体系」を相対化する気配は微塵もなく、出自としての「技術体系」に満足そうに胡坐をかいてるだけの「観念の万能」者たちが、ただひたすら「美しい」「素晴らしい」なる形容詞を酔い痴れて使うのであれば、「土人の発話」と評されてもやむえないだろう。
さる無名の小説家志望者である勤め人が、ツイッター上で次のような発話をしていたが、傾聴に値する。
映画にせよ、小説にせよ、そのメディアを成り立たせている空間(=社会的地平)および時間(=歴史)に自己言及できないレビューや批評はなくていいよ。
対象との距離もまともに取れずに、「素晴らしい」の一言で済むような「感想文」を延々と読まされる身にもなれよ。
以下は、この数ヶ月の発話の抜き書き(もともと蓮實重彦の小説批評への復帰を願うツイートを読んで、彼のことを知った)。
・突然のことで驚かせるかもしれないけど、4日(4月)の深夜、帰宅途中に暴漢に襲われた。カバンごと盗まれたよ。クレカ4枚、現金5万円入っていた。あと、右肩を骨折、入院してる。今、左手で打っています。
・ここ二ヶ月、自分の「死」についてこれほどまでに考えた時期はなかった。
・大江さんは『キルプの軍団』の後書きで書いている。「私がとくに小説に、同時代を生きている若い人へのメッセージを、これだけ直接的に書き込むということは、他の作品では決してなかったことでした。」この一節を読み、大江さんに初めて会ってお話したことを思い出した。「文学」への恩返しがしたい。
・骨折は徐々に良くなっているけど、精神的側面については「急性ストレス障害⇒PTSD」と推移している。
回復後。
・連日徹夜して、今日も、今帰ってきた。会社から課された1ヶ月分のノルマを果たしました。これをもって、2ヶ月にもわたり会社に迷惑をかけたことを反省し、土曜日には「降格申請」を出します。責任を回避したいのではない。今回の件で、人の上に立つ「器」ではないと痛感した。
・皮肉や冷笑、その場しのぎの嘘。人を見下すこと。そんな事ばかり繰り返してきた。だからといって、聖人君子ではない。これからも同じ過ちを繰り返してしまうだろう。しかし、「死」を迎える時に、その人間の「本質」は露呈する。道端で死ぬ時に夜空を見上げながら、悔いの残る生き方だけはしたくない。
・恋愛と結婚、子供を持つこと。そうした生き方は否定しない。いや、今はむしろ肯定している。ただ、今回の「事故」で改めて考えたけど、自分にはやっぱりできないかな。女医さんとは別れました。「女医通信」を楽しみにしていただいていた皆さん、申し訳ないです。
いささか格好よすぎるきらいもないではないが…ナントイウノカ…かつてのオレのようだ、まるで、などと嘘八百をいうつもりはない。